2012/03/24

梶原裕太君の答辞…天を恨まず、運命に耐え…

読者の皆様は覚えておいでだろうか?今からほぼ1年前の3月22日、宮城県気仙沼市立・階上(はしかみ)中学校の卒業生代表、梶原裕太君が涙ながらに読んだ答辞の内容を。先般参加した防災セミナーの会場で、その全文を山口大学大学院教授の三浦房紀先生から教わった。ネットでも検索できるが、改めて本紙上でも紹介したい。母校を巣立っていく卒業生の皆さん、ぜひ読んで下さい!

本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、私たちの為に、卒業式を挙行していただき、ありがとうございます。

ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、57名揃って巣立つ筈でした。

前日の11日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こることも知らずに…。

階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の脅威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。時計の針は、14時46分を指したままです。でも、確実に時間は流れています。

生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかねばなりません。

命の重さを知るには、大き過ぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの私たちの使命です。

私たちは今、それぞれ新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に見える日々や友達が、いかに貴重かを考え、いとおしんで過ごして下さい。

先生方、親身のご指導、ありがとうございました。先生方がいかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。必ず、よき社会人になります。

私たちは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。最後に、ありがとうございました。


2012/03/23

孤独な落伍者の夢想…異動のシーズンに思う…

休日返上で県外に出張して帰ってみたら、新聞紙上には各方面の「人事異動」の記事が掲載されている。

「へぇーそうなのか」「お世話になったあの人も、もう定年を迎えたんだ」…などと感慨に耽りつつ〃来し方〃に思いを馳せる。

出世した人、しない人。世の中には〃勝者〃の分だけ〃敗者〃もいる。いや、端(はな)からそんな事柄には興味を抱かない達観した人物もいないではない。

ただ、世間一般で言えば、「人事」ほど注目を集める〃人間ドラマ〃はあるまい。そこには人間の業(ごう)とも言うべき、色んな感情や揣摩臆測(しまおくそく)が複雑に絡み合う。

年齢面で言うと、昭和30年生まれの筆者の世代は満の56歳だから、勤め人の序列でいくと、ほぼトップの位置取りである。先生の世界なら校長、県の職員なら部長・局長などといった具合に―。

今となっては何の未練も羨望もないのだが、たまたま「オイも先生になっとったら、今頃校長…。どの辺の学校やろかい?」などと食卓で軽口を呟いたら、周囲は「フン」とそっぽを向いた。

それでもめげずに「○○氏(旧姓)□□高校校長に!といった見出しの付くとやろかい?」と食い下がってみたが、「アホ」の一言で却下された。

だいたい、ここに居ること自体が不思議と思うから、率直に素直な思いをぶつけただけなのに、いくら何でも「アホ」はないやろ!?

過ぎ去った時間を取り戻せないことくらいは、「アホ」の身だって分かるわい。そう、人生に「イフ」なんて無いのだから…。

人間はある時点で「選択」を迫られる。気障な言い方をすれば、それが人生における「分水嶺」だ。

ただ、「もしもあの時」といったシチュエーションは、誰にだってあるはずだ。それくらいの〃想像力〃はいくら膨らませても別段、罪にもなるまい。

嗚呼、それなのに我が家族と言ったら…。テーブルの向こう側では、別の選択をしていれば生まれてくるはずもない息子までが感に堪えないような表情を浮かべている。

仕方がない。それなら自分だけ独りで「夢の世界」を楽しむだけだ。

〈もし、あの時、別の学校に行って、違う職業に就いていれば、気立てが良くて、やさしいフィアンセとも遭遇し、きっと優秀な子宝にも恵まれていたはず〉

〈出来たら、可愛らしい女の子がいいな。年頃になったら、まるで恋人のように連れだって歩く。時には瀟洒な酒場でワインでも傾けながら〉

と、ここまで書いてきて、自分は何と大人げないことを…とハッと我に帰った。詮なきことを求めるな!今を、現実を、しっかり生き抜くことだ!ヨーシ!!


2012/03/20

資生堂の〃社会貢献〃…24節気で生き抜く術を!!

唐突だが、最近は社会貢献分野における資生堂(本社・東京)の活躍が際立っているように思う。そんな〃感慨〃に浸っているところに、島原市出身で同社OBの中道利治さんから住所変更のお葉書をいただき、「これも何かのご縁」という〃気〃がしている。

一般的に資生堂と言うと、高級化粧品のイメージが強いが、スタートは我が国初の「洋風調剤薬局」だという。福原有信氏が明治5年に、銀座で店を開いたのが始まりだそうだ。

以来、1世紀半近くにわたって〃王者〃としての歴史を脈々と刻んできているのだが、つい何年か前には新興他社の廉売攻撃を受け、かつてない〃苦境〃に晒される一幕も…。

そんな中〃社運〃をかけて世に問うたのが、「TSUBAKI」という名の高級ヘアケア商品。美貌で鳴る人気女性タレントを次々とCMに登場させ、一挙にトップシェアを獲得したのは有名な話。

古い人間なら資生堂のブランドイメージは、何と言ってもあの「花椿」マークだが、調べてみると、一時期それを取り止めていたことがある、という。

皮肉にも、それを境に凋落傾向に拍車がかかったと言うから、この辺りの事情は「鶴」マークをいったん引っ込めて、再び採用することで〃運気〃を取り戻しつつある日本航空とダブって見えないでもない。

さて、その「椿」の話だが、長崎県下では五島列島が昔から「椿油」の産地として有名だ。同社はそこに着目し、最近は現地の人々と一緒になって植栽に取り組むなど、傍目に見てもなかなか素晴らしい企業活動を展開している。

他所事だが、これを〃社会貢献〃と言わずして何と言おう。また、本県内に限らず、発生から1年が経過した東日本大震災でも、日本財団などとともに被災地の復旧・復興に援助の手を差し延べているそうだ。

これは先ごろ新潟県で開かれたコミュニティFM放送関係者の集まりで、実際に被害に遭った局の経営者から〃生の声〃として直接伺った。

振り返ってみると、島原でも「ミネ㈱」(化粧品店・中堀町)の峯潔社長の肝いりで、作家の桐島洋子さんをはじめ、同社幹部スタッフの方のお話を聴く機会を作っていただいたことがある。

桐島さんが講演で取り上げたテーマは確か「『気』について」であった、と記憶している。もう20年くらい前の話だが、たまたま最近買い求めた創業者の孫に当たる福原義春さん(名誉会長)の本がこれまた実に素晴らしい。

題名は『季節を生きる』(毎日新聞社)。世界に冠たる我が日本の四季を、「二十四節気・七十二候」の解説とともに、生きる術(ヒント)をさりげなくひも解いて下さっている。

ついに〃前置き〃ばかりで終わってしまったが、20日はそれで言うところの「彼岸の中日」(春分の日)である。皆さん、牡丹餅(ボタモチ)を食べましょう!


2012/03/18

松尾&田実と鴎(かもめ)鳥(どり)…ドブネズミ釣った姫田さん

〈ハーバーライトが朝日にかわる そのとき一羽の かもめが翔んだ♪〉。若かりし頃の渡辺真知子さんが伸びやかな歌声を披露してから早くも30年以上が経過する。

確かあの作品は失恋した〃乙女心〃を切なく歌い上げたものだったが、どうもこの方々の話を聞いていると、鴎(かもめ)はそんなに軟(やわ)な鳥ではないらしい。

【証言その1】松尾印刷社長にして島原商工会議所環境委員長を務めている松尾錦二さん。以前キス釣りに出かけた際に、もろ沖のカモメを釣り上げた。→「いやぁー、引きが強いのなんのって、こちらが魂消(たまげ)るくらい。やっとのことで手繰り寄せ、針を外してやったが、ビックリするくらい首が伸びてきて気持ちが悪かった」

これには〃後日談〃があって、悪友の藤元正博さん(藤元工務店社長)が「それ以来、錦ちゃんの顔ば見っと、カモメん連中は一斉に逃ぐっとげな」と吹聴して回っているらしい。

【証言その2】九州電力島原営業所長の田実貞昭さん。松尾さんの場合と違って、投げた釣り糸にカモメが絡まって往生した話。→「可哀そうな矢(や)鴨(がも)の例もあったので、何とか外してあげたかったのだが、途中で糸が切れてしまって…」と、いまだに申し訳なさそうな口ぶり。

【証言その3・番外編】松尾さんが語る。「オイたちゃまだ良か。姫松屋の英ちゃん(姫田英治社長)な、こがん太かドブネズミば釣り上げたっじゃるけん!」と身ぶり手ぶり。

何を狙っていたのか知らないが、思いっ切り遠くまで釣り糸を投げようと本格モーションに入ろうとしたその瞬間、後ろにいたドブネズミの野郎が釣り針ごと餌をガブリ!

「さぞかし重かっただろうな…」と推測するしかないが、やはり姫田さんは〃何か〃持っている。でないと、幾度もホールインワンは出来ないだろう。

そんな馬鹿話(失礼!)を交わしながら帰りの船中を過ごしてきたのだが、ふと窓越しに海を眺めると、カモメの群れが船のスピードに合わせて随行中だ。その様はまさに〃縦横無尽〃。さっと上昇したかと思うと、次には海面すれすれの低空飛行。凪(なぎ)の有明海は鏡のようにその姿を映し出している。

ややもすると環境問題は、政治や思想絡みの難しいテーマとして取り上げられがちだが、畢竟(ひっきょう)、そこに暮らす人々の心の持ち様である。「美しい古里であってほしい」と願い、その思いを実践すれば美しくもなるし、逆なら〃破壊〃への道をたどる。

「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」(法然上人)

-おわり-


2012/03/17

佐藤社長と「一刻者(いっこもん)」…馬渡氏の真似で危うく…

さてさて本日の〃主役〃は、佐藤電装社長の佐藤勝(しょう)亮(すけ)さん。この方の口癖は島原弁丸出しの「ひっちゃかまし」だ。

筆者がまた勢い余ってこんな事を書けば、「ひっちゃかまし」の次に「こんバーカが」とお叱りを受けることは目に見えている。しかし〃事実〃は〃事実〃としてお伝えしなければ…。

風力発電施設の「野間ウィンドパーク」までの佐藤さんは、それはそれは物静かな紳士だった。係のお嬢さんの説明も良く聞き、エンジニアの眼で施設の細部まで探っているようにも思えた。

変貌を遂げられたのは宿での夕食会場。よほど機嫌が良かったのか、次々と席を移っては誰彼となく肩を叩かれていた。筆者のテーブルにお見えになった頃には、もう随分とメートルが上がっておられた様子で、呂(ろ)律(れつ)も心もとなかった。

「おい清水、ワイも飲め~」と言って、宝酒造島原工場長の碓井規佳さんが差し入れて下さった同社の芋焼酎「一刻者(いっこもん)」を気前良く注(つ)いで下さった。と、何を思われたか、次には氷も何も入っていないご自身のグラスに、ビンの底の方に残っていた一番濃い部分をドバドバ。

その後、間髪を入れない素早さで〃原液〃のままグビグビ。下戸の馬渡迪裕さん(アポロ興産会長)が「ショースケさん、そいは『一刻者』じゃなか。『一気者(いっきもん)』ばい」と笑いながら諭したが、時すでに遅し…。

この後、身長差約20㌢の馬渡&清水のデコボココンビは頃合いを見計らってジャグジー風呂(潮湯)へ。これが腹回りの贅肉部分を刺激して、頗(すこぶ)る気持ちが良かった。

話は前後するが、夕食前の入浴シーン。東洋機工の佐井彰社長、九電島原営業所の田実貞昭所長、会議所の荒木通夫専務、碓井工場長の6人で中型サイズの浴場に入っていた折、前後半の2班に分けて洗い場を使うことに―。

前組は荒木、田実、碓井の3氏。湯船の中から他人の背中を眺めるのもなかなかオツなものだと浸かっていたのだが、左隣の馬渡氏の足先はきちんと向こう岸の欄干まで届いている。

おかしい?座っている高さは同じなのにと訝りながらつま先を伸ばしていたら、危うくウンブクレそうになった。佐井氏は、筆者の色白でふくよかな体のラインに些か興味を抱かれたご様子?

閑話休題。〃主役〃の話に戻る。ジャグジーから上がって部屋で寛いでいたら、林田正剛氏から「隣の部屋まで来い!」との命令。断るのも無粋なので、いそいそと出かけて行ったら、皆さん車座になって二次会を開かれていた。

と、背後の方から、呻(うめ)き声とも雄叫びともつかぬ〃奇声〃が聞こえる。声の主は他でもない佐藤社長だ。

そうか、佐藤さんは「何でも過ぎたるは…」という環境学習の要諦を、身をもって教えて下さっているんだ。   

-つづく-


2012/03/16

鰻にまつわる悲喜劇…島原の仇を丸池でとる!?

「他人(ひと)の自慢や旅行の土産話ほどつまらないものはない」―。美術教師というより〃飲み仲間〃としての付き合いが深い、松崎善幸さんの〃名言〃だ。

してみると、これから書こうとしているのは、松崎先生からすれば「つまらん!」の一言で片付けられてしまうだろうが、少なくとも〃自慢話〃ではない。強いて言うなら〃こぼれ話〃だ。

丸池湧水での昼食時のこと。この日のメニューはご当地名物の鰻料理。何の変哲もない民家の座敷に通され、供されたのは、やや小ぶりの鰻丼。確かに、鰻そのものは美味かったのだが、いかんせん〃3切れ〃しか載ってない。それに、ご婦人向きかも知れないが、飯の量がいかにも少ない。

そんな筆者の思いを代弁してくれたのが、世話係の林田観光バス社長、林田正剛さん。「スンマセン。ご飯のお代わりば良かですか?お金は払いますけん」。で、止せばいいのに筆者に向かって「マモッちゃん、あんたも要るやろ?」と振ってきた。が、生憎(あいにく)、もう最後の1切れを呑み込んでしまった後だった。

仕方がないので一足先に表に出たのだが、玄関口に「常陸宮殿下もお立ち寄りなった」との記念のアルバム類。だとすれば、「もっと深く味わうべきだった…」と再び臍(ほぞ)をかんだが、もう後の祭り。

待ち時間のついでに、通常のお客さんが入っている隣の食堂コーナーを覗いてみると―。何やら、焼鳥のような串刺しや、オニギリの2個パックなどが並べてある。思い切って店内に入って訊いてみた。

すると、串刺しは滋養満点で知られる〃鰻肝〃ではないか!それにオニギリは鰻の炊き込み飯だ。迷わず1個ずつ買い求めた。

さあ、ここから先が〃知恵足らず〃で鳴る、筆者の真骨頂。「どう、よかろが。鰻肝ばい。1本150円。安かろ!」。鰻肝は一人で平らげたが、残りのオニギリ1個はゴルフ仲間のアポロ興産会長、馬渡迪裕さんに差し上げた。

すると、どうだろう?筆者の後から続々と鰻肝を求める人の列が続いた。「オイはこん店のサクラんごたっとん…」などと、自身の存在価値に疑いの目を向けつつ、つい2週間ほど前の我が家でのある〃出来事〃を思い出していた。

何かのお返しで、諫早の鰻料理の老舗から送って頂いた蒲焼とタレの包み。ズシリとした感触があったので、相当な量が入っていたはずだ。

ただ、こういう時に限って筆者には〃飲み会〃の約束が入っており、母や家人は「そりゃ残念…」と心にもないことを言う。それでも必死の抵抗を試みて、翌日の朝食時に〃残り物〃を見付けて、思いっ切りタレを掛けようとしたら―。

「ダメ!ダメ!そいでまた鰻ば炊くとやけん」。ただ、その〃二番鰻〃も筆者の口には入らずじまい。結局、島原の仇を丸池で!?

-つづく-


2012/03/15

環境問題を考える!?…「視察研修ツアー」に参加

〈環境〉という言葉がいつの時代から人口に膾炙(かいしゃ)したのか知らないが、今の世はおしなべてそれを意味する「エコ・エコ・エコ…」の大行列だ。何故、人々や社会はこれほどまでに血眼になって〈環境〉問題に取り組まないといけないのだろう…。不思議と言えば、不思議だ。

こんな言い方をすれば、「我利我利の利益追求人間」といった烙印を押されてしまいそうだが、それならもっと裕福であってしかるべきだが、飲み代を除けば、日々の暮らしぶりはいたってつましいものだ。

そんな複雑な思いを抱きつつ、島原商工会議所環境委員会(松尾錦二委員長)が主催された視察研修ツアーなるものに、12日~13日の2日間の日程で参加してきた。行く先は鹿児島県。

最初に訪れたのは、九州自動車道・栗野ICからほど近い「丸池湧水」。霧島山麓に位置する小さな田舎町だが、日量6万トンもの清冽な湧き水は〃お見事〃の一言。我が島原の白土湖周辺も近年は行政関係者のご尽力で年毎に整備が進んでいるようだが、ここと比べると「まだまだ道遠し…」の感は否めない。

続く訪問先は九州本土西南端、南さつま市笠沙(かささ)町にある「野間ウィンドパーク」。九州電力が高さ30メートル~45メートルの10基のプロペラ型装置で、最大3千キロワット(1千世帯分)の風力発電に挑んでいる施設だ。

この日は天候こそ晴れていたものの時おり強風に見舞われ、参加者一同、自然の脅威と科学技術力の〃融合〃に、未来への可能性を感じ取っていた模様だ。

宿泊先は、湾を挟んで対岸にある第三セクターの施設。その名を「笠沙恵比(えび)壽(す)」と称し、館内至る所に、九州新幹線をデザインしたことで知られる水戸岡鋭治氏の〃配慮〃が行き届いていた。

一夜明けさらに驚いたのは、すぐ脇の桟橋に、あの今給(いまきい)黎(れ)教子(きょうこ)さんが単独無寄港世界一周(278日間)を果たしたヨット「海連」(全長10.64メートル、全幅3.5メートル)が係留されていたこと。今給黎さんは近くの吹上町で生まれ、小学時代まで南さつま市で育った、という。今から20年以上も前の快挙だが〃薩摩おごじょ〃の肝っ玉の太さに、改めてひれ伏した次第。

最後に視察したのは薩摩川内市の中越パルプ工場。約300人の従業員を抱える誘致企業(昭和29年)だそうだが、完璧なまでの安全対策と環境への配慮に誰もが唸った。

帰途は国道3号線伝いのルートで、阿久根~出水を通って、急な用事でツアーに参加できなかった㈱福栄会長、福崎理智子さんのご実家「亀萬酒造」(熊本県津奈木町)で休憩。

ふだん日本酒は飲まないが、何か買わないと福ちゃん社長から怒られると思って、奮発して大吟醸酒を「珍珠」を買った。ただ、後で思ったが、ダイエット中の身には純米焼酎「兎鶴亀」(とにかく(・・・・)かめ(・・))の方が良かったか…。

-つづく-


2012/03/14

熊本・植木の植木市…素人も参加できますよ!

「意志あるところに道あり」をもじって言うなら、「市あるところに群集(ひと)あり」と言ったところだろうか…?

日曜日、強面の先輩方に初めて連れて行ってもらった熊本県・植木町(現在は熊本市に編入)の青果市場で開かれていた「植木市」は、老若男女、すさまじい人出で溢れていた。

それでも、市場関係者に言わせると、「全盛期に比べればまだまだ」だそうだから、その〃人気〃のほどがうかがえよう。

彼の地では毎年11月から3月までの日曜日、石ころや花木の一本からセリによって落とされる、自由参加の「市」が開かれている。

開始時刻は午前10時きっかり。品目ごとに整然と並べられたシマ伝いに、順にセリが始まる。参加するには、市場事務局で身分証明書と引き換えに、番号札をもらわないといけない。

筆者は尻込みしてしまって…。と言うより、財布の中身が心もとなかったので傍観者に徹したが、後で値段を聞いてシマッタ!と臍(ほぞ)を噛んだ。それほどまでに全ての商品がヤスイ!のだ。

例を挙げるなら、身の丈の倍以上もあるような、見るも立派な紅梅の成木が5千円でセリ落とされていた。ただ、植木の専門家からすれば、ここには概して一流品は揃っていない、という。

それでも、だ。筆者のような素人(しろうと)が庭いじりをするには、手頃な商品のラインアップで、是非また行きたいと思う。

さて、400年の伝統を誇る我が「島原初市」もとうとう幕を閉じた。今年は雨にたたられ、関係者も随分と苦労されたことと思うが、歴史や伝統はいくら金を積んでも買えるものではない。

ただ、時代に合わせた、それなりの工夫は必要だ。そうした努力を怠ってしまえば、いずれ人心はソッポを向く。それこそ現金なものだ。

勝手ながら、今後の生き残り(?)のポイントは、「不易流行」の精神を運用面でどう活かしていくか、にかかっていると思う。

駄弁を弄してきたが、「初市」が終わると、島原にも本格的な春がやってくる。いわゆる「スプリング・ハズ・カム」ってやつだ。

今年はどういうわけかウメの開花時期が3週間近くも遅れている。サクラはどうなるのだろう?いやいや、シバザクラは?

命の芽吹きを、そこかしこで感じる季節の到来だ。さあ皆さん、上着を脱いで表に出ましょうや!


2012/03/11

カムカムダイエット…実践すれば確実に2割減!?

奇しくも同じ自治体の至近距離(約200メートル)の中で起きた都会の〃孤立死〃の問題は、否応なく様々な波紋を現代社会に投げかけている。

都市部に限らず、急速に進む〃核家族化〃という現況を考えれば、ひょっとしたら〃明日は我が身〃かも知れない…。

そう思うとゾッとしてしまうが、社会のあらゆる局面で声高に叫ばれている〃プライバシー保護〃との絡みで言えば、まるでアクセルとブレーキを同時に踏み込んでいるような〃錯覚〃に囚われてしまう。

ただ、こうした問題は筆者ごときが一人悶々と悩んだところで解決策など出るはずもなく、いつしか記憶の彼方へと飛び去ってしまうものだ。と言うことで、自分の〃持ち分〃に帰る。

昨日、伊勢屋旅館の古女将(草野有美子氏)が旦那(肇先輩)を伴って、久方ぶりに弊社を訪ねてきた。相変わらずよく喋る。

「ねーね、あたし達(筆者とは同級生)も後3年でもう還暦よ。お互い、健康には気を付けんばね。どう、あたし痩せたやろ?骨盤ダイエットさ。1日5分でよかとよ。あんたもしてみんね」。

何だか〃挑戦状〃を叩きつけられたような感じがしたので、こう反論した。「分かっとさ、ダイエットやろもん。こん前、筑波大名誉教授の野村武男先生から話ば聞いたもん」(サンスポーツ主催の講演会)

それは、題して「カムカムダイエット」。ポイントは3つ。まず、食事の30分前にガムを10分間噛む。これが第一弾。

次に、食事に当たっては、どの品目も最低30回は噛む。味噌汁も同じ。最後はその順序。野菜から食べる。少々のアルコールはOKだが、出来たら赤ワイン1杯程度に留める。

これら3つのポイントを実践すれば、大脳から満腹中枢を刺激するヒスタミンという成分が分泌され、カロリー摂取量は20%減。結果、2割は確実に痩せるのだそうだ。

なるほど、それなら面倒臭がり屋の自分でも出来るかも知れないと思って、出張先のホテルで幾度か試みてみた。

ガムはともかくとしても、食事中に30回程度噛むことはさほど〃苦痛〃ではない。それに、不思議と余り量を食べないでも満腹感を味わえるようになった。

ただ、〃難点〃がないわけではない。これまでと比べて、やたらと時間がかかってしまうのだ。暇な人はいいとしても、食事に20分も30分もかけているような余裕はない。

かくして、自宅に戻ってからは普段通りの食生活に逆戻りしてしまった、という次第。いやいや、このところ水も温んできたので、起きるのも以前ほど苦にはならなくなってきた。

夜明けだって随分と早まった。「早起き」と「カムカムダイエット」で今年こそメタボ脱出!?


2012/03/10

オレオレ詐欺にご用心…まずは町内会に入りましょう

昨夜は久しぶりに自宅で寛いでいたが、逆に自分の〃居場所〃がない。いや、あるにはあるのだが、どうにも落ち着かないのだ。

仕方がないので「サウナに行ってくる」と言って一汗流した後、早めに床に就いた。おかげで目覚めは爽やかだったが、朝っぱら寝ぼけ眼(まなこ)の家人が固定電話で何やら話している。

名前を連発しているので「息子(次男坊)だろうか?」と思ったが、どうにも様子が変だ。そのうちにガチャンと切って、そそくさと部屋を出て行った。

しばらくして、またかかってきた。ナンバーディスプレイ(番号表示)を見ると「非通知」だったので、そのまま放置しようかとも思ったが、取り敢えず出てみると―。

「ウーン、ウーン、ウーン」と唸り声を3回上げて、今度は先方からガチャンと切られた。後で考えてみると、確かに息子の声に似ている。

今度は逆に心配になって、家人に息子の携帯に連絡を入れてもらった。最初は留守電だったが、間を置かずして返信がきた。答えは「オイじゃなか!」だった。

と言うことは、あれがここ数年大きな社会問題となっている「オレオレ詐欺」の手口なのか!?「困り果てたような口ぶりで、相手方に名前を語らせた後で、家族になりすまして「振込口座」を知らせるという…。

人間とは不思議なもので、一旦思い込んでしまうと、実の息子でもないのに息子と思い込んでしまう。

これが一人住まいの老人宅だったすれば、心配の余り引っ掛かってしまうかも知れない…。

極めて個人的な話題を持ち出して恐縮とは存じたが、ひょっとして「0957」で始まる当地域の電話加入世帯に対して組織的にかけてきているかも知れないので、敢えて〃警告〃の意味合いも込めて!

話は変わるが、東京都立川市でまた、アパート住人の〃孤立死〃が見つかった。亡くなっていたのは95歳の認知症の母と63歳の娘。

昨夜のテレビニュースでは「娘が先に亡くなってその後に母が…」などとの〃推測〃を立てていたが、行政サイドの管理責任(通報後5日間放置)と合わせて、地域コミュニティが崩壊した〃現代社会の闇〃を痛感した人も多かろう。

先の番組では、千葉県松戸市の常盤平団地の取り組み事例が紹介されていたが、民生委員と思しき人の一人が力を込めてこう語っていた―。

「まずは町内会(自治会)に入っていただくこと。でないと、内部で〃異変〃が起きていても、発見が遅れてしまって、今回のような惨事が後を絶たなくなってしまう」

3月、4月は異動のシーズン。最近では島原界隈でも町内会に加入しない世帯も増えていると聞く。

〃指定日〃でもないのに無造作にゴミ袋が出されている様を見て、心は凍てついてしまうのである。


2012/03/09

越後で島原を実感!!…ラジオが果たす防災上の役割

「一週間のご無沙汰でした」―。名司会者だった玉置宏さんがご存命なら、にこやかにそう喋り始めるところだろうが、新潟~東京~福岡と間断なく出張が続いて、先週末からちょうど一週間もサボってしまった。

いやはや面目もない…。原因は携帯用のパソコンを車の中に忘れてしまったことによる。十分な用意もせず、バタバタ慌てて出発してしまった結果がこれだ。

勿論、気にはかかっていたが、と言って「手書き」というスタイルは何となく面倒臭く思えて、つい一番安易な道を選んでしまったという次第だ。

ただ、言い訳がましいが、決して遊んでいたわけではない。それぞれに重要な会議をこなし、島原を代表したつもりで発言もしてきた。もちろん、現地のお酒も存分に堪能してきた。

新潟は言わずと知れた「酒どころ」。筆者が訪ねた中越地区は、「久保田」をはじめ「八海山」「吉乃川」…など日本を代表する銘酒の宝庫だ。

懇親会場に並べられたそれらのラベルを眺めながら、「さてどれから頂こうか」などと舌なめずりをしている間にも、「よくぞ九州・島原から!」と歓迎の名刺交換が続いた。

中に、先ほどのシンポジウムで司会進行役を務めていた、見るからに「雪国美人」のうら若き女性が。名刺を見ると、「上越FM」でディスクジョッキーをしている方だ。

「実は、私の父が島原の出身なんです。島原高校を卒業しています。ですから、懐かしくって!」と、屈託のない笑顔のシャワー攻撃。

もう、こうなったら銘酒どころではない。「ヘー、そうなんですか!」と調子に乗って色々と話を聞き出したが、プライバシーの問題もあるので、この件はいずれまた折を見て。

話が相前後してしまったが、筆者が参加したのは新潟県内のコミュニティエフエムラジオ局(CFM)10社が主催した、防災シンポジウム。

会場となったホテルには北海道から九州までのCFMの経営者や総務省、自治体、学者、マスコミなど多数が集まり、「中越、中越沖、東日本の震災時にラジオが果たした役割、問題点」などについて活発に意見を交わした。

機会があったら、少し整理をした上でご報告するつもりだが、懇親会で出会った方の中で面白かったのは、斯界の第一人者として知られる上智大学教授の音好宏さん。

聞けば、奥様が大村市の出身だそうで、時々里帰りしてはとても手荒い歓待を受けている、という。それと、もう一方。

こちらはTBSでパリ支局長などを歴任していた関西大学客員教授の市村元さん。モスクワ支局長だった田近東吾さん(島原市出身)とは無二の親友だとか。

遥か越後の地で、長崎&島原をしみじみと実感した夜であった。


2012/03/01

泣けることの幸せ…県民の共感を得る収束を!!

たまたま事のついでに傍聴した県議会一般質問(27日)での加藤寛治議員(島原市選出)の発言が江戸町界隈で大きな論議を巻き起こしていることを、今朝(29日)の新聞で知った。正直、驚いている。筆者が現場で聞き及ぶ限り、特段の〃違和感〃は感じなかったからだ。

走り書きのメモを頼りに記憶をひも解いてみるが、「新知事誕生2年、県議改選後1年という〃節目〃に当たって」―という前置きの上で語られた〃私見〃に対し、異常なまでの過敏な反応ぶりではないか。

えてして人間は〃痛い所〃を突かれると、ムキになって反論するもの。これはひとり政界に限らず、どの分野でも言えることだ。願わくばその無尽のエネルギーを権力闘争にのみ浪費しないでいただきたい。これ等しく県民の望んでいるところではなかろうか。

ところで、昨日(28日)は県議会でそんな〃混乱劇〃が起きていることなどつゆ知らず、前々から予定していた感動教育家、高光りょうすけ氏の講演(対象・南串中3年生)を聴くために、雲仙市のハマユリックスホールを訪ねた。

1月末の島原準倫理法人会モーニングセミナーで聴いた時と同様、相変わらずパワフルな講演であった。「今度は泣くものか!」と意を決して臨んだはずだったが、結果から言うと、また泣かされてしまった。

7割方は同じ構成なのにどうして同じ轍を踏んでしまうのだろうと、繰り返し考えてみたが、よく分からない。ただ、「泣くことのできる幸せ」を改めて噛みしめている。

多くの読者の皆さんは「何ば言いよーっとか?悲しかけん、泣くとやろもん」と思われるだろうが、人間はトコトンまで追い詰められると、涙の一滴まで枯れ果ててしまうものだ。

筆者には、その苦い経験があるから良く分かる。そう、泣けるうちはまだいい。だから、悲しい涙だろうが、悔しい涙だろうが、大いに泣けばいい!

ただ、政治家に涙は禁物だ。信念に基づいて、時には非情に徹して、国家・国民、地域・住民の「安心&安全」を守り抜くのが最大の使命であり、存在価値である。そのためには、目先の損得や沽券にこだわったパワーゲームに一喜一憂している暇なんかないはずだ。

今回の県議会の混乱劇については、この先どう展開していくのか門外漢の身にはさっぱり分かりかねるが、〃感動〃とまではいかないまでも、少なくとも大多数の県民の〃共感〃が得られるような矛の収め方を望む。スピーディに!!