2012/05/29

続・トマトのはなし…〝逆境〟で自分を磨こう!!

日本語では「トマト」と発音するが、英語の米語読み(発音記号)では「トゥメイトゥ」ではなかったか?まあ、それはともかくとしても、前号でも触れたように、そもそもの〝原産地〟は南米・アンデス山脈と言われている。

酸素濃度が希薄な高原地帯の荒れ野が元々の古里であるから、トマトはジャガイモとともに〝逆境〟に強い野菜である。そこに目を付けたのが小田浩爾さんや、その畏友(大学時代)の永田照喜治さん(「緑健農法」の主唱者、天草出身)というわけだ。

この農法については、聞けば聞くほどに、奥が深いという気がする。つまり、収量を増やすために水や肥料などを大量に施すのが一般的な栽培方法であるが、直截に言えば、全くもってその〝逆〟をいく。

敢えてそうした厳しい環境を創出することによって、植物の〝本性〟がむき出しになる。 結果、得も言えぬ〝深い味わい〟が導き出されるという筋書きなのである。

小田さんによれば、永田さんは野菜の世界に初めて〝糖度〟という指標を持ち込んだ人物だそうだ。また、別の機会にラジオ番組で聴いた話によれば、糖度の高い高島産のトマトの表面には、薄っすらとした繊毛(せんもう)が生えている、とか。

それは、根っこの部分から吸収できる水分量が少ないために、空気中に含まれる微量の水分を表皮から吸収するためだ、とも。筆者の勝手な想像だが、人間も植物も必死になれば、生き抜く術が必ず見つかるという、貴重な〝教え〟でもあろう。

ただ、話は変わるが、トマト自体はどちらかと言えば大人向きの味だ。したがって、世の中には食わず嫌いの子供たちがゴマンといるようにも思う。

かく言う筆者でさえ、「体に良い」と聞かなければ、積極的に食べたいとは思わないが、一つだけ確実に食欲をそそる〝演出〟の方法がある。

それはいとも簡単で、氷の上にトマトを置いておくだけ。出来れば氷は砕いておいた方がより効果的だ。ある時間を過ぎると、トマトの表面に水滴が付き、見た目にも涼しげで、とても美味しく感じられること請け合い。

〝食育〟とやらが昨今の流行りらしいが、どうやったら苦手な食べ物を子供たちに食い付かせるかを考えるのも、ある意味、大人の側の責任でもあろう。

結論!好き嫌いや我がままを言わず、果敢にチャレンジしていく精神にこそ、この混迷の世を生き抜いていく智慧が潜んでいる。そう思う。

【蛇足】ホテルのレストランが一流であるかどうかの見分け方。 一流所の朝食会場(ビュッフェ)では、プチトマトのヘタの部分がきちんと取り除かれているそうだ。真偽の程はさておくとして、一見の価値ありでは…。


2012/05/27

トマトの意外な効用…小田さんのロマン〝結実〟

長崎市内に住む古い友人から昨日、見た目にも美味しそうな瑞々しい枇杷(びわ)が贈られてきた。この季節、毎年のことで、恐縮の限りだ。

時に、枇杷と言えば、長崎県の専売特許とばかり思い込んでいたが、他にも産地があることを、先日の上京の折に初めて知った。

場所は東京駅・八重洲口地下のショッピングモール。著名な高級果物店の陳列棚に「房州びわ」のブランドで売られていた。本県産のものよりやや丸みを帯びた大ぶりの実で、どちらかと言うと「杏」(あんず)に似た形をしていた。

値札を見ると、一箱に10個ほど入って8千円。宮崎県産のマンゴーと同じだったが、こちらは1個詰めだから、より〝高級品〟の扱いということだろう。

東国原前知事による派手なPR活動ですっかり有名になった「宮崎マンゴー」については今さら説明も要すまいが、房州の地(千葉県)にも、よもや枇杷があったとは…。

しかも、ネットで調べてみると、明治の御代より皇室へ献上している、とのこと。頂戴したばかりの「茂木びわ」を前に〈長崎県もうかうかできんばい〉と思った次第。

ところで、初夏の到来とともに、トマトが美味しいシーズンとなった。そのトマトの〝効用〟について、今朝(26日付)の長崎新聞に面白い記事(共同配信)が掲載されていた。

何でも、お酒を飲む際にトマトを摂取すると、アルコールに酔いにくくなる、というのだ。詳細な解説までは踏み込んでいないが、「アサヒ」と「カゴメ」の共同研究によって実証された、という。

それなら、これから酒を飲む時はトマトを肴(さかな)にすれば、悪酔いもしなくなるし、一挙両得だ。さっそく、今夜から試してみることにするか!?

おまけに、長崎県はトマトの一大産地である。島原半島でも盛んに栽培されているし、旧産炭地対策などの一環として取り組まれた高島や大島産のトマトは特に有名だ。

先日、長崎県の総務部長や長崎プリンスホテル社長などを歴任された小田浩爾さん(島原市出身)と一杯やる機会があって、商品開発当時のお話を伺うことが出来た。

詳しくは小田さんの著書『巡り逢いし人達』(長崎人間模様)をご参照いただきたいが、要点だけ言えば、トマトやジャガイモは原産地のアンデスのような厳しい環境で育てれば、 作物本来の持つ〝滋味〟がより引き出せるというもの。

人それぞれにロマンがあるが、ただそれを実践できないまま〝店ざらし〟にしてしまうのが、悲しい哉、凡人の性(さが)。高島&大島産のトマトが絶大な人気を今も勝ち得ているニュースを耳にするにつけ、「男子の本懐」という言葉をつい、大柄な小田さんの姿とダブらせてしまうのである。


2012/05/24

もう早よ帰りたか!!…香蓮ちゃん週刊朝日にも

出張4日目。さすがに〝里心〟がついてきたようだ。正直なところ、もう早くお家に帰りたい!

とは言っても、まだ大切な用事が残っている。後1日、しっかり仕事を終えて帰るとするか。

ところで、昨日報じたように、姉妹都市・福知山市のコミュニティFM局との防災協定も無事締結。まずは〝一安心〟といった気分で、再び東京を目指している途中、宮崎香蓮ちゃん(女優、早大生)の笑顔を見かけた。

正確に言うと、京都駅の売店に置いてあった週刊朝日(6月1日号)の表紙上で微笑んでいたのである。先週の週刊ポストでも見かけたから、このところほぼ〝毎週〟だ。

今朝ほど、早朝散歩の途中で家人にそのことを教えようと電話を入れたら、「週刊女性にも掲載されている」との由。段々と「平成の吉永小百合」の看板が板についてきたか…。

余談だが、週刊朝日の表紙写真で思い出すのは、島原市三会町の小田利昌さん(早大の先輩)のお孫さんのこと。もう随分と昔の話になるが、確か帰国子女で東大に合格した際に撮影されたものだった、と記憶している。

まあ、香連ちゃんといい、小田さんのお孫さんといい、世の中には〝才色兼備〟の女性がいるものだと感心する一方で、今年の「関東島原半島会」で香蓮ちゃんに出会えなかったことを悔やむ。

それともう一つ残念だったことは、資生堂のズナイデン房子女史とお会い出来なかったこと。受付のデスク上には名札が用意されていたので、中道利治前幹事長からご紹介いただくつもりでいたのだが、あいにく所用があったのだろう。

実際にお話を聞いていないので不確かなことは言えないが、ズナイデンさんは島原高校→筑波大学卒。資生堂では現在、社会貢献事業部門の〝第一人者〟だという。

話は度々変わって申し訳ないが、今朝の散歩では、前日に開業したばかりの「スカイツリー」を目指した。午前6時の目覚まし時計より30分も早く起床。持参したスポーツウエアに着替えて早速表に出たら、昨夜の雨もすっかりあがって、絶好のウォーキング日和だった。

宿舎の赤坂のホテルから国会界隈、桜田門、東京駅、神田、日本橋と2時間近くにわたって歩き回ったのだが、いくら進んでいっても周囲は背の高いビルばかり。

とうとうその雄姿〟を眺めることは出来ずに疲れ果てて帰ってきて、パソコンに向かっている、という次第。そのせいだろうか、いつも以上に文章が支離滅裂なのが自分でもよくわかる。

そう、やっぱり筆者には島原が一番!いつもは煩わしい母や家人の小言や毒舌も今となっては早く聞きたい、という心境になってきている。


2012/05/22

大いに盛り上がった!!…関東島原半島会に300人

8×8…。 末広がりの数字をダブルで掛け合わせた効果だろう!「関東島原半島会」(福田学会長)の第64回総会は、例年を1割強も上回る約300人の出席者で賑わった。

会場は日本初の超高層建物として知られる、虎ノ門の霞ヶ関ビル。設計者は本県ともなじみの深い、ハウステンボス㈱元会長の池田武邦先生だ。

総合司会は南串山町出身の平野康博さん(事務局長、アジル・ラボ社長)が務め、達者なマイクさばきで議事はスムーズに進行。今回限りで幹事長を退くことになった中道利治さん(島原市出身、元資生堂)が「1年分の元気をここで蓄えて下さい」と開会宣言を行った。

主催者代表の福田会長(口之津町出身、三郷コンピューター印刷会長)はまず、多くの会員のおかげで目標額を遥かに上回った東日本大震災被災地への義援金(総額1270万円)について触れ、感謝の思いを伝えるとともに、「絆の大切さ」を訴えた。

このあと、決算の会計報告を金子和弘さん(有家町出身)、監査報告を小畑道夫さん(吾妻町出身)がそれぞれ行い、拍手でもって承認した。

引き続いて、家庭の事情で幹事長を勇退することになった中道さんがお礼の言葉。後任の寺田誠吾さん(島原市出身、プラスナイロン)が就任に当たっての抱負を述べた。

来賓祝辞のトップバッターは横田修一郎島原市長。東北被災地支援活動に対して、改めて感謝の気持ちを伝えると同時に、島原半島3市が協力して誘致した「ジオパーク・国際ユネスコ会議」が成功裡のうちに無事閉幕したことなどを報告した。

奥村慎太郎雲仙市長は、旧7町それぞれにおいて現在同市が進めている施策の概要を、ユーモアたっぷりに詳説。「ふるさと納税の方も一つヨロシク」と、しっかりと注文することも忘れなかった。

藤原米幸南島原市長は持ち前の朴訥とした語り口で、今や起動に乗りつつある「民泊事業」や「NHKのど自慢」などの明るい話題を紹介。口之津港開港450周年記念事業を核として、さらなる知名度アップに努めていきたい」と、力強くトリを結んだ。

続いて来賓紹介が行われ総会は無事終了。懇親会は、次期総選挙へ向けて〝注目〟が集まる前衆議院議員の久間章生元防衛大臣(初代)による乾杯の音頭でスタート。テーブルごとに懐かしの古里言葉が飛び交っていた。〔写真は福田会長〕


2012/05/17

ツツジが咲き始める…キバナコスモスは〃満開〃

ツツジの花が咲き始めた。いよいよ「初夏到来!」という清々しい気分で出社して朝礼に臨むと、日々の教本としている『職場の教養』(倫理研究所発行)では、「人の和」の大切さが取り上げてあった。

ページを開くと、〈甲斐の山々 陽に映えて♪〉の歌い出しで始まる『武田節』の一節が。三橋美智也さんらの歌詞とは少々順序は異なるが、〈人は城 人は石垣 人は堀 情けは身方 仇は敵〉とあった。

意味合いについては一々説明も要すまいから端折らせていただくが、筆者が何かしら〃因縁〃めいたものを感じたのは、朝礼の直前に花壇のツツジの植栽を眺めていたからだ。

その『武田節』の第四節の歌い出しにはこうある。〈躑躅ヶ崎(つつじがさき)の 月さやか♪〉と。

まずはツツジを漢字で書くとこんなにも複雑になるのか!と驚嘆。と同時に、それ(躑躅ヶ(つつじが)先館(さきやかた))が信玄公の住居あったことも知って、朝からとても良い勉強になった。

まあ、それはそれとして、我が身が「石垣」なのか「踏み台」なのか良く分からぬまま(いたずら)に馬齢を重ねて50有余年。最近は何かにつけて「花」に目がいくようになった。

一見華やかな感じのするツツジの魅力も捨て難いが、好みからすると、往生際の悪さがどうにもいただけない。その点、サクラ(ソメイヨシノ)は、潔くて素晴らしい。

「我が人生もかくありたし!」と願うが、両の掌の〃生命線〃は不必要なまでに手首の所まで伸びてきており、家人らには申し訳ないが〃長生き〃する可能性大である。

ところで最近、ツツジに負けず劣らず咲き誇っているのが、キバナコスモスという野の花だ。コスモスと言えば「秋桜」という漢字が充てられるように秋の花のイメージだが、いつしか全国を席巻してしまっている様子である。

そう感じたのは、何年か前の週刊誌のグラビア欄に、特集記事が組まれていたのを見た時から。

島原半島にはいつ頃来たのだろう…?同じ黄色でもセイタカアワダチソウなんかと違って人体に害を及ぼすようなこともあるまいので、安心して眺めているのだが、余りにも旺盛な〃繁殖力〃にいささか脅威を感じないでもない。

一方、アジサイも間もなく開花の時期を迎えようとしている。この花は島原よりむしろ長崎の方で重宝がられているようだが、花弁にやや毒素(?)のようなものが含まれていることを知って驚いた。

したがって、季節感満載の〃創作料理〃などに添えられているのは余り褒められたことではない、とモノの本に書いてあった。

〈綺麗な花には(とげ)がある〉そうそう、バラの花もまたシーズンだ。それを漢字で書くと…。パソコンだからすぐに出てくるが、無粋なので止めておこう。


2012/05/16

益田のオジサンのこと…また〃交通違反〃で捕まる

どうやら筆者にとって白土湖は「水門」ならぬ「鬼門」のようである。一昨日(14日)、シートベルトの装着違反で、ほぼ4か月ぶりに警察にトカマッテしまった。

前回は高速を降りた所(諫早IC)で、後部座席の両親がベルトをはめていなかったことを咎められたが、今回は紛れもなく自分自身の不注意によるもの。弁解の余地はない。

ただ、「怪我の功名」と言ったら少し言い過ぎかも知れないが、こうして自らの「不始末」をあけすけに語ることによって助かる人(?)もいるようだ。

事実、4か月前の本欄の懺悔記事に関しては、「知らなかった。今後は気をつけよう」などとする好意的な反応が各方面から寄せられた。まあ、当事者としては複雑な気分だが…。

閑話休題、「鬼門」の話に戻る。日本で初めてのジオパークの国際ユネスコ会議も15日をもって、4日間の全日程を終え、無事閉幕した。

何はともあれ「メデタシ」「メデタシ」といったところだが、一夜明けた16日早朝、白土湖沿いの市道を車で走っていて愕然ときた。早くも空き缶やペットボトルなどのゴミが捨てられていたのだ。

計5個あった。国内外からの参加者を気持ち良く迎えようと、やっつけ仕事とはいえ、あれほど熱心に清掃作業が行われていたのに…。

2日前に調書を取られた〃因縁の場所〃に車を停めて、そこから歩いて回収にかかったのだが、ふと脇を見ると、顔見知りの市役所職員がゴミ袋と網を手に突っ立っていた。

「どうした?」と尋ねると、「鯉が死んでいる」と連絡を受けた、との由。数分後、2人がかりで体長50センチ以上のでっぷりと太った〃大物〃をすくい上げていた。

歎息まじりにその光景を見つめながら、筆者はガキの頃から何かにつけて可愛がってもらっていた、ある〃人物〃のことを思い浮かべていた。

その人は、元小浜町役場に勤務していた益田かずあき(和章?)さん。もう随分と前に亡くなってしまったが、筆者の叔父の同僚で、無類の酒好きだった。

その益田さんが環境関係の部署に勤務していた折、ある町会議員が「おい、町内のどこそこにゴミが落ちているぞ」と、さも〃手柄〃のように訴えかけてきた。

一瞬カチン!ときた益田さんはこう答えたそうだ。「今からタカボーキ(高帚)ば予算で買うてやるけん、ワーガ(自分)で掃いて来い!」と。

今時、益田さんほど肝の据わった公務員はなかなか見かけなくなったが、同氏の母校でもある小浜中の後輩達が国際会議を「ウイ・ラブ・アース」のマーチングバンドで締め括ったという記事を読んでつい、その〃人となり〃を憶い出してしまった、という次第。


2012/05/15

虹鱒は海水でも育つ…その名はトラウトサーモン

〈えっ、今まで『サーモン』(鮭)とばかり思い込んでいたのに、その実は『ニジマス』(虹鱒)だった、ってか!?〉前号の最終章はこんな感じで結んだわけだが、ドリトル先生の記事を読むまでは、本当に疑う気持ちは露ほどもなかった。

ここで言う「ドリトル先生」とは、テレビ等でもよく見かける生物学者の福岡伸一さんのこと。その先生が朝日新聞社から出ているアエラ誌(5月14日号)に寄稿されているのだ。

「海の魚はあんなにしょっぱい海水に囲まれていますが、水を飲まないのでしょうか。」という質問に答える形で、まさに「目からウロコ」の論旨を展開して下さっている。以下、要点を拾う―。

《海水の塩分は3%。これに対して生物の体液や血液は0.9%。これが生理的食塩水。もし(人間などの生物が)海水を飲み続けていると、浸透圧の原理で体内の水分が細胞外へ出ていってしまい、やがて死に至る。ナメクジ退治に塩を用いるのはこの原理》

《海に()む魚も当然真水を飲まなくては生きてはいけない。そのために、ある機能(塩類細胞・イオンチャネルがエラの部分に装備されていて、海水中の塩分を体外へくみ出している》

《サケやウナギなど川と海を往復する〃両刀使い〃の魚は、その機能に柔軟性がある、ということ。ニジマスも本来は淡水魚だが、同じようなわけで海水でも育てることができる》

《最初に淡水で育てたニジマスを海水に移すと、4、5年で倍以上(約1メートル)になる。これは塩類細胞をフル稼働させることによって、全身の成長ホルモンの分泌が高まるため》

《現在、この原理を応用したニジマスの海面養殖が一大産業になっており、こうして誕生したニジマスは『トラウトサーモン』という名前で流通している。つまり、これが回転寿司などで出回っている『サーモン』のこと》

読者の皆さんの中には、「そんな事なんかとっくに知ってるよ!」と鼻白む方もおられるだろうが、筆者のように少なからぬショックを受けた方も、おいでではなかろうか…?

筆者がまだ若かった頃は、サケの刺身は「ルイベ」と呼ばれる〃半冷凍状態〃でしか食べることができなかった。なのに、近頃はどうして?という疑問は常々抱いていたが、これでやっと〃氷解〃した。

それにしても、回転寿司巡りを続けていて如実感じるのは「サケネタ」の多さ。今日まで勝手に騙されてきたことを思うと、やや複雑な思いがしないでもないが、あの脂身のトロッとした味わいはやはり捨て難いのである。

【番外編】関連して面白い話を聞いた。ヤマメの場合は〃縄張り争い〃に敗れた連中が海へ下り、倍ほどの大きさになって再び元の渓流へ戻って来るのだそうだ。なぁ~んか、人間の世界にも似てません?