2011/05/28

パン欲しさについ…えっ「小笹(おざさ)」がネットで!?

行って来ました、朝一で!アンパン欲しさに、ユニクロまで!

たまたま前日開いたヤフーの検索画面で見かけた同社の「創業祭」のことが気になり、オリコミで調べてみたら、島原店でも28日早朝限りでやっていた。

別段〃早起き〃は苦手ではないので、スルリと布団を抜け出し、降りしきる雨の中を愛車を駆って出掛けた、という次第だ。着時刻は5時半。そしたら居た!居た!同じ目的を持った〃仲間たち〃が。

「ヒー、フー、ミー…」。数えてみたら、筆者は15番目だった。アンパンとお茶を貰えるのは先着100名だったので、この時点で権利発生!

割り込むつもりなど毛頭なかったが、雨宿りがてらに飛び込んだ軒下には〃トップ3〃の方が礼儀正しく並んでおられた。

と、隣のご夫婦連れの方から突然に話かけられた。「アンタ島原新聞の『し』やろ?毎日、こがん早起きさすと?」。「えっ、まあ…」。

シドロモドロしているうちに、白い雨合羽を着た店員さんがお目当てのご褒美とともに、1万円相当の商品が当たる抽選券を配ってくれた。

開店まではまだ少し時間があったが、すでに店内は〃臨戦態勢〃の様子。シャッター越しに、気合いの入った「おはようございます!」の朝礼の声が漏れ聞こえてくる。

そして〃予告〃の6時少し前、扉が開いた。とは言っても、筆者の場合、特に何かを買おうと思っていたわけでもなかったのでハタと困った。さりとて、いくら何でもパン・茶だけ貰ってそのまま帰るわけにもいかないので、一通り店内を〃物色〃。

ただ、ここから先が問題!「Tシャツの1枚でも…」と思っていたのが、まるで〃魔法〃にでもかかったように、〆て5千850円もの〃衝動買い〃と相成ってしまった。

最終的にどれくらいの人が入ったのか皆目見当もつかないが、仮に1人当たり5千円買ったとすれば、半時間足らずで50万円の売り上げか…。

帰りの車の中で「こんなに似たようなモノばかり沢山買ってどうすんの?」と、ひとしきり自己嫌悪に陥ることしきり。と同時に、商売の〃妙味〃について考えてみた。

東京・吉祥寺の商店街にテレビ等でも幾度となく紹介されたことがある、有名な和菓子のお店がある。その名を「小笹(おざさ)」という。

ここの羊羹(ようかん)や最中(もなか)を買おうと思ったら、遅くとも朝の5時前から並んで、3~4時間は待たなければならない、というのが〃通説〃だった。それが、最近ではネットでも買うことができるようになった、というではないか!?

「時代が変わった」と言えばそれまでだが、かつては我が「東京・島原寮」の専属バイト先だったとも言うし、何とも複雑な思いだ。つくづく、商売とは難しい…。


2011/05/25

10名を抽選で〃招待〃…ビューティフル・サンデー?

KTNの担当者からポスターとチケットを預かるまで、実のところ「はいだしょうこ」なる人物については、まったくもって知識も情報も持ち合わせていなかった。

ネットで調べてみた。本名・拝田祥子。東京生まれ。父親(音楽者)の仕事の関係で、幼少期2年間をニューヨークで過ごす。

帰国後は、桐朋学園を経て、国立音大附属高2年修了後に宝塚音楽学校に進む。同歌劇団では星組の娘役として活躍した。

退団後、NHKテレビ『おかあさんといっしょ』の「第19代うたのおねえさん」となる。また、フジテレビ『笑っていいとも』の火曜日版にレギュラー出演を果たすなど〃知る人ぞ知る〃お方だったのだ。

ちなみに、なぜ唐突に「しょうこおねえさん」の話を持ち出したかについては、その「ファミリーコンサート」(島原文化会館)が今月28日(土)に迫っているから、である。

公演は2部制で、午後1時~と、午後3時半~。それぞれ30分前に開場される。チケットは全席指定で1枚2500円。東日本大震災の復興祈念イベントでもあるそうだ。

カボチャテレビとFMしまばらでは、その趣旨に賛同し、抽選でそれぞれ5名の方を〃招待〃することにしている。ご希望の方はファックスまたはメールでお申し込み下さい。

ただし、時間の制約もあるので、弊社事務所(白土町)までチケットを取りにくることが可能な方に限ります。お早めに!!

ところで「うたのおねえさん」と言えば、お父上が島原市出身のアノ方は今頃どうされているのだろうか?そう、『だんご3兄弟』の名調子で一躍有名になった、第17代目の茂森あゆみさんだ。

アノ歌が流行った当時は、普賢岳噴火災害の終息→復興時期とも重なってウキウキ気分で口ずさんでいたものだった。

〈いちばん上は 長男 長男 いちばん下は 三男 三男 あいだにはさまれ 次男 次男 だんご3兄弟♪〉曲のテンポも良かったが、詞(佐藤雅彦さん)も素晴らしかった。

話がまったく変わってしまって恐縮だが、島原市議選(今月29日投開票)の戦いが日を増すごとに熱気を帯びてきているように見える。

定数21に対して立候補しているのは26人。単純に差し引けば、5人がふるい落とされる「サバイバルレース」だが、見方を変えれば、予断を許さぬ「だんごレース」でもある。

その中にあっていち早く抜け出すのはどの候補であろうか?そう言えば、筆者が学生時代のバイトで半年ほど師事していた田中星児さんは『おかあさんといっしょ』の「初代うたのおにいさん」だった。

代表作は『ビューティフル・サンデー』。果たして次の日曜日、どの陣営にその曲が鳴り響くか?


2011/05/20

出動!井上消防・防災…プロによる、住民のための…

アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リーンカーン(1809~1865)が、こんなにも多くの「名言」(後述)を遺しているとは!

筆者は「馬鹿の一つ覚え」で、「ガバメント・オブ・ザ・ピープル」で始まる、例のゲチスバーグ演説くらいしか知らなかったが、今でも脳裏にこびりついているということは、よほどの「説得力」「名調子」という証しだ。

日本語に訳すと、「人民の、人民による、人民のための政府は、地上から消滅させてはならない」―。民主主義の尊さを謳った、何と言う格調高い響きであろうか!

そのリンカーン大統領とは全くもって無縁の方々であるが、島原地域広域圏の元消防士4人がこのほど、同地域における防災対策の推進を願って、ある「事業」を立ち上げた。

いささかコジツケがましいが、「元消防士の、元消防士による、地域住民のための新規事業」とでも言おうか…。

まあ、詳しい話は直接「当事者」にお尋ねいただくとして、ひとまずはその有志4人の氏名と肩書きを紹介しておこう。順不同・敬称略。

代表・井上義明(前島原消防本部消防長)◆顧問・大津一郎(元島原消防本部消防長)◆営業部長・福島英明(元島原消防本部指令課長)◆事業部長・松本兆司(元島原消防本部分署長)。これに事業課長として「消防設備士」の井上雅智(代表子息)が加わる。

事務所の所在地は、国道251号沿いの有明町大三東甲717-1(㈱木村食品の並び)。福岡市城南区にも営業所を置いている。電話は0957-61-9133。

主な業務内容は、消火器の販売をはじめ、消防設備の設置・点検・整備、建物の防災サポート、住宅用火災警報器の販売など。「見積無料。相談には迅速に対応します」と、スタッフ一同大いに張り切っている。

ところで、井上代表に真新しい名刺をもらったら、何とも可愛らしい「トラのマスコット」が刷り込まれている。理由を訪ねると、「自分が寅年だから」と実にストレートなお答え。

時あたかも、普賢岳噴火災害から20年目の「節目」の年。何はともあれ、事業の順調な発展を心から希って御祝いの言葉に代える。ガンバレ、よっちゃん!

【追伸】東日本大震災で陣頭指揮をふるう菅直人首相に捧ぐ(リンカーン名言集より抜粋)。

[その1]たいていのひとは災難は乗り越えられる。本当に人を試したかったら、権力を与えてみることだ。

[その2]今日の責任から逃れることが出来たとしても、明日の責任からは逃れることは出来ない。

[その3]もし相手に自分の意見に賛成して欲しければ、まず相手に自分はあなたの味方だと分かってもらうことだ。これこそ、人の心をとらえ、相手の理性に訴える最善の方法である。


2011/05/19

求む!デブ用のベスト…泣く泣く諦めた調査登山

本来であれば、今の時間帯(19日正午頃)は「平成新山」(標高1486メートル)の山頂に立っているはずだったが、急な用事が発生して取り止めに。

チクショー、こんなに天気が良いのに…。それより何より、折角この日のために買い込んできた「防寒具」や「酸素ボンベ」はどうなる?まぁー腐るモノではないので良いか!!

中高年の間で「山登り」がブームになって久しいが、「山ガール」に代表されるように、最近はファッションそのものが注目されるようになってきた。

ところが、一流のブランド品となると、これが吃驚するほど高い。それでも、脇に山積みされたバーゲン品と比べると、その違いは明らか。つい、無理をしてでも買ってしまう。

一言でいってバカだ。そんなに頻繁に行くわけでもないし、厳しい冬山でも何でもない。トレッキングに毛が生えたようなものだ。

この前、何かの用事でタクシーに乗ったら、運転手さんから「遠足ですか?」と聞かれた。なるほど、言われてみたら確かにそうだ。

その日のいでたちは通気性の良いポロシャツに山岳用のベスト、そしてGパンに運動靴。おまけにリュックを背負っていたので、そう見られても文句は言えない。

ただ、そうは言っても、これが筆者の「仕事着」だ。振り返ってみれば、ベストとの付き合いは長い。学生時代から続いているので、もう30年以上にもなる。

最近でこそ、街中でもよく目にするベストファッションだが、昭和の当時はまだ少数派だった。筆者の場合は「オシャレ」と言うより「実用性」で身に付けていた。

ドラえもんではないが、ポケットが幾つもあるので何かと重宝する。ただ、余りに多すぎて何をどこに入れたのか迷ってしまうことも度々だ。

それでも「便利」この上ない。最近でこそ少なくなったが、写真撮影で戸外に出かける際など「必需品」の1つと言ってもよい。

もちろん、季節に応じて「冬用」「夏用」がある。好みの問題だろうが、背中が「メッシュ」になっているやつは、筆者の美的感覚で言うとダ・サ・イ。少々暑くても、敵に背中を見せてはいけない!

目下の課題は、量販店でさえ、余り大きなサイズを置いていないこと。デザインは良くても、前のファスナーが締まらない商品が大半なのだ。

敢えてメーカーに聞きたい。デブはベストを着てはいけないのか?度重なる洗濯ですっかりくたびれてしまった〃相棒〃に同意を求めるが、押し黙ったままだ。

今ごろ一行は弁当を食っているだろうか?小にょろ君(FMしまばら)に、「山頂付近は硫黄の臭いがきついからファブリーズは必需品!」と伝えておいたが、持って行ったろうか…。まさか?


2011/05/18

まるで宰相不幸社会!?…正鵠を射た「西岡議長発言」

産経新聞は、本県出身の西岡武夫参議院議長が、同紙のインタビューに応えて「菅首相は退陣すべき」との考えを示した、と18日付の紙面で報じている。

すでにテレビ朝日系の人気番組『ビートたけしのTVタックル』(16日放送)でも、同趣旨のコメントが紹介されていたので特段驚くまでもないが、「与党出身の議長が内閣総辞職を要求するのは極めて異例」ということだ。

しかし、「異例」云々はともかくとしても、自民党の谷垣禎一総裁をはじめ公明党の山口那津男代表、みんなの党の江田憲司幹事長ら野党幹部もその線に沿った発言をしていることは〃注目〃に値する。

素人考えでは、これに小沢一郎一派が加われば〃鬼に金棒〃ということになろうが、政治の世界は常に「一寸先は闇」。金棒なんかいつメルトダウン(溶解)するとも限らない。

西岡議長が現政権に「見切り」を付けようとしている理由は、フクシマ原発の事故処理に対する、政府・東電の度重なる不手際。「(菅さんは)もうここら辺が限度」と、にべもなく切り捨てている。

単なるブラフ(威嚇発言)でないのは、「今月26日からフランス・ドービルで開催される主要国先進会議前までに!」と、具体的に〃時限〃を示していることからも明らかだ。

これに対して菅政権を支える民主党主流派は、8月に提出予定の第2次補正予算の一部(約1兆円)を前倒しで今国会に提出するとともに、会期の延長を図る動きを見せている、とか。果たしてその〃結末〃やいかに?

国民目線で考えれば(偉そうに…)、戦時中にも匹敵するこの「国難」の時に、政治の主導権争いなんかしている場合ではなかろうとも思うが、一方で、次のような西岡発言の内容は「辛辣」と言うよりむしろ、「正鵠を射た指摘」と取る方が妥当であろう。

〈菅首相の政治手法は『こうする』とか『検討する』とか言うだけ。『いつまでにやる』『いつからやる』というのをほとんど聞いたことがない。すべてが先延ばし、先送りです〉

〈このまま行けば菅さんと一緒に日本の国がおかしくなっちゃう。だいたい『最小不幸社会』なんてスローガンはないですよ。不幸を前提にしているわけでしょ?あれに菅さんの政治姿勢が象徴されているんじゃないですか〉

眉間に縦じわを寄せてかつての自民党政権を厳しく追及していた頃の、あの「菅直人」という政治家は一体どこへ行ってしまったのだろう。

与党と野党の責任の違い?だったら、総理になんかならなければ良かったのに…と、今になって思っている国民の皆さんも多いのではなかろうか。

『TVタックル』で冗談交じりに紹介されていた「宰相不幸社会」という揶揄(やゆ)的表現がにわかに現実味を帯びてきた!?


2011/05/17

明確な目的語を!!…「がんばれ!」の難しさ

県総合防災訓練が17日午前、安徳海岸埋立地であった。ほんの短い時間だったが、筆者も会場の片隅からこっそりと見学させていただいた。

よくこうした訓練を評して「本番さながら」といった表現がなされるが、誰しも知っている通り、「実際の災害」(本番)はそんなに甘いものではない。

では、なぜやるのか?「備えておけば、少しでも役に立つから」といった「願望」や「信念」に近い思いを皆が持っているからだろう。

的外れな例えかも知れないが、「ひとつ拾えば、ひとつだけ綺麗になる」といった鍵山秀三郎さんの「教え」にも通じるような気がしないでもない。

最初から「屁理屈」のようなことを書いて恐縮だが、何とも言っても「普賢岳噴火災害から20年」。そして記憶に新しい「東日本大震災から2カ月と1週間」という時節柄である。参加各位に力が入らないはずはない。

遠巻きにしながら一際目を引いたのは、この日のため急きょ造成された小高い「塚」のような壁面に張られたブルーシート。「がんばれ!東北」「がんばれ!日本」(長崎県)の文字を見ただけで胸が熱くなった。

最近は、長引く災害報道でネタに窮してきた一部記者諸氏が、被災者の心情を慮り過ぎる余りに、「『がんばれ!』とは怪しからん」などと言い始めているようだが、なら他に何と声を掛けたらいいのだろう?

豊富な人生経験から、酸いも甘いも噛み分けた瀬戸内寂聴さんや鎌田實さんあたりが仰るのなら納得もできるが、「正義感」や「正論」ばかりを振りかざされても、正直迷ってしまう。

かつて、ダイエーのカリスマ経営者であった中内功(正しくは工偏に刀)さんが営業店回りの際に、直立不動の姿勢で「がんばります!」と答える店長連中を激しく叱り飛ばしていた、という話を聞いたことがある。

店舗経営と被災生活を一緒くたにしてはいけないが、双方ともに大切なのは目的語の「何を」の存在だろう。ただ単に精神論にのみに立脚して「がんばります!」「がんばれ!」と連呼するだけでは虚し過ぎる、ということだ。

筆者自身「避難生活」の経験がないので自信を持って言えないが、「何を、いつまで耐え忍べばいいのか?」についての「具体的な指示(情報伝達)」が出されていないのが、現時点での最大の問題だろう。

そうした意味では、現政権のありようは?世論調査によれば、浜岡原発を休止した総理の政治判断は6割以上の賛同を集めているそうだが、その他の施策についてはどうか?

行政用語の中に「総理する」という表現があると聞いて驚いたことがあるが、どうかもっとその「官位」の名に相応しい、目配りの効いたリーダーシップをお示し下さい。がんばれ!菅総理?


2011/05/14

山本悌一郎さん逝く…「名物男」がまた一人…

また一人、島原の「名物男」が去った。山本悌一郎さん。享年83歳。心よりご冥福を祈る。

今を遡(さかのぼ)ること25年前。結婚式当時より、個人的にも大変お世話になった「大恩人」の一人でもある。

披露宴では、ロータリークラブ仲間の菅弘賢さん(前南島原市教育長)ともども、司会の大役を引き受けて下さった。

さすがに「弁論」の出身だっただけに、水をも漏らさぬ〃名調子〃。余りの素晴らしさに、新郎の立場を忘れて、ただただ感服仕(つかまつ)っていたことを昨日の事のように覚えている。

よく〃お叱り〃も頂いた。「おい、マモル君、君はね、まだまだこの点が努力不足だぞ…」。とうとうその「期待」に応えられぬままに逝ってしまわれたことが無念でならない。

一昨年末、長年にわたって綴られた文章を一冊の本にまとめられた。昭和堂から出た『島原は眉山に抱かれて』という随筆集だ。

表紙をめくると、几帳面なペン書きで、筆者にまで「学兄」の称号を付けて下さっている。何やら面映ゆい気がするとともに、数々の〃思い出〃が浮かんでくる。

まず思い出されるのは次男の名付けの時のこと。長男の場合は岳父の専権事項だったので、「今度こそ!」との意気込みで臨んだのだが、「ダメダメ、そがん立派過ぎる文字ばっか並べたら、名前負けすっ」。

岳父&山本先輩双方から「一喝」されてしまったので、「なら!せめて読み方くらいは…」と抵抗を試みたのだが、一顧だにしてもらえなかった。

ただ、今になって本当に思う。「大層な名前ば付けんで良かった!やっぱ、人間は〃等身大〃が一番だ」と。そうした学習効果もあってか、三男の時はスンナリと決まった。

「越乃寒梅」や「呉春」をはじめ〃幻の酒〃をタラフク飲ませていただいたことも印象深い。今でこそ比較的簡単に手に入るようになったが、その当時はなかなか…。

そこで物を言ったのが「同和火災」(当時)という大手損保会社の筆頭営業マンとして全国的にも名を売っていた、山本先輩ならではの「人脈」だった。

十数年前、皇室にもつながる同社の社長さんが島原にお見えになった際には、山本さんの案内で我が家にも立ち寄って頂いたことがある。実に品の良い方であった。

最後に、山本さんを語る時、忘れてならないことは名優・森繁久彌さんとの親しい間柄。亡くなったから言うわけではないが、出来たらご存命中に紹介して欲しかった。

今ごろ山本さんは黄泉(よみ)の旅路のどの辺りだろう。先に逝った宮崎康平さんや風木雲太郎さん、吉田安弘さんらが「悌ちゃん、こっちぞ!」と手招きしているだろうか…。合掌。


2011/05/12

『くちなしの花』に想う…毎食でもいいっす!オムライス

〈いまでは指輪も まわるほど やせてやつれた おまえのうわさ くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花 おまえのような 花だった♪〉

いやはや懐かしい!渡哲也さんの渋い歌声で大ヒットした『くちなしの花』。比較的抑揚が少なくて歌いやすい曲なので、カラオケで選曲される殿方も多かろう。

その「クチナシ」(アカネ科・常緑低木)がいま、我が家の玄関口で何とも言えない甘い香りを放っている。連休中、日帰りで大分方面に旅行をした際に、母が湯布院インター正面の「道の駅」で買い求めた鉢植えだ。

渡さんのおかげでその名こそ知っていたが、実際に花を見たのは初めて。白い蕾(つぼみ)が可愛らしくて、いっぺんに好きになってしまった。

花言葉を調べてみると―「私は幸せ者」「とても幸せです」「優雅」「洗練」「清潔」「喜びを運ぶ」などとあって、歌のイメージとはかけ離れていて、逆に面白い!と思った。

さて、その「白い花」のことだが、どういう理由からか、日にちが経つほどに「黄色い花」に次々と変身しているので、いささか面食らっている。

小野小町が「花の色は移りにけりな…」(百人一首)と詠んだのは、間違いなく桜花のことだ。不思議な思いで「どうしてお前まで?」と、語りかけてみるが、相手は「口なし」、当然「返事」など無い。

母は「植木屋さんに裏切られた!」と、少々おかんむりの様子だが、何かにつけて「口出し」をすることで、心の奥底の「ウップン」を思い切り晴らされているようだ。

事のついでに調べてみたら(種類にもよるが)、実(み)は「きんとん」などの着色用に使われるほか、花そのものが「食用」にもできる、という。でも一体、どんな味がするんだろう?

「ついで話」が続いて恐縮だが、「黄色」と言えば、ここ3日間ほど昼飯のメニューは「オムライス」。元々「タマゴ」も大好きだが、「ソース&ケチャップ党」でもあるので、全然飽きることはない。

昔ながらのやや固めのタマゴ焼風もいいけど、最近流行(はや)りのフワフワ&トロトロ状の半熟スタイルもなかなかいける!ただ、用心しないといけないのは「食・べ・過・ぎ」。

誰かと一緒の食卓であれば、ついおかずの幾つか(生姜焼きや唐揚げなど)を頂戴してしまうことも度々。おかげで、最近の腹回りは「大盛りのオムライス」のような膨らみを見せ始めてきた。

どれも「中途半端」に終わってきたダイエット。本当にこの食い意地だらけの口が無ければ、とも思うが、誘惑には勝てない。

「指輪」なんか回らなくてもいい…。せめて去年まで穿(は)けていたズボンはすんなり回ってくれ、と切実に願う。


2011/05/10

世の中「M」の時代!?…面白いよ『マルモのおきて』

個人的な思い込みで恐縮だが、ひょっとしたら「時代はMではないか…」という気がする。それほどまでに「Mの活躍」が目につく今日この頃だから、だ。

何と言っても、その筆頭格はタレントの井上真(ま)央(お)さんだろう。子役の時は些か目に余る「ツッパリ」だったが、最近はなかなかどうして存在感溢れる「女優」に成長してきた。

現在出演しているのは、NHKの連続ドラマ『おひさま』。信州・安曇野の田舎に育つ女学生を演じているが、絵に描いたような明眸(めいぼう)皓歯(こうし)で、大いに好感が持てる。

一方、映画でも主役を張っている『八日目の蝉』(松竹)が先月末に封切られたばかり。今後の活躍にさらに期待がかかる。

この人の顔の造作を見ながらつい想い浮かべるのは、若き日の冨士眞(ま)奈美(なみ)さんだ。冨士さんもその昔は抜群の美貌を誇っていたが、いかんせん『細うで繁盛記』で見せた〃小姑〃のイメージが強すぎて…。

おっと!言いそびれるところだったが、真央さんの母校は、今や早稲田を抜いて日本一の受験生を集めている明治(めいじ)大学(2年連続)で、こちらも「M」。

また、最近はちょっと元気がないが、女子フィギュアスケート界のエースは、誰が何と言おうと浅田真(ま)央(お)ちゃんに決まっている。忘れるものか!!

テレビの話ばかりが続いて恐縮だが、最近はまって見ているのは日曜夜9時からの『マルモのおきて』(フジ)という番組だ。

阿部サダヲ演じる、しがない文具メーカー勤務の独身男(主人公)の名前は、高木護(まもる)。物語は、運命のいたずらで早世した親友の遺児(双子)をあずかるところから始まった。

ところが、幼い姉弟は滑(かつ)舌(ぜつ)の悪さから「マモル」と発音出来ずに、「マルモ」という呼び名が家庭内で定着してしまう。見所は「マルモ」の〃心象風景〃を写し出す飼い犬のとぼけた語り口で、これが得も言えず可笑しい。

子役2人がまた、とびっきりの〃芸達者〃ぶりで、時に笑わせ、時に泣かせてくれる。裏番組の『JIN-仁-』(TBS)も捨て難いけど、ついこちらに魅かれてしまう。

視聴率もなかなか好調で、初回で11%超え。終了後に出演者全員で踊る『マル・マル・モリ・モリ』の振付も大人気なようだ。

と、やっとこさでここまで引っ張ってきたのだから、肝心の「締め」はやはり自分で結ぼう。そう、筆者こそ正真正銘の「M」なのである。

何せ以前は「眞守」を、「ママモル」という人がいたほどだし、「口やかましい父親を代えて欲しい!!」と祖母に直訴した三男坊の意を受け、ある朝、家人が筆者の耳元でこう呟いた。

「はよっ起きて、元夫(もとお)さん!」。ナニ、すでにこの身は元(もと)の夫(おっと)かい?どこまでも「Mの呪縛」が続く。いや、待て、これぞ真(まこと)の「マモルの起きて」じゃ?


2011/05/08

めでたいな「母の日」…出馬OK、でもその前に…

「こどもの日」(5日)に続いて「母の日」(8日)だそうだ。なら「養子の日」があっても良さそうなものだが、そんな話は寡聞(かぶん)にして知らない。

〃語呂合わせ〃で決めるなら、「母の日」は「8月8日」あたりがピッタリくるのだが、そもそも発祥がアメリカということなので、仕方がないか…。

『今日は何の日』(学研)で調べてみた。1907年、一人の女性が社会活動家であった母親の命日に追悼式を催し、参列者に白いカーネーションを配ったことに端を発する、という。

そして、その7年後、「母をたたえる日」として、アメリカの祝日になった、と。戦後、何事につけ〃米追随型〃となった日本においても、早速その〃習慣〃は取り入れられた。

ただし、「日付」は定められず、花の色が白から赤に変わって、5月の第2日曜日が〃その日〃に選ばれた、という次第だ。

余談だが、「父の日」(6月第3日曜日)がアメリカの祝日となったのは、「母の日」の設定から遅れること58年、1972年のことだそうだ。やはり、彼の地でも「母は強し」なのである。

ところで、我が家では、父の名前こそ「強」だが、婿養子の筆者にとっては、毎日が「母の日」のようなものだ。いや、もとい「母の否(非)」とでも言おうか…。

その証拠に、まずもってこちら側の意見が受け入れられることは〃皆無〃である。この前だって、そう!!近く投開票される「島原市議選」が話題となった時のことだ。

「お母さん、僕も55歳になりました。もし、市会議員になれるとすれば、いよいよラストチャンスですよね」と水を向けると、何やら意味深な笑い。

「よかよか。そら、国民として当然の権利。自分がそがん思うとなら、出んね。ばってん、そん前に、こん家ば出て行ってくれんじゃろかい?」。

見事なまでの「母の否」を喰らって反論できなかったのは言うまでもない。そうした意味では、筆者の長男も〃犠牲者〃の一人である。

冷蔵庫から頂き物の明太子を取り出してきて、味見をしながら一言。「お婆ちゃん、こん明太子、おかしくなか?」。「えっ、なんて?おかしかったら、笑えばよかとん!」と、一刀のもとに切って捨てられた。

万事においてこんな調子だから、筆者ども父子は母のことを歴史に名高いスペインの「無敵艦隊」になぞらえて、秘かに「無敵カノ隊」と呼んで畏れている。ちなみに「カノ」とは、母の本名。

勢いついでにもう一つ。「お母さん、亡くなった後、遺産争いで揉めないよう、生前贈与のご準備を!」(筆者)→「ふん、どっちが先もんやら?」(母)。

こんな事まで書いてしまって帰宅後が危ぶまれるが、本当は心の中で感謝しているんですよ、お母さん。いつまでもお元気で!!


2011/05/02

はて、何をしよう?…足りぬ足りぬは工夫が…

「ゴールデンウィーク」(黄金週間)の呼び名が映画の興業に由来していることについては、すでに2年前の本欄でも書いたことなので重複を避けるとして、さぁーて、明日から3日間は何をして遊ぼう?

映画でも観に行くか、それとも家でゴロゴロして過ごすか、旅行に出かけるか…なかなか決め切れないままに時は過ぎてゆく。世の中全体が大震災後の重苦しい雰囲気に包まれている中で、そうそう浮かれてばかりもおれないし、何より「先立つ物」(お金)に恵まれていない現実がある。

おっつけ、なるべく少ない投資で最大の楽しみを得るべく知恵を絞らねばならないところだが、日々の仕事に追われて脳味噌はすでに〃酸欠状態〃。本来持つべき〃心の潤い〃はすっかり干からびてしまっているし、何事につけイライラだけが募る今日この頃である。

そんな中で1つだけ決まっているスケジュールは、県外の知人から招待を受けている「初節句」の宴席。何せ還暦の齢をものともせずに、玉のような男児が生まれたというのだから、ビックリ魂消(たまげ)てしまった。この御仁、よほど「先立つ物」(?)にも恵まれているのだろう。羨ましい!!

ところで、先週後半の休み(昭和の日)を利用して、熊本県の菊池渓谷を歩いてきた。島原と同じ「日本名水百選」にも選ばれている山間(やまあい)の景勝地で、途中昼食のために立ち寄った「水の駅」は多くの観光客で溢れていた。

その日の島原半島の観光施設における入り込み状況がどんな具合だったのかは知らないが、恐らく、いやきっと負けているだろう。それは単なる規模の大きさに云々よる〃要因〃だけではなかろう。

海を渡らねばならない、或いは高速のインターから遠く離れているなどといった地勢的な問題だけでもないはず。ひょっとして素材を活かす〃仕掛け〃が不足していないだろうか?

こんな事を書くと、「何を言ってる?自分たちなりに随分と努力もしているではないか!」などといった反論も当然出てくるだろう。が、工夫の仕方次第では、より大きな成果が得られるはずだ。

ところで、いくら戦時中に流行(はや)ったとはいえ、『足りぬ足りぬは工夫が足りぬ』というスローガンは、いつの時代でも、あらゆる局面に通じる〃至言〃だとは思いませんか、皆さん!!

一方で、『足るを知る』という実に意味深な日本語がある。京和菓子のデザインにも取り入れられている、「吾唯足知」という、漢字パズルのような竜安寺の「つくばい」に彫られている例の名文句だ。

いずれの場合も本来あるべき「人間の生き方」を示唆したものだが、果たしてどちらが〃真実〃なのか?悩んでいるうちに連休はおろか、人生そのものが過ぎ去ってしまいそうだ。