2011/02/23

「よったり」って分かる?…県議の顔はその地域の象徴

「ワンリツル・トゥリツル・スリーリツル♪」。邦題では『10人のインディアン』と訳されるアメリカ童謡の歌い出しの部分だが、「1人(ひとり)、2人(ふたり)、3人(さんにん)いるよ」の次の歌詞はハテ…?

答えは何の変哲もなく「4人(よにん)、5人(ごにん)、6人(ろくにん)…」と続くわけだが、「4人」のことを、古い日本語では「よったり」と言っていたことを皆様ご存知でしたか。長崎県人にとっては「よっちゃり」と言った方が、よりピ~ンとくるかも…。

この件については、名コラムニストだった山本夏彦さんが、『誰か「戦前」を知らないか』という作品の中で面白おかしく弁じているが、筆者の場合、その言葉が喚起するのは雲仙・普賢岳噴火災害当時に県議会議長だった吉住重行さん(平戸市)の名前だ。

所は島原市役所前広場。鐘ヶ江管一氏(現職)の突然の辞意表明を受け、前助役だった吉岡庭二郎氏と前県議の本多繁希氏との間で、激しい選挙戦が繰り広げられていた。

吉住議長(当時)は吉岡候補の応援者としてマイクを執り、聴衆に向かってこう呼び掛けた。「皆さん、本多候補を応援している県議会の会派はたった『よっちゃり』ですばい。そっじゃ何もでけん」―。確か、そんな演説だった。

まあ、話の内容はともかくとして、「よっちゃり」という「古語方言」を持ってきたところに、「政治センスの良さ」を感じたものだった。結果、吉岡氏は初陣を制し、以後、連続4期当選を果たす。

さて、全国地方統一選のトップを切って執行されるのは、(長崎県の場合)県議会議員選挙である。現時点では、島原市区、雲仙市区(いずれも定数2)ともに〃無風〃のような情勢。ひとり南島原市区(同)だけが選挙戦となる模様だ。

ここから先は極めて個人的な思いを語ることになるが、県議の顔ぶれというものは、良くも悪くも、その選挙区の〃実態〃を色濃く反映しているものではないだろうか。

やはり政争が烈しい所から出てきた先生は表情そのものに「険しさ」や「凄み」が滲み出ているし、お吐きになる言葉にも「棘」や「毒」が含まれていることが多い。

それは人それぞれの「個性」でもあるので、別段「非難」などする気もないが、やはり「見え見えの横柄な素振り」はいかがなものか、と思う。地域の代表者であるから、他所者や官吏に舐められぬようしたい気持ちは分からぬでもないが、度を超えると、かえって滑稽である。

政治はズブの素人なので「会派」の役割がどんなものかも良く知らないが、余りに「似たり、よったり」なのも政治本来のダイナミズムに欠ける。

また、八百長相撲のように、「(星の)やったり、とったり」ばかり気にしていたら、いずれ有権者から手痛い「うっちゃり」を喰らいますぞ!?


2011/02/18

分かる、伝わるその思い…「サラリーマン川柳」で爆笑!!

「ある」ことも、そして「面白い!」ということも以前から知ってはいたが、初めてじっくり読ませていただいて思わず大爆笑してしまった。17日に発表された、恒例の『サラリーマン川柳』(百句)=第一生命主宰=のことだ。

普通なら間髪置かず『天声人語』はじめ全国紙の一面コラム担当者が代表的な作品をいくつか取り上げ、辛辣(しんらつ)に、また時に面白おかしく「世相を斬る」材料に使うところだろうが、残念ながら今年はまだ掲載されていない。

何故そうなったか知る由もないが、恐らく「サラリーマン」という括りに象徴される一般庶民のうっ屈した思い(悲哀感)なんかよりもっと他に、今日(18日)の時点で書き記しておきたい「旬の素材」があったのだろう…。

関連資料によると、この企画は今年で24回目。個人的な例えで恐縮だが、ほぼ筆者の結婚後の「時歴」と一致している。誤解を恐れずに言うなら、ここで語られている思いはすべて仕事や結婚生活上の「ボヤキ」に他ならない。

辞書でその意味を引くと、「ぐずぐず(ぶつぶつ)と、不平(泣きごと)を言う」などと書かれている。その特性を最大限「武器」にして「人気」を集めているのが、前・楽天イーグルス監督の野村克也氏だ。

野村氏ほどの「タヌキ」になれば、本当に言い伝えたいこと(「ホンネ」の部分)を巧みに押し隠しながら、「ボヤキ」という手段でもって広く大衆に訴え掛けることが可能だ。勿論、脇に立つ奥様の名リードぶりも見逃せない。

イカン!イカン!話が脇道に逸れてしまったようだが、とにかくネットを利用できる環境にある方なら今すぐ第一生命のサイトを開いて下さい。そこに掲載されているのはいずれも思わず膝を叩いてしまうほどの出来栄えですから。

独断と偏見で、筆者が特に気に入った作品を何句か紹介させていただく。どうか腹の底から笑って下さい。笑えないとすれば、貴方、相当お疲れですよ!

「指舐めて ページをめくる アイパッド」「老人会 65才は パシリ役」「ときめきは 四十路(よそじ)過ぎると 不整脈」「久しぶり~ 名が出ないまま じゃあまたね~」「クラス会 あのマドンナが デラックス」。

本音を言えば、全部紹介したいところだが、それではいかなる「雑文書き」といえども、些かプライドに傷がつく!?それじゃ、何か気の利いた事でも書けよ!と言われても、疲れ切った頭では…。ここは一つ恥も外聞もかなぐり捨てて、直近5年間の1位作品でお茶を濁すか!

「仕分人 妻に比べりゃ まだ甘い」「しゅうち心  なくした妻は ポーニョポニョ」「『空気読め』 それより部下の 気持ち読め!!」「脳年齢 年金すでに もらえます」「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」。以上です。


2011/02/17

明日からクラフト展…貴重な「節目」に考える

すでに随所で語られているように、今年はアノ雲仙・普賢岳噴火災害(平成3年)から数えて満20年。いわゆる「節目」の年である。

振り返ってみれば、色んなことがあった。特段、噴火災害に遭遇しなくとも、20年もの間には色々あってしかるべきだが、誰しも往時の印象が強烈なだけに、余計に何らかの「意味合い」を付けたがるのだろう。

「6・3」の大火砕流災害で犠牲になったフランス人火山学者、クラフト夫妻(カティア&モーリス)の足跡をたどる特別企画展がいよいよ明日19日から始まる。雲仙岳災害記念館。3月9日まで。入場無料。

発表によれば、夫妻を主人公にした日仏合作のドキュメンタリードラマ(NHK・BSハイビジョン)も、3月26日(土)午後8時~同9時30分の枠で放送される予定、だとか。

ところで、筆者のもとにも2年ほど前から、色んな立場の方々が「事前調査」(取材)の名目で訪ねて来られている。恐らく、この先も続くだろう。

その中には、まったく予備知識も何もない能天気な人間もいれば、舌を巻くほど当時の事情や人間関係を調べ上げてきている熱心な仕事師もいる。まさに十人十色、千差万別だ。

ただ、聴かれる側としても、もう20年も前の出来事なので、「うろ覚え」や「失念」に陥ってしまっていることも多い。そんな場合に重宝するのはやはり他でもない「新聞記事」だ。

まあ、当時は携帯電話も余り普及しておらず、メール等のIT機器による伝達手段も普及してなかったので、必然的に「活字」や「ビデオ」等に頼るしかなかったのだが、その推移(変遷)の程を考えれば、まさに「今昔の感」である。

今にして思うが、当時から筆者は相当な「へそ曲がり」の「身の程知らず」で、色んな場面で「虚勢」を張っていた。

もっと言うなら、そうでもしないことには、物量を背景とした大手マスメディアに太刀打ち出来なかった、と思う。

アレから「ふた昔」が経った今、確実に言えることは、社会の随所で「情報革命」が着々と進展しているという事実である。

携帯電話は、アノ災害を機に、島原半島エリアでは一気に普及したのではないか。何せアノ頃は、1台当たり10万円前後もしていたが、人々は先を争って仕入れた。

オートフォーカスの「一眼レフカメラ」もしかりである。火砕流独特の「赤い帯」を撮ろうとして、多くのアマチュアカメラマンが生まれたのも、紛れもない史実だ。

アレから20年…。一体何が変わって、何が変わっていないか。「不易流行」の原点に立ち返って、「来し方&行く末」を考える、またとない貴重な機会でもある。


2011/02/16

菓子作りも工夫次第…車のナンバーに「へ」はなし

都合が良いのか悪いのか、今年のバレンタインデーは出張で「留守」の間に通り過ぎていた。こうなると、義理チョコだろうが友チョコだろうが、一切合切関係ない。気楽なものだ。

別段「ヒガミ根性」で言うわけではないが、そんな「義理立て」してもらってまでチョコを頂く必要もあるまい。色々と故事来歴を語ったところで、「屁理屈」のようなものだ。あれは一言、業界挙げての「商戦!」に他ならない。

だったら、島原の業界関係者も、もっと工夫を凝らして、チョコ風味の「桃カステーラ」を作るくらいの〃遊び心〃があってもいいのに…。

えっ、何?部外者が黙ちょれ!お前さんの考えは甘過ぎる。でも、「甘さ」をベースにして「創造力」を発揮するのが、そもそも皆様方のお仕事のはずではないんですか…?

こんなことを言う(書く)と、「また『屁理屈』ばかりこねやがって、この野郎!」と怒られるかも知れないが、ひょっとしたら島原独自の〃ヒット作〃になるのかも…!?

悪乗りついでにもう一つ。以前に書いた話かどうか失念したが、これから迎える本格的な「卒業シーズン」に向けて、こういうのはどうだろう…?

名付けて「和菓子(へ)の恩」。もちろん、「和菓子」と「我が師」のダジャレであるが、遊ぼうと思えばいくらでも遊べるところがミソだ。

例えば「恩」の部分を、雌雄を表す「オン」(♂)という読みにすれば、「メン」(♀)という種類はないのか?という素朴な疑問も必然的に湧いてこようかというもの。

「男」と「女」となれば、デザインだって色々と考えられるし、そこに大きなビジネスチャンスが潜んでいるといっても過言ではない、と思う。

ただし、これまで縷々(るる)述べさせていただいたことは〃保証の限り〃ではない。なべて人生は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の世界なのである。

ところで、昨日読んだ朝日新聞の東京版に何とも面白い「コラム広告」が出ていた。念のために、その〃古新聞〃を持ち帰ってきたのだが、確認したら、同じ日付で九州版にも掲載されていた。

それはヤクルト(乳酸飲料)提供の「屁」にまつわる話。タイトルは「へへへのプ」。筆者なんぞは同記事を読むまでまったく知らなかったが、車のナンバー表示に、ひらがなの「へ」は採用されていないのだという。

その理由がふるっていて、「『へ』=『屁』で、『排気ガス』を連想させるからだ」そうだ。思わずかつての人気番組『トリビアの泉』にあやかって「へーっ」とばかりに、右手で何度も膝を叩いてしまった。

やっぱ、同じ「屁理屈」でも、これくらい味わい深いことを言わないと全国版は無理なのだろう。


2011/02/14

どこにもいる卑劣な輩(やから)…アカギレより心の痛みが…

右手親指の先っぽにアカギレができて痛い。風呂上り後、テレビドラマを熱心に観ていた母に、「何かクスリはありませんか?」と尋ねたら、「水仕事もせんとに…」と一蹴された。

予測された、もっともな反応ではあったが、現実にできたものは仕方がない。そこで、釈明に代えてこう申し上げた。

「何をおっしゃいますか、お母様。私も貴方も24時間『し水浸け』の毎日ではないですか?」。母は「フン!」という言葉を残して、そそくさと寝支度を始めた――。

昨日の日曜日から県外に出ている。今日は朝早くから文字通りの「雪国」へと向かう。大切な用事を抱えているのだが、何だか「遠足」に出掛けるようなウキウキした気分がしないでもない。

そりゃそうだろう!南国生まれの人間にとって「雪」はまったくの別世界だ。加えて、北国は「美形」の産地だ。どんな「素敵な出逢い」が待ち受けているやも知れない…。

そんなハヤル心を抑えながら、かつまたアカギレの指先を気遣いながら、先ほどから持参した携帯パソコンに向かっている。

普通はこんな時間帯(午前3時過ぎ)に起きて仕事はしないので、まったくもって変な気分だ。兼好法師の言う「アヤシウコソモノグルホシケレ」とはこんな感覚だろうか?

ふと手を休めて顔を上げると、正面の鏡(ビジネスホテル)にくたびれた顔が大写し。こうやって鏡を眺めること自体が珍しいのだが、気付かぬ間にまた「老化」が進んでいるようだ。

「ありゃ、右瞼の下にシミ、いやイボんできちょっ!」「それにしても、白髪ん多さ!」―。とても正視するに堪えないので、再びパソコンに集中!?

時に、霧島噴火は大丈夫なんだろうか?ネット情報によれば、土石流に備えて2千5百人もの人々に避難準備情報が発令されているとも言うし…。

それより何より無性に腹が立ったのは、地域住民の不安に乗じて、「降灰除去」を謳った新手の詐欺商法が登場したこと。

まったく何を考えているのやら、と嘆きたくもなるが、当地でも平成3年9月の台風17号、19号災害直後に、安中地区の警戒区域内に入って屋根瓦を転売していた「窃盗事件」のことを憶い出した。

犯罪そのものに序列を付けるのも何だか変な話ではあるが、こうした「火事場泥棒」のような行為は一言でいって「卑劣」極まりない。

ただ、洋の東西を問わず、そうした輩はどこにもいるようで、混乱が続くエジプトでもツタンカーメン像などが盗まれた、とのニュースも。

アカギレそのものも痛いけど、こうした愚かしい人間の行為は、何とも心が痛む。


2011/02/09

再び今日から挑戦だ…自分と未来は変えられる?

月が替わってバタバタしている間に早くも1週間以上が経過した。今月も余すところ3週間弱。「2月逃げ月」とは、本当によく言ったものだ。

最近でこそ少し春めいてきたような感じだが、先月中旬から下旬にかけての「寒波」には、正直辟易(へきえき)としていた。とにかく、動こうにも夜明けは遅いし、まずもって気乗りがしない。

結果、また肥った。禁煙と合わせて両にらみで進めていたダイエット作戦。しかし、何か月間もの努力の跡は、僅か一晩の飲み食いで形も無くかき消されてしまった。人間関係に例えて言うなら、「信用」のようなものだろうか…。

仕方がない、また出直しだ!「過去と他人は変えることは出来ないが、自分と未来は変えられる」―。この前、NHKテレビで良い事を言っていた。幸い、少しずつだが「夜明け」も早くなってきたようだし、寒さも徐々にゆるみ始めてきた。

ということで、筆者の「第二次ダイエット作戦」がいよいよ今日9日から本格始動する。プロ野球のキャンプインより少し遅れたが、こちとらは「人気商売」なんかじゃないし…。

まったく関係のない話だが、日本ハムに入団が決まった斉藤佑樹投手(早稲田大)の人気がスゴイ。どの局でも毎日のように、沖縄でのキャンプの模様を報じている。

甲子園で「ハンカチ王子」と呼ばれたこの「佑ちゃん」と、男子プロゴルフ界に彗星のごとく現れた「遼くん」(石川遼選手)は共通点が多い。

確か、マスコミ界で「騒がれ始めた」時期もほぼ同じだったし、礼儀正しい優等生的雰囲気や、一重瞼の東洋的な顔の造作も良く似通っている。

その点で言えば、「ライバル」と称される他の選手たちは、何の罪もないのに、どことなく「ヒール」(憎まれ役)のような感じがして可哀そうである。

それにしても、目に余る程の「佑ちゃんフィーバーぶり」を目の当たりにしながら感じるのは、巨人人気の凋落ぶりだ。過去にも太田幸司(三沢→近鉄)や島本構平(箕島→南海)などといった人気ルーキーはいたが、これほどまでには騒がれなかった。

ましてや、その巨人には今年、斉藤以上の実力と実績があると言われている沢村拓一投手(中央大)という「超逸材」が入るというのに、だ。

「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた昭和の時代から、明らかに風向きが変わった。政治の世界でも「55年体制」は遠くに過ぎ去り、今また再び混迷の局である。

長嶋さんは「永久に」などと言ったが、ひとり巨人軍だけが「孤類」を守り切れるものでもなかろう。「佑ちゃん」や「遼くん」の活躍ぶりを見ながら、世の移ろいの儚さと、時代の危うさを感じている今日この頃である。


2011/02/05

災害は始まったばかり…我々に出来る事は何だろう?

共同通信社・5日付けの配信記事によれば、今回の「新燃(しんもえ)岳(だけ)」噴火に伴う土石流の発生危険箇所は、都城市、高原(たかはる)町合わせて35カ所で、時間雨量4ミリで起きる可能性があるという=国土交通省発表。

ところで、何度も繰り返して言うようだが、ことしは我々の雲仙・普賢岳の噴火災害から数えてちょうど20年目の節目の年だ。正直言って、千人が千人、いや万人が万人とも、災害当時の記憶は薄れかかっているのでは。まあ、無理からぬことではあるが…。

そこに持って来て、降って沸いたかのような、今回の噴火騒ぎ。さらには国立公園、ジオパーク等々の横の繋がり。これらをして「単なる他人事」と割り切ってしまうような冷酷非情な輩は、少なくともこの島原半島にはおるまい!

そうした観点から言えば、今回の島原市が行った「災害派遣」(職員2人)は何ともタイムリーだった。持参した降灰袋(3万1千枚)や記録冊子も大いに重宝がられたに違いない。

実は、期せずしてその派遣隊員と出会うことが出来た。場所は避難勧告のため人影が消えた高原町の「皇子(おうじ)原(ばる)公園」。変な話だが、火山灰吹き荒ぶ灰色の景色の中で、島原市の車輌を見つけた時は、何かしら胸に熱いモノを感じた。

高原町役場は2日目に訪ねた。この町は南東域で都城市と隣接しているが、「郡」の区割りでいくと北部の小林市との関係が深かった。ただ、諸般の事情で「平成の大合併」は見送られたのだ、という。

役場内は予想に反して静まり返っていた。「沢山のマスコミが押し寄せてきて…」と地元CATV局のスタッフはこぼしていたが、普賢岳の災害当時と比べたら肩透かしするくらい平穏な雰囲気だった。

ただ、それは「嵐の前の静けさ」であろう。島原&深江の場合も、被害が出てからの報道陣の騒ぎぶりは尋常ではなかった。

有難いことに、役場ご当局の計らいで、島原市からの派遣スタッフと再会することもできた。また、日高光浩町長と面会して色々とお話を伺うこともできた。

「本当に、島原市のご厚意には感謝しています。何からどう手を付けたらいいのか分からない状況の中で、貴重な経験に基づいた的確な指導をいただいて、職員一同大いに助かっています」―。言葉の端々に実直な人柄が滲み出ている感じがした。

午後11時過ぎ、「そろそろ帰らねば」と車に戻ったら、車体にはうっすらと灰が積もっていた。お世話になった現地CATVスタッフの面々に別れを告げて、いざ出発!

それからものの10分も経ったろうか…。火山灰に交じって石(いし)礫(つぶて)が一斉に降りかかってきた。そう、この災害はまだ始まったばかりだ。我々の立場で、果たして何ができるのだろうか?

-おわり-


2011/02/01

馬鹿の後知恵物語③…幼なじみだった笹川&川端

『方丈記』に関する知識は、書き出しの朗々たる名調子以外には殆ど持ち合せていないが、その点『徒然草』(1330年頃)はもっとポピュラーだ。と言うより、古典の授業に出てくる頻度がやや高いか?

いずれにせよ、境野先生の解説は、何につけても分かりやすい。例えば、浄土宗や浄土真宗の説教に出てくる「極楽」についても、「行けると思う人は行く、行けないと思う人は行けない」(法然)と、拍子抜けする程あっけらかんとした調子だ。

つまり、「地獄、極楽は方便(嘘)」であって、そんなことより「(生きている)今日一日を極楽にするよう、楽しく豊かに送りなさい」と、鴨長明や吉田兼好もそう教え諭しているんだよ、と説く。

かくして今、拙稿を書き起こすために、再び境野先生の著作に触れられる「歓び」を実感中。けど、よくよく考えてみれば、菩提寺のご住職や故・清水誠一さん(吾妻)との「ご縁」がなければ、こうした展開など考えられるはずもなし!まさしくもって「一切衆生悉有仏性」。筆者が「縁の尊さ」を訴えたい所以が、ここにある。

ところで&ところで、仏教を考えるのに一体全体なぜ、あの「笹川良一翁」まで出てくる必要があろう?誰が考えてみても不思議な組み合わせだろうが、実はこれにはある「伏線」があったのだ。

かつて国連関係の役職に就いていた、然るべき立場の人物から直接伺った話なので「実話」だと信じて疑わないが、某国際資金援助の件で笹川さんのもとに相談に出向いたら、ナント「6億円もの大金」をポーンと寄贈してくれた、というのだ。

こう言っては何だが、世間一般に流布している笹川さんのイメージは、著者の工藤美代子さんが本のタイトルにも冠しているように「悪名」そのものである。もっと言うなら、「世界は一家、人類はみな兄弟」などと綺麗事を並べたところで、競艇事業胴元のギャンブル・イメージがどこまでも付きまとう…。

それでも、この人物が我が国で初めてノーベル文学賞を受けた故・川端康成さんの「竹馬の友」であったことは新鮮な驚きであったし、小学校を卒業して2年間ほど近くの浄土宗の寺院で修業をしていたことも想定外の経歴であった。

はっきり言って、『悪名―』は読み物としては、すこぶる面白かった。仮にそこに描かれた通りの人物であるなら、笹川さんは間違いなく稀代の「英雄」である。そう思う。

ただ、世間一般からすれば「功成り名を遂げた」に違いない生涯(平成7年7月19日没)であったろうが、笹川さんご本人の「仏心」や如何に?

全ては「棺を覆うて事定まる」というが、まぁそんなことより桜井寺婦人会の皆さん、お互い今を大事に生きましょうや。南無阿弥陀仏!

-おわり-