2011/10/29

モロッコ大使と会う…遠くて近い〃友好国〃だった!

「そんな昔のことは憶えていない。そんな先のことは分からない」―。さして映画通でなくともご存じであろう、映画史に残る不朽の名作『カサブランカ』の中で、主演のハンフリー・ボガートが吐いた有名な台詞の一節だ。

ところで、舞台となった北アフリカの国はどこだ?クイズなんかやっている場合ではないが、答えはモロッコ。正式に言うなら「モロッコ王国」である。

ひょんなことから、そのモロッコの〃特命全権大使〃といういかめしい肩書きの人物とお会いする機会をいただいた。昨夜(28日)のことだ。大使のお名前はサミール・アルールさん。奥様は日本人で、うたこさん。眩いばかりの〃美形〃であった。

実は、ある大切な取引先のご案内で「九州モロッコ協会」の設立記念パーティー(福岡市)に招かれ、出席してきた。

会場は百人を超える招待客で賑わっていたが、一部の関係者を除いて、モロッコがどこにあって、どんな国なのかについて、まとまった知識を持っている人は少なかったようだ。

もちろん、筆者とて例外ではない。大使館スタッフの説明を聞く一方で、慌ててネットのページを捲りながら「歴史ゆかしい素晴らしい国であること」を初めて認識した次第だ。

一般的に言うと、北アフリカには世界最大級のサハラ砂漠があって、文字通り「乾いた白い国」のイメージが強いが、説明を聞いているうちに、それが単なる〃思い込み〃であることを知る。

かいつまんで、その場で仕入れた情報をお伝えすると、首都はラバト(最大規模の都市はカサブランカだが)。通貨の単位はディルハム(DH)と言い、だいたい1DHが10円。

早くから民主化の政策を推し進めていたおかげで、チュニジアやリビアのような〃内乱〃も起きることなく、経済面も含めて国情は極めて安定している、という。

一番ビックリしたのは国民の若さ。平均年齢が25.8歳というから、いかに活力に満ちた国家であるかよく分かる。

さらに驚いたのは、日本で消費されているタコ、イカ、マグロに加えてマツタケまでも、その多くがモロッコ産である、とのことだ。

地理的には、ジブラルタル海峡をはさんで対岸のスペインとの距離はわずかに14㌔。ということは、島原-熊本より遥かに近い!まあ、行ったこともないので仕方がないが、世の中ホント知らないことだらけだ。

ただ、大使館スタッフの最後の説明に俄かに耳をそばだてた。「モロッコでは登山(スキー)、ゴルフ、海洋スポーツが一度に楽しめますよ」。

ちょっと待って!島原半島でもスキー以外は十分に可能だ。モロッコとの距離がグーンと近まった瞬間だった。


2011/10/25

「島原らしさ」って?…考えるほどに難しい命題

また柄にもなく講師を引き受けてしまった…。他でもない、橋本卓也さん(有限会社ライフサービス社長)が会長を務めている「島原準倫理法人会」の早朝セミナー(25日)での話だ。

演題は思いつくままに『島原らしさについて』としていたのだが、これが意外と厄介で、「何をどう語ったらよいものやら…」と頭を抱え込んでしまった。

そこで窮余の一策として持ちこんだのが、弊社マーケティング・アドバイザーの高木嶺一氏が本紙々上でこれまで計10回にわたって開陳してくれた、アウトサイダーの眼で見た「島原の実態」レポート。

もちろん高木氏は高校まで島原で育っているので純然たるヨソモンではないのだが、40年以上を東京で暮らしてきただけに、古里を眺める視線は我々ジゲモンとはちと異なる。

詳しくは掲載分のバックナンバーを読んでいただくとして、改めて自分自身で『島原らしさ』について考えてみると、これがなかなかに奥が深~い。

通常、「島原」が放つイメージで言えば、「城下町」「湧水」「温泉」…などがすぐに浮かんでくるが、果たしてそれだけで終わらないところが「街づくり」の難しさでもある。

そんなこんなで悩んでいたが、筆者以外の人々の考えを聞くことによって事態の打開を図る方策を取ることに。要するに、直前になって社内アンケートを実施してみたのだ。

すると、予想以上の面白い結果が出てきたのでビックリ。「なるほど、そんな見方もあったか!」とヒザを叩くことも度々だった。

紙幅の都合で、それぞれの具体的な内容まで踏み込めないのは残念だが、『らしさ』は地域としての「特性」を取り上げるだけにとどまらず、「問題点」をあぶり出す「副次効果」まで誘い出してきたのだ。

この点については、さらにアンケートの対象を広げて、より精度の高い「実証データ」としてお披露目しようと考えている。どうか、ご理解を賜りたい!

ところで昨日、弊社に近い島原湧水ポイントの1つである白土湖畔を歩いていたら、あるご婦人がベンチに腰掛け、何やら口にしてモグモグ…。

次なる行動を見て驚いた!何と、その食べカスのようなものを手に取って湖面に投げ込んでいるではないか!?どうやら、それは「熟柿」のようだ。

傍目からは皮なのか、実なのか、はたまた種なのか判然としなかったが、鯉のエサとして放り込んでいるのは間違いなかった。

近くでは清掃作業が行われているのに「何と不埒な!」と目を疑ったが、脇を通り過ぎようとした瞬間、筆者にこう語りかけてこられた。「カキャ(柿は)喰わんかない?」。

余りの悪意の無さと心ない行為とのギャップに、「島原らしさ」を垣間見た気もした。


2011/10/22

平穏無事な今こそ!…〃原点〃に戻った街づくり

季節の移ろいを知るのに、いつしか飲料の自販機を〃目安〃にしている自分がいる。気付いてみたらいつの間にか〃ホット〃のお出ましだ。

出張帰りの昨夕は季節外れの〃雷雨〃に見舞われ、「ハテどうしたことやら…」と面食らってしまったが、一夜明けたら秋特有の青空が広がっている。

そんな中、全国から多くの校友が集まる島原高校の同窓会やツーデーマーチなどの催しが賑々しく開かれることは、誠にもって慶賀にたえない。何と言っても「自慢の古里」「美しいしまばら」である。

さて、そんな長閑な秋の一日、そして土曜日だが、ポケットの小銭をはたいて買い求めたコーヒー(ホット)の味がどうにもいただけない。

きっと〃寒さ〃が足りないせいだ。やはり飲み口から〃湯気〃が立ち上るようではないと、テレビCMでやっているような〃くつろぎ感〃は醸し出せないのか…。

何によらず〃雰囲気〃は大事だ。明治維新の英傑を数多く輩出した薩摩や長州などに出向くと、つい我が身の至らなさは忘れてしまって、知らぬ間に〃国を思う気持ち〃になっているから不思議だ。

観光客は何を求めてこの島原半島にやって来るのだろう?湧水、温泉、歴史、城下町の風情、人情、美味しい食べ物…。ふだん我々が気付かずに見過ごしていることが周囲にはゴマンとあるはずだ。

それら一つひとつを解きほぐし、全体としての〃調和〃を図っていくことに〃我々の未来〃は託されているような気もする。

不平・不満をいくら言ってもきりがない。いま出来ることは何なのか?どこのどの部分が街の魅力として欠けているのか?探そうと思えば〃ヒント〃なるものがそこかしこに散らばっているはずだ。

海(船上)から島原半島を眺めると、実に美しい形をしている。さらに空から見れば、その思いはより一層強まるはずだ。

鹿児島出張の際に持ち帰ってきた現地の「観光ガイド」の表紙を改めて見て驚いた。そこに写っているのは「桜島」だが、ナント島原半島と瓜二つではないか!

細部まで目をやれば、違っているのは明らかだが、ちょっと見だけでは本当に判らない。桜島はいまも噴煙を上げ、市内あちこちにアノ懐かしい「降灰袋」が積まれていた。

20年前、雲仙・普賢岳の噴火災害当時のことを想えば、まさしく〃今昔の感〃もするが、平穏無事である今こそ〃原点〃に立ち返って本来の街づくりを考えるべきである。

と、ここまで書き上げて、残りの冷え切った、まず~いコーヒーを飲み干した。島原半島の各種振興策もこんな味わいにならぬよう、心から願う。


2011/10/21

人間は忘れる動物!?…鹿児島で出会った与論人

10月21日は筆者にとって「特別な日」である。詳しいことは話せないが、終生「忘れ得ぬ日」であることは間違いない。

ところが悲しい哉、人間は「忘れる動物」である。「大事」「欠かせない」などと固く心に誓っていても、いつしかその思いが忘却の彼方へと立ち去ってしまうことも度々だ。

今週の初めだったかに「FMしまばら」のパーソナリティの一人が、ある記念日を誤って伝えてしまった、と悔やんでいた。

その場はまったく「他人事」のような気分で聞いていたが、よもや自分自身にその災禍(?)が及んでくるとは夢にも思わなかった。流行り言葉でいえば、筆者もヤラカシテシマッタのである。

19日は午前中にJA島原雲仙農協本店の竣工記念式典があり、筆者もその末席を汚した次第だが、次なる会議出席のために途中で退席させていただいた。

行く先は遠く離れた鹿児島市。ギリギリのタイミングで正午過ぎのフェリーに乗り込み、タクシー&新幹線と乗り継いで約1時間。

驚いたの何のって!島原外港を出てから鹿児島中央駅に着くまでに要した時間はわずかに2時間と5分。ややもすると博多や新大阪方面ばかりに目が向きがちだが、どっこい南九州の「新幹線効果」も無視できないぞ、と心底感じた。

ホテルはほぼ駅前。余裕を持っての会場入りのはずだったが、チェックイン後すぐに「大いなる過ち」に気付く。日程を1日勘違いしていたのだ。

ただ、もう取り返しはつかない。恥しかったが、自宅と会社に電話を入れ「事の次第」を告げた。

案の定、電話口の声は「あきれた」「バカじゃ」のオンパレード。中には「観光でもすれば…」との突き放したアドバイスもあったが、とてもそんな気分にはなれない。

夢遊病者のように「天文館」とかいう繁華街界隈を歩きまわった後、夜の到来とともに目の前の居酒屋へ飛び込んだ。

店はやけに繁盛していた。団体客が入れ替わり立ち替わりやって来る。みんな楽しそうだ。一方、筆者は独りきり。仕方がないのでカウンターの隅っこでチビリ、チビリ…。

酔いが回ってくるにつれて寂しく涙が出てきた。片っ端から家族や友人に電話を入れるが、み~んなすげない対応だった。

と、そこに上下ジャージ姿の年配の男性が現れた。思い切って声を掛けてみると、「与論島」から来ていた特定郵便局の局長さんだった。

話は「口之津の歴史」を肴に大いに盛り上がった。果ては無責任にも、互いに訪問し合う約束まで取り交わしてしまった。まあ、これなどもいつしか忘れ去ってしまうだろうけど…。

最後に、家族&会社の皆さん、今回の私めの失敗も一日も早く忘れてしまいましょうね!


2011/10/18

感動!!ジョブズの言葉…サザエさん一家の家系図

「世界を変えた3つの林檎」については先日も取り上げたところだが、「米アップル」の創業者スティーブ・ジョブズの〃遺品〃の一つである 「iPad」もニュートンが発見した〃万有引力〃には歯が立たなかったようだ。

こんなことを書けば、日本にも沢山いるジョブス信者から轟々たる非難の声を浴びせられそうだが、事実だから仕方がない。ただ、深い意味はない。単に不注意で落としてしまって、表面のガラス盤にヒビが入ったという、いつもながらの〃失敗談〃に過ぎない。

断っておくが、犯人は筆者ではない。家人の妹たちを空港に送って行った際に、そのうちの誰かが後ろのトランクから荷物を降ろそうとして何かの弾みで「iPad」が飛び出て落下してしまったのだ。

普通のデジタル機器ならこの時点で完全にオシャカになってしまうところだが、そこはさすがに「iPad」。傷は負っても機能的には何ら支障がない。むしろ、ブラック・ジャックのような〃スゴミ〃さえ感じさせてくれる。

そんなジョブス先生の生前のエピソード記事が17日付の朝日新聞で紹介されている。それによると、先生は生まれてすぐに〃養子〃に出されたのだそうだ。結婚に伴う〃婿入り養子〃である筆者とは随分〃悲壮感〃も違うが、同級生に加えて養子。何かしら〃奇縁〃を感じないでもない。

ところで〃入り婿〃と言えば、我が国における国民的漫画である『サザエさん』に関して面白い話を聞いた。サザエさんの生家の苗字は「磯野」だが、婿のマスオさんの姓は「フグ田」。したがって、サザエさんの現在の戸籍上の名前は「フグ田サザエ」ということになる。

何だかややこしいが、磯野家の大黒柱である波平さんの年齢は54歳で筆者より2つも若い。ちなみに、夫人のフネさんは2歳~4歳ほど年下で、一人娘のサザエさんは24歳。そしてマスオさん28歳。

また、それぞれの家系をたどっていくと、磯野家のルーツは九州(たぶん福岡あたり)で、フネさんの実家(石田家)は静岡という設定だ。まあ、こんな話は熱烈な『サザエさん』フリークが後づけで面白がって創作したものだろうが、「罪が無い」と言うより、底知れぬ人気の秘訣がうかがえる。

さらに最近耳にしてバカ笑いしたのは、波平さんの母校は何と京都大学。サザエさんはタレントの山田邦子さんと同じ川村短大の卒業生で、マスオさんは早稲田の出身なんだそうだ。

悪い癖で、話がまたすっかり脱線してしまったが、最後は〃自戒の念〃を込めてジョブス先生が遺した有名なスピーチでビシッと締めよう!?

「もし今日が人生最後の日なら、今日やることは本当にやりたいことか、と(自分自身に)問いかけるんだ」―。何とも答えようがない自分が悲しい…。


2011/10/17

名をなした〃同級生〃…半世紀ぶりに紙面で再会

月刊文藝春秋のグラビアに『同級生交歓』という名物コーナーがあり、毎号楽しみにして読ませていただいている。登場しているのは、たいていその土地を代表する〃名門校〃でともに学んだ〃俊才たち〃で、現在の肩書きもいずれ劣らぬ成功者ぞろいである。

人生において「功なり名を遂げる」には、やはりそれなりの〃学校〃を出てないことにはなぁ…などと、つい愚痴の一つもこぼしたくなるが、今や立派に名をなした、かつての〃同級生〃の写真と名前を新聞で見つけて大いに興奮してしまった。

掲載されていたのは朝日新聞の16日付紙面。今月2日に東京・築地の浜離宮ホールで開かれた同社主催の「体と塩を考えるシンポジウム~高血圧予防のヒントは塩分だった!」という健康教育企画の特集記事だった。

何の気なしにページをめくっていたところに、懐かしい〃名前〃が飛び込んできたのだ。その名は土橋(つちはし)卓也(たくや)さん。国立病院機構九州医療センター内科医長の肩書きと並んで、日本高血圧学会の高血圧治療ガイドライン(2009年)の作成委員を務めたことなどが紹介されていた。

記事を読むと、土橋さんはこの難しそうなシンポジウムで基調講演をこなし、テレビ番組でよく見かける料理研究家の浜内(はまうち)千波(ちなみ)さんらとともにパネルディスカッションでも、専門家の立場から「減塩ライフ」の大切さについてアドバイスを送っている。

土橋さんは小学1年修了時まで筆者の古里(小浜町の片田舎)に住んでいた。お父上は中学校の英語教諭で、女子ソフトボールを〃県下一〃にまで導いた名伯楽でもあった。お母上は保育園の先生だったように記憶している。

その頃のアダ名は「ターちゃん」とか言っていたが、とにかく頭が良かった。今でも良く覚えているが、ビー玉遊びの合い間に大相撲の星取表を作って、お父上に報告することがターちゃんの日課であった。

その頃の横綱は大鵬、柏戸、佐田の山。大関にはもみあげの長い北葉山らがいた。幼心にターちゃんの〃実力〃を垣間見たのは、漢字でさらさらと「大鵬」を書いてのけたこと。

島原市内に転校してからは、江東寺の「ねはん像」の絵葉書を一度もらったくらいで、以降はすっかり音信不通の状態だったが、高校進学後にその名を再び目にすることに。

ターちゃんの進学先は島原高校。中地区、県下一斉という模試の度に、その名は必ずトップランク。3桁、4桁の我が身からすればまさに仰ぎ見る〃天上の星〃であった。

あれから半世紀が過ぎ、立場の違いは歴然としているものの〃同級生〃には違いない。余談だが、現職の総理だって年齢こそ違え卒業年は一緒だから、無理すれば〃同級生〃と言えないこともない?まさか!


2011/10/14

速度は控えめに…ブレーキなし自転車って?

お笑い系のタレントがブレーキの付いていない自転車に乗っていて摘発され話題となったが、このところ自転車にまつわる〃笑えない話〃が続いている。それはもう全国的な傾向のようで、先日もワイドショーの中で仰々しく取り上げられていた。

件のブレーキなし自転車は競技用で「ピスト」と言うらしいが、読者の皆様は昔の自転車のブレーキ仕様を覚えておいでだろうか?確か、それは「コシタ」とか呼んでいたのではなかったか?

たぶん、漢字で書けば「股下」だろう。その手の自転車のペダル軸は前にしか回らず、逆回しをすることが、すなわちブレーキをかけることであった。幼心にそう記憶している。

補助輪付きの子供用の自転車が一般に普及してきたのはいつ頃からだろう?少なくとも筆者の少年時代(昭和30年代)には余り見かけなかった。

したがって、「自転車乗り」をマスターしようと思ったら、端からゴツイ造りの大人用に挑んでいくしかなかった。まずは片足をペダルの上に置いて、残りの足で地面を蹴って先に進むことから始まった。

乗れるようになったら何でもないことでも、習い始めは殊更に難しく感じられ、何度ぶつかり、幾度転んだことか。そして、次なるステージがいわゆる「三角乗り」だ。

これが自由にこなせるようなれば、後はもうシメタもの。つまり、この段階で多くの挑戦者たちは「バランスのコツ」をつかんでいたのである。

その後しばらくして高度経済成長の煽りからか、田舎にもサイクリング自転車ブームがやって来た。いわゆる「ドロップハンドル」というやつだ。仲間内での一番人気はブリヂストン。次いでミヤタ、ナショナルといったところだった。

筆者が買ってもらったのはナショナル製。「どうしてテレビの会社が自転車まで造っているのだろう?」と、当時はとても不思議に思っていた。

ただ、1つだけ自転車屋のオジサンから騙されていたことを後に気付く。それは「サドルを上げれば、その分脚も長くなる」という真っ赤も真っ赤、何の根拠もない大嘘であった。

まあ、この齢にもなったのだから、そんなことはどうでもよい。問題は、最近世間を騒がせている乗り手の「マナー」である。

都会地ほどの夥しい台数ではないにしても、島原市内でも時間帯によっては学生らが徒党を組んで一斉に乗り込んでくる、何とも危なっかしいシーンを見かけることがある。

また、クルマを運転していれば良く分かるが、とかくに自転車の場合は、勝手気ままなハンドルさばきをしている人が多いようにも思う。

スピードは控えめに!ブレーキは早めに!お互い〃痛い目〃に遭わないよう、普段から注意をいたしましょうね!!


2011/10/13

「沈黙は金」なのか?…何となく違う気もするけど…

「ビートたけし」こと北野武さんに、『だから私は嫌われる』という実に面白い著作(新潮文庫)があるが、人間というのは時々、分かっていながらついつい差し出がましい口をきいてしまうものだ。

さしずめ、これから書こうとしている内容もその類いだろうか…。当事者にとっては「何をこの部外者めが!」と気分を害されるかも知れないが、書くに当たって別段「他意」は持っていないのも事実である。

ただ一方で、「足を踏まれた者の痛みは、踏まれた者にしか分からない」という至言もある。信用不安に怯えるユーロを尻目に金相場は順調だとも言うし、ここは一つ「沈黙は金」で行った方が賢いか?

だいたい、連載も千回近くに及んでくると、取り上げる「テーマ」も知らない間に重なってしまうものである。例えば、この秋口の祭りシーズン…。

時候の変化を枕に字数を稼ぎ、傍観者の立場から勝手気ままなことを書き連ねる。本人にとっては、ある種カタルシスかも知れないが、書かれた(足を踏まれた)方はたまったものではないだろう。

しかし、だ。そんなことばかり気にしていたら、全ての事象について何の変哲もないスケッチ風の記事や、ヘラヘラとお追従を並べるだけに終わってしまうではないか?

そんな〈迷い〉〈逡巡〉の挙げ句に、北野さんの本のタイトルを思い出したわけで、実は昨日は「嫌われることを覚悟」の上で、2つの案件を取り上げ、自説を展開していた。

ところが、2年ほど前にも同じような辛口論評を書いていたことが判ってビックリ。その時は「事態の収拾」にかなりの労力を費やしたと、いうことだった(関係者談)。

まあ、そんなこんなで折角書き上げていた原稿ではあったが、残念ながら、昨日分は〃ボツ〃に。が、よくよく考えてみれば、書く方も書く方だが、書かれる方も書かれる方だ(お互いに成長していない)。

最も性質(たち)が悪いのは、「もっとこうあった方が望ましいでは…」との前向きな改善提案をしているのに対して、「取材拒否!」などといった強硬手段をとる、自己顕示欲に固まった頑迷な輩の集団だ。

折角涙をのんで昨日は抑えたのであるから、敢えてその団体名を明かすのは止めにするが、釈然としない思いは一夜明けた今でもどうしても払拭できないでいる。

「反論」があるなら、堂々と述べられたらよい。そうして「論議」を深めていくことで、より良き古里が出来上がるものだと思うのだが、いかんせん筆者にはその「勇気」がない。

と言うより、もう面倒くさい。〈物言えば 唇寒し 秋の空〉=芭蕉=の心境なのである。


2011/10/11

早朝散歩&ラジオ体操…村山元総理の健康の秘訣

さして運動もしていないのに、週明け早々身体の節々が痛い。おかしい?どうしたんだろう?と原因を探っていたら、思い当たる節はラジオ体操。

お城堀端1周、約1.3キロ。普通に歩いて15分程の格好の散歩コースなのだが、先日はちょっと趣向を変えて、城内で行われているラジオ体操に顔を出した。

実は還暦を超えた筆者の先輩に、毎朝欠かさずテレビ体操に勤しんでいる大酒飲みのオジサンがいるのだが、この方の身体の線が惚れ惚れするほど美しいのだ。

断っておくが筆者、いかに女性にもてないからといって、その方面の趣味は持ち併せていない。ただ、筋骨隆々とはまた一味違った男性裸体には別の意味で魅かれるものはある。

その先輩自身、特段拘りを持って身体を鍛えている様子もないので不思議極まりないのだが、「継続は力なり!」という言葉の持つ真実味を否応なく見せつけられてしまった、という感じなのだ。

万事において素直この上ない筆者は、至極単純にその行為をなぞろうと、久方ぶりのラジオ体操に臨んだ。が、そのツケがこんなに早く現れてくるとは思ってもみなかった。

率直に言って、堀端を歩いて1周するよりは、ラジオ体操の方が遥かにきつい。いや、絶対にそうだ。

そのラジオ体操にまつわる話を、旧社会党委員長で総理大臣にまで昇りつめた村山富市さん(87)が文芸春秋11月号の巻頭随筆に寄稿されている。

村山さんは健康の維持増進のためこの30年間ずっと、早朝散歩とラジオ体操を欠かさず続けているのだそうだ。毎朝6時に家を出て、途中ラジオ体操を交えながら往復40分間をかけて、頭と体をすっきりさせるのが日課だ、と。

米寿のご老体に出来て50代半ばの若造に出来ないはずはない、と気合を入れ直している最中だが、これから日を追うごとに気温が下がっていくことを想えば、必ず実行できるという自信はない。

こういう場合「いかに健康が大事か」という趣旨の本を読むのも一計だが、より簡単なのは「形から入ることだ」という気がしないでもない。ということで昨日、大村に所用で出かけたついでに量販店を覗いてみたのだが、いずれの衣装も「帯に短し、襷に長し」なのである。

何より、この腹回りに合うパンツサイズがない。だからと言って、XLを試着すれば「殿中でござる」となってしまう。

結局のところ、何も買うこともなく店を後にしたわけだが、脳裏にこびりついて離れないのはラジオ体操の帰途、見るとはなしに目にした、文化会館の窓に映った己が姿。

そこには、大酒飲み先輩とは明らかに違うシルエットが描き出されていた。よし、やるぞラジオ体操!


2011/10/08

知らないことだらけ!…マック派の皆さんに陳謝

「ここ間違ってます。順序が逆です」―。昨報のゲラ刷りを送付後に我が社の〃ジョブズ信者〃に見せたら、苦り切った表情を浮かべられてしまった。

筆者はてっきり「マイクロソフトの方が先」とばかり思っていたのだが、ビル・ゲイツ氏はアップル社にソフトを納める〃一業者〃だったのだそうだ。マック派の皆さん、どうもスミマセン!

考えてみたら、昨日(7日)は端(はな)からツイテなかった。暦の上(六曜)では「先勝(さきがち)」なのに、筆者にとっては、まったくもって「三隣亡(さんりんぼう)」だったのだ。

ケチの付き始めは、朝一の買い物。筆者は眠る前にポケットの小銭類を本棚の上に置くのが習わしとなっている。昨日の朝も何の気なしに、それらを〃わしづかみ〃にして近くのコンビニまで出かけた。

買い求めたのは牛乳1パック。値段を確かめると「222円」と値札が貼ってあったので、ポケットをまさぐって小銭を取り出した。

と、中に随分とヒコクレタ感じ(?)の1円玉が混じっている。「そんなもんか…」などと金種を揃えていたら、ナントその1円玉は家人が普段から大切にしている「ダイヤの指輪」(ウソですよ!)であった。

何となく可笑しい気分になったので帰ってすぐその報告をしたら、意に反して、家人から〃烈火〃のごとく怒られてしまった。これが「三隣亡」第一弾。

続いて、昼食時。メニューはこの前、博多の友人からもらった長浜ラーメン。朝の一件でご機斜めのままの家人が差し出したのは〃素ラーメン〃。

「触らぬ神に祟りなし…」とばかりに、傍らの母に胡椒を取ってもらった。そのまま蓋を開けて2、3回振りかけるつもりだったが、間違えて蓋全体を外していたことに気づかず、1瓶丸ごと〃丼〃の中へ。

よもや作り直していただけるような雰囲気ではなかったので、そのままそっと箸を運んでいたら、何かの拍子で〃汁〃が飛び散って目の中に。口も辛かったけど、目も辛かった。

それにしても、この世の中は「勘違い」と「知らないこと」のオンパレードである。文中「三隣亡」などと中身も知らないままに漢字で書いているが、色々調べてみたら、元は「三輪宝」といってメデタイ意味だったのだそうだ。

胡椒メーカーの「エスビー食品」(S&B食品)の名前の由来にして、何も知らないままに今日まで過ごしてきた。別に不都合はないのでそのままで良かったのだが、〃事のついで〃にと、調べてみると―。

元々の社名は「日賀志屋」。それが昭和5年に「太陽」(SUN)と「鳥」(BIRD)を合わせて、「陽(ひ)鳥(どり)」としてデザインしたことから、頭文字を取って「S&B」となったのだそうだ。

それにしても辛かったよなぁー、昨日のラーメンは…。


2011/10/07

S・ジョブズ氏死去…世界を変えた3つの林檎

誰が言ったのか知らないが、世の中には何とも巧い例え話をする人(知恵者)がいるものだと、ほとほと感心した。

昨晩から今日にかけてのニュースは、米アップル社の前CEO(最高経営責任者)、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった話題でもちきりだ。

話は前後するが、その知恵者はIT業界におけるジョブズ氏の業績の数々をこう称える。「世界を変えた3つの林檎」と。

まず1つ目はイブに食べられたリンゴ。2番目は「万有引力」の発見につながったニュートンのリンゴ。そして3番目が、ジョブズ(以下敬称略)が育てた「アップル」(英語で林檎の意)という会社のことだ。

前二者については今さら説明も要すまいが、ジョブズの活躍ぶりについても、すでに語り尽くされた感があるので、何から話し始めたらよいのやら…。

取り急ぎ、各々の製品名を列挙することで、氏が遺した偉大な機器開発(発明)の足跡をたどろう―。

まず、パソコン。マイクロソフト社のビル・ゲイツの「ウインドウズ」(汎用型)に対抗して、玄人好みのする「マッキントッシュ」(愛称・マック)を開発。

〃一方の雄〃としての地位を揺るがないものにしているはずだったが、経営方針の違いから、友人とともに20代で立ち上げていた会社を追われた。1985年のことだった。

雌伏すること10余年。その間に、映画制作会社を立ち上げ、コンピューター・グラフィックス(CG)を駆使した『トイ・ストーリー』の大ヒットで再びトップの座に。

その後は、携帯音楽プレーヤーの「iPod(アイポッド)」を皮切りに、インターネット上の音楽配信サイト「iTunes(アイチューンズ)を相次ぎ発表。

その〃勢い〃は、多機能携帯電話の「iPhone(アイフーォン)、多機能端末の「iPad(アイパッド)」へと引き継がれた。

いずれの機器も、それまでの〃社会通念〃を根底から覆すもので、まさに「アップルが世界を変えた!」と言っても、決して過言ではない。

筆者も2年ほど前から「iPhone」「iPad」を利用しているが、残念ながら使いこなすまでには至っていない。ただ、ソフトによっては便利この上なく、後は社員の指導(弊社には名人がいる!)を得ながらスキルアップを図っていくのみだ。

〃生みの親〃を亡くしたばかりのところに些か不謹慎の誹りを免れまいが、実は弊社でも近々「iPad」の販売に取り組むよう準備を進めている。

享年56歳。天才と凡才の違いがあるとはいえ、氏は同い年である。ジョブズ君、安らかに眠りたまえ。島原半島のIT化促進は弊社が引き受けた!!


2011/10/05

元気だった梅ちゃん…『週刊朝日』に渾身レポート

〈梅さん〉と聞いて、すかさず〈ヨシコ先生〉の名前が出てくるようであれば、あなたは相当な『ど根性ガエル』(吉沢やすみ作・アニメ漫画)の〃通〃だと言える。

では、普賢岳災害時の〈梅ちゃん〉と言えば、一体誰だろう?ほかでもない、フリーカメラマンの梅崎良さんが〃その人〃である。

前置きが長くなってしまったが、〈梅ちゃん〉による『週刊朝日』の短期集中連載が10月7日号からスタートした。タイトルは「天国と地獄の交差点」(1999-2011)。日本一の歓楽街として知られる新宿歌舞伎町(コマ劇場前)がその主舞台だ。

〈梅ちゃん〉は今から20年ほど前、火砕流&土石流が荒れ狂っていた島原の地に、薄汚れたリュックを背負ってフラっと現れた。手には愛用のニコン製カメラ。

筆者も取材先で何度か会っているうち自然と親しくなり、一緒によく酒も飲んだ。聞けば、同じ九州人。当時は病身の母親を古里の久留米市に独り残しているので時々帰って来ている、とのことだった。

出会った端は、写真の腕前がどの程度のものか判らなかったが、当時大流行だった写真週刊誌にもかなりの頻度で取り上げられていたので、いっぱしの「プロカメラマン」であったことは間違いない。

ある時、〈梅ちゃん〉が関川夏央さん(作家)とも親しいという編集者を連れて島原にやって来た。出版(写真集)の話だった。

刷り上がった本の題名は『普賢さんは怒っちょらす』。写真の出来栄えもさることながら、自然への畏敬の念を決して忘れない〈梅ちゃん〉らしい作品だった。

噴火活動の終息とともに、〈梅ちゃん〉は忽然と姿を消した。その後しばらくしてから、チベットで撮ったという仏像関係の写真を幾枚か送ってくれた。以来、音信不通である。

今回、〈梅ちゃん〉は文も書いている。これがなかなか巧い。カメラマンで文章家と言えば、先年亡くなった砂守勝巳さん(土門拳賞)のことを思い出すが、〈梅ちゃん〉ももっとその〃路線〃を目指せばよい、と思う。

一度だけ、〈梅ちゃん〉と歌舞伎町の中でも最も危ないと言われる「二丁目」の酒場に行ったことがある。ママさんは昔からの知り合いのようで、特段気後れすることもなくバーボンのグラスを重ねていた。

そのうち、常連客のフリーカメラマン連中が次々に入ってきた。興に乗った一人が店備え付けのムチを手に取り、突然カウンターやテーブルの上を叩き始めた。

その夜は、かなりの〃量〃をいただいていたが、「ここで酔ったら大変なことになる…」と、自己防衛本能を働かせて静かに退散したことを覚えている。

〈梅ちゃん〉はあの頃のままだろうか…。


2011/10/04

門司港に島鉄トロッコ…北九州で〃実証実験〃に参加

まさかこんな所で?週末を利用して出かけた北九州市内で、偶然にも「シマテツ」と出会った。場所は多くの観光客で賑わう門司港駅界隈。現地スタッフの案内がなければ見過ごしてしまうところだったが、何と今はなき「トロッコ列車」が走っていたのだ。

島原時代の車両は黄色をベースにした配色だったが、北九州では紺色の車体に塗り替えられていた。所属先も運行経路も確認できずじまい。ただ、関門海峡に面した和布刈(めかり)公園までは行っているらしい。

その時の〃心境〃はどう例えたらいいのだろう。家庭の経済的な事情で離散せざるを得なかった、懐かしい〃兄弟〃との再会のようなものだろうか?

まあ、いずれにしても〃元気〃で働いている姿は何より。むしろ、門司港自体が折からの〃レトロブーム〃で大人気だそうだから、島鉄はトロッコ列車との〃再会の旅〃を企画するくらいの商売気が欲しいものだ(もし、すでにあるのだったらゴメンナサイ)。

今回の出張の目的は同市内で2日間にわたって行われた、新たな放送システムの〃実証実験〃に参加することであった。結論から言うと、実験は大成功!

まだまだ〃企業秘密〃に属する部分が多いので中身について語るわけにはいかないが、順調にいけば、1年後くらいには島原エリアでもサービスインが可能だという。乞う、ご期待!

宿舎は小倉駅前のビジネスホテル。夕食は魚町商店街から一筋ほど入った、雑居ビル2階の鉄板焼き店。紹介者がいたおかげで、すこぶる安上がりで済んだ。やはり、持つべき者は友達である。

その〃お返し〃と言っては何だが、少しだけ北九州のPRをすれば、小倉や門司などの5市が合併して「北九州市」となったのは、東京オリンピックが開催された昭和39年。

当時は鉄鋼産業華やかなりし頃で、「北九州工業地帯」として社会科の教科書にも紹介されていたことを覚えているし、完成後間もない「若戸大橋」も観光のメッカであった。

近年では、産業構造の変化もあってかつての勢いはなくなっているものの、それでも「九州の玄関口」としての位置的な優位性は動かない。

代表的な地元企業は地図の「ゼンリン」や、トイレやバスルームなどで知られる「東洋陶器」(TOTO)。食べ物関係では、門司の「焼きカレー」に、小倉発祥の「焼うどん」など。

最後に、個人的な趣向を述べさせていただくなら、湖月堂(本店・小倉)の「栗饅頭」は絶品で、店内の喫茶兼レストランがこれまた素晴らしい。

筑豊炭鉱をはじめ周辺の人たちがたまの休みに家族連れで都会に出てきて味わったであろう〃甘味〃をいただきながら『東京タワー』(リリー・フランキー著)の世界を想った。


2011/10/03

知らない間に秋風が…留守中「なでしこ」に異変

県外出張が続いた先週と違って、今週はびたっ~と地元に張り付く。気づいてみたら、辺りはすっかり秋の気配だ。

帰って来て何より残念だったのは、手塩にかけて育てていた花々がすっかり虫食いの〃被害〃に遭っていたこと。その1つがナデシコ。先週までは綺麗な花を咲かせていたのに、今や無残な姿を晒している。

よくよく目を凝らして見ると、胴体が漆黒で、頭と尻尾が黄色いツートンカラーの小さな虫が、わずかに残った花びらまで食い尽しているではないか。

虫々にとっては、それこそ〃死活問題〃であろうから、人間様の勝手な立場を振りかざして余り無体なことは言えないが、よもや女子サッカーの「なでしこ」にまで変な虫が付いてはいないだろうか…。まっ、そんな心配はないか!?

1週間ほど休んでいる間に、巷では色んなことが起きていた。スポーツ界で言えば、大リーグ・イチロー選手の10年連続200本安打の記録がついに途絶えた。

本人は実にサバサバした口調で〃記録の重圧〃から解き放たれた感想を語っていたが、天才の心境を的確に把握して文章化できる有能な記者もそうそうはいまい。

それでも彼らは書く。いや、書かなくてはならない。なぜなら、それが〃仕事〃だから。考えてみたら、記者稼業もよくよく因果な商売である。

筆者も〃その道〃に首を突っ込んで、恐る恐る端っこの方をヨタヨタと歩き続けてはや四半世紀になろうとしているが、いまだに満足のいく文章が書けたためしがない。

先ごろ講演を聴いた茂木健一郎さん(脳科学者)の言葉を借りれば、「それ以上求めても無理。元々、能力がないのだから」と片付けられるだろうが、これでメシを喰っている以上は、今後も〃生き恥〃を晒し続けていくしかない。

ところで、イチロー選手の記録断絶の話とは違うが、20年間余に及ぶTBSの人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』もついに終止符を打った。こちらの〃主役〃は何と言っても脚本の橋田壽賀子さんだろう。

『渡鬼』と言えば、何の変哲もない家族間の日常の話題がテーマ。誤解を恐れずに言うなら、決して〃映画化〃されることのないテレビ専用のホームドラマであった。

それでも、多くの視聴者が木曜午後9時になると、茶の間に居座りながら「そうそう、こんな理不尽な事だらけだよね、世の中は…」などと妙に得心しながらご覧になっていたはずだ。

商売柄、色んな調査機関の話を聞く機会も多いが、今後はテレビや映画の視聴形態も益々「茶の間」→「個人」へと変わっていくはずだ、と予測する向きが多い。

一世を風靡したテレビ万能の時代も、いよいよ〃秋風〃が吹き始めたか…。