2014/02/28

えっ、嘘のサンパチ?…貴方はどの数字がお好き

昨報の片すみに「訂正」を出させていただいたが、お気付きの方はおられただろうか?島原龍馬会会長のご尊名について、「國男」とすべきところを「國男」とやらかしてしまっていたのである。


新聞(26日付)が刷り上がってから過ちを見つけたが、もう〝後の祭り〟。「八木さん(ゆうもあ亭)ゴメンナサイ!」。今となってはひたすらお詫びするばかりである。


もっとも、太っ腹のマスター(八木さん)のことだから、当方の不始末についても龍馬ばりに「わしゃ一向に構わんぜよ!」と豪快に笑い飛ばしていることだろう…。今度ボトルば入れるけん勘弁して!


時に話は変わるが、先般カボチャテレビの社員諸氏に「あんたの好きな数字はなんね?」と尋ねた。飲み会の席での戯れ話ではあったが、各人の〝特徴〟がよく現れていてとても面白かった。


「そらっ何と言っても『7』ですよ、社長。だって『ラッキーセブン』と言うじゃないですか」。そう力を込めたのはパチンコ大好き人間のA君。


近々結婚が決まっているBさんは「私の場合は『2』ですね」。詳しい理由については聞きそびれたが、これからご主人と送ることになるアツアツの『二人の世界』を意図していたことは想像に難くない。


変わったところでは既婚者(女性)のCさん。「誰が何と言おうと、私は『12』です」と言い張ってきかない。筆者がいくら「一桁の数字で」と言っても、最後まで頑なな姿勢を崩さなかった。なんでだろう?


ちなみに、筆者の場合はマージャンの筋待ちではないが、『2』『5』『8』の並びが好きである。その事を明かした上で、皆の前でこう講釈を垂れた。


「さっき筋待ちの話をしたが、『1』『4』『7』と『2』『5』『8』、あるいは『3』『6』『9』との違いは何かわかるか?」。誰しも首をひねるばかりで回答など出てこない。


そこで筆者はこう答えた―。「形をみればその違いが明らかだろう。『1』『4』『7』がであるのに対して、他の数字はみなではないか。わかる?」。


一瞬の沈黙の後に、「期待して真面目に聞いていたのに一体何を言っているのやら…」といった、失望とも憐憫ともつかぬタメ息が各人から漏れた。ある程度予測はしていたが、こうまでスベッテしまうとは思いもよらなかった。


冒頭の話に戻る―。記事を書いたのは筆者ではなかったが、なぜ彼は「三」と「八」を取り違えたのだろう。どちらかと言うと全体が「山」のような形をしているので、資料のファックス文字が滲んでいたのだろうか?


そこでハタと思いついた。「三」と「八」の組み合わせで、安倍譲二風に「嘘のサンパチ」を匂わせていたのかも…。まさか!?


2014/02/27

お見事!!大逆転トライ…真央ちゃん 森発言を一蹴

数々の感動シーンを生んだソチ冬季五輪が先日幕を下ろした。日本との時差が5時間ということもあって、真夜中にテレビ観戦された方も多いと想うが、不肖私めもその一人である。


なかんずく「真央ちゃん」が出場した女子フィギュアはどうしてもライブで観たくて、2日間とも明け方まで起きて必死で応援した。


結果はショートプログラムでの失敗(16位)が最後まで尾を引き、メダルには届かず6位入賞にとどまってしまったが、フリープログラムで魅せた起死回生の演技に賞賛の拍手を送った真央ファンもさぞかし多いことだろう。


誤解を受けるかもしれないが、率直に言って、真央ちゃんは破れて良かった。むしろ、それで名をあげた。メダル云々はあくまで結果であって、そこに至るまでの過程は採点の対象とはならない。非情な「勝負の世界」だから当たり前の話である。


ただ、「世の中」と言うものは「勝利の女神」に反旗を翻すことも稀にあるのだな、と今回の〝真央劇場〟を観ていて、つくづくそう感じた。


これまで各種マスコミ報道でも度々取り上げられているように、浅田真央は〝練習の虫〟だった。今週発売のアエラ誌によれば、悔し涙にくれた前回のバンクーバー大会以降の4年間、休んだのは元旦だけ。つまり、年に364日間は日々練習に明け暮れていた、というのだ。


その成果が問われる〝本番〟はわずか数分間。周囲からと言うより、日本全国民の期待を背負っての心理的負担を考えると、思い通りの演技が叶わなかったからと言って、誰が責められようか?


ところが、中には無理を承知で物言う人物がいる。誰あろう、元内閣総理大臣にして次期東京五輪(2020年)の組織委員会会長に就任したばかりの森喜朗さんだ。


この方、時に思い切った発言(失言に近い)をすることでも知られ、総理在任中(2000年)の「神の国発言」などもその一例だ。ただ、これまた誤解を受けるかも知れないが、「ある意味、核心を衝いている」などと、個人的には思ったりなんかもしていた。


しか~し、今回ばかりはいただけなかった。類推するに、ご本人が経験されてきた団体競技のラグビーと個人競技のフィギュアスケートとの根本的な違いを余り深く認識されていなかったのでは…。


25日午後に開かれた帰国直後の記者会見で、「真央ちゃんは大事なところで必ず転ぶ」とした件の森発言について感想を聞かれた真央ちゃんの切り返しが何とも素晴らしかった!!


「終わったことなので何とも思っていない。(中略)。森さんは今、少し後悔しているのではないかと思う」と。真央ちゃんに大逆転の〝独走トライ〟を見事に決められてしまいましたね、森さん?


2014/02/22

“テキトー”は駄目よ…礼留飛(れるひ)選手の名前の由来

たとえ選挙に出ないと言っても、やはり名前(漢字書きの場合)は簡単な方がいいのか…。


不肖・筆者においては、「眞(真)守」と書いて「まもる」と読むが、最近送られてくる手紙の宛名が「守」とされているものが随分と多い。数日前の祝賀会では〝来賓〟としてお招きにあずかっているのに、ワザワザ席札に「守」と記されていた。(笑)


〝悪気〟があっての行為でないことは重々分かってはいるが、余り気分のよいものではない。何となれば、「呼ばわり」されているような感じすらするからである。


もっとも、毎日ゝゝこんなくだらない与太話ばかり書いているので、「(そう書かれても)あながち的外れではないか…」と妙に納得もしている。


まあ、自分のことはさて置くとして、連日熱戦が繰り広げられている冬季ソチ五輪大会で先日、日本の男子スキージャンプ陣が団体戦で3位(銅メダル)に入った、という喜ばしいニュースが伝えられた。


その活躍の陰には、病気の仲間を気遣いながらさらに「チームワーク」を強めていったという美談が報じられていたが、今日はその話ではない。メンバーの一人・清水礼留飛(れるひ)選手の名前のことだ。


過日、島原の某居酒屋でこの名前が酒の肴になった。「あいはなんて読むとじゃろかい?」。「えっ、知らんと!?そんまま読んで『れるひ』じゃろもん。テレビで何べんもそがん言いよっとん」。


筆者が知ったかぶりしてそう答えると、「おいが知りたかとは、なしてそがん付けたっじゃろかい?ていうことたない」と連れ。


筆者は一瞬、「なんば言うとやろかいこんやちゃ。人の名前じゃんばどがんでんよかろもん…」と思ったが、場を取り繕うべく「エヘン!」と咳払いをしてこう応じた。


「おいもようは知らんとぞ。ばってん、そん選手は確か北海道の出身やろが。そしたら、親のどっちかが礼文(島)で、もう片方が留萌じゃなかろかい。調べたわけじゃなかばってん」。


すると、連れがこう切り返してきた。「うちんお袋は留萌の生まれで、去年連れて行ってきたっばない。鉄道はあったばってんか、ひど田舎やった」。その晩は筆者の〝仮説〟に疑う素振りなどまったくなく、仲良く握手して別れた。


ところが一夜明けて、その「礼留飛」の正体が期せずして判って一気に血の気が引く思いがした。明治44年(1911年)、日本に「スキー」を持ち込んできたのが、オーストリア人のテオドル・レルヒ少佐だった、というのだ。


嗚呼、恥ずかし!適当に言うんじゃなかった…。が、もう〝後の祭り〟。相手は次に会った時、きっと筆者のことをバカにするだろうなぁ~。


やっぱ、筆者は「」やった。名前ば変ゆかい!?


2014/02/21

真央も沙羅も頑張れ…失敗は致命的ではないぞ

久々にと言うより、今回のソチ五輪大会のライブ放送をみるために昨夜(今日?)初めて徹夜した。お目当ては他でもない女子フィギュアスケートの「真央ちゃん」だったのだが…。


現時点ではショートプログラム(SP)を終えたばかりで最終結果は出ていないが、想いもよらない16位スタート。かなりの「窮地」に追い込まれた、と言っていいだろう。


それでもまだフリーの演技が残っている。最後の最後まで諦めないで「自分のベスト」を尽くして欲しい。SP終了後に呆然とした表情でインタビューに応じていた「けなげな姿」に、筆者は思わず落涙した。


本当にもう何と言ったらいいのだろう。幼い頃から母や姉とともにスケート一筋に打ち込んできてメキメキと頭角を現し、今や押しも押されもせぬ「第一人者」としての地位を不動のものとしていたはずだったのに…。


同じようなことが女子スキージャンプ競技でメダルに届かなかった高梨沙羅選手についても言える。ただ違うのは、今期オリンピックを限りに引退を表明している23歳の「真央ちゃん」に対して、「沙羅ちゃん」はまだ17歳。ショックの度合いは「真央ちゃん」の方がより大きかろう。


勝負の世界でよく使われる言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあるが、その意図するところを今この二人に投げ掛けるのは余りにも酷である。


両人とも典型的な「練習の虫」で、それこそ寝食を忘れて、各々の競技に自分の持てるもののすべてを打ち込んできたのは想像に難くない。なのに、オリンピックの勝利の女神は不思議なくらい微笑もうとはしない。何故なんだ?


前に立ちはだかる実績者の大きな壁。後からは若き才能の塊が次々と拡大再生産されてくる。仮にワールドカップなどの各種大会で勝利を収めたとしても、気の休まる時間などそう長くはなかったはずだ。


それでもある意味、プロ・アマを問わずスポーツ自体が「人気商売」であるが故に、ファンやマスコミに対しては、絶えず「笑顔」(それに近いもの)を提供し続けなければならない。


外見からも明らかなように、「真央ちゃん」も「沙羅ちゃん」も、まだまだいたいけな少女の面影を残している。仮に期待されたような好成績が出せなったからと言って、どうして責められようか。一番自分を責め苛んでいるのは当事者のご本人たちである。


17歳、23歳の頃の読者の皆さんはどうでしたか?「日の丸」を背負う重圧を感じた人などまずいなかったはずです。還暦間近の凡人オジサンとしては、「人生は長いんだから結果を致命的とは捉えず、次のステップアップにつなげていって下さい」と願うばかりなのであります。さあ、今日も徹夜だ!


2014/02/20

四氏合同の還暦祝い…赤い帽子が良くお似合い


まずは、今年メデタク還暦を迎えられた殿方の顔写真をとくとご覧あれ(※紙幅の都合で小さいのはお許しいただくとして)。右から順に宮崎好申(宮崎印刷所)、吉川和章(吉川組)、大野友道(大野公認会計士事務所)、古瀬寛二(ながせや)の各氏。


錚々たる顔ぶれだけに、昨夜の宴は大いに笑わせてもらった。「十八銀行/TMC」「平日会」「四季の会」に何らの形で連なる約50人がグレートダイニング城見に集まって開いた、「祝いの催し」のことだ。


発起人は水元敦実(島原食販)、吉岡宏道(島原ソフトウエア)、山口隆司(ささや)、艶島博(十八銀行)の四氏。たぶんにメンバーが重なっていることもあって「一挙開催!」と相成った次第だ、とか。


昼は記念のゴルフコンペ(参加22人・ダブルぺリア方式)が開かれたが、雪まじりの荒天に苛まれてハーフで打ち切り。自身「四季の会」のメンバーでもある古川市長は「皆さんのこれからの人生航路を暗示したかのような天候だったそうですね。負けずに精進して下さい!」と含蓄に溢れた祝辞を送って励ました。


発起人を代表して挨拶に立ったのは「四季の会」会長の水元さん。この日の主役それぞれの特徴を「大人になり切れない万年坊や」「黙ってそこにいるだけで抜群の存在感」「実直一路のジェントルマン」「憎めない『ひっちゃかまし』君」などと独特の〝鑑識眼〟を披露。その度に、会場から大きな拍手が沸いた。


一方、の四氏はいつになくかしこまった表情で謝辞のマイクを握ったが、そこは〝百戦錬磨〟のツワモノ揃い。宮崎さんが隣にいる同級生の奥様を「娘です」と澄ました口調で紹介すれば、古瀬さんは「これからは旅行に連れていって楽をさせてあげたい」と殊勝に懺悔してみせるなど、皆さんそれぞれに見事な〝切り返し〟。


ドキッとしたのは昨年還暦を済ませたばかりの吉田耕三さん(吉田正八商店)の一言。「六十の手習いで改めて『○ックス』を始めました」と真顔で吐露したくだり。一瞬、会場がざわめいたが、直後に「○=サ」ということで〝訂正〟が入り事無きを得た。


ゴルフの成績は河原一三さん(元コカ・コーラウエスト島原支社長)が優勝。ちなみに筆者は準優勝。エ~ト古瀬さんは…。言わぬが花か!?


2014/02/19

世界遺産になったら…現代版『荒城の月』を!!

前回は「日野江城跡」と「土筆」を題材に駄弁を弄したが、初めて登ってみて「何と立派な山城だろう」と心底感心した。


頂上からの景色は「山あり」「川あり」「海あり」で、遠く左手の彼方には「湯島」(談合島)が海上にポッカリと浮かんでいるように見える。


引き合いに出した大分県竹田市の「岡城址」からの眺めと比べてみても遜色はない。むしろ「遥かに勝っている」と思う。


しかしながら、「岡城址」の背後には、滝廉太郎作曲で知られる『荒城の月』がデ~ンと構えている。観光面からすれば、残念ながら「後塵を拝している」のが実態だ。


ただし、これから「世界遺産」の話が進んでいけば、その位置付けは逆転することも十分に可能だ。否、地域を挙げてその方向で努力すべきである。


そこで提案を1つ。思いつきで恐縮だが、有明海を昇ってくる「月」の風情は、「満月」ともなればまた格別である。殊に「出始め」の景観は。


実は、先週末にも実際に確認したところだが、赤く燃えるような色合いをしており、まさしく「一見の価値あり」だ。そしてそれは、時が経つにつれて段々と白みを増してくる。水面に浮かぶ「月光」の輝きはどこまでも静かで、やさしい。


平地を車で走りながらでさえウットリするくらいだから、城跡の高台からすれば、さらにその魅力が倍増すること請け合いである。


えっ、ナニ。「島原半島には滝廉太郎に匹敵するような作曲家がいない」って?そう…。でも、宮崎康平先生がその才能を発掘した我らが「さだまさし」さんがいらっしゃるではないか!


さださんだって、南島原市の切支丹遺構が「世界遺産」として認められるようになれば、きっと滝廉太郎ばりの名曲を創って下さるはずだ。そう思いませんか、皆さん。


なお、これはまったの余談だが、先年亡くなったジャーナリストの筑紫哲也さん(元朝日新聞)が滝廉太郎に連なる系譜(妹の孫)であることはご存知だろうか?


だからと言って、どうってことはない話だが、前回「土筆」の話を取り上げた背景には「つくし」と「ちくし」の〝牽強付会〟を狙う助平心が働いていたことも事実だ。


それにしても「土」プラス「筆」で、「土筆」とはよく言ったものだと、その形状を眺めながらつくづくそう思う。


最後にまたどうでもいい話。むか~し観た『同棲時代』という沢田研二主演のテレビドラマ(山田太一脚本)で、相手役の梶芽衣子さんが「つくし もう出たかしら」というセリフを述べていたのを、どういう訳か今でも覚えている。


世に言う「バカの一つ覚え」としてせせら笑っていただければ、幸甚これに過ぎることはない。


2014/02/18

土筆の姿に春を実感…日野江城跡に初めて登る

昨日曜日は〝春〟を探す小旅行を一人で楽しんだ。還暦近くにもなってこっぱずかしい限りだが、不思議とこの季節は自然と体内が蠢(うごめ)きだすから不思議だ。


訪ねたのは北有馬町の「日野江城跡」。南有馬町にある「原城跡」には数え切れないくらい通っているのに、実を言うと初めての体験で少々申し訳ない思いを前々から抱いていた。


今さら言うまでもなく、同城跡はれっきとした国指定(昭和57年)の「文化財」である。これまでに整備方針をめぐって地元自治体と文化庁との間で様々な「騒動」が起きていたことは知ってはいたが、何となく足が遠のいてしまっていた。


一番の原因は筆者そのものの「興味・関心」の問題である。これまでは本当にもう「どうでもいい」と、正直そう思っていた。幸い、我が社にはその道に詳しいM記者もいることだし、と。


が、時代は大きく変わった。いや、前進した。今や南島原市は「原城」を中心にキリシタン関連の「世界遺産」の候補地としてにわかにクローズアップされている。


だとすれば、地元の住民として一度くらいは切支丹大名として名高い有馬氏の居城跡に立ったこともなければ、いくら何でもシャレにもなるまい。そう思い至って足を運んだ次第である。


川沿いの駐車場に車を停めて、まずは急峻な坂道(コンクリ舗装)をひと登り。もう、この時点ですぐに息が切れた。辺りを見渡すと、何やら発掘調査の跡があって、ブルーシートが被せられていた。


頂上(標高78㍍)を目指してさらに歩を進めていくうちに、ふと足元のが気になった。菜の花にタンポポ…。名前も知らない赤や青の草花に交じって、とうとう「春の使者」を見つけ出した。


土筆(つくし)だ。だが、一面の広がりではない。ほんの限られた一角に寄り添うように顔をのぞかせているではないか!


さっそく持参したデジカメで、這いつくばるようにして撮影。ご覧の通り写真の出来はパッとしないが、本格的な「春の到来」を実感できて嬉しかった。


…今後、順当に「世界遺産」として選考が進んでいけば、おそらくこの地の在りようも一変しよう。個人的には、大分県竹田市にある、『荒城の月』のモデルともされる「岡城址」に相通じるものを感じつつ山を下りた。次回はもう少し歴史を勉強して…。(笑)




2014/02/16

再び「ふるさと納税」…自治体によって対応様々

眉山の山肌に雪がへばりついているのを見て、「季節が冬である」ことを改めて実感した向きも多いことだろうと想う。


島原の市街地で雪が積もることは滅多にない。ただ、ちょっと山手に登っていけば、気温の逓減率に伴って雪が舞う事態は当たり前に起こり得ることだ。


これを県単位に移してみると、長崎と佐賀とでは同じ北九州エリアとは思えないほどの開きがある。圧倒的に長崎県の気候が温暖なのだ。


例えば、長崎側でシトシトと冬の雨が降っていても、県境のトンネル(高速道路)を越えた途端に、雪に変わってしまうこともしばしばだ。群馬・新潟両県にまたがる清水トンネルほどではないにしても、その差は歴然としている。


気候・風土の違いもあってか、県民性も自ずと異なっているようにも思う。概して、長崎県人はおっとり型が多いが、佐賀県人は何かと油断がならない!?


昔から「佐賀県人が通ったあとはペンペン草も生えない」と言われているが、さすがにそれは言い過ぎだとしても、「(佐賀県人が)しっかりしていること」だけは今でも変わらぬ事実のようだ。


ところで、過日の出張の折に、気になることを耳にした。それは少し前に本欄でも取り上げた「ふるさと納税」にまつわる話。


Aさんは島原半島の出身者で、半島内2つの市に納税をしたそうだ。そのこと自体は裕福なAさんだから何とも思っていない様子だったが、両市の「対応の違い」にやや怪訝な面持ちを浮かべていた。


1つの市からは懇切丁寧なお礼状と併せて、現在、同市が取り組んでいる各種事業についての細かな説明が施されていた。一方、他市の方からは、地元産品の詰め合わせセットがおざなりに送られてきただけ。


Aさんの受け止め方は複雑だ。「別段、特別に何か良い品を貰おうと思って納税したつもりはないが、余りもの対応の違いに驚いてしまった」と苦笑い。


「次はどうするんですか?」と筆者が尋ねたら、「もう片方の市にはしませんよ!」とキッパリ。同じ半島内の自治体でありながら、次につなげる所と、そうでない所―。


一連のAさんの談話を聞いて、所管の担当者や責任者、はたまた首長殿はどう考えるのだろう?敢えて具体的な名前こそ挙げなかったが、少しは「ヤバっ…」と肝を冷やしてくれれば良いのに、と思う。


改めて「ふるさと納税」について言うなら、これほど地元自治体としての「知恵」と「行動」が如実に問われる簡潔なシステムは他にはないだろう。


いくら気候温暖で肥沃な大地や豊饒の海に恵まれていたとしても、外部から納税に協力してくれるような奇特な人を「大切なお客様」(リピーター)と思えないようでは、「宝の持ち腐れ」と言われても仕方があるまい。老婆心ながら…。


2014/02/15

物くるる友はよし!?…バレンタインデーに想う

2月14日は言わずと知れた「バレンタインデー」。由来については古代ローマから始まって諸説あるようなのでぶっ飛ばすが、一般的には女性が男性に「チョコレート」を贈る日だと理解してよかろう。


それが「愛情の証し」なのか、「義理の果たし」なのか、はたまた「友情の印」なのか…形の上ではどうであれ、贈り物をもらって腹を立てる人など滅多にいないだろう。


『徒然草』(吉田兼好著)にもそう書いてあると、森本元成さん(元島原商工会議所会頭)から以前教わった。そのまま原文(百十七段)の一節を引く―。


「よきとも、みっつあり。ひとつには、ものくるるとも。ふたつにはくすし。みっつには、ちえあるとも」。ここで言う「くすし」(薬師)とは医者のことだそうだ。


で恐縮だが、「友とするに悪き者」については次の7タイプを挙げている(以下、現代風に改める)―。①高貴過ぎる人②若い人③病知らずの健康な人④酒を飲む人⑤気が荒くて勇敢な兵士⑥嘘を言う人⑦欲深い人。


要するに、隠遁生活を送っているジイ様の目には、「晴々しいもの」とか、「極端すぎるもの」とかは、疎ましく映って仕方がなかったのであろう。筆者も年をとってみて、何となくその「思い」が分かるような気もする。


ただ、さはさりとて、今の時間帯は「バレンタインデー」の午前11時過ぎだが、いまだに「義理」すら届かないのは一体どういうことか?まあ、それはそれで1月後(ホワイトデー)を考えなくてもよいから、気楽ではあるのだが…。


しかし、自身の名誉のために言っておくが「皆無」というわけではない。すでに父の古くからの友人である御年間もなく90歳の荒木ミサコ先生(東京)からは「ル・コルドン・ブルー」という見たこともないような高級チョコがすでに2週間も前に送って来た。


また、地元勢としては、万町アーケードの松屋菓子舗の奥様から手づくりの逸品を、お遣いのお駄賃として早々と頂いた。ただし、両プレゼントとも開封後すぐにペロッと平らげてしまったのでもう手元にない。


これはどう考えても「悪いクセ」だが、チョコでもキャラメルでも、「食べる量」を制限する術を知らない。とにかく、開けたらアッと言う間に食べ尽くしてしまうのである。


その「結果」としての「メタボ」であるから、自分自身でも納得しているのだが、兼好法師からすれば「愚か過ぎる者」として蔑(さげす)まれるのは請け合いだ。


つまり、冷静に自己分析してみるに、筆者には「自制心」という大事な品性が備わっていない。それに、大事な場面ですぐに腰が砕けてしまう。母や家人、妹たちから「へなチョコ」と揶揄(やゆ)されるのももっともである。


2014/02/11

父子そろって“惨敗”…社員親睦ボウリング大会

「ボーリング」と「ボウリング」。この表記の違い、皆様ご存知ですよね?


有り体に言うと、前者は地下水の「調査・掘削」などを指す工事用語。後者はひょろ長い徳利のような10本のピンを大きな球を投げて倒すゲームだ。


もちろん原語のスペルも異なる。調べてみると、前者は「boring」で、後者は「bowling」。日本語ならどっちでもよさそうなものだが、1991年に文科省の国語審議会がそう定めたというから仕方がない。


ついでだが、後者の起源は古代エジプトの宗教儀式であるとされ、日本では幕末期に長崎の大浦居留地で始まったという説が有力だ。


前置きが長くなってしまったが、先週末の土曜日に何十年ぶりかで「ボウリング」をした。と言うよりやらされた。場所は年に1度の社員親睦会が開かれた「島原センターボウル」。


参加者は1チーム3名編成で計15名。2ゲームの合計点で団体・個人戦でスコアを競ったわけだが、ボールの行方が思うに任せないのは、趣味のゴルフとまったく同じ。


最初こそ〝まぐれ〟で「ストライク」を取ったが、後は散々…。終わってみたら、2ゲーム合わせてトホホッの199点。


そのまま懇親会場へと移ったので、自分の順位(個人戦)などさして気にも留めなかったが、翌朝になって初めてその結果を知らされガク然とした。


ナント最下位だったのだ。余談だが、ブービー賞の愚息にも負けた。


さっそく家人の悪態が始まった―。「よくまあ揃いも揃って下手糞なもん。あがんゴルフにも度々行きよってから、一体何ばしよっと?同じ球技じゃろもん…」などと止まる所をしらない。


ただ、言い訳がましいが、筆者の場合はある身体的な〝事情〟があって、そもそも「ボウリング」には向いていないのだ。


それは小指の造り。どう言う訳か、生まれつき左右とも第一関節辺りから微妙に内側にカーブしている。したがって、重たいボーリングボールを投げ続けていると、どうしても痛みが伴ってしまう。


その事を家人に告げたら、「たった2ゲームじゃろもん。その程度で痛くなるはずはなか。まったく男らしくなかね!」と、またまた非難の嵐。


しかし、最下位とはいえども景品の中身だけはどうしても気になる。恐る恐る大きな袋を覗いてみたら、入浴剤とトイレットペーパー(8ロール)が詰め合わせてあった。


本日(10日)出社後に幹事役の社員に尋ねたら、「ただのトイレットペーパーではないですよ。あの高級果物店として知られる『千疋屋』(東京)とのコラボ商品ですよ!」と教えてくれた。


エッそんなこと、まったく〝尻〟ませんでした。次、ガンバロっと!!


2014/02/09

地図&年表を手元に!…より“五輪”を楽しむには

元朝日新聞論説委員の轡田隆史(くつわだ・たかふみ)さんが出した『「考える力」をつける本』(三笠書房・2004年刊)はなかなかの名著で、最近では根強い人気も手伝って文庫本にもなっているようだ。


随分と前に読んだので細かな中身までは覚えていないが、サッカーのワールドカップやオリンピックが開催された時には、地図や年表を手元に置いてその国の成り立ち等を調べたら、俄然大会そのものが面白くなるよ!などと書かれていたように記憶している。


第22回冬季オリンピックが7日、ロシアで開幕した。大会日程によれば、今月24日まで熱戦が繰り広げられる、というわけだ。


轡田流の物の見方に従えば、まずもって「ソチとはなんぞや?」ということになる。恐らく、五輪会場に選ばれなかったら、世界中の大多数の人々は「その名」を知ることもなかったろうに、と想う。


そこで調べてみることにした。まずは手持ちの本で!と昭文社刊の『ビジュアル大事典・世界の国々』(2003年版)を開いてみたが、ロシア連邦の地図にその名は見当たらない。


ならば!とさらにページをめくっているうちに、「ウクライナ」の地図の端っこの所で、やっと見つけ出した。単一民族の日本と違って、連邦国家であるロシアならではの複雑な政治事情を垣間見る思いがした。


お次はネット情報。日本との時差は約5時間(日本が早い)だそうで、メダルが期待される男女フィギュアスケートの競技をライブで観戦しようと思ったら、夜中まで起きていないといけない。


位置的には、黒海に面したロシア随一の〝保養地〟とのことで、2月の平均気温は摂氏3・1度と、日本の札幌よりも暖かい、と言われている。


話は変わるが、8日はNHKの総合テレビで開会式の模様が朝から延々と放映されていた。残念ながら、車の運転中だったので〝音〟しか聴けなかったが、ロシアの近代化を推し進めた「ピョートル大帝」という表現が個人的には妙に引っかかった。


確か、筆者が高校生だった頃は「ピーター大帝」だったはずだが、最近はより〝原語に近く〟ということで、そう呼んでいるのだろうか…。こうした事例は他にももっとあるはずで、再び勉強し直してみようかという気がしないでもない!?


そう言えば、何年か前に『もう一度読む世界史/日本史』(山川出版)や『山崎貞の新々英文解釈研究』(研究社)などが話題になったが、今もそのブームは続いているのだろうか?


短歌や俳句も大いに結構だが、一般社会人向けに「昔風の高校の授業」を今やっていただけたらひょっとして面白いのでは…と思わないでもない。もちろん有料で!!


2014/02/07

トースケ先生の思い出…「島原には島原の良さがある」

知事選&県議補選も終わって、喫緊での地方選挙戦の関心事は9日に投票が行われる都知事選となったが、その間に、島原を代表する人物がまた一人亡くなってしまった。


元市議の宮崎東介さんだ(2日死去)。享年86歳。同じ町内会ということもあって、家人たちは幼い頃より「トースケのおじちゃん」と親しみを込めてそう呼び、今回の訃報を残念がった。


筆者自身は〝辛口〟のご指導をよくいただいた。一番印象に残っているのは、森岳公民館で開催されたあるシンポジウムについて書いた記事(雑感)について。


確か、あれは災害前だったか…。某民間団体が主催して開いたその会合の場に市議の姿がまったく見えないことを、筆者は批判的に取り上げた。


すると、その直後の市議会一般質問でトースケ先生が筆者の記事をやり玉にあげた。「何を言うか。市議は皆、己の見識に基づいて普段から活動している。お門違いだ」。


当時、まだ血気盛んだった筆者は一瞬「カチ~ン」と来たが、「議会の権威」という観点からすれば、「さもありなん」と思い直して、それ以上の追及は止めた。


こんなこともあった。その頃、仲の良かった某全国紙の記者とともに自宅に呼ばれた。悠然と構えるトースケ先生。目の前のテーブルには白身魚の夕餉のおかずが―。


他愛もない世間話から始まって、互いに日本酒のお燗を手酌でチビリチビリ。傍目からすれば、とても視覚障害者とは思えないような素振りだった。


そのうちにトースケ先生がこう切り出してきた。「アタンたちゃ島原んこつば色々書きよるじゃろ。そらっ良かったない。仕事じゃらるけん。ばってん、『島原にゃ島原ん良さ』のあるこつば、いつでん忘れんごてなぁ~い」。


簡にして要を得た先達のご指摘に、我々二人は顔を見合わせて納得。随分とご馳走になった挙句に、千鳥足で辞去したことを憶えている。


3日夜に島原会館大ホール行われた通夜式には会場溢れんばかりの多くの弔問客が集まっていた。中に、元市長・鐘ヶ江管一さんの姿があった。


当時の「市長vs宮崎議員」のは見応えがあった。「面白かった」と言えば語弊があるが、互いの性格の違いが滲み出て、これに役所きっての論客・日向正路建設課長が加わると、にわかに議場が活況を呈したものだった。


トースケ先生の質問はまったくの原稿なし。勿論、事前の通告はされていたのだろうが、縦横無尽に繰り出す〝切り込み〟の鋭さに、執行部がタジタジする場面もしばしば。


ただし、言うだけ言ったら「市民のためしっかりやれよ」の注文を付けて原案に賛成起立。このあたりの〝懐の深さ〟が今の現職の皆さんに備わっているかどうか…。通夜の帰途、ふとそう思った。合掌。


2014/02/02

還暦を迎えた古瀬さん…これからも愛される毒舌を

もし、いすゞ自動車九州元常務の三宅一光さんがその場にいたなら、こう挨拶しただろう。「ようこそ、老人の世界へ!」と。


30日夜、ホテル南風楼で島原経済同交会主催の還暦祝賀新年会がにぎにぎしく開かれた。今年めでたく還暦を迎えたのは、島原商工会議所副会頭で同会副会長の㈱ながせや社長、古瀬寛二さん。


馬渡清光会長(アポロ興産㈱社長)の堅苦しい挨拶で幕を開け、来賓を代表して沢水清明県島原振興局長がこれまた堅苦しい祝辞を述べた。司会進行役は㈲林田観光バスの林田正剛社長。こちらはいつもながらのマイペース。


お祝いに駆け付けたのは島原市内の優良企業約30社の代表。全身〝赤〟の装束をまとったこの日の主役=写真=は、一瞬はにかみながらも、いざマイクを握ったらいつもの調子。


「えっ、まだ60歳前だったのか?と、よく驚かれるが、昭和29年生まれだから正真正銘、今年が還暦。態度や物言いがふてぶてしいので、そう思われていたのかも…」と述懐。


《そうですよ、古瀬先輩。ご自身の〝口癖〟をご存じですか?周囲のみんなが等しく浴びせかけられるのは「やかまし!」の拒絶言葉。時
には強意(脅威?)の接頭語が付いて、「ひっちゃかまし」に変わるんですよ。》


ただ、まったく根には持たないタイプのようで、罵声(≒毒舌)を浴びせた後でも何事も無かったかのようにニコニコ笑って会話を交わされている。この辺りが「寛ちゃん」に備わった〝人徳〟か。


謝辞では、大学卒業後に帰郷して以来36年間の長きにわたって、JCや会議所の活動などを通じて地域経済の活性化に取り組んできた率直な思いを吐露。これまで培ってきた経験を元に、さらに精進を重ねていく〝覚悟〟を示し、万雷の拍手を浴びていた。


で、ここから少し脱線―。古瀬さんの趣味は何だろう?と聞けば、誰しも「ゴルフ」と即座に答えることは間違いない。ただ、肝心の腕前の方は?時々、目を見張るような飛距離十分の鋭いスイングで「80台半ば」を出すかと思えば、大幅に「100」を超えることもしばしば。


筆者に言わせれば、剣道有段者独特のピ~ンと伸びた背筋と、とても還暦とは思えないスリムな体型なのにどうして?と不思議でしょうがないが、数字は残酷かつ正直だ。


おっと、これ以上書くと「こらっ、マモル!」と怒られそうなので、この辺で筆を擱く。