2013/05/31

矢野さん大いに語る③…日本は「お互い様」の文化

さっき父の話をしましたので、これから母の話を少しだけ―。今朝は早起きして家(大分市)からやって来ました。母はそれより前に起きていて、こう言いました。「えれ~早いのう。どこに行くんか?」。

そこまでは、まだいいんです。いつもの口癖がまた始まりました。「ハンカチは、チリ紙は、免許証は持っちょるか?」。

「50も半ばを越えた男にチリ紙は無かろうもん、母ちゃん」と反発しましたが、本音のところでは感謝しているのです。

男と女の最大の違いは、前者が「言わんでも分かるやろ」に対し、後者は「言わんと分からん」と構えるところです。

さ~て、会場の殿方に注意を喚起しますが、奥様が美容院に行かれて帰って来られたら、絶対にその「髪型」を褒めないとダメですよ。でないと、女性は必ず怒り出します。つまり「声掛けの大事さ」です。

ところが先だって、鹿児島の口演で軽いカルチャーショックを受けました。演題は「男女共同参画型社会について」だったのですが、大方、好意的に受け止めて頂いたものとばかり思っていたら、何やらブツクサ言っておられるご仁がいらっしゃいました。

後で理由を尋ねたら、鹿児島弁でよく聞き取れませんでしたが、「相手の目を見れば分かるじゃないか」との御説のようでした。

私も「なるほど!」と思ったものですから、さっそく自宅に帰って実践してみました。夕食のテーブルで嫁さんに向かって言葉を発せずに、目でもって〈醤油をくれ〉とシグナルを送ったのです。

一度ならず二度、三度…と試みたのですが、一向に通じません。嫁は首を傾げながら「はぁ~、えっ、ナニ?」。やっとのことで気付いてもらったと思ったら、「自分で取れ!」と一喝されて、万事休す。

夫婦間の会話の難しさを改めて痛感した次第ですが、地域(ご近所)での会話は決しておろそかにしてはなりません。

日本(文化)の良さは「お互い様」なんです。だから、何でもかんでも弁護士に頼んで訴訟に持ち込むというような(米国流の)考え方はなじみません。

皆さん、ふだんから積極的に「声掛け」をしましょう。その一言で、独り暮らしのお年寄りなどは、どんなに勇気づけられることでしょうか!

時にうっとうしい母親ですが、「母ちゃんがおらんかったら困る」と言って、必要とされていることを伝えれば、母親も喜びますし、元気も出てきます。

こうしたことを普段から心掛けて実践していけば、きっと家庭も世の中も平穏に進んでいくはずです。

もちろん、誰にだって「悩み」はあるでしょう。ただ、偉そうなことを言うようですが、「悩みがあるということを知ること」が「悟り」に繋がっていくものだと思います。 -つづく-


2013/05/30

矢野さん大いに語る②…出迎え三歩に、見送り七歩

町役場(宇目町)の職員時代、いつものように呆けた感じでデスクワークをしていたら、いつの間に町長が背後に立って、私の肩に手を置きながら、こう言い放たれたんです。

「のべつまくなしによう喋るし、書類の字は汚いし、まったく困った奴じゃの~。けんど、一つだけ良かところがある」と。

恐らく、高校・大学と好きで続けてきた落語のワザ(?)が見込まれたのでしょう。ほどなくして県内初の「観光特使」を拝命することになりました。

この仕事(口演)をしていて何が嬉しいかと言えば、同じ依頼主から再び、三度と呼ばれることです。

役所と一般企業との考え方の違いは歴然としています。後者は「売れるもの」「良いもの」を絶えず追求していかないと、後に続いていけません。残念ながら、前者にはそうした危機感がありません。

宮司だった父の話を少しだけします。私自身、神職だけでは飯が食えないので公務員(二足のわらじ)になったわけですが、その父(46歳で没)が生前、よくこう言っていました。「よかか、稼いだ分以上使えば、それは借金ぞ!」。

それから、こんなことも―。「嫁は叩いたらいけんぞ。腕っ節では男の方が強かとやけん」。まぁ~世の中には往々にして、逆の場合もありますけど…。

話を本題に戻します。よく引き合いにして使われる言葉に「出迎え三歩に、見送り七歩」というのがございますが、「イメージ」が最重要視される観光業においては、特に忘れてはなりません。もっと言えば、公務員には、そうした振る舞いは出来ません。

何と言っても、基本は笑顔です。人間は笑えば笑うほど、元気になります。私のしがない素人落語でも、大枚2000円を払って、沢山の方が聴きに来てくれるんですから。

以前、大分県指導主事研修会に講師で呼ばれた時のテーマは「一芸は身を助く」としました。もちろん私の場合の「一芸」とは落語のことです。

人生はすべからく「自助努力」が基本です。少し背伸びした言い方をするなら、補助金制度が日本の農業をダメにしているのではないでしょうか…?

公務員とのかけもちで宮司をしている時に、よく周囲の氏子さんたちからこう言って笑われました。「今度の宮司さん(息子)はスゴイ。お祓いも、お笑いも両方できる!」と。

写真】法被姿で全身を使って熱弁をふるう矢野大和さん。 -つづく-


2013/05/29

矢野さん大いに語る①…すべて肯定的に捉えよう!

こうえん・・・・」という文字をパソコンのキーボードで叩いたら、出るわ!出るわ!「後援」から始まって「公演」「講演」「公苑」「好演」「高遠」…などに続いて、随分と後ろの方にやっと「口演」が出てきた。

先日、公益社団法人島原法人会(宅島壽雄会長)の第1回定時総会後に開かれた「記念講演」は、まさにその名の通りの「口演」であった。

講師ははるばる大分県からやってきた、という矢野大和(やの・たいわ)さん。昭和32年生まれの55歳。「日本人の底力」というタイトルの脇に「おおいた観光特使」という肩書きが添えられていた。

ご本人の〝談〟によれば、島原半島で語るのは7回目だとか。筆者は初めてうかがったわけだが、これがまぁ~何とも面白かったので、走り書きのメモを元に、振り返ってみる―。

7回目ということは、以前に聴かれた方もおられることだろう。しかし、人間には本来「忘れる能力」が備わっているので、さぁ~今日もフレッシュな気分で!

観光産業にとって大事なのは「また・・来たい」「また・・あの味を食べたい」と(お客様に)思っていただくこと。人間誰しも「また・・貴方に会いたい」と言われたら嬉しいでしょ。それと同じです。

早速これから口演に入りますが、その前に、注意点を幾つか―。聴く側で大切なことは、まず笑顔。それから話の節々でウンウンとうなずいて下さい。

端から否定されたら会話が続きません。自分と意見が違うと思っても〈なるほど、そういう考え方もあるか…〉と。物事はなべて「否定」ではなく「肯定」から入らないといけません。「笑門来福」です。今日は大いに笑って、元気を取り戻して下さい。

自己紹介をします。私は大分県の宇目(うめ)町というド田舎に生まれました。何にもない所ですが、トトロのバス停目当てに、毎年、多くの観光客がやって来ます。

古里の山と言えば、「傾山」(かたむきやま)です。標高は約1600㍍。人口は3000人ですが、イノシシの数は8000頭。もしイノシシに選挙権があったら、町長選の結果は変わっていたことでしょう。

生家はひなびた神社。宮司の倅に生まれたわけですが、そんなことを悔いても仕方ありません。もし私が大宰府天満宮や出雲大社の家系に生まれていたら、大学は合格しないといけないし、離婚しようにも、おいそれと出来ません。

ものは考えようです。例えば農業。定年もなく、生涯現役で働けるわけですから、素晴らしいじゃありませんか。

定年のある方は定年後が勝負ですよ。公務員、学校の先生の多くが定年後にボケてしまう。これを称して「痴呆公務員」と申します。    -つづく-


2013/05/28

忘れたことを忘れる!?…見直されるメモの重要性

年をとる(=老境にさしかかる)というのは恐らく、こうしたことを指すのだろう。

まず、人の名前がサッと浮かんでこない。社員と話し込んでいる時でも、「えーっ、あの人。どこそこに勤めている、ほらタレントの○○に似ている。ウーン…」などと、頭をひねることも度々だ。

そして、しばらくしたら何事もなかったかのように「そうだ!◎◎さんだった」と、急に〝正解〟が現れたりなんかする。

ひと月ほど前のゴルフの時はひどかった。ゴルフバッグそのものをゴルフ場に忘れてきたこと自体をすっかり忘れたまま、次のゴルフの時まで気づかないでいた。

こんな〝兆候〟は筆者だけかと思って心配していたが、年齢の近い人間に何人か聞いてみたら、誰しも「大なり小なりある」という。「でも、ゴルフバッグは忘れないけど…」とあきれられた。

「人間は忘れる動物である」(ドイツの心理学者エビングハウス)とは巧く言ったものだと思うが、その説によれば、人間は1時間後に50%、1週間後には25%しか覚えていないのだそうだ。

そこで改めて見直さなければならないのが「メモ」(=記録)の重要性。ベストセラーともなった『100円のコーラを1000円で売る方法』(中経出版・永井孝尚著)に出てくる「ロンロン」という名の中国人の行動が面白い。

とにかく、仕事上のことは何でもかんでも、「ロディア」(フランス製)というメモ帳に記録してしまう。まったくもってアナログな作業だが、これが後に大きく物を言うようになる、という筋立てだ。

ややもすると、デジタル全盛の当節においては、メモすら電子機器に頼ってしまいがちだが、これはハッキリ言って、大きな間違いである。

同じことが写真の世界でも言える。昔のフィルムカメラであれば、几帳面な人は「ベタ焼き」にして現像フィルムとともに保存していたものだが、最近のデジタルカメラではそれはやらない。

「その代わり」と言っては何だが、デスクのパソコン等にバックアップする人がほとんどだろう。いやむしろ、「そうすべき!」というのが〝常識〟か。

ところが先日、すべてにおいて無防備な筆者はついにやらかしてしまった。スマホカメラに撮り溜めていた500枚近くの写真データを、ちょっとした操作ミスで全部消してしまったのだ。

幸い、我が社にはその道のプロがいて事無きを得たのだが、何によらずまさかの事態に備えたバックアップの必要性を痛感した、という次第。

皆さん、これからはしっかりメモを取りましょう!それから、データのバックアップも忘れずに!


2013/05/19

原稿より健康だが…えっ、ベンツやダイヤも!?

一昨日から県外出張しているが、長年慣れ親しんでいる旧式パソコンの調子(通信機能)が悪く、インターネットに繋がらない。したがって、拙稿を送ろうにもどうにも出来ない〝事態〟に苛まれている。

仕方がないので、別に持参したタブレット端末で挑んでいるのだが、いかんせん〝勝手〟が違う。遅々として筆が進まないのだ。

今回の出張の目的は色々ある。その1つは、長年のお付き合いがある「QVC」という、三井物産系のショッピングチャンネルの新社屋落成式に出席するため。余談だが、同社とは近々共同で〝新規ビジネス〟を立ち上げる予定だ。

社長のS氏とは年齢が近いこともあってか、不思議とウマが合う。生粋のビジネスエリートなのだが、少しも偉ぶらず、とにかく〝人柄〟が素晴らしいのだ。

12年前に商社の一部門として立ち上げたベンチャービジネスが、今や年商900億円強。パーティ会場となった幕張のホテルには千葉県知事や千葉市長、経産省の〝お歴々〟も多数参加され、恐らくその数は千人を超えていたのではなかろうか…。

S社長とは福岡などで開かれるケーブルテレビ関係の会合でも時々お会いするが、一度だけ島原まで足をのばしてもらったことがある。

その時は〝商談〟と言うよりむしろ〝飲み会〟のような雰囲気で、島原の美味しい酒とサカナを存分に召し上がっていただいたが、いまだに印象に残っている言葉がある。それは、ソーメンにまつわる話だ。

「何とか、地場の島原ソーメンを番組の中で取りあげてもらえないだろうか…」と頼んでみたのだが、同氏はにこやかな表情こそ崩さなかったものの、キッパリとこう答えられたのだったー。

「残念ながら、ソーメンはテレショップ向きではないですね。 うちでは個人(自宅)で使うものが中心です。ソーメンはどちらかと言うと、贈答品のイメージが強いように思います」と。

確かに、同番組の商品ラインアップを見ていると、その大半が婦女子向けの衣服や装飾、化粧用具等々のアイテムで構成されている。ただし〝例外〟もあるそうだ。

象徴的な事例が「ベンツ」(外車)と「ダイヤモンド」。物の試しに…と出してみたら、きちんと買い手が付いたのだ、という。

いやぁ~、世の中は広い!金持ちもいればいるものでびっくり仰天してしまうが、これぞ「ラーメンからミサイルまで」と言われる「ザ・商社」の実力なのだろう。

今回の出張は比較的長くて来週月曜日まで続く。日曜日(19日)には「第65回関東島原半島会」の総会&懇親会に出て、翌日は朝の早い便で福岡(久留米市)を目指すことにしている。

マスコミ関係者がよく使う「原稿より健康」という表現はまさに至言なのだが、日の射さない薄暗いビジネスホテルの一室で慣れない端末機と格闘している様は、少しも健康的ではないような気がする。


2013/05/16

資格がありません!?…森本弁護士が島原事務所

かつては「壁に耳あり障子に目あり」と言われていたが、最近ではどうやら違うらしい。「壁に口」もあるようだ。

まったくもって腹立たしい限りだが、知り合いの某壁紙職人が事もあろうに、筆者が必死で守り通してきた重大な〝秘密〟を、いとも簡単に家人の友人にバラシテしまったから、もう大変!
以来、家人は何を言っても信用してくれない。おかげで、毎日、針の筵(むしろ)に置かれたような状況が続いている。

さてその家人だが、最近は何を思ったか、朝に晩にウオーキングに凝っている。先日も朝6時前から出かけて、7時過ぎに帰ってきた。

筆者は前の日に飲み過ぎてまだフトンの中にうずくまっていたのだが、帰って来るなり「肩と背中が痛いから揉め」との命令。

一瞬、ムカッ!ときたが、まともに取り合うのも大人げないので、「ゴメン。揉んであげたい気持ちは山々だけど、整体師の『資格』がないので…」と言って、体よく断った。

それからしばらくして食卓へ。ところが、筆者の分だけ、箸と皿がない。最初のうちは何が何だか判らなかったのでキョトンとして「なしてオイんとは無かとなぁ~?」と不満をぶちまけた。

すると、こういう答えが〝母子〟口を揃えて即座に返ってきた。「あ~ら、ゴメンナサイ。私たちゃ調理師ん『資格』ば持たんですけん」と。

ところで、数ある「資格」の中でも〝最難関〟と言われているものの1つに司法試験を突破した者だけしか名乗れない「判事」「検事」「弁護士」がある。

よほどの裁判好きでない限り、一番身近な存在はやはり「弁護士」であろう。ただ、最近ではその世界でも競争が激しいようで、この狭い島原半島でもいささか〝乱立気味〟。

そんな中、新たに半島5番目となる事務所を開設するのが、諫早市に本拠を構える森本精一弁護士(中央大学法学部卒・51歳)。島原商工会議所元会頭、森本元成さんのご長男だ。

森本弁護士の島原事務所は、国道251号沿い(片町・理美容室「アフロ」の並び)にあり、島鉄・島原駅から徒歩1分の交通至便の場所。

駐在するのは、千葉県市川市の生まれで、今月満30歳の誕生日を迎えたばかりの山下雄一弁護士。早稲田大学大学院法務研究科の出身だそうだ。

先日の日曜日、ホテル南風楼で開催された祝賀パーティには、古川隆三郎島原市長や満井敏隆島原商工会議所会頭らも出席し、その前途を祝った。

筆者は今にしてつくづく思う。同じ「し」が語尾に付きながら、資格のある「弁護士」と、出来の悪い「婿養子」とでは、随分とその〝処遇〟に違いがあるよなぁ~、と。

果たして、この〝人権問題〟やいかに?


2013/05/14

下折橋の芝桜公園…早くも除草作業スタート

つい先頃まであれほど綺麗に咲き誇っていたのに…。やはり〈花の色は移りにけりな〉なのか…。

連休明け初の日曜日となった12日午前、島原市下折橋の締切堤内にある「芝桜公園」では早くも、来年に向けての除草作業がスタートした=写真

事務局の集計によると、4月3日(水)~23日(火)間の有料入場者数は2万8千666人。内訳は一般客が2万6千316人だったのに対して、団体客は2千350人。

残念ながら、目標としていた3万5千人突破と成らなかった。その最大の要因は、一番の書き入れ時の土曜日(6日、20日)に雨に祟られた、ため。

それでも、スタッフの表情は一様に明るい。なぜなら、組織を挙げた広報活動が効を奏した形で、九州全域からの〝集客〟に一定のメドがついたからだ。

同公園をつくる会の足立進一会長も日焼けした顔をほころばせながら「まだまだ緒についたばかり。来年度以降への布石は十分に打てた」と自信を示す。

色んな見方があろうが、筆者自身はこの企画における〝最大の見所〟は、噴火災害によってもたらされた〝荒野〟が、地域内外の多くの人々の献身的な努力によって刻々と〝花園〟に生まれ変わっていく〝過程〟にある、と思う。

なぜ本は読まれるのか?或いはまた、なぜ芝居や映画は多くの観客を集めることが出来るのか?野暮ったい言い方かも知れないが、世の人々の多くはお金には代えられない何かしらの〝感動〟を求めている証しではなかろうか…。

普通に考えれば、石コロ&雑草だらけの土地に花を咲かせるなどというのは極めて〝無理筋〟の話である。それでも決して諦めないところに、足立会長らの〝真骨頂〟がある。

古里復興に賭ける熱意が人々の感動を呼び、夏の炎天下や寒風吹きすさぶ中での冬の除草作業にも、多くのボランティアが駆け付ける。子供、学生、公務員、サラリーマン、自営業者…などなど、その顔ぶれは様々だ。

美しくも儚い花の命とは裏腹に、除草作業は地道そのものだ。腰も痛くなるし、これから夏場にかけては全身から汗がほとばしり出てくる。

取っても、取っても、後を絶たない雑草との根気勝負が間違いなくこれからも続いていく。しかし、もう後へは引けない。

それは、復興島原のプライドを賭けた永い戦いでもあるからだ。これからも足立会長やスタッフの皆さんとともに知恵を絞り、汗を流していきたい。


2013/05/10

逆境が鍛える人生…無頼派も認める“真面目”

爽やかな五月晴れの日が続いている。この状態がいつまでも続いてくれたらいいのに…とも思うが、んなはずはない。

人生だって同じだ。さして努力なんかしなくても順風満帆の時もあれば、一生懸命努力しているのに報われない日々が続くことだって珍しくもない。

作家の曽野綾子さんが最近の著作(随筆)の中で言っている。『思い通りいかないから人生は面白い』と。それはそのまま本のタイトル(三笠書房)ともなっている。

曽野さんの物の見方は独特だ。ややもすると〈懐古主義的でひねくれている〉と取られる向きがあるかも知れないが、筆者は好き・・である。

これは別の作品でも繰り返し書かれていることだが、「逆境こそが人間を鍛える」との御説にはいちいち納得がいく。

本によれば、曽野さんは「家庭内暴力の下で育った」。より有体に言うなら、幼い頃から両親が不仲で、母親ともども父親からひどい仕打ち・・・を受けたのだ、という。

「火宅」という表現は、壇一雄さんの小説(映画化された『火宅の人』)ですっかり有名になったが、曽野さんの生家も決して家族愛に恵まれたものではなかった、と吐露している。

しかし、そこから先が並み・・の人間とは違う。そうした劣悪な環境の中から、類い稀なる「人間観察眼」を培い&磨いた結果が、今日の作家・曽野綾子を形成しているのである。

話は相前後するが、壇一雄さんは「最後の無頼派」と呼ばれた作家で、女優の壇ふみさんやエッセイストの壇太郎さんの父親でもある。

ここで曽野さんと壇ふみさんを比べても何の意味もないことだが、ともにその後の人生を立派に生きて、各々の道で活躍されていることを思えば、あながち「火宅」も悪くない!?

ならば!筆者も一念発起して「火宅の主」になってやろうか、という野望も無きにしもあらずだが、いかんせん我が家にはもう一枚上手の〝母子〟が控えている。とても無理だ。

それに、もう子どもたちも成人してしまったし、今さらどう変えようもない。ただひたすら隠忍自重・・・・の人生を歩むばかりだ。

ところで、当代の無頼派作家として知られる伊集院静さんが先日、NHKの『クローズアップ現代』(夜7時半~)に出ていたのでびっくりした。

しかも、いつになく生真面目な顔をして、長島茂雄さん(立教の先輩)とともに国民栄誉賞に輝いた松井秀喜さんの生き様を褒めちぎっていたのだ。

筆者はその番組を視ながら、何かしら嬉しくなってしまった。効率面ばかりに目が向く今の世相でも「地道に努力することの大切さ」を、こともあろうに、無頼派が称えている。

世の中まだまだ捨てたもんじゃありませんで、皆さん。さっ、真面目に頑張ろっ、と!!


2013/05/03

最近は活字づけ…苦境でも絶対諦めるな!!

このところ〝活字づけ〟の日々を送っている。特に理由はないのだが、本というものは、読み始めたらこれほど面白いものない。

始まりは村上春樹さんの新作―文芸春秋社刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。発売翌日にさっそく買い求め、一挙に読み上げた。一言で感想をいうなら、これまでの村上作品と違って「非常に読みやすかった」。

次いで手に取ったのが今年の「本屋大賞」(第10回)に輝いた百田尚樹(ひゃくた・なおき)さんの『海賊と呼ばれた男』(講談社)。上下700ページを超える文字通りの〝大作〟だが、それこそ寝る間も惜しんで〝耽読〟した。

ただし、この作品は「小説」と言うよりはむしろルポルタージュに近い。そのモデル(主人公)になっているのは、出光興産創業者の出光佐三(いでみつ・さぞう)さん。

作者の百田さん自身、「余り出光さんのことは知らなかった…」と述懐しているように、石油業界以外の人間にとっては〝遠い存在〟であったが、実際にこの本を読んでみると、その人物の凄さ(不撓不屈)、日本人としての矜持(きょうじ)―諸々が物の見事に描かれていることに感銘する。

筆者などは上巻を読んでいる途中から、「これはぜひ多くの人に読んで欲しい!」という〝熱〟にも似た思いに駆られて、都合3セットも買って、贈らせていただいたくらいだ。

そして最後の一冊は、先日の明け方に読み終えた、真保裕一(しんぽ・ゆういち)さんの『ローカル線で行こう!』という作品。たまたまだが、こちらも講談社から出ている。

1週間ほど前、新聞の書評欄を読んでいて「面白そうだな…」と思って出先の本屋で衝動買いしたものだが、これまた〝大当たり〟だった。

舞台は東北地方の小さな地方鉄道。人口過疎、高齢化等々の波をまともに受けて「赤字→廃線」の危機に晒された状況の中で、様々な人間ドラマが繰り広げられる。

真保さんは筆者好みの〝饒舌な喋り手〟で、会話の中にさりげなく忍び込ませている一言々々が気の利いたスパイスとして、それぞれの〝人物像〟がより鮮明に浮かび上がってくる。

見逃せないのは、地方鉄道が置かれた〝経営現況〟。例えは悪いが、我が「シマテツ」に置き換えて読み進めていけば、身近なサクセス・ストーリーとして希望が湧いてくる。

時あたかも、NHKの連ドラでは、瀕死に喘ぐ「キタテツ」(北三陸鉄道)が、主人公の高校生海女や個性豊かな地元住民の必死かつユーモラスな頑張りで、ようやく息を吹き返して来た段階。

いずれの作品にも共通しているのは「苦境にあっても絶対に諦めないこと」の大切さ。元気を取り戻せるような作品なら、活字でも映像でも悪くはない。


2013/05/02

猪瀬都知事ヤラカス…牧伸二さんならどう歌う?

嗚呼、とうとうヤラカシタか!ここ数日新聞紙上等を賑わしている猪瀬直樹東京都知事の米国での「お粗末発言」のことだ。そう言えばこの方、政治家になる前、島原についても色々言っていたよなぁ~。

いったんは発信元のニューヨークタイムズ紙に対して〝反論〟を試みたものの、帰国するや否や「不適切だった」として、一転〝謝罪〟に転じた。

こういう態度を中国の古い諺では「朝令暮改」と言うが、一体どうしたのだろう。今朝ほどひとしきりその話題になったところで、誰かがこう皮肉っていた。「つまり『都知事』でなく『トチリ』でしょう」と。巧いよなぁ~。

〝問題〟となったのは、東京、マドリードとともに2020年の夏季オリンピック候補地に名乗りを挙げているトルコの首都イスタンブールを名指ししたかのような発言。

N・T紙の報道によれば、「イスラム諸国が共有しているのはアラー(神)だけで、お互いにけんかばかりしている。そして階級がある」などと、同知事は言ったのだそうだ。

それが一夜明けると、「インタビュー後の雑談の中でちょこっと『イスラム圏初ってそんなに意味があるのかなぁ…』というような感想は述べた」などとトーンダウンしている。

〝事実〟が奈辺にあるか?は、それこそ神のみが知るところだろうが、少なくとも同知事は長年、ジャーナリズムの世界に身を置いていた人だ。

トルコが極めて親日的な国であることはとっくの昔からご存じだったはずだし、「~で初」というのが「意味がない」とされるのは政治&マスコミ双方の考え方からしても甚だ理解に苦しむ。

今回の一件については全く関係のない立場にあるが、前知事ならこの〝事態〟をどう切り抜けるだろうか…?勝手な推測だが、前知事なら、たとえ問題発言だったとしても、こんなに簡単に前言を翻したりしないだろう。やはり〝器の違い〟は歴然としている。

話は変わるが、イスタンブールと言えば、東洋文化と西洋文化が〝融合〟する所。個人的にも、是非一度は訪ねてみたい魅惑的な都市の一つである。

また、我々世代にとっては、庄野真代さんが歌って大ヒットした『飛んでイスタンブール』が何とも懐かしい。

〈いつか忘れていった/こんなジタンの空箱…/おいでイスタンブール/うらまないのがルール/ひとの気持はシュール♪〉

筆者は今でも大好きな曲だが、ひょっとして猪瀬知事はこの歌、余りお好きでないのかも…。

そう!もう一人、時の人を忘れていた。先日、多摩川に身投げして死んでしまったウクレレ漫談の牧伸二さんのことだ。

ひょっとして牧さんなら結びの部分でこう歌うのかも…。〈これで五輪もご臨終♪〉なぁ~んてね!?


2013/05/01

ズバ抜けた頭の良さ…久間先生の本当の名前!?

絶対に叙勲の栄に浴することのない立場からしても、受章者の顔ぶれだけは気になる。そういった意味では、今回はいささか寂しい。褒章・叙勲ともども、地元関係者の名前がいつになく少ないからだ。

だからこそ余計に、久間章生初代防衛大臣(加津佐町出身)の「旭日大綬章」の知らせを眩しく感じるし、郷土の代表の活躍ぶりが国家に認められた証しとして、素直に歓びたい。

筆者は久間先生の高校(口加)の後輩に当たるが、年齢は一回り以上違うにも関わらず、在学中から「伝説上の人物」として誰も知らない者がなかった。

何せ、片田舎の高校から東京大学法学部に進んだ大秀才である。加えて、剣道部でも活躍していたというから、単なるガリ勉君などとはモノが違う。

30日付の長崎新聞『水や空』(一面コラム)では、その政治的な〝読み〟の鋭さを、将棋を例に紹介しているが、もう10年近く前に「全国会議員の中でIQが一番高いのは久間先生だ」と、某永田町関係者から聞いたことがある。

確かに、さもありなんと想わせる〝切れ味〟を発揮する一方で、失礼ながら、あの愛嬌に満ち溢れた〝笑顔〟と〝体躯〟である。人気が出ないはずがない。

しかし、人生とはよくよく判らないもの。ご本人の意とは反して伝わった件の「しょうがない発言」がきっかけとなって、前々回の総選挙では、長期自民党政権への逆風をまともにくらう形で野に下った。

個人的には、筆者も後輩の一人であるから折にふれてよく声をかけていただいた。いつだったかヤボ用で議員会館を訪ねた時、たまたま先生がおられた。

「おっ、清水君か。オヤジさんは元気かい?」。その後の《話》がやけに面白かったので、ちょうど良い機会だからスッパ抜く!?

《僕はね、父の仕事の関係で、実は大阪で生まれたんだ。本当の名前はね『ふみお』ではなく、『ふみおふ』と言うんだよ》―。どうです、皆さん知ってました?

ところで、政治家には付き物の「揮毫」であるが、確か、久間先生のそれ・・は東大の先輩でもある夏目漱石が晩年に理想の心境としていたという「則天去私」ではなかったか…。

〝生意気〟を省みずに云わせていただくなら、まさにその字義通りの政治家人生だったように思う。久間先生、長い間、本当にお疲れさまでした。〔写真は若き日の時局講演会での一コマ。初当選前、後?