2013/03/30

福岡波少し遅れそう…『水戸黄門』が日に3回も

桜吹雪とともにいよいよ年度末!反戦歌手の新谷しんたにのり子さんが『フランシーヌの場合』を唄っていたのはかれこれもう40年以上も前。年配の方であれば「3月30日の日曜日♪」という曲の一節は些かなりとも耳に残っているはずだ。

ところで、今年の3月30日は土曜日で、仕事の関係では事実上29日(金曜日)が一応の「区切り」となる。そこで!本コラムの読者、並びに島原市&深江町の皆様方に謹んでご報告しなければならない「大事な案件」がある。

他でもない福岡民放4局(TVQ除く)の「区域外再送信」の問題だ。いずれの局においても、弊社が抱えている「事情」はよくご理解いただいているようだが、局内調整等に今しばらくの時間を要するようである。

ただ、「登山」に例えるなら、すでに「九合目」を過ぎた辺りまで辿り着いており、「頂上」(放送再開)までは後わずかなので、何卒ご理解のほどを!

一方で、これまで長年にわたって配信してきた熊本放送(RKK)については、諸般の事情で、3月31日限りで放送を中止せざるを得なくなってしまった。誠にもって断腸の思いだが、国をはじめ関係機関との協議の中で、他に選択肢が無かったことも併せてお伝えさせていただく。

さて、RKKと言えば、午後2時台の『水戸黄門』を楽しみにされていた視聴者の方も多かったと思うが、弊社では4月から新たに「TBSチャンネル1」を導入。スタンダードコース(月額2990円)以上にご加入いただいている方は、デジタル765チャンネルでお楽しみいただける。

改めて『水戸黄門』の放送プランについてご報告しておくと―。午前9時と午後2時からが「TBSチャンネル1」(765)。そして、午後5時台が「NBC長崎放送」(031)となる。つまり、1日につき3回も視ることが出来る!!

…このほかにもフジテレビ系の人気番組を取りまとめた専門チャンネルや、英国のBBC、フランス国営放送など9チャンネルを加えた「プレミアムコース」(月額3780円)も新たに登場。

さらに「そこまでチャンネルは要らない…」という方向けに、「地デジコース+お好みチャンネル」などのア・ラ・カルトプラン(お好みに合わせて)もご用意している。詳しくは「カボチャンネル」(111)や「もっぱらしまばら4月号」の中でも解説しているので、そちらの方をご参照下さい。

何はともあれ、新年度が皆様にとって幸多き年であるよう心からこいねがいつつ、「チャンネル改編」のご挨拶とさせていただきたい。平成25年度も、カボチャテレビをどうぞ宜しくお願い致します。
 △…締め括りは新谷さん風に―。「カボチャテレビの新プランは斬新で盛り沢山♪」と言っておこう!!


2013/03/28

吉光さんと松崎先生…島原にも“全国版”が!!

いずこの団体も「年度末」なのだろう。出張から帰ってきたばかりだというのに、朝っぱらからいかめしい「総会」が続く。

「忙」は「心を亡くす」に通じるから、「多忙」とは言わない。ただ、何となく落ち着かない。仕事が手につかない感じなのだ。

新潟ではまだ桜のツボミは固く閉じていたが、ちょっと留守をしている間に、島原の桜は早くも盛りを過ぎて散り始めている。当たり前だが、「彼我の違い」を改めて想う。

今朝、何気なくNHKのテレビニュースを視ていたら、特集枠のコーナーで、「熊本の包丁」と「金沢市内の卒園児似顔絵」の話題を取り上げていた。

前者は八代市にある「盛高鍛冶刃物㈱」のこと。鎌倉時代から700年も続く老舗中の老舗だが、一時期は経営危機に。その苦境を乗り越えたのが26代目、現当主の盛高経博さん。レポートによれば、「原点」に立ち返ることで見事に蘇えったのだ、という。

今では日本国内にとどまらず、欧米各地の料理人などから、その「鋭い切れ味」を求めて、注文が殺到しているとか。もちろんネットを経由してのことだ。

後者では、足かけ30年間にわたって卒園児の似顔絵を描き続けてきた、妙源寺幼稚園の副園長、源昌子さんの息の長い活動ぶりを紹介していた。その数、なんと2000人。

さして意識して見なければ、余り印象に残るはずもないトピックス的なニュースの一コマに過ぎない。ただ、筆者の心には極めて印象深く刻み込まれた。

何となれば、両者とも、我が島原においても、実際に取り組まれている(きた)「経済&教育」活動だから、である。〔※ぎこちない表現で申し訳ない〕。

「刃物」で云うなら、フジテレビ系でも放送された「たたら製鉄」の流れをくむ「吉光㈲」さん(高島二丁目)がいる。「卒業生の似顔絵」なら、今春限りで現場を離れることになった松崎善幸先生がデ~ンと控えている。

くれぐれも誤解のないように願いたいが、NHKのニュース番組にケチをつけるつもりなど毛頭ない。むしろ、「よくぞ全国版で放映して下さった!」と、心から拍手を送りたいくらいだ。

地方には地方それぞれの「素晴らしい文化」が長年にわたって育まれており、またそこに暮らす人々ならではの何ものにも代え難い「ほのぼのとした喜び」がある。

つまりは、今朝ほどたまたま『おはよう日本』(NHK)の放送を目にしたことで、島原の持てる魅力を〝再発見〟したという次第だ。

ところで松崎先生、まだ「慰労会」を開催していませんが、近々どうでしょう?先生に似顔絵を描いていただいた愚息2人も、ようやく酒が飲めるようになりました!!


2013/03/27

カラスは旅をするか…30数年ぶりの高円寺駅

「百里千里を歩いても 歩くだけでは 能がないましてやくざな仁義沙汰 広い世間を狭くして どこに男の どこに男の 道がある♪」。

格段のカラオケ&演歌好きというわけではないが、社会人一年生の頃に大変お世話になった同僚の先輩(現在はゴルフ場社長)がよく車の中などで口ずさんでいたので、今でもその歌詞を覚えている。

唄っていたのは歌謡界の大御所、五木ひろしさん。確か、題名は「旅鴉」(たびがらす)だった。

出張2日目。東日本の夜明けは早く、もう6時前から空は明るい。前泊は新潟駅前のビジネスホテルだった。ごたぶんにもれず、そこでもカラスの群れが「カァー、カァー」と朝っぱらからやかましく啼いていたので、こんな書き出しとなってしまった。

日本では都会・田舎の区別なく、カラスの姿は全国どこでも見かける。海外ではどうなのか?とも思うが、もう久しく出かけていないので、今では皆目検討もつかない。

カラスにはカラスの事情があって、それぞれの「縄張り意識」に基づいて棲息していることだろうが、果たして全国各地を流離うようなカラス(旅鴉)がいるのだろうか…。そんな他愛もないことを考えながら、一昨日から「出張の旅」を続けている。

申し遅れたが、本日の宿は、東京・杉並の高円寺駅構内にあるJR系のビジネスホテルだ。高円寺と言えば、「阿波踊り」や「純情商店街」(ねじめ正一作)などでも知られるが、今から30数年前は筆者(学生時代)の最寄り駅の一つだった。

当時はもう一駅先の阿佐ヶ谷との〝中間〟に間借りしていて、日によって使い分けしてしていた。通学路のすぐ脇に新築の豪奢なマンション(まだ珍しかった)。そこに気障ったらしいフランス語の先生が住んでいた。

聞くところによれば、留学先から戻ってきたばかりで、奥様は生粋のパリジェンヌだとか。とにかく、赤塚不二夫さんの漫画に出てくるような「イヤミ」な先生だった。

ある日の授業で和訳を当てられて、シドロモドロニ何とかの「階段」と答えたら、「違う!違う!それでは作品の雰囲気が全く伝わらないでしょう。『階』(きざはし)と訳しなさい」と注意を受けた。

もう30年以上も前の出来事をしつこく覚えている自分の執着度(記憶力?)にも呆れてしまうが、あの先生は今頃どうされているのだろうか。

歌でも「歩くだけでは能がない」と言われているように、旅は単なる「物見遊山」で終わってはならない。そこにあって島原半島に欠けているものは一体何なのか?

残念ながら「出世の階」は大きく踏み外してしまったが、そうした「古里意識」だけは今後も粘り強く持ち続けていきたい。


2013/03/26

県外で聴く“スマホ”…2年ぶりの新潟で考える

小学校時代の社会科に出ていたクイズのような話を1つ。日本で一番長い川はど~こだ?答えは信濃川(全長367キロ)。有体に言うと、長野・新潟両県をまたいでいて、上流部・千曲川(長野)と下流部・信濃川(新潟)から成る。

その河口付近(日本海に注ぐ)に架かる「万代橋」(ばんだいばし)を昨夕、歩いて往復した。幼き日の記憶では、確か昭和30年代に地震災害があったはずだと反すうしつつ歩いていたら、「高浜虚子先生 大正13年に渡る」という句碑の案内板があった。

すぐにスマホで調べてみると、「新潟地震」は昭和39年6月16日に発生していた(死者26名)。東京オリンピックのわずか数か月前という時代背景を考えれば、日本全体が震度以上の〝衝撃〟を受けたはずだ。と同時に、その復元なった橋の上に自分が立っていることの不思議さを覚えた。

新潟市内を訪ねるのはほぼ2年ぶりのこと。今回の出張は私用半分&仕事半分。昼過ぎまでに主要な用事を済ませて、その後に東京に向かう予定だ。

東京~新潟間は新幹線で約2時間。途中、高崎市(群馬)を過ぎるとほどなく「清水トンネル」に入り、しばらくは〝闇〟の時間が続く。そして、視界が一挙に開けたと思ったら、辺りは一面の〝雪景色〟。まさしくもって、文豪・川端康成先生描くところの『雪国』の世界である。

関西出身の川端先生が日本財団創設者の笹川良一さんと幼なじみだったことは先年、工藤美代子さんのノンフィクションで知ったが、最近何かで紹介されていた〝目力〟の話には思わず笑ってしまった。

それによると―。晩年、川端家に入った泥棒が家主(文豪)に見つかった。家主は何も言わない。ただ、あのギョロ目でじっと見つめるだけ。すると、泥棒は「やっぱダメですか…」と何も盗らずにスゴスゴと退散した、という。

話は逸れついでにもう1つ。やはり新潟と言えば、田中角栄・元総理(角さん)を抜きには語れまい。角さんの生まれ故郷の西山町は現在、長岡市(新潟市から新幹線で約半時間)に編入されている。筆者も一度案内されて、その生家を見学に行ったことがあるが、東京の目白御殿とは違って庶民風の造りであった。

晩年の角さんは脳梗塞か何かで倒れて体の自由が利かなくなった。その時、世話係として雇われたのが、同じ新潟出身の元関取だったとか。こちらの話はノンフィクションライターの佐野眞一さんが紹介している。

飛行機、モノレール、電車等に揺られて旅をしていると、何の脈絡もないような〝よしなしごと〟が次々と浮かんでくる。ふと、愛用のスマホを胸ポケットの中から取り出す。アプリを開けば、「FMしまばら」の放送が何事もなかったかのように聞こえてくる。これって案外スゴイことではないだろうか…。


2013/03/24

それぞれに諸説あ…まだ続く「アトメシ論議」

本欄を担当していて一番うれしいのは、読者の方々から思いもよらない「反響」をいただいた時だ。最近で言うと、「アトメシ編」がそれ。

ふだんは余り言葉を交わしたことがないような強面の人まで「『アトメシ』んことば書いとったね。懐かしかったよ」などと笑いながら話しかけてこられる。

実は、掲載後すぐに瑞穂町在住の郷土史家、高木繁幸さんからお電話をいただいていたのだが、あいにく出張か何かで留守にしていたので、「確認」の機会を逸したままでいる。

まぁ~、そんなこんなで筆者の中ではすでに「アトメシ」のことは忘れつつあったのだが、昨夜、久方ぶりにサウナに行ったら、思いもよらぬ人からまたまたその話を持ち出された。その方は島原市の幹部職員だ。

氏によると、「アトメシ」とは、お客様にご馳走をふるまった後の「残り物のこと」を指すという。氏は「それほどまでに昔の食糧事情は貧しいものだった」と力説された。

すると、氏の友人と思しき傍らの初老の男性(職業不詳)が異を唱えられた。「違う!違う!『アトメシ』はコメとムギを一緒に炊けば、比重の違いからコメの方が下に沈むので、後から出てくる。だから、そう言うのだ」と。

「なるほど!なるほど!」と、筆者は下腹の贅肉をつまみながら両者の「御説」に聞き入っていた。そこに割り込んできたのが、すぐまたその隣にいた漁師のオジさん。

「『アトメシ』やゴッツ(ご馳走)んこったない。フナト(漁業者)は昔からコメん飯ば食いよった。そんかし、板子一枚下は地獄じゃけんなぁ~」と、豪快に笑い飛ばされた。

最終最後の「結論」は高木先生にお尋ねするつもりでいるが、筆者はここまで聞いてきて、ある「仮説」を思いついた。

要するにこういうことではないか…。かつての藩政時代においては、武家階級にはコメでもって扶持(ふち)が与えられていたのでムギやイモ類は食べなかった。つまるところ「アトメシ」とは、まったくもって「庶民(農工商)の食生活」に根差した、ビビッドな鮮烈な言葉ではないだろうか?

サウナの中でも「諸説」飛び交ったように、何が正解なのか?まだ確たる所は分からない。ただ、読者の皆様のおかげで、書き手としてはもう十分に楽しませていただいた。ありがとうございました。

それはそうと、横綱白鵬が22日、2場所ぶりに幕内優勝を果たした(13連勝、24度目)。大相撲の世界では「おカネ」のことを「おコメ」と言い表すそうだが、何はともあれ、同関の後援会長で弊社のスポンサーでもある「アサヒ緑健」の古賀社長は内心ホッとされていることだろう!!

【PR】緑効青汁の問い合わせは(電話)0120-003-003まで。


2013/03/22

記憶に残るゴルフ!?…機嫌直したミラクルショット

「好きこそ物の上手なれ」と言う。しかし、必ずしも現実はそうではない、と昨日(春分の日)のゴルフでつくづく実感した。

はるばる東京からやって来たお得意様の接待を兼ねてプライベートコンペを実施したわけだが、朝からあいにくの雨模様。それでも「何とかなるだろう」と高をくくって出かけた。

ところが、「いずれ降り止むはず」との半ば願望的な予報は見事に外れ、ハーフを終わらずして全身ずぶ濡れ。誰を恨んでも仕方ないが、「一体どうしたことか!」と我が身の不幸を呪った。

プレー中、お得意様の横顔をチラチラ。「いやぁ~、天候はともかくとして、非常に記憶に残るゴルフですよね?」と水を向けると、半分真顔まじりで「もう二度と来ん!」とのつれない返事。

「やっぱ中止した方が賢明だったか…」と後悔の念も頭をよぎったが、何が幸いするか判らない。お得意様のロングホールでの一打が何と!500ヤードものミラクルショット。

タネを明かせば何のことはない。ダフリ気味のボールが「川」と化したカートレールに乗っかってそのままグリーン近くまで運ばれていた、という次第だ。

こうなると、人間とはいたって「現金」なもので、それまでの苦々しい表情が一変した。「凄い!タイガー・ウッズでも500ヤード超えはとても無理でしょう」との見え透いたお世辞にも「ウン!ウン!」。

結果から言うと、筆者が図らずも予測したように「記憶に残るプレー」として刻み込まれたようで、メデタシ!メデタシ!

プレー後は、雨で冷え切った体を大浴場とサウナで温め直して、いざ空港へ。様々なよもやま話の中で出てきた「島原談義」が気になったので、少しだけ披露しておく。

【その1】今時、乾燥機がないゴルフ場も珍しいなぁ~。島原の方々は雨の日にはプレーしないのだろうか?

【その2】ホテルは温泉もあってとても良かった。朝飯も美味かった。ただ、備え付けのカミソリ(安物)は余りにもひどくて使えなかった。

他いくつか「率直な印象」をうかがったが、実際に外から来た人でなければ気付かないことも数多くあるようで、関係者ならずとも大いに考え直さなければならない、と感じた。

ところで、一夜明けて会社に出てみると、社員諸氏がニヤニヤしながら語りかけてくる。「まさか、あの土砂降りの中でゴルフはなかったでしょう!?」。

「バカ!何を言う。仕事だ、仕事。本当はしたくなんかなかったが、そう自分自身を叱咤激励してやったんだよ」。

「ところでスコアの方はいかがでした?」。無言のままでいたら、誰かが隅っこの方でこう呟いていた。「下手の横好きじゃ!!」。


2013/03/19

偏差値教育の危うさ…多忙を言い訳にするな!

おいおい、一体どうなっているんだ―。そんな〝ボヤキ〟の一つも漏れ出てしまうかのような今朝の荒天ぶりだった。

毎週月曜日は「早朝清掃の日」と勝手に決めているので、いつもより早めに出社して白土湖や音無川周辺のゴミを拾って回ったが、まだその頃は単なる曇り空だった。

それがどうだろう、数時間後には横なぐりの大雨。ただし、それも束の間で、時を置いて窓の外をのぞいてみると、夏場の夕立ち明けのような雰囲気だ。

年の瀬の12月は家中含めて世間全体が忙(せわ)しないが、小なりといえども事業経営に係わっていると、年度末の慌ただしさはまた格別である。

閉口するのは会議の多さ。いささかオーバーなようだが、毎日欠かさずどこかの会合に出かけなければならない。以上のようなわけで、ついつい本欄の執筆も〝おざなり〟となってしまう。

陽明学者で政界の指南役としても知られた安岡正篤さんの言葉を借りれば、「忙とは『心』を『亡』した状態」のこと。つまり、多忙を理由に〝言い訳〟をしている筆者のような輩はサイテーの部類なのだ。

まあどの道、自分が立派な人間だなどとは端から思ってもないが、他人の〝アラ〟だけはよく見える。今朝も掃除をしながら、ブツクサと小言を垂れている卑小な人間(筆者)がいた。

それをここでストレートに書いてしまうと、各方面に迷惑が及んでしまいそうなので止(とど)めておくが、掃除をした後は何となく気持ちがいい。

要するに、周囲の状況がどうであれ、自分が正しいと思っていることを粛々と実践していれば、心は〝カタルシス〟なのである。

ところが、この広い世の中には色んな〝人種〟がいて、自分(の仕事)こそ最高!と思い込んで疑わない鼻もちならない人間が確かに存在している。

小生などは元々物事を斜(しゃ)に眺めるタイプであるから、これが気にくわない。「ハイ、ハイ、貴方様の仰る通りですよ」と表面(おもてづら)だけはニコニコしていても、心の中では舌打ちしていることも度々だ。

時々、ふと考える。年齢を重ねることに一体の意味があるのだろうか?と言うより、様々な事象に対して冷笑的な反応しか段々と示さなくなってきたようにも感じる。

物事の価値判断を何でも数字に置き換えてしまうことの虚しさとでも言おうか…。典型的な事例が入試(合格)のための〝偏差値〟だ。これとて今の世の中では、その後の人生における〝免罪符〟とはとても成り得ない。

先週、どこかの週刊誌が東大入試を取り上げていて、「無理して入る学校ではない」と喝破していた。そう、人生は今朝の天気のように〝晴れの日〟ばかりではないのである。


2013/03/14

石井ふく子さんも登場…渡る世間は緑効青汁ばかり!?

「まずい!もういっぱい!」。悪役俳優、八名信夫さんのテレビCMですっかり有名になった「青汁」。こちらの販売元は「キューサイ」という会社だが、現在、弊社がその広報戦略の一翼を担っているのは「アサヒ緑健」というところの「緑効青汁」という製品だ。本社ビルはJR博多駅の近くにあり、先般、担当の社員共々訪問してきた。

すでに島原新聞紙上(10日付)や、『もっぱらマガジン』(3月号)、あるいはカボチャテレビの自社番組の中でも頻繁に取り上げているのでご存知の向きも多いかと思うが、今日は敢えて〝二の矢〟を放っておく。

その理由の一つは、弊社が前々から考えていた「メディア・ミックス」というスタイルで初めて取り組んだ新規の広報企画であること。例えば、島原新聞に載せた広告も、通常とは趣きを変えて「ペイドパブ」という体裁を取らせていただいた。

現時点でどれほどの「訴求効果」が生まれたのかの〝答え〟はまだつかんでいないが、とにもかくにも沢山の方々にその存在を知っていただいて、買ってもらうことを〝主眼〟に置いている。ただ、それには製品そのものに〝信頼性〟が備わっていなければならない。本社をお訪ねして色々とお話をうかがってきたのも、実はそのためだ。

信頼のバロメーターは〝売上高〟という数値で現れる。その点、同社の実績は文句の付けようがない。何せ、7年連続でトップの座を守り続けているのだから。

原材料は熊本県阿蘇地方の豊饒なる大地(有機JAS認定)で育った大麦若葉。草丈が30㌢ほどに育ったところで一斉に刈り取り、畑のすぐ脇の工場で加工。薬事法との絡みで詳しく書き込むことは禁止されているが、「ダブル乳酸菌」「トリプル繊維」「ダブルオリゴ(糖)」で形成される「ゴールデンバランス」が他社にない最大の特長だ。

CMには横綱白鵬関や元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんらを起用しているほか、俳優の角野卓造さんや歌手の堀内孝雄さんらも登場して〝愛飲ぶり〟を披露している。また、今月末にはタレントの井上順さんの勧めで超大物テレビプロデューサーの石井ふく子さんもテレビCMに顔を出す予定だ、とか。

こうやって見てくると、石井さんが橋田壽賀子さん(脚本家)と組んで茶の間の人気を独占している『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)にちなんで、『渡る世間は緑効青汁ばかり』のような気がしないでもない。

説明を聞いた後、筆者は即座に申し込みを済ませた。しかも「母の名前」を使って「代引き」で。でも、どうしよう?これで母が益々元気になったら…。

問い合わせは電話0120-003-003まで。その際「本コラムを読んで…」と一言申し添えていただければ、感激この上もない!!


2013/03/13

床屋談義によれば…南目で泥棒被害相次ぐ!?

先般、所用で山口県下関市まで出かけた。島原から車で約4時間。関門大橋を渡るとすぐ左手にインターがあって、街中に入った途端に、ある「看板」(理容学校)が目に付いた。それによると、下関は床屋さん発祥の地なのだそうだ。

さて、昔からよく「床屋談義」などと称されるように、時としてその場は「世間話のサロン(ジャンル不問)」と化す。ことに筆者のような生業(なりわい)の者にとっては、思いもかけない貴重な情報が得られたりもする。

この前耳にしたところでは、最近、島原半島の南目の方で泥棒による被害が頻発しているとか。もちろん真偽のほどは定かではないが、「県外から窃盗団が来島している」などと聞けば、いかにもありそうな話である。ともあれ、注意するに越したことはない。

ところで、筆者がガキだった頃には、まだまだ「坊主頭」が主流であった。そして、その対極に「ハイカラ頭」(刈り上げ長髪)があった。

なぜ、ハイカラと言っていたのかこれまで不思議でならなかったが、事のついでに調べてみたら、その語源は西洋風の「丈の高い襟」(ハイ・カラー)から来ているそうな。つまり、明治時代の文明開化の名残り、だとか。

似たようなニュアンスで、長崎市内の人々がよく使う言葉に「上等」「舶来」がある。いかにも早くから海外文化に慣れ親しんできた〝長崎人〟らしい表現であるが、取りようによっては何ともキザったらしい。

もっとも、その使い方が半ば〝冗談〟であるとは分かってはいる。しかし、例えばゴルフコンペの時などに、とてもこちらからは手が出ないような高価なクラブをさりげなく持っていたりされると、つい心の平静さを失くしてしまうのである。

再び、ガキの頃の床屋の話に戻る。昔は散髪直後の頭の状態を「八ツ!(アタマ)」などと言って、よく平手で叩いたり、叩かれたりしていた。

なぜ、そんな手荒いまね(祝福!?)をしていたのか今でも解せないでいる。さすがに「体罰問題」が叫ばれる昨今ではそんなことはあるまいが、はて実態はどうだろう?

それから、これは極めて個人的な見解だが、床屋の大鏡で見る自分と、家に帰ってから改めて見る自分とでは明らかに違っているのはどうしてだろう?

一言でいって、ガックリくることが多い。ならば、床屋の段階できちんと注文を付ければいいのだろうが、それがなかなか出来ない。と言うより、その時点では似合っているように見えてしまうのである。

理想を言えば、散髪してから1週間~10日ほど経ったくらいの〝自然な状態〟にしていただければ有難いのだが、それは土台無理な注文なのだろうか?無論、素材の問題はさて置くとして…。


2013/03/12

復興増税10・5兆円…世界も注視する東北復興

3月11日―。この日は、何はさて置いても、2年前の「東北大震災」のことを取り上げねばならないところだが、あいにく手持ちのネタがない。いやいや1つだけあった。「復興増税」の話だ。

筆者は迂闊(うかつ)にして気付かなかったが、今年の1月分の給与から所得税に2・1%が一律に付加されていることをご存知だっただろうか?

もちろん、それは文字通り、東日本大震災からの復興に充てられるもので、向こう25年間続く。このほか、住民税に関しては、来年6月から10年間、年1千円が徴収される。

政府の目論見では、すでに昨年4月から始まっている法人税の増税分と合わせると、復興関連全体予算(19兆円)のうち、55%強に当たる10・5兆円をまかなうことになっている。

額が額なだけに庶民感覚ではピンとこないが、国民一人ひとりの税負担が東北の被災地復興に役立つということであれば、大いに結構な話ではないか!と個人的は思っている。

問題は〝使われ方〟だ。よもやそんなことはあるまいが、降って湧いたような〝復興特需〟をいいことに、一部の人間が私腹を肥やすような事態だけは厳に慎んでいただきたい。

でないと、〝国難〟とも称される未曾有の大規模災害で尊い命を失くした人々の魂は浮かばれまい。ましてや、世界中の人々の目が〝東北〟に注がれているのだ!

とにもかくにも、関係者には心して復興事業に当たってほしいと願う。と同時に、これはまた原子力エネルギーの施策も含めて、新たな日本に生まれ変われるかどうかの〝試金石〟のような気もする。

次に、1千キロ以上も離れた九州の地から、東北復興に対して出来ることは何であろうか?お金(税金、義援金)も無論〝力〟となろうが、それぞれの立場で役立てることも沢山あるのでは…。

さしずめ、筆者が今係わっている業務に関しても様々なことが考えられる。それは〝業界〟単位で取り組んだ方がより効果的なこともあろうし、視点を変えて、同等規模の自治体・企業レベルで情報交換していくのも一計かも知れない。

極めて個人的な趣向だが、筆者は「絆」という言葉の響きが余り好きでない。何となく表面を取り繕ったようで薄っぺらな感じがするし、途中でプツリと切れてしまいそうな〝危うさ〟も伴う。

それよりは地下の大動脈でつながった「同じ日本人&地球人(人類)である」と言った方が、俄然説得力がある。ただ、惜しむらくは人間は辛かった事さえよく忘れるし、その本性は愚かである。

明日をも知れなかった、20数年前の雲仙・普賢岳噴火災害時の心境に戻れば、今の東北の置かれた状況が少しはよく分かるのかも知れない。合掌。


2013/03/10

人間は愚かな存在…“痛み”を知ってはじめて…

海外からは黄砂にPM2・5。そして国内ではスギ花粉。〝鼻炎持ち〟には何とも過ごしづらいシーズンとなった。

しかし、そんな中でも、自然界における木々や花々は〝文句〟の一つを言うでもなく、季節の移ろいに合わせて、黙々と自らの〝使命〟を果たしているように見える。

黄砂もPM―も、元をたどっていけば、中国大陸である。前にも書いたが、これがもし〝逆の流れ〟だったら、きっと日本は莫大な補償を求められているに違いない!?

そんな〝邪推〟にも似た思いを抱きながら歩いているうちにも、鼻水が止めどもなく流れ落ちてくる。誰に責任を負わせるでもないが、誠にもって腹立たしいし、情けなくもある。

テレビのニュース番組等を見ていると、春霞とは似ていて非なる、灰色の薄いベールに包まれたような日本の地方都市や北京(中国の首都)の様子を紹介している。内蒙古ともなればもっと状況は悲惨なようで、他人事ながらその複雑な胸中を慮る。

誰だったか忘れたが、かつて日本人宇宙飛行士の一人が宇宙から眺めた地球の様子について、「暗い部分が余りにも少なすぎる」(≒全体が明る過ぎ)とか嘆いていた。

〝俯瞰的〟と言えば、これほど俯瞰的な物の見方はあるまいし、世界のトップリーダーたちはもっとその時点で〝事の重大さ〟を深く認識する必要があったはずだ。しかし、悲しい哉、人類の〝危機意識〟はそこまでは及んでいない。

つまり、人間とはそれほど愚かな存在(だから核実験も行われる)で、自己の体験として〝痛い目〟に遭わない限り、本格的な対策に向けて動き出そうとはしないのである。

今のところ中国国内ではそうした〝大気汚染〟に端を発した暴動等は起きていないようだが、これが5年、10年…経って、健康を脅かすような事態が次々と発生するようになれば、民生上の混乱は免れまい。

その点、日本には、光化学スモッグや公害などといった過去の苦い経験則に裏打ちされた〝知恵〟がある。そのうち必ず「学ばせて欲しい!!」と助言を求めてくるはずだと思うが、いかがだろう?

それとも〝四千年の歴史〟というプライドにかけて、自力で解決の道を探るのだろうか。いずれにしても、「内政干渉だ」などと開きなおられても困る。現にこうして〝被害〟を受けて、ダラダラと鼻水を流している筆者のような日本人も無数にいるのだから。

話は変わるが、スギ花粉禍については、富山県などで花粉を飛ばさない新たな品種を育成する研究が進んでいるそうだから、期待を込めて待つとするか!?もっとも、筆者が生きているうちにはとても間に合わないだろうが…。


2013/03/07

米の飯はアトメシ!?…語源はさっぱり分からず

崩れたおにぎり?社員全員で毎日取り組んでいる今朝(6日付)の「活力朝礼」でのお題目だ。

テキストは倫理研究所発行の『職場の教養』(3月号)。ちなみに、前日は「啓蟄」が取り上げられていた。こちらの方は時節柄よく分かるとしても…。はて、その意図するところは?

半信半疑で読み進んでいくうちにジーンときた。何はともあれ、論より証拠。そのまま掲載文を引く。

【大正生まれのTさんの父親は、食糧の乏しい中で白い米が食べられず、家族の食事は大部分を麦がしめていました。】

【その父親が小学生の時遠足で、弁当のおにぎりを食べようとした際に、急に雨が降り出しました。いつものように麦飯だったため、おにぎりに雨粒が入り、丸かったおにぎりはバラバラになりました。】

【麦には粘りがないため、型が崩れてしまったのです。「その時の惨めさは忘れられなかった」と、父親は常々語っていたのです。】

【そして〈自分が辛い思いをしたので、子供たちには同じ思いをさせまい〉という一念で、Tさんの遠足には必ず白米の巻き寿司を持たせていました。】

以上、体験談を踏まえて〝今日の心がけ〟として帰結。それは「親の恩に感謝しましょう」というフレーズだった。

衣食住足りた現代社会においては、かつて話題となった『一杯のかけそば』(眉唾!?)を想わせる〝美談話〟のように取れないでもないが、素直に読めば、子に対する〝親の愛〟がよく伝わってくる。

と言うより、TPP云々の話より以前に、戦前・戦中派や、団塊世代の人々との語らいの中でよく「米の飯」の話題で盛り上がることがある。

「貧乏人は麦を食え」と言って物議をかもしたのは他でもない、「所得倍増論」で昭和30年代に我が国経済を驚異的に発展させた池田勇人元総理だが、その当時はやはり「麦飯」が主流だったのだろう。

個人的な記憶は余り残っていないが、先輩方の中にはこう述懐される人も多い。「麦飯ゃま~だよかった。トイモ(さつま芋)飯に比べたら…」などと。

そんなやりとりを聞いていると、つくづく「日本は贅沢になったのだなぁ~」と思うと同時に、「健康に良い」とか言って玄米や麦飯を有難がっている昨今の婦女子の〝変節ぶり〟を疑う。

米の飯が〝豊かさの象徴〟だった頃、確かそれを「アトメシ」とか言っていたはずだ。それは一体、方言なのか、古語なのか?手当たり次第に文献を調べたり、ネットで検索したりしてみたが、答えはない。

そこで、昼食に帰った時に母に尋ねてみた。すると、「うん、そがん言いよった!」と一発回答。ただしその手には、筆者には絶対に回ってこない、美味しそうな〝餡モチ〟がむんずと掴まれていた。


2013/03/05

日本は「四季の国」…自然で感じる時の移ろい

「2月が〝逃げた〟」などと来し方を振り返っているうちに、早くも3月は2週目に入った。目まぐるしいばかりの〝時の巡り〟にいささか焦りを感じている今日この頃である。

昔は「日進月歩」とか言っていたが、IT社会の拡大に伴い、いつの間にやら、「ドッグイヤー」(犬の1年は人間の7年に相当するという喩え)なる珍妙な表現が生まれ出たのは、ご案内の通りだ。

ところが時代が下ってくると、それでも飽き足らないのか、ネズミまで引っ張り出してきて、「マウスイヤー」(人間感覚の18倍のスピード)なのだそうである。

反論するようだが、そんなことを一々気にしているようでは人間稼業なんかやってはおれない。ましてや日本は世界に冠たる「四季の国」である。

春・夏・秋・冬という「季節」の中にどっぷりと身を置くことによって、人はそれぞれの人生をより味わい深く過ごしていくことが出来るのである。〔偉そうに!?〕

先週末、コミュニティFM関連の会議が福岡市内であって、島鉄高速船を使って出かけた。その折、西鉄大牟田駅までの連絡バスを待っていたら、とある老婦人のグループが指さしている先に最近よく見かける小鳥がいた。

黙って耳を澄ましていたら、その名は「セキレイ」と言うのだそうだ。思い切って尋ねてみたら、「この小太り、そんなことも知らないのか?」とでも言いたげに教えて下さった。

何はともあれ、こちらは一つ知識が増えたので「有難うございます」と丁寧にお礼を述べた。すると、傍らの御一方が今度は「カワセミ」について語り出した。

色、形、大きさ、美しさ…等々について〝熱弁〟はなかなか止まずにいたが、そのうちにバスが来たので、きちんとしたご挨拶も出来ないままに、ハイ!サヨ~ナラ。

会議を終えた後は、いつものように中洲での反省会。毎回、何をどう反省したらいいのかわからないままに後を付いて行くのだが、この晩は関東から〝偉い方〟が来られていたので、4次会(屋台)まで付き合った。

川面に映るネオンの灯りはいつもながら毒々しいが、夜が明けたら、少しは季節の移ろいを感じ取ることが出来るのかも知れないと想いつつ、畔にある予約の宿にチェックイン。

翌日というより当日の朝は、島原に帰ってからの用事を幾つか抱えていたので、夜も明けやらぬうちにうちに起き出してチェックアウト。

JR、島鉄と乗り継いで島原駅で下車。街中を歩けば、辻々には大ぶりの菜の花の飾り付け。白モクレンが開花し、それとシンクロするかのようにセキレイの姿も見える。

伝統の「初市」(霊丘公園)も始まって、島原はいよいよ春本番である。


2013/03/03

正直に腹を立てずに…鈴木貫太郎元首相の言葉

明日3日は「桃の節句」だが、幸か不幸か女の子に恵まれなかった筆者にとっては余りピンとこない。そう!「節句」と言えば、5月5日の「端午」であり、「菖蒲」なのである。

ところで、2月26日は何の日だ?と問われても、よほど年配の方でなければ俄かに答えは出まい。かく申す筆者とて同じだが、昭和史に関心のある方なら「二・二六事件」のことが即座に思い浮かぶだろう。

昭和11年2月26日、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」の旗を掲げてクーデター(~同29日)を起こした。結局、事件そのものは未遂に終わるわけだが、時の侍従長、鈴木貫太郎(終戦時の宰相、昭和23年没)は深夜襲撃を受け瀕死の重傷を負う。

「節句」の話から突然「二・二六事件」まで飛んでしまって「一体、お前さんは何を書こうとしているんだい?」と不審に思われる方も多いだろうが、要は『昭和維新の歌』(青年日本の歌)の話をしたいだけなのである。

その1番の歌詞。《汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我立てば 義憤に燃えて 血潮湧く♪》

最初にこの歌を聴いた時、何のことだかさっぱり分からずにいた。その折、解説をして下さったのが、普賢岳災害時に「島原生き残りと復興対策協議会」の初代会長として活躍をされた「呉服の丸三」の高橋三徳社長さん(故人)だった。

つまり、中国の故事に詳しかった高橋さんのご指導で、楚の国王に諫言しながらも受け入れなかった「屈原の無念の死」をもとに「チマキ」(端午の節句に食べる)が生まれたことを知った、という次第だ。

再び「二・二六事件」に戻る。今年は昭和で言うと88年になる。以来、77年の歳月が流れたということで、『NHKニュースウォッチ9』がその話題を取り上げていた(もちろん2月26日に)。

番組では、鈴木元首相の夫人(たかさん)が昭和40年代初頭に、ご主人の古里、群馬県前橋市で講演した際の録音テープが見つかったことを紹介していた。

折にふれて筆者は高橋さんのことを思い出しているので、非常に興味深く視聴させていただいた。そして感動した。賊に襲われた際に見せた、たか夫人の毅然たる態度もさることながら、政界引退後の元首相の言葉が素晴らしいのだ。

そのまま引く。「正直に 腹を立てずに 撓(たわ)まず歩め」という極めて控え目な文言ながら、戦前~戦中~戦後の混乱の中を、武人(海軍大将)&政治家(総理大臣)として生き抜いてきたリーダーとしての〝胆力〟と同時に、人間としての〝大らかさ〟を感じるのである。

現在、前橋市の母校「桃井小学校」にはその碑が建てられ、後輩となる平成の子どもたちが校是として口ずさんでいる、という。


2013/03/01

戦後の“日米関係”…裸で付き合った岸首相

 3月。卒業、そして人事異動のシーズンである。転勤などとは一切無縁の我が身にとっては格段の思いもないが、宮仕えの方々におかれては、そろそろ〝辞令〟の行方が気になり出すところか…。

「すまじきものは宮仕え」という古い言い回しがある。その意味は「他人に使われる官庁や会社勤めは出来たらやらない方がいい」ということだが、今の世相には合わない。ことに、働く場が限られている地方に居ては、役所ほど安定した職場はあるまい。次に来るのが金融機関か…。

かつて日本経済が元気だった頃、植木等さんは「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ♪」などと調子よく歌っていたが、これなんぞもまた「今は昔」の話。何はともあれ、時代のいかんを問わず、政治のリーダーシップが庶民の暮らしと深く係わっていることだけは確かだ。

最近、ある人に薦められて『戦後史の正体』(創元社)という本を読んだ。全篇400頁ほどもある大作でいささか骨が折れたが、平易な表現で書かれており、すこぶる面白かった。
著者は元外務省国際情報局長の孫崎享(まごさきうける)さん。以下はその〝受け売り〟だが、今の政治状況を傍目から見ていく上でも大いに参考になる。例えば、安倍首相が先の米国訪問の際に、オバマ大統領にゴルフのパターをお土産に持っていったという話。

このエピソードはどこかのテレビ局でも紹介していたが、アイデアの発端となったのは祖父(岸信介元首相)の時代までさかのぼる。

岸さんが渡米した案件は他でもない「新日米安保条約」の締結に関するものだったが、この時(昭和32年6月)、岸さんはアイゼンハワー大統領と会うなり、二人きりでゴルフに興じている。

そのくだりについて同書では「プレーのあと、真っ裸になってふたりで差し向かいでシャワーを浴びながら話をした。これぞ男と男の裸のつきあいだよ」(抜粋)といった『岸信介の回想』を紹介している。

安倍首相がオバマ大統領との会談の後、どんな行動をとられたか知る由もないが、とても〝裸のつきあい〟は無理だろう。

著者は戦後の米国と日本の関係について、歴代首相の〝政治姿勢〟の違いを通史的に分かりやすく解説している。端的に言うと「対米追随派」か「自主路線派」か。

前者の代表格が吉田茂、池田勇人、三木武夫、中曽根康弘、小泉純一郎の各氏。後者は降伏文書(昭和20年9月2日)に署名した重光葵(まもる)を筆頭に、石橋湛山、芦田均ら。それを読み進めていくと、戦後の日本(歴代内閣)がいかに今日まで米国に翻弄され続けているか、が実によく解かる。

意外なことに岸さんは後者に位置付けられている。はて、懸案のTPP交渉に臨む〝お孫さん〟のスタンスは?