2013/01/30

眠気覚ましに軍歌!?…意外な“発見”にビックリ

最近は運転中によく眠くなる。近場を走っている間はそんなこともないが、片道2時間以上を要する遠出ともなれば、必ず途中で1回は休憩を取らないと、もうもたない。

一般道の場合であれば、沿道の空き地やコンビニに車を停めて仮眠も出来るが、相手が高速ともなれば、そうは簡単に問屋が卸さない。例えば、福岡市内からの帰路―。

最初のパーキングエリアは「基山」だが、それでは余りにも近過ぎるのでせめては「金立」までと頑張ってみる。けど、その距離の長いこと長いこと!

必死になってツメを立てたり、ビンタを打ったりしながらハンドルを握っているのだが、知らず知らずのうちに極端にスピードが鈍っていることに気付いて、〝冷や汗〟をかくこともしばしば。

そうして、やっとの思いでたどり着いて、用を足す。「よかった。ここまでは無事だった!」とホッと胸を撫でおろす。

その後、店内を一巡。さっきメシを喰ったばかりなのに、カレーパンやアイスクリームなどの陳列ケースについ手がのびる。満腹感こそが睡魔の元凶だとは分かっているのだが、食欲には勝てない。

しかし、このままではきっとまた眠たくなる。次なる立ち寄り先は売店カウンター。カフェインなどが大量に含まれている眠気覚ましの飲料をグビッと飲み干して、「これでもう大丈夫!」と〝自己暗示〟をかける。

支払いを終えて立ち去ろうとしたら、すぐ脇に売れ残りのような音楽CDが雑然と並べられているではないか。「よし、帰りはこれで行こう!」。

単純極まりない頭脳構造の持ち主は、中から「軍歌特集」の1枚を取り出し、「これ下さい!」と、売店のオバちゃんに愛想笑い。

車に戻ると同時に、CDをセット。1曲目は歌詞なしの「軍艦マーチ」。ほとんど行ったことはないが、きっとパチンコ屋の店内のような雰囲気なのだろう。

2曲目以降は鶴田浩二をはじめ、三浦洸一、橋幸夫ら懐かしい顔ぶれのオンパレードだ。ほとんど正確な歌詞など知らないが、メロディラインはだいたい分かっているので大声で唄いながら2時間余の快適ドライブ。

その間、なぜ眠たくならなかったのか?不思議だが、ひょっとしたら眠気の防止にはこれが一番かも…との〝仮説〟を立てながら無事帰宅出来た次第。

最後に「軍歌」に関するクイズを一つ。名作中の名作と言われている「海ゆかば」の作詞、作曲は果たして誰か?

後で資料を見てびっくりした。なんと!作詞は万葉歌人の大伴家持(おおともの・やかもち)。そして作曲は明治から昭和にかけて数多の校歌を手がけた信時潔(のぶとき・きよし)だった。皆さん、知ってました?〔文中敬称略〕


2013/01/27

倫理経営講演会④…成功は「自己革新」次第

「家庭」は社会の中の最小集団である。そして「夫婦」はいつの時代も、その要。まず、そのことを心に留めていただきたい。また、「言葉」による傷は「刃物」のそれより遥かに深い、ということも―。

そうした形のないもの、すなわち「心」を伝えるのが「言葉」であり、「文字」であり、「態度・動作」である。何を行うにしても「好感」が伴わなければ、「共感」には結び付かない。

よく言われているように、言葉は「言霊」である。丁寧な言葉遣いで日々暮らしていけば、必ず「運命」は拓ける。何度も繰り返すが、実践とは「変わる」こと。「自分」が変われば、必ず「周囲」も変わる。

   ※    ※   

22日モーニングセミナー・実践力を磨く】=『職場の教養』が発刊されたのは昭和33年。この年、日本に〝世界一〟が2つ生まれた。1つは東京タワー。もう1つが関門トンネル。

その後、日本は〝高度成長路線〟をひた走るわけだが、この50有余年の間に経営講演会(倫理研究所主催)に特別講師としてお招きした著名人(創業者)は数知れない。

思い付くだけでも松下幸之助さん(パナソニック)、御手洗毅さん(キヤノン)、早川徳次さん(シャープ)、永田雅一さん(大映)、江崎利一さん(グリコ)、井植歳男さん(三洋電機)、本田宗一郎さん(ホンダ)などなど=順不同。

総じて言えることは、成功するかしないかの違いは、「自己革新」なるものを《やるか》《やらないか》の違いである。

会社を支えるのはまさに「自分自身」であり、「家庭」である。「自分」が変われば「家庭」も変わるし、「社員」も「会社」も変わる。そのためには、朝の過ごし方をないがしろにしてはならない!

世に「成功者」と呼ばれる人はその〝要件〟を満たしている。創始者、丸山敏雄が著した「万人幸福の栞」の一節(35頁)に、その趣旨が書かれている。大きなチャンスをつかむには、ふだんから小さなチャンスをつかむ訓練を積んでおく必要がある。

また、気付いたらすぐやること、間違っていると思ったらすぐ止めること。「即行即止」の精神だ。このことの重要性も「万人幸福の栞」(23頁)で説かれている。いずれにしてもズルズルが一番いけない。

また人生を左右するのは「運」と「勘」(≒直観力)である。チラッと見てパッとつかまえる。そうした「実践力」の涵養は朝起きが一番。もっと言うなら、早起き一つ出来ない人間が成功するなんておこがましい話だ。

私は倫理研究所入りしてからの2年間は、毎朝3時半に起き、書道と作業の訓練を続けてきた。結論を言う。他人がいくらどうこう言っても、自然(≒世の中)は決して嘘をつかない。   -おわり-


2013/01/26

倫理経営講演会③…「運命」は「宿命」とは違う

人間にはそれぞれ「器」(大・小)というものがある。いくら良い考えやモノを持っていたとしても「器」に合わなければ、いつしかそれも失ってしまう。金銭にしてもしかり、だ。

さて、「自己革新」と「出会い」との間に在るのが「運命」である。「運命」は「宿命」と違って、いかようにも変えることが出来る

本日は経営講演会であるから、少しそっちの方向で話をすると、こんなご時世でも〝不況知らず〟のらつ腕経営者として知られる「日本電産」(本社・京都)の永守重信社長が面白い例え話をしておられた。

曰く「今の日本経済は無風状態での凧上げのようなもの。自ら走ろうとしないのだから、凧が上がるわけがない」と。

いずれにしても「変わる」のは大変なこと。しかし、「心」が変われば「態度」が変わる。「態度」が変われば「行動」が変わる。「行動」が変われば「習慣」が変わる。「習慣」が変われば「人格」が変わる。「人格」が変われば「運命」が変わるのだから。

その足掛かりとなる第一歩が「朝礼」。朝を制する者は人生を制する!

ところで、私の故郷・熊本県に八代という街がある。そこを通っている国道3号線沿いに「うどん亭」というお店があって、繁盛している。

店主はいわゆる〝婿養子〟で、結婚を目前にして(約30年前)、奥さんからこう打ち明けられたそうだ。「私の家は派手に事業を展開しているように見えるでしょうが、実のところ内情は〝火の車〟なんです。6000万円も借金があります」。

それに対するご主人の答えは「心配するな!」の一言。その話を聞いて、私が「スゴイですねー」と感想を述べたら、「いやいや、私は本来気の小さい人間なんですが、幼い頃の母の一言が耳にこびりついて離れないんですよ」という。

それは何十年も前のこと。八代市内は妙見宮の氷室祭で賑わっていた。親戚一同が集まってご馳走がふるまわれていたその席での〝出来事〟。

山のように積まれていた饅頭が大皿に1個だけ残っていた。まだ幼かった店主は食欲のおもむくままに、手をのばしてパクリ。

一瞬の沈黙。その直後、周囲から一斉に冷たい視線を浴びた。つまり、店主はまだ『肥後のいっちょ残し』(もう十分に足りていますよ、の意味)という風習を知らなかったのだ。

その気まずい雰囲気の中で、母はこう言ってのけたのだそうだ。「偉かぞ○○。これからの人生も、今のように〝積極的〟に生きていけよ!」と。

「躾(しつけ)云々の前に、自分を励ましてくれた母。そんなことがあったので、借金なんかに負けてたまるか!と思えるようになれたのです」という。     -つづく-


2013/01/25

倫理経営講演会②…自分と未来は変えられる

倫理研究所の創始者、丸山敏雄はご当地とも縁が深い。戦前は長崎女子師範で教頭を務めていた。

研究所を創設したのは終戦後間もない昭和20年9月3日。現在は、会員企業約5万8000社。全国に680支部があり、昭和33年に発刊した『職場の教養』は毎日100万人の方々に読んでいただいている。執筆者は70人。

少し個人的な係わりについて話すと、研究所に入ったのは昭和61年。その前は熊本で建設会社を起こして(昭和56年)経営していた。同年、倫理法人会入り。

当時は社会全体の経済状況も良く経営も順調に運んでいたが、昭和58年8月14日、運命を変える〝出来事〟に遭遇した。宅地造成で出た廃材の焼却作業に当たらせていたアルバイトの学生が爆発事故を起こしてしまったのだ。

彼は熊大教育学部の4年生で、教員採用試験にも合格していた。事故そのものは彼の不注意によるものだったが、卒業を前にして大ヤケドを負わしてしまった〝現実〟に、社長として痛切に責任を感じた。

自分自身、どうしていいのか判らなくなって、その時「倫理指導」を受けた。そしてこう言われた「貴方は急ぎ過ぎ。だから事故も起きる」と。

ただ、理屈では分かっても、どう対処していいものか…答えは見つけ出せずにいた。もっと端的に言えば、早く〝現実〟から逃げ出したかった。

その際、こういう指導を受けた。「出来る、出来ないは別として、とにかく(親御さんから)要求があったら皆受けろ!」と。

最初の要求は「病院を移りたい」というものだった。私は恐れた。ここで決断を間違えば、一人の若者の人生を滅茶苦茶にしてしまう…。

幸い、病状は奇跡的に回復し3カ月後には退院。そして、翌年には教壇に立つことも出来て、心底ホッとした。

以上、我が身の辛い体験談をお話したが、長い人生の中では誰しも、「苦難」や「悩み」に遭遇するもの。そこで、「より良き人生を!」ということで「宗教」を信仰する人もいる。

私どもの場合は、宗教とは異なる「倫理の実践」を提唱している。つまりは、人間として「当たり前のこと」を、どう実践していくかに重きを置いている。

実践のキーワードは「(状況を)変える」ということだ。そうは言っても、「世の中はそうそう簡単に変えることは出来ない」と言う人もいよう。

確かに、それはそうだが、1つだけ瞬時にして変えることが出来るものがある。それは「自分自身」と「(自分の)未来」だ。思い込みによる「固定観念」を打ち破って、「自己革新」を図る必要がある。

より率直に言うなら、自分自身の「選択」と「決断」の結果が、「今」(現実)なのだ。   -つづく-


2013/01/24

倫理経営講演会①…微差は大差につながる

〈大丈夫だろうか?集まるかな…〉。橋本卓也さん(島原倫理法人会会長)の心配は〝杞憂〟に終わった。つまり、25日夜に有明町総合文化会館で開かれた平成25年度初の「倫理経営講演会」は、満堂の聴衆で埋まったのだ。

講師は、東京に本部を置く「倫理研究所」(社団法人)で常任理事(法人局長)を務める内田文朗さん。『運命は自らまねく』をテーマに約1時間にわたって熱弁をふるった=写真。またそれに先立って、㈱あおぞら福祉会(山本登志之社長)による『活力朝礼』(実演)も披露され、会場は冒頭から〝熱気〟で溢れた。

講演は自らの〝実体験〟に裏打ちされた、聴き応えのある内容だった。以下、翌朝のモーニングセミナー(南風楼)での講話『実践力を磨く』と合わせて、その〝要点〟を取りまとめてみる―。

微差は大差につながる】=2011年3月11日午後2時半過ぎ、仙台市内から移動して山形グランドホテルに居た。突然の大地震。そんな中でも、倫理法人会会員である同ホテルの従業員の動きは素晴らしかった。

まずは電気が消えた中での客の避難誘導。フロアごとに人員を配し整然と行われた。ロビーにはいつしか、山のようにオニギリが積まれ、通りすがりの人々にもふるまわれた。

人間というのは「混乱の極」にあっては不可解な行動をとるものだが、ふだんから安全対策等の従業員教育に力を注いでいた同ホテルでは、実に落ち着いた行動で難を乗り越えた。

「倫」とは、一言でいえば「人間集団」のこと。モノと違って「1+1=2」になるとは必ずしも限らない。マイナスだってあり得る。ただ、やり方次第では「5」にも「10」にもなる。

見落としてならないのは「システム(仕組み)づくりの重要性」。人が集まる目的は何なのか?自分自身の役割は何なのか?そこには自ずと「理」(ルール)が求められる。

翻って言うなら、日々の「朝礼」は、「プライベートな自分」を「仕事人間」に切り換える〝儀式〟のようなもの。これをないがしろにしていれば、組織体としての会社の存続発展は危うくなる。「微差は大差につながる」という所以(ゆえん)はここに在る。

先ほど見させていただいた、あおぞら福祉会の「朝礼」は掛け値なしに素晴らしかった。講演で全国至る所を訪ねているが、ほぼパーフェクトに近い「トップクラス」だと、つくづく感心した。  -つづく-


2013/01/20

岩手・一関市で採用!!…「FMプラぷら」に熱い視線

地中の虫が動き始めるという「啓蟄」(けいちつ・3月初旬)までにはまだまだ相当あるが、ここ二十日ほどの自分自身を振り返ってみると、今年はいつになく早いスタートが切れているように思う。

その1つがスマートフォン(スマホ)やタブレット端末で、世界中どこにいてもお気に入りのラジオ放送を聴くことが出来る「FMプラぷら」の動向だ。

昨日、一昨日と本欄で、その使用方法(無料アプリのダウンロードの仕方)について広告をさせていただいたが、ついに東日本大震災の被災地の1つ、岩手県一関市での導入が決まった。

内陸部に位置する同市は陸前高田市などの沿岸域と違って津波被害こそなかったものの、それでも、主要道路が各地で決壊するなど、総額で250億円を超える手痛い打撃をこうむっている。

17日は、あの阪神大震災から18年目を迎えたが、日本列島全国、本当にどこにいても、災害発生の可能性は否定できない。いや、今後も必ず起こる!

そうした中、弊社が開発の一翼を担った「FMプラぷら」は現在、一コミュニティFM業界内にとどまらず、関係各方面から熱い視線を集めている。

実は、一昨日も「この『緊急防災システム』をいかに全国に向けて普及させていくか」について、県外に出張し〝情報交換〟を行ってきたところだ。

当事者の一人として痛感しているのは、その期待値の高さ。「『防災は島原から』の意気込みでこれからも取り組んで下さいね」。いつも会う人ごとに、そう激励される。

もちろん、スタッフ一同、その「思い」を胸に、さらなる性能の向上と普及拡大に向けて精進していくつもりだ。話は相前後するが、一関市の前に、地震の頻発地帯である長野県伊那市からも発注をいただいている。

昨年8月1日、島原市役所で「記者会見」を開いて5か月強。「牛歩」のあゆみのようにも思えるが、日を追うごとに着実に根付きつつある「実感」も覚えている。

災害は起こらないに越したことはない。そんなことは誰でも考えていることだが、先ほども述べたように、「いつ発生するか分からないのが災害」というもの。県外各地から寄せられる「問い合わせ」の報を聞きながら、この仕事に係わっている「責任の重さ」を改めて思う。

冒頭で「啓蟄」の表現を持ち出させていただいたが、筆者自身は何の取り柄もない「虫けら」のような存在である。でも、「一寸の虫にも五分の魂」という言い方もある。この世に生を享けた以上は何らかの「生きた証し」を残さねば。

2年目を迎える「3・11」まで後50日強。まだ寒いけど、少しだけ早めに「蠢(うごめ)いて」みるか!?


2013/01/11

筆者は「二つ折り」派…お札に怨念があるってか?

今のシーズン、各百貨店の紳士用品コーナーを歩くと、新規に入荷した財布や名刺入れなどが所狭しと並べられている。

客寄せのためにドラッグストアの店先に山積みされた歯ブラシなんかとは百倍強も〝値段〟が違うわけだから、そうそう簡単に買うわけにはいかない。

しつこくまとわりつく店員さん(大概は年配の女性)に冗談を飛ばしながら、まずはモノより先に値札を見る。ただ、欲しい商品は決まって高い。結局、買わずにその場を立ち去るのがいつものパターンだ。

時に、何の根拠か知らないが、この前行った売場にこんな広告コピーが貼られていた。曰く「成功する男性は長財布を持ち歩いている」と。

確かに、筆者の場合は成功者とは程遠い財政事情でもあるし、毎日持ち歩いているのはヨレヨレの二つ折りタイプだ。その意味では、正しい。

ならば!長いタイプにした方が…と迷わないでもないが、背広を着る機会はそうそう多くもないし、普段からズボンの後ポケットに無造作に突っ込んでばかりいるので、短い方がより盗まれる危険性も低い。 

といった次第で、今年も二つ折りで通すことにしている。ただし、どなたか奇特な方がおられて、プレゼントとして長財布を下さるようであれば、その限りではない!?

実は、これまでも長財布をまったく持たなかったわけではない。もうかれこれ15年以上も前のことになるが、友人の娘さんからダンヒル社製の超高級品を頂いたことがある。

堅固な造りといい、肌触りといい、すべてにおいて満足のいく出来合いで、とても気に入って持ち歩いていた。ところが、ある日のこと―。

まだ幼かった三男坊が朝から大声をあげて叫んでいる。「お父さん、トイレの中に一万円札がプカプカ浮かんでいるよ。それから黒い財布も」と。

酔眼朦朧としたまま布団から抜け出てトイレに向かうと、確かに三男坊の言う通りだ。それに、あれは私の大事なダンヒルの財布ではないか!

幸いにして、いったん水を流した後だったようなので○○○は付いていなかったが、家人をはじめ家族全員から大いに不興を買ったことを覚えている。

もちろん、財布もお金もすぐに拾い上げて洗浄は済ませたが、以来、ズボンの後ポケットから落ちやすい長財布は〝原則〟持たないことにしている。

ところで、10日付の日経新聞社会面に面白い(?)詐欺の記事が出ていた。他人の懐具合を見て、「貴方のお札には怨念がこもっている。私に預ければ浄化してあげる」などと、言葉巧みに1千万円強も取り上げたのだそうだ。

まあ、騙す方も騙す方だが、差し出す側の人間もどうかしている、と思う。


2013/01/10

漢字で書くと「朽縄」…一皮むけるか?安倍新総理

最近でこそ余り耳にしなくなったが、筆者が小さい頃は、よくヘビのことを「クチナワ」と呼んでいた。てっきり今日の今日まで、その漢字表記は「口縄」とばかり思い込んでいた。ところが、改めて広辞苑を引いてみると、「朽縄」と書かれているではないか!

驚くの何のって!野道で突然、ヘビに出くわしてしまったような心境だ。余談ながら(蛇足か?)、「口縄」とは牛馬を引く縄(口取り縄)のことだそうだ。

再び「朽縄」の話に戻る。つまり、その意味は「腐った縄のようなもの」との説明。だとすれば、そんなに怖がる必要もないのだろうが、個人的な好悪の感覚からすれば、「ヘビ」ほど苦手な動物はいない。

まず、あの形状。のそっと大地に横たわったり、とぐろを巻いてみたり…。思い出すだけでも身の毛がよだつ。目つきがまたいやらしい。折あらば噛みつこうとしているかに見える。本当に心から希(こいねが)う―「世の中に絶えて『朽縄』のなかりせば…」と。

とは言っても、現実問題、その存在は厳然としてある。十二支の中にだって、しっかりと位置付けられている。いや待てよ!辰(龍)は確か、想像上の生き物だったはずだが…。

まあ、そんなこんなで「巳年」を迎えて、はや十日が過ぎた。一昨日、福岡市内のホテルで開かれたCATV業界の賀詞交歓会では、来賓各氏が「ヘビ」にちなんだ挨拶をされていた。

また、3年3カ月ぶりに政権の座を奪還した自民党の新総裁こと安倍晋三総理大臣は、経済三団体の新春祝賀会に招かれて「私もこの際一皮むけて…」などとご機嫌な様子で祝辞を述べておられた。

経済人であろうが、政治家であろうが、トップに立つ人の〝責任〟は大きい。いずれにしても「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」とも言うから、その〝専門性〟を存分に活かして、何とかこの不況を克服して欲しい、と願う。

ところで、「なぞなぞ」のような問いかけで恐縮だが、ヘビの尻尾の見分け方をご存知か?頭の部分を除いてカラダ全体が尻尾のような感じもするが、答えはひっくり返してみれば、明らかなのだそうだ。

「答え」を雑学本から引く―。ヘビの腹部にはウロコのような模様があって、大きな部分が「腹板」とされ、その先に少し小ぶりの「肛板」(=尻尾)が続いているのだそうだ。

また、ヘビには鼓膜の付いた耳はないとのこと。従って、コブラがあたかも笛の音に合わせて踊っているかのように見せる「ヘビ使い」の技は〝ペテン〟なのだそうだ。

昔よく聞いた科白に「インディアン、嘘つかない」というのがあったが、はてインド人は…。ちなみに、コブラは音ではなく足踏みなどの〝振動〟による刺激によって動いているのだという。


2013/01/06

故郷の山!故郷の海!…登山と寒中水泳でスタート

2013年―。新しい年をお迎えになって、皆様、清々しい気分にひたりながら日々お過ごしのことと存じます。

弊紙元旦号の本欄の中でも申し上げておりました通り、我が家では「初正月」だったため、年賀状の類いは一切失礼させていただきました。

生来の「怠け癖」で事前に告知することもせず、多くの方々に心温まる沢山の年賀状を賜りました。誠にもって申し訳ございませんでした。近いうちに「詫び状」を送らせていただきます。

さて、「初正月」とは言っても、今年の「始動」はいつになく早いものでした。元旦の日こそ一日中、自宅に籠もっていましたが、2日朝には早速、「冬山登山」に挑みました。

「眉山」に登ってきたのです。時おり薄日の射す肌寒い日和でしたが、往復約3時間をかけて、じっくりと「故郷の大地」の感触を噛みしめてまいりました。

途中、何度か立ち止まって、啄木鳥(きつつき)が近くにいることを察知しました。耳を澄ませていると、どこからともなくトントントンという例の「突き音」が聞こえてきたのです。

〈何も正月早々からそんなに働かなくても…〉と訝る一方で、〈はて、その本来の鳴き声やいかに?〉という素朴な疑問もわいてきました。どなたかご存知の方がおられたら、教えて下さい!

七面山の山頂(標高818・7㍍)には残雪が薄っすらと積もっていました。「初正月」なのにお参りしていいものかどうか迷いましたが、護国寺さん(岩永泰賢住職)が管理されている神社なので、「まっ、いいか!」とご神殿に上がらせていただいて参拝。

踵を返して、眼下に広がる「島原の街並み」をしばし、観察してきました。一説によれば、この七面山一帯は島原きっての「パワースポット」だそうです。

明けて3日朝。今度の行き先は「海」。島原市水泳連盟とサン・スポーツが毎年主催している「第18回新春寒中水泳大会」(猛島海岸)に参加してきました。

気温5度。強い北風が容赦なく吹きつける中、老若男女合わせて約30人の仲間とともに、水温8度の有明海を目指して突進。

少しだけ泳いではみたものの、とても「水泳」と呼べるような恰好ではありませんでしたが、身を切るような冷たさの中で、改めて「生きていること(の有難さ)」を実感いたしました。藤田昭比古会長をはじめ、関係者のご尽力に深謝!!

といった次第で、筆者の新年は「故郷の山」「故郷の海」に〃同化〃することからスタートを切りました。果たして、2013年はどんな年になるのでしょうか…?

年々、衰えゆく体力とも相談しながら、何とか無事にこの1年を送っていきたいと願っております。皆様方、今年もどうぞ宜しくお付き合い下さい。


2013/01/01

ふたたび原点に戻って…ローカル紙の使命を痛感!!

読者の皆様、明けましておめでとうございます。まずもって2013年(平成25年)が皆様にとりまして「素晴らしい年」であるよう、心よりお祈り申し上げます。

さて「正月」と言うと、「年賀状」のことがまず思い浮かびますが、あいにく我が家は「初正月」(一昨年暮れに叔父が死去)のため、失礼させていただいております。

ならば、「冒頭の表現はおかしいではないか!」とのお叱りを受けてしまいそうですが、そこは一つ〝決まり文句〟ということで、平にご容赦下さいませ。

だいたいこの原稿もそうですが、年も改まっていないのに「バーチャルな〝正月気分〟で賀状を差し出すこと」にはいささか抵抗を覚えます。本来「年賀状」とは年が明けてから、居住まいを正して書くものだと、何かの本で読んだことがあります。

とまあ、のっけから〝屁理屈〟をこねくり回して行数稼ぎをしております。スミマセン…。

昨年の本欄は「断・捨・離」をテーマに、「モノ」と「ヒト」の優位性について駄弁を弄しました。しかしながら1年経ってみて、その十分の一も実践出来ていない自分自身の存在に気付いて、何とも恥しい限りです。

そんな心境にいますと、「諺」や「格言」は誠にもって核心を衝いた巧みな言い回しだな、と今さらながらに感心しています。さしずめ、筆者の行為の愚かさは「言うは易し、行うは難し」といったところでしょうか。

ところで、さはさりとて、こんな筆者ですが、年頭に当たって(とは言っても、師走選挙明けの混乱した頭の状態ですが…)、決して何も考えていないわけではありません。

否、それなりの〝思惑〟はきちんと持っています。勿論それは、重大な責任を持たされている紙齢115年目を迎える「島原新聞社」の経営全般についてであります。

ローカル紙の経営については、その〝本場〟とも言えるアメリカ合衆国でいま、何とも摩訶不思議な現象が起きているそうです。

ご多分にもれず彼の地でも、インターネットメディアの普及で、深刻な〝活字離れ〟の傾向が急速に進んでいる、とか。

その影響はワシントンポストやニューヨークタイムズといった、世界的にも有名な大手紙も無視できないところまで進んできている、とも言います。

大手でさえそんな状況ですから、もとより経営基盤が脆弱な地方紙にとっては、それこそ〝死活問題〟のはずです。

ところが、何と「投資の神様」と呼ばれる、ウォーレン・バフェットという80歳を超えた、世界でも屈指の投資家が、全米各地の地方新聞社の株を次々と買い集めている、というのです。

なぜでしょう?昨年7月6日付けの朝日新聞(国際版)によれば、その時までに、すでに63社を傘下に収めた、と言います。

10代の頃に新聞配達をしながら株式を買うという経験を積んできたので「その〝愛着〟から」といった、やや情緒的な見立てもあります。その一方で、「いやいや〝地域貢献〟に他ならない」とする人もいます。

遠く離れたニッポンの島原半島に居ては、それを確認する術もありませんが、ナゾを解くカギの1つは「〝地域密着〟である」とする説が有力なようです。少なくとも、筆者はその説を支持することにしています。

ついでながら、その日の朝日新聞に、同氏が買収した新聞社の発行人らに出した手紙の要旨が紹介されています。いささか長くなりますが、その一部を引きます。

【新聞経営のビジネスは劇的に変わっているが、自らのコミュニティーについて精力的に報道する新聞には明るい将来があると信じている。町で何が起きているのかを気にしている人にとって不可欠な新聞をつくるのが、あなたたちの仕事だ】

【それは、記事の量を保ち続け、地域生活のすべての面、特にローカルスポーツを十分に報道することを意味する。自分の隣人についてのニュースを途中でやめる人はいない】

【紙とデジタルの最適な融合をひねり出すための、最良の考えが欲しい。(中略)米国の新聞が経営破綻したのは①町に競合紙が二つ以上あった②読者にとって大事な情報の主要な発信元としての立場を失った③広く共有されている町のアイデンティティーがない――のいずれかの場合だけだ】

手紙はさらに続くのだが、ここまで読み進んだところで、筆者はハタとヒザを打ちました。「そうだ、その通りだ!」と。

もっと言うなら、「島原新聞」の背後には〝仲間〟そして〝身内〟とも言える「ケーブルテレビ」も「FMラジオ」も控えています。それがまたそれぞれに、「今年こそは!」と、近々〝新機軸〟を打ち出す予定です。

政権が変わっても、皆が皆そうそう期待するほど極端に経済環境が好転するとは思えません。しかしながら、「郷土紙」としての原点に立ち返って地道な努力を重ねていけば、必ずや〝活路〟は拓けていくはずです。

皆様方の倍旧のご支援とご指導のほどを、今年もどうぞ宜しくお願い致します。頑張ります!!