2010/09/30

拝啓、愛(いと)しき母上様…「プランタン」じゃなかて!!

見出しとは異なるが、母(正確に言うと嫁の母親)は筆者の「天敵」である。別に憎んだり、怨んだりという意味ではない。物事の考え方がことごとく対立するからである。

昭和一ケタ世代に生まれ、戦時中に少女期を過ごした母は何事にも「始末」する。スーパーのレジ袋は丁寧に折りたたみ、輪ゴム類も決して捨てない。時折、ブレスレットのように束ねている様を見るが、痛くはないのだろうか…?

最近ハマっているのは「花づくり」。秋になり涼しくなってからは、筆者に成り代わって朝な夕なに水を撒(ま)き、草むしりにも余念がない。

先般、その母と「プランター」の一件でぶつかった。「古かとは、いい加減に捨てればよかとん!」という筆者に対し、母は「なーし、まだ使えるやろもん?」と一歩も引かない。

「こっじゃ、ラチがあかん」と思った筆者が勝手に見つくろって10鉢ほど買ってきたら、「やっぱ、新かちゃキレカね!」と、こっちが面食らうほどニコニコ顔で容認してくれた。

ただし、何度「プランター」と教えてあげても、母の口から出る言葉は「プランタン」。特段、フランス語圏で育ったという話は聞いていないが、よほど「春」(=プランタン)が好きなのだろうか…。まさか?

まあ、母に限らず、あの世代の皆さんは英・仏問わず「横文字」に弱い。何せ「鬼畜米英」の戦時教育の下、毎朝「星条旗」を踏み付けながら女学校に通っていたという「ツワモノ揃い」なのである。

その代わりと言っては何だが、「和製英語」の枠を飛び越えた、絶対に外国人や島原半島以外の人間には通じない「特製英語」の話題には事欠かない。

超有名な「兄やんなボーイ」「姉しゃんなガール」のほか、饅頭を意味する「押すとアンでーる」などは不朽の名作だ。

まだまだある。彼岸の季節に付き物のオハギを表すのは「中メシ、ぐるりアン」。草履や下駄は「履くと、ヘール」げな!?

これら怪しき言語がいつ頃から使われたものか知る由もないが、戦後の行き過ぎた「欧米化一辺倒教育」に対する抵抗と見れば、なかなかの「反骨心」「エスプリ」の持ち主でもある。

最近の母の言動で我慢ならないのは、筆者を「白ブタ」扱いすること。確かに体重が二倍強もあるので仕方のないことだが、愚息に対してまで「そがん食べたら、お父さんのごと、白ブタになるよ!」とは、あんまりでしょう。

この前、写真を撮ってあげたら、焼き上がりの一枚を見て「私も『バアさん』になったね…」と、柄にもなくしみじみ。筆者は口に出してこそ言えなかったが、心の中で咄嗟(とっさ)にこう叫んでいた。

「いーえ違います、お母様。あなたは『クソババア』ですよ!」と。ただし、些(いささ)かならぬ「畏敬の念」を込めて、の話だ。


2010/09/28

双葉山は〃自然流〃…「型」に拘(こだわ)る余り想像力欠く

4年前の冬、大相撲の「島原場所」(巡業)があった。その際に事務局的な役割を仰せつかっていた関係で、少しは「角界」にも興味がある。

と言うより、子供の頃は「土俵の鬼」と呼ばれた、若乃花(初代)の大ファンであった。ライバル横綱だった栃錦についての記憶は余りないが、不思議と若乃花のことだけは良くおぼえている。

どちらかと言うと、「突き押し」の相撲より、がっぷり四つに組んでの「投げ技」に魅力を感じていた。したがって、名門・出羽の海部屋より二所ノ関一門のファンだった。

自身が大学生で東京に居た頃は、先代・貴乃花の全盛時代。同じく相撲好きの叔父に連れられて、わざわざ稽古場(東中野?)まで見に行ったこともある。

また当時、実力ナンバーワンと言われた輪島関が所属していた花籠部屋は下宿から程近い場所にあり、一度だけ最寄りの阿佐ヶ谷駅前で見かけたことがある。

輪島関のいでたちは、ジャージの上下に、国体選手団がかぶっていそうな帽子をマゲの上にちょこんとのっけていた。声を掛けると、森永のミルクキャラメルを握った手を愛想よく振ってくれた。

さて、時代は移って、今やモンゴル出身の白鵬関の「一人天下」である。本当に「あれよ、あれよ…」という間に連勝街道をばく進。気付いてみれば、破竹の62連勝。

ひょっとしたら、来場所中日には、「昭和の大横綱」と崇拝されている双葉山の69連勝さえ、一気に抜き去ってしまいそうな「勢い」である。

周りの力士が弱すぎるのかどうか知らないが、その立ち居振る舞いは「見事!」の一言。まさに「心」「技」「体」それぞれが渾然一体となった「充実ぶり」がうかがえる。

千秋楽後のNHK『サンデースポーツ』でのインタビューや、翌日付の朝日『天声人語』を読んでみても、生真面目で研究熱心な人柄が滲み出ている。もう誰も口出しのしようがない「平成の大横綱」だ。

その著書『相撲よ!』(角川書店)の中で、白鵬関は偉大なる先輩横綱の取り組みを、「流れに従った、自然流…」と称しているそうだ。名人同士、相通じる「何か」が在るのだろう。

その双葉山関が70連勝を阻止された後で語ったとされるのが「われいまだ木鶏たりえず」という有名な言葉。求道者にも似た、その心根を想うと、「動じることをいささかも恥としない」昨今の風潮とは…。

こと相撲に限らず「型」はもちろん大切だ。ただ、その「型式」に拘る余りの「想像力の欠如」こそが、本来あるべき検察の捜査体制や報道姿勢に暗い影を落としていないか?

せっかくの機会だからこの際、偉大な両横綱(の生き様)に、素直に胸を借りればよい!!


2010/09/24

良い方を信じよう!!…色々「占い」あっても…

昨日付けの某紙「運勢欄」を見ると、「謙虚吉」とあった。果たして、当たり!だった。裏を返せば、謙虚でないが故に、随分と損をしてしまった。

どちらかと言うと「験」(げん)をかつぐタイプなので、「運勢」や「占い」は気にかかる。ただし、全紙まったく同じということはないので、努めて、「良く書いてある方」を探す。そして、信じる。

今、何より一番信じているのは、「手相」(左手)だ。以前に書いたかも知れないが、筆者のそれは、本で見たワコール創業者の塚本何某とびっくりするほどよく似ている。

何がそうかと言えば、ふっくらした「掌」(たなごころ)の形状もさることながら、手首との境界あたりから薬指に向けて真っ直ぐに伸びる「太陽線」の様が瓜二つなのだ。

一般的には、「太陽線」は「金運」に通じていると言われ、ひいてはこれが「事業を成功に導く」(吉兆)とされている。

ただし、「占い」などというものは「当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦…」の世界だから、何の保障もない。したがって、外れることもままあるが、「主義」として、良いことは信じなければ!!

冒頭の「謙虚吉」の話に戻る。まあ、これなどは「占い」というより、至極当たり前の「生活上の知恵」である。こんなことでお金(稿料)をいただけるのだから、「占い師」とは何とも気楽な商売だ。

筆者の友人に、スポーツ新聞の4コマ漫画家から作家に転進した、ユニークな御仁がいる。東京出身で、年齢は1歳上。

筆者もこれまで、多岐にわたって色んな人間と交わってきたが、「変り種」という意味では、氏がその筆頭だろう。まさにその人生は「有為転変の塊(かたまり)」と言ってよい。

そんな「変てこりんオヤジ」が失業中に取り組んだ「自主事業」が、駅前広場の占い師だった。いかにも怪しげな帽子を被り、「筮竹(ぜいちく)」(竹ヒゴのようなもの)をいじくり回しながら占う、いわゆる「易者」スタイル。

もちろん、本人なりに「勉強」はしたのだろうが、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても合理的ではない。それでも「信じる者は救われると思い、人は寄ってくる」(本人談)というのだから、世の中は面白い。

氏は今、色んな経済関係の本を矢継ぎ早に出版している。なんと、今夏のお中元は最新の著作4冊がまとめて贈られてきた。

中に下手糞な手書きメッセージが添えられていて、こう記されていた。「一応、現在の肩書きは『キャバレー経済学者』ですから、今度上京された折には新宿方面のお店(穴場)をご案内いたします」と。

当たるも、当たらぬも…。一度行ってみっか!?いやいや、昨日の失敗に懲りて「謙虚吉」でいかないと…。ね、ね、ね!!


2010/09/22

かくすれば、かくなる…逮捕検事に欠落していたもの

期せずしてと言うべきか、偶然の一致なのか知らないが、連休の明けに島原で買った『週刊現代』(10月2日号)は、巻頭グラビアで「長州特集」(山口県)を組んでいた。

全16ページにもわたる大作だ。惜しむらくは、旅する前に発売されていれば、今回の旅行はもっと中身が濃かったはず…。でも、もう済んだこと!

ただ、昨日夜に逮捕された大阪地検特捜部主任検事(43)のニュースなどを見ながら、ふと思った。明治維新(革命)の精神的支柱とも言える存在だった、吉田松陰の「思想」と重ね合わせてみた結果だ。

「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」―。この和歌は、松陰が伊豆下田から江戸に護送される途中、赤穂浪士の祀られた「泉岳寺」の脇を通る際に詠まれたもの、とされている。

記事によれば、取り調べる立場が一転して「被疑者」となった同検事は、将来を嘱望された、特捜界のエリートだった、という。

いささかこじつけがましいが、仕事熱心さゆえに、「大和魂」を「検事魂」と履き違えてしまったか。だとすれば、余りにも「了見」が狭すぎる。「想像力の欠如」と言われても仕方のないことだろう。

見るからに人柄の良さ(=お母さんのやさしさ)がにじみ出ている厚労省元局長の、記者会見での困惑した表情を見ながら、同情とともに、腹立たしい思いに駆られた方もきっと多かったはずだ。

もう1つ、昨報で書き足らなかったことがある。それは、最後の段落の金子みすゞ(童謡詩人)のくだり。スマップが歌った「世界に一つだけの花」の歌詞の原型のようなもの、と筆者が評した作品についての話だ。

金子は「わたしと小鳥とすずと」という作品の中で、三者それぞれの存在の特徴を謳った後で、こう結んでいる―「みんなちがって、みんないい」と。

つまり、非常に柔らかな言葉遣いながら、その通底に脈打っているのは「他者への限りない慮り」(やさしさ)なのである。この点が逮捕された検事(或いは検察組織全体)に大きく欠落していた要素ではなかろうか。

難関中の難関と言われる旧司法試験を突破して、正義感に燃えながら検事の道を志望。そして今日に至るまで数々の実績を残しながら躓いてしまった、極めて残念な人…。

この先、どのような人生が待ち受けているのか知るよしもないが、願わくば、「検事」になる遥か以前の「健児の精神」に立ち戻って、再起を期していただきたい。

松陰&みずゞ。ともに普通の感覚で言えば、「幸福」とはほど遠い人生だったはずだが、我が身を削ってでも、後世の歴史に名を残した「偉人」である。

昨夜来のニュースを見聞しながら、その隔たりの大きさに、何とも複雑な思いでいる。


2010/09/21

30数年ぶり「湯本」へ…金子みすゞの人気に吃驚!

待ちに待った連休(19日~20日)は〃完全オフ〃とし、1泊2日の旅程で山口県を訪ねてきた。自身にとっては、30数年ぶりの「センチメンタル・ジャーニー」とでも言うべきか…。

片道6時間強―。自らハンドルを握っての1日当たり400キロ以上の走行距離は、なかなかにハードではあったが、それ以上に断然楽しかった!

宿泊先は「長門湯本温泉」。音信(おとずれ)川沿いに大小のホテルが並ぶ山あいの温泉地で、形状的には大分・熊本県境の「杖立温泉」のようでもあるが、あそこまで山は深くない。

実は今を溯ること約30年前、この地において「苦い思い出」があるのだ。それは以前勤めていた会社の研修会での出来事―。

食事が終わってたまたま同室に配された1年先輩の心ない一言に、「カチーン」ときた筆者は、周囲が制止する間もなく、もう飛び掛っていた。

詳細については割愛するが、「島原半島」のことを訳知り顔の口調で悪し様に言われたことが、どうにも我慢ならなかったのだ。

自分としては「もう辞めるしかない」と腹をくくっていたが、直属の上司の計らいからか、一切「お咎め」はなし。ただし、ケジメをつける意味で、自ら進んで頭を丸めた。

ほぼ30年ぶりにそのホテルの湯船に浸かって、自らの「来し方&行く末」を考えてみた。もう、当時のような、猛り狂う「熱情」も持ち合わせていないが、かと言って「バラ色の老後」ともご縁はないようだ。

ただ言えることは、今も昔も、古里(島原半島)から離れられない「自分」が、厳然としてここに在るのみ。五木寛之さんがよく使う「デラシネ」とは対極にある我が身…。

そんなこんなを考えながら、翌日、明治維新の地「萩」に入った。ここは別の用件で幾度か訪れたことのある街だが、自分で車を運転して入るのは初めての経験だ。

整然とした家並みと、市役所前の広い道路。漆喰壁と夏みかんのイメージばかりが先行していたが、今回は通常の観光地は避けて、商店街の一角にある古い酒蔵を訪ねた。

たまたま同行者の一人にその店の知り合いがいて、随分と「歓待」を受けたのだが、残念ながら2日間ともハンドルキーパーだったので「利き酒」も叶わず、ひたすら「生唾」ばかりを呑み込んできた。

帰途は仙崎の「金子みすゞ記念館」に立ち寄ってきた。恥ずかしながら、この詩人がそんなに著名な存在とはつゆ知らず、余りの来館者の多さにただただびっくり!

代表作『わたしと小鳥とすずと』の世界なんか、スマップの大ヒット曲『世界に一つだけの花』の歌詞の「原型」ではないかと、いたく感動した次第であります。


2010/09/18

「三好屋新田」に最敬礼!…朝の散歩で学ぶ島原の歴史

暑さのため、しばらくなりを潜めていたが、再び歩き始めた。「早朝散歩」というやつである。

恐らく今が、年間を通して一番、空気との触れ合いを心地よく感じるシーズンであろう。とにかく、歩いているだけで気分が弾んでくる。

日によってコースを変えているが、大概は「堀端」か、「長浜&猛島海岸」である。一昨日と昨日は、後者を選んだ。

長浜海岸―。大型建設機材の間を縫うように歩を進めていくと、右手には夏の間に人の丈以上に生い茂った藪山。左手は海だ。

雲一つない日本晴れ。夜明け直前には、対岸の熊本の山々が、茜色の空をバックに見事なシルエットを描き出している。

突堤でタバコをふかしながら〃日の出〃を待つ。と、ちょっと油断している隙に、太陽が昇ってきた。

慌てて火を揉み消し、頭を垂れて、拍手を打つ。周囲には誰もいない。「フッフーン、この素晴らしい光景はオレ様だけのもの!」と、独りほくそ笑む。

やがて海上には、黄金色の光の帯が一筋、足元近くまで伸びてくる。遥か沖合いでは、小型の漁船がポツリ、ポツリ…。長閑極まりない秋景色だ。

それだけでもう、十分過ぎるほどの〃感動モノ〃なのだが、あたかもその〃瞬間〃を待ち侘びていたかのように、今度はトビウオが跳ねる。時計を眺めたら、6時10分を少し回っていた。

踵を返して山手を眺めると、眉山の稜線が柔らかな日差しを浴びて微笑んでいる。遠目に見る「お城」は、まるで模型のオモチャのような雰囲気だ。

一晩中鳴き続けたせいだろうか、「虫の音」がやけに弱々しい。引いては寄せる力強い「波音」には、とても〃太刀打ち〃できそうにもない。

休日でもないのでそのまま居座るわけにもいかず、次なる目的地「猛島神社」を目指していると、途中で「風致地区」と記された古い石碑に目が留まった。脇には、市教委が立てた「三好屋新田」の案内板。

ナニナニ、フムフム…。豪商、中山要右衛門の〃功績〃が達意な文章で、分かりやすく説かれている。概要は知ってはいたが、構えて読んでみると、やはり大した人物だったんだ、と改めて敬服した。

さらにビックリしたのは、その〃年号〃。事業着手「1837年」とある。ちょっと待てよ!確か、島原の乱の勃発が「1637年」のはずだから、節目の年、ちょうど200年後の大事業ではないか!

偶然の一致であるにせよ、驚愕の〃事実〃だ。歴史的に名高い、あの「ニューディール政策」より100年も前に取り組まれた、民間活力による「緊急経済対策」。その先見の明!!

帰りの足取りがやけに軽くなったのは、言うまでもない。


2010/09/17

捕まったのは〃同級生〃…髪をなびかせてゴーゴー?

ネットで「今日は何の日」と引くと、何やらかにやらの「記念日」と合わせて、著名人の「誕生日」や「死亡日」がズラズラと並んで出てくる。

さすがにまだ掲載されてなかったが、9月16日については、隔週情報誌の『ザ・ながさき』が、同日が「トルコライスの日」と定められたのを記念して特集を組んでいた。

慢性的「ネタ不足」に悩む筆者にとっては、格好の「ご馳走」のようなもので、ヨダレをたらして飛び付こうとしたのだが、途中から「野暮用」が入ってしまった。

ところで、昨日の地元最大の「ニュース」と言えば、南島原市職員による「収賄事件」だろう。商売柄、いち早く仕入れた報道資料を手にして驚いた。

なっなんと、高校の同級生。しかもクラスメートではないか!なかなかのスポーツマンで、頭も良かったのに…。

人間は勝手なもので、普段は何気なく読み飛ばしている社会面の事件記事も、いざ「身近な関係者」が絡んでくると、俄然興味が湧いてくる。いわゆる「野次馬根性」というやつだ。

まあ、今回の事件のはさて置くとして、筆者のこれまでの経験から言えば、以前同じ会社にいた先輩が舞台回しを演じていた「三和銀行オンライン詐欺事件」が今でも印象深い。

当時はワイドショーなんかでも盛んに取り上げられていたので、記憶に残っている方も多いだろうが、事件は昭和56年の9月5日に発覚した。

主犯の「伊藤素子」とともに捕まったのは「南何某」という、やり手の営業マン。2億円という被害金額の大きさもさることながら、「好きな人のためにやりました」というセリフは流行語にもなった。

筆者は大阪在住の南何某とは一面識もなかったが、この時、一緒に仕事をしたことのある先輩社員の間で交わされていた会話が何とも面白かった―。

「あいつは口が巧くて、よう女にモテよった」。「俺もいっちょう女性行員と懇ろになってみっか」。「お前は不細工だから、無理!無理!」。よく「事件の裏に女あり」とは言われるが、この事件に関しては、真逆の構図だったのだ。

それにしても、南という男性はよほどカッコよかったのだろう。2億円ですよ!2億円!そんな大金を貢がせる術を、幸か不幸か、筆者は知らない。

そして、知らないまま、今日18日で満55歳となる。ちょうど1月遅れで誕生日を迎える「郷ひろみ」が「髪をなびかせてゴーゴーゴーゴー♪」なんて歌っていたのはいつの時代だったか…。

久方ぶりに鏡を覗くと、そこには紛れもない老境にさしかかったオヤジがいる。いやいや、病も、老化も気の持ちよう次第。

貢いでくれそうな奇特な女性もいないし、カラオケでも行って歌いまくるか―「55&55&55…」なんてネ。


2010/09/15

買いましたよ『悪人』…これは何かしらの因縁だ!

モントリオール世界映画祭で、深津絵里さん(27)が「最優秀女優賞」に輝いたニュースはまだ記憶に新しく、今月11日封切りの映画もなかなか出足好調のようだ。原作は平成18年3月から約1年間にわたって朝日新聞(夕刊)に連載されていた、吉田修一さん(42)の長編小説。

すでに知れ渡っていることだが、吉田さんは長崎市、深津さんは大分市、そして競演の妻夫木聡さん(27)が福岡県柳川市の生まれだから、物語の舞台同様、「九州色」の強い作品である、と言えよう。

実は、今朝ほど原作の文庫本(上下2巻)を買ってきたばかりで、中身についてはテレビや新聞等で仕入れた情報しか持ち併せていないので、ここで語るのはややオカドチガイだが、前々から気にはなっていた。

というのは、吉田さんはANAの機内誌にエッセイを連載していて、少し前の号に同映画の話を書かれていたからだ。その吉田さんで思い出すのは、『パーク・ライフ』という作品で「芥川賞」(平成14年)を受賞した際に、選考委員の石原慎太郎さん(現東京都知事)から極めて厳しい評価を下されていたこと。

筆者も同じ長崎県人ということもあって、「いくらアタンな才能に溢れとらすとやろばってん、そがんまで言わんでよかろーもん!」と、腹立たしい思いで、その過激な文脈をたどったことを覚えている。

今にして驚きだが、なんと『パーク――』の舞台は、かの「日比谷公園」。そう、あの梅屋庄吉翁の曾孫、小坂文乃さん一家が経営している「松本楼」のある場所なのである。

実際に足を運んでみればよく分かるが、皇居にほど近いその一角は、年中豊かな緑に溢れていて、植え込みの花々も良く手入れが行き届いていて、みな素晴らしく美しい!

極めて「個人的な思い込み」であることを承知の上で言えば、『パーク・ライフ』(日比谷公園)といい、『悪人』(九州北部3県)といい、これは何かしらの「因縁」に他ならない。

別な表現をすれば、まさに「革命」から百年目にして巡り合った、(地域浮揚に向けての)大きなチャンスである。幸運の女神は「前髪」を掴まないと、逃げて行ってしまう、という。県(民)には、心してかかっていただきたい!

といった次第で、今日もまた、行ったり来たりの何とも締まりのない内容で終わってしまいそう…。恥ずかしげもなく、再び『悪人』の話に戻れば、法然(浄土宗)や親鸞(浄土真宗)の教えを取り上げないわけにはいかない。

「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」―。いわゆる「悪人正機説」と呼ばれているものだが、この辺りの事情は五木寛之さんの小説『親鸞』に詳しい。

そう、この方が少年時代を過ごした古里も、九州(筑豊)だった。九州バンザイ!!


2010/09/13

何事も「間(ま)」が大切…もう運動会は卒業だけど…

「位置について、ヨーイ、ドン!」。毎度おなじみ、運動会(体育祭)のスタート風景だが、どうも最近の子供たちは「飛び出し」のタイミングが上手く取れないようだ。

昨日曜日、三男の通う島原高校の創立百十周年記念体育祭を見物に行って、そう感じた。極論すれば、ほとんど全てのリレー競技のスタートが「フライング」だったのである。

まあ、記録を競うような大会ではないので、「ご愛嬌」で済ませてよいのだろうが、これには何かしら「原因」がある、と思った。

バスケ、ラグビー、ソフト…など。これまでにも保護者や主催者として、応援や観戦に幾度となく出向いているのだが、前々から奇妙な「違和感」を抱いてきたのも事実だ。

熱心な指導者の方々には、大変に申し上げにくいことは承知の上で、敢えて書く。試合が終わってからの、選手全員による「お礼の挨拶」が何ともいただけないのである。

キャプテンの号令に従って「気をつけ、礼、ありがとうございました」とペコンと頭を下げるのはよいのだが、「区切り」がないのがいかにも残念だ。

文字で説明すると、この「、」の間合いが抜けてしまっている。つまり、「気をつけ礼」といった、新たなリエゾン型の「造語」みたいに聞こえてしまうのは筆者だけだろうか?

そこに「悪気」など介在していないことは重々分かってはいるが、やはり一定の「間(ま)」が無いことには、メリハリがないと言うか、聞いていて「どこか」おかしい。

この兆候を、冒頭の「アトランダム・スタート」と結び付けるのは、やや短絡的かも知れないが、何においても「間」は大切である、とつくづく思う。

ところで、筆者もいよいよ「卒業」(運動会から)である。思えば、幼稚園から始まって、小、中、高と延べ20年近くにわたってよく通ったものだ。

昨日なんかは「これでもう打ち止めか…」と思うと、一抹の寂しささえ感じた。これまでに撮りだめた写真やビデオの量だけでも、もう相当なものであろう。

最近になって思うのはビデオカメラの驚異的な普及率のこと。「一家に一台」どころか、中にはプロ顔負けの上位機種を持っている人さえいる。

背景に、メーカーの販売戦略があるのかどうか知らないが、後の編集はパソコンで出来るようになっているし、写真のプリントサイズだって自由自在だ。

一方で、同じように子供の成長ぶりを記録に残すにしても、撮る人によって、その環境は千差万別だ。いつもこのシーズンになって想うのは、外資系の某バツイチ・ホテルマンの寂しげな横顔。

愛娘の元気な姿を撮ろうと、校庭の金網越しにカメラを構えていた姿が忘れられない。あれから20有余年の歳月が流れた。


2010/09/11

犯人は酷暑か、虫か?…秋の気分を満喫したいのに…

記録的な猛暑に見舞われた今年の夏もようやく観念したと見え、朝晩はすこぶる過ごしやすくなってきた。さあ、お次は何だ?

個人的に待ち望んでいるのは曼珠沙(まんじゅしゃ)華(げ)の開花。別名「ヒガンバナ」と呼ばれているように、彼岸が近まると、一晩のうちにスルスルと茎を伸ばして、複雑な形状の赤い花を咲かせる。

不思議と言えば不思議な現象だが、これもまた「自然の摂理」に基づいた神々しい営みの表れであろう。四の五の言わずに、素直に感動しよう!

この季節のもう一つの楽しみは「虫の音(ね)」。散歩や買い物の途中で耳を澄ますまでもなく届いてくる涼やかな響きは、いかにも「日本的」だ。

昼の間はじっと身を潜めている虫たちも、いざ夜の帳(とばり)が落ち始めると、一斉に羽を振るわせる。リーン、リーン…。その鳴き声は物悲しくもあるが、心に染みわたってくるのも事実だ。

そうした「虫の音」は、山野の辺りでは至極当然のことだろうが、島原の素晴らしいところは、「街の中心部」でもそれが聞こえること。

嘘でも誇張でもない。徒歩や自転車はもちろんのこと、車の運転中でも窓を少し開けておくだけで、存分に楽しめるのだ。

秋になって空気が澄み渡ってきたら、夜空を眺めるのも楽しい。星の名前などガキの昔から全然興味がなかったが、どういう訳か「天体望遠鏡」だけは数年前から所持している。

「星好き」の周囲に触発されての典型的な衝動買いの遺物だが、隣家に「その道の達人」も住んでおられるようなので、今年こそ「正しい使い方」を訊いてみよう。

そうそう大事なことを忘れていた。月だ、月。昨年、秩父が浦の海岸で眺めた「中秋の名月」の素晴らしさは、もう言葉では語り尽くせない!

暦を調べると、今年の「中秋の名月」は、旧暦の8月15日。すなわち、新暦では9月22日(水曜日)となっている。

島原(有明海)の「月の出」の特徴は、対岸の熊本側から昇り始めた直後は「赤味」が強く、その後、時間が経つにつれ「白味」を増していく点にあろう。

とは言っても、島原以外の地でじっくりと「月の移動」など観察した経験はないので、比較のしようもないのだが…。

ところで、数日前から遠目に見ていて「一足早い紅葉か?」と、眉山の中腹部を眺めていたら、悲しいことに、松林が枯れていることが判明した。

原因は果たして何なのか?記録的な猛暑に伴うものなのか、それともマツクイ虫の仕業…。専門家でもないので「予断」は禁物だが、仮に後者だとすれば、いかにも無粋な野郎である。

これではせっかくの「松籟(しょうらい)」(「将来」の掛詞)ある身が「虫の息(いき)」ではないか!?


2010/09/09

梅屋庄吉翁のこと…来年は辛亥革命100周年

「事実は小説より奇なり」とよく言われるが、本当にそんな「奇特な人物」が存在したのだろうか?しかも、我が長崎県人に…。しばし、そんな思いに捉われてしまうほどの読後感である―。

東京・日比谷公園内の洋風レストラン「松本楼」と言えば、毎年9月25日にふるまわれる「10円カレーチャリティ」の店として知られるが、最近になって再び、同社常務の小坂文乃さんが著した『革命をプロデュースした日本人』(講談社)という本で注目を集めている。

「革命」とは、来年10月10日で勃発から百周年を迎える中国の「辛亥革命」のこと。「日本人」とは、長崎市出身で、映画会社「日活」創業者の「梅屋庄吉翁」のことだ。小坂さんはその曾孫に当たる。

今さらこの年齢(とし)になって「歴史」の勉強でもあるまいが、全国少年ソフトボール大会の開会レセプションの席で、たまたまお会いできた長崎県の藤井健副知事からその話を聞き、俄然興味を抱いた次第。

さっそく先月初めの上京の折に、有楽町の三省堂書店で関連の書籍を探してみたが、1冊も置いてなかった。ならば!と訪ねたのが長崎市の紀伊国屋書店。そこには、読売新聞西部本社版のムック本と併せて、小坂さんの著書が平積みされていた。

すでに長崎新聞紙上で何回かにわたって紹介記事も掲載されているので、ご存知の方も多いと思うが、とにもかくにも、この「梅屋の爺様」は誰もがビックリするほどの〃超大物〃なのである。

藤井副知事によれば、同蜂起を主導した孫文(中国革命の父)らに調達した資金の総額は、現在の貨幣価値に換算すると、軽く「2兆円」は超えるだろう、という。

詳しくは是非作品を読んでいただきたいが、登場する人物の氏名だけ拾っていっても、唖然とするほどの〃超豪華ラインナップ〃なのだ。

革命の主役である孫文や蒋介石はもちろんのこと、日本人の顔ぶれがこれまた凄い。順不同で恐縮だが、宮崎滔天から始まって、頭山満、大隈重信、犬養毅、柳沢白蓮などなど…もうタメ息が出るほどだ。

映画会社の創業者で政治的にも辣腕をふるったそれほどの〃超大物〃あるにも関わらず、どうして「梅屋庄吉」の名前が今日まで人口に膾炙(かいしゃ)してこなかったのか…?

そうした素朴な疑問に率直に応えようとした姿勢こそが、この作品の「存在価値」でもある。くどいようだが、実際に読んでみないことには、梅屋夫妻の人となりも、その歴史的な功績も分かるまい。

「来年は長崎にとって、また日中関係にとって、とても意義深い、面白い年になりそうですよ!」。藤井副知事の自信あふれる言葉に、期待は膨らむばかりだ。


2010/09/08

福田議員の動向は?…『ターニングポイント』改め…

世の中には「寸鉄、人を刺す(殺す)」という特殊な才能を持ち合わせた、言葉遣いの〃名人〃がいるものだ、としみじみ思う。

少し話は古くなるが、「小淵恵三」「梶山静六」「小泉純一郎」の3氏の間で争われた、かつて自民党総裁選挙。調べてみたら今からもう12年も前のことだ。

その時、同党の衆議院議員でもあった田中眞紀子さんは、「凡人、軍人、変人による、在庫一掃ガレージセール」と、ものの見事に切って捨てた。

世間大衆は痛快無比なる〃歯切れの良さ〃に拍手喝采。とうとう、その年の「流行語大賞トップテン」に選ばれたほどだ。

その眞紀子さんが小泉政権下で外相を務めていた際の〃語録〃も忘れられない。「私が前に進もうと思っていたら、誰かがスカートの裾を踏んづけている。誰かと思ったら、首相だった」―。

時代移って、今次の民主党代表選。野党「みんなの党」代表の渡辺喜美さんが、同党の結党1周年記念会合で発した言葉も強烈だ。曰く「無策(菅)と暴走(小沢)の戦い」と。

お二人とも言わずと知れた大物政治家の〃二世〃であるが、このような機転の利いたセリフを聞かされると、あながち〃世襲〃が悪いとばかりは言い切れまい、とも思う。

まあ、そうした素人目線での論評はさて置くとしても、次期総理大臣を決める民主党代表選も開票日の今月14日まで、いよいよ残り1週間を切った。

今のところ、党員・サポーター票では、菅さんが圧倒的にリードしているような新聞・テレビの報道ぶりだが、全体の3分の2を占める国会議員票の行方次第ではまだ判らない。

時に、本県出身の国会議員の動向は?山田正彦(農相)、宮島大典の両氏、それに「小沢塾」出身の大久保潔重参議院議員を加えた3人は〃小沢支持〃で決まりだろう。

その中にあって、唯一〃異彩〃を放っているのが福田衣里子衆議院議員。いまだに〃旗幟鮮明〃にされていない、という。

典型的な「小沢ガールズ」の1人と目されていただけに、今後の動きにも注目が集まりそう。

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お 知 ら せ

毎週、水曜日の夜は、CATVとFMのコラボ企画『ターニングポイント』(午後7時~同55分)を生放送でお届けしておりましたが、諸般の事情で衣替えすることと致しました。

急な話で恐縮ですが、9月いっぱいは改編準備作業のため、放送を取り止めます。10月からは新たに『当方見聞録~この人に会いたい~』(仮題)をお送りする予定です。

放送形態等につきましては現在、部内で協議を進めているところです。今後とも「カボチャテレビ」「FMしまばら」をどうぞ宜しくお願い致します。


2010/09/04

トンボの不可解な動き…明日は深江のゴルフ大会!!

最近、どうにも体調が思わしくない。頸から肩、背中かにかけての痛みがひどいのだ。

俳優の柳葉敏郎が某薬品のコマーシャルで「固まった」という表現をしているが、まったくその通りの症状なのである。

たまらず、とある整体師のもとを訪ねたら、「左右の脚の長さが違っている」と言われた。「左右」はともかく、「真ん中」は久しく縮こまったままだ。

ひとつには、余りの暑さによる「運動不足」のせいかも知れない。ただ、日々の水撒き&サウナで、汗だけは人一倍かいているつもりなのだが…。

そんな状態で今朝ほど、自宅庭の手水鉢の傍で面白い光景を見た。1匹のトンボが尻尾の先を「くの字」に折り曲げて、水の表面を何度も蹴り(掬い)上げているのだ。

しばらくは、首筋の痛みも忘れて眺めていたが、そのうちにトンボも飽きたのか、どこかへ飛んでいってしまった。

その余韻も冷めやらぬまま、今日は久々に自転車で出勤した。街の光景はいつもと変わらない。空は突き抜けるほどに澄み渡っているし、山肌もひときわ綺麗だ。

土曜日の事務所内は交替制のため閑散としている。いつもはクドクドと語り続ける「朝礼」も、簡単に済ませた。社員の連中もホッとしたことだろう。

ところで先週末、大阪から大切なお客様を迎えたのだが、夕食をともにしながら、信じられないような「おトクな話!」を聞いてビックリした。

ナント「飲み放題&食べ放題」で、料金が「ゼロ円」というお店があるのだそうだ。しかも、後しばらくは続くのだとか…。

「ほんまかいな?」と疑り深く尋ねたら、「ほんまでっせ!」と、真顔で切り返された。

ただし、これにはどうも裏があるようで、某酒造メーカーの「隠密キャンペーンのような気がする」とも言っていた。

なるほど、それならわかる!「口コミ」を使った宣伝費と思えば安いもの。関西商人の「したたかさ」を改めて感じた。

話は変わるが、明日は久々の完全休養日。墓参りに行くつもりが急きょ、「深江町民ゴルフ大会」に出場することになってしまって…。残念???

組み合わせ表を見せてもらうと、町外からの出場者もおられるようだが、「噴火災害当時にお世話になった全国各地の方々へのお礼返し!」という趣旨は、当初から変わらない。

ただし、途中から出場させていただいている筆者のスコアも不変のままだ。加えて今年は、体調不良も抱えているし、果たしてどうなることやら…。

まあ、そんなことはどうでもいい。プレーそのものを楽しんで、グリーン外しの「チャリティー募金」に大いに協力してこよう、っと!!


2010/09/03

笑えない、「笑い話」…わたしゃ、まだ生きちょるよ!!

すでに本人が亡くなっているのに、遺族が役所に届けを出さずに「老齢福祉年金」を詐取した事件(東京都足立区)はいまだ記憶に新しいが、幸いなことに、我が古里ではそんな不埒な話は聞かない。

ただし、日々絶えることのない新聞の「おくやみ欄」を見ながら、「えっ、あの家にそんな人いたっけ?」と、訝ることも度々。それもこれも、急速に進んでいる「高齢化」「核家族化」のなせるワザであろう。

何とも卑近な事例で恐縮だが、先日、ご近所のお宅で葬儀が営まれた際に、斎場の受付現場で交わされた「笑えない話」を一つご披露しよう。紛れもない「実話」である。

本欄でも幾度か取り上げたが、我が家ではことし6月末に、祖母が数え年97歳で天寿をまっとうした。周囲の皆様のご協力のおかげで、葬儀も、その後の法要も、そして初盆の精霊流しも、滞りなく終えることができた。

まあ、ここまでは極々普通の話であるが、我が上の町界隈でも「高齢化」の波は激しく押し寄せて来ており、家庭で介護できないような場合は、自然と福祉施設などにお世話をお願いすることになる。

一方で、普段から余り老人と付き合いのない若者の目からすれば、施設に入ったままの老人の存在は「無い」に等しい。別段、悪気があっての話ではなく、仕方のないことだ。

そこで起こってしまうのが「勘違い」という事態になる。今回の「笑えない話」もそんな背景の中で生まれたものだ。

「新聞社のお婆ちゃんが亡くならしたげな」という訃報を耳にした、近くのある商店主は、途端に耳を疑った、という。「えっ!昨日会うて話ばしたばかりとん…」。

我が家のことをご存知の方ならすぐに分かることだが、我が家には「大きいお婆ちゃん」と「小さいお婆ちゃん」の二人がいたのだが、件(くだん)の商店主は前者の存在のことを全くもって知らなかったのだ。

そのため、「新聞社のお婆ちゃん」と言えば、筆者の〃天敵〃である家人の母のことしか念頭になく、前述したような「思い違い」につながったという次第。

実は、この話を聞いた途端、筆者は面白おかしくて堪らず、家に帰るなり母にこう告げた。「あたんな、もう殺されちょるばない、○○君から」。

すると、母はゲラゲラ笑った後で、こう言って喜んだ。「そしたら、わたしゃ長生きすっばい。もう一回は死んどるもんば」。

結果として、「笑えない話」どころか、大いなる「笑い話」に変身してしまった、というわけだ。メデタシ!メデタシ!

ところで、人の悪い母は早速翌朝○○君のもとを訪ねて、「わたしゃ、まだ生きちょる!」と伝えてきた、とか。嗚呼、この調子じゃ、ほんなこて長生きしそうばい!!


2010/09/02

勝つのは官軍ですか?…蝸牛(かぎゅう)角上(かくじょう)の争いでは困る

その心意気やよし!と賞賛していいのかどうか計りかねるが、1日に告示された民主党代表選挙における菅首相派の存在意義は、明治維新後の西南戦争における「官軍」なんだ、とか。

つまりは、「菅」と「官」とをもじった言葉遊びのようなものだろうが、仇敵の小沢陣営にとっては「逆賊」のレッテルを貼られたのと同じで、面白いはずもあるまい。

が、物は考え様で、そうなると小沢前幹事長はいまだに国民的人気の高い西郷隆盛公に擬せられているわけだから、政治生命を賭けた今回の「乾坤一擲」の勝負に、より凄みを増すことにもなる。

一昨日から昨夜にかけて、幾度となく繰り返された両者による出馬会見のテレビ等を観ていて、「おやっ?」と、奇異に感じられた方も多かったのでは。

交渉決裂後の小沢さんの話は車の中で聞いていたが、結論がなかなか出てこずにイライラした。この辺りが師匠筋の「角さん」との決定的な違いか。

一方、昨夜の菅さんの話には苦笑してしまった。だって、官僚の言いなりになって政治の指導力を発揮できないでいる現状を突かれている立場なのに、「悪いのは財務省であります!」なんて開き直られてもねー。

さらに笑ったのは、小沢さんの首相としての資質を問い掛けた質問。「(本会議を度々欠席する小沢さんは)予算委員会等で長時間座っていられるだろうか?想像できない」云々。

これには小沢さんも、内心はともかくとして、笑って応じるしかなかったのだろうが、いくら何でも「答弁に答えていた」という表現はないでしょう。「火事が燃えている」と言っているようなものですよ!

いずれにしても、投票日まではまだ10日以上も残されているので、これから議論が深まっていくことを期待して、「国民の生活が第一」という党是だけは何としても遵守・実践してもらわないと!

関連して言えば、1日付の朝日新聞でコラムニスト(CMプランナー)の天野祐吉さんがこう嘆いていた。「国民の生活が第一」なんて言っていたのは、どこのだれだっけ、てね。

菅さんに関しては「市民運動を踏み台にしてのし上がっていったマキャベリスト」といった、かつての仲間内の批判もあるし、小沢さんにしても「剛腕」のイメージの裏で常に「金権」の悪評も付きまとう。

飛び火するようだが、対する自民党の動きも、まあ情けない。代表選後の分裂騒ぎを見越してか、はたまた恐れてか、一向に野党第一党の存在感を示せないでいるではないか!

今回の代表選を見ていてつくづく感じるのは、マスコミは大騒ぎしているが、ひょっとして永田町という「狭いコップの中の嵐」なのかも…。とにもかくにも「蝸牛角上の争い」で終わらぬことを切に願う。


2010/09/01

哲学とは〃無縁〃の身…まさに「一寸先は闇」でした

まさに「一寸先は闇」の政界であった。某全国紙の一面トップ記事の見出しを信じる余り、「収束」(候補一本化)の方向で原稿を取りまとめて送っていたら、締切間際になって「決裂」の怪。おかげで、昨報は「ボツ」となってしまった。

もともとこの言葉は、日米安保騒動当時(昭和35年)に、岸信介総理総裁のもとで自民党幹事長を務めていた川島正次郎さんが吐いたものらしいが、特段「政界」に限らずとも、何が起こるか分からないのが「世の中」というもの。

さて、月かわって9月。日経新聞名物の『私の履歴書』の新たな登場人物は、哲学者で中央大学名誉教授の木田元(きだ・げん)さんだ。昭和3年生まれの82歳。

改めて恥を晒すまでもなかろうが、今日まで「哲学」とはまったく無縁の世界に身を置いてきた。大学の一般教養で、ヘーゲル研究の大家、樫山欽四郎教授からものの見事に「不可」を頂戴したのも、ほろ苦い思い出の一つだ。

話は脱線するが、この先生の娘さんが伝説的なNHKの朝の連ドラ『おはなはん』で一躍有名になった、女優の樫山文枝さん。確か、弟さんは「オンワード樫山」の社長職だった。

まあ、まともに授業にも出ていなかったので「不可」とされても異存などなかったが、内心忸怩(じくじ)たる思いもあって、パチンコの景品でキルケゴールの著作を求めたこともある。

『絶望は死に至る病』というタイトルで、幾度か挑んではみたものの、こちらもあっけなく途中で〃白旗〃を上げた。

ただ、「おかげ」と言っては何だが、今日まで露命をつないでいるのは、事ある毎に「絶望の淵」から這い上がってきたことの証左でもあろう。

事程左様に「哲学」とは縁遠い身なのだが、どうした訳か、木田さんの著書が1冊だけ手元にある。岩波書店から出ている『一日一文』(英知の言葉)という作品だ。

内容は、古今東西の哲学者や文学者などの名作の一節を〃日めくり風〃に編んだもの。折に触れてひも解くつもりでいたのだが、何年経ってもいまだに〃新品〃の状態が続いている。

『私の履歴書』の開始と合わせてちょうど良い機会だから、「9月1日」のページを開いてみると、フランスのカトリック作家、モーリアック(1885~1970)という人物が取り上げられている。

もちろん、初めて目にする名前で、馴染みもへったくれも何もあったもんでない。少し文章を追ってはみたが、「憎悪」「復習の願い」「金への執着」「蝮の醜い巣」…などと、もう端からお手上げ状態。

嗚呼しょせん、オレはこの程度の、頭の悪い、不可人間なんだ…。政界同様に、漆黒の闇に包まれた「絶望の淵」に再び立たされたのであります。