2012/11/20

「小セル化」はいかが?…皆で咲かそう!!シバザクラ

鉛色の空と朝夕の冷え込み。一年中で最も苦手としている「冬」の季節の到来だ。今朝ほどは、早くも吐く息が白かった。

「冬来たりなば春遠からじ」と言うが、その「春」に向けて、地道な取り組みが続いている。他でもない、「シバザクラ」(上折橋)の除草作業だ。昨日曜日(18日)、久しぶりに参加してみて感じたことを幾つか―。

一言でいって、とてつもない〝難事〟である、と改めて実感した。荒野に花を咲かせようとするのだから端(はな)から判っていたことではあるが、思わず〝溜息〟ももれる。

とれども、とれども…尽きることのない幾種類もの雑草。名前はヨモギくらいしか思い浮ばないが、その根の深さと言ったら、どれも尋常ではない。まるで「シジフォスの神話」の現代版だ。

ふと西の空を見上げると、日本で一番新しく誕生した「平成新山」の頂きに、この時季独特のどんよりした雲がたなびいている。表面的には何とものどかな景色だが、地中深くでは今でも火山活動が続いていることだろう。

さて、参加した皆さんは果たしてどんな思いで手を動かしていたのだろう?遅々として進まぬ作業に〝無力感〟は抱いていなかっただろうか?

そんなヨシナシゴトを考えながら、いつもの「思いつき癖」が頭をもたげてきた。そうだ!我々のケーブルテレビ業界で言うところの「小セル化」に取り組んだらどうか、と。

「セル」とは細胞のこと。つまり、全体を細分化して、それぞれに責任を持ってもらえば(役割分担)、より進捗状況が鮮明につかめるのではなかろうか?

分け方は色々と考えられる。地区、町内会、学校、企業…。「そんなの絶対に嫌だ!」というところは別にして、全体で陣地(?)を分けて競争してもらうのも一つの方法では?

これまで通りに市内外から集まってくる「有志」だけで事足りるなら、それはそれで結構なこと。ただ、何としてでも開花時期に間に合わせることが至上命題である。

思いつくままにこんな事を書いて、足立進一会長に〝大目玉〟をくらってしまうかも知れないが、筆者も実行委員の一人として心配しているんだ、ということをどうぞご理解いただきたい。

ちなみに次回の除草作業は12月2日(日)午前9時~。昨年に続いて苗の寄贈を行った西部ガス長崎支社に対し、島原市から感謝状が贈られた=写真


2012/11/18

来月は文字通り「師走」…魔が差したか!?NHKアナ

雑事〟と言うより〝不測の用件〟に追われた感ばかりが残る、慌しい1週間がようやく終わった。今朝、出社して改めて机脇の暦を眺めてみれば、はや11月17日。

そうか、「あの日」からもう22年の歳月が流れたか…。「あの日」とは他でもない、普賢岳が198年ぶりに噴火活動を再開した日だ(平成2年)。

ただ、そんな感傷にひたっている暇もないほどに、このところの世情の動きは忙しない。何せ突然の衆議院の解散劇だ!

ざっと思いつくだけでも、島原市長選の投開票日が来月の9日。その1週間後の16日が総選挙、首都トーキョーの知事選も同日に行われる。

いやはや、先生・・方も走り出すほどに忙しい「師走」(しわす)とはこのことか!と、一人でくだらない・・・・・ことばかりを考えている。

そのくだらない・・・・・話で言えば、NHKの看板アナウンサーの一人が14日、電車内での「痴漢容疑」で捕まっていたことが判った。端正な顔立ちと歯切れの良い話しぶりで好感度も高かったのに、ウ~ン残念!

一方で、国民栄誉賞女優、森光子(92)さん死去(10日)のニュースが、同日付けの紙面で大きく報じられていた。

森さんの代表作と言えば、上演2000回を超える『放浪記』(舞台)であることに異論はないが、テレビっ子の筆者個人にとっては昭和40年代後半のTBSの超人気ドラマ『時間ですよ』がより印象深い。

演出を担当していたのは同局の看板プロデューサーで、後に文筆家としても活躍した故・久世光彦(くぜてるひこ)さんだったのは有名な話だが、実はもう一人、影の演出家がいた。

筆者は直に、そのご本人から伺って、大いに笑い転げたことがある。「あの頃ね、銭湯の番台から見た裸のシーンがあって、二人で競争して脱がせまくってたね~」という自慢話だった。

まあ、真偽の程は別として、「えっ、仕事でそんなことまで!」と、心底羨ましがったことは確かだ。

森さんが演じた『放浪記』の原作者は、ご自身がモデルと言われている、小説家の林芙美子さんである。この方の人生がこれまた「有為転変」そのもの。

何かの本で読んだことがあるが、作品がまったく売れずに「赤貧の極」にあった頃のエピソード。着るモノがないから、夏場は暑さしのぎのために、家では「水着」で暮らしていたのだそうだ。

話はまったく飛ぶが、件のNHKアナが捕まったのは何とも意味深な俗称「ニコタマ駅」(東急田園都市線・二子玉川)。被害に遭った23歳の女性から近くの交番に突き出されたそうだが、その時、被害者はどんな言葉を発したのだろう?

間違っても、「おカミ(警察)さん、痴漢ですよ」とは言わなかっただろうなぁ、きっと!!


2012/11/16

FMも開局5周年!!…業界の風向きが変わる

まったく「鉄砲の弾」(比喩)はどこから飛んでくるか判らない!昨朝、社員から報告を受けて、つくづくそう感じた。

すでに本欄でも幾度となく広告を出させていただいているので、ご存知の向きも多いかとは思うが、件の『500円ホームページ』のサービス内容が「怪しい」というのだ。

先般から世間を騒がせている、他人名義のアカウントを使った『なりすまし事件』も起きているので、無理からぬところではあろうが、よもや弊社にまで嫌疑が及ぼうとは…。

担当者に話を聴いてみると、窓口に相談に来られたお客様が帰宅後、「いくら何でも安過ぎる!」と、心配した家族からストップがかかったのだ、とか。

ただし、そうした慎重居士のご仁は〝例外中の例外〟。大多数の方々からは「有難い」「これでうちの販売戦略の幅が広まる」などと、高い評価をいただいている。

今さら言うまでもないが、弊社の本業は総務大臣から免許をいただいた「有線放送事業」と「第一種電気通信事業」である。

さて、その業界の話だが、最近になって随分と風向きが変わってきたような気がする。と言うより、各地で頻繁に開催されているセミナー等に出席してみての率直な感想である。
 


以前は「BS・CSを含む多チャンネル化」や「ネット接続スピードの高速化」ばかりが喧伝されていたが、最近ではむしろ全国的に「地域性」に注目が集まってきているようだ。

背景には、相次ぐ自然災害やライバル企業群との〝熾烈な競争〟が控えている。ただ、冷静になって考えてみれば、地域そのものが疲弊しているのに、ひとり我々の業界だけが繁栄していくことなど、まずもってあり得ない話だ。

何の商売でもそうだが、お客様があってこそはじめて成り立つ。ところが、人間なんて勝手なもので、ついつい我が身中心に物事を考えてしまう〝悪しき習癖〟を備えている。

幸か不幸か、弊社は平成3年の開局以来、噴火災害や〝電波銀座〟という地域的な特性から様々な難局にも遭遇してきた。しかしながら、その一方で、時代の波に乗って束の間の繁栄を謳歌してきた他社には無い「地道な視点」を培うことも出来た。

言うなら、これが不利な戦いの中から我々が勝ち得た最大の〝財産〟であり、今後はさらに〝輝き〟を増していくことにも繋がっていくことだろう。

申し遅れたが、去る日曜日(11月11日)は、関連会社「FMしまばら」の開局5周年の記念日でもあった。紙歴110年を超える新聞にCATV&コミュニティFM。「地域性」を考える上で、これほどの強力な布陣があろうか!

「さあ、矢でも鉄砲でも持って来い!」などと不遜なことは言わない。ひたすら頭を低くし、地元の皆様の声に真摯に耳を傾けていくばかりだ。


2012/11/10

名は体を表さず?…イメージ台無しじゃないか!

何にでも例外はあるにせよ、「ミヨちゃん」のイメージは、「小さくて&可愛らしい女の子」とばかり思い込んでいたのだが…。

かつてドリフターズはこう歌っていた。「僕の可愛いミヨちゃんは 色が白くて小さくて 前髪たらした可愛い娘 あの娘は高校二年生♪」。

また、それより以前にもこんな童謡があった。「あのこはたあれ たれでしょね なんなんなつめのはなのした おにんぎょうさんと あそんでる かわいいみよ・・ちゃんじゃないでしょか♪」

昭和30年代初頭生まれの筆者の世代における「ミヨちゃん」の代表格は、誰が何と言おうと、女優の浅田美代子さんだ。

デビューの年は確か、筆者が高校2年の頃(昭和47年)。一世を風靡したTBSの人気ドラマ『時間ですよ』に登場し、調子外れの音程で『赤い風船』という歌をうたっていた。

かつては可愛らしいだけが取り柄だった「僕のミヨちゃん」も、結婚→離婚(お相手はフォーク界の大御所・吉田拓郎さん)という人生の洗礼を経たこともあってか、最近はなかなかの〝芸達者〟ぶりだ。

映画の代表作は、西田敏行さん(ハマちゃん)と息ピッタリの夫婦役を演じた『釣りバカ日誌』の賢婦人役。おっと!ここでの呼び名は「ミヨちゃん」ではなく「みち子さん」だった。

話が逸れまくってしまったが、何と言っても最近一番世間を騒がしている人物と言えば、ご存知!兵庫県尼崎市の連続変死事件の首謀者「角田美代子」(すみだ・みよこ)容疑者だ。

新聞や週刊誌上で入り乱れた〝相関図〟が表示されているが、余程念入りに読み込まなければ、事件の全容把握などまずもって不可能だろう。

名前は何の変哲もない「ミヨちゃん」なのに、どうすればああまで〝女王然〟として殺人の指令が次々と出せたのか、皆目見当もつかない。

しかも、仏様(遺体)をコンクリート詰めにして海中に投棄するなど、もう完全に常軌を逸している、としか言い様がない。

読者としては、今後の捜査の進展ぶりを見ていくしかないのだが、「洗脳」と言うには余りにもおぞましすぎる怪奇事件である。

その角田容疑者の顔写真が、一昨日の各紙に一斉に掲載されていた。それで見る限り、64歳という年齢に相応しい頬の垂れ下がった普通の婆さんである。

何が彼女の人生をして「狂気の沙汰へ」と走らせたのか?はたまた、周囲の人間はどうしてその「呪縛」から逃げ出せなかったのだろうか?

21世紀の今、世相は益々混迷の度を深めている。ただ、少なくとも「美代・・」の二文字が示すような綺麗な時代でないことだけは確かである。嗚呼「僕のミヨちゃん」の頃が懐かしい!


2012/11/08

立冬に思いつくこと…藤本義一さんの〝心意気〟

立春や立秋に関しては、「○○とは名ばかりの」とかいった但し書きが付くことが多いが、今年の立冬(7日)はなかなか言い得て妙なタイミングのようだ。

すなわち、暦の上ではこの日を境に本格的な「冬場」を迎えるわけだが、このところの朝夕の冷え込みの中に〝季節の移ろい〟を肌身で感じている方も多いことだろう。

話はさかのぼって恐縮だが、まだ炎天下の頃に、NHKニュースの中に登場する可愛らしいお天気お姉さん(気象予報士)が、夏と秋の「雲の違い」について巧いことを言っていた。

曰く―「夏場の雲はまるで大きな『岩』のようにそびえていますが、段々と秋が深まっていくと、『砂』を撒いたような形に変化していきます」と。

当たり前と言えば当たり前の説明だが、美形が言えば、より〝真実味〟を増して響いてくるから不思議なものだ。

さてさて、季節的には静かに幕を開けたかに思える今年の立冬だが、世の中全体は何となく落ち着きがない。浮ついている、と言った方がより適切か。

政治の世界を覗いてみれば、米国のオバマ大統領(民主党)は再選を果たしたものの、全体の得票数からすれば〝拮抗〟そのものであり、今後の舵取りに一抹の不安を残す。

「チェンジ!」に沸いた4年前のあの熱狂ぶりはどこに行ったのだろう?やはりオバマも凡庸な政治家なのか?

一方国内では、同じ名称(民主党)の文部科学大臣の言動に俄然注目が集まっている。この方はこれから迎える「冬将軍」ならぬ、かつての「闇将軍」のお嬢様だ。

その偉大なる父をして「うちのジャジャ馬だけはどうにもならん!」と嘆かしめただけあって、とてもとても〝一筋縄〟ではいかない。

先の外務大臣(自民党・小泉政権下)の時もそうだったが、「官僚何するものぞ!」の鼻息が聞こえてきそうだ。ただ、傍目に見ても「使いこなしている」風にはまったく見えないところが残念!ご愛嬌!

と言うより、ここ数日の対応ぶりを見ていると、大手マスメディアは「ちゃぶ台返し」と揶揄しているようだが、その後の展開を見れば「朝令暮改」の方がよりしっくりくるのでは?

まあ政治家に限らず、生きていれば色んなことがある。調子が良い時もあれば、どんなに頑張っても運が向いて来ない時もある。

先月30日に亡くなった作家の藤本義一さん(享年79歳)は、『徒然草』を肌身離さず愛読している、とその著書に書かれていた。

その藤本さんが生前、色紙等に好んで書いた言葉は、自身の名前をもじった「蟻一匹炎天下」だった、とか。立冬を迎えるに当たって、改めてその〝心意気〟を想う。


2012/11/06

カネオクレタノム!?…「電報の日」に思い出す

いやはや、今更ながらに痛感するが、月日の経つのは誠にもって早いもの。文化の日(11月3日)もアッ!という間に通り過ぎて、今年もとうとう残り2カ月を切った。

カーナビ情報によれば、5日は「電報の日」とか。改めてそう言われても、携帯電話があまねく普及した今の世相では、余りピンと来ない。強いて言うなら、葬送の際の「弔電」か、もしくは結婚式等で披露される「祝電」くらいか。

年配の方なら良くご存知の通り、以前、「電文」はカタカナ書きで送るものだったが、最近は、漢字と平仮名交じりが主流となっているようだ。

さすがに慣れていないせいもあって、カタカナばかりの文章だと、非常に読みづらい。ましてや、区切り方次第では、別の意味にもなりかねない。

もう40年以上も昔の話で恐縮だが、筆者が中学生だった頃、国語の授業で〝その旨〟を教わった。

例文は確か「カネオクレタノム」だった。普通に考えれば、「金送れ、頼む」との〝無心〟と捉えてしかるべきだが、その時、先生は「金遅れた。(ヤケ酒を)飲む」と読めないこともないと、ご教示された。

今になって別段、異議を唱えるつもりもないが、これからヤケ酒を飲もうとする際に、わざわざ「電報」を打つ人など実際にはいないだろう!?

あれから時代は移り変わって、今や何でもかんでも「インターネット」の世の中である。筆者のパソコンや携帯にもひっきりなしに「メール」が飛び込んでくる。

大半は愚にもつかない、いかがわしい内容の「迷惑メール」であることが多いのだが、よくもまあ飽きもせず送り続けることが出来るものだ、と感心しないでもない。

ただ、裏を返せば、その甘いお誘いに意外にも簡単に引っ掛かる人(被害者)が厳然として存在している、ということの証左でもあろう。

いつの世でも「便利さ」と「陥穽」(かんせい)とは常に隣り合わせである。簡単に手に入るものは、簡単に失いやすい。

仮に時間がかかってでも、苦労して手に入れたものには間違いは「少ない」。ここで「無い」と断言出来ないのは、それほどまで世の中は甘くはない、ということだ。
ただ、たとえ結果が伴わないにせよ、人間が人間である以上、努力を惜しんではなるまい。神様はきっとどこかで見守っていて下さるはずだ。

今日はあろうことか、柄にもなく生真面目過ぎる結びとなってしまったが、これも筆者の年齢のなせるわざである。とにかく最近は、神社・仏閣が大好きなのだ。

熊野古道に高野山、そして唐招提寺…。休日を利用して、ひたすら人として生きるべき道を模索する旅が続いている。合掌。


2012/11/01

何にでもある端境期…高いけどシクラメンを!!

何によらず「端境期」とは厄介なものだ。滅多に開くこともない広辞苑(第六版)によると、その元々の意味は「古米に代わって新米が市場に出回ろうとする時期」とのことだから、まさに今の季節を指す。

米の話はともかくとしても、目下の悩みは「花の植替え」である。丹精込めて育ててきた「日々草」がもはや寿命を迎え、そろそろ冬場の用意をしないといけないのだが、なかなかに苗の選定が難しい。

これまでは手頃な値段のパンジーやビオラで済ませてきたが、段々と欲が出てきて、それでは物足りなくなってきた。ズバリ好みを言えば、今年は何としてもシクラメンを植えたい、と願っている。

ところが、何軒か花屋さんを回ってみたが、ナント5倍から6倍の値札がついているではないか!?そこで、当たって砕けろ!とばかりに、恐る恐る経理担当者に〝ご意向〟を尋ねてみると、案の定「ダメです!」の一言で切って捨てられた。

しかし、そうは言われても、事務所前のプランターの花々は筆者の数少ない楽しみの1つ。毎朝出社の度に、また苦手な客が帰った後に、それを愛でては精神の均衡を保っているのだ。

引き下がってなるものか!と再び交渉に臨んだ。幾度か決裂しそうにもなったが、「ここで腹を立てては台無し…」と、少し大人になって「自腹半分出し」の妥協案を提示することに―。

すると、経理担当者もやっとこさで首を縦に振り、その線で落ち着いた。何となく損したような気がしないでもないが…。

ところで「端境期」と言えば、コメや花に限らずとも、何にでもある。人間だってきっとそうだ!

前号では女優の吉永小百合さんの話題を取り上げ、若さと美貌を保つ〝秘訣〟が毎日千㍍の水泳にあったと、宮崎和子先生からの受け売りでお茶を濁したが、吉永さんなんかは例外中の例外である。

ふつう年齢を重ねていけば、人間はみな等しく急ピッチで〝老化〟が進んでいくもの。かつてどんなに美形だったとしても、シワやシミ、それに白髪といった、加齢に伴う〝波状攻撃〟を食い止めることなどまず不可能だ。

「アンチ・エイジング」などと称して売られている化粧品などもあるようだが、どうせ眉唾ものに決まっている、と個人的には思っている。

ところが、その現象がいざ我が身に降りかかってくるとなると、やはり捨て置けないのが人情である。回りくどい言い方をして恐縮だが、どうもこのところ筆者の頭頂部の髪が薄くなってきているようだ。

第一発見者は家人。茶の間で転寝をしている筆者のツムジの部分を指でなぞりながら「間もなくですね!」と嗤いやがった。クソー、どなたか即効性のある育毛剤、ご存じありませんか?