2011/11/26

「手」にまつわる独言…談志師匠のご冥福を祈る!

選挙で勝つ秘訣は「(候補者本人が)遊説中に何人の有権者と握手したか、その数による」などといったまことしやかな説があるが、本当だろうか?

真偽の程はさておくとして、高田勇さん(元長崎県知事)くらい美しい手の持ち主を知らない。今回、田代則春先生(弁護士)の「胸像建立祝賀会」の会場で握手をしてみて、改めてそう感じた。

白くて柔らかい。まるでマシュマロのよう。特段、その方面の趣味(?)は持ち併せていないが、これなら男女を問わず票を集められたはずだ。

身体髪膚(しんたいはっぷ)、どれを取っても甲乙付け難い各種器官のおかげで、我々は日々の暮らしを営んでいるわけだが、中でも「手」は一番身近な存在であろう。

「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」(一握の砂)。歌人、石川啄木は勤労意欲が極めて乏しかったそうだが、自分の手を凝視して、はて何を感じたのだろう…。

いささかの皮肉を込めて言えば、啄木は優れた歌詠みではあったが、誰もが感心するような熱心な「働き手」ではなかった、ということだ。

事のついでに「手」にまつわる諺にはどんなものがあるのだろう?手元の『故事ことわざ辞典』(学研)を引いてみたら、知らない用例があるわ!あるわ!

「手が空けば口が開く」(=頼りないその日暮らし)「手加減の独り舌打ち」(=自画自賛、手前味噌)「手功より目功」(=手先の熟練もだが、物を見る目がもっと大事)

「手酌五合、髱(たぼ)一升」(=若い女性と一緒だと酒がすすむ)「手出し十層倍」(喧嘩は先に手を出したら負け)など。

また、皆様も良くご存じのことだと思うが、もともと「手」にはある種の〃治癒力〃が備わっている、とも言われている。

その証拠に、病気やケガの場合は「手当て」と言う。「手かざし」で何でも治してしまうという、とても信じ難いエスパーのような御仁も時々いる。

ただし、この「手当て」という言い方も、バカ丁寧に頭に「お」を付けたら、ジジイと愛人のような関係になってしまうから、用心めされたし!

ところで、落語界きっての〃名人肌〃として知られた立川談志師匠が数日前に逝去された。島原方面にも護国寺住職の岩永泰賢さんらの招きで幾度もお運び頂いた方だ。

いつぞやは、高座の最中にカメラのフラッシュを焚いて、えらく叱られた。今となっては懐かしい思い出となってしまった。

その談志師匠が若かりし頃に吹き込んだ古典落語のCDを、FMしまばらの小にょろ君から聞かせてもらったことがある。演題は『付き馬』。

マクラの部分にこういうくだりがある。「やり手と言っても、取るばかり」(笑)。ご冥福を祈る!


2011/11/19

芝桜約2万本を植栽…クラブをシャベルに代えて…

夜来の雨もあがり、初冬とは思えないような生暖かい空気に包まれた週末となった。さて、今日20日、いよいよ「シバザクラ公園」(島原市上折橋町)の植栽プロジェクトが〃本格化〃する。

もちろん、これまでも足立進一会長(前島原観光ホテル小涌園社長)の率先垂範のもと、地道な雑草取りなどの作業が足掛け4年間にわたって続いてきたわけだが、ここにきて一挙にその努力が〃開花〃しそうな展開となってきた。

今回植えられるのは寄贈分の、合わせて約2万株。内訳は、長崎県トラック協会1万4千株、西部ガス3千150株、県民ボランティア基金3千株―となっている。

通常、これまでのボランティア作業(夏場)は日中の猛暑を避ける意味で午前9時からのスタートだったが、20日は贈呈式(10時~)が行われるため、11時から昼食を挟んで14時半までの予定。

もちろん、今回は筆者も数多あるゴルフコンペのお誘いも断って参加する。事務局では一般からの参加も広く呼び掛けているので、皆さん、現地で会いましょう!

ところで、今更ながらの「おさらい」となるが、〃原点〃に立ち返る意味で「シバザクラ」構想そのものについて、少しだけ振り返ってみよう。

そもそも話が持ち上がったのは4、5年ほど前のこと。「防災」という第一義的な使命は果たしているものの、岩石だらけの締切堤内は何とも無粋そのもの。

災害前に小学校の分校や神社があったという地理的環境を考えれば、かつての住民ならずとも何らかの手法で「古里再生」を願うのは、衆目の一致するところでもあった。

足立さんらの発案にまず、施設管理者の県が動いた。その延長線上で「つくる会」が組織され、地元有志に加えて、市、商工会議所などの強力支援部隊も次々と参入を表明。

式典には、足立会長も遠く埼玉の地より馳せ参じることになっているが、ここまで漕ぎ着けた氏の胸中を去来するものは…?

もちろん、まだまだ「完成形」には至っていないので、油断はゆめゆめ禁物だが、最終目標へ向けて大きな〃輪郭〃が描かれ始めているのは事実だ。

2年ほど前に視察に訪れた先進地の埼玉・秩父市の羊山公園には、春のシーズンともなれば何と100万人もの観光客が集まる、という話だった。

天気予報によれば、20日の島原地方は「晴れ」。軍手やお茶は事務局の方で準備しているそうですから、くどいようですが、皆さん、行楽がてらに出かけましょう。

自分が植えた苗があと半年も経てば、綺麗な花のジュータンになるのですから、こんな楽しみは滅多に味わえませんよ!

は言いながら、折角の休みに、クラブを振れない一抹の寂しさも隠せないけど…。


2011/11/16

モチーフは心象風景…朝焼けに見た〃不死鳥〃の姿

筆者には、突然、変なことを思い出す性癖が昔からある。今朝、散歩をしながら「あれっ!モロッコという国名の由来は確か『日が沈む国』だったっけ…」などと気懸かりになったので調べてみたら、果たして〃正解〃であった。

まあ、大西洋に臨む西アフリカの国であるから、すんなり合点がいった次第だが、日本の場合は、聖徳太子の昔から「日出ずる国」だったよなぁ~。

そんなこんなを思い浮かべながら、猛島の海岸沿いを歩いていたら、対岸の熊本側の山並みのシルエット上に、竜巻のような雲が湧き上がっていた。

まだ夜も明けきらぬ6時過ぎの光景である。踵を返して西の空を眺めると、煌々たる光を放つ明星がクッキリと見てとれた。

潮騒の音を聞きながらそのまま歩を進めていくと、一筋の竜巻状の雲は次第にほどけ結びながら、今まさに飛び立たんばかりの「不死鳥」の姿へと変身していった。

慌ててポケットからデジカメを取り出し撮影したのだが、どうにも上手くいかない。でも、とてもこの世のものとは思えない神々しい美しさであった。

この前、何かの会議の折に熊本の人と話す機会があった。その人はいきなりこう語りかけてきた。「島原方面は夕日のキレカですね」と。

一瞬、ナニ?それは小浜のことでしょうと思ったが、言われてみたら確かにそうである。我々は通常、朝日の出る場所として熊本サイドを見ているが、地理的に考えればそれこそ〃真逆〃の立場である。

こうした事柄に関しては、勝ちとか・負けとかいった問題ではない。我々島原の人間は有明海の向こうから昇ってくる太陽や月を美しいものと思い、熊本の人々は島原側の夕焼けの景色を楽しむ。

さて、あの普賢岳の噴火再開から丸21年が経過する。それが「まだ」なのか、「もう」なのかについては、同じ個人の中でも受け止め方は様々であろう。

ただ、この間に、あれほど悲惨な状態だった被災地の復旧・復興が見事に進んだことは歴然たる事実である。と同時に、多くの命が消滅し、一方でまた、新たな生命も続々と誕生している。

本紙上ですでに紹介があったように、災害当時、深江町消防団長だったウエディング石川会長の石川嘉則さんがこのほど、『ふげんさん』というタイトルの紙芝居を上梓された。

作品のモチーフとなっているのは多く、命がけで古里を守ろうとした、あの当時の「心象風景」だという。カメラが捉えた「記録」はもちろん大事だが、人間の「記憶」も断じて捨ておけない。そう思わせる〃力作〃だ。

同会長のお話を聞きながら、1999年の大晦日の夕刻、今は亡き西川清人さんと、KTNの槌田記者の3人で眺めた普賢岳の夕焼けのことを、ふと思い出していた。


2011/11/14

「鯖を読む」の語源?…威風堂々の前田・霧島市長

「サヴァ」と尻上がりで微笑みかければ、フランス語で言うところの「こんにちは」や「ごきげんよう」といった意味になるが、我々が日常使う「サバ」の場合は、あの青魚の代表格「鯖」のことだ。

ただし、青魚だからと言って馬鹿にしてはいけない。大分県沖の豊後水道で獲れる「関サバ」はその辺の「タイ」そこのけの高級魚であることは、すでに皆様ご承知の通りだ。

実は私めも一度だけ、その「関サバ」を腹一杯ご馳走になったことがある。場所は東京・築地の日本料理店。もう10年以上も前の話だが、その頃羽振りの良かった学生時代の友人が「ようこそ東京へ!」とカードで奢ってくれた。

氏によれば「築地だからまだこの値段。これが勝鬨(かちどき)橋(ばし)を渡って銀座エリアに入ると、ゼロが1つ多く付く」ということだったが、真偽のほどは判らない。

ところで、今日取り上げようとしているのは、そうしたグルメ志向の話題ではない。「鯖を読む」という、我々がふだん何気なく使っている言葉について、である。

語源を調べてみたら、「鯖は痛みやすく数も多かったため早口で数えられ、実際の数と合わないことから、いい加減に数を数えることから転じた」というのが〃定説〃のようだ。

では、実際に「鯖を読む」事態を考えてみると―。卑近な事例では、デビュー間もない女性タレントなどがよくやる手で、実年齢より2、3歳少なめに公表したりする。

それからこれもごく一般的な手法で、身長を5センチほど高めに言う。芸能人に限らず、スポーツ選手にも比較的多いようだ。

まあ、いずれも「人気商売」だけに、背に腹は代えられないのだろうが、同じ「人気商売」でも政治家の場合はどうだろう。選挙の際に学歴や年齢を偽れば、直ちに「詐称」の烙印が押されてしまうが…。

なら、身長は許されるのか?自信を持って言えるわけではないが、恐らく大丈夫だ。何故そう思ったのかと言うと、雲仙市の姉妹都市である、鹿児島県霧島市の前田終止(しゅうじ)市長の〃ある告白〃を実際にこの耳で聞いてしまったからだ。

場所は現地の京セラホテル。同市長は、全国から集まった約200人のケーブルテレビ関係者を前に、色鮮やかな法被姿で現れ、威風堂々とこう挨拶された。

「私の名刺には身長158センチと印刷されていますが、実際はそれより1.5センチほど縮んでおります。その代わり、体重はその数字(60キロ)より3キロほど上回ってますが…」と。

これには一同〃大爆笑〃。さらに次なる言葉がトドメを刺した。「私の名刺を貰わなかった方は、必ずと言っていいほど交通事故に遭うんですよ」―。

この一言はまさに霊験あらたかで、壇上を降りた同市長の回りにはすぐに人垣が出来た。それにしてもユニーク極まる市長さんだ。続きはまたいずれ…。


2011/11/12

「気付き」の難しさ…発見!?同伴カモメに2種類

「倫理法人会」なる自己啓発組織に加入して早1月強が経過した。その間、毎火曜日には早朝6時から始まるモーニングセミナーに参加している。これまでのところ皆勤賞だから、「我ながら大したものだ」などと一人ほくそ笑んでいる。

昨11日には、島原&南島原地域の代表を務めている橋本卓也さん(ライフサービス)と、同活動に熱心な吉田俊輔さん(多機能ケア・あおぞら)のご両人を講師に招いて、弊社の朝礼の在り方についてご指導をいただいた。

その中のポイントの1つに「気付き」という日々のテーマがある。果たして我々は、世の中の動きに、どれほどの「気付き」をもって暮らしているのだろう。ひょっとして面倒なことは出来るだけ避けて、何でも見て見ぬふりをしていないだろうか…。

改めて問い掛けられてみると、なかなか即答は難しい。日常の何気ない生活の中で意図的に見過ごしていることも、きっと随分と多いはずだ。

例えば、島原と熊本を結ぶフェリーの光景を思い浮かべていただきたい。読者の皆様も利用される機会が多いだろうから良くお分かりだと思うが、およそ1時間の航海中、カモメが必ず〃同伴〃してくれるような贅沢な船旅がどこにあろうか。

最近は中国や韓国などからの観光客の姿も頻繁に見かけるようになったが、彼(女)らの動きを見ていると、すこぶる感動している様子が如実にうかがえる。

対岸の熊本側も含めて我々地元住民にとってはいつもの見慣れた風景かも知れないが、初めて見る人々にとっては「物珍しさ」を通り越して、素晴らしい「自然界のドラマ」として映っているはずだ。

先般、鹿児島出張からの帰途、船の後部デッキに腰掛けて日本製のカメラを手にはしゃぎ回っている中国人ツアー客の動向を注意深く観察していた。

「この〃円高〃のご時勢に出掛けてくるとは、よほど景気が良いのだなあ」と感心することしきりだったが、ふとファインダーの先の方を眺めながら「気付いたこと」がある。

なんと、あの同伴カモメにも「2種類」あるのだ!1つはカラダ全体が白っぽいもの。そしてもう1つ、羽根の外側の部分だけが黒っぽく縁取られている変種が実際にいたのだ。

鳥類に関してさほどの興味も持ち併せていないが、俄かに胸の鼓動が波打ち出した。ひょっとして、この〃事実〃に気付いているのはオレだけ?

それとも、成長の過程で見られる単なる変態の1つに過ぎないのか?真偽のほどはどうであれ、次の船旅の楽しみが1つ増えたことは確かだ。

最後にまったく余談だが、今を時めく「なでしこジャパン」主将の澤穂希さんは、大の鳥嫌いだそうだから、島原に入られる折には「シマテツ」(陸路)をお勧めすることにしよう。


2011/11/11

開局して4周年です…これからも応援して下さい!!

〈ハア~ あの日ローマで ながめた月が きょうは都の 空照らす♪〉。国民的大歌手だった三波春夫さんが唄った『東京五輪音頭』。

このあと歌詞は〈4年たったら また会いましょ♪〉と続くわけだが、弊社の姉妹局である「FMしまばら」が放送を始めて11日で丸4年が過ぎた。

最初のうちは「フン、今の時代にラジオ?3日も続くもんじゃろかい」と、口の悪い先輩から揶揄されながらも、どっこいしぶとく生き延びている。

それもこれも島原市ご当局をはじめ、多くのスポンサーやリスナーの皆様方のお陰である。最近ではネット経由で聴いて下さっている出身者も増えてきた。本当に有難いことだ。

いささか我田引水めくが、もっとも原始的な放送形態であるラジオの存在がいま、全国的に見直されている。それも地域に密着した我々のようなコミュニティFM放送が―。

きっかけは皮肉にも「災害」だ。平成7年の阪神大震災の折に登場したミニFM局がまず注目を集め、ついで中越(平成16)・中越沖(平成19年)の両地震災害を通じて、被災地にとっては無くてはならない必須メディアとなった。

さらにその方向を決定付けたのは、今年3月11日に起きた東日本大震災。「無線の強み」「機動性」「身近な情報伝達」など、その強みが遺憾なくされたのは言うまでもない。

現在、業界の全国組織であるJCBAに加盟しているのは約250社。うち九州支部には27社が登録しているが、小さなNPO法人を含めるとさらにその数は増える。

各県の地域ごとにそれぞれ特性があるように、各社の放送内容も様々だ。自前の番組づくりはほどほどにして中央からの情報を垂れ流している所もあれば、弊社のように頑ななまでに「地元密着」の姿勢を貫いている局も数は少ないながらもある。

ところで先日、弊社で2年間ほどパーソナリティーを務めていた「ロカちゃん」の結婚披露宴が福岡市内の式場で営まれ、筆者も招かれて行ってきた。

元職場の上司の立場で「祝辞」を述べさせていただいたのだが、その際、話のマクラにふったのが「ロカ」というラジオネームの由来。

本人は「行きつけの酒場の名前なんですよ」などと照れながら話していたことを覚えているが、それがユーラシア大陸の最西端に位置する「ロカ岬」(ポルトガル)を指すことは明々白々の事実。

筆者も訪ねたことはないが、そこには「ここに地終わり海始まる」という記念の石碑が建てられているそうだ。

開局から4年が経過したとはいえ、「FMしまばら」の航海はまだ緒についたばかり。これから遥かな大海原に向かってどう舵をきっていくべきか?答えはまだ見つからない。


2011/11/08

西岡先生大いに笑う…思い出す25年前の〃珍事〃

故・西岡武夫参議院議長(5日死去)が一般的に醸し出すイメージは、いつも口を「への字」に曲げ、両の手を合わせて、祖国「日本」や古里「長崎県」の行く末を案じる〃憂国の士〃であった。

昨7日、長崎市内の斎場で営まれた同氏の葬儀・告別式に参列してきた。8日付の新聞報道を見ると、約2千人が会場に訪れて別れを惜しんだ、という。

今さら書いても他紙の焼き直しに過ぎないが、同氏は昭和38年、27歳の若さで衆議院初当選。以来、半世紀近くにわたって中央政界で活躍された。

筆者個人としては格別に親しかったわけではないが、「新聞界」(長崎新聞前身の長崎民友オーナー)の出身だっただけに、本紙社長らとは先代の昔からお付き合いがあったようだ。

まあ、そんなこんなの関係で、宴席等でお会いした時には、いつも気軽にお声を掛けていただいていた。ただ、失礼を省みずに言うなら、決して愛嬌の良い先生ではなかった。いつも、何かしら近寄り難い威厳を漂わせておられた。

そんな先生が一度だけ、筆者の目の前で〃呵々大笑〃されたことがある。忘れもしない、筆者披露宴の祝いの席でのことだ。

今を遡ること25年前。海望荘。新郎新婦を挟んで、ヒナ段には西岡、倉成(秘書)、久間の旧長崎2区選出の代議士お三方に陣取っていただいていた。

ご来賓のご挨拶があるごとに、式場ディレクターである海望荘のイズミさんが「立て」だの「座れ」だの〃命令〃を下される。

経験者ならよくお分かりのことだと思うが、そうした時の新郎新婦は、まるで〃操り人形〃のようなものである。

そして迎えた何人目かのご挨拶修了の際に、筆者は椅子が引いてあるにもかかわらず、思いっ切り着席してしまった。

結果は、見事なまでの大転倒!一段低い席にある会場の皆さんは気付いていないようだったが、傍らに居た西岡先生が笑うこと&笑うこと!後にも先にも、あんなに喜んだ先生は見たことがない。

葬儀会場には開式30分ほど前に到着したのだが、すでに多くの弔問客で溢れていた。筆者は案内されるままに、階段脇のサブ会場に足を運んだ。

そしてモニター映像を見ながら、これまでの西岡先生との〃思い出〃を色々と手繰り寄せていたが、やはり最初に浮かんだのは自身の披露宴での〃珍事〃であった。

葬儀が滞りなく済んだ後で、喪主の永子(ひさこ)夫人が遺族を代表してご挨拶をされた。その中で、前日、通夜の後に今上陛下からお言葉を賜ったことを報告された。

不謹慎ながら、昭和24年6月号の文藝春秋誌上に掲載された『(昭和)天皇陛下大いに笑う』という特集記事のタイトルを思い出していた。合掌。


2011/11/04

日本の行く末に懸念…「祖国」を知らない大学生

どうしたことか、筆者の周囲ではいま「出産ラッシュ」が続いている。と言っても、まだ一人も産まれたわけではないが、新旧の社員・スタッフ合わせて計4人が正月を挟んで「臨戦態勢に突入!」といった雰囲気なのだ。

何はともあれ、この「少子高齢化社会」の中で新たな生命が誕生することは、めでたい限り!母子ともども、無事を祈るのみである。

先ごろ発表された人口動態調査の結果では、世界の総人口がついに70億人の大台を突破した、とのよし。これに反して、我が祖国(日本)ではついに「減少傾向に転じた」と伝えている。

少し長くなるが、こういうことだ。昨年10月1日現在、日本人の総人口は1億2千535万8千854人で、5年前の国勢調査時点と比べて37万1千294人(0.3%)減。

ただし、外国人約164万人と〃国籍不詳〃の約105万人を加えた総人口は、1億2千805万7千352人で、前回より28万9千358人(0.2%)増えている、とも。

こうした傾向から窺えるのは、今後は益々我が国内でも「国際化社会」への転身に拍車がかかっていくだろう、ということ。それが良いことなのかどうかは分からないが、先ごろ講演を聴いた青山繁晴さん(国際政治学者)がこう嘆いていた。

「最近の大学生を相手に『祖国』という表現を使っても、ピンとくる人間は余りいない。一体何を平和ボケしているのだろう」。

同氏の講演内容(痛快無比!)についてはまた別の機会にでも支障のない範囲で紹介できればと考えているが、国会議員諸氏がこれ見よがしに背広の襟に付けている「ブルーリボンバッジ」の話は殊更印象に残った。

「勘」の鋭い方ならすでにお気付きのことだと思うが、それは「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(横田滋代表・略称「救う会」)が出しているものだ。

同氏は会場の聴衆に向かって畳みかけるように問い掛けた。「この『青』はどういう意味?」。誰かが答えた。「海の色かな…」。「そう、理不尽な理由で家族を奪われた、悲しみ一杯の『日本海』の色です」。

そして、こう続けた。「マルチ商法の会社から献金を受け取っているような国家公安委員長がこのバッジを付けていることの不可解さ。敗戦という意味では同じ立場のドイツにしたって、今の日本のような弱腰外交はしない。まったく我が祖国はどうなっているのか?」―。

昨3日の「文化の日」。我が家ではごく普通の感覚で祝日には「日の丸」を軒先に立てているが、市内でそうした光景を目にすることは極めて稀だ。人口の増減はともかくとしても、「祖国」の存在意義を考えることは思想・信条の問題より先決だと思うのだが…。


2011/11/02

「文化の日」に思う…己の教養の無さを恥じる

新聞に掲載された知事や県下各市長の動静欄を見ると、かなりの首長さんたちが「中国出張」となっている。羨ましい限りだ。

まあ、それとは直接関係ないまでも、3日は日本全国「文化の日」。長崎と上海を結ぶ新航路の開設が、政治・経済面だけに限らず、文化交流においても、新たな日中友好の懸け橋となることを切に願う次第だ。

ところで、文が化けると書いて「文化」だが、もともとこの言葉はどこから来たものだろうか?

広辞苑を引くと①文徳で民を教化すること②世の中が開けて生活が便利になること。文明開化―などといった解説が続くが、余りピンと来ない。

それよりは「文化とは土を耕すこと。すなわち農業(アグリ・カルチャー)が語源である」とする故・宮崎康平先生の御説が、本来〃農耕民族〃である日本人にはなじみやすいのではないか…。

「文明」と「文化」の違いについては、それこそ耳にタコができるほどに語り尽くされた感があるが、筆者なりに感じている〃仕分け〃の基準がある。

恥をしのんで言うと、便利、発明、機器・機械とかいった類いは総じて「文明」の分野に帰属するのではなかろうか?

一つの例えとして、最近話題となっている「スマート・メディア」について考えてみれば、端末機そのものは紛れもなく「文明の利器」である。

では、その中身はどうか?これもまた各種情報を人間が使いやすいように機能化を図っているという意味では、やはり「文明の一種」であろう。

だとすれば、「文化的な要素」というものはどこに含まれているのであろう。非常に乱暴な言い方だが、それは使う側、すなわち「人間」の問題だ。

機器に備わった便利この上ない各種ツールを駆使して、感受性や精神性を喚起するような作品を創り上げることは、「文化」に他ならない。

もっと言うなら、そうしたIT機器でなくても、万年筆は「文明」で、それを使って紡ぎ出すまとまった文章は、その巧拙に関わらず、「文化」である、と思う。

こう見てくると、「理系≒文明」「文系≒文化」といった図式が成り立ちそうだが、ことはそう単純でないところに、世の中の奥深さがある。

つまり、「文明」と「文化」の間には、深くて暗い川が横たわっているばかりでなく、目には見えない何かで秘かに繋がっている部分があるのだ。きっと!

よく「文は人なり」と言われる。けだし〃名言〃だと思う。すっきりと頭の中が整理されている人の書く文章は分かりやすくて読後感も清々しい。

その点、筆者のは…。フーテンの寅さんならきっとこう嘆くだろう。「まったく、お前さんの言うことには教養(≒文化)がないよなー」って。〃猛省〃しきりなのである。


2011/11/01

「社会の窓」について…内情を暴くと言われても…

「1」が3つ並んで新しい月が始まった。東日本大震災や紀伊半島での集中豪雨など〃大災害〃に明け暮れた2011年も余すところ60日となった。

久々に『今日は何の日?』(学研)の本をひもといてみたら、あるわ!あるわ!計量記念日に始まって、灯台記念日、すしの日、本格焼酎の日…など、それこそ〃目白押し〃だ。

こんなに沢山あれば書く材料には事欠かないが、今日は何の由縁もない「窓」について一つ。なぜ、そんな思いになったか?最近は物忘れ症が高じて、ズボンのチャックを開けっ放しにて、無防備のまま表に出るという〃失態〃が相次いでいるからだ。

ここでは敢えて「チャック」としているが、すでに読者の皆様もご承知の通り、他にも「ジッパー」や「ファスナー」など色んな呼び方がある。筆者の幼少時代にはまだボタン式のものもあったが、最近ではモデルさんが着るようなデザイン性の強い代物を除いては、一般的には「チャック」方式である。

そのチャックのことを「社会の窓」と称するようになったのは、戦後のNHKラジオの番組タイトル(昭和23年~35年)がきっかけだとか。いわゆる〃社会の内情〃を暴き出すという意味で―。

個人の問題に戻れば、チャックの中身について色々と暴き出されるような〃秘め事〃など何一つ持ち併せていないが、やはり公の目からすれば〃外気〃に晒すべきものではない。

そのことは重々承知している。ただ、時間に追われていたりすると、つい忘れてしまうのである。先日の出張でもそうだった。

夜明け前からさんざん歩き回ったせいで汗をかいたので、シャワーを浴びていざ出陣!いや、その前に腹ごしらえを、ということでバイキングレストランに乗り込んだ。

ただ、時間帯が悪かったのかどうか、入口は長蛇の列。仕方がないので紳士然として順番待ちをし、意図的に少なめのメニューにとどめた。

〃異変〃に気付いたのは自室に向かうエレベーターの中。ズングリ&ムックリのくたびれた中年オヤジの「社会の窓」がパックリと開いている様が正面の全身鏡に映し出されているではないか!

幸い内部には誰も居なかったので事なきを得たが、マナーにうるさい女性客などに見つかったら「変態呼ばわり」されていたかも知れない。

それを想うと背筋に冷たいものが走ったが、その前にどうして「スースーした感触」を股間は気付かなかったのか?いや、それほどまでに〃老化〃が進んでいるのだろうか…。

〈窓を開け~れば 港が~見える メリケ~ン波止場の♪〉―。自室の〃開かず窓〃の下に広がる都会のビル群を眺めながら、トホホ…の気分で、淡谷のり子さんのブルースを口ずさんでいた。