2012/08/31

島原人は善人ぞろい…〝初恋の味〟思い出して…

率先して「法」を遵守すべき立場の警察や司法関係者、果ては公務員、政治家など、いわゆる社会的エリートと呼ばれる人々の「ふしだらな行為」が、連日のように新聞をにぎわしている。

だからこそ報道関係者はよりしっかりと「監視の眼」を光らせておかねばならないところだが、こちらの方の「不祥事」も後を絶たないようで…。

ちなみに、30日付け長崎新聞の社会面を眺めてみると、大阪地裁の27歳の裁判官が、スマートフォン(多機能性携帯電話)を使った「スカート盗撮容疑」で現行犯逮捕されている。

おい!おい!世の中は一体全体どうなっているんだ!?と嘆きの一つも吐きたくが、これが現代ニッポンの紛うことなき「現実」なのである。

前置きが長くなってしまったが、そんな世の中だからこそ「心温まる話」に期せずして巡り会えた時には、なぜかホッとする。得意とする(いや、これしかないか…)身近な話題から―。

我が社の社員A君が先日、とあるクレーム処理でお客様のもとを訪れた。特段、難しい対策など必要はなく、一通りメンテ作業を終えて立ち去ろうとすると「まぁまぁ、お茶でも」という展開になったそうだ。

目の前に出されたのは牛乳にも似たような乳白色の液体。「カルピスか。懐かしいなぁー」と思って、まずは一口ゴクリと飲んだが、いかにも濃い。いや、濃過ぎる!

ここから先、A君のとった行動が素晴らしい。「お客様の折角のご厚意を一滴たりとも無駄にしてはならじ!」と、無理を重ねながらも全部飲み干した。

しかし、相手はいかんせん100%の「原液」。さすがのA君の胃袋もついにはこらえ切らず、営業車に置いていた日本茶のペットボトルをがぶ飲みすることで何とか「希釈」(きしゃく)を果たしたのだそうだ。

話はまだ続く―。明けて翌日、今度はそのお客様の家族の方が弊社のカウンターを訪ねて来られた。手には、件(くだん)のカルピスの2本入りセット。

そこで応対した女子社員に対して開口一番!「Aさんはいらっしゃいますか。お世話になったお礼にカルピスを持参しました。今度は水で割って飲んで下さいね…」と告げられて颯爽と帰られた、とか。

後でその話を聞いて、筆者は思わず胸が熱くなった。「供されたものは残らずいただく」というA君の心根も立派だが、わざわざ弊社までお運びいただいたお客様の〝心配り〟にも心から感謝&感激だ。

世の中、本当に厭なニュースばかりが続いているようだが、島原にはまだまだこんな「美談」が脈々と息づいているかと思うと、何だか嬉しくなってしまう。

カルピスの売りは昔から〝初恋の味〟。司法試験を突破したエリート君にも、パンツなど覗こうとせず、是非その味を思い出して欲しい。


2012/08/30

死と人生について…死と人生について

最近は年齢とともに「物忘れ症」も高じてきて難しい事は考えられなくなってきている。いや、むしろ《結局のところ、人生なるようにしかならない》といった諦めの境地のようなものだろうか…。

そんな思いでいた矢先、福崎理智子さん(福栄会長)から、とある重たいテーマの原稿を頂戴した。タイトルは『八十路の下り坂』。

すでに今月26日付の紙面に掲載されているのでお読みになられた方も多いと思うが、筆者もそれをきっかけに、柄にもなく「人の死」というものについて少しだけ考えてみた。

仏教の教えでは、「生・老・病・死」は人として決して避けることの出来ない「4つの苦しみ」として取り上げられている。これまでもそう深く考えたことなどないが、言われてみたら確かにそうだ。

福崎さんは「八十」という大台に乗ったことを機に、次々と先立っていった6人の兄弟の死を悼みつつ、ご自身の「来し方・行く末」に遥かな思いを巡らされているようだ。

衒(てら)いのない文章からは、肉親や友人を亡くした「悲しみ」が率直に伝わってくるが、さらに見逃せないのは、独りだけ取り残された立場で味わう「寂寥感」のこと。

正直言って、その経験がないので上手く表現できないが、確かに人間にはそれぞれに相応しい「死に時」というものがあるような気もする。

しかし、だからと言って、天から授かった命を自ら絶つような「愚」だけは犯してならない。どんな境遇にあろうとも、寿命のある限り生き抜いていくことが、人としての最低限の「務め」であろう。

キリスト教のことはよく知らないが、その教義では「自殺」はご法度だとか。とすれば、日本国民すべてがキリスト教徒であれば、年間の自殺者が3万人を超えることなどなかろうに…?

いやいや、仏教の世界でも、人として避けられぬ「4つの苦しみ」の1つに「死」が取り上げられているわけだから、それは的外れな暴論か。

筆者もここ数年の間に、祖母&叔父と大切な家族2人を亡くしているから、異質であるとしても、福崎さんの辛い「胸の内」も分からないではない。

ただ、「死」がどういう形であれ避けられないものなら、従容(しょうよう)として受け止めるほかあるまい。もっと言うなら、残された日々をせいぜい明るく&楽しく生きていくしかない、と思っている。

最後に、長寿世界一のお爺さんとして知られた泉重千代さん(徳之島)が残したエピソードを一つ。「好みの女性は?」と聞かれて、「年上」と答えたとか。

福崎さん、お互いどう転んでも重千代爺様には勝てませんよ。せめてはユーモア最優先で、残された日々を面白おかしく過ごしていきましょうや!


2012/08/29

アイパッド売ります!!…地域唯一の『正規代理店』

すわ!6年ぶりの台風襲来かと思いきや、微妙に進路が逸れて、どうやら事無きを得たようだ。ただ、油断はくれぐれも禁物。何せこれからが本格的な暴風雨シーズンなのだから。

実は今回、「備えあれば憂いなし」との教えにしたがい、早々と避難体制をしいていた。とは言っても、「人」ではなく、事務所玄関脇の「鉢植え」に関しての話だ。

「専務、どうします。夜に強風が吹いたら、(花が)やられてしまいますよ。早めに屋内に移動しておきましょうか?」。 若手社員の気の利いた一言が、花の命脈を保った。毎朝の「活力朝礼」(倫理研究所)で実践している「気づき」の効用に他ならない。

仮に直撃は免れたにせよ、昨夜の荒天には花を蹴散らすだけの「風力」は確かにあった。ちょっとした「気配り」で、こうも先の展開が異なるものか…としみじみ感じ入った次第。

ところで、「FMしまばら」がスマホ(携帯)のアプリ機能を使った、新手の防災情報の提供に腐心していることはすでにお知らせしているところだが、これがなかなか業界筋の評判がよろしいようで―。

来る8月31日(金)には、全九州のコミュニティFM放送局の関係者が「島原」に集まって、今後の全国展開へ向けて協議を行うことになっている。

さらには、それを受けた形で9月の中旬には東京での本部会議も開かれる予定で、図らずも「防災は島原から!」の目論見がにわかに現実味を帯びてきた。

ただ、これをもって「完成形」だとはゆめゆめ思ってはいない。一口に自然災害と言っても、その発生形態は様々であり、既存の防災システムといかに連携を図っていけばいいのか…。残された課題は大きい。

しかしながら、少しだけ胸を張って言えるのは、極めて少ない予算でシステムの導入が可能なこと。しかも、利用者の費用負担は一切発生しない(0円!!)。

また、これから爆発的な普及が見込まれるスマホやタブレット端末という身近な情報機器をプラットホームとしている点も大きな特長だ。

8月冒頭の記者会見(島原市役所)の時点では、使える機種は「アップル系」に限られていたが、近々「アンドロイド系」も加わる見通し、とのこと。

さて、「アップル」と言えば、すぐさま浮かんでくるのが「アイフォーン」(携帯)や「アイパッド」(タブレット)などの世界的な超人気商品だが、実は今回、弊社でも取り扱えるようになった。

平たく言うなら、島原地域でただ1か所だけ、正規の「協業代理店」としての認可を得た。そう、これからはあの「アイパッド」が弊社の窓口で買えるのですよ!!

一点突破・全面展開。マーケティングの世界では、これを「ランチェスターの法則」と呼ぶらしい。


2012/08/26

マナー向上の選手たち…間もなく〝台風シーズン〟

「二十四節気」で言うところの「処暑」(8月23日頃)が過ぎ、なるほど朝晩はしのぎやすくなってきた。ただ、昼間の日射しの強さは相変わらずだ。

そんな中、「宅島建設杯ジュニア・ユースサッカー選手権大会」が25日、華々しく開幕した。今年は20回目の記念大会で、例年以上に熱い戦いが期待されている。

筆者も後援関係者の一人として、開会式には毎回参加させていただいているが、年を追うごとに選手たちのマナーの向上が全般的に感じられるようになった。

嬉しいことだ。やはり何でもそうだが、試合に強いだけではダメ。もちろん〝勝負事〟だから勝つに越すことはないが、そこに〝礼節〟が伴わない勝利などいかほどの価値があろう。

その点、開会式直前に廊下ですれ違った黄色いユニフォームの選手たちの誠意のこもった挨拶ぶりには、ほとほと感心した。

すでに相手の姿が見えた時点で立ち止まって深々とお辞儀をし、清々しい笑顔で「おはようございます」と元気な挨拶。思わず「頑張れよ!」と声を掛けたくなった。

総勢112チーム・2500人。これから長丁場の戦いとなるが、どうかフェアプレーに徹して、自らの人生の記憶に鮮明に残るような、意義深い大会とならんことを!

さて、「処暑」が過ぎれば、いよいよ本格的な「秋」だ。毎回、同じような文脈で恐縮することしきりだが、同時にこの季節は「台風シーズン」とも重なり合う。

「立春」から数えて210日目に当たる9月1日頃(今年は8月31日)は「二百十日」(にひゃくとうか)と呼ばれ、農家にとっては〝厄日〟の1つでもある。

また、大正12年(1923)に発生した「関東大震災」にちなんで、9月1日は「防災の日」として昭和35年(1960)に閣議で制定されている。

一説によると、「関東大震災」 での死者・行方不明者は約14万人。 全壊・全焼家屋は57万戸と言われている。

それから40年近くが経過するまで、なぜ「防災の日」が制定されなかったのか素朴な疑問が残るところだが、やはり「人間は忘れる動物である」という動かぬ証拠であろう。

結局、制定への直接的な引き金となったのは、昭和34年(1959)の「伊勢湾台風」(9月26日、死者・行方不明者5000人)だった。

最近は気象予報の技術も格段に進歩しており、かつてより被害の拡大を未然に防ぐ可能性は高くなった、と言える。

ただ、「油断」だけは絶対に禁物だ。天変地異は突然、それこそ「挨拶なし」に襲ってくることを、大会関係者ならずとも、ゆめゆめお忘れになりませぬように!


2012/08/25

無くなった奥歯2本…ワイルド男の哀れな末

かつて学んだ田舎の小学校にこんな貼り紙があった。《廊下は走らないようにしましょう》と。

児童でも生徒でもない今の暮らしには、走るほどの距離の「廊下」も何も備わっていないが、その代わりに「老化」だけは確実に〝駆け足〟で進んでいっているようだ。

数日前から右の一番奥の歯(下部)が浮いているような感じがして、何とも気持ちが悪かった。たまらず昨日、歯科医院へ駆け込み「何とかして下さい!」と頼み込んだ。

まずはレントゲン検査。ほどなくして映し出された〝陰影〟を見ると、病巣と想われる部分に黒い筋が1本。「これが原因ですね」との先生の診立てで、抜去することに。

しばらく時間待ちがあって、今しがた撮られたばかりの我が〝分身〟の姿をしげしげと眺めていて、ふと気付いた。同じように左の奥歯(同)も以前に抜かれていたのだ。

いささかショックを受けつつも、事実なのだから仕方がない。後はすべて先生の為すがまま。麻酔のおかげで、さしたる痛みを感じるでもなく、処置は無事終わった。

帰りの車の中で血生臭いガーゼの味を噛みしめながら、自分なりにその原因について考えてみた。そして得た結論は―。

一言でいうと、若い頃に犯した無理がたたったものとしか思えない。つまりは、ビールの栓開けだ。今では宴会場以外では缶ビールが主流となっているが、昔はそのほとんどがビン製だった。

そこに栓抜きがあるのに、周囲の眼を意識する余り、わざわざ自分の歯(テコの原理)で開けて見せて意気がっていたのだから、もうバカとしか言いようがない。それにしても、よもやこんな形で〝逆襲〟されるとは…。

ということで、昨晩はアルコール抜きの簡素な夕食。メニューは、噛まなくてもスッと喉を通るタマゴ豆腐2個。まったくもって散々な一日だった。

ただ、一夜明けると、すっかり血も止まっており、舌で傷口をなぞってみても何ともない。「良かった!良かった!」と胸を撫でおろしつつ、いつものように水撒きに向かった。

花は変わりなく綺麗だし、木もすっかり元の勢いを取り戻している。しかし、この花や木もいずれ時が来れば朽ち果ててしまう運命か…。

つらつら思うに、その字のごとく、花は草が化けたものだ。それが人の目には美しいものに映る。

女性もしかり。化粧を施せば、それなりに美しく化けることが可能となる。ややもすると、世の男どもはその〝変幻ぶり〟に惑わされ、必要以上に虚勢を張ってしまう。

筆者の若かりし頃の〝暴挙〟の背景にも、似たような思惑があったことは否めない。ワイルドしか売りのない男の末は、何とも物悲しいものだ…。


2012/08/22

ことしは蜂の当たり年…音無川には赤トンボの群れ

今日は「蜂」(ハチ)の話。ことしは例年になくスズメバチが活発に巣作りに励んでいるそうで、我が家でも昨日、専門業者に頼んで除去してもらった。

〝獲物〟は思ったより小さく、ハンバーガーのような形状をしていた。ヒメスズメバチという種族(?)だそうで、腹部の先っぽが黒く、余り攻撃的な性格ではない、という。

それにしても「プロ」とはいえ、よくもまあ、あんな狭い空間(ベランダ下の隙間)から探し出せるものだ、とホトホト感心した。と同時に、費用の高さに些か驚いたりもして…。

業者の人の話によると、ハチの巣作りは春先の気候で随分と変わるのだそうだ。つまりは、「女王蜂」が誕生するかどうかで決まるのだ、と。

お次はミツバチ。島原市が管理している音無川沿いの花壇ではいま、ポーチユラカの花が満開である。その色とりどりの花々に可愛らしい蜜蜂が群がっているのを今朝ほど見かけた。

思わずカメラ(買ったばかりのスマホ)を取り出して撮影してみたのだが、これが殊のほか良く撮れているではないか!

下手な文章でいちいち説明するよりも、写真の方が遥かに分かりやすいだろうから、先のヒメスズメバチの巣と合わせて掲載させていただく。















さて、その音無川の流れに沿ってブラブラと散歩してみると、 無数の赤トンボの群れの〝乱舞〟を楽しむことができる。数にしてどれくらいだろう…。少なく見積もっても、恐らく千匹以上は居るだろう。

決して誇張なんかではなく、それはそれは見事な〝飛びっぷり〟なので、 是非!読者の皆様にも一度ご覧になっていただきたい、と思う。

最後に、筆者にとって嬉しい話題を一つ。先般、本欄において発泡酒缶のポイ捨て行為に憤る記事を書かせていただいたが、その日を境にピタリと止んだ。

ひょっとして、あの記事を読んでいただいたのだろうか…。当たり前と言えば当たり前の話であるが、朝な夕なに水撒きをして清掃している身にとっては、ハチの巣の除去後に似て、何となくホッとした心境なのである。


2012/08/21

それでも元気を出して!…「コケコッコー」で叱られる

二十日盆はつかぼんの日の朝、いつものように事務所と自宅周辺の水撒き奉仕作業(?)を終えて颯爽さっそうと自宅に戻ると、家人が寝不足気味の浮かない表情で、こうまくし立ててきた。

「一体なんね、あの目覚ましん音は?『コケコッコー、コケコッコー』って、朝っぱらから…。止め方もよう分からんけん、とうとう予定より早よ起こされてしもたとん。まったく、こんジーヤンが!」

〝真犯人〟は買ったばかりのスマートフォン(スマホ)。これまでのとはまったく機能が違うので、使い勝手が分からないまま昨夜、目覚ましをセットしていたのだ。

そのまま持ち出していたら問題はなかったのだが、忘れていたのでどうしようもなく、ひたすら「ゴメン、ゴメン…」と平謝りした次第。と、傍らにいた母が「してやったり!」の表情ですかさず〝二の矢〟を放ってきた。

「あんた(家人に向かって)もやられたんね。私も以前、大学病院に入院しとった時、相部屋の人から同じような被害にお~たとよ。そん時ゃとにかく、病院中〝大騒ぎ〟やったけん」

大学病院の一件は別として、家人に迷惑を掛けたことは揺るぎない事実だから素直に詫びるばかりだが、「コケコッコー」の目覚まし音自体は大いに「ケッコウ」ではないかと思う。

街中に住んでいると周辺に鶏など飼っていないだろうから、まずもって耳にする機会もなかろう。「やかましい!」と苦情を言う前に、古き良き時代の日本の〝原風景〟に想いを馳せながら起きられてはいかがだろう…?

さてさて「早起きは三文の得」などと言うが、気持ちが良いのは確かだ。日の出の神々しさは言うまでもない。それを拝んだ後で、オレンジ色に染まる眉山を眺めるのもまた一興。

小浜の海岸から眺める「夕日」の美しさも忘じ難いが、湧水の島原には「朝日」の方がより似つかわしいようにも思う。

早起きの利点はまだまだある。何と言っても、季節感が先取り出来ること。あれほど騒がれた今年の猛暑だが、明け方近くに吹く風には早くも秋の気配が漂っている。

また、盆明けということもあってか、世の儚(はかな)さも同時に味わうことが出来る。証拠と言っては何だが、水撒きしながらセミの亡骸(なきがら)に遭遇することも度々だ。

多くは完全に息絶えているが、中にはまだ〝虫の息〟のままに手足を動かしているのもいる。そっと拾い上げて近くの木の幹に置いてあげるのだが、あと何時間の命であろうか…。

そんなセンチな気分を吹き飛ばすのが「コケコッコー」の鳴き声だ。さあ、今日も、明日も、明後日も、元気を出して「コケコッコー」で行くぞ!


2012/08/17

精霊流し大いに賑わう…どうしたの、韓国大統領?

精霊流しが終わった。実は我が家も初盆で、その準備作業に日々追われていたわけだが、昨夜やっと無事送り出すことが出来て、家族全員ホッとしているところだ。

何はともあれ、灯籠や御供物をいただいた多くの方々に対し、心から感謝の誠をささげる次第だ。と同時に、一緒になって船を担いで下さった町内会(上の町二区)の皆様方にも深謝!

気のせいかも知れないが、今年の猛島海岸はいつになく見物人の数が多かったのでは…。藤田家や松本仏壇店などの大型船の威勢の良さは一際目を引いたが、それぞれ趣向を凝らした他の船の〝練り〟も決して遜色はなかったように思う。

出番待ちの間、 冷たい飲み物で喉を潤しながらそっと耳を澄ませていたら、 人気のない近くの猛島神社の境内から、 早くも〝虫の音〟が聞こえてきた。

つい十日ほど前まで、あれほどまでに「暑い、暑い…」とぼやいていたが、次なる季節の「秋」は確実に迫って来ているようだ。

観光客や帰省された皆様方には、存分に城下町の夏の風情を楽しんでいただけただろうか…。また秋には秋で島原城薪能や不知火まつりなどの伝統行事も目白押しなので、そちらもお楽しみに。

おっと!その前に、一万発が打ち上げられる花火大会(8月30日夜・島原外港)も控えている。祭りは地域の〝元気度〟を計るバロメーターとも言われている。 さあ、元気を出して突っ走ろう!

昨夜来の〝興奮〟のせいか、いたって気分はハイな状態だが、やはり寄る年波もあってさすがに肉体的な〝疲れ〟は隠せない。

「これではいかん!」と冷蔵庫に残った栄養ドリンクをグイと一飲み。 瞬間、元気を取り戻したような気もするが、30分も経つと、小便もろともにダルさがぶり返す。

そんな身辺の雑事にかまけている間に、我が国固有の領土である竹島や尖閣諸島に、韓国や中国の野蛮な輩どもが不法に乗り込んだ、とのニュース。

まったくもってケシカラン話ではないか!いかなる理由があるにせよ、冷静沈着であらねばならない一国の大統領が、自身の人気取りのために反日感情を煽るような無様な行為をしていいものか?ここは一つ、日本政府も腰をすえて断固たる姿勢を貫いていただきたいものだ。

血気にはやる若者はややもすると、「こうなったら戦争だ」などと短絡思考に走り出す恐れすらある。それがいかにバカげた考えかと言うことは、過去の歴史が如実に証明しているではないか!!

平和の大切さは勿論言うまでもない。ただ、それを維持存続していくには、それなりの〝覚悟〟と〝手練手管〟が必要だ。いつまでも弱腰でばかりいては、国そのものが内部から瓦解しかねないのでは?ひょっとして、 まだ昨夜の余韻が残っているのだろうか…。


2012/08/14

犯人捜しにご協力を!!…一つ拾えば一つだけ綺麗に…

開いた口がふさがらない。それとも逆に、閉口してしまうと言うべきなのか…。まったくもって腹立たしい出来事がある。

ほぼ毎日のように、時によっては日に2回も、我が社の玄関脇の植込みの中に発泡酒(ビールもどき)の空き缶が投げ込まれているのだ。

銘柄も決まっていて(麒麟の淡麗生)、ご丁寧にもビニール袋に包まれて2個、3個…。最初のうちは〝ご愛嬌〟で済ませていたが、こうまで続くと、さすがに〝悪意〟すら感じる。

残念ながら〝犯人〟を特定するに至っていないが、こうなったら「監視カメラ」の設置も考えないといけないのか、とまで考えている。

もし、どなたかその〝犯行現場〟を目撃された方がおられたら、是非お知らせ下さい(63・3456)。心ばかりの粗品を進呈いたします。

とまあ、それはそれとしても、個人的にはお盆の時季の「しまばら」が大好きだ。恐らく、帰省の皆様方も同じ気持ちだろう。

この季節独特の〝蒸し暑さ〟はいかんともし難いとしても、街中に清冽な湧水が溢れ出ている所は、全国的に見てもそうそうあるまい。何と言っても「名水百選」の地だ。

これから結婚をしようという〝お相手〟を伴った方などは、実態以上に美化して自慢話風に吹聴されているかも知れない。それもまた結構だと思う。

一方、夢破れて傷心のまま帰って来た人も、是非この水で喉を潤し再起を期してほしい。サントリーのキャッチコピーではないが、島原人は「(湧)水と生きる」のだ。

13日以降、夕暮れ間近ともなれば、灯籠立てを担いで菩提寺へと向かう家族連れの姿などで辻々はにぎわう。

「久しぶり!」「元気にしとったね」―。互いの〝無事&安寧〟を確認する言葉があちこちで行き交う。

そして迎えるフィナーレの精霊流し(15日晩)。最近では担ぎ手確保等の問題もあって船の数そのものが減ってきているそうだが、その意義&歴史からすれば「島原最大の祭り」であることに異存はあるまい。

さあ、元気を出して担ぎ出そう!ご先祖様はその勇壮な〝練り〟に喜び、来年もまたお帰りになる。その繋がりこそが、また新たなエネルギーの源となる。

もちろん、後片付けの大切さは言うまでもない。順序は忘れたが、島原は誇るべき「水と緑の城下町」 なのだ。

「少しのゴミも許すまじ!」の気合いで臨めばきっと、この街はもっともっと素晴らしい古里となる。だからこそ余計に、冒頭に掲げた心ない行為に悲哀さえ覚えるのだ。

「一つ拾えば一つだけ綺麗になる」―。鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)の教えを、面倒臭がらず、恥ずかしがらず、皆で実践しましょう!!


2012/08/12

知らなかったこと2題…名前の消えた〝身分証明書〟

ある事務手続きをするのに身分証明書の写しを求められた。迷わず運転免許証をコピーして差し出したのだが、怪訝(けげん)な表情を浮かべる相手方。

一体どうしたことか?と尋ねてみると、「名前の部分が擦り切れています…」とすまなそうに教えてくれた。 ならば!と次に取り出したのが健康保険証だったが、こちら方もほとんど同じような状態。

とうとう困り果てて期限切れ間近のパスポートを見つけ出して事無きを得たのだが、そこに貼られた写真(10年前)をみると、まるで〝別人〟のような自分がいた。歳月とはつくづく残酷なものだ。

海外旅行には当面行く予定などないからパスポートはともかくとしても、ふだん使いの運転免許証、健康保険証に関しては、至急〝再発行〟の手続きが必要だろう。

ただ、一つだけ気懸かりなのは運転免許証の方だ。この前知人から聞いた話だと、「末尾の番号」がまたまた増えてしまう。

実は筆者も初めて知らされたのだが、末尾の数字は「再発行」の回数を示しているのだそうだ。ちなみに筆者の場合は、今回申請すると「2」が「3」となってしまう。

念のため、拙稿を書いている途中で事務所に残っている弊社の社員5人に確認してみると、はたせるかな全員が「0」であった。

別段、「失くす」という行為自体は「罪」には該当しないだろうが、自分自身の杜撰(ずさん)な生き様がそこに〝刻印〟されているようで、俗に言う「忸怩(じくじ)たる思い」なのである。

まあ、この件に限らず、世の中は本当に知らないことばかりという、他の事例を一つ。と言っても、すでにご存知の方もいらっしゃるだろうが…。

先般、とある方に「御礼」の品を贈ろうと思って、某有名デパートの地下食品売り場を訪ねた。今一番人気のある商品とかで、30人ほどが並んでいた。

待つこと十数分。やっと自分の番が来たので、あらかじめ決めていた商品名を伝えると、まだ幼さの残る売り子のお嬢さんが「熨斗(のし)はどうされますか?」と尋ねてきた。

「そうですね、寸志でお願いします」と答えると、意外にも次なる返事。「お客様、お相手の方は年下ですか?寸志は目上の方が目下の方に向かって使われるものですよ」。

そんな礼儀の法則などつゆ知らぬ筆者は、一瞬恥しくなって「それなら、薄謝にしましょうか」と、ごく自然な流れで返した。と今度は、お嬢さんが困り顔になった。

「えっ、ハクシャ。それはどう書くのですか?」ときた。つまり、このお姉さんは「御礼」の意味の「薄謝」をご存知なかったらしい。

しかし、それより何より、「寸志」の正しい使い方を教えてもらって、何だか得した気分になった。


2012/08/11

大和撫子は凄いな!!…5人に1人強がテレビ観戦

オリンピック絡みの話題ばかりで恐縮だが、今日(10日)はいつにも増して〝寝不足〟の方が多いのではなかろうか。

かく言う筆者自身、未明から起きて女子サッカーの決勝を観戦していたので、さすがに眠くて&眠くて、さてさて何を書こうとしているのやら…。

振り返ってみても、《2対1》という僅少差が示すように、内容的にも白熱した、とても素晴らしいゲームだった。恐らく「負けて悔いなし」と、選手や関係者の方々も思っているのでは!?

まあ、サッカーに限らずとも、今次ロンドン大会での日本女子の活躍ぶりは際立っているように思う。金メダルの数だって今日現在、女子4個に対して、男子は僅かに1個。

そう言えば、随分と昔の言い草でこんなのがあった。「戦後強くなったのは女性と靴下」がそれだが、やはりイザとなったら「大和撫子」は強いのだ!

サッカーの話に戻る。 優勝した米国チームの2得点を挙げたのは「カーリー・ロイド」という選手だった。

無論、サッカーフリークではないからどんな選手なのか知る由もないが、「ロイド」と聞けば即座に鶴田浩二さんのあのメロディが浮かんでくる。

〈ロイド眼鏡に 燕尾服 泣いたら 燕が笑うだろう 涙出た時ゃ 空を見る…♪〉 『街のサンドイッチマン』。

少し解説するなら、ロイド眼鏡とは、黒または焦げ茶縁のセルフレームの丸眼鏡のこと。我が国でも大正から昭和初期にかけて流行ったそうだ。より分かりやすく言えば、「くいだおれ太郎」(大阪・道頓堀)が掛けているあの眼鏡のこと。

話は意味もなくグーンと飛ぶが、鶴田さんが耳に手を当てて歌って後に大ヒットしたのが『傷だらけの人生』という作品だ。

〈何から何まで 真っ暗闇よ すじの通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみ合い どこに男の夢がある…♪〉

鶴田さんがその歌を歌っていたのは今から約30年前。そこから世の中はどう変わったのだろう。

ただ一つ言えることは、時代はどう変わろうとも、スポーツには政治の世界などと丸っきり異なる「フェアプレーの精神」が厳然として在る。

だからこそ、深夜帯(明け方)にもかかわらず、20%を超える視聴率が取れる。有体に言うなら、国民の5人に1人強が日米間のあの感動的な決戦を観ていたのだ。

ひるがえって、昨今の政治の世界。「近い将来」と「近いうちに」の違いは何か?などと、禅問答とも程遠い〝駆け引き〟ばかり。

「それが政治」と言ってしまえばそれまでだが、それだといつまで経っても「何から何まで真っ暗闇」ではございませんかね?


2012/08/10

勝敗は勝敗として…生き抜いていくことが大事

【訂正】昨報で日本男子柔道が「銅メダル1個」とあったのは「銀、銅メダル各2個」の間違いでした。お詫びして訂正します。

まあ、オリンピックの成績に関しては随所で紹介されているので、そちらをご覧いただくとしても、時差(8時間)のせいとはいえ、どうにも今回、活字メディアは分が悪い。

テレビはその特性を活かして深夜帯にもかかわらず〝生放送〟で気を吐いているようだが、朝刊1面で扱われている写真入りの大判記事を眺めてみても、いかんせん〝間抜けな感〟が否めない。

インターネットの普及で「結果」がすでに知れ渡っているので、おっつけそうならざるを得ないのだろうが…。いずれにしても、もう〝後戻り〟は効かない。時代は確かに変わってしまったのだ!!

そんな風なことを考えながら、ほぼ変わりない日常を過ごしているのだが、いつしか気付かないままに我が社の玄関先の花壇や植込みが悲惨な状況へと化していた。原因は他でもない〝猛暑〟のせいだ。

人間と違って植物は口をきかない。さすがに昨夕は〝気の毒〟になって…と言うより、〝自責の念〟にかられて水遣りや花苗の植え換えに汗を流した。

すると、人間なんていたって現金なもので、今度はその復活ぶりに自然と目が向くようになる。今朝ほどは目覚ましが鳴るより早く飛び起きて、いそいそと会社へ向かった次第。

でかした!プランターの花々は一夜明けてさらに元気を増し、木々の勢いも梅雨明けの状態まで戻っているようである。

最近は運動不足なのでとみに思うのだが、やはり人間は健康である限り、こまめに動くべきだ。暑いからと言って部屋に閉じこもっているようでは、精神的にも滅入ってしまう。

「働(く)」の語源は、「人」が「動(く)」から来ている、とか(鎌倉時代にできた「国字」という説)。やや飛躍して、「傍(はた)を楽にする」という解釈もあるようだが、結果がそうであれば、それはそれで結構であろう。

一方でテレビを観ながら、自分の運動音痴ぶりは棚に上げて、オリンピックの各種競技で繰り広げられている超一流アスリートの〝心情〟を想うことも度々だ。

「国の威信を賭けて!」「いや、自分自身に打ち勝つために」―。いずれの理由にせよ、鍛え抜かれたワザや躍動感は観る者の心を動かさずにはおかない。

勝負事だから「勝つ」に越したことはないが、逆に敗れてこそなお〝輝き〟が増す場合だってある。

「花あれば 花あるごとく 花なくば 花なきごとく、土よ 生き抜け」―。「花」を「メダル」に、「土」を「人」に変えれば、人生もそう捨てたものではないぞ、敗れざる者たちよ!

宮崎耿平先生がこの詩を詠まれたのは、戦争で一旦中止となった先のロンドンオリンピック(1944年)の頃だった、という。


2012/08/09

初盆参りは〝平服〟で…えっ、地獄でなくても金次第!?

「出迎え三歩に、見送り七歩」―という送迎・・の際の礼儀の大切さを、護国寺住職の岩永泰賢さんから教わった。先ごろ亡くなった藤田屋本家の前社長、藤田昌之さんの四十九日法要の席でのことだ。

なるほど!言われてみれば確かにそうだ。筆者の記憶では、このルールを見事に実践していたのは、元島原市長の鐘ヶ江管一さん(現役当時)であった。

駆け出しの市政記者の頃、幹部職員ともどもに来客の姿が完全に見えなくなるまで玄関先に立ち深々と頭を垂れられていた光景を幾度となく見かけた。

若僧の目には「相手方ももう振り返って見てなんかないだろうに、何もそこまで…」と不思議でならなかったが、この年齢になってみると、少しはその深い意味合いが分かるような気がする。かな?

さてさて8月も1週間が過ぎ、お盆も間もなくだ。初盆を迎えるお宅では精霊船の準備等に日々忙しないことだと想うが、先の岩永住職の説教の中で、さらに「なるほど!」とヒザを叩きたくなるような話を伺った。参考までに幾つかポイント挙げる―。

【その①】初盆のお参りは〝平服〟で行くべし。すでに忌明けしているのだから、わざわざ喪服を着る必要はない。第一に暑苦しいし、迎える側にもかえって気をつかわせてしまう。

【その②】お盆はご先祖様が1年に1度、あの世からこの世にお戻りになるのを、一族を挙げて皆で待ち受ける行事。「お帰りなさい!」の気持ちを込めて、なるだけ早めに「迎え火」を点けて待つべし。提灯の配置も「黒」ではなく「赤」の紋様を前面に出して。

【その③】精霊流しは精一杯元気を出して担ぎ、勇壮に練り回ること。その賑わいぶりを見て、御霊は喜ばれる。そして「来年もまた来るぞ」となる。これがご先祖様との繋がりだ。鳴り物入りの盆踊りも大いに結構!!

以上、おぼろげな記憶を元に、勝手気ままに「紙上再録」を試みたが、大概合ってますよね、ご住職?

ところで、藤田さんが生前、チェリー豆の製造&販売とともに力を注がれていたのがスイミングの普及・拡大であったことは、読者の皆様もよくご存知のことだと思う。

その水泳競技が今度のロンドン五輪でもいたって元気である。なかんずく、男女400㍍メドレーでそれぞれ2位、3位に食い込んだことは快挙の1つだ。

ひるがえって、不調をかこっているのが、本来〝お家芸〟であるはずのニッポン柔道界。男性陣はとうとう銅メダル1個で終わってしまった。

何日か前の夕刊紙でその問題を取り上げていたが、何でも報奨制度の違いがその背景にあるのだそうだ。よく「地獄の沙汰も金次第」と言われるが、アマチュアスポーツの世界でもそうなのかと思うと、いささかやるせない気もする。


2012/08/08

出発早々島鉄車内に…山陰の暑さは異常であった

ふだんから「物忘れ」がひどいのに加えて、連日のこの「猛暑」。もはや筆者の脳味噌は完全に狂ってしまっているようだ。

やれ(腕)時計がない、名刺入れを失くしたなどは日常茶飯事。今のところは100%に近い確率で手元に戻って来ているので、ラッキーと言えばラッキーな方か。

ただ、1週間ほど前の「失態」には焦った。スマートフォン(スマホ)を使った緊急告知サービス(FM++)の記者会見後、前々から約束していた山陰出張に慌ただしく出掛けたまではよかったが、何と島鉄列車内に背広(上着)を置き去りにしてしまっていたのだ。

気付いたのは諫早~博多間の特急「かもめ」の中。時刻は8時を過ぎていたであろうか…。恐る恐る南島原駅に電話を入れたら「濃紺の背広ですね。預かっておきますから、取りに来て下さい」との返事。

その言葉を聞いた途端、何だがもう「一仕事」終えたような気分になって竹輪をかじり、缶ビールで流し込んだ。

その晩は博多駅前のビジネスホテルで一泊。大事なお客様(初対面)と会うのに上着が無くてもよいものだろうか…という懸念は次の日まで残っていたが、目的地の米子駅に降り立った途端、それはまったくの〝杞憂〟であった。

島原なんかより遥かに暑いのだ。体感温度でいくと、38度くらいは優にあったと思う。

出迎えていただいた先方の皆さんも全員半袖姿であったし、「米子の夏は毎年こんなんだが」といたって涼しげな表情。特段、言い訳するまでもなかった。

米子市は鳥取県西部(島根県境)に位置する人口約15万人の商都。昔から交通要衝の地として栄えていた、という。

『ゲゲゲの鬼太郎』ですっかり有名になった境港市とも近く、最近では県を挙げて「漫画」による地域起こしに取り組んでいるそうだ。

今回の出張の目的はそのことを取材するためではなく、俗に言う「研修」。ただし、その間口は広く、業務に関する話ばかりではなく、街づくり全般に関して有意義な〝耳学問〟をさせていただいてきた。

我が島原半島とほぼ人口規模が匹敵するこの街ではいま、産・学・官が一体となった、とてもユニークな各種プロジェクトを進行中だ。

差し障りがあったらいけないので詳細は省くが、とにかくすべての面において、 皆さん〝前向き〟なのには驚いた。そして、その蒸し暑さにも。

その感激を忘れないうちに早くお礼状を出さねばと思って、名刺入れを探したが、今度はそれがない。やっとのことで見つけ出して事無きを得たのだが、呆れかえった表情の家人の次の一言が胸をえぐった。

「いっそんこつ、戻る家の住所ば忘れたらよかったとに…」。


2012/08/01

キナメの語源ついに!!…古語に由来する島原方言

ガハハッ…。NHKの名物プロデューサーだった故・和田勉さんの高笑いが聞こえてきそうな、スカッとした文月(ふづき)最終日の天候だ。季節柄、暑いのは仕方がないが、やっぱ夏はこうでなくちゃ!

こんなハレの日に「ゴキブリ」の話題を再び持ち出して恐縮だが、とうとうその〝語源〟が明らかになった。しかも、島原地方の方言「キナメ」のそれも判ったのだから、合わせて一本の〝金メダル〟だ。

ご協力をいただいたのは、前島原市教育長の宮崎金助先生(古丁在住)。浅学非才の筆者の呼び掛けに対して、的を射た、実に簡明なるご回答を頂戴して、気分もまた〝日本晴れ〟なのである。

先ず「ゴキブリ」の方からいくと―。古くは「ゴキカブリ」と言って、「御器齧(ごきかぶ)り」の字を充てていた、という。

それが明治の世になって、ある昆虫学者が「カ」をうっかり抜かしたまま表記したことから、「ゴキブリ」という呼称が定着したのだそうだ。

なるほど!なるほど!では、「キナメ」の場合はどうか―。先生の推測によると、「キ」はすなわち「器」(容器の意味)で、それを「舐める」(=齧る)から来ているのでは…と。

2枚の便箋にびっしりとペン字で書かれた、懇切&丁寧なる解説文を読ませていただきながら、筆者の疑問はものの見事に〝氷解〟した。恐らく、読者の皆様も同じ思いだろう。

ところが、である。「ゴキブリ」はともかくとしても、最近の若者たちは「キナメ」という方言そのものを知らない輩が多いようで、むしろそちらの方にビックリする。

現に、筆者の周りにいる30代以下の連中に聞いても、「キナメって何ですか?」とキョトンとした顔をしているのだ。

そうした実情を、先生はこう嘆く―。「島原地方の方言は多く〝古語〟に由来しているのに、ここ30~40年の間に段々と使われなくなってきている」と。

具体的事例として取り上げられているのは「ドンク」と「クチナワ」。答えを先に言うと、前者はフランス語のような響きであるが、実は「カエル」のこと。後者は筆者も大の苦手としている「ヘビ」の古称だ。

さてさて、そんな古い〝言い回し〟もすっかり念頭にない最近の子どもたちだが、夏休みは存分に楽しんでいるだろうか?

極めて個人的な感慨だが、昔はこんなに多くセミはいなかったのでは?なんとなれば、見つけ次第にアミや素手で捕獲していたし、ひょっとして農薬等の影響も少なくなってきているのでは?

そんなこんなを思い浮かべながら、目の前の木の枝を眺めていると、無数のクマゼミがせわしなく腰を動かして鳴いている。特段意味もなく、ちょっとだけ恥しくなった!?