2010/02/19

また一人「名優」が…「当たり前田のクラッカー」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

藤田まことさん(76)が17日、亡くなった。スポーツ新聞のみならず一般紙でもその「訃報」を大きく取り上げていることからも明らかなように、「国民的俳優」の一人だったと言えよう。

テレビ文化の草創期  に育った筆者世代からすれば、何と言ってもその代表作は白木みのるさん(珍念役)とコンビを組んだ『てなもんや三度笠』(朝日放送)だろう。藤田さんの役柄は「あんかけの時次郎」というヤクザ役だった。

放送当時(昭和30年代後半~40年代初頭)の最高視聴率(関西地区)はナント64.8%を記録したというから、度を越えた「お化け番組」であったことが今にして良く分かる。

「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」という、あざといまでにスポンサー名(前田製菓)を刷り込むオープニングの決め台詞は、今でも「歯糞」のように脳裏にこびりついて離れない。

余談ながら、演出を手がけたのは澤田隆治さんという名物プロデューサー(後に「東阪企画」を立ち上げ)で、フジテレビの横沢彪さんとともに後の「漫才ブーム」の仕掛け人と呼ばれている人だ。

閑話休題。こうして「お笑いの世界」から売り出した藤田さんだが、人生後半はシリアスな役どころもこなせる「演技派」としての地位を築いていく。

その代表作が昭和40年代後半から始まった『必殺シリーズ』。藤田さんは「昼」と「夜」の2つの顔を併せ持つ八丁堀の同心、中村主水(もんど)の役を見事に演じて、その人気を不動のものとした。

このほか、現代劇では「家庭」と「職場」における「落差」を哀歓たっぷりに演じた『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)で、多くのサラリーマン諸氏の支持を得た。

この辺りは誠に勝手な思い込みだが、ザ・ドリフターズのリーダーから役者への転換を図った「チョーさん」こと、いかりや長介さん(故人)ともダブって映る。

実は先週末、CATV連盟のセミナーなどがあって、久方ぶりに大阪へ出かけた。1泊2日の慌しい日程だったが、飛行機の待ち時間を利用して「ミナミ」と呼ばれる難波駅界隈をうろついてきた。

大阪は東京と比べるとドンヨリした感じだったが、何と言っても「人情の街」。折角だから、グリコの看板(道頓堀)でも拝んでいこうと思って、駅前の案内係のオッサンに尋ねたら、「すぐそこでっせ!」と気さくに教えてくれた。

看板には、赤抜きの社名の上にこう書かれていた―「おいしさと健康」。

近年の藤田さんは病魔との闘いだったとも言われているが、その渋みあふれる演技は「美味しい栄養素」となって、これからも多くのファンの心を支え続けていくことだろう。合掌。


2010/02/17

これってデジャ・ビュ?…朝青龍と国母選手の共通点

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「コクボ」「コクボ」とテレビで言うから、てっきりソフトバンクの小久保選手(元巨人軍)のことかと思っていたら、何のことはない、スノーボードのオリンピック代表選手、国母和宏選手のことだった。

すでに服装の乱れが問題となって何度も画面を賑わせているので、食傷気味の方も多いだろうが、我が国に初めてスノーボードを持ち込んだ人間が友人なので、ほんの少しだけ言わせてほしい。

その友人は筆者より10歳ほど年下で、在京のマスメディアに籍を置いている。氏の話によれば、スノーボードとの出合いは「自堕落な生活」を送っていた学生時代のこと。現在、冬季オリンピックが開催されている「カナダ」から仕入れてきたのだ、という。

その後どういった経緯で競技人口が広がっていたのか全くもって不明だが、元々は自由を満喫したい!と願う、若者独特の「冒険心」&「遊び心」から生まれてきたことだけは間違いない。

「日本人は何でも『道』をつけたがる民族である」とよく言われる。曰く「剣道」「柔道」「茶道」「華道」…などといった具合に。とすれば、スノーボードにも「道」をつけて「スノーボード道」というのがあるのだろうか?まさか!

今回の国母選手の問題は、誠に勝手な想像ながら、「相撲道」の本筋から大きく逸脱してしまった前横綱、朝青龍の場合と良く似ている。現役最後の場所でも優勝するくらいだから、土俵上での力量はまだまだ抜群だったはず。

一方、国母選手に話を戻せば、こちらも昨年のユニバーシアードで優勝しているのだから、「実力」の程は折紙つき。恐らく、今オリンピックでもメダルの有力候補の一人だろう。

二人に共通しているのは「場外」でのハチャメチャぶり。国母選手はシャツの裾をズボンの中に入れないとか、ネクタイの結び目がだらしないとかで批判されたが、決定的だったのは、「チッ!」という舌打ちが露見した謝罪会見でのふてくされた態度。

その様子をテレビで観ながら、ふと筆者の脳裏に「既視感」(デジャ・ビュ)という言葉が浮かんできた。本来的には「一度も経験したことがないのに、すでにどこかで経験したことがあるように感じること」(大辞林)という意味だが、実は似たような光景に出くわしたことがあるのだ。

髪型といい、ひげ面といい、「瓜二つ」といっても過言ではない。筆者が6、7年前まで親身になって面倒を見ていた若者の話だ。根はやさしくて善い人間なのだが、どこか素直になれないまま、多くの問題を残して去って行った。

今頃どこで何をしているのか知る由もないが、国母選手には是非この機会に改悛して、早く立派な大人になってほしい。朝青龍にかける言葉は持ち併せていない。


2010/02/15

敗れてなおよし!…上村選手の今後に期待

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

こう言うのを「証文の出し遅れ」と呼ぶのだろう。バンクーバーオリンピックのスキー・モーグル競技で、上村愛子さんがまたしてもメダルを逸してしまったことに関連して何か書こうと思っていたのだが、昨日はどうしても時間が取れなかった。

国民の間では「今度こそメダルを!」との期待が膨らんでいただけに、残念と言えば残念だが、個人的には「敗れてなおよし!」と思っている。これは正直な気持ちだ。

何万人、いや何十万人の中から選ばれた各国を代表するアスリートが集うのだから、オリンピックで勝つのは傍から眺めるほど簡単ではないはず。また、その日の「運」によっても大きく左右される。それが「世の中」というものだ。

上村さんのニュースを聞いて、かつて「ニュージャーナリズムの旗手」と騒がれたノンフィクション作家、沢木耕太郎さんが著した名作を思い出した。『敗れざる者たち』という初期の作品集(文春文庫)だ。

取り上げられているのはカシアス内藤(ボクシング)、円谷幸吉(マラソン)、榎本喜八(プロ野球)などといった、類いまれなる才能に恵まれながらも「頂点」を極めることなく現役を退いていった人々の「魂の物語」が乾いた文体で描かれている。

何も上村さんのことを彼らになぞらえるつもりはないが、「敗れて勝つ!」という選択肢も、人生には往々にしてある。そんな戯言(たわごと)など勝負の世界では通じない、というシビアな見方も分からないではないが、一方で「勝てば官軍」式の考え方には俄かに同調できない。

はっきり言って筆者は、前回のトリノオリンピックで女子フィギュアスケート界の女王に輝いたAさんが苦手である。世界中のスケートファンを唸らせた「イナバウアー」の演技は確かに素晴らしかったが、さして美形でもないのにツンとすましたような顔立ち(クールビューティ)が何とも鼻につくのである。

その点、上村さんには「愛らしさ」が自然と備わっているように思える。快心の勝利を収めた時の弾けるような笑顔も素晴らしいけど、涙目で自らの不甲斐なさを悔いる表情も、これまた捨て難い。

やはり昔から言うように「女は愛嬌」である。もっとも、その前節の「男は度胸」という言葉は、もはや草食系男子がもてはやされるような昨今の風潮では死語に等しいが…。

まあ、そんなことより上村さんは今後どうするのだろう。新聞には「少しゆっくりしたい」とのコメントが掲載されていたようだが、あの明るさ満点のキャラクターを世間が放っておくはずがない。

このまま競技を続けるのもよし!家庭に入るのもよし!乾坤一擲の勝負で敗れたことで、かえって大きな「人生の金メダル」が胸に輝く日も近いだろう。


2010/02/13

お詫びして訂正します…人間なんてララーラ…♪

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何につけても「間違い」が付き物の我が人生…。またしても「過ち」を犯してしまった。捜せばキリがないので、自ら気づいた点のみに留めておくが、本欄における今週のミステイクは?

まずは10日付の記事の中から - 。鳥井&佐治両家の「華麗なる『家計図』」とあるのは「家系図」の誤りでした。パソコンの漢字変換に伴う〃単純ミス〃なのですが、誠にもってお恥ずかしい限り…。率直にお詫びして訂正致します。

さて、次なる間違いは、昨13日付の牟田隊長の訃報記事。「好男」としなければならないところを、「好夫」とやらかしてしまいました。本当に申し訳ございません。

昔、今川町で開業しておられた濱田正夫先生(「正男」ではなかったよな!?)が島原市医師会長を務められていた頃、ちょくちょくお邪魔しては、ご馳走になっていた。

先生は文章の「てにをは」(助詞)の使い方にうるさいお方であった。岳父(当社の社長)と古くからの知己で親しかったこともあり、筆者も記者の走り出しの頃から随分と可愛がっていただいた。

ある日の夕暮れ、先生から呼び出しがかかった。挨拶もそこそこに奥の座敷に通され、かしこまっている筆者に対して、先生は「ぶどう酒」(「ワイン」のことを先生はそう呼んでいた)を勧めて下さった。

「清水君、最近はだいぶ『てにをは』がまともになってきたぞ。社長の言うことを良く聞いて、慢心せずに頑張れよ!」との励ましをいただいて嬉しかったことを鮮明に憶えている。そして、次なる言葉も。

「人間はどんなに『優秀』と言われている者でも必ず間違うことがある。顕著な事例がここに書かれている」とおっしゃって取り出された医学の専門誌に、東京大学医学部付属病院の「誤診率」が記されていた。

少なくとも「東大」と言えば、我が国の最高学府。しかも「医学部」(理Ⅲ)とくれば、まるで別次元の明晰な頭脳を持った人々の集まりである。

今にして考える。あの時、先生は筆者に何を伝えようとされたのだろうか?「東大出の医者と言ってもそんなもの」「所詮、人間は愚かな存在に過ぎないのさ」- 。

「答え」を未だに見出せないまま、はや「50の峠」を越えてしまった。そして、この体たらく…。2回のコラムを書いて、明らかな間違いが2回。打率で言えば、10割だ。

時あたかも受験シーズンの真っ只中。特に多くの受験生が集まる有名私大の入試では、ちょっとしたケアレスミスが〃命取り〃となってしまう。

度重なる「誤記」でいささか気が滅入っているところに、筆者のDNAを色濃く受け継いだ三男坊が出がけに声を掛けてきた。「お父さん、今日は寒かけん『ハレンチコート』ば着ていかんね」。嗚呼…。


2010/02/12

牟田隊長亡くなる…「現場感覚」を大事にした人

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「矢継ぎ早…」と言っては何だが、このところ亡くなる方の数が殊更に多いような気がする。寒暖の差が激しいことも一因であろうが、「よもや?」という訃報に接した時、尚更に「世の無常」を感じざるを得ないのである。

雲仙・普賢岳の噴火災害の折に、島原警察署の災害警備隊長として活躍した牟田好夫さんもその一人。享年64歳。まだまだ早すぎるお迎えである。

牟田さんは島原市の出身で、類いまれなる行動力と危機察知能力で「古里警備」に東奔西走の日々を送った。土石流、火砕流が否応なく押し寄せる不穏な時局の中で、その動きは際立っていた。

勢いあまって、一部報道に「行き過ぎ」の弾劾記事を掲載される一幕もあったが、その時は地元住民が一丸となって、その身を守った。かく言う筆者もその一人で、生まれて初めて「論陣」なるものを張った。

嬉しいことに、同調してくれる社も多かった。今やすっかり「お茶の間の顔」として定着した江川紹子さんも理路整然たる筆致で、本紙宛に緊急レポートを寄せてくれた。

今にして思うに、牟田隊長は「現場感覚」をとても大切にする人だった。その当時で言えば、常に被災当事者の身になって「事の正否」を判断していたのではなかろうか。

「当事者」に近いと言えば、被災した人々に直接会って話を聞くことができる報道関係者も同じような存在である。筆者の知る限りでも、取材活動で牟田隊長のお世話になった記者連中は数多くいる。

今となっては、一時期世間を騒がせた「牟田隊長事件」も過ぎ去った遠い思い出となってしまったが、土石流荒れ狂う水無川の堰堤に立って「陣頭指揮」を執る「あの勇姿」だけは忘れられない。

牟田さんは、警察退職後の第二の人生は西部ガスで送っていた。幾度か長崎の勤務先に訪ねていったこともあるが、往年の精気が感じられないことを心配していた。

最後に言葉を交わしたのは電話でのこと。昨年10月に島原城で行われた「新・秋の七草粥」のイベントに、同社にも協力してもうおうと、その橋渡し役を頼んでいた。

もちろん「二つ返事」で担当者に紹介してくれたおかげで、同イベントは大盛況のうちに、無事幕を閉じることができた。

一方で、牟田さんは現役時代から、体調の維持管理に余念のない人であった。一緒に酒席を囲んでも決して深酒などせず、もちろん煙草も吸わない。また、そのスマートな体型を維持するためにスポーツ・ジムにも通っていたほどだ。

そんな牟田さんがなぜ…?島商の後輩でもあった西川清人さんが逝った時、「清人は早すぎた」と眉を曇らせていたが、牟田さんあなたも…。合掌。〔葬儀は12日、長崎市大橋町のメモリード会館で営まれた〕


2010/02/09

華麗なる閨閥(けいばつ)に驚く!…提携は破談になったが…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

休刊日を一日挟んだだけなのに、8日付の紙面は「ニュースてんこ盛り!」の様相である。何と言っても目を引くのは「キリン」と「サントリー」の経営統合の破局。テレビでは両社の主力商品のビールに引っかけて「泡と消えた…」などと洒落ている。

昨夜はこのニュースを繰り返し見た後で床に就いたのだが、なかなか寝付けない。そこで枕元の週刊誌(現代)に手を伸ばしたら、「カギを握るのは98歳のゴッドマザー」の小見出しに続いて、早々と「破談」を示唆する記事を掲載していた。

直接の原因が両社株の「配分比率」にあったことはすでに報じられている通りで、今さら素人が論じるまでもないのだが、野次馬の立場で面白かったのはサントリーの創業者でもある鳥井&佐治両家の「華麗なる家計図」。

初代社長、鳥井信治郎氏の次男が、親戚に養子にいった佐治敬三氏で、この方が二代目社長。その奥様は東大総長のお嬢様。今の四代目社長、佐治信忠氏はその長男。

ちなみに、同誌で「ゴッドマザー」と呼ばれている老婦人(鳥井春子さん)は阪急グループの創始者、小林一三翁の次女で、早世した敬三社長の兄(長男)に嫁いでいる。このほか、同社名誉会長の鳥井道夫氏のご夫人は日本生命社長の次女などといった具合。

一方のキリンは、良く知られているように、旧財閥系の三菱グループに属する一部上場企業(サントリーは非上場)。この文化の違いが「破談原因の一端」とする指摘もあるが、「真相」はもっとオドロオドロしいはずだ。

まあ、結果としては露(泡?)と消えた提携話であったが、両社には本業部門は言うに及ばず、これからも「文化」を牽引するリーディング・カンパニーとしてさらに覇を競い合ってほしい、と願う。

何と言ってもキリンは我が国サッカー界の一大スポンサー。テレビでその冠大会を観戦しながら、ついついそのCMソングを口ずさんでしまうほどだ。

対するサントリーは社会人ラグビーの名門チームを擁しており、母校早稲田ラグビーの復活を成し遂げた清宮克幸監督の勇姿は今も記憶に新しい。また、日々行われている美術館や音楽ホールなどのメセナ活動に説明は要すまい。

さて、「キリン」「サントリー」と来たら忘れてならないのが「アサヒ」ということになるのだが、たまたま8日付の紙面を眺めていたら、同社の社長交代の記事が写真入りで小さく掲載されていた。

れを見て驚いた。なんと新社長は、何年か前大分の上津江村で一緒に飲んだことのある泉谷直木さんではないか!確かその当時から取締役ではあったが、社長とは凄い!!

さーて、今日の晩酌はどこのビールでいく?〔追伸=10日のターニングポイントは出張のため休みます〕


2010/02/05

公方俊良師の講演(5)…混迷を打破するリーダーの着眼点

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

本連載もいよいよ今日が最終回。「U先輩」には誠に絶妙のタイミングで時宜にかなったご寄稿をいただいた。さて、一昨年9月の「米プライムローン騒ぎ」をきっかけに、「世界同時不況」という言葉が飛び交っているようだが、まさに「言葉は言霊(ことだま)である」から、あまり不景気!不景気!と騒ぎ立てるのも、いかがなものか?

おっと!これは前自民党政権の麻生総理の口癖だったか…。何日か前の全国紙に同政権を支えた河村建夫前官房長官の談話が紹介されていて面白かった。同総理はベランメー口調でまくし立てる一方で、実に気配りの人であった、と。退任後にお世話になった方々に筆書きの礼状を出されたそうだが、女房役の官房長官へ届いた宛名は「健夫」様となっていた、とか!?

これなどは小さなことには拘らない、同総理の磊落な気質を表しているエピソードの一つだが、弊社の取引先でもある在京の某ベンチャー企業の社長がしみじみと語っていた。会員制スポーツジムでの話。裸の麻生さんは「謙虚な人柄」で少しも偉ぶったところなどない、と。その点、横着で頭にくるのが「○○○○○」(某有名政治家)だ、ということだ。

まあ、とかく人物と言うのは「見かけ」や「噂」にはよらないもの。公方師の教えをもとに「真贋を見極める眼」をしっかりと養ってまいりましょう。では、最終のまとめに入ります。

(5)

昨年のNHK大河ドラマ『天地人』の直江兼続。謙信の「義」の精神を受け継ぎ、上杉家を成功に導く。関ヶ原後は米沢へ移封され、収入も4分の1に減って困窮する。が、兼続は6千人いた家臣を一切リストラせず、重臣たちは自らの収入を削って家臣たちに配分した。まさに「ワークシェアリング」である。苦境の今こそ、雇用を守ることが「企業の義」ではなかろうか。

明治維新の時、廃藩置県が行われ、多くの武士がリストラされた。路頭に迷った彼らを見かねた幕臣渋沢栄一翁は5百余の会社や銀行を設立して救済した。彼らが実業界で活躍したおかげで「論語と算盤」(倫理と利益)を追求するという今日の日本型経営の礎が築かれた。変革期の今こそベンチャー企業を立ち上げ、日本の国力を高めていただきたいと切に思う。(了)

※    ※

順序が後先となってしまったが、「M先輩」による「前書き」の章を紹介することで、本稿を結ぶことにする-。テーマの副題は「禅の公案に学ぶ」というものでした。5人の名僧の「公案則」から混迷期を打破するリーダーの着眼点を模索されている公方師の名講演です。経歴は「中央仏教学院卒→天台宗門跡寺院で得度→現職兼・国際仏教伝道学院長、毎日文化センター宗教講座講師」など。経営知識も豊かで、かつ随所に散りばめられていて説得力があります。


公方俊良師の講演(4)…混迷を打破するリーダーの着眼点

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「禅問答」とは何やら分かりづらいことの例えのようだが、このレポートを読み進めているうちにハタと膝を叩く機会も多い。ひょっとして、世の仕組みや人の心なんてものは、単純至極なものなのかも知れない。とにもかくにも、前向きに生き抜くことだ!

(4)

公案第4則。中国唐代の禅僧、い山霊祐が百丈和尚の室に入ると、和尚が火鉢をかき混ぜている。「どうなされました」と、い山。「寒くてかなわんから火種を探しているのだ」。「では私が探しましょう」と火箸を受け取り、火鉢の中をかき混ぜるが、ない。「和尚様、火種はありませんよ」。すると、い山の胸倉を掴んで和尚は言った。「これが火種ではないのか!」。

い山は悟る。「火種とは、すべての人に備わっている仏性のことなのだ」と。お釈迦様も説かれている。「人間には誰もが生まれながらに、この世で一つだけしかない宝物である仏性を頂いて生きている」と。その宝物を発見し、生きていくところに人生の充実があるのだ。企業の場合も、内に秘めた「宝」を開発していくのが、商品開発であり、事業開発なのである。

好況の時はスピードが求められた。不況になれば急ぐ必要はない。時間より大切なものがある。それはおカネだ。今はカネをかけずに、じっくりと新商品、新事業を研究して育てていく時である。松下幸之助氏は言う。「不況もまた良し」と。さらに「景気がいい時は懸命に働き、不景気の時は製品開発や経営革新を行えば、それが次の発展につながる」と。

公案第5則。中国唐代の名僧と弟子の問答「門の外で音がするのは何の音か?」「雨だれの音です」「修行は自己を見失って外にものばかり追っている」「そういう和尚様はどうなのです?」「わしは見失わぬ」。さて、どこが違うのか?和尚の場合、雨だれと自己が一体の境地になっている。つまり、対象に心を奪われない「人境一如にあり」ということ。

企業で大事なのはCS(顧客満足)、ES(従業員満足)、SS(社会満足)の追求にあると言われる。不況になるとつい疎かにされるのが、ESではないか。好況の時は「企業は人なり、人こそ宝」で社員は金の卵を産む鶏だ。が、いったん不況になると、社員がカネ食い虫に見える。経費削減というと、一番大きい固定費が人件費だから、人員削減に走りがちとなる。

これでは一体経営はできない。リストラは世代間や技術伝承の断絶を招く。切られる方には恨みが残り、残った者も「次は俺か」となり、生産性アップどころでなくなる。どうせ辛い思いをするのなら、別会社でベンチャー企業を立ち上げて、そこに人を吸収して、頑張らせてみる。そうすれば全員が前向きになり、思わぬ良い展開になることもあり得る。  -つづく-


2010/02/04

公方俊良師の講演(3)…混迷を打破するリーダーの着眼点

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

県知事選挙が4日、告示された。候補者は駆け込み組を入れて7人。激戦である。12年前の同選の投開票日にはたまたま仙台に出張していて、かの地で金子候補の当選を知った。おぼろげながら、その日は「ネコの日」(2月22日)ではなかったか、と記憶している。

日本の現行制度では「政教分離」は大原則である。一方で、「政」と「経」の関係となると、そうそう簡単に切り離すことには無理がある。言わば、「不即不離」の間柄だ。現時点でどなたが当選なさるのか知る由もないが、どうか、この不景気風を一掃してくれるような「政治手腕」の持ち主であってほしい。

(3)

3.は市場的対応だ。これは「マネー・フォー・バリュー」(割安感)を出すことが最大のポイントとなる。ユニクロがその例。見事に若者のニーズを掴んでいる。今、若者の3分の1が非正規雇用。賃金は低いし、将来は不安…。ブランド物なんか追っかけていられないから(ユニクロの経営は)堅実なのだ。安物を格好よく着こなす「チープ・シック」が、今や若者の主流になっている。

4.は異質分野の取り込みである。本業だけでは難しい時代。異質分野を取り込んで、それをいかにコラボレーションするか、それによって他社の追随を許さない独自の面白さを出すことが可能になる。その好例が任天堂だ。同社の秘訣は何か?ゲーム機はもともと自分一人で楽しむものだったが、同社の場合、友達や家族とともに楽しむものにしてしまった!

即ち、ゲーム機にスポーツなどの健康分野、漢字、英語の検定を取り入れ、多くの異質分野の取り込みを図った。友達や家族全員で楽しめる―こういう「楽しさ」を打ち出して、「独り勝ち」している。以上のような手法を展開すると、不況期」を乗り越えられるかも知れない。但し、また好況期が戻れば、手法をさっと「集中と選択」に切り替えることである。

公案第3則は済法寺の物外和尚の話。安芸・三原(浅野)候が新しく描かせた掛け軸の絵を見て烈火のごとく怒る。一羽の雁が描かれていたからだ。「雁は群れをなして飛ぶもの。一羽の雁とは謀反の兆しである!」。絵師も家臣も困り果てる。そこへ来た和尚が、「よし、わしが賛を書いてやろう」と筆を執りさらさら。「初雁や また後からも 後からも」と。

「なるほど初雁とは、誠にめでたい」と三原候。絵は床の間に飾られたという。経営でも同じ。店の客は一人だけ、不景気だ、大変だと嘆くのではなく「一人のお客が来て下さった要因はなんだろうか?」と分析してみること。また、「この不景気の中、一人でも来て下さってありがたい」と喜ぶことである。このように対応していけば、お客様は感激する。 -つづく-


2010/02/03

公方俊良師の講演(2)…混迷を打破するリーダーの着眼点

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

申し遅れたが、「U先輩」は島原高校出身。現在は「公認会計士」として福岡を拠点に活躍中だ。その「プロ」もうなった禅師の教え。筆者は単なる「橋渡し役」に過ぎないが、読者の皆様(特に経営者の方々)には、この未曾有の不況期を乗り切るための「道標」として、その意図するところを存分に読み解いていただくことを願う。

なお、講師の公方さんには『般若心経~人生を強く生きる101のヒント~』(三笠書房)など多くのの著書があり、現代仏教界の第一人者としてNHKラジオ『宗教の時間』に出演しているほか、全国各地の「文化講演会」などで絶大な人気を博している。

(2)

公案第2則。京都妙心寺の関山慧玄和尚は、隣室の弟子たちに声をかける「おい、雨漏りしてきたぞ」。最初に駆け付けた弟子は手にザルを持っている。和尚は「おぉ、でかした」と褒める。

次に来た弟子は桶をもってきた。和尚は「この間抜けが!」と叱った。どうしてか?ザルでも桶でもいい、咄嗟に早い動きをすることが禅では大切なのだ。

今、経営が好況から不況に大きく変化している。しかし、皆さんの経営手法だが、好況時のまま、ということはないだろうか?

もしそうであれば、うまくいくはずがない。状況によって柔軟な発想の転換が求められるのである。好況時の経営は「選択と集中」でよかった。これは競争力をつけ、効率化を図って成長するものだからである。が、不況期は違う。

不況期に「選択と集中」を行うと、市場は狭まりジリ貧になっていく。不況期の手法を考えたい。それは「多軸経営」である。軸足を多くし、1つの事業(足)がダメになっても、他の足が企業を支える。リスク分散である。

多軸経営には4つのポイントがある。1.本業中心で、かつ間口を広げて多軸化を進めること。不況期は売上を維持することが大事だからだ。

一例は、大阪の「東海バネ工業」。バネメーカーのほとんどが選択と集中を進め、間口を狭くして量産戦略をとってきた。

だが、同社は間口を広くして、どんなバネにも対応できるようにした。たとえ単品であっても応じられるところがすごい。多くの企業が不況下に喘いでいる中、同社は堅調な経営を続けている。これが本業中心、かつ多軸化の好例だ。

2.は技術的な対応をすること。新たな技術を生み出すことは容易なことではない。そこで既存の技術を応用していくというアプリケーション、現存の技術を組み合わせるというアセンブリ、こうした方法を活用していくことだ。

「樹研工業」(愛知県豊橋市・松浦元男社長)などがその好例。世界で最微小の歯車を作っており、ライバルには真似ができない。この不況下でも新規設備投資をしている。-つづく-


2010/02/02

先輩にお叱り受ける…でも、運よく「助け舟」が

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「最近のお前のコラムはつまらん。まるで個人の『ブログ』じゃないか。『社会性』がない」。先般、某所で開かれた宴席で、親愛なるM先輩から手厳しいお叱りの言葉を頂戴した。

「ならば!」と思ってパソコンに向かう。が、しかし、ショックのあまり先に進めない。ちょうどその時、図ったかのように、福岡在住のU先輩から「助け舟」が差し向けられた。立ち直るまでにはまだ当分時間がかかりそうなので、ちゃっかり「その舟」に乗せてもらうことにする。

以下は先に開催された蒼竜寺住職(第41代貫主)、公方俊良(くぼう・しゅんりょう)師の講演要旨。演題は「混迷を打破するリーダーの着眼点」。

(1)

禅で言う公案とは、いわゆる禅問答で言えば「なぞなぞ」。その公案則から、混迷期の経営リーダーが持つべき着眼点を引き出したい。

まず公案則1。臨済宗中興の祖である白隠慧鶴和尚の「隻手の音声(おんじょう)」…「両手相打てば音声あり。隻手に何の音声やある?」。白隠和尚は弟子に言う「両手を打てば音がする。では片手の音はどんな音か聞いて来い」。

それに対して弟子が考えて答えるのだが、この答えを生み出すには、普通の人で3年かかる。「人生をどう生きるか」それを究明していくのがこの公案だからである。

即ち、片手とは自己を指し、両手を打つとは自己と対象が一体になること、つまり全体を指す。全体の自己を見つめ、自己が全体にどう関わるかを知るのがこの公案の答えとなるのである。

今、世界は同時不況の渦中にある。企業は売上が上がらないし、利益も出ない、全く打つ手がない。多くの企業も右往左往し、不安に駆られている。

それは企業という個に捉われ過ぎて、社会全体を見ていないからではないか?経営を行うには、社会(≒自社のマーケット)の全体を眺め、自社はどうするかという、個を究めていくことが肝心なのだ。

私が開発した現状要因を示す数式は、「6K×3S=Y」というもの。6つのKとは、1.海外経済の減速 2.為替(円高) 3.株安 4.雇用不安 5.貸し渋り 6.価格下落など。

3Sとは、1.設備投資意欲の低下 2.消費低迷 3.信用(収縮)など。そしてYとは「揺らぎとカオス(混沌)」という意味である。これらが改善されれば、景気は回復すると考えている。

3Sの中で、自社で出来るものが1つだけある。それは3.信用の構築。顧客の信頼を裏切らず、顧客との絆を深め、ファンを構築していけば、やがて景気が好転して来た時に、自社の発展が期待できるのである。

これが経済全体における個を捉え、自社という個を見据え、そして全体に働きかけていくという、「隻手の音声」を極めることになるのである。-つづく-