2013/10/29

これからは〝半信半疑〟…天草産がブラックタイガー!?

古川市長(島原市)がまだ「りゅうちゃん」だった頃。すなわち、市議会議員になる前の話。たまたま東京都内の出張先でバッタリと出くわした。

「いやいや奇遇(きぐう)ですな」(筆者)。「まったく!泊まりはどこですか?」(りゅうちゃん)。「○○ですよ」(筆者)―。そんな会話の後、宿泊先での朝飯の話になった。

すると、りゅうちゃんがこう言った。「ホテルのバイキングもよかでしょが、ボクたちは築地に鮨ば食いに行こうと思っています。よかったら、一緒にどがんですか?」。二つ返事で約束して、翌朝早く指定された待ち合わせ場所へ。

りゅうちゃん一行は何人かいて、人ごみを縫うようにして目指す鮨屋まで辿り着いた。そこまでは良かったが、人気の店らしくすでに長蛇の列が並んでいた。

見るとはなしに暖簾を見上げると、店の名は「龍寿司」。「りゅうちゃんが紹介してくれた龍寿司か。何となく美味そうではないか…」。

その期待はバッチリ当たって、次々と出される新鮮なネタを心ゆくまでパクついた。店の雰囲気もあったろうが、「正直、こんな安くて美味い鮨は初めてだ」とうなった。

カウンター越しに店の大将に話を聞くと、『築地だからあらゆるネタにこだわっているよ』との返事。そして、こうも―。

「お客さんたちは九州かい。そうだね~、九州からのネタと言ったら、天草産の『車エビ』は味がいいから、うちでもよく使ってるよ!」

なぜ、10年も前のこんな話を持ち出したかと言うと、昨晩の民放テレビで件(くだん)の阪急阪神ホテルズの〝産地偽装〟の問題を取り上げていたからだ。

報道によれば、スーパーなどでよく見かける外国産のブラックタイガーを、「天草産車エビ」と称して客に供していた、という。

前回も書いたが、「阪急&阪神」と言えば、日本を代表するコングロマリット企業の一つ。ましてやその傘下にあった〝超高級〟で名高い「リッツ・カールトン」でも、そんな〝まやかし〟が堂々となされていたと聞けば、何をか言わんや!である。

2020年の東京オリンピック開催を大きく引き寄せた、滝川クリステルさんのジェスチャー効果で「おもてなし」という日本語の本来的な意味が急速に話題となっているが、それを〝金科玉条〟とせねばならないホテル業界でそんな不埒な考えがまかり通っていたとは…。

文法を無視して言えば、同ホテルズの経営には「裏があった」ということ。これまでは、それを総じての「表なし」ではなかったか、とつい〝皮肉〟の一つもたたきたくなる。

ついでに言えば、昔腹を抱えて笑った駄洒落の「阪急・・ベリーマッチ」はまったくの嘘っぱちだし、これから阪神の言うことは「半信・・半疑」で聞かねばならない!?


2013/10/27

唐津は素晴らしい街…災対に政治信条は無関係

九州地区のコミュニティFMの集まりがあって、佐賀県唐津市で一泊してきた。どういうわけか今年は妙に〝唐津づいて〟いて、四度目の訪問である。

会議そのものは型通りに進み静かに幕を閉じたが、その後の懇親会はやけに盛り上がった。唐津と言えば、何はさておいても「イカ料理」である。

会費は酒代込みでポッキリ3千円であったが、卓上にはメーンの「活きづくり」が何鉢も並んだ。脇にはそれぞれお手頃サイズの金バサミ。

他県からやって来た連中は「一体なに?」と怪訝な表情を浮かべていたが、「こうやって足の部分を切り離すんですよ!」と訳知り顔で教えてあげた。

実を言うと、前にも一度ご相伴にあずかった店だったので、〝復習〟のようなもの。周囲が「ホー!」とタメ息をついて眺める。罪のない〝知ったかぶり〟もたまにはいいものだ。

中締めが終わって表に出ると、どこからともなく響いてくる笛や鉦、太鼓の調べ。来月2日から始まる「唐津くんち」(~4日)の練習だという。

前にも聞いたことがあるが、祭りの期間中は、どこの家でも料理を用意し、見知らぬ人でも上がり込んでご馳走になれる、という。いまどき、随分と気風のよい土地柄ではないか!

街中を歩いていて感じるのは、得も言えぬ城下町の風情。古い建物をリメイクして飲食店としている所が何軒もあった。この点などは島原も少し学んだらどうだろう。

そのうちに、ふと思い出したことがある。今を遡ること22年前、普賢岳噴火の被災者の人々を励まそうと、確かバス3台かで「唐津くんち招待ツアー」が実施されたのではなかったか?

個人的にはまだ見ぬ勇壮な祭りであるが、過去に受けたそうした〝恩義〟のことを思い出すだけでも、何やら目頭に熱いものを覚えてしまった。

ところで、昨今の自然災害と言えば、何とも沢山あるが、記憶に新しいところでは、やはり東京都大島町の土石流だろう。

台風の行方も気になっていたのでホテルに戻って早速持参したタブレットを開いてみたら、夕刊フジが週刊新潮の特ダネをもとに、同町の川島理史町長の災害発生当日(今月15日)の〝行状〟を暴いている。

記事の内容は、出張先の島根県隠岐の島町で、台風豪雨の対応に追われている町役場とも余り連絡を取らず、11時間も飲酒をしていた、というもの。

その指摘自体は「トップとしての責任感」「危機管理」の観点からしても、正鵠を射たものと言えるが、「共産党云々」のくだりは果たしていかがなものか…。

災害時の対応においては〝政治信条〟など一切関係ないはず。なぜ、そうした〝論調〟になるのだろうか?取りあえず、同誌を買ってみよう。


2013/10/26

本人の知らぬ間に…えっ「保険」も「戒名」も

昨日、昼食を摂るために自宅に戻ったら、母や家人、妹らが何やらヒソヒソ。〝鳩首会議〟といったような雰囲気だった。

ひとつ咳払いをした後、大きな声で「ただいま!」と帰宅した旨を伝えた。と、ビックリしたような全員の表情。即座に「これは何かあるな」と直感した。

問い質してみると、筆者にかけた「保険金」の内容について協議していた、とのこと。「マジかよ?」と笑い飛ばしてその場を取り繕おうとしたが、どの顔も真剣そのものだった。

東洋経済オンラインによると、昨年中に亡くなった日本人の数は126万人。一方、生まれてきたのは104万人で、その差は22万人。

かくして、「葬儀ビジネス」はピーク(死者167万人)を迎える2040年まで拡大、そして激変していくとの予想である。

話を我が身の回りに移す。昨年から今年にかけて伯父二人が相次いで亡くなった。筆者も通夜・葬儀に参列したわけだが、その際に気になったのは、それぞれ菩提寺のお坊様から授かった「戒名」のこと。

祭壇に飾られた白木の位牌には、仏の〝生き様〟をぐっと凝縮したような漢字が奇数で描かれている。「巧いな」と感心する反面、生前の元気な頃の姿を思い出して「虚しさ」も覚える。

その「戒名」の一歩前、すなわち「遺言」の話で有名なのは、戦後、吉田茂総理の秘書官として活躍した白洲次郎さんのそれ。例の「葬式無用、戒名不要」というやつだ。

白洲さんと言えば、英国留学中から高級車ベントレーを乗り回し、日本に初めてGパンをもたらした、モデルのようなカッコイイ男性として有名だ。

前述の「遺言」は、だからこそ余計に、輝きをもって後世まで語り継がれているのだろうが、果たして我が身の行く末を考えた場合は如何?

昼食後、つとに平静さを装って家人らに尋ねてみた―「で、ボクの保険金は幾らね?」「○○○円よ」「意外と安かね」「そう、その程度じゃ」「……」。

そんなやりとりの後、次は「戒名」の話になった。「やっぱ、僕の場合は名前からして『眞』の字の入っとじゃろかい?」「ハァ~なして?アナタのはもう決まっちょるよ」。

えっ!こんなにピンピンして日夜を問わず(?)飛び回って働いているのに「保険金」も「戒名」も、本人が全く知らない間に決められているなんて!?

呆然自失。しばし目の前の光景が信じられなくなったが、意を決して尋ねてみた。「で、ボクの戒名は…?」

全員が口をそろえてこう返してきた。「『無』(ぶー)よ、『無』(ぶー)。カッコよかろ。インドの哲学みたいじゃ」。

「『ぶー』てか?せめて『む』と読んでくれんじゃろかい」。〔※お断りしておきますけど、家でのやりとりはすべて〝事実〟です〕


2013/10/25

水に流せるものか!?…阪急阪神ともあろうものが…

恥ずかしながら、まずは〝訂正〟から―。昨報の中で「連城」とすべきところを「蓮城」と2カ所、誤表記していました。

幸い、見出しは間違っていなかったので、黙っていればバレなかったかも知れない…。だが、NHKの全国ニュースでも紹介された「島原城レンコン掘り大会」の主催者の一人でもあるMM氏のモットーは「正直が一番」。ここは一つそれにあやかって…。

ところで「正直云々」で言えば、すぐに思い浮かぶのは、数日前からテレビ&新聞が盛んに取り上げている「阪急阪神ホテルズ」のコンプライアンス(法令順守)の問題であろう。

「阪急」「阪神」は関西を代表する名門企業。ともに私鉄経営のかたわら、デパートやホテル事業等々にも進出するなど、その知名度は全国でも有数のはずである。

しかし、規制緩和の波に乗って続々と押し寄せてくる海外資本などとの対抗上、両グループはいち早く決断し、〝資本提携〟に踏み切った。2007年のことだった。

持株会社の名称は、双方の頭文字である「H」から取って「エイチ・ツー・オー・リテイリング㈱」とした。

そこまでは何の問題もない。むしろ、長年の伝統やしがらみを断ち切って、よくぞ〝新体制〟を作り上げたものだ、と拍手を送りたいくらいだった。

九州でも、新幹線鹿児島ルートの開設に合わせて、新博多駅ビルが完成(2011年)。主要テナントの阪急百貨店は今も連日、多くの買い物客を集めている。

今回、問題となっているのはそうした百貨店や旅行業ではない。球団経営とも無関係なホテルやレストランなどの飲食部門で、一言でいえば〝産地偽装〟である。

昨今のグルメブームを逆手に取って、通常ではなかなか手に入らない食材を「○○産の△△ですよ」と銘打ち、8年近くも客の舌を誤魔化してきた、とか。

悪質である。それによって望外の利益を上げていたとしたら、本来の〝商道〟を大きく逸脱したもの、と断じざるを得ない。

東急など関東の私鉄経営者が〝鏡〟とした「沿線開発方式」を編み出した、泉下の小林一三翁(阪急東宝グループ創業者)は今頃どうされているだろう。きっと、大いに怒り狂っているはずだ。

報道によれば、同ホテルズは「返金に応じる」と言っているそうだが、どうやって「客か客でないか」を見分けるのだろう。社用族ならともかく、家族で食事に行くのにいちいち領収証を何年も保管している人などいるはずがない。単なるポーズか…。

いずれにしても、今回の〝失態〟はそのまま見過ごすわけにはいかない。何だって!「エイチ・ツー・オーだからそのまま〝水〟に流して…」てか?

そうは〝世間〟と言う問屋が卸すまい。


2013/10/24

蓮の花と故・連城さん…本人死しても作品は残る

直木賞作家でもあった真宗大谷派の僧侶、蓮城三紀彦さんの訃報記事(19日死去)が、各紙の今朝の紙面に載っていた。享年65歳は余りに早過ぎる気もするが、これもまた〝寿命〟と思えば仕方がない…。

第91回直木賞(昭和59年)の受賞作となったのは、『恋文』という短編集。後に神代辰巳監督によって映画化された。

当時、連城さんは大好きな作家の一人で、手当たり次第に関連作品を買っては読んでいた。今となってはどの本だったか忘れたが、「蓮の花が咲く際の描写」には、余りの巧さに思わず唸ってしまったことを覚えている。

もちろん、それまで蓮の花などじっくりと眺めたことなどなかったので、まずは驚いたわけだ。蓮城さん曰く「音がする」というのだ。

それが「ポッ」なのか「ポーン」なのか想像だに出来なかったが、縁あって島原城のお膝元で暮らすようになって、求めれば叶う環境下に―。

ちょうどその頃(昭和末期)、筆者は写真に凝りだし、西川清人門下生として何かと言えばカメラを持って走り回っていた。無論それが〝商売〟でもあった。

或る夜、いつものように西川邸で酒をかっくらっていた時、偶然にも「お城の蓮」の話になった。と、そこで筆者が連城作品の一節を伝えたところ、西川さんが俄然目を見開いてアドレナリンを出し始めた。

その晩、筆者は早めに帰って寝たのだが、翌朝になって西川さんから電話がかかってきた。「モシモ~シ、早よ来んね!堀端でパンパン音んしよるけん」。

西川さん一流の軽いジョークだと思ったが、一方で「本にも書かれているので本当かも知れない…」という気もしてきた。とにもかくにも〝現場〟に行かねば!

息せきって八尾病院前まで駆け付けると、西川さんはすでに梯子を伝って下へ降り、悠然と三脚を構えて待ってくれていた。

「どがんやった西川さん。ほんて音んしたと?」。一瞬の沈黙の後、西川さんが前歯の欠けた口を開いてニヤッと笑った。「聞こえんやった。ばってん、良か写真の撮れたぞ!」。

西川さんからいただいたその写真は、今も我が家の〝宝物〟。そしてお盆のシーズンには、床の間に出して飾っている。

思えば、西川さん(享年49歳)が亡くなったのは今から13年前の2000年10月21日。月日が経つのは早いものだ…。

しかるに、5つも年下の筆者はまだ、こうして馬齢を重ねる身。連城さんにせよ、西川さんにせよ、才能豊かな人はおしなべて〝短命〟である。

「清人ん代わりに、ワイどんが逝けば良かったったい」。悲しみの余り、そんな〝毒舌〟をぶつけたきた、どこぞのバアチャンは90を過ぎてもまだまだ元気だ。それもまた良し!!


2013/10/23

ご先祖様に叱られる…〝夢〟と消えた3.9億円

なにっ、佐世保で8億円の「ロト7」(数字選択式宝くじ)が出たってか!?確かに、16日付けの長崎新聞がそう報じていた。

記事によれば、売場は同市内を代表する繁華街の四ケ町。「キャリーオーバー」(繰越金)が積もりに積もって、とうとう〝史上最高額〟に達したものだという。

当たる確率はナント1029万5472分の1。これまでに全国で5例があるが、もちろん県内では初の画期的な出来事。その後に当選者が申し出たのかどうか知る由もないが…。

と、ここまではあくまでも〝他人事〟。実を言うと、筆者も先の上京の折に、「オータムジャンボ」という宝くじを買っていたのであります。

売場は、多くの乗降客でにぎわう新橋駅のSL前広場。昼間に一仕事終えて、取引先の人と「一杯やろうか」ということで、時間待ちをしている間に、売り子の声に誘われてつい…。

「1等3億3千万円。前後賞合わせると、3億9千万円。外れても3万9千円の『サンキューオータム賞』が沢山(数字は忘れた)ありますよ!」。

ちょっとだけ迷ったが、財布の中には京都で貰った舞妓は~んの〝お金が舞い込む名刺〟を大切に保管しているので、「少なくともおまけの『サンキュー賞』くらいは…」と〝助平心〟がムクムクと頭をもたげてきてしまった。

「スイマセン、9千円がと・・下さい」。「えっ、がと・・?」「いやー、その9千円分という意味です」―。かくして、バラ券30枚をしっかりと手にして帰郷。

そして、待つこと2週間強。実は18日が当選番号の発表会だったのだが、なかなか怖くて確認出来なかった。殊に、その数日前に佐世保で〝大当たり〟が出た直後でもあったので、なおさら…。

専用の封筒3通に入ったクジ券はまず、唐津・宝当神社で仕入れてきた、神棚型のトレーに飾り、次いで仏壇前に供えた。そして毎日〝願い〟を込めて、懇ろにお参りした。

19日、20日、21日が過ぎた。そして今日(22日)になって、とうとう我慢しきれずに、ネットを開くことに。

結果は、末尾の1ケタ番号が当たったものが、わずかに3枚。〆て900円也。トホホ…。佐世保では8億円を射止めた人がいるのに、たったこがしこ・・・・。チクショー先斗町の女ギツネめ。

いくら泣こうが喚こうが、結果は結果である。それに一時ではあったが、「当たったらどうしよう!こうしよう!」の〝夢〟をみたではないか。

そう自分自身に言い聞かせながら、仏壇にお礼参りをしていると、位牌の向こう側からこんな〝お叱り〟の声が響いてきた―「バカたれが。一獲千金などもっての外。もっと額に汗して働け」と。

ごもっとも!「夢は砕けて夢と知る」(阿久悠)。


2013/10/22

明日は咲こう花咲こう…元気が出るよ「秋桜公園」

最近の楽曲は余りに早過ぎて、とてもじゃないがついていけない。おっつけ、もう半世紀も前の歌謡曲なんぞを知らず知らずのうちに口ずさんだりして、時おり顔を赤らめている。

一番多いのは石原裕次郎バージョンだが、元祖〝御三家〟の曲も比較的多い。他でもない、昭和30年代後半から40年代にかけて一世を風靡した、青春歌謡界の大御所的存在であった橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦―の三氏のことだ。

筆者の記憶に間違いがなければ、それぞれの所属レコード会社は順に、ビクター、コロンビア、クラウンだったはずだ。これにもう一人三田明さん(この人は確かビクターだった)を加えて、〝四天王〟と呼ばれていた。

橋さんの場合は、吉永小百合さんとのデュエットで大ヒットした「いつでも夢を」が、先のNHK連ドラ「あまちゃん」の中でも取り上げられて(ご本人も出演)、拍手を送られた年配の方も多かったのでは。

前置きが長くなってしまったが、今日取り上げたいのは三田明さんの「明日は咲こう花咲こう」という歌。なぜ急にそうなったのかと言うと、仕事の間隙をぬって見にいった上折橋町の「秋桜公園」の素晴らしさに、大いに触発されてしまったからだ。

始まりはテンポよく「可愛い蕾が花になる/花は散っても実は残る/その実がこぼれて花が咲く♪」と来て、ついで「はじめひとつの花の実が/いつかは大きな花園に♪」とサビの部分に入る。

そして最後は「暮しの中に根をはろう/あなたもわたしもみんなみな/明日は咲こう花咲こう♪」といささか〝教条的〟だ。ただ、時代が右肩上がりだったせいか、押しつけがましさは余り感じなかった。

と言うより、子どもの頃はそんな事など考えず、芸能界の華やかさにある種憧れを抱いて、ひたすら手を叩いて楽しく歌っていた。思えば、平和な時代だった。

しかし、よくよく考えてみれば、極めて簡単な筋立てではあるが、人生を送っていく上では、何だか「とても大切な真理」であるような気もする。

インターネットの出現によって「スピード」や「便利さ」ばかりが重宝がられる昨今の世では殊に!島原半島に住んでいたら、海や山があって湧水が流れているのはごく普通の〝日常風景〟だが、都会暮らしの人々の眼には恐らく異なって映っているはず。

個人的には、日本の田舎の秋の風情が大好きだ。稲刈りの済んだ田んぼ、ほどよく色付いた柿の実、風にそよぐススキの穂…。どれをとっても落ち着くことこの上ない。

読者の皆様、とにもかくにも「秋桜公園」に一度お運び下さい。荒野に咲いた美しい花々に、感動&やすらぎを覚えると同時に、「根を張ること」の深い意味合いがきっと伝わるはずです。教条的かな!?


2013/10/20

秋桜はメキシコ生まれ…間もなく「霜降」の季節

「季節のない街に生まれ/風のない丘に育ち/夢のない家を出て/愛のない人にあう…♪」(いずみやしげる作詞・作曲『春夏秋冬』―。

最近では歌手と言うよりむしろ、役者としての存在感を増しているいずみやさんだが、まだ島原市の「観光特別大使」をなさって下さっているのだろうか。そんな素朴な疑問をぼんやりと想い浮かべている。

伊豆大島に甚大な被害をもたらした台風26号の襲来(16日)を機に、島原地方も急速に冷え込みが増してきたように思うが、いかがだろう?

如実に感じるのは早朝の一時。これまでなら半ズボン&Tシャツ姿で家やその周辺をうろついていたが、さすがに今朝ほどは肌寒さを覚え、急きょ長袖シャツをはおった。

旧暦の「二十四節気」に従うと、間もなく「霜降」(そうこう)を迎えるのだそうだ。新暦で言うと、来週の23日頃だとか…。

その意味は読んで字の如く、段々と冬が近づいてきて程なく「霜が降りる」と。その霜のおかげで、山々の紅葉がさらに鮮やかさを増す。何とも風雅な筋立てではないか!

その紅葉の話とは離れるが、資生堂会長の福原義春さんが著書『季節を生きる』(毎日新聞社)の中で、「ピンクのコスモスが好きだ」と述べられている。その中に、福原さんが蘊蓄(うんちく)を傾けられている一節がある。少し長いが、そのまま引く―。

「遠く万葉集の時代に山上憶良によって詠まれた秋の七草には、今では見かけなくなった花や馴染みの少ない花が入っているので、昭和になって新・秋の七草を選ぼうとする試みがあった」

「昭和の新・秋の七草にはトップに菊、次にコスモスが来るのだそうだ。メキシコ生まれのコスモスはもうすっかり日本の花になっている」。

筆者個人としては、「昭和バージョン」が定着しないで良かったと思うが、漢字で「秋桜」と書くコスモスがメキシコ生まれだったとは驚きだ。

メキシコと言えば「テキーラ」(竜舌蘭から造られる蒸留酒)。お国柄のイメージはどこまでも明るく、そして情熱的である。

一方、日本におけるコスモスのそれは、どちらかと言えば「楚々」「控え目」である。やはり所が変われば、印象も変わるのか…。それとも、さだまさしさん&山口百恵さんの影響?

まぁ何はともあれ、この秋、島原にもコスモスの新名所が誕生した(下折橋・芝桜公園の隣接地)。植栽されているのは先輩格の白木峰高原を遥かに凌ぐ65万本。

このところ不義理をして足立会長さんにも長らくお会いしていないが、お元気だろうか…。そんなこんなを想いながら一息つこうと近くの自販機へ。まだ「ホット」の商品はない。季節の変わり目か。


2013/10/19

持つべきは妻&友…視察研修旅行で再認識

日に日に秋が深まるこの季節。真っ赤に染まる紅葉を目指して-「そうだ 京都、行こう。」(JR東海のキャンペーン)という気にもなるが、どういうわけか昨日から佐賀にいる。

その実は、島原商工会議所の一般工業部会&環境委員会合同の視察研修に参加して、色々と勉強をさせていただいている、といった次第だ。

昨日は東彼杵町の工業団地内にある航空機関係の機材を製造している「ウラノ」と、いま何かと話題を呼んでいる鳥栖市の「九州国際重粒子がん治療センター」を訪ねた。今日はこれから、食品トレー容器等の大手メーカー「エフピコ」に行く予定だ。

個々の事業内容については、いずれまた機会があれば紹介したいが、総じていえるのは、日本(人)に備わった「技術力の高さ」だ。まさに「モノづくりニッポン ここにあり!」といった感じなのである。

さて、一言で「作る」(=造る、創る)といっても、根っからの不器用者で、考えてみたら「子づくり」くらいしか能力(?)を持ち合せていない自分自身の希薄な存在感に改めて気付かされている。

それに、最近は物忘れがひどい。実は、この研修旅行に際しても、財布を自宅に置き忘れてくるという〝大ポカ〟をやらかしてしまったのだ。

幸い、出発前に気付いたので、「子づくりパートナー」の家人に慌てて電話を入れて、事なきを得た。〈母ちゃん、いつもありがとネ!〉

と言うことで、やはり持つべきものは面倒見の良い「妻」(=伴侶、ベターハーフ)である。ひょっとしたら、今回の視察旅行における最大の成果は、その大切な〝人生の真実〟を再認識したことかも知れない!?

それからもう一つ。「友だち」という有難い存在も忘れてはならない。

昨日はたまたま、有田での昼食後にかなりの待ち時間が生まれて、それを利用して本欄の原稿を書くことを思い立った。

が、持参したパソコンのバッテリー残量が怪しい。はたと見渡していると、屋外広場の一角に電源コンセントがあるではないか!

まぁ、施設内でメシも喰ったことだし、「ちょっとくらいはいいだろう…」と軽い気持ちで拝借して、パソコンに向かっていた。

すると、背後から「ドロボー」の声。びっくりして振り返ってみたら、同い年でゴルフ仲間の九電工島原営業所のY所長がニヤニヤしながら近づいてきた。

結局、ここではまだ完成に至らず、仕上げは次なる高速のサービスエリアまで持ち越すことに。バスの中では締切等を考えて、「嗚呼もう時間が無い…」とあせっていたら、Y所長が値千金の情報をくれた。

「WCの大便室へ行け!」。そして見つけた待望のコンセント。でも、何だか〝悪事〟を働いているようで、妙に尻が落ち着かなかった。


2013/10/18

あの伊豆大島が…「情報伝達」大いに問題あり

 一度でもその地を訪れたことがあれば、何かしら〝ご縁〟のようなものを感じるのが普通の感覚であろう。筆者にとっては、東京都・大島町もそんな所だ。

通称「伊豆大島」と呼ばれるこの島を訪ねたのは今から10年ほど前のこと。小学校の教員をしている妹夫婦が住んでいたこともあって、東京出張の帰りに立ち寄ったことがある。

その時初めて、「島嶼」(とうしょ)という言葉を聞いた。その意味は「大小さまざまな島々」ということだそうだ。

まあ、そんなことはさて置くとしても、今回の台風26号の影響で、伊豆大島が大変な事態に陥っていることを、テレビ&新聞の報道で知って大いに心を痛めている。

山崩れ(土石流)によって、これまでに17名の死亡が確認され、行方が判っていない人も40数名(=17日朝現在)。倒壊家屋は280棟以上などとされているが、被害の全貌をつかむまでには、まだまだ時間を要しそうだ。

伊豆大島で思い出すのは、昭和61年の「全島避難」騒ぎ。約1万人の住民が三原山の噴火から逃れるために、大型の旅客船で一斉に「島脱出」を図った、あの視覚的な記憶に残る火山災害だ。

数年後、我が古里・島原市でも似たような境遇に置かれ、市役所が地震による「眉山崩壊」を想定して、全市民を対象に大規模な避難シミュレーション(バスによる脱出計画)を立てた経緯を覚えている人も多いだろう。

筆者が訪ねた頃の伊豆大島は、実にのどかな田舎であった。時季は6月。今回被害のあった元町地区には「御神火温泉」があって、プールなどの併用施設も整えられていた。

三原山(頂上)への登山ルートも綺麗に整備され、途中にはアジサイの森もあった。何より眼下に見下ろす海の眺めが素晴らしかった。また、火山博物館にも足を運んだ。 

歌にもうたわれた「波浮の港」では地元名物のコロッケも食べたし、「伊豆の踊り子」の記念館も見学してきた。妹一家とともに昼食を食べた森のレストラン(ハーブ園)はどうなったんだろう?あの商店のおばちゃんは?

起きてしまったことは取り返しがつかないことはわかっているが、もう少し「情報の伝達」がうまくいっていたら、被害のありようも随分と変わっていたはず。もちろん、犠牲者の数も、だ。

報道によれば、自治体による避難勧告や指示もなく、台風当日、県外出張をされていた町長さんは、悪びれることもなく「二次被害防止のため…」と、その理由を語られている。

「災害は忘れた頃にやってくる」と言われるが、伊豆大島の場合は形を変えて30年未満でやってきた。「他山の石」と言うより、同じ痛みを分かっているのだから、「我が事」として考えねば!!


2013/10/13

いざ!大村試験場へ…舞妓は~んの言葉を信じて

澄み切った空気に抜けるような青空。風は暑からず寒からず。スポーツ、読書、食欲…。様々な冠がかぶせられる「秋」は、何をするにしても最高のシーズンである。

さて、12日から始まったこの〝三連休〟。読者の皆様はいかがお過ごしだろうか?小旅行に出かける、スポーツの大会に参加する、ひたすら野山を歩く、或いは予定していた本を読む…。

残念ながら、筆者にはその類いの計画は何もない。強いて言えば、失効期限が迫っている運転免許証の書き換えのために、大村市内にある「試験場」に出かけることくらいだ。

皆様もよくご存じの通り、免許証の更新手続き期間は誕生日を挟んで2カ月間である。普通に考えれば、十分な余裕をもって最寄りの警察署で対応できるはずである。

ところが、何かにつけてずぼらな筆者の場合は、ついつい先延ばしにして残り後1週間を切ってしまった。さぁ~大変!

来週も色んなスケジュールが詰まっていて、見動きが取れない日々が続いている。かと言って、仕事をする上で免許証は〝必需品〟だし…。

改めて、送られてきた葉書を読み直してみると、「日曜日でも受付可」とあった。ただし、前述の「試験場」まで出向いていくことが条件。

かくして、13日の日曜日は大村行きと相成った。ヤレヤレ…。そこで、これまでお世話になった旧免許証を財布から取り出してしげしげと眺めてみた。

筆者の財布は二つ折り式で、いつもはよれよれズボンの後ポケットに入れている。したがって、きちんとした背広スタイルの紳士の皆さんのそれ・・(長財布)と違って、随分と痛み方が激しい。

お札だけでなく、カード類も端っこの方の印刷面が擦り切れているのだ。もちろん、免許証も例外ではない。忘れていた、保険証もそうだ。

双方ともに、大切な〝身分証明証〟でもあるのに何たることか!そう言えばこの前、レンタカーを借りる時に怪訝な顔をされたのも、それが原因だったのだろうか…。

まあ、何はともあれ新しい免許証をいただいたら、今度は長財布に入れて大切に扱おう。そうすれば、少しはお金が貯まるかも知れない…。

そうそう、思い出したぞ!先日の出張の折、京都の宴会場で出会った〝舞妓は~ん〟から貰った名刺があった。それを入れておくと、「お金が〝舞い込ん〟でくる」とか言っていた。

いずれにしても、この際〝心機一転〟だ。もう二度と交通違反は起こすものか。嫌な思いをした上に、目ん玉が飛び出るくらいの罰金まで取られては、たまったものではない。

明日は帰りにデパートにでも立ち寄って長財布を買おう。やっぱ、これじゃお金は貯まらないか!?


2013/10/12

“救いの手”随所から…優秀なスタッフに恵まれ

何日も執筆を休んでいると、口さがない悪友たちが「こんごりゃ、なぁ~んばサボっちょっと?仕事もせんで…」などと冷やかし半分で声をかけてくる。

その度に身のすくむ思いと言うか、罪悪感に近いものが脳裏をかすめるわけだが、いかんせん雑事に追われてしまって。それに出張も多いし…。

筆者のように、本来取り組むべきことを怠っている状況を、世間一般では「歌を忘れたカナリア」と称しているようだが、このフレーズ、想っていた以上になかなか〝意味深〟なようで―。

童謡『かなりあ』を作ったのは詩人の西條八十。なりゆきまかせでその歌詞を調べてみたが、余りのシュールさに慄然とした。

《歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか/いえいえそれはかわいそう/歌を忘れたカナリアは背戸の小藪に埋けましょか/いえいえそれはなりませぬ/歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか/いえいえそれはかわいそう/歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい/月夜の海に浮かべれば/忘れた歌を思い出す》

一説によると、この作品は西條自身が創作活動に行き詰った際の〝心境〟を吐露したものだと言われている。

それにしても、だ。ちょっとサボった(?)からと言って、いちいち山に棄てられたり、藪に埋められたり…。カナリアならずとも、そんな仕打ちを受けたら、たまったもんじゃあるまい!

いやいや、現実社会はそんなに甘いもんじゃないぞ!役目を果たさなくなったら、もうその時点でお払い箱さ。それが〝世間〟というものだよ、君。

どちらの考え方にも〝一理〟があって頷けるわけだが、やっぱり社会の在り方とすれば、やさしい方が断然住みやすいに決まっている。

さて、翻って我が身。度重なる出張でなかなか出稿出来ない筆者の〝穴〟を、他の社員スタッフが立派に埋めてくれている。誠に心強い限りだ。

それは新聞社にしてもケーブル&FM局にしても同じ話で、筆者が現場に居ようが居まいが、本来のなすべき〝仕事〟は日々きちんと仕上がっている。

ここ1週間ほど出張続きで、「不安」と「申し訳なさ」で頭がいっぱいだったが、金輪際もうそのような「心配事」はしないでも済みそうな雰囲気だ。

アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑銘にこんな言葉を遺しているそうだ。「自分より賢い人間を自分の周りにおく方法を知っていた者ここに眠る」と。

歴史に名を残すような偉大な詩人でも経営者でもないが、周囲に助けてくれる人間がいることは何と心安らぐことか!〔怠け者のモノローグでした〕


2013/10/05

舌噛んでどうする?…いくら牛タン好きでも…

出張の楽しみの一つは食事である。付き物の酒は「ビール&芋焼酎」に決めているから、どこに行こうが余り変わりはない。ただし、異郷では殊に〝飲み過ぎ〟は禁物だ。

延岡(宮崎県)では「ジンタン」(?)をいただいた。「ギュータン」(宮城県)の誤りだろうと早とちりしてはいけない。正真正銘の「人間の舌」だ。しかも、自分自身の…。

丸テーブル上を回ってくるツマミを矢継ぎ早に口に放り込んだ途端、誰かが背後から肩を叩いた。「ガリッ」。振り向きざまに、鈍い音がしたような気がした。

隣のオジサンに悟られないよう、そ~っと舌先に指を当ててみたら、血糊がべっとり。それに痛い!

まだ宴は始まったばかりだったから中座するわけにもいかず、途方に暮れていたが、ある時点で腹をくくった。そう!好物の芋焼酎で直に消毒しようと思ったのである。

最初、舌を浸けた時にはちょっとだけ沁みたが、次第に麻痺して、もう何とも感じなくなった。酒の力とはつくづく怖いものだ。

そんなこんなで、ようやく〝お開き〟の時間が迫った頃、信州(長野県)にある某紙の常務さんが「島原からですか?」と声を掛けてきて下さった。

「僕は間もなく60歳になりますが、大学を卒業した時に国鉄(当時)の割引切符を使って、九州一周の旅をしました。最初に訪れたのが実は島原半島なんですよ!」と。

舌の痛みもすっかり忘れて話し込んだ。聞けば、「島原鉄道にも乗った」と言う。「また行ってみたい」とおっしゃったので、「その時は是非ご連絡下さい」と名刺を交換した。

去り際に親しくなったもう一方は、元毎日新聞の記者さん。どういうわけか島原新聞のこともよくご存じで、〝某本屋さん〟の話で大いに盛り上がった(実名を挙げたら差し障りがあるようなので…)。

二次会にも誘われたが「舌」のことも少しは気がかりだったので、そのまま近くに予約していたビジネスホテルまで歩いて帰ることにした。

すると、今度は玄関先でパン売りのお姉さんにつかまった。「一袋500円の美味しいパンですよ」の誘い文句についフラフラ。惜しげもなくワンコインを差し出した。

若い頃なら絶対にサボらなかった二次会も、最近は随分とご無沙汰するようになってしまった。それもこれも年齢のせいか…。

今朝ほどは、しみじみと己の〝老け顔〟を眺めながら、ベロ(舌)の具合も確かめてみた。もうほとんど治りかけのところまできているようだ。

出張もあと2日。拙稿は新幹線の車中で叩いている。次は舌を噛むような情けない話でなく、舌を巻くような大原稿をお届け出来れば…と願っている。

誰だ?〝二枚舌〟と言っているのは―。


2013/10/03

デイリー夕刊50周年…大いに勉強になったぞ!!

月改まって、出張の始まりは宮崎県延岡市。同じ九州内とはいえ、移動にとても骨の折れる〝遠隔〟の地である。ふだんであればマイカーを使うところだが、今回は続けて東京に飛ぶのでレンタカーを借りることにした。

レンタカーは余り利用したことがない。したがって、仕組み自体を良く知らなかったが「乗り捨ても可能」とは聞いていた。「ホーッ、それは便利な!」と思っていたが…。

窓口で金額を提示されてビックリした。島原からだと約1万5千円。親切な店員さんが「熊本からはその半分くらいですよ」と教えてくれたので、迷わずそちらを選ぶことに。

カーナビの指示に従って御船、山都から高千穂へと抜ける国道沿いを走る。古より「日向往還」と呼ばれた歴史ある街道だ。まだ紅葉の季節には少し早かったが、秋の兆しが日に日に深まっているのが傍目にもよくわかった。

島原を正午過ぎに出て、途中何度か休憩し、延岡の市街地に着いた頃にはもうすっかり日が傾いていた。所要約5時間半。やっぱり遠い!

今回の出張の目的は、現地の地域紙「デイリー夕刊新聞社」(佐藤公昭社長)の創刊50周年の祝賀式典に出席すること。もちろん懇親会にも、だ。

会場のホテルは600人を超える列席者で溢れかえっていた。「この活字不況の中で一体…」。少し前から、その経営姿勢に興味を抱いていたのも事実だ。

同紙の発刊は昭和38年10月1日。前回の東京オリンピックのほぼ1月前。日本全体が祝賀ムードで沸き立っていた頃だ。

ただ、地域紙の経営はいつの時代でもそんなに生易しいものではない。同紙の場合も例外ではなく、幾多の〝試練〟を経ての今日なのだそうだ。

祝賀会場には地元を代表する多くのお歴々が出席されていた。来賓として県知事、周辺の首長、経済界代表などなど…。

筆者が面白いと思ったのは〝猿騒動〟で有名になった日向市の黒木市長の祝辞。名前は失念したが、今日の「デイリー紙」の礎を築いた〝中興の祖〟の逸話を持ち出した。

その〝ご仁〟が説く経営上のポイントは①地域に密着しているか②地域住民に愛されているか③地域の振興・発展に寄与しているか―の三点。

奇しくも、同社は昨年2月にコミュニティFM放送事業をスタートしたばかり。地元ネタの生放送だけを流すというスタイルは、島原方式をそのまま踏襲しているものだ。

「旭化成」という大企業の城下町として栄える延岡市。翻って島原には?などといった、無い物ねだりはこの際〝愚の骨頂〟。

島原には島原だけにしかない〝魅力〟が溢れている。期せずして良い勉強になった、と思う。


2013/10/01

「一掃除二信心」…頭にきた脱糞野郎!!

こう言うのを夏バテと呼ぶのだろうか。肩は凝るし、咳やクシャミが止まらない。それでも、せっかく緒に就いたばかりの「草むしり」(主に早朝)である。体調が芳しくないからと言って、おいそれと止めるわけにはいかない。

労を厭わずに働く記者の世界にだって、「原稿より健康」という伝統めいた言い方さえある。では何故、そこまで無理して頑張る必要があるのか。別段、誰に頼まれたわけでもないと言うのに…。

答えは簡単だ。作業後、綺麗になった場所を改めて眺めるのが無性に気持ちが良いからだ。もちろん作業そのものは楽しくも何ともない。出っ張った腹がつかえて邪魔になるし、ヤブ蚊にもくわれる。また腰も痛いし、終わった後は、ペンを握ろうにも指先が言うことをきかずヘロヘロした字しか書けなくなる。

なのに、まだまだ続けようと思っている。ただ気懸かりなのは明日から長期の出張が入っていること。この間に〝心変わり〟がしないことを、今のところは願っている。

仏教(禅)に「一掃除二信心」という教えがあるそうだ。その意味は文字通り、何よりもまず「掃除をすることが大事である」と。

「掃除」に関して言えば、トイレの清掃で有名な「イエローハット」(カー用品販売)の創始者、鍵山秀三郎さんの言葉が浮かんでくる。「一つ拾えば一つだけ綺麗になる」。いまだに思い出す、実に簡にして要を得た一節だ。

草むしりをしていると時々、予想される作業量の大きさや困難さを前に心が挫けそうになるが、いつもその一節を思い出しながら前に進んでいる。

当然、嫌な事にも遭遇する。数日前には、ヒトなのかイヌ、ネコなのかよく判らない〝糞〟が道路脇に置き去りにされていて、印ばかりにティッシュペーパーが被せられていた。

さすがに気持ちのよいものではない。さりとて、放置もできないので新聞紙で物体ごと掬い取って、後はホースの水で綺麗に洗い流した。

愛犬家も、愛猫家も大いに結構である。ただし、散歩の際の〝後始末〟だけは決して忘れないでいただきたい。それが出来ないようなら、飼うのはもう止めて欲しい!

話が脱糞ならぬ脱線してしまったが、先の禅の教えを本にされた臨済宗相国寺派管長の有馬賴底(ありま・らいてい)さんがこう述べられている―。

「心を高めたいならば、信心よりも、まずは掃除です。あなたの半径一メートル、目に見えるところから構わないので、整理整頓をして、掃除をしてみてください。間違いなく、あなたの心に変化が表れるはずです」と。

筆者も早く元気になって、また「草むしり」に励みたい。