2014/01/31

人の価値は棺の蓋…お世話になった方が次々と

文芸春秋の巻末近くに「蓋棺録」(がいかんろく)というコーナーがあるのをご存じだろうか?有り体に言うなら、最近死去した著名人たちの回顧録だ。


筆者の身の回りでも今年に入って、随分とお世話になった人々が次々と亡くなられている。元商工会議所専務理事の河野俊文さんや田代尚子さん(田代則春弁護士夫人)、そして26日に旅立たれた丸政水産会長の坂田政男さんなど…。


各々筆者にとっては思い出深い方々だ。文芸春秋誌のように格調高くまとめることは到底望むべくもないが、〝オレ流〟でチャレンジしてみるか―。


河野さんはすでに鬼籍に入られた隈部長太郎さん(エンゼル玉屋)や福山隆之さん(未来企画)らとも仲良しで、弊紙の社長も伴って正月明けの「十日恵比須」(福岡)に〝商売繁盛〟のお参りをされていた、と記憶している。


筆者との個人的な付き合いは雲仙岳災害記念館の館長職を退かれてから。同じくリタイア組の元朝日新聞記者の佐藤元幹さんらとともに〝仲間内〟のゴルフコンペに時々参加させていただいていた。


ある日の打ち上げ宴席でのこと。前にも書いたが、筆者は不覚にもメバルのホネを喉に詰まらせてしまった。筆者の苦しみをよそに、皆さんは上機嫌でカラオケを歌おうと、二次会場のスナックへ。


そこで河野さんが一言。「ママさん、ご飯の余っとったら丸呑みさせてくれんね」。でも、やっぱダメ。ならば〝次善の策〟をと、「食パン」が供されたが、ついぞ効果無し。最後は「まっ、命に別条は無かろけん!」と断を下した河野さんのクシャクシャ顔が忘れられない。


余談だが、次の日の朝一番に耳鼻科に飛び込んで処置してもらったら、長さ3センチ程の艶光りする弓状のホネが出てきた。


田代先生の奥様は芯のしっかりした物静かな方だった。葬儀で弔辞を読まれた法曹界の重鎮の方々が口々に仰っていた。「よくまあ~こんな〝ワンマン亭主〟に尽くしてきたよね…」としみじみ。この正鵠を射たご指摘には、さすがの先生も反論できず!?


丸政会長は豪快なだけの経営者ではなかった。筆者自身も仕事のことで幾度か相談に伺ったことがあるが、やさしい口調で丁寧なアドバイスを下さった。


ある時、国際線の機内でお会いしたこともある。会長の目的はゴルフツアー。「ありゃ、清水社長もよう海外に行かすとかない?」と怪訝な表情。


すると我が社長曰く。「いんにゃ、オラ初めてばない。娘(シンガポールで先生)に会いに行きよっと。遠かない…」。すぐにご納得いただけたようだった。


「人の価値は棺の蓋を閉めてから」―。丸政女性従業員の皆さんの嗚咽の脇で、筆者も思わず〝もらい泣き〟してしまった。合掌。


2014/01/25

扇動演説の危うさ…見極めよう“裏の意味”

先週末から今週にかけて葬儀が4件も続いて、ついつい本来の仕事をかまけてしまった。ということで、本稿を書くのは久しぶりだ。はて一体、何を書いたらよいものやら?


そんな思いで今朝の新聞各紙を眺めてみると、どこもかしこも東京都知事選の話題を大きく取り上げている。その〝影〟に隠れてか、足元の長崎県知事選や同県議補選の扱いがやや希薄にも思える。まあ〝首都決戦〟だから仕方のないことではあるが…。


告示前の調査によれば、政権与党が支持している舛添要一候補(元厚労相)の〝優勢〟が伝えられている。対抗勢力の筆頭は、凄腕の〝選挙軍師〟として知られる小泉純一郎元首相が表立って推す、これまた元首相の細川護煕候補といったところだろうか(他にも沢山いらっしゃるが紙幅の都合で…)。


個人的な思いを率直に吐露すれば、76歳という年齢の問題もさることながら、〝殿〟にはそのまま芸術の道を突き進んでいって欲しかった。もっと言うなら、庶民はこんな「国」「地方」の区別も弁えないような〝不毛の論争〟には辟易しているのでは?


さて、その背後に控える小泉元首相。昨夜のテレビニュースで見た街頭演説の迫力はいささかも衰えを知らず、白髪が増えた分だけより凄みを増してきたようにも思う。が、冷静になって考えてみると、小泉政権が遺したものは果たして何だったのだろう?思いつくままに列挙してみると、郵政民営化、三位一体改革などのフレーズがすぐに浮かんでくる。


関連して、以前、とある開業医が吐き捨てるように呟いていたことを今でもよく覚えている。「小泉さんは地方の医療現場を混乱させたばかりか、日本という国そのものをいずれアメリカに売り渡そうとしているのではないか…」と。


事の真偽のほどはまだ分からないが、あの切れ味鋭い〝絶叫口調〟の中に、どのような思惑が含まれているのか。失礼ながら、ふと〝扇動〟という古めかしい言葉を思い浮かべてしまった。


選挙戦の〝争点〟を単一化して「イエスか、ノーか」で問い掛けるのは、小泉さんの〝常套手段〟で今に始まったことではない。問題は〝その後〟だ。


「原発」が危険極まりないシステムであることはフクシマの事例を見れば明らかであり、誰が考えても「より安全な代替(≒自然)エネルギー」が望ましいことは言うまでもない。


その上で、「即ゼロ!」を声高に唱えるならば、〝根拠〟を明確に示すべきだ。「当選後に専門家を集めて…」などと悠長なことを言っているようでは、さしたる〝差異〟はないのではないか?


結論!!政治家の発言の裏には絶えず「利権への思惑」が見え隠れしている。そのことを、我々選挙民は見落としてはならない。最近、つとにそう思う。


2014/01/18

おかげで『暁鐘』完売!?…福崎さんが〝3冊目〟の本

森本元成さん(島原商工会議所元会頭)が著した『暁鐘』(100冊分)に関しては、おかげさまをもって締切日の15日でほぼ〝完売〟となった。

もっとも、もとより〝非売品〟であるからその表現は当たらないのだが、島原新聞社&カボチャテレビの「読者・加入者プレゼント企画」としては大成功である。改めて著者並びに応募者各位に心よりお礼を申し上げる次第だ。

今後は、お申込みをいただいた方々に順次電話連絡をさせていただくので、対象者となられた方には、どうぞご協力のほどを宜しくお願い申し上げたい。

さて、オトコがあればオンナがあるように、次なる新たな著者が現れた。その方とは?㈱福栄会長の福崎理智子さん(82)だ。

福崎さんはこれまでにも、『孫への贈りもの』、『坂みち』(意地と努力と根性で往く)を自費出版しており、3冊目の作品が誕生したことになる。

タイトルは『思い出の新聞スクラップ』(披歴するものでないが、孫子に残したくて…)=写真。表紙を飾っているのは、タイムスリップしたかのような昭和6年と平成25年の島原新聞だ。

掲載紙はいずれも「11月1日」付け。他でもない、前者は福崎さんがこの世に生を享けた日で、後者は満82歳の誕生日。森本さんの場合と同様に、不肖私めが推薦文を書かせていただいている。

内容的には、福崎さんが島原新聞や島原文化連盟、島原商工会議所女性会の機関誌などへ送った寄稿文が中心となっており、折々の社会情勢に対する「母」兼「女性企業家」としての〝寸評〟が楽しい。
福崎さんは、自身の人生の最後の仕上げという意味で「終活の一環」と言われるが、傘寿を超えてのその活躍ぶり!筆者からすれば、「猶また、これから益々の人」である。

森本さん、福崎さんは筆者にとっても、かけがえのない「人生の大先輩」であり、期せずしてお二方同時に、「出版」に踏み切られたことの「寓意性」は奈辺に?

しかも、ご子息がともに弁護士として法曹界で活躍されているのはご案内の通りだ。言い古された
表現だが、「この親にしてこの子あり」という事だけは自信を持って言える。


2014/01/17

静かな長崎県知事選…一転、都知事選は激戦に!?

長崎県知事選挙が16日、告示された。投票日は来月2日。車で島原市内を回ってみたが、選挙戦の雰囲気は微塵も感じられない。むしろ、投票日が重なる県議補選の方が同じ〝一騎打ち〟でもヒートアップしている模様だ。

それにしても、15日夜から16日早朝にかけての天候の素晴らしかったこと!夜は満月が煌煌と輝き、明ければ抜けるような青空が広がり、真冬とは思えないほど太陽の光が眩しい。

早朝、水無川の橋梁から眺めた「平成新山」の山容はまるで絵に描いたようで、カメラを持参していないことを悔やんだ。

さて、きょう17日は「阪神淡路大震災」から丸19年目を迎える。ややもすると3年前に起きた「東日本大震災」の陰に隠れてしまいがちだが、当時の惨状を目の当たりにした身としては忘れようにも忘れられない、都市型の災害であった。

さて、長崎県の知事選より1週間遅れで執行される東京都知事選が、細川護煕(もりひろ)元首相の〝参戦〟で俄然盛り上がってきている。マスコミ報道によれば、自公が推す元厚労相の舛添要一氏との〝事実上の一騎打ち〟との見方が大勢だが、果たしてその結末やいかに…?

個人的に不思議でならないのは、背後に透けて見えるかのような、大物政治家諸氏間に横たわっている、複雑怪奇&魑魅魍魎(ちみもうりょう)たる相関関係だ。

まず取り上げたいのは、「原発ノー!」という基本政策で、細川支持を明確に打ち出した小泉純一郎元首相の〝立ち位置〟。

ご子息の小泉進次郎代議士が自民党内の要職にあるのになぜ?と思ったが、16日付けの朝日新聞では「舛添さんは党を去った人。支援しない」とキッパリ。いかなる場面でもスジを通す〝父子鷹〟の面目躍如である。

次に、元都知事&自民都連会長の石原さん父子。こちらの方では、父が党派を超えて元航空幕僚長の田母神俊雄氏を応援するのだそうだ。

さらに状況がややこしく思えるのは、小泉家と石原家は〝縁類関係〟だとも言う。一体どうなっているんだ…?

そんな混乱した頭の中で自分なりに〝ある想〟を巡らせている。それは今度の都知事選がぐっと時代を遡って、幕末期の「薩長の戦い」の延長上にあるのではないか、と。

小泉元首相のルーツ(祖父の出身地)は、よく知られているように鹿児島だ。一方、現在の自民党を率いているのは山口出身の岸信介元首相を祖父に持つ安倍晋三現首相。

単純にそこだけ見れば、「薩摩VS長州」の構図が成り立つ。つまり、そうした渦中に肥後(熊本)の殿様が引っ張り込まれているのではないか、と。

いやぁ、国を動かすお偉いさん方の〝腹の中〟はどうしても見抜けませんなぁ~。〔陳腐六十年〕


2014/01/16

ご苦言、肝に銘じて!…良品プラス確かな販路を

昨日、「一老人」と名乗る方(長年の愛読者)から、「誤字が多い。怪しからん」といった旨のお叱りのお便りを頂いた。

封筒も便箋も筆書きで、それだけでも恐れ入ったが、〝具体例〟(11日付け読者文芸欄=「粥」を「粥」としていた)を挙げられてはさすがにグーの音も出ない。ひたすら、お詫び申し上げる次第だ。

特段、おざなりに校正しているつもりはないのだが、やはり何処かに気の緩みがあるのだろうか…。早速、担当者を呼んで注意を促した。

ところが、である。今度は筆者自身が犯している過ちに後で気付いて愕然。15日付け本欄で、「お礼」を「お札」とやらかしてしまっていたのだ。

本紙を愛するが故の〝ご苦言〟に対し、心から反省するとともに、威儀を正して日々の紙面づくりに邁進して参りますので、どうぞご寛恕のほどを!

さて、昨報では「地域のブランド化」について紙面を割かせていただいたが、その〝伏線〟は先日聴いた島原倫理法人会モーニングセミナーでの、㈱中村輪業社長・中村耕一さん(西有家町)の講演にあった。

ご存じ「軽カー」の発案者として知られる中村さんは、今や全国各地で開かれているセミナーなどに呼ばれる、気鋭の経済人だ。

筆者自身は初対面でもあったので、「軽カー」開発に至ったきっかけ話がまず面白かった。なんと、ゴミ出し作業に苦労している老婆の姿に突き動かされて思い立ったというのだ。勝手な類推ながら、これが倫理活動で言うところの「気付き」の効用であろうか…。

少し中身を端折るが、中村さんが生んだ「軽カー」はマスコミ等でも盛んに取り上げられ、またたく間にヒット商品として、大手運輸会社からも注文が相次いだ。まさに〝順風満帆〟の船出であった。

ところが、思わぬところに〝落とし穴〟が潜んでいた。今から3年ほど前の「東日本大震災」を機に、ばったりと注文が途絶えたのだそうだ。

ふと足元を見つめ直してみると、調子に乗って造り過ぎた結果の〝在庫の山〟。途方に暮れた中村さんは必死で悩み抜いた挙げ句、ある結論を導き出す。

それは―。不遇の原因を災害や他人のせいにせず、自分自身が劇的に変わること。そうして、自分の得意分野(製造技術)を活かしつつ、販売網の展開については他の専門家とタッグを組むことにした。

現在、中村さんがアライアンス(同盟)契約を結んでいるのは長野、大阪の異業種の人々。この一連の話はテレビ東京系の人気番組『ガイアの夜明け』でも取り上げられた、という。

モノは品質が良いだけでは売れない。もちろん悪ければ長続きしない。ブランド化で品質を保証しつつ確かな販路を広げていく〝戦略性〟が今こそ求められているのである。


2014/01/15

宮崎・綾町がすごい!!…ブランドはあくまで手段

「ブランド」の語源が、所有者の識別を目的として牛馬に押された「焼印」であることは、すでに広く知れわたった話である。

さて、一般的に言われている高級バッグ等の「ブランド品」については、日本人がパリやローマなど欧州の主要都市に大挙して押し掛け、札束攻勢で〝買い漁った〟という、何とも浅ましい時代もあった。

海外旅行にも随分と行っていないので、彼の地の状況が今どうなっているのかよく知らないが、値段が値段だけに「モノがいい」のは事実であろう。でないと、余計に日本人がバカみたいで悲しい…。

今日のように「ブランド信仰」が高まるずっと以前は、一流品のことは「メーカー品」と称していた。「あらっ!そい良かね」「当たり前、メーカー品じゃんば」と言った具合に。

時代はそれから随分と移り変わって、「ブランド」という言い方がファッション関係だけに止まらなくなってきているのも、また事実である。

最近とみによく耳にするのは「地域ブランド」や「産地ブランド」などといった表現だ。つまりは他所との「差別化」のことで、より強調して「ブランディング」といった言い方をすることもある。

個人的には、そうした試みや挑戦はとても良いことだと思う。どんどん進めていって、その土地ならではの「ブランド」を確立して欲しいものだ。

過日、関東方面に出張した折も「日本一の長崎和牛」の看板をモノレールの駅で見て、長崎県人として誇らしく思ったが、宮崎県のそれはもっと大きかった。

唐突だが、ここから少し〝切り口〟を変える。9日付けの朝日新聞社会面に、「ふるさと納税 知恵で勝負」「宮崎・綾町/お札が人気集め急増」との大見出しが躍っていた。

記事によれば、人口7千人余りの同町の自主財源(平成24年度)は約13億5千万円。そのうちの13%強に当たる1億7千700万円が「ふるさと納税」によるものだそうだ。件数にして約1万2千件。

このほか記事では、鳥取県米子市や佐賀県玄海町、福岡市、北九州市などの取り組み事例を紹介している。さすがに綾町までには及ばないものの、いずれも地域性を活かして〝あの手この手〟を編み出そうとしている節が窺える。

あいにく、すぐさま出張に出かけねばならなかったので、書くのが遅れてしまったが、本紙市政記者に調べてもらったところ、「ふるさと納税」(平成25年度)に関しては、島原半島3市合わせて104件、金額にして1千176万円であった。

先にも述べたが、地域ブランドの推進、大いに結構。ただ、「ふるさと納税」などの既存制度を利用した「販路の拡大」という視点も忘れることなく。「ブランド化」はあくまでも「手段」であって「目的」ではないのだから…。


2014/01/10

名前も書いて下さい…先代が植えた「夏みかん」

新年早々〝ポカ〟をやらかした。突き出し広告でお知らせした「森本元成さんの著書プレゼント」の応募要領の記載の中で、肝心な「氏名」という表記を落としていたのだ。

いわゆる単純な〝凡ミス〟の類いであるが、あなどるなかれ!そのまま指示通り名前を書かずに投函して下さった方が少なからずおられるのだ。中には、いったん書きながら修正ペンで消された方も…。

全ては筆者が悪いのであって、弁解の余地など何処にもない。ただその一方で、「島原半島の人は本当に善良で従順な方が多いんだなぁ~」と、妙なところで感心もしている。

再び繰り返して恐縮だが、同本(『暁鐘』)を欲しい方は、官製はがきに「住所」「氏名」「年齢」「職業」「電話番号」を明記の上、島原新聞社、またはカボチャテレビまでお申し込みを!今月15日が締切。

さてさて、前述の失敗談は、福岡出張から帰って来るなり(9日午後)、女房殿からまるで鬼の首でも取ったかのような勇ましい口調で告げられた。

幸い(?)、明日からは関東地方に出張するし、次には連休も控えているので、〝時間薬〟とやらで少しは罪状も薄まるものと期待しているのだが…。
   ※    ※   
新聞社の裏階段の脇に「夏みかん」の老木が立っている。何でも「子どもたちのオヤツにでも…」と先代社長が植えたものらしいが、飽食の世の驕りか、今では余り見向きされることもない。

冬の柔らかな日差しを浴びて、たわわになった「実」を眺めながら日々古びた階段を昇り降りしている筆者だが、さすがに梯子を使ってまで千切ろうという気にはなれない。

何となれば、酸っぱい食べ物が苦手だからである。したがって、家族全員が「これは美味い!」と言って箸を伸ばしている南蛮漬けなどは目障りなだけ。

「どうして?酢は体に良かとに…」などと母子して勧められるが、ダメなものはダメなのである。

ところが、世の中は百人百様。アポロ興産会長の馬渡迪裕さんは酸っぱいもの、特に「夏みかん」が大好物のようである。

氏とは時々一緒にゴルフを楽しんでいるが、島原カントリー(インコース)の12番、13番の間にある「夏みかん」は殊にお気に入りの様子だ。

ご存じの通り、氏は六尺豊かな美丈夫で、その長~い手足とアイアンクラブを自在に操って、嬉々とした表情で収穫される。

甘かろうが酸っぱかろうが一切関係ないようで、千切った「実」はその場で器用に剥いて「さぁ食え!」と有無を言わせない。

筆者がいつも後半にスコアを崩しているのは、きっとその〝脅し〟が原因なのだろう。

ところで、冬から春にかけてが食べ頃なのに、なぜ「夏みかん」?


2014/01/08

今年はうまくいく!!…はて、挿絵は何でしょう?

なけなしの1万円を賭けた昨年末の「有馬記念」では、本命流しの三連複とやらで1万5千円をゲット!ちょっとした小遣いが出来たと喜んでいたのですが、ネット馬券取次人の息子から、まんまと元金をパクられてしまったのです。

結局、儲けたのはお前だけ?こんなんでは間尺に合わぬではないか!とひとしきり文句を言ったのですが、相手はどこ吹く風とばかりに「馬耳東風」を決め込む。大いに「馬鹿」をみた次第です。

さて、年が明けて1週間が過ぎると、干支(えと)の話も余り聞かれなくなってしまいましたが、あらゆる局面において行動が鈍いのは筆者本来の性(さが)でありまして、ようやく昨日あたりを機に年賀状の返事を書き終えたところです。

フムフム、ナルホド。「人間万事塞翁が馬」ですか…。いい言葉ですね。人生、焦ってはいけません。決して悪いことばかりが永遠に続くなんてことはありませんから。

そう言えば、衆議院議員の加藤寛治先生が島原商工会議所の新年祝賀交歓会で毎年こんな言い回しで、その真髄をついておられます。「大悪は大善の瑞祥(ずいしょう)である」と。

「瑞祥」とは耳慣れない言葉ですが、辞書によると、「前兆」とか「吉兆」とかと同じ意味合いだそうです。

閑話休題―。そうでした。今日は「午」(=馬)の話を本題とするつもりで書き始めたのをすっかり忘れていました。

「馬」のイメージと言えば、「馬力」という単位があるように、「エネルギッシュ」そのものですよね。面長の顔に、大きな鼻の穴。どういうわけか、目元は二重で、おしなべて優しい感じがします。

また、「人馬一体」とも言うように、人間との相性も昔から非常に良いようです。こうしてみると、何だか今年はすべてが「うまく」運んでいく気がしませんか、皆さん?

それでは最後にクイズを出します。本欄左端に掲載した「挿絵」は何に見えますか?これは、ドリームネットワーク代表で感動教育家の高光りょうすけさん(熊本市在住)から頂戴したものです。普通は「馬」に見えますよね。でも、90度反転してみると―。答えは言いません。

高光先生には今年から島原新聞土曜版の「ひとくち説教」の執筆陣に加わって頂くことになりました。


2014/01/07

初心忘るべからず?…誤解多い世阿弥の言葉

年が明け、世間からは「初」にちなんでか、「ハッ!ハッ!ハッ!」と笑い声が聞こえてくるようだ。

さて、その「初」の文字を『字通』(白川静著)で引くと、こうあった―。会意衣+刀。衣を裁ちそめる意。ことはじめとしての儀礼的な意味を背景にもつ字である。

これじゃ何のことだかサッパリ分からぬ。そもそも「会意」って何だ?と今度は『広辞苑』(新村出編)を紐解く。

それによると、会意とは、漢字六書(りくしょ)の一。象形・指事により造られた漢字を結合し、それらの意味を合わせて漢字を合成する方法。「日」と「月」を合わせて「明」とする類。

と今度は「指事」が分からない。再び『広辞苑』。漢字六書の一。事柄や数などの抽象的な概念を象徴的に記号化して字形とする方法。「一」「二」「上」「下」「本」の類。→六書

これ以上やると、頭が余計にコンガラガルので、もうやぁ~めた。要するに、「物事の始まりのこと」じゃろもん!

そうこうしているうちに、毎週火曜日早朝6時からホテル南風楼で開かれている「モーニングセミナー」の主宰者である一般社団法人・倫理研究所法務局からメールが届いていることに気付いた。

早速開いてみると、大きな文字で「初心を戒める」とのタイトル。同研究所会長を長年務めていた丸山竹秋さんが遺した言葉だそうだ。

文頭に、「能」(古典芸能)の大成者として知られる世阿弥(ぜあみ)の言葉が紹介されている。「初心忘るべからず」という、例の有名な教えのことだ。

ところが、この教えを誤まって理解している人が随分と多いらしい。かく申す筆者もその一人だが、ここで言う「初心」とは、「うぶで純情な初めの心」なんかではない!

その本来の意味は「初心の芸がいかにつたないものであったか、その未熟さ、醜悪さを想いだして、肝に銘ぜよ。そうしておれば現在の芸は退歩しないものだ」―とのこと。

さらに読み進めていくと、こんな記述も―。「人の命には限りがあり、能の修業には限りがない。各時期のそれぞれの芸を身につけても、さらに老後の段階に似合う芸を習おうとすれば、それは老境の初心の芸である(後略)、と。

その上で、著者はこう結んでいる―。「企業経営もそうだ。はじめの稚拙さ、今日の失敗を工夫しよう。セールスも商品や機械類の製造も同じではないか。はじめにやったつたなさを忘れまい。そうして毎日毎日あらためる努力を続けよう。政治も学問も、いや家庭における調理、洗濯、掃除などもすべて同じことだと思う。

島原倫理法人会(橋本卓也会長)の今年の「初」モーニングセミナーは7日。遅刻せんごて、ハヨ寝んば!?


2014/01/01

新米社長の“独り言”…中小企業の経営者の苦労 (元旦特別篇)

   
代表取締役(いわゆる社長職)になって初めての正月を迎える。果たして何が変わったのだろうか?と自問自答してみるが、まだまだ〝実感〟に乏しい。

国民的映画『男はつらいよ』シリーズに出てくる「タコ社長」こと太宰久雄さんが、主役の「寅さん」(渥美清さん)に向かって吐く名文句がある。

「いいか寅、てめえなんかにな、中小企業の経営者の苦労がわかってたまるか」(第21作『寅次郎わが道をゆく』より)。

この記事を書くために調べていて初めて判ったことだが、長旅に出ていた寅さんがふら~っと帰ってくる「車屋」(おいちゃん夫婦が営む団子店)の裏手にある会社の名称は「朝日印刷」。そして、タコ社長の本名は「桂梅太郎」だそうだ。

筆者も印刷会社までは知っていたが、劇中の社名や社長の名前は今日までついぞ知らなかった。恐らく、読者の皆さんだってきっとそうだろう。

その過程でもう1つ判明したことは、実は島原出身の森崎東さん(最新作『ペコロスの母に会いに行く』)が1970年に同シリーズの監督をしていたこと。『寅さん』と言えば、山田洋次監督の〝専売特許〟とばかり思い込んでいたので、意外な発見である。

話の脱線ついでに、山田監督にまつわる話を一つ。山田さんの出生地は大阪府の豊中だそうだが、幼少期を中国・大連で過ごし、青春時代の一時期(15歳~18歳)を山口県宇部市でおくった、とある。

ただ、どういうわけか、山田さんの作品に宇部市を取り上げたものはまったく無い、と現地に住む知人から聞いたことがある。

宇部は映画の舞台になりにくい街なのだろうか?それとも何か別の理由があるのだろうか?

その宇部に関してさらに駄弁を弄すると、今を時めく「ユニクロ」(㈱ファーストリテイリング)の柳井正社長もそこの出身だ。

ただ、この方も社業の進展に合わせて、それまであったご自宅を早々に引き払われたそうで、それに伴う住民税の損失額(?)はナント年間3億円にも及ぶとか…。

いずれにしてもウラを取るような話でもないので放っておくが、柳井社長の年収の凄さに、ただただ恐れおののくばかりである。ねー、タコ社長!?

ところで、1年前の本欄で読者の皆様にお約束したことを、覚えておいでだろうか?その時は坂本龍馬の「船中八策」をもじって「寒中八策+アルファ」と題して10項目から成る努力目標を掲げた。

「その結果は?」と言うと、達成率はズバリ80%だった。よく首長選挙などで問われる、マニフェスト的な発想でいけば、「まあまあ」の評価はいただけるのではなかろうか。

ならば、今年は年頭に当たって何を「宣言」すればいいのだろう?かりそめにもこれからは最高責任者として最終的な経営責任が問われる立場だ。

テレンパレンとした曖昧な「口約束」に終わってしまうようだと、会社全体の信用問題にも波及しかねない。ここは一つ腹を括って取り組むしかない!

だだ、そうは言っても、不節制と運動不足からくる「肥満症」は一向に収まる気配はなく、腹周りは優に1メートルを超え、先日もやっとのことで超ビッグサイズのベルトを探し当てたばかり(※ユニクロ島原店で)。

と、ここまで書き進めてきて「相変わらず俺ってバカだなぁ~」と自嘲的な笑いが漏れ出てしまう。「腹」とはウエストサイズのことなんかでなく、「肝」(きも)のことだ。

そう、経営者にとって何よりも大切なことは、「何があっても企業を守り抜くという『肝』があるかどうか」ということである。言い換えるなら「信念」のことだ。

社長になってまだ一月余り。正直、何をどう舵取りして、社員諸氏やその家族を路頭に迷わせないようにしていったらいいのか、確たる答えは見い出せないままでいる。

ただ、モノは考えようだ。幸いにして我が社には、業務推進の知識や技術に長けた有能なスタッフが部門ごとに控えている。

言い換えるなら、社長である筆者の力量など余り問題とはならない。ポイントは、いかに皆が持つ能力を引き出して社業に反映させていくか、だ。

世界でも伝説的な経営者として知られる鉄鋼王ことアンドリュー・カーネギー(1835年~1919年)の墓碑銘にはこう刻まれているそうだ。「自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る」と。

社長になって改めてこの言葉に触れた時、筆者のモヤモヤ感は一気に吹き飛んだ。「まるで私のために用意された文言ではないか!」と、一挙に百万の味方を得た気分になった。

しかしながら、問題はこれからだ。本当に個々人の才能を存分に引き出し、育てていけるのか?いかに会社全体の「調和」を図っていけばいいのか?

それには、何と言っても「健康」が必須条件だ。息子たちもまだまだ一人前ではないし、早々に「墓碑銘」を冠せられるのも嫌だ。

何はともあれ、新しい年は始まったばかり。ゆっくり立ち止まって、じっくり想を練ろう。時間は十分にある。そのうえで徐々に歩き始め、ある時機が来たら「目標」を定めて一心不乱に走り出そう。

ゴール?そんなものはない。所詮、世の中も人生も「終わりなき駅伝」ではないか。自分に与えられた区間を全力で走り切れば、それでいい!

結果は「二の次」。そうでしょう、タコ社長?島原半島の新しい名物は「走りダコ」とも言うようですし…。

おあとがよろしいようで、そろそろ筆を擱きます。皆様、どうぞ今年も宜しくお願い申し上げます。