2012/06/29

A・カーネギーに倣う…優秀&勤勉な人材に恵まれ

のっぴきならない事情で、しばらくお休みさせていただいている。書こうと思えば書けないこともないのだが、根が無精なものでして…。

ただ、その間にも世の中は絶え間なく動いていて、新聞紙上では国政(消費税法案)や電力各社(株主総会)などの混乱ぶりが日々紹介されている。

〈嗚呼、それなのに俺は一体…〉などと嘆いてもよさそうなものだが、些かも感じるところはない。なんとなれば、周囲のスタッフが〝我が意〟を汲み取ってしっかりフォローしてくれているからである。

もちろん、天下国家の問題ではない。新聞、ケーブルテレビ、コミュニティFMといった〝社業〟に関しての話だ。

実は、名刺に刷り込みたい、お気に入りの〝文章〟がある。少し長いので紙片に収まりきれるかどうか心配だが、肩書きを削ってでも、何とか押し込もうと考えている。

それは米国の「鉄鋼王」として知られるアンドリュー・カーネギー(1835~1919)の墓碑に刻まれた一文だ。

有名な言葉なので先刻ご存知の方も多いと思うが、最初に教えていただいた時、「これぞまさしく自分に向けられた箴言だ!」と、いたく感動した次第。

その全文(邦訳)はこうだ。『自分より賢き者近づける術(すべ)知りたる者、ここに眠る』(ヤフー「知恵袋」より引用)。

より解かりやすく言うなら、『経営者自体は大したことはないが、優れた人材を周囲に集めることに関しては、何かしら非凡なものを持っていた』ということだろう。

〈原文(英語)では、墓碑銘であるから『眠る』(ライズ)と記されているので、そのまま使えば筆者自身が死んでしまっていることになってしまう。ここは一つ知恵を絞って『存在する』(イズ)としようか…?〉

などと他愛もないことを考えたりしているが、 事実!我が社のスタッフはそれぞれに有能で、しかも例外なく勤勉である。と言うより、その要件を満たしていない人間は時の経過とともに自然と雲散霧消していったようだ。

一言で「経営者」や「リーダー」というが、そのタイプは様々だ。本人が全ての業務に通じていて率先垂範出来る人もいれば、筆者のように実に頼りない(危なっかしい?)怠惰なオヤジもいる。

元々の能力や性格もあるのでどちらが良いのか一概には言えないが、 筆者は間違いなく〝カーネギー派〟に属しているような気がする。

今日もまた、鬱陶しい梅雨空の下で何をするでもなく過ごしている。それを尻目に、我が社のスタッフは全員フル稼働だ。

皆様どうぞ、島原新聞、カボチャ、FMしまばらの3社を、これまで以上にご贔屓下さい!


2012/06/22

今や生活の一部に…待ちかねたコンビニ復活

島原市医師会の会長だった故・浜田正夫先生(元浜田病院長)は殊更に「格助詞」(てにをは)の使い方にうるさい方で、駆け出しの頃よく注意を受けた。

反面、間違っていなければ、「おっ、段々と良くなってきたぞ!」などと、相好を崩されてお褒めの言葉を頂いたりしていた。

その病院の跡地(今川町)にコンビニが出来たのはいつ頃だろうか?記憶は定かでないが、今ではすっかり生活の一部に溶け込んでしまったようで、無くてはならない〝存在〟となっている。

と言うのも、改装のために2週間ほど休業されていて、その間、大いに不便さをかこっていたからである。筆者に限らず、同様な思いを抱いておられた方もきっと多いはずだ。

大手広場から会社(白土町)までの間においては、ちょっとした日用品を買おうにも、扱っているお店が1つもない。

まだ、エレナ一番街店(旧寿屋)が営業をしていた時には、アーケード街などからひょいと立ち寄ることも出来たが、現状はまったくの〝空白地帯〟だ。

もっと言うなら、その先(外港方面)にも、同種の店は見当たらない。世を挙げての車社会であるから、「別にどーってことはない」と言ってしまえばそれまでだが、コンビニの良さは歩いても、自転車に乗っても、気軽に行ける点だ。

確かに今のコンビニ店舗には、昔の「小店」のような〝風情〟はないが、その代わりに、安心して必要なモノが探せる文字通りの〝便利さ〟がある。

少し前の日経新聞に、業界最大手のセブンイレブンが秋田県に初めて進出するという記事が載っていたが、同社に限らず、全国どこへ出向いて行っても、その陳列スタイルにほとんど変わりはないから、安心して買い物が出来る。

また最近では、災害時などに駆け込むシェルターのような役割も果たしている」といった評価もなされており、今後益々その存在感は大きくなっていくことだろう。

さて、ご存知のように、浜田病院跡のコンビニ店は伊藤忠商事系の「ファミリーマート」(城下町店)である。

早起きが趣味の筆者にとって同店はある意味、「一日の始まり」が実感できる〝聖地〟のようなもので、運動後の充足感からか、ついつい財布のヒモまで緩んでしまう。

結果、余計なモノまで買い込んでしまって、母や家人に怒られてしまうことも多いわけだが、今朝ほどは違った。きっとプレゼントと称して、福袋(500円)を持ち帰ったからだろう。

繰り返すようだが、これでやっと〝日常性〟が取り戻せた。出張ウイークも終わったので、気合いを入れ直して頑張るぞ!

最後にクイズを。ローソンの看板中央部に描いてあるマークは、はて何でしょう?答えは「ミルク缶」なんですよ!


2012/06/20

二人の「和子さん」…週刊文春がスクープ記事

のっけから〝弱音〟を吐くようだが、もうクタクタに疲れ切っている。時節柄、総会絡みの出張が相次ぎ、加えて酒盛りが連日のように続いている。

さすがに今朝ほどは倫理法人会のモーニングセミナーは失礼するつもりでいたが、家人から容赦なく叩き起こされた。ただ、その甲斐あってか、浜松建設社長の良い話が聴けたのはもっけの幸いであった。

先週末はラジオの仕事の関係で東京にいた。宿泊先はオヤジの聖地として知られる新橋。有象無象の飲み屋街を彷徨っていて感じるのは、「九州郷土料理」という看板を掲げた店舗の多さ。

「〝食の安心安全〟という観点で考えれば、これから九州地方に俄然注目が集まりますよ」。テレビにも時々登場する某料理界の巨匠がそう呟いていたが、まさに世はこぞってその方向へ進んでいっているようだ。

これを単純に〝チャンス〟と捉えてしまう考え方は、未曾有の大震災や原発事故に苦しんでいる東北地方の方々のことを想えば、 極めて不謹慎である。

しかし、東京という大都会に暮らす消費者の大多数はホンネとタテマエを巧妙に使い分けて、徐々にシフトチェンジを図っているのかも知れない。

いや、と言うよりも、生産者と消費者の間に立ってビジネスを展開している〝目先の利く〟人々が、そのように仕掛けていっているのだろう。九州が見直されること自体は嬉しいが、反面、複雑な思いもする。

さて、そんな中で、『週刊文春』(6月21号)が報じた政治家・小沢一郎氏にまつわる〝スクープ記事〟にはびっくり魂消た。

詳しくは同誌を読んでいただくとして、仮にそこに書かれた内容が〝真実〟であったとすれば、もう何をかいわんや、である。

さすがに〝体面〟を重んじる一般紙の紙面には取り上げられていないが、夕刊紙では派手な見出しを付けて詳しく報じている。

注目の消費税法案の行方と合わせて、今後政局がどのように展開していくのか素人目には判りかねるが、〝事実〟とすれば奥様の落胆ぶりにきっと同調する読者も多いだろう、と思う。

その奥様の名前は「和子さん」だが、同誌には別の企画でもう一人「和子さん」が登場している。こちらの「和子さん」はジャーナリスト徳岡孝夫さん(元毎日新聞)の亡きご夫人。

徳岡さんはベトナム戦争従軍取材の経験を持つ一方で、月刊誌 『諸君!』の名コラムニストとしても知られる。奥様は社会人になって最初に出会った女性だそうだ。

残念ながら、今から12年程前に鬼籍に入られているが、ご主人は「次の世でも和子に会って見初めるかも知れないな」とノロケられている。はて、どっちの「和子さん」が幸せだろうか?


2012/06/15

目に余る誹謗&中傷…「発言の自由」も結構だが…

「法律上の罪人になろうとも、道徳上の罪人になることなかれ」―。筆者が大変お世話になっている某邸宅の床の間に、そんな文言の書かれた掛け軸が飾られている。確か、北村西望先生の揮毫だ。

最初のうちは「はてな?」という思いがしないでもなかったが、幾度となく通いつめているうちに段々とその「深イイ意味」が分かるような気がしてきた。

よりによって〝罪人〟などという物騒な言葉を持ち出すこと自体、不思議と言えば不思議だが、よくよく現世を眺めてみれば、何とまあ「権利意識」という感覚があらゆる局面において幅をきかせていることか!

右を向いても、左を見ても、新聞を読んでも、テレビを観ても…。「発言の自由」は国民一人ひとりに付与された固有の権利であり、法律的に言えば、何ら抵触する要素などない。

このように自由に発言できる社会はある意味、戦後の民主主義(政策、教育?)がもたらした最大の功績だと言えないこともない。が、一方で「言いっ放し」による〝弊害〟が生じてしまう恐れも同時にある。

もちろんそれは〝可能性〟の問題としての話だが、世に言う評論家やコメンテーターと呼ばれる面々を筆頭に、地域には地域のクレーマー(いちいち文句を言う人々)が必ずいて、何か事があるたびに、さも訳知り顔で過剰なまでに〝心配〟をして下さる。

その際、矢面に立たされるのはいつの世でも、予算の執行を任されている〝行政〟の関係者である。それが仕事であるから少しも気の毒だなどとは思わないが、余りもの〝暴言〟には傍で見聞きしていて義憤すら感じる。

個々の話は止めておくが、謂れなき誹謗や中傷はかえって、世の中を惑わしてしまいかねない。また、責任をもって職務に当たっている当事者のやる気までそいでしまう。

それから、これは往々にしてあることだが、そうしたクレーマー諸氏に共通しているのは、他人の言動には異常なまでに敏感な反面、自らのそれにはいたって鈍感である。

もっと言うなら、自身がプレーヤーでないから「その戦術はおかしい」「間違っている」などとスタンドから声高に叫ぶだけで、決してグラウンドやピッチには立とうとはしない。

率直なところ、そんなに言うんであれば、どうして自分で汗をかいて、或いはまた実際にリスクを背負い込んでまでやろうとしないのか。世の中なべて「言うは易し、行うは難し」だ。

最後に蛇足になるが、災害時、首都圏からやって来る取材陣に対し、筆者はいつもこうお願いしていた。「行政vs住民の対立構図で記事を構成することだけは絶対にしないで下さい」と。

振り返ってみて、皆さん例外なく良く聞いて下さった、と思う。今も必要なのは批判よりむしろ、衆知の結集なのではなかろうか?


2012/06/13

ぜんぶ見せます!…甲子園予選はカボチャで

加藤茶の向こうを張って「ぜんぶ見せます!」。拙稿の代わりに、このところ2日続けて掲載させていただいているカボチャテレビの広告コピーだ。

内容は、7月7日(土)から開幕する、夏の甲子園大会(高校野球)の県予選(1、2回戦、及び3回戦の一部)を、すべて〝生放送〟するもの。同15日(日)までの予定。

地元島原半島チームの活躍ぶりを、長崎・佐世保の球場まで出向かずとも、茶の間でじっくり観戦していただこう、という企画だ。組み合わせが決まり次第、改めて放送日程をお知らせしたい、と考えている。

  ※  ※

つい10日ほど前だったか、球史に残る「三沢vs松山商」の〝延長18回引き分け再試合再現〟のニュースが紹介されていたが、もうあれから43年もの歳月が流れているのかと思うと、まさに〝今昔の感〟しきりである。

当時、筆者はまだ中学生。三沢のエース太田幸司氏は学業優秀なる白皙の美少年で、卒業後はプロ野球の近鉄バファローズに進んだが、プロでの成績はいま一つだった。

対する松山商のエース井上明氏は明治大学に進学。卒業後は三菱重工長崎を経て朝日新聞社入り。運動部記者として活躍した、と同社OBの方から伺った。

こと野球界に限らず、人の〝運命〟などというものは、ほとほと判らぬもの。学生の頃はボーっとしていたのに、いざ社会に出た途端、目覚ましい活躍を収める者もいれば、いつまでも〝過去の栄光〟が忘れられないご仁もいる。

全国に何千もある高校の中から、甲子園行きのキップを手に入れることが出来るのは僅かに50チームほど。優勝するためには、その晴れの舞台で1戦たりとも負けは許されない。

つまり、長崎県予選をスタート台とした場合、最低でも10連勝しなければ〝日本一〟にはなれない。これを〝奇跡〟と呼ばずして、何と言おう…。

  ※  ※

月刊『致知』7月号の「将の資格」という特集の中で、今春の選抜甲子園大会で優勝した大阪桐蔭高校の西谷浩一監督が登場して〝持論〟を述べている。対談相手は全国大会制覇4回の実績を誇る、高校サッカー界の名将、本田裕一郎・流通経済大学付属柏高校監督だ。

紙幅の都合でお二方の発言の要旨はとても紹介しきれないが、共通しているのは、レギュラー枠に入れなかった多くの控え選手の〝自発的な協力〟を取り付けていること。

うまく表現できないが、チームとしての〝一体感〟とでも言おうか…。恐らく、この辺りに強さの秘訣があるのだろう。

ところで、まったくの畑違いだが、あのスヌーピーが味なことを言っている。「(結局)配られたカードで勝負するしかないのさ」と。ひょっとして両監督とも、その深イイ意味を知ってたりして…。


2012/06/09

CDより豆腐の時代!?…〝一億総白痴化〟ここに実現

大島優子(おおしま・ゆうこ)で良かった!?他でもない、6日夜に明らかになった「AKB総選挙」の開票結果に関する、筆者自身の率直な感想だ。

当日はバレーボール男子のロンドンオリンピック予選 (日本vs中国)が同時間帯でともに生放送されており、どちらも気になってリモコン片手にテレビの前に釘付けだった。

比率でいけば「7:3」くらいの割合で総選挙を見ていた。まあ、どちら(誰)が勝とうとも、世の中がひっくり返る程ではないので気楽な観戦ではあったが、メディア戦略の在りようを考える上では、ある意味〝有意義〟ではなかったか、と思う。

ところで、バレーボール中継はいつ頃からこんなに〝ショーアップ〟されるようになったのだろう…。各局ご自慢の女子アナはもちろんのこと、ジャニーズ事務所の面々も随所で顔出しして、何の面白味もないコメントを述べる。

〈こんなのは真のスポーツ実況ではない〉と、内心腹立たしい気分で画面を眺めていたのだが、やはり日本チームが勝ったら嬉しいし、それぞれの業界が抱える〝事情〟もあるのだろう。

一方、総選挙の方について言えば、これはもう完全なる主催者側の〝仕掛け〟に他ならない。かつて評論家の大宅壮一さんがテレビ時代を先取りして「一億総白痴化」と揶揄(やゆ)したそうだが、まさしくもってその予言通りの現象がいま目の前で繰り広げられている。

各種IT機器によるネット配信が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する中で、我が国の音楽業界はかつてない〝不況〟だ、と某作曲家から聞いたことがある。氏は「CDの売上げは豆腐に負けているかも…」と嘆かれていた。

全国的に一体どれほど豆腐が消費されているのか知る由もないが、芸能界の派手さの陰に隠れた〝実態〟が垣間見える例え話としては、秀逸だと思った。

そんな中で、投票用紙に代わってCDを買わせると言う新手の手法を編み出した人物はとてつもない〝知恵者〟に違いない。ただ、それに唯々諾々(いいだくだく)と乗っかってしまう〝国民〟も果ていかがなものだろう。

かく言う筆者も楽しんでいる側の一人であるから、大きなことは言えないが、一方で〝虚しさ〟を感じていることも事実だ。

上京の折には、取引先の企業が秋葉原駅前にあるので、必然的にあの突拍子もないいでたちをした女の子を見かけたりもするが、よもやここまで世の注目を集めるとは…。

一説によれば、本当の〝仕掛け人〟は別に控えているとも聞く。だが、ウラの取りようがないので、ここでは何とも申し上げようがない。

冒頭の発言は、翌日のスポーツ紙に取り上げられた〝当選64傑〟の一覧表と写真を見比べながら改めて抱いた印象だ。もっと直截に言うなら、トップが前年の「前田敦子」に続く「子」の付く名前だっただけでも少し安心した!?


2012/06/06

扇風機付きシャツ!?…話題のスーパークールビズ

九州南部が梅雨入り(4日)したそうだから、島原半島を含む九州北部ももう間もなくだろう。そんな想いを抱かせる夜来の雨音を聞きながら、今朝は遅くに目覚めた。

この季節、アジサイの花が綺麗だ。ただし、それには〝条件〟がある。雨の滴(しずく)が垂れていないと、その魅力は半減してしまう。裏を返せば、アジサイに太陽は似合わない、と勝手に思っている。

二十四節気によれば、旧暦5月のこの頃を「芒種」(ぼうしゅ)と呼ぶのだそうだ。「芒」(「のぎ」と読む)とは、イネの外殻に付いている針状の突起のこと。

要するに、稲作を中心とした農耕民族国家である日本においては、昔から、入梅のこの時節に合わせて種もみが蒔かれてきた。そう、間もなく田植えのシーズンだ。

ところで、今年の夏は一体どうなるのだろう?原発再稼働云々の問題もあって、「節電」の必要性が随所で説かれているようだが、実際に迎えてみないと分かるはずもあるまい。

いくら〝精度〟が上がったと言っても、結局のところ、予報はあくまでも予報でしかない。その証拠に、外れたからと言って、気象庁が責任をとった話など聞いたことはない。

人間界に視線を移せば、一昨年並みの「酷暑」の到来を予想してか、早くも「クールビズ」(ファッション)の行方が話題をさらっている。

何でも、最近の流行りは「スーパークールビズ」というふれこみで、扇風機付きのワイシャツまで売り出されているそうだから、驚きを通り越してほとほと呆れてしまう。

それがどれくらいの「クールダウン効果」を生み出すことか予想はつきかねるが、実際に「炎熱地獄」を幾度も体験した身にとっては、「焼け石に水」ほどしかあるまい、と想う。

その「炎熱地獄」は着ぐるみの内部に確かに存在している。弊社のマスコットキャラクターとして子供たちにも人気の高い「もっぱら君」の中に入れば、真冬でも汗が滴り落ちること請け合いだ。確実に3キロは痩せる。

ついでに、少しだけ内部の説明をすれば、頭上の部分に、実は小型の扇風機(電池式ファン)が設置されている。ところが、いざ被ってみれば、それが単なる〝気休め〟にしか過ぎないことが即座に判明する。

もっとも、前述の「スーパークールビズ」は着ぐるみ外の話だから、状況は随分と違うのだろう。しかし、そこまでして涼むより、もっとメリハリを付けた情緒的な手法だってあるはず。

四季があって湿度が高いというのが日本本来の気候の特性。ならば、金儲けのために下手なアイデアを凝らすより、季節の移ろいをじっくりと味わいつつ、澄ました表情でやり過ごしたいものだ。まあ、出来ればの話だが…。


2012/06/05

安物買いの銭失い…どうしてこう無理&無駄を…

少し立ち止まって考えればよく分かることだが、いかに身の回りに「無理&無駄」の多いことか!愕然としてしまう。

所詮、人間のすることだから「完全の域」に達するはずもないが、〈アレもコレも〉と気にしだしたら、もう止めようがない。

ざっと自分の机周りを見渡してみても、特段買わなくてもよいモノばかりで溢れ返っている。雑誌に文具、時計にカメラに音響機器…などなど。

総じて言えることは、それらは全て〝安物〟の類いである。「欲しいから衝動買いしてしまう」→「値段が安いので大切にしない」→「そのうちに飽きてきて別のモノを買う」―。

ひょっとしたら筆者特有の〝悪癖パターン〟かも知れないが、これがなかなか治らないで困っている。つい最近も続けざまに財布2つを買ってしまった。

1つは通信販売。カード類が何十枚も入るドイツ製というふれこみで価格も〝激安〟だった。実際に現金で支払うわけではないので、つい鷹揚になって申し込んでしまった。数日後、宅配便が届いた。

早速、ワクワクしながら中身を取り出してみたのだが、これが予想に反してデカッ!ご婦人用の小型ハンドバッグ程もあるのだ。

傍らで開封作業を見守っていた母と家人は呆れた様子で、「そがんフトかとばどがんすっと?」と、いつもの〝詰問口調〟。

内心〈しまった…〉と思ったが、ここで弱みを見せたら負け。「いやいや、これくらいなければお札も痛むし、ドイツ製だから造りもほらこんなにしっかりしてますよ!」と、そそくさとその場を立った。

ところが、弊害はすぐに現れた。背広の胸ポケットに収まりきれないのだ。無理すれば押し込めないこともないのだが、そうすれば取り出すのが一苦労だ。

その〝大判〟を携えて、先週末は鹿児島出張だった。宿泊先(フロント)での話。

「お客様、当ホテルは前払いシステムでございます」。「OK!」と言ったまでは良かったが、背広を着たままではどうしても財布が取り出せない。

仕方がないので、フロント嬢の見守る前で背広を脱いで、ウントコドッコイ。 やっとの思いで抜き出すことができた。

〈これじゃいかん!〉。待ち合わせの時刻までにまだ若干の余裕があったので、近くのデパートまで出かけることに。目指すは〝小型兼安物〟だ。

案内された陳列棚を見ると、黒地に赤の十字ラインが入ったオシャレな一品が見つかった。値段もそこそこで、迷わず即決!

だが、表に出て中身を詰め替えてみると、お札は飛び出るわ、カード枠は足りないわ…。おまけに皮が異常に固い。

しかし、もう時間がない。かくして、事態は再び暗礁に乗り上げてしまった。【教訓】安物買いの銭失い。


2012/06/03

急にイップスに陥る…少しの異変で機能不全に

こういうのを何と呼んだらいいのだろう…。本当に、はたと書けなくなってしまったのだ。

ストレスだろうか?ゴルフなどのスポーツで思い通りにプレーが出来ない心理状態のことを「イップス」と言うらしいが、それに近いのかも知れない。

症状は週末の福岡出張の折に、突然やってきた。携帯用パソコンは持参していたものの、肝心要の電源コードがどうしても見つからなかったのだ。

仕方がないので、 残った電力量で何とか拙稿を仕上げようと必死に試みたのだが、少しも前へ進まない。そのうちに画面はプツンと消えた。

ならば!と今度はホテルの売店でノートを買い求めて〝手書き〟で臨んだのだが、症状は一向に改善せず、何日間も原稿を送ることが出来なかった。

以上、ここ数日間の自らの不始末を弁明するかのような書き出しになってしまったが、改めて考えてみると、このこと自体、何かしら現代的なテーマを孕(はら)んでいるような気がしないでもない。

端的に言うと、原子力発電(再稼働云々)の問題とよく似ている。パソコンという便利極まりない情報機器にいざ異変が生じてしまったら、仕事を含むすべての生活のリズムが狂ってしまいかねない…と。

先週はCATV業界をはじめとする各種の〝総会〟が県内外で開かれ、東へ南へと、連日のように飛び回った。仕上げは鹿児島市内だった。

〈義理ある人に 背を向けて 別れてきたと 君は泣く 雨がふるふる 天文館通の 青いランプに 身を寄せりゃ ああ 悲恋の旅の ドラがなる♪〉

ご存知!北海道(凾館)出身の北島三郎さんが歌って大ヒットした『薩摩の女性』の歌い出しだ。 その天文館通に昨日までいたのだが、現地では雨ならぬ灰(桜島)が降っていた。

帰途、ホテル前から市電に乗っていると、乗客の皆さんが一斉に東の空を見上げている。何だろう?」と訝る間もなく、褐色の火山灰が降りてきた。

街ゆく人々(特に女性)は一斉に日傘をさし、足早に建物の中へと掛け込んでいく。 たまたま日付が月替わりの6月1日だったので、ふと21年前の普賢岳噴火災害当時の状況を思い浮かべていた。

鹿児島中央駅から熊本駅までは新幹線で約1時間。ホテルサービスの南日本新聞のページをめくりながら車中の時間を過ごしているうちに、定刻通りに到着した。

駅前からタクシーを拾った。「お客さん、どちらから?」。人なつこい笑顔の運転手さんが尋ねてきた。

「鹿児島から島原へ帰っているところです」。「そうですか、島原も一時期は大変でしたよね。私らも随分と灰まみれになりまたよ」。お互いに〝悲恋〟ならぬ〝試練〟の旅が続く。