2014/03/30

フランシーヌの場合は♪ …偶然にも45年前と同じ

「フランシーヌの場合は/あまりにもおばかさん/フランシーヌの場合は/あまりにもさびしい♪」。

それなりに年齢のいっている人なら 「あ~、 あの歌か…」 と思い出されるだろう。 新谷のりこさんが歌ってヒットした 『フランシーヌの場合』 という反戦歌の出だしの一節だ。

歌詞はさらに 「3月30日の日曜日/パリの街に/燃えたいのちひとつ/フランシーヌ♪」と続く。 この作品が発表されたのは今から45年前の1969年(昭和44年)。

今更ながらに歳月の流れの早さに驚くが、 「3月30日」 が同じ 「日曜日」 なのも何かの因縁か。 それに今年は45年前と同様に 「長崎国体」 の開催年でもある。

そんな感慨に耽りながら手元の郵便物を仕分けていたら、 中に 『広報しまばら4月号』 が入っていて、 その表紙に復元工事中の島原城天守閣の様子がセピア色の写真 (昭和38年撮影) で紹介されている。 こちらは間もなく50年だ。

ところで、 天気予報によれば、 サクラが随所で満開だというのに、 週末の天候はどうにもおぼつかない模様。 予報通りだとすれば、 もうこの時点 (29日午前) ですでに雨が降り始めているはずだが、 何とか持ちこたえている。

出来たらあと3日…。 いや、 せめて 「3月30日の日曜日」 いっぱい持ちこたえてくれれば、 満足される花見客も多いと想うのだが、 いかがだろう。

そんな願いにも似た思いを込め、 「転ばぬ先の杖」 として数日前の晴天時に撮影したのがこの一葉。 満開のサクラの枝先を絡めた、 何ともベタな構図だが、 車から飛び降りてサッと撮ったお手軽写真。何卒、 お許しを乞いたい。

しかし、 よくよく考えて見ると、日本人は余程このスタイルが好きと見え、 筆者が使用しているスマホのモデル画面にも 「サクラ+富士の高嶺」 の合成写真が採用されている。

とにもかくにも、 この土&日に雨が降りませんように


2014/03/23

イスラム伝説のウソ…これからは韓非子路線で

「右手にコーラン、左手に剣」という有名な言葉がイスラムの世界にある。コーランはイスラム教の聖典のことで、一般的には「お前さん、改宗しなければぶっ殺すぞ!」といった脅し文句のように取られがちだが、どうもその解釈は間違っているらしい。

実際のところは、征服した異教徒に対して投げかけた懐柔の言葉だそうだ。つまり、「改宗しないなら『ジズヤ』(税金)を払いなさい。そうすれば元の宗教のままでいいですよ」との意味だとか。

日本にも多くの信者がいるキリスト教と違って、イスラム教はどちらかと言えば、余りなじみがない。イメージ的にはラマダン(太陰暦9月)における断食など厳しい戒律ばかりが目に浮かぶが、(異教徒に対して)なかなかに懐の深いことを知って少し安心した。

ところで、それとはまったく縁もゆかりもないが、このまえ本屋に行ったら、冒頭のイスラムの言葉をもじったようなタイトルの本に出合って、思わず苦笑してしまった。

それは中国文学(思想)に詳しい守屋洋さんが著した、『右手に「論語」 左手に「韓非子」』という角川SSCから出ている新書本だ。副題には「現代をバランスよく生き抜くための方法」とある。

まだ買ってきたばかりで読んでいないが、孔子(論語)の説く「性善説」と、韓非子言うところの「性悪説」を巧みに使いこなして世の中を渡って行け、ということだろう。

(未読だが)その伝に従って、つらつら我が人生を振り返ってみれば、自らを鼓舞するように「性善説」を取る余り、いかに「損」を重ねてきたかを痛感して自嘲気味に笑ってしまう。

ただ、根っからの「小物」ゆえ、「大損」にまで至っていないのはもっけの幸いだが、「塵も積もれば山となる」とも言うから、そうそう安閑ともしておれない。

何せ、来年はもう還暦だ。あと残り何年仕事を続けられるのか判らないが、これからは少し韓非子路線に舵を切って、「自らの利益」を最優先にして生きていかねば「損失額」は益々膨らんでいくばかりだ。

そうだ!あの時、飲み屋でもらった領収書、それからこの前のスーパーでの買い物のレシート…。財布の中や机の引き出しに入れっ放しにしていた〝必要書類〟を仕分けして、鷹揚な態度で会社の経理課と家人に突き出した。

と、いずれの対応も似たようなもので、「残念ですが、コレ宛名が書いてありませんね~」「とっくに日付が過ぎてますよ」。「もう先月分は締めましたから」などなど、「取りつく島もない」とはこういうことを言うのか…。

ウソかマコトか知らないが、イスラム世界には「借金」という概念は無いそうだし、何より4人まで妻帯できる、とか。思い切って改宗するか!?


2014/03/21

難しい情報の取扱い…保護も過ぎればギスギス

黙っていても鼻水タラ~リ。桜の開花も間もなくだというのに、鼻炎持ちには何ともつらいシーズンだ。聞けば、19日は県立高校の合格発表日だった、とか。そうか、筆者が「1番」(受験番号ですよ!)で合格してからもう43年もの歳月が流れたか…。

あの頃はまだ牧歌的と言うか、今のように「個人情報云々」といった風潮は一切なく、各新聞紙上には高校別に合格者の名前が逐一掲載されていた。

確かに、不合格の憂き目に遭った人にとってそれは、つらい仕打ちだったのかも知れない。ただ、今の時代のように、余りにも行き過ぎた「個人情報の保護」といった硬直化した姿勢ではかえって、世の中そのものがギスギスしないだろうか…。

かつて、島原新聞の最大の〝売り〟は、『こちら一一九番』という島原地域広域圏管内における救急車の出動情報だった。この企画は読者の間でも人気で、「あっ、あの方がケガをされている。お見舞に行かなくては」などと、大いに重宝がられたものだ。

一方で、「搬送されたことを知られたくない人もいるはず。プライバシー保護の観点からすれば大いに問題ありだ」などとする反対意見も出て、市議会でもたびたび論議を呼んだ。

そもそもは「救急車をタクシー代わりに使っている不埒な輩が沢山いて困る」との救急現場の切実な声を聞いて、「窮余の一策」としてスタートしたもの。掲載して欲しくない人はその旨を申し出てもらい対処する、という配慮も施した。

しかしながら、こうした努力も、心ない選挙事務所の新成人への〝祝電騒ぎ〟がきっかけとなって(?)水泡と帰してしまうことに。今にして思うに、誠に腹立たしく、残念でもある。

何によらず「情報」の取り扱いは難しいものだ。事件や事故の報道は特にそうで、時に「逆恨み」を買うことだってある。

一方で、事態をさらに厄介にしているのがインターネットの存在。責任の所在がはっきりしている報道機関と違って、個人レベルで手軽に発信できるので、プライバシー保護の問題などそっちのけで「書き散らす」という悪しき属性も否定できない。

3年前の東日本大震災を契機に、「絆」という言葉が色んな場面で盛んに使われるようになり、被災地では「家族」の存在価値が見直され、ボランティアスタッフ同士の結婚も増えてきている、という。

極めて素朴な疑問だが、果たして「絆」と「プライバシー保護」は相容れるものなのだろうか…。理想論かも知れないが、送り手も受け手も「何のための情報なのか?」をしっかり把握しておけば、あらぬ誤解など生まれまい。

勿論、プライバシーは守られなければならない。しかし、それが全てではない。でないと、「絆」など絵に描いた餅でしかない。


2014/03/19

ガンバレ池田高校!!…27年ぶりのセンバツ出場

〈しののめの 上野が丘に 花めぐり そびゆるいらか みどりこき…♪〉

はて何のこっちゃ?と訝る向きも多かろうが、答えを言うと、徳島県立池田高校の校歌の歌い出しの一節である。古くからの高校野球ファンならご存じだろうと思うが、いかがか?

さて、その池田高校が実に27年ぶりに春のセンバツ甲子園大会に出場することになり、このところ主催者の毎日新聞ばかりでなくテレビ等でも盛んに取り上げられている。

「池田」と言えば、何はともあれ「攻めダルマ」と呼ばれた蔦文也監督(2001年死去)である。1974年のセンバツに「さわやかイレブン」(やまびこ打線)を率いて初出場で準優勝を遂げた、記憶に残る名将だ。

筆者が大学を卒業して派遣された先が徳島県。そして、初めて契約まで漕ぎ着けた仕事先の社長さんが「池田」の卒業生だった。あの時の〝感激〟は本当にもう忘れもしない。以来、筆者はいまだに「池高ファン」を続けている。

今のチームがどのような戦力構成なのか知らないが、畠山(→南海)、水野(→巨人)、江上(→早稲田)らを擁した全盛時代の池高の迫力は凄かった。山間の田舎の学校が都会の強豪校を力でねじ伏せる痛快劇に、全ての徳島県民は「阿波踊り」のリズムに乗って狂喜乱舞したものだった。

残念ながら、その勢いは清原、桑田という「大阪・PL学園」の二枚看板に阻まれてしまうことになるが、高校野球本来の魅力からすれば、「池高」に軍配を上げる人が多かろう。

時は流れて、はや二十有余年。筆者も徳島から島原へ、シリトリゲームのように居を移り、職種も180度転換した。その頃、島原半島には島商、国見を率いて次々と全国制覇を果たしていた高校サッカー界の風雲児、小嶺忠敏監督がドンと構えていた。こちらの異名は「ダンプ」。

記者稼業としての筆者の夢は、この「ダルマ」と「ダンプ」の二人を引き合せて「紙上対談」を実現することであったが、夢は夢のまま消え去り、平成の世に入ってからは普賢岳の噴火対応に心身ともに追われてしまった。

しかし、これもまた因縁だろうか…。今から10年程前、国会内でご当地出身の山口俊一代議士(現財務副大臣)と面会した折に、池田の話をしたら一瞬顔を曇らせて、「実はあの寮(今はもうない)は私の自宅だったんですよ…」と教えて下さった。

当時、どんないきさつがあったかのは知る由もないが、色んな思いは恩讐の彼方に置いて、きっと同先生も地元の球児たちの活躍を楽しみにされているもの、と想う。

一回戦の相手は和歌山代表の「海南」(21世紀枠)。22日午前11時半試合開始。さあ、久しぶりに狂喜乱舞して、今でも諳んじている「池高」の校歌を歌うぞ!


2014/03/16

『一年生になったら!』…まどさんの業績を偲んで

カボチャテレビ春の恒例番組『一年生になったら!~ぼくのゆめ、わたしのゆめ~』がいよいよ来週17日(月曜)からスタートする。21日(金曜)まで。

舞台裏の話をすると、この企画は筆者が15年ほど前に、とある県外局の経営幹部の方からアイデアをいただいたものだ。有難いことに各幼・保育園の先生方のご協力は予想以上で、おかげで息の長い番組として続いている。

その時、もう1つ別のことを教わった。それは番組のレポーターが取材に応じて下さった方々の〝似顔絵〟を描いてプレゼントすること。ただ、これには特殊な才能が要るし、それに時間的な制約も伴う。今後の課題だ。

ところで、番組名については、たまたま同名の童謡があったので、そのまま踏襲したわけだが、その歌詞が先月末に104歳で天寿を全うされたた詩人のまど・みちおさんの作品だった、とは訃報が出るまで知らなかった。

まどさんの作品は他に『ぞうさん』や『ふしぎなポケット』などがあるが、ネット情報によると、『いちねんせいになったら』は山本直純さんが作曲を担当。1966年(昭和41年)に発表され、文化庁と日本PTA全国協議会から「日本の歌百選」にも選定されているそうだ。

ところで、もう相当昔の話になるが、大手出版社の「小学館」が全国各地の新一年生を次々と登場させた一連のテレビCM『ピッカピカの一年生』はどれも出色の出来栄えで、大いに茶の間の話題をさらったものだった。

今でも覚えているのは瀬戸内シリーズの一作。坊主頭の男の子二人が出てきて、悪ガキ風の片方が「一年生になったらもうケンカはせんぞ~」と大声で誓いながらも、振り向きざまに相方の頭をバシッ!それでも相方は「キビシイの~」の一言で穏便に笑い飛ばすというシーン。

背後に演出があったのかどうか知らないが、日本の田舎の「原風景」の中で繰り広げられる「巧まざるユーモア」に笑い転げた人も多かったはず。

さて、時は流れて幾星霜。ことしの島原市内の新一年生たちはどんな「夢」「決意」「抱負」を語ってくれるのだろうか…。

一方で、子どもたちがお話をした後で思い思いに取る「ポーズ」は、時代の「写し鏡」でもある。はて、今回はどんなパフォーマンスが飛び出すのか?も見所の一つだ。

3月初めの「初市」も無事終わって、気温も徐々に上昇傾向。季節はいま、本格的な春に向かってまっしぐらに進んでいる。

ふと戸外の風景を見やると、モクレンの花はもう盛りを過ぎ、ウメを追いかけるようにアンズが咲き、あと2週間もすればサクラの開花も見られよう。

新一年生に幸多からんことを!!


2014/03/14

知ってる?夫源病って…夫婦は一対の反射鏡のはず

「夫源病」(ふげんびょう)なる何やら耳慣れない言葉が最近マスコミ界で取り上げられようになった。命名者は大阪樟蔭女子大学教授(医学博士)の石蔵文信さん。

で、どういう「病」かと言うと、読んで字のごとく、夫の言動がストレスとなって(妻の)身体の不調を引き起こす病気なのだそうだ(『PHP』3月増刊号より)。

「けっ、笑わせるな!」と言いたいところだが、12日付けの日経新聞(生活欄)でも大きく取り上げられていたので、家人が貪り読んでいたのをこっそり拝借して、その実態(背景)を探ってみた。

一読して判ったことは、筆者の場合(つまり家人に対して)殆どと言っていいくらい、その指摘事項に該当していること。もう〝パーフェクト〟に近い。

試しに「夫源病・危険度チェック」に掲げられた12の設問を引く―。

①人前では愛想がいいが、家では不機嫌②「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉がほとんどない③上から目線で話をする④家事には手は出さないが口は出す⑤料理など好きなことを気が向いたときだけ手伝う⑥子どもの悪い部分を妻のせいにする

⑦姑が言いたい放題でも見て見ぬふり⑧妻の予定や行動をよくチェックする⑨仕事関係以外の交友や趣味が少ない⑩妻が一人で外出するのを嫌がる⑪自分の身の回りのことを自分でできない⑫車のハンドルを握ると性格が一変する

答えを言うと、イエスの数が「4個以下」はセーフ、「5個~7個」は予備軍、「8個以上」は明らかに「夫源病」だ、と。

次に、夫源病になりやすい妻のタイプについては、「良妻賢母」型が危ない、とか。いかがです奥様方、以下の事例に当てはまっていませんか?

①弱音を吐かない②仕事や家事に手が抜けない③感情を表に出したり、人に意見したりするのが苦手④「いい妻」「いい母親」でありたいという意識が強い⑤世間体が気になる⑥細かいことを気に病む

一方で、解決法については、①「(夫が)自分のことは自分でできるようにしておく」(食事、裁縫)②「自分なりのストレス解消法を見つける」(一人カラオケ)③「『イヤなものはイヤ』と口に出して言う」④「プチ家出」「プチ別居」などの対症療法を列挙している。

ウ~ン。「なるほど」とも思うが、筆者個人の率直な思いを述べさせていただくなら、そうした夫婦間の不調の原因は「夫側」だけに起因しているものだろうか?必ずしもそうではあるまい。

なぜなら、「夫婦は一対の反射鏡」であって、一方だけ責められても、それでは間尺に合わない。「夫源病」という命名にしても、世の中には逆に「夫人」が原因のことだってあるはず。自分のことは棚に上げての話だが…。


2014/03/12

いつやるか?今でしょ!…そろそろ白土湖の藻が…

昨年の流行語大賞の1つにも選ばれた「(いつやるか?)今でしょ!」。最近ではすっかりタレント化している東進衛星予備校カリスマ国語教師、林修さんの〝殺し文句〟だ。

ハッキリ言って、なぁ~んてことはない単純な〝言葉遊び〟の類いだが、見方を変えれば人生を有意義に送っていく上での〝警鐘〟と言えないこともない。

何となれば、我々一般凡人の脳裏には、物事をついつい先延ばしにしてしまうという悪しき性癖が沁みついているからである。本屋の啓発コーナーに行ってみれば、その類いの書籍の多さに、きっと皆さんも驚かれることだろう。

「即行動」の重要性を説いているのは、何も林先生ばかりでない。それより遥か昔から「知行合一」(ちこうごういつ)という教えがある。

この「実践重視」の考え方を最初に説いたのは、中国・明代の王陽明(おうようめい)で、その名から「陽明学」と呼ばれている。

日本でも江戸時代初期に中江藤樹が傾倒。幕末期には吉田松陰が「松下村塾」の掛け軸に掲げるなど、その行動指針は明治維新を成し遂げる大きな原動力ともなった。

また、昭和期には終戦時の詔書(玉音放送)の草稿を書いたとされる安岡正篤師が陽明学の大家として知られ、戦後の保守政界の指南役としても活躍した。

話が急にそれてしまったが、筆者流に「今でしょ!」を解釈すれば、それは「知行合一」(陽明学の根本理論)を今風に焼き直したものにしか過ぎない。

極めて安直であるが、それが爆発的に流行ってしまうところが、いかにも軽佻浮薄な今の平成の世なのかも知れない。

ところで、「軽佻浮薄」の代表格と言えば、若かりし頃の植木等さんが映画などで演じたサラリーマン像だ。実は、植木等メドレーは筆者のカラオケの十八番(おはこ)の1つでもある。

歌いながら時々、余りにもの調子の良さに悲しくなる時もあるのだが、一面ではドキッとするほど正鵠を射た文句も出てくるので、わかっちゃいるけど止められない♪

青島幸男が作詞した『無責任一大男』の6番目にこうある。「人生で大事なことは タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 こつこつやる奴はごくろうさん♪」

この歌詞がそっくりそのまま現実社会に当てはまったら大変だろうが、タイミングを逸していては、その「機会損失」は予想以上にハネ上がってしまいかねない。

で、ここまで駄弁を弄してきて何を言いたいかと言うと、白土湖の藻の話である。春の陽気に誘われてこのところ見苦しくなってきている。ここで除去のタイミングを外したら、肝心要の観光シーズンが…。関係者の皆さん、除去するなら、今がそのタイミングでしょ!


2014/03/11

あの日から早くも3年…スタッフ4人が同行取材

日曜の午後、エディオン島原店(旧ベスト電器)にいた。特段欲しいものはなく、気の赴くままに店内を一巡。ダブル電源のLED灯と単三電池を買い求めた。

そう言えば、3年前の「あの日の午後」も同じ店内にいた。東北や北関東の太平洋沿岸域で大規模な地震災害が発生したことは事前のニュースで知ってはいたが、何十台と居並ぶ大型モニターに映し出される津波の映像は遥かに想像の域を超えていた。

しかし、それが「今まさに起きている現実だ」と理解するまでにさほどの時間は要しなかった。その後の犠牲者や被害の実態については、今さらここで言うまでもなかろう。

月日が経つのは早いものだ。あれからもう3年…。新聞やテレビでの取り扱いも「丸3年」の節目に合わせて日に日に熱を増してきているように思う。良いも悪いもない、それが「報道」というものだ。

今から23年前に普賢岳の噴火災害が起きた島原半島でも、色んな分野で「慰霊」や「激励」など様々な取り組みがなされている。どんなに距離が離れていても、そう我々は同じ「日本国民」なのである、と。

すでに本欄以外でも幾度となく取り上げたが、北田物産の北田幹二社長の呼びかけで島原伝統の「精霊船」が先日、宮城県気仙沼市に運び込まれており、10日夜には「さだまさしコンサート」の会場で紹介される運びとなっている。

夕刊の配達エリアであれば、この紙面が読者の皆様のお手元に届くちょうどその頃にNHK総合テレビで特別番組として放送されているはずだから、どうぞお見逃しのないように!

ちなみに放送時間は午後7時30分~午後8時45分。BS契約を結ばれていれば、引き続き午後10時まで視聴することが出来る。いずれも生放送。

実を言うと、筆者も北田社長に同行して取材するつもりでいたが、どうしても外せない用事があって泣く泣く諦めた。

ただ「その代わり」と言っては何だが、他の弊紙記者の参加を認めていただき、さらにカボチャテレビ、FMしまばら合わせて計4人の取材チームがいま、被災地の取材活動に汗を流しているはずだ。

噴火と地震―。災害の形態も規模も大きく異なるが、愛する肉親を亡くしたり、一瞬にして家屋敷が消失してしまったり…と、時に気まぐれとも言える大自然の営みの前には、人間の存在は余りにも小さく、そして無力だ。

しかし、だからこそ余計に「絆」を太くして「連帯」を深めていく必要がある。人と人との間と書いて「人間」。すべてはお互い様だ。

ややもすると、災害ネタは「記念日報道」になりがちだが、我々島原人はかつて全国の皆様方から頂戴した様々なご支援の有難味を決して忘れてはならない!今、改めてそんな思いでいる。


2014/03/09

頭も財布もスッカラカン…筆者ほど“上客”はいない!?

企業は1円でも多く利益を出そうと必死で知恵を絞る。そのために、経営者も社員も経費を削る(らされる)一方で、売上げ増目指して努力する。


かつて旅行会社(海外部門)に勤務していた頃は、営業段階はもちろんのこと、出発前にはさらに徹底的に「原価計算」を行い、上司に報告した〝線〟を死守すべく必死で汗をかいたものだった。


今でこそ円の対ドル相場は101円前後を行ったり来たりしているが、30年以上も前は現在と違って明らかに「円高基調」で進んでいたように思う。


さて、そんなことは遠い「昔話」として、最近はつくづく「俺って(相手企業にとって)最高の顧客だよなぁ~」と慨嘆することが多い。


一例を挙げると、この前なんかは、コンビニのレジで今流行りの「挽きたてコーヒー」を頼んで支払いを済ませながら、「どうもアリガト!」などと礼だけ言って、そのまま店の外に出てしまっていた。


さすがに車に戻る前には気付いたのだが、空の紙コップ片手に再び店内に戻る時の気恥しさ&違和感。店員さんの笑うに笑えない表情が忘れられない。


これなどはまだ序の口で、もう数年ほど前から自販機にお金を入れ、お釣りだけ回収してその場を立ち去ることも度々だ。自分でも時々思う。これほどアホでマヌケな〝上客〟はそうそうざらにはおるまい。


すべては筆者の持病とも言える「健忘症」がもたらしている悲喜劇だが、誰も傷つけてなんかいないし、損をしているのは自分だけだから「ヨシ!」とすべきなのか…。


ただ、後から自販機を使う客にとってはどうなのだろう。「儲けたぞ!」と小躍りして喜ぶのか、それとも「毒入り?」と訝って気持ち悪がるのだろうか。いずれにしても、胸を張って言える話でないことだけは確かだ。


ところで、利益率の問題で言うと、来月から消費税が5%から8%へ上がる。その差3%をめぐって巷では各種攻防戦が繰り広げられているようだ。


勿論、弊社とて例外ではない。4月以降の利用料金をどうするのか?監督官庁や社内の担当部署からも「早く決めてくれ」と催促されているが、正直どうしたらよいものやら…。


少なくとも各種仕入れ値は間違いなく上がるのだから、少しは何とかしなければ…と思う一方で、これまで通りで行ける所まで行ってみようか…などと思ったりもする。


そんな中、最近よく耳にする、大企業の「ベア」のニュース。あれは単なる賃金に関する「ベース・アップ」の略称。我々零細企業とは無縁の話だ。


何せ「儲け」に関して言えば、この頭の中も財布の中身も英語で「裸」を意味する形容詞の「ベア」(bare)な状態。スッカラカンなのだ。どうしよう?


2014/03/08

元に戻って最高の喜び…今こそ「温故知新」の精神で

主役二人はこの日の感激を以下のように伝えた。まずは阿南さん―。

「昭和13年5月2日に生を享け、長じて大牟田市役所に臨時職員として雇われた。本俸7400円」。

「島原に来て兄貴分の鐘ヶ江さんから主に教わったこと2つ。『他人の悪口を言うな』『商売相手の誕生日はメモを取らずにさり気なく覚えろ』」。

「振り返ってみると、色んな社会の節目に遭遇してきた。大牟田の労働争議、安保闘争、日教組島原大会、そして普賢岳噴火…」。

「昔の旅館のオヤジさんたちは本当に善い方ばかりで、島原もそれなりに栄えていた。今は残念ながら…。私の経験が役立つようであれば、もう一度『違う色の帽子』で祝ってもらえるよう頑張りたい」。

次いで加藤さん―。「海望荘には20年間お世話になった。やはり思い出深いのは観光宣伝隊のこと。『旅は九州・島原温泉』の横断幕を抱えて年に5回、それぞれ2週間ほどをかけて全国を行脚していた」。

「かつて島原は野球のキャンプ地としても知られていたが、平成7年を境にそれも途絶えている。今は護国寺さんにお世話になり、『おもてなしの気持ち』をいかに伝えるかについて腐心する毎日」。

二人は以上の様にお礼の言葉(要旨)を述べて、島原城薪能振興会(満井敏隆理事長)と天如塔の復元に取り組んでいる島原文化連盟(宮崎金助委員長)に金一封を贈った。

これに対し宮崎委員長は「還暦(60歳)は元に還ること。そして喜寿はこの上もない喜び。本日のお二方をはじめ皆様のおかげで、後25日で天如塔は元の姿に戻れる。本当に有難いことだ」と感激の面持ちで返礼の言葉を述べた。

このあと満井理事長(商工会議所会頭)が乾杯の音頭を取って、賑やかな祝いの宴席がスタート。風の噂で「その勢いは深更まで及んだ」と伺っている。

残念ながら筆者は所用で途中退席せざるを得なかったが、何故こうまで長々と発起人や来賓諸氏などの挨拶の内容を紹介したのか?について、少しだけ補足をさせていただく。

出席者の大半は多かれ少なかれ「観光しまばら」に係わりを持つ(持った)人々ばかり。そして島原全体が抱える目下の課題は、その復興策。古川市長はよく「オンリーワン」という表現で島原の潜在的な魅力について力説される。

大いに結構なことだ。島原にしかない&島原ならではの素晴らしさがまだまだそこかしこに残っている、或いは眠っているからだ。

敢えて言うなら、先輩方はビジネスにおける「勝ち方」を知ってはいるが、やや「時代性」に欠けている点は否めない。

今こそ現実を冷静に見つめ直し、「温故知新」の精神で「しまばら復活」の狼煙を威勢よく打ち上げて欲しいと願うばかりなのであります。妄言多謝!!
‐おわり‐


2014/03/07

還暦は3回目の成人式…何をするにも健康が一番!!

来賓を代表して祝辞を述べたのは古川隆三郎、鐘ヶ江管一の両氏。言うまでもなく、現職と元職の島原市長さんだ。

古川市長は開口一番、先般島原市で開催された南こうせつさん(歌手)の実兄で曹洞宗僧侶の南慧昭(えしょう)さんのコンサートでの〝語り〟の部分を紹介。

「還暦は3回目の成人式。人間、60歳ともなると、酸いも甘いも全て経験済み。もう怖いものはない。4回目、5回目の成人式を目指してさらなるご活躍を!」とヒナ壇でかしこまる阿南、加藤の両氏を激励。「宗派の違い(岩永さんは日蓮宗)は乗り越えて…」と細かな心配りも忘れなかった。

また、島原市の新年度の施策方針についても少し触れ、「過疎地の指定は受けたが、そうした厳しい財政状況の中でも、『すくい』や『銀水』の復活を掲げるなど島原ならではの事業も多く盛り込んでいる」として理解を求め、主役二人には「持ち前のフットワークをさらに活かして下さい」とエールを送った。

鐘ヶ江さんは「まずは喜寿&還暦おめでとう!」と静かに切り出し、会場全体をしげしげと見つめ直しながら「懐かしい顔ぶればかりだ」と感慨深げに思い出話を始めた。

「若い頃は観光宣伝隊にもふるって参加していた。その過程で、大牟田市役所に勤務していた阿南さんと出会い、九十九ホテルのお嬢様(夫人)とのご縁も生まれた。阿南さんは昔から『弟』のような存在。お母様が亡くなられた時は大分まで葬儀に出向いたほどだ」としみじみ。

一方、加藤さんについては「海望荘時代から親交がある。一緒に長丁場の宣伝隊にも行った。私が市長を辞めようと決意した時、お世話になったのが日蓮宗の護国寺三十番神。職員の一人(僧侶兼務)が慌てふためいて『市長、宗派が違いますよ』と飛んで来たが、『関係なか!』と応じなかった。月日の経つのは誠に早いものだ…」と。

「私が市長になったのは49歳の時。年明けの成人者との懇談会でこう述べたことを今でも憶えている。『君たちは自分たちのことをまだまだ若いと考えているだろう。ばってん、すぐ60歳、70歳…になっとぞ。その時になって後悔せんごて、今からしっかり頑張らんば!』」などと気合を入れたものだ。

市長退任後、「ヒゲの市長さん」として全国行脚(防災講演活動)をしていた鐘ヶ江さんも過労がたたってか、一時期体調を崩していた。しかし、最近はいたって元気な様子で、最後はしっかりとした口調で壇上の後輩二人に人生の要諦を説いて締め括った。

「何をするにも健康が一番。私は『83歳』。『』ではない。『モーは牛の鳴き声だ』。色々病気もしてきたが、こうした席に出れることは幸せ。今日は皆でお二人の前途を心から祝そう!!」。  -つづく-


2014/03/06

阿南(アナン)は「阿難陀(アーナンダ)」に通ず…新郎に間違えられた岩永師

先週末に「月」が2月から3月に変わって早くも5日が過ぎた。前回は「2月逃げ月」と称して駄弁を弄したが、「3月去る月」とも言うのだそうだ。


さて、ことしは例年になく多くの「年祝い」にご案内を受けたが、掉尾(とうび)を飾ったのは先月末にシーサイド島原で催された、阿南達也さん(喜寿・紫色)と加藤圭吾さん(還暦・赤色)の合同祝賀会。


お二方に共通するのは、ともに観光業出身者だということ。ちなみに、阿南さんは九十九ホテル、加藤さんは海望荘&アゼリアにそれぞれ所属していた。


発起人を代表して挨拶を述べたのは護国寺住職の岩永泰賢さん。まずは年長者の阿南さんを取り上げ、「とても77歳とは思えない若さだ」と、驚きを隠さない率直な印象。


その上で、阿南さんの故郷である大分県竹田市が生んだ戦前最後の首相、阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大将との因果関係に言及しつつ、「『あなん』と『あなみ』で読み名は異なるが、何と言っても『あなん』という響きは釈尊の十代弟子の一人として知られる『阿難陀』にも通じる素晴らしい名字だ」として今後のさらなる精進に期待を込めた。


加藤さんについては〝身内〟の気安さも手伝ってか、「阿南さんのオマケ。刺身のツマのようなもの」と軽くいなす一方、返す刀で「勝手に『護国寺事務長』という名刺を作って回っている」とバッサリと断罪!?会場の笑いを誘った。


また、随分と遠い昔に〝初仲人〟として赴いた瑞穂町の加藤夫人の実家で、事もあろうに〝新郎〟に間違えられてしまったという、とっておきの裏話まで披露して下さった。


この後、筆者も「さすがだなぁ~」と唸ったくだりが続く。それは、今を時めくJR九州にまつわる話。「明日、島原出身で大手商社・伊藤忠グループから出向している細川達也さんという営業部長が訪ねて来られる。私としては、あの話題の『7つ星トレイン』を島原鉄道に乗り入れさせて、何とか『島原城薪能』などと連動できないものか、と考えている」と。


最後は「残念ながら昨今、島原の観光は相当落ち込んでいる。これからは『ダメ元』でもいいから、ドンドン各方面に向けてメッセージを送ろうではないか。関係者には心から『ガンバレ!!』と声を大にして呼びかけたい」とのエールで結んだ。〔写真はヒナ壇に並んだ阿南=左=、加藤の両氏

  -つづく-


2014/03/01

“逃げ月”のホンネ…焦眉の急は披露宴での挨拶

「二月逃げ月」とはよく言ったもので、通常の月よりわずか2、3日しか違わないのに、殊更に時の流れが速いように感じる。


いよいよ今日から三月。島原名物の「初市」(霊丘公園)もほぼ同時スタートだ。こちらは10日まで。


ところで私事で恐縮だが、ことしの三月一日はメデタク「結婚式」(披露宴)と重なって、こいつは春から縁起が良いや!!


ご案内をいただいているのは、先日〝寿退社〟したばかりの弊社の元女性スタッフ。名前を言えば(言わないけど)、「あの可愛らしい娘か!」と皆様もスグお察しがつくだろう。


経営者の立場からすると大きな打撃ではあるが、何より彼女には本当に良く頑張っていただいたので、「幾久しくお幸せに!」と、心から祝福のエールを送らねばならない。


ただ、一つ気懸かりなのは、会社を代表してお祝いのスピーチを仰せつかっていること。何をどう話せば良いものやら…?


そこで、当日出席する元同僚社員の前で〝観測気球〟を打ち上げることにした。材料はソチ五輪がらみの時事ネタだ。


「森元総理が『ボクの真央ちゃん』について色々変な事を言っているようだが、実を言うと、ボクは真央ちゃんと身長が一緒なんだぞ。どうだ?」。


サッパリ受けない。ならば!と二の矢を放った。「真央ちゃんとボクの誕生日はわずか1週間しか違わないんだぞ」。


しばらくは沈黙を保っていた周囲の口が一斉に動き出した。「なんで普通に祝辞を述べないんですか」「そもそも受け狙いの挨拶なんておかしいですよ」「寒っ。完全にスベリますよ、それ」などと容赦がない。


筆者は持てる力を振り絞るように反論を試みた。「スケートだろ。寒くてスベルのは当たり前じゃないか。それにライバルのキム・ヨナの誕生日は知ってるか。ボクと同じ『おとめ座』だぞ!」。


筆者の目論見では、最初にこの〝真央話〟で場の雰囲気を和らげ、それから心に沁み入る展開を―と考えていたが、どうやらそれは〝無理筋〟のようだ。


嗚呼どうしよう。結婚式までもう時間がないし、原稿は書かなくてはならないし、会議にも、年祝いにも呼ばれている…。かくして筆者の二月は「現実から逃げ出したい」という意味での〝逃げ月〟ということなのであります。


最後に余談だが、島原ライオンズクラブ初の女性会長として活躍されている「スナックみちこ」のママこと吉岡道子さんがこの前、面白いことを言っておられた。


最近は各種会合でよくお会いしているのでどの席だったか忘れたが、筆者がお酒を注ぎにいったら「私を酔わせてどうするつもり?」と訊かれて唖然。


相手が道子ママだったら「首でも絞めましょうか」とでも冗談で切り返すところだが、悩むよなぁ~。