2014/06/29

えっ、今だけ45円!?…喜び勇んで買ったけど…

過日、某コンビニ。「今だけ45円」の惹句に引かれ、小躍りしながら醤油ラーメン5個入り×2セットを買物カゴに放り込んだ。

同時に頭の中で割算を開始。〈えーと、45÷5=9だから、えっ、1袋たったの9円か!?〉。脇の方を見やると「定価61円」の表示があった。

〈この際、ぜんぶ買い占めようか…〉との不埒な考えがよぎったが、〈皆さんにも幸せのおすそ分け〉ということで、そのままレジに進んだ。

ルンルン!支払いはいつものプリペイドカードで済ませ、家路を急いだ。そして着くなり、「今日はやっちゃ儲けたバイ!」と息せきって家人に報告。

が、反応は今いち。そこで詳しい説明を試みることに―。「1セット61円でも相当安かとに、そいが45円ばい。よかか1個9円ぞ。買わんやちゃバ~カさ!」。

筆者のハシャギぶりを冷ややかに観察していた家人が次に取った行動はレシートのチェック。そして俄かに笑い出した。

「何の可笑しかとか?1袋9円ぞ!こがん得した買物はなかろもん!」。最初のうちは押し黙っていた家人だったが、態度を豹変させるのにさして時間はかからなかった。

「何ば言いよっとね。アンタが買うてきたラーメンは、1セット5個入りで45円×5。つまり、225円なんざんすよ。そんな計算もお出来にならないの、オホホ…」。

予想だにしなかった「ざーます弁」まで飛び出てきて、大いなるショック!本当にもう〝立つ瀬〟がないとはこのこと。

ところが、この「45円ラーメン」が予想に反してバカ美味!麺のシコシコ感といい、スープの味といい、近年稀にみる〝傑作〟だったのである。

もとより典型的な文系人間で、「数学」と言うより「数字そのもの」にからきし弱いのが筆者の特徴。

したがって、こうした読み違えは〝日常茶飯事〟。でも、さすがに今回の一件は恥ずかしい限り。

「朝三暮四」(諺)のその意味は、サル並み知能の筆者の実態を照らしている。


2014/06/28

すごいぞ!パスカル…葦は「あし」とも「よし」とも

島原鉄道の定時株主総会に監査役として出席してきた。厳しい決算内容や人事の件は別項にゆずるとして、この前、日経新聞の一面コラム欄が島鉄にも通じる(?)面白い記事を書いていた。

それによると、世界で初めて「乗合馬車」という形で公共交通事業を思いついたのは、17世紀フランスの科学者にして哲学者だった天才!パスカルだったというのだ。

パスカルと言えば、「人間は考える葦(あし)である」という、かの有名な言葉がすぐ浮かんでくるが、その意図するところは「自分の弱さを知っている人間は宇宙よりも尊い」ということだ。

39歳の若さで没したパスカルがある時、思いついたのが乗合システム。それまで貴族階級が独占していた馬車という乗り物を、一般市民に〝有料〟で開放したのである。

そのアイデアは大当たりして、パリの定期路線には多くの市民が殺到した、という。これが今で言う「乗合バス」の〝原形〟だそうだ。

同コラム子はその由来を枕に、外国からの訪問客で観光バスや運転士の数が不足している日本の現状と問題点を無駄のない筆致で紹介している。

筆者自身はその記事に書かれていたことを頭の中で反すうしながら、本田哲士社長や他の取締役の皆さんが懸命に知恵をしぼって会場からの質問に応えられている姿を遠目に見守っていた。

印象を言えば、本田社長らはまさに「考える人」であった。ただし、それらは決して〝演技〟であってはならない!これからの島鉄に求められるのは「考える人」転じて、「行動する人」である。

総会では、今後の「活性化策」について具体的なプランの提示が数多くなされ、実現性の高い、ユニークな発想も幾つかあったように思う。是非、前向きに進めていただきたいものだ。

最後に駄洒落めくが、パスカルの言葉をもじっていうなら、「島鉄は地域にとって欠かせない『貴重な足』である」。願わくば一日も早く、「葦」(あし)が「葦」(よし)と読めますように!


2014/06/27

1回で済ませる!?…今日は祖母の祥月命日

6月に結婚すると幸せになれる。「ジューンブライド」とかいう欧米伝来の考え方だが、果たしてその信ぴょう性は?それより筆者の周辺ではここ数年、6月中に亡くなる方が殊のほかに多い。

実は、今日(6月26日)は祖母の祥月命日で、朝から小雨の降る中を墓参りに行ってきた。祖母が死んだのは4年前。父や母、神奈川県にいる叔母さんらとともに病院で最期を看取った。

祖母は生前、筆者に向かってよくこう言って〝脅し〟をかけてきた。「アタシが死んだ後、もしも『オナゴ遊び』どんしてみんね、毎晩夢枕に立ってやっとやけん!」と。

大正3年生まれの祖母は体格が良くて、若い頃はバレーボールの選手だったとか。情にもろい性格である一方、〝破れ口〟で、怒るととても怖かった。

長男が生まれたその晩のこと。出産予定が何日も遅れていたこともあってたまたま外に飲みに行っていたのだが、その時は〝目ん玉〟が飛び出るほど叱られた。

そんなこんなの記憶を呼び戻しながら花柴の水を換え線香を手向けてきた。途中ふと思い出したのだが、4年前と言えば、サッカーW杯の南アフリカ大会が開かれていた。

ところが、余りその当座の出来事を覚えていない。ひょっとして自分だけ…。否々、人間の記憶力なんて所詮そんなものだろう。

毎年この季節に思うのは「初盆」(精霊船)のこと。四十九日の法要をどうするか?極めて微妙な時期でもあるからだ。

先日、筆者の「暴飲・暴食」を見かねた家人が「病気になっとたい!」と、眉をひそめて注意を促してきた。となると、売り言葉に買い言葉。筆者は「嗚呼もう死にたか」と、深く考えもせず応じた。

すると何を思ったか、家人はニヤリとしながらこう返してきた。「わかった。そんなら早よしてネ!」と。

筆者が呆気にとられ「なして?」と尋ねると、「だって、お母さんの初盆と合わせて1回で済むやろもん」。もう〝完敗〟である。

「オバアチャン&お母さん、○○は逞しい嫁になりました」。以上、ご報告まで。


2014/06/22

離婚・分家・隠居まで…面白かった昔の「島原新聞」

数日前、昭和16年7月2日付けの島原新聞(野口雨情編)のことを書いたが、これが意外にも反応がよく、「島原小唄&多比良小唄の歌詞を是非教えてほしい」などといった要望が多数寄せられた。お応えしよう。

【島原小唄】①越えて来ました雲仙岳を 今宵島原波枕②昔しのばす森岳城址 松に松風たへやせぬ③土地の自慢は白土湖の清水 末に軒端の走り水④しのび水やら音無川に 岸の桜も散りかかる⑤あがた御社猛島さまは 街のしづめの護り神⑥月の出潮か秩父が浦を 啼いて渡るは磯千鳥⑦うしろ眉山屏風に立てて 前にや有明青●⑧肥前島原昔の城下 今も鳴ります時の鐘⑨山は焼山焼けよとままよ わたしや不知火胸焦がす

【多比良小唄】①多比良●りか 温泉さまの 森に吹く風永久に②遠く雲仙 多比良の城の 名残とめたか一の丸③波にもまれた 有明海の 味が自慢の多比良蟹④一目有明  琴平さまに 春は桜の花吹雪⑤いとし不知火多比良の濱に 打つは仇浪音ばかり⑥潮の満ちひき 土黒川に 船の出入もままならぬ⑦五萬長者の 屋敷の址の 布目瓦に偲ぶ月⑧椎の林に 風立ち騒ぎや 諏訪の貯水池●青し(※●は判読不能)

ただ、それとは別に大いにビックリしたのは、今で言う「慶弔欄」の扱い。「出生」「死亡」「婚姻」のほか、様々な「プライバシー」がいとも赤裸々に綴られているのだ。

その筆頭格は「離婚」。ついで、今ではとても考えられない「養子縁組」「養子離縁」と続く。おっと、まだまだあった!「分家」に「隠居」「家督相続」まで。

広告欄だって負けてはいない!洋品店のそれは何ともシュールなイラスト入り。おかっぱ頭の3人の女の子が登場して「その店で買ったこと」を自慢しているが、なんとそのうちの一人はジイ様が履いているような下駄を履いているのだ。

笑いあり、怒りあり、知性あり―。昔の島原新聞は今より遥かに大らかで面白かった。温故知新。ひとり〝時代〟のせいばかりにしてはなるまい、と大いに反省した次第。


2014/06/21

網元で応援したが…次戦での〝大勝利〟に期待!!

20日午前7時に始まったサッカーワールドカップ・Cグループの第2戦「日本対ギリシャ」の試合。

結果はすでに報じられている通り「0対0」の引き分けで、両チームともに「首の皮一枚」が残った極めて厳しい状況に追い込まれてしまった。

終わったことをクヨクヨ言っても仕方がない。あとは残された1試合(対コロンビア戦)で、日本が〝大差〟で勝利することを願うばかりだ。

ところで、読者の皆さまは対ギリシャ戦をどこでご覧になられただろう?出勤前に自宅のテレビで?それとも職場?かく言う筆者は前半を自宅で、後半は「網元」(水田長一さん経営)で観戦させていただいた。

同店は大久保嘉人選手が代表に決まった瞬間から大きな立て看板を玄関先に設置。サッカー(=大久保)大好きのお客さんから大型テレビの寄贈を受け、第1戦から「パブリックビューイング」を実施している。

残念ながら1戦目は東京出張で参加出来なかったが、今回はたまたま島原にいたので、遅ればせながらの〝仲間入り〟と相なった次第。

カメラを担いで気後れしながら店内に入っていくと、すでに20人ほどが歓声や悲鳴をあげている。中央にデ~ンと鎮座ましましているのは大久保選手の伯父上、林田正剛さん(林田観光バス社長)。

その脇を固めているのが、実弟で大久保選手の岳父・林田行弘先生と、島原法人会専務の柴田良和さん。筆者は前方の隅っこの方に座って、狂喜乱舞するシャッターチャンスを狙ったが、ついにその時は来ずじまい。

写真は雰囲気を押さえるため取りあえず撮った1枚。行弘先生の姿がゴールポストのような柱に隠れてしまった。次(6月25日午前5時~)こそ大勝利を!!




2014/06/20

リオのカーニバル…シーサイド島原で公演

「7月10日(木)・11日(金)―本場、リオのカーニバルがやって来る!!」。シーサイド島原(下田幸廣社長)が威勢よく集客活動を展開中だ。

チラシを見ると「夏計画第1弾」とあるから、きっと「第2弾」もあるのだろう。その折はチラシだけでなく地元!島原新聞の広告欄も是非よろしくお願いしたいものだ。

さて、そうしたいじこましい話はさておくとして、いま地球の裏側のブラジルではサッカーのワールドカップが開催中で、日本の勝敗とは関係なく今後さらにヒートアップしていくのは確実だ。

ちなみに、7月10日は準決勝2試合目の開催日(午前5時~)。決勝は14日(月)、カーニバルの本拠地「リオデジャネイロ」で開かれるそうだ(午前4時~)。

少しだけチラシに沿って広報のお手伝いをすると、料金は2日間ともA席1万円、B席8千円。全席指定。午後6時受付開始。食事は約1時間(飲み放題!)。お目当てのショータイムは7時45分からたっぷり1時間、ということだ。

聞けば、ブラジルまでの旅費は200万円近くがかかる、とか。それを考えれば、1万円程度で迫力満点の本場の雰囲気が味わえるとすれば、安い!?

もちろん、筆者とてこれまで見たことはないし、生きている間にせめて1度くらいはサンバのリズムに踊り狂ってみたいもの。

そう言えば、かつて紹介された知人に変な娘(今はオバさん)がいた。と言っても、れっきとした国際線のスチュワーデス(今で言うCA)だったが、リオのカーニバル見たさにフライトをすっぽかした、とか言って笑っていた。

当時の「スッチー」をしてそこまで熱狂させたものははて何だったのか?ひょっとしたら、今後の地元の祭りのヒントが隠されているかも知れない?

余談ながら、「ボイン」という日本語(俗語)は、『11PM』というかつての日テレの深夜番組の中で、大橋巨泉さんが朝丘雪路さんのふくよかな胸のラインをそう称したのが始まりだそうだ(=文芸春秋7月号)。


2014/06/19

ゆで玉子なら97個…山岡鉄舟は桁はずれの豪傑

山岡鉄舟(1836~1888)が豪傑だった!という史実を、島原文化連盟委員長の宮崎金助先生の著書『精神文化としての武士道』(昨年8月刊)から教わった。

しばらく間をおいて、宮崎先生と同門(國學院大學出身)のエッセイスト嵐山光三郎先生の最新刊『年をとったら驚いた!』(新講社)を読み、さらにその魅力にはまった。

宮崎先生が生真面目にその人となりを紹介しているのに対し、嵐山先生の切り口はいかにも週刊誌風で面白い。なにより登場人物が多士済々。思わず引き込まれてしまった。

トップバッターをつとめているのは、時代劇にも出てくる浅草六区のテキ屋の総元締め、火消しの新門辰五郎。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜に気に入られ、「京都に行くので誰か気っぷのいい女を紹介せよ」と言われ、惜しげもなく愛娘を差し出す。

明治2年、辰五郎は清水次郎長と兄弟分の盃を交わす。その次郎長は養子の身でありながら博打と喧嘩に明け暮れていたが、鉄舟と出会ったことで運気が上昇。後に富士山麓の開墾にも取り組む。

宮崎先生の著作によれば、剣の達人でもあった鉄舟は身長6尺2寸(188㌢弱)、体重28貫(約105㌔)の偉丈夫。

酒も滅法強く、慶喜公に従って水戸入りした際には、土地の酒豪と飲み比べをして、相手が5升で退散したのを尻目に悠々と7升を飲み干した。また、一度にゆで玉子97個を平らげる大食漢だった、という。

時代はさかのぼって慶應4年。勝海舟と西郷隆盛の江戸城明け渡しの交渉の際に鉄舟が見せた剛毅な振舞いに、「命もいらぬ、名もいらぬという男は始末に困る…」などと、さすがの西郷ドンも度肝を抜かれた、とか。

鉄舟はまた書の達人。千円の借金の証文代わりに書いた「なくて七癖 私のくせは 借りりゃ返すがいやになる」の紙切れは、そのまま千円の値札が付いたという逸話も。

嵐山さんは「辰五郎、次郎長と鉄舟を主役とした〝裏側サスペンス〟を三年後に出版したい」と書いている。早く読みたい!!


2014/06/18

私のこと嫌いでも…注目!!南島原出直し市長選

「また選挙だね」。今月初めだったか、誰かがそう呟いていた。てっきり南島原市の「出直し市長選」を指しているのかと想ったが、何のことはない「AKB48選抜総選挙」のことだった。

AKBの選挙で思い出すのは、「あっちゃん」こと前田敦子嬢が発した、あの希代の〝迷セリフ〟。「私のことを嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないで下さ~い」ってやつだ。

この迷セリフを肴に筆者が尊敬してやまない嵐山光三郎先生が抱腹絶倒の迷コラムを書かれている。新講社という余り知られていない出版社から出ている『年をとったら驚いた!』という本だ。先生は缶ビール片手に次々と〝迷作〟を繰り出しておられる。以下、テキトーに抜粋―。

「カツオのことは嫌いでも、カツオブシのことは嫌いにならないでください」「コンニャクは嫌いでも、オデンのことは嫌いにならないで下さい」「原発のことが嫌いでも、電灯のことは嫌いにならないで下さい」…。

キリが無いのでここらで打ち切るが、くだらないようでいて社会風刺的な〝一撃〟を喰らわせるのが、この先生が最も得意とするワザだ。

ところで、今年のAKB総選挙(6月7日)では、「まゆゆ」こと渡辺麻友嬢が15万票以上を獲得して昨年の覇者、指原莉乃嬢の連覇を阻んだ。

何でも、その勝利の背景には大量の中国人票があったらしいが、もうここまでくると一種の国際的な社会事象と言っても差支えないだろう。おそるべしAKB!いや中国!!

とまあ、その手の話題はさておくとして、南島原市の出直し市長選がいよいよ秒読み段階(7月13日告示)に入ってきた。

これまでに名前が挙がっているのは元市職員、元議長、現役市議…などだが、まだまだ情勢は流動的だ。ただ、誰が選ばれたとしても、次からは絶対にクリーンな市政運営を願いたいものだ。

嵐山流の呼びかけをするなら、「○○のことを嫌いでも、南島原のことは嫌いにならないで下さ~い」だろうか?


2014/06/17

どちらも野口雨情作…『島原小唄』&『多比良小唄』

福岡市在住のとある男性の方から先日、「昭和16年7月2日付けの島原新聞を読みたい」との連絡(メール)を受けた。

それによると、氏は現在67歳だが、現役のグラフィックデザイナー兼デザイン墨道家(?)として活動中、とのこと。

〈フムフムなるほど…〉などと文面を読み進めているうちに、その世界で「確たる足跡」を残しているなかなかの人物(・・)であることが判って些か驚きを隠せないでいる。

【その1】JAXAとNASAが共同で取り組んだ、国際宇宙プロジェクト気象衛星「DPR」のロゴデザイン。【その2】「ジャパネットたかた」の社名ネーミングとロゴマーク【その3】西鉄路線バスのデザイン(今年の色彩デザイン賞に輝く)…などなど。

ただし、それはあくまでも「まえふり」であって、冒頭記したように、「本命」は今から73年も前の本紙の写し。これまでなら島原図書館をご案内して済ませるところだが、昨年3月に市教委が実施した「見出し検索システム」のおかげで、さほど労せずしてご所望の記事と遭遇することが出来た=写真

さて、そこに記載されていた題材とは?驚くなかれ、北原白秋や西條八十とともに「童謡界の三大詩人」と呼ばれた野口雨情ではないか!

記事では、野口が創作した『島原小唄』と『多比良小唄』の全詩とともに、当時の植木元太郎市長(島鉄初代社長・衆議院議員)と関係者の記念写真が掲載されている。

つまり、そのうちの一人が、連絡を下さった方のお父上(明治44年生まれ、95歳で大往生)だということだ。何はともあれ見つかってヨカッタ。早速お送りしよう。

【追伸】この方は今も時々、墓参を兼ねて帰島されているとの由。島原半島のイメージアップに向けて何かデザイン的なアドバイスをいただけないものだろうか…と、個人的には思う。



2014/06/14

皆さんの箸はお幾ら?…私のは2万円の一生モン

ヒンシュクを覚悟して本日は自慢話を少々。世の中にゼイタクの種類は数あれど、これほどのゼイタクもそうざらにはあるまい。

のっけから変な書き出しで恐縮だが、とにもかくにもここ数日、軽い「興奮状態」が続いている。それもこれも、この一膳の「箸」(はし)のせいだ。

値段を聞いて驚くなかれ。ナッナント!2万円もするのだ。もちろん、そんな「高級品」を自分でなど買うはずがない。タネを明かすと、さる高貴なお方からの「頂き物」なのである。ガッハハハ~。

下さったのは、大手事務機器メーカー「内田洋行」(東京)の元社長・久田仁さんご夫妻。さらに明かすと、同社を定年退職後、3年ほど前に里帰りして弊社で働いてもらっている高木嶺一先輩のお導き、というわけだ。

久田さんご夫妻は先月下旬、三泊四日の日程で島原半島入りされ、観光名所ばかりでなく様々な施設なども視ていただいた。筆者は仕事の都合でご案内できなかったが、チャッカリ夕食だけは二度もご一緒に。「箸」はその時に突如飛び出てきた〝副産物〟なのである。

きっかけとなったのは、日本を代表する「ゆるキャラ」としてすっかり有名になった『くまモン』の生みの親・小山薫堂さん(脚本家、天草出身)が著した一冊の新書本(幻冬社刊)。

作品名は『考えないヒント』。何とも人を食ったタイトルだが、これがすこぶる面白くて、走り読みしたばかりの筆者がわけ知り顔で「何でも東京には1万5千円もする箸があるそうですね?」と話をふったら、すかさず奥様が「知ってる!前に住んでいた家の近く!」と驚くほどの好反応。

一瞬、こちらがたじろいでしまったが、話はトントン拍子に進んでしまって、ついには先日、厚かましくも頂戴してしまったのだ。少しだけその「箸」の紹介をしておくと―。

作っているのは東京・佃島の「漆芸中島」。伝統ある江戸漆の職人さんだ(11代目)。小山さんは本の中で「バラックみたいな…」と紹介しているが、久田さんのお手紙にも「トタン葺き云々」とあった。余談だが、値段が違うのは小山さんが買った時より三割方値上がりしている、ということだろう。

いずれにしても、これで「一生モンの箸」はゲットできた。後は肝心のメシのタネをどうするかだが、商売柄、これはもう何とかアイデアなんぞを捻り出して一所懸命働くしかない。

てなわけで、現在の日付けと時刻は6月14日午前5時50分過ぎ。家人に言わせると、筆者は「箸にも棒にもかからぬバカ亭主」だそうだが、それなりに頑張っているつもりなんですけど…。

【追伸】本当は写真を掲載したいところだが、余りにももったいなくて、まだ箱から肝心の中身を取り出せないでいる。(笑)


2014/06/12

御説には賛同しても…「サービス精神」発揮し過ぎ

申し遅れたが、先般の加藤清隆さん(時事通信社特別解説委員)の講演要旨の連載から、本欄の構成を一部手直しさせていただいている。平たく言えば、文字のポイントを少しだけ大きくしているわけだ。

さて、加藤さんと言えば、ご本人自ら明らかにされているようにバリバリの「安倍首相シンパ」。講演でも「どうして『集団的自衛権』を認めようとしないのか!」などと、実に威勢が良かった。

筆者自身、土地柄(?)のせいもあって、保守的人間を自認している。したがって、仰っている事柄に関しては結構頷ける部分も多かった。

ただ、どうしてもなじめない「表現」があった。それは、ご自身と考え方の異なるマスメディアに対して発せられた「左巻きクルクルパー」云々と、いとも乱暴に切り捨てられたことだ。

恐らく、会場の空気を読んで、ある意味「サービス精神」を発揮されたのだと想うが、その歯切れの良さとは裏腹に、聴いていて余り良い感じはしなかった。

長崎市出身の加藤さんの経歴は「官邸記者」「ワシントン支局長」…などと輝かしいものだが、実は島原出身者にもそうした枢要なポジションで活躍された先輩方がいる。

まず思い浮かべるのは、東京新聞の菖蒲宙一さん。沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作首相の「番記者」だった。実に穏やかな紳士で、少しも偉ぶるところがない。

TBSに勤務されていた田近東吾さんは外信畑のエースで、ワシントン支局長、モスクワ支局長などを歴任された。この方も「島原弁」を決して忘れない温厚篤実なお人柄だ。

筆者としては、お二方のイメージが色濃く残っているので、朝日、毎日、NHKなどとともに「左巻き―」と揶揄されるのにはいささか抵抗がある。

無論、言論機関としての「組織論」であることは分かってはいるが、もう少し違う言い方をしてほしかった。ひょっとして、長崎北高時代の恩師、宮崎金助先生の「古典」の授業をないがしろにしていたツケか!?


2014/06/08

情報戦に弱い日本…⑥加藤清隆氏の講演から

最後に、私のライフワークの「歴史認識の間違いを正す」について―。結論から言います。「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」もなかったことです。

1937年当時の南京の人口は20万人。それが1年後には25万人になったとの記録からしても捏造だと分かります。

習近平がベルリンで「30万人が殺された」と語ったそうですが、その根拠は?それより、「文化大革命」で犠牲になったとされる8千万人についての説明はどうなのでしょう?

一方で、「従軍慰安婦」の問題ですが、これは1973年に毎日新聞がつくった「造語」です。実際は存在なんかしていません。

確かに、戦前、戦中、そして戦後も日本には「公娼制度」があって、そのような女性がいることはいました。しかし、「従軍慰安婦」はいませんでした。

日本はこれまで中韓両国に対してどれほど「戦争の償い」をしてきたか。中国へは3兆6000億円のODAを実行。

韓国には1965年の日韓基本条約に基づき、韓国国家予算の2年分に相当する8億ドルもの資金を、世界銀行から借りて供与しています。

このほか、鉄道や道路、学校の建設など、現在の貨幣価値に直すと60兆円にも達する、と言います。

昨年10月16日、「従軍慰安婦はいなかった」とするスクープ記事を産経新聞が放ちました。いわゆる「河野談話」の真っ向否定です。

外交の究極の目的は、地球上にある限られた資源、食糧を自国に有利なように取り計らうことです。ところが、日本はそこでの「情報戦」に弱い。

日露戦争以降、米国が「オレンジ作戦」で日本に戦争を仕掛けてきたのに、「左巻きクルクルパー」のマスコミがまんまと乗せられたように…。

外務省はお公家集団だし、極め付けが「河野談話」。しかし、肝心のご本人は口をつぐむばかり。外交で黙っていることは認めたに等しいのに…。まったくもって話になりません!

‐おわり‐


2014/06/07

在日米軍が撤退!?…⑤加藤清隆氏の講演から

現在、集団的自衛権を否定しているのは日本とスイスの2カ国だけ。そのスイスにしても「国民皆兵制度」の国家です。

論議の中で聞こえてくるのは、1992年のPKO法案の時とほぼ同じで《青年を戦場に送るな!》と。

しかし、20年以上が経ちますが、日本が戦争に巻き込まれたことなど一度もありません。平和は努力してつかむものなのです。

ところで、「沖縄独立運動」なるものがあるとか、ないとか…。煽っているのは沖縄の地元マスコミ2社。ひょっとして中国から資金が出ていたりして。先に述べた「環求新報」が支援している可能性だって否定できません。

米海兵隊や普天間基地は中国軍の進出を阻むものです。その沖縄において、中国が差し向けたプロの活動家が暗躍していたら?ちなみに、いま日本には90万人の中国人がいるそうです。

ここから少し視点を変えて「中長期的な話」をします。米国の財政難で10年後に在日米軍がなくなるといった前提で―。

日本をぐるりと取り囲むように、チャイナ(C)、コリア(K)、ロシア(R)、アメリカ(A)の4カ国があります。いずれも核保有国です。

ということは、いつ何時「真空状態」となって戦争が勃発するやも知れません。そこで日本が取るべき選択肢は4つあります。

1つは、中国の軍門に下ること。2つ目は、日本の大幅な軍備拡張(核武装化)。3番目が、在日米軍を買う(≒借りる)こと。これは、根拠のない話ではありません。なぜなら日本政府は120兆円を超える米国債を持っているからです。

そして最後の4番目が、核のシェアリング(共同保有)という手法。ベルギーやトルコなどですでに採用されています。

何度も言うようですが、10年後には在日米軍が撤退するかも知れません。集団的自衛権云々とかいった「神学論争」をいつまでしているんでしょうか。国会は、もっと「現実的な議論」をしないといけません。

-つづく-


2014/06/06

集団的自衛権は必要…④加藤清隆氏の講演から

中国経済は20数年間も2桁の伸び。軍備もそれに合わせて増強を重ね、「米第七艦隊なんか大したことない」とでも思っているのでしょうか?上海の造船所では核弾道ミサイルを搭載した艦船が日々造られている、との情報もあります。

そうした中、米中の軍人同士によるトップ会談が開かれ、「太平洋を東西に分けようではないか」との提案が中国側からなされたような話も聞きます。

昨年6月、習近平国家主席は訪米して西海岸で3日間にわたってオバマ大統領と会談。中国の狙いはズバリ言って「西太平洋」。きっと、沖縄の米軍基地は邪魔でしょうがないはずです。

私がまだ小さかった頃、漢族によるチベット族やウイグル族の大量殺りく事件が起きました。双方とも100万人以上の死者が出ましたが、国際司法裁判所や国連の扱いは何ともそっけないものでした。こうした事態が沖縄では起きない、と誰が言えますか?

日米安全条約は一方だけが義務を負う「片務条約」です。過去のベトナム戦争では、沖縄から米軍機が次々と飛び立っていきました。つまり、そうした構図で米国が日本を守ってきたわけです。

しかし、米国が「世界の警察官」(超大国)でなくなった以上、それはもう過去の話。これからは、自分たちの国は自分たちで守らねばならないのに、例によって「左巻きクルクルパー」のマスコミ連中が反対しています。

茶番ですね。軍備には軍備で対抗しなければ「戦争の抑止力」には成り得ないのに…。「来るなら来てみろ!その代わりタダではおかんぞ!」と言ったくらいの気概を示さなくてどうしますか!

「憲法九条」や「平和」さえ唱えていれば誰も手を出さないとでも思っていませんか?いま話題の「集団的自衛権」は戦争を起こすものなんかではありません。むしろ戦争を防ぐのが目的です。

現実問題、日本が単体で中国に対抗できないのであれば、日米安保条約も集団的自衛権も必要と考えるのが、極めて普通ではないしょうか?

-つづく-


2014/06/05

中国の真の狙い?…③加藤清隆氏の講演から

オバマは間違ってなった大統領。むしろ、ヒラリー・クリントンの方が選ばれてしかるべきでした。旦那は単なるスケベ親父でしたけど…。(笑)

ロシアのクリミア侵攻と米国の出方をジッと窺っていたのが中国。そこで「米国は少々事を起こしても出てこない」と判断。西沙(ベトナム)、南沙(フィリピン)に打って出たのはそのためです。

ということは、東シナ海への侵攻は時間の問題!?いずれ漁民に扮した軍人が「釣魚島」(尖閣の中国名)に必ず上陸します。

中国はなぜこうも拡張主義に走るのでしょうか?14億もの民にメシを食わせないといけないからです。元々尖閣には福岡県の人が住んでいました。人口は約200人。鰹節の工場もあり、1895年には「日本の領土である」と閣議決定もなされています。

ところが、その後の調査で大量の原油や天然ガスが埋蔵されていることがわかり、中国は急きょ「我が領土」との主張を始めました。「嘘は百回言えば真実になる」とはゲッベルス(ナチス)の言葉ですが、中国はまさにそれを地でいっています。

昨年秋、中国は4万人を動員する大演習を同海域で実施した、とか。真の狙いは沖縄。尖閣は言わば、その橋頭保と見なしているようです。

中国共産党の機関紙「人民日報」の傘下にある「環求時報」が以下のことを明言しています。①琉球は本来中国である②琉球の民は日本から離れたがっている③我々は必ず琉球を奪還する―と。

1978年、鄧小平が来日した際、記者会見でこう述べています。「尖閣の問題は後世の知恵に任せましょう」と。いわゆる「棚上げ論」。そして2010年、中国漁船による日本巡視船への体当たり事件が起きました。

ところが、当時の那覇地検の次席検事は「外交に配慮して…」などと訳の分からぬことを言って処分保留のまま釈放しました。刑事訴訟法の一体どこにそんな事が書いてありますか?当時の民主党政権は黙って追認しました。

‐つづく‐


2014/06/04

「一強多弱」が続く…②加藤清隆氏の講演から

橋下徹は段々とカリスマ性をなくしてきた。それに、合流予定先の「結いの党」の江田憲司代表はバカですからね。(笑)

ワシントン支局長をしていた頃、当時の橋本龍太郎総理から「帰国して秘書官になれ」と言われたことがあります。断りました。その後釜にすわったのが江田なんですよ。

それからこれは声を大にして言いたいが、日本をダメにしたのは民主党。政権復帰など到底あり得ないし、維新も結いもいずれなくなるでしょう。つまり、「一強多弱」の状況が今後も続きます。

次に私のライフワークについて述べます。それは「間違った歴史認識を正す」ということです。時代状況も随分と変わって、オバマ大統領自身がいみじくも言っているように、米国はすでに「世界の警察官」(超大国)ではありません。

戦後を振り返ってみても、朝鮮、ベトナム、イラク、アフガンと、米国は多くの戦争に係わってきました。それがどうでしょう。近頃は軍隊を維持できなくなってきています。その心境は「戦争はもういい」「他国のことなんか放っておけ」と言ったところでしょうか。

それを見越してすかさず行動に移したのが、ロシアのプーチン大統領(クリミア侵攻)。これまでの米国だったら、何の軍事行動も起こさないことなんて考えられません。

プーチンはソチでの冬季オリンピックが終わるのを見計らっていました。この事態を読み解くカギは3つあります。

まず、国連が無力化したこと。ロシアは米、英、仏、中とともに拒否権を持つ安保理常任理事国の1つ。それが、隣国であっても主権を持つ国に侵攻したんですよ。

次に、日本の立場で考えてみれば、米国は実に頼りにならない存在に堕してしまっています。日米安保条約(5条)には、不測の事態における「米国の軍事介入」が謳われていますが、アテになんかできません。

先ごろ来日したオバマの韓国、中国での発言内容(豹変ぶり)をみても、それは明らかです。

―つづく―


2014/06/03

金助先生の教え子…①加藤清隆氏の講演から

先月29日、ホテルシーサイド島原に200人近い聴衆を集め熱弁をふるった加藤清隆氏(時事通信社特別解説委員)の講演要旨を、本日から連載させていただく。

その前に、島原市との関係について少しだけ説明をしておく。端的に言うと、島原文化連盟委員長・宮崎金助さん(元県立高校長)の長崎北高時代の教え子で、「恩師のために馳せ参じた」ということだ。講演のタイトルは『金助先生と学ぼう ワンコイン講座』。

【経歴】昭和27年長崎市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。時事通信社では総理番記者として活躍し、ワシントン特派員、官邸キャップ、政治部長などを歴任。最近では、読売テレビ(大阪)の人気番組『たかじんのそこまで言って委員会』にレギュラー出演し、〝毒舌〟ぶりをいかんなく発揮している。

  ※    ※  

私は長崎北の5回生。当時、金助先生はバリバリの新米教師で1年時の担任だった。金助先生からは古典を教わったが、失礼ながら、ほとんどその中身は覚えていない。

ただ、今でも記憶に残っていることが2つだけある。1つは先生が詩吟を教えて下さって体育館の壇上で吟じたこと。

もう1つは―。大学に入って島原の武家屋敷の一角にある先生のご自宅を訪ねた時のこと。先生は桜の咲き誇る中で、尺八を演奏して下さった。

『たかじん―』へは、毎日新聞OBの故三宅久之さん(政治評論家)の後を受け出演している。指名したのは安倍晋三さん(現総理)。お父上の故安倍晋太郎さんが福田内閣で官房長官をされていた頃から総理のことはよく知っている。

さて今日は、講演のテーマが『激動の日本政治を読む』となっているが、差し換えさせていただく。ということで、『国際政治における日本』について話を進めていきたい。

皆様、すでにご存じの通り、「日本維新の会」が分裂した。橋下徹代表は大学の12年後輩でよく知っているが、元々石原さんと一緒になったこと自体が間違いだった。

-つづく-