2010/01/28

GPS携帯はちょっと…遺失物との感動の出合い!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

モノを落とすことにかけては人後に落ちない。自信がある。つい先日も携帯電話を失くして、周囲の方々に少なからぬご迷惑をかけてしまった。

新年会の会場で帰りのタクシーを呼んだのだから、その先なのは絶対間違いない!もちろんその中には、社内も自宅も含まれる。

翌朝、釈然としない思いを抱きつつ、古手の社員ともども長崎市内の民放局へ。なければなくて済むものかも知れないが、何となく手持ち無沙汰だ。

たまりかねて社員の携帯を拝借。自宅や会社など所かまわず確認の電話を入れるが、いずれも「見つかりません」の一言。何だかこの世で一人だけ〃置いてけぼり〃をくっているような寂寥感さえ湧いてくるから不思議だ。

案の定と言うべきか、昼食を摂っている最中に自宅から電話があった。「コンビニ(途中で立ち寄った)で見つかったそうです!」。間に立った社員の報告で「一件落着」を知った。

これは「引かれ者の小歌」の類いかも知れないが、筆者のように頻繁にモノを失くす人間は、ある意味「幸せ者」である!?ただし、「見つかりさえすれば」という条件の下で。

多分これは「遺失」の経験がある者でなければ分からない感覚だろう。出てこなくても当然な物が出てくる。どういうわけか「トクした気分」になるのだ。

もとよりバカバカしい話であることは十分に承知しているが、落胆したり、忘れかけたりしているところにもたらされる吉報!当事者にとっては「無上の喜び」と化す。

しかし、だからと言って無闇矢鱈にそうした騒ぎを起こすべきではない。重ねて言うが、そのあたりの「さじ加減」は十分にわきまえているつもりだ。

ただ当方とて、その「喜び」に浸ろうとする余りにモノを失くしているわけではない。これはあくまでも「偶然の所産」であって、見つかること自体が「相当な僥倖」なのである。

ならば、どうするか?遺失物(携帯)が見つかる確率を高めるための「具体策」を見つけ出さなければ!そんな思いでITに詳しい社員に、「あるアイデア」を自信を持ってぶつけた。

〈電話番号の末尾にある記号を押すと『ここにいるよ!』とか『助けて!』とかいった緊急音声を発するような機能を付ければ、重宝がる人も多いのではなかろうか?〉

結果から言うと、一笑にふされてしまった。〈そんな機能なんかもうとっくにあります。GPSを使えば、通話者やケータイが今どこに居るのか即座に判明しますよ!〉

その時の心境を述べれば「へーそっ。チェ!」といったところだが、むしろそのGPSという装置そのものに末恐ろしさを感じた。やっぱ今の電話をなるべく失くさないように、大切に使おう、と!


2010/01/27

有為転変の政治の世界…「権不十年」の思想永遠に

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

日経新聞の名物コーナー『私の履歴書』に、元総理の細川護煕(もりひろ)さんが健筆をふるっておられる。朝日新聞社の出身だけに、語り口は洗練されており、不遜ながら、読み応え十分だ。

我々島原半島住民にとって、細川さんは「総理」というより、むしろその前の「熊本県知事」。いや、「肥後のお殿様の子孫」というイメージが強いのでは?

国政へのデビューは鮮烈だった。今はなき「日本新党」を立ち上げ、あれよ!あれよ!という間に日本国のトップにまで駆け上っていかれた。

一度だけそのお姿を拝見したのは、平成4年12月に行われた島原市長選の折。鐘ヶ江管一さんの突然の引退表明を受け執行された、あの「吉岡VS本多」の激烈な戦いの最中のことであった。

細川さんは日本新党の党首として旧知の本多候補の応援に駆け付け、大手広場でマイクを握った。その際、同行していたのが小池百合子さん(後に自民党)だったことを思えば、政治の世界の有為転変ぶりを感じないわけにはいかない。

本題に戻る。ここ数日間の細川さんの話題は、ご自身が中心となって立ち上げられた「連立政権」当時の裏話に及んでいる。

その中には、武村正義さん(さきがけ党首)のように懐かしい顔ぶれも含まれているが、今をときめく鳩山由紀夫総理や小沢一郎幹事長の名前も登場してくる。

24日付の紙面が面白かった。「連立政権の群像」「誠実・したたか…個性的面々」などの見出しが付いたその回の最終の部分にはこう書かれている。少し長くなるが、その要旨を引用させていただく。

〈官房副長官の鳩山由紀夫氏は武村氏のような政治的行動はなく、見かけ通りの人柄で、私も内輪のような気安さと安心感をもって接していた。真摯に職務に精励していたが、時々、教育的指導で小沢氏にしかられていたようだ〉

このあと細川さんは、〈いまもあまり変わりがないようだが…)などと、やや意味深な響きでもってその章を結んでおられる。

その翌日版には「民主党旗揚げ」について触れられており、ご自身の後に総理となられた羽田孜さんや菅直人さん(現副総理兼財務相)らと並んで握手する写真が掲載されている。

この頃の羽田さんは今のスタンドカラーなんかではない。背広をきっちっと着こなし、見るからに若々しい。

ところが今は…。時おり、国会中継などでお見かけする姿には痛々しささえ漂う。すぐ脇の小沢幹事長のふてぶてしい面構えとはまさに「対極」である。

誰がトップに立とうとも「政権」をめぐる戦いはこれからも続くだろう。ただ同時に、細川さんが唱えた「権不十年」の思想も決して色褪せることはない。そんな気がする。


2010/01/26

贅沢は(素)敵だ!?…「一石二鳥」は甘い考え

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

もう長いこと食べていないが、アーモンドグリコの宣伝コピーは「一粒で二度おいしい」だった。恐らくその考え方のヒントになったのは「一石二鳥」という諺だったのだろう。まあ、世の中にはそうした「事態」もたまには起きるものであろう。

昨日は戦時中に巷間流布した、戦意高揚のための有名な「プロパガンダ」を取り上げさせていただいたのだが、ネット上でその出典を調べているうちに、思わず吹き出してしまうほどの、秀逸な「パロディ版」に出くわした。

まずは「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」について。普通は戦時下での国民に対して、耐乏生活の必要性を呼びかけたもの、と捉えてしかるべきである。ところが、そのパロディ史は違う切り口で「乾いた笑い」を誘い出しているのだ。

それはたったの一箇所!「工夫」から「工」を取り除くだけで、まったく違った意味合いになる、というもの。すなわち「夫」が足らぬ、と。もっとも、これは女性工員が多かった紡績工場内にあった「落書」が出所なのだそうだ。

続いて、昨日は紹介できなかったが、同じ頃に、ほぼ同じ意味合いの「贅沢は敵だ」という標語もあったそうだ。

ここでお断りしておくが、敢えて「伝聞形」を続けているのは、筆者はれっきとした戦後生まれなので、実際に見たり、聞いたりしたわけではない。ご理解のほどを!

本題に戻る。「敵」に漢字一文字を足すだけで真逆の意味になるのだ、と。単純に考えれば、「非」や「不」などの否定後を入れてしまいがちだが、それでは面白くない。

そこで同作家が入れているのが「素」の文字。すると、「贅沢は素敵だ」という、何ともひねたスローガンに早変わりしてしまうから、あら不・思・議!

最後に「欲しがりません勝つまでは」について。これは戦後『暮しの手帳』を創刊した花森安治が、大政翼賛会系の団体に籍を置いていた頃の作品だ、と誤解する声も多かったようだが、「事実」はそうではなかった、ということだ。

しかし、ここまで書いてきてつくづく思う。世の中には「一石二鳥」などといった都合のよい事態などまずあり得ない!否、あったとしても、それを期待してはいけない。

今日の本欄の筆者など、まさにそう。昨日のヒマネタをもとに、柳の下の二匹目のドジョウを狙おうとした目論見は、ご覧の通り見事に外れてしまった。

人間、やはり額に汗して、しっかり努力をしないといけない。そうした意味では、今日はとても良い勉強をさせていただいた。

謝りついでに、明日夜に予定していた『ターニングポイント』は大事な会合とダブってしまい、中止となった。重ね重ね申し訳ございません。


2010/01/25

足らぬ足らぬは…悪条件も工夫次第で!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」 - 。日本古来の「七五調」の心地よい響きに誘われて昨日、ことし初めてのゴルフに出かけた。いわゆる「初打ち」と呼ばれているやつだ。

「結果」の話はさておくとして、世の中には何とも「遊び上手な輩」がいるもんだ。というのは、ふつうゴルフのクラブ数はパターも含めて「14本まで」とされているのだが、昨日は「4本」が参加のための必須条件だったのだ。

最初は嫌な予感がしていたのだが、いざグリーン上に立ってみると、それほど違和感はない。むしろ「ドライバー、いやここはアイアンで…」などといった迷いから解放されて、すっきりした気分でプレーできるではないか!

スコアだって、スタート直後の時点では「ひょっとして今日は…」と、淡い期待を抱かせるほどの順調な滑り出しであった。ところが、やはり決定的に「実力」が備わっていない腕前には、決して「好結果」はついてこないのである。

ほぼ一月ぶりでもあったし、何より昨日は天気も良かったので、プレーそのものが楽しかった。山も海も景色は最高だった。

そんな中、つい口を滑らせてしまったのが冒頭の言葉。クラブの数が少ないくらい、実は何の問題もない。むしろ、これからは贅肉をそぎ落とすくらいの覚悟で少なめにして回ろう。心底、そう思っていた。

ただ、現実はそんなに甘くはなかった。中盤あたりに差しかかった頃から、徐々に「本来の自分」を取り戻しつつあった。それでも自らの僥倖(ぎょうこう)を固く信じて、プレーを続行した。決して悪すぎることもなかった。

そんな折も折、ふだんから仲の良い「百打ち仲間」の一人が自虐的によく使っている、あるフレーズを思い出してしまった - 。「足らんたぁバーカ」ってやつだ。

筆者が申すまでもなく、ゴルフはとてもメンタルなスポーツである。難しいパッティングでも「入れよう!」という気持ちが強ければ強いほど入る可能性は高まるが、いざ不安が先に立つと失敗に終わる場合が多いのだ。

昨日の筆者がまさにそれ。少ない道具に拘らず、何とか工夫を凝らして乗り切っていたところに、「足らんたぁ…」の一言を思い出すことで、急速に自分を見失ってしまったのだ。

誰を恨んでも仕方のないこと。ただ、ただ、己の「心の弱さ」を痛感するのみ。しかし、いつまで嘆いていても仕方がない。ここはさっと気分を入れ替えなければ!

新聞やネットの通販欄を見れば、高級クラブが安く手に入るぞ。今のセットも随分と古くなっているので、そろそろ買い換えの時期かな…。

いやいや、そういうのが一番良くない。ここは一つ我慢。「欲しがりません 勝つまでは」という言葉もあったではないか!?


2010/01/23

恐るべき中国パワー!!…日本人もたどった道だが…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今年に入って早くも4回目の土曜日を迎えた。先日、手帳をめくって「祝祭日」をマーカーで塗りつぶしながら改めて気付いたことだが、ナント「休みの日」の多いことか…。

最近は官公庁に限らずほとんどの企業でも「週休二日制」が定着しており、これに「有給休暇」等が加われば、働く日数は本当に限られてくる。

一昔前、欧米諸国などから「日本人は働き過ぎ!」との批判を受け、「ニッポンを休もう!」などという、何とも奇怪なキャンペーンが流行っていたことを思い出す。

ただ、そうこうしているうちに、経済力を付けた中国がメキメキと頭角を現し、今やGNP部門で後塵を拝する展開となっているのは、周知の事実だ。

確かに「ゆとり」を持った生活を送ることは、人間にとって大切なこと。そのこと自体を否定するつもりはないが、働かないで豊かになることなど、到底あり得ない話だ。

ところが、どうも最近の日本人の思考は「余暇」の方向ばかりに目がいって、肝心要の「仕事」には向いていないのでは、と思ってしまうほど。この傾向は若者ほど多く見られるようで、まず何より先に「休日は?」と質問する輩もいる。

このところ海外旅行に出かける機会もめっきり減ってしまったが、ヨーロッパでは当時、夏場に長期の「バカンス休暇」を取ることは、極めて普通の生活習慣であった。

結果、パリの街角などを団体で歩く「日本人ツアー客」を取り巻いているのは、「売らんかな!」の商魂をひた隠しにしたユダヤ資本の土産物屋とジプシー一家ばかり、という何とも珍妙な光景が繰り広げられていたものだ。

そのヨーロッパでも、今や日本人以上に買い物をしているのは中国人だそうな。まさに恐るべし「チャイナ・パワー」である。

中国の人口約13億人。沿海部と内陸部の経済格差の問題はあるにせよ、そのうちの1割がそこそこ裕福な生活を送れるようになっているとすれば、単純に計算すると、日本の全国民が「金持ち」になったようなもの。

その証拠となるかどうか知らないが、今や東京のB級ホテルは中国人だらけである。連中はかつての日本人がそうであったように、徒党を組んで歩く。

いつだったか新宿の裏通りで見かけた「雨中の行進」の可笑しさを忘れることができない。20人くらいの団体客がカサ代わりに、シャワーキャップをかぶって歩いていたのだ。

日本人が「イエローモンキー」と揶揄された時代もあったが、それは裏を返せば「恐るべき経済発展力」への恨み節でもあったはずだ。

すっかり「赤丸」(休日)だらけになった予定表を見ながら、日本という国の「来し方」「行く末」を想う。


2010/01/22

『発見力』を磨こう!!…見えないものを見る努力

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

コンビニの雑誌コーナーで時々〃衝動買い〃することがある。本音を言えば、グラビア満載の週刊誌を読みたいのだが、ぐっと我慢して、なるべくビジネス本に手を伸ばすことにしている。

ところが、意外とこれが面白かったりするから、世の中面白い。先日もそうだった。何やら長崎出身の元民放アナに似た名前を持つ経営コンサルタントの本を買い求めたのだが、予想以上に読み応えがあった。

本のタイトルは「ビジネスマンのための『発見力』養成講座」。(ディスカヴァー携書)。1,050円。「こうすれば、見えないものが見えてくる」というサブタイトルがふられている。

実はこの『発見力』という言葉には、以前から一方ならぬ〃思い入れ〃を持っている。もっと平たく言えば、毎日の朝礼や会議などで社員相手に話している要点は、まさにそこに尽きるからである。

人間は見ようと思わない限り、物事の本質や問題点などを見抜くことはできない!著者は「見えてるつもりで、見えていない」のが普通の人間である、と説く。その上で、「見えている人(だけ?)が成功する」と結論づけている。

序文の中で引き合いに出されている「セブン‐イレブン」の話が面白かったので、紹介しておく。我々はふだん何気なくコンビニ店に出入りしているが、「セブン‐イレブン」のロゴ表記が「7‐ELEVEn」だと知っている人は少ないのではないか?

そう、どういう訳なのか知らないが、最後のスペルは大文字の「N」ではなく、小文字の「n」なのだそうだ。著者はさらに突っ込む。「では、ローソンの看板は?」。

ここまでくると、もうすっかり〃お手上げ〃となってしまうが、正解は「水色の背景に、大文字でLAWSON。そして真ん中に牧場のミルク缶のような絵が描かれており、極めつけは、その下にある『STATION』の表記なのだ、という次第。

まあ、特段そうしたことを知っていたからと言って、人生で「得」をしたり、「損」をしたりすることもなかろうが、我々人間の観察力は、しょせんその程度なのである。

関連してロゴの話をすれば、朝日新聞の「題字」がこれまた面白い。すでにご存じ方も多いだろうが、まず「朝」の字の偏の部分に注目していただきたい。

通常なら「日」の上、下は「十」のようになるはずのところが、実際は突き抜けずに「亠」と「丁」のような表記になっている。また、「新」の字についても「立」の下の「木」は「未」のように見える。

もっと詳しくお知りになりたい方は、どうぞ同社広報室のHPをお開き下さい。背景の説明もなかなか面白いですよ!

なお、冒頭で紹介した本は「ファミリーマート」で買い求めました。


2010/01/21

新橋・有薫酒蔵(ゆうくんさかぐら)に思う…高校よせがきノートの店

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

サラリーマン諸氏のオアシス、東京・新橋の駅前に、その居酒屋はあった。某都銀の支店が入っている、雑居ビルの地下1階。どこにでもあるような、何の変哲もない構えだ。

ところが、この店が今、静かなブームを巻き起こしつつある。店の名前は「有薫酒蔵」と言い、九州各県の郷土料理の数々を楽しむことが出来る。

誤解を恐れずに言えば、その程度の店は、花の「お江戸」には掃いて捨てるくらいある。では一体なぜ、この店が注目を集めているのか? - というのが今日のお題。

ズバリ!同店最大の売りは「高校よせがきノート」。全国にどれほどの高校があるのか知らないが、現在までに集まったノートの数は1200余冊。それぞれに背表紙を付けハードカバーで製本してあり、さながらその光景は図書館のよう。

筆者は先週末上京した折に、古くからの友人を伴ってその店を訪問した。まだ早い時間帯であったが、店内はネクタイの結び目をだらしなく緩めた赤ら顔のオジさんらで賑っていた。

お品書きを見ると、確かに九州の郷土料理がずらりと並んでいる。手始めに「からし大根」を注文。ついで「さつま揚げ」を頼んだが、これがすこぶる甘くて、早々に箸を置いた。もとより「目的」は他にあったから、料理の嗜好(しこう)などはどうでもよかったのだ。

友人は小倉高校(福岡)の出身で、やにわに分厚いノートを借り出してきた。「おっ、あいつも来てるっちゃ!」などと奇声を上げながら、焼酎のお湯割をチビチビ。

筆者も島高&口加分の2冊を借り受け、目を通してみたら、知っている方が何人か、それぞれの思いを書き連ねておられる。それにしても、小倉と比べると随分と薄い…。

「お前、知っとーや、NHKの福地会長は小倉ばい。特段、その友人(一橋出)はふだんから学歴を自慢するタイプではないので、すんなりと聞いて、次のように答えた。

「そらっ知らんやった。ばってんか、福地さんは長大経済ばい。小倉OBには、白川日銀総裁もおらすとん。こん不景気ば、早よどかんかしてくれらっさんやろかい!?」 - 。

そうこうしているうちに、同店の女将さんが現れた。これはチャンス!と思った筆者は、さっそく名刺交歓に臨んだ。よく見ると、年増ではあるが、なかなかの美形!聞けば、ご主人が久留米(福岡)の生まれで、ご本人は岩国(山口)出身だという。

ほろ酔い加減で切り上げて店を出ようとしていたら、フジテレビの取材クルーと鉢合わせた。「あらっ、こちらの方もテレビのお仕事ですのよ!」と紹介してもらったが、若干恥ずかしかった。

しかし、同時に、一つの「アイデア」が閃いた。これは大きなビジネスチャンスである!


2010/01/20

災害から学ぶこと!!…コミュニテイFMの役割

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いささか書く時機を逸してしまったが、「阪神淡路大震災」から早くも15年の歳月が流れた。折も折、南米ハイチでは史上最大規模の大地震が発生し、その被害の全容は関係機関でも掴みきれないでいる。

普賢岳噴火災害を経験した、我々島原半島住民にとって、時と場所を変えては突発する自然災害の数々は決して「他人事」ではあってはならないはず!が、何とはなしに「対岸の火事」のように感じてしまうのは悲しい「人間の性(さが)」であろうか…?

以前よく交わされた会話の中に、「もし島原と神戸の順序が逆だったら」というのがあった。帰結は「もしそうだったら、国などによる救済のありようも大きく異なったはず。逆でなくて良かった」と続く。

歴史に「イフ」という設定はないのだから、双方の地とも「ありのまま」を受け入れなければならないのだが、少なくとも人間は学ばなければならない。

「阪神淡路大震災から15年」を特集した番組の中で、日本総研会長の寺島実郎さんがこんなことを言っていた。「阪神淡路と後から起きた中越などとの顕著な違いは、『携帯電話』と『コンビニ』である」と。

理路整然としたその語り口を耳にした後で「なるほど、そうか!」と合点もいったが、不遜にも「一つだけ言い忘れられている」とも感じた。それはコミュニティ・エフエム・ラジオ(CFM)の存在だ。

筆者も15年前、四国、淡路島を経由して、混乱の極にあった神戸の被災地を取材した経験がある。目的は現地のCATV局がどんな役割を果たしているか、を知ることにあった。

そこで分かったのは「身近な情報発信源」としてCATVが被災住民の間で重宝がられていたこと。それと併せて、自然発生的に立ち上がった臨時のミニFM局の活躍ぶりだった。

それから10年近くが過ぎ、今度は新潟県の中越地方で地震災害が発生した。筆者も仕事の関係で現地のCFM局(長岡、十日町)を幾度となく訪れているが、「災害時に一番役立つメディアは?」というアンケートでは、CFMが圧倒的な支持を得ている。これは紛れもない事実だ!

幸い、島原市では前・吉岡、現・横田両市長の強力な施政方針のもと、CFMの機能を活用した「安心&安全の街づくり」が進展しており、放送が聞き取りにくい一部地域の「不感地帯」の問題も間もなく解消される。

いつ、どこで起こるかわからない自然災害。発生の順序は神のみぞ知る「聖域」であるが、少なくとも備えておく必要はある。

歴史的な長期大規模災害から多くのことを学んだ以上、その対応(ノウハウ)を他所にも伝えていくのは当然の義務、と考える。

今日(20日)の「ターニングポイント」のゲストには、井上義明消防長をお迎えする。


2010/01/18

田中先生はなぜ無言…日本政治は遺恨の戦い!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

先週末は野暮用のため上京していたので、お休みとさせていただいていた。まったく「責任感」が欠落しているというか…。申し訳ございません。

その間に、世の中は大変なことになっているようで…。ほかでもない、小沢一郎民主党幹事長周辺の「政治資金規正法」違反云々をめぐっての大騒ぎである。

昨日の日曜日もそうだった。新聞を開いても、テレビをつけても、大方のトップニュースはやはりこの話題ばかり。

こうまで続けば、いささか辟易(へきえき)といった感じがしないでもないが、時期が時期だけに、いやでも見逃がすわけにはいかない。これぞ「野次馬根性」というものだ。

ただ、一連の番組をその「ゲスな根性」で見ながら、いささか奇異に思うこともある。テレビのコメンテーター諸氏の何人かは、いかにも「公平さ」を装いつつも、明らかに政治色が付いている人がいる。

まあ、世間というものは、えてしてそんなものなので、別段驚くに値しない。しょせん、彼らも人気商売なのである。

法律的な解釈の問題など端から判らないが、生粋の「庶民目線」で小泉政権以来の政局の流れを眺めてみると、これが何とも面白いではないか!

まず、小泉さんは田中角栄さんを政治的な仇敵とする福田赳夫さんの元秘書。一方、小沢さんはその田中さんを「オヤジ」と慕う、文字通りの秘蔵っ子だった。

報道によれば、ロッキード事件の裁判は毎回欠かさず最前列に陣取って傍聴していた、という。したがって、検察のやり方は熟知している、と。

対する小泉さんは、「天の声にも変な声がたまにはある」との表現で、勝てるはずの自民党総裁選(昭和53)で敗れた悔しさを福田さんとともに味わい、田中派への復讐を誓った、とされている。

ただ、今回の構図はそうしたかつての「角福戦争」の延長線上ではなく、相手を代えた「小沢VS検察」のメンツを賭けた争い、とも言われている。

どちらが正しいのかは、いずれ近いうちに結論が出るだろうから、ここで深追いする必要もなかろうが、不思議なのは、黄門様を除いて、当の民主党内からさっぱり「声」が聞こえてこないこと。

このあたりは「金持ち喧嘩せず」の知恵なのか、党内最大権力者に対する畏敬の念なのか、素人目にはよくわからない。

それともう一つ、ダム建設の是非問題。「胆沢」はよくて、なぜ「八ツ場」は駄目なのか?

ダム不要論者で有名な、目立ちたがり屋の田中康夫先生(新党日本・前長野県知事)がこの状況の中でダンマリを決め込んでおられるのも、不思議と言えば不思議なのである。


2010/01/14

寒の中にも春の訪れ…もうそろそろかねば!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

新年に入って早くも2週間が過ぎた。もうそろそろ〃正月気分〃も脱却せねばと思うが、この寒さ…。自身の、精神的な意味合いでの「啓蟄」(けいちつ)には、まだちと時間がかかりそうだ。

「虫」がらみの話で言えば、前の会社に入った直後に書かされた作文の中で、その当座の心境を問われて、「蠢(うごめ)く」という字を当てたことを、いまだに覚えている。もう30年も昔の話だ。

これから社会に旅立とうとする高揚した気分の中に、ハテどんな「虫」が巣食っていたのだろうか?今となっては、すっかり忘れてしまったが、青春の良き思い出の一つであることだけは確かだ。

まあ、それはそうとして、どうも最近は「虫の居所が悪い」ような気がする。何となくすっきりせず、体の芯から湧き上ってくる覇気を感じないのだ。

加齢のせいもあろうが、50代半ばなので、まだまだ老け込むわけにもいかない。かと言って、動き出すには寒すぎる。こういう甘えた考え方では「虫の良い野郎め」と蔑まれても仕方がないか…。

退屈しのぎに窓を開け、裏の玄関口を眺めていたら、昨日の朝の積雪で作られた「雪ダルマ像」がちんまりと肩を落としている。切ない気分だ。

〈春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが 赤い鼻緒の じょじょはいて おんもへ出たいと 待っている♪〉

原稿が進まぬ頭を冷やそうと、みいちゃんに倣って表に出てみた。相変わらず冷気は漂っているものの、陽が射している辺りは上着なしでもちょうど良い頃合いだ。

先の童謡の二番の歌詞では、蕾(つぼみ)をふくらませているのは「桃の木」であるが、音無川沿いの「桜の木」の蕾も随分と大きくなっている。そう、筆者が「寒い、寒い」とこぼしている間に、春は確実に近づいて来ているのだ。

一通り周辺を散策してみたが、虫の姿はどこにも見えない。しかしながら、地中のどこかで「蠢動」(しゅんどう)していることだけは間違いない。

それにしても、ビオラの花は偉い!茎全体が雪に埋もれていても、その過酷な環境に一瞬もひるむことなく、鮮やかな色合いを醸し出し続けている。

そんな自然界の崇高な営みを目の当たりにして、少しばかりの「寒さ」を理由に、身も心も縮こまってしまっている自分が恥ずかしくなってきた。

もう、自身の怠惰癖を天候のせいにすることなど止めよう!タバコともすっぱり縁切りして、戸外に出て思いっきり清新な空気を吸おう!

さあ、そろそろエンジンがかかってきたぞと思っていたら、とうとう紙幅が尽きた。夕方からまた県外出張だ。今度こそ、気合を入れ直して!


2010/01/13

21世紀は地方の時代…スクラム組んで、さあ前進!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

13日付の紙面は情報満載だ。通常なら1面トップで掲載されるはずの政治、経済、社会各方面のビッグニュースが〃所狭し〃と散りばめられている。

気の毒なのは、「山田水産」(長崎市)所属の以西底引き網漁船の転覆・沈没事故。本県では昨年の「大栄丸」(平戸市)に続く惨事だけに、何とも申し上げようがない。とにもかくにも、乗組員の方々が全員無事でいてくれることを祈るのみ。

こうした紙面を見ていくと、世の中というものはニュースの種が尽きない、とつくづく思う。単に「悲喜劇」というだけでは表現できない、何かしら大きな予測のつかない「筋書き」のようなものすら感じる。

一方で、一夜明けたら、外は一面の「銀世界」。こちらは観測技術が進んだ天気予報のおかげで、ある程度の覚悟はしていたが、自然の織りなす「芸術性」には、まったくもって脱帽だ。

ふだんは何とも感じない我が家の庭も、手入れの行き届いた庭園のように思える。また、街路樹の佇まいも、いつになく風情があってよろしい。

ただ、これは何年に一度かの南国特有の「珍事」であって、毎日のように降雪に見舞われている北国の人々の捉え方には、また異なったものがあろう。

そんな思いで改めて今年届いた年賀状を読み直していたら、新潟県の「FMとおかまち」(十日町市)の社長さんからいただいた手書きの一枚に、ふと目がとまった。

丁寧な墨字の宛名書きの脇に、「大雪です。」の一行コメント。裏面に目をやると、年賀のご挨拶に続いて、年頭に当たっての「所感」が綴られている。

これは取りも直さず「私信」であるが、余りにも素晴らしい内容なので、同社長には曲げて「掲載」のお許しをいただくことにする。ゴメンナサイ。

   ※    ※

〈昨年は奄美大島、広島竹原を訪ね、地方の現状を視て『モノ起し』『コト興し』『ヒトおこし』の急務を痛感しました。20世紀はひたすら都市を発展させて国づくりを進めました〉

〈その結果、地方は崩壊寸前です。21世紀はどう都市とバランスをとりつつ地方再生をするかだ、と考えます。云々 - 〉

   ※    ※

読者の皆さんには、この簡潔な文章に、雪深い古里の継承と発展を心からこいねがうオトコの情熱を感じ取っていただけるでしょうか?筆者は百%同感です。共感します。

また、栃木県のある町で首長をしている方からは、ラグビー競技(社会)の原点とも言える〈ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン〉の添え書きをいただきました。

こうして見ると、21世紀は、都市よりも地方の方が遥かに面白いような、不思議な気分になってきました。どうやら雪も降り止んだようです。


2010/01/09

鉄管ビールって何?…ぺペロンチーノの〃悲喜劇〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨報でもお知らせした通り、CATV関係団体の「賀詞交歓会」で福岡市に来ている。昨夜は静かに中洲での「二次会」を終えたので、目覚めはいたって爽やかだ。

同業者の方が案内して下さった「ワインバー」は何ともお洒落だった。島原にもこんな店があればいいな、と思ったほど。とにかく、良い雰囲気だった。

もっとも、東京からの出張組がオゴッテくれたので、なおさらその感が強いのかも知れない。うち年かさの一人は名うての大酒飲みだが、以前からどう言う訳かウマが合う。

この先輩、時々面白い言い回しをされる。この日のお題は「鉄管ビール」。初めて聞く言葉だ。特段、ワインバーでビールを飲むこと自体、不思議ではないのだが、はて「鉄管 - 」とは一体?

もちろんウエイトレスのお嬢さんも初めて耳にする言葉らしく、キョトンとしている。その先輩は皆が驚いたことを確認した上で、悪戯っぽくタネを明かした。答えは「水道水」のことだ、という。

つまり、「鉄管」とは「水道管」のこと。答えを聞いてしまったら何のこともないが、やたらとミネラルウォーターが幅をきかせている、昨今の風潮が大嫌いなんだそうだ。

ところで、「水」と言えば、「島原」のことを忘れてもらっちゃ困る!と思いつつ、少しく語りたかったのだが、ひたすら聞き役に徹した。

と、そのうちに誰かがパスタを頼んだ。「ぺペロンチーノ」という銘柄だった。まあ、名前くらいは聞いたことはあるが、それが「イタリア産辛子」のことだとは、つゆ知らなかった。

テーブル上はひとしきり「辛味系」の話題で盛り上がった。そこでも筆者はひたすら沈黙を守った。どう、今年は随分と成長したでしょう!?

まあ、そんなことはどうでもよい。そうこうするうちに、厨房の中から、いかにも「こだわり屋」といった感じの坊主頭のマスターが、自家製のタバスコ瓶二本を携えて現れた。

「激辛ですから、十分に注意して下さい!」。そう諭されたにも拘わらず、件の先輩は料理に向けてドバドバと。表情一つ変えるわけでもない。

すると、マスターは対抗心を燃やしたのか、中から「タカのツメ」を干したような形状の原料を持ち出してきた。そしてひと言。「指先で摘んで、ほんの少しだけ振り掛けて下さいね」。

先輩はその教え通りの行動をとったのだが、汗をかくでもない。「俺はおかしいのかな…」と、時折首を傾げながら鉄管ビールをグビグビ。

だが、「異変」は時を置かずしてトイレで起きた!さんざんぺペロンチーノを弄んだ指先で己のイチモツを掴んでしまったから、さあ大変!「何だがムスコの様子が変なんだよー」。雄叫びにも、悲鳴にも聞こえた。


2010/01/08

顔で笑って腹で泣く…新年会は「死のロードレース」

‐株式会社ケーブルテレビジョン専務 清水眞守‐

「新年会」(賀詞交歓会)続きで、いささかバテ気味である。昔なら「グロッキー」といったところだろうが、最近はどういう訳か、あまりこの言葉を使わなくなった。

今日も拙稿を書き終えたら、社員二人を伴って福岡へ向かう。九州・沖縄地区のCATV会社や行政、取引先メーカーなど二百人ほどが一堂に会して〃情報交換〃にいそしむ。

筆者の場合、数ある「新年会」の中でも、こと〃派手さ〃にかけては、恐らくこの会が一番である。それでも、踊りやマジックショーなどの「演し物」があった数年前に比べれば、次第に縮小傾向にある。

会場は九電本社の真向かいにある「ニュー・オータニ」。普段はとても足を運ぶような場所ではないが、この日ばかりは胸を張って門をくぐる。

受付を済ませ、どこかで何度も聞いたようなお堅い内容の挨拶が終われば、後は美味しい料理を目がけて「ブタまっしぐら!」だ。よくよく振り返ってみると、例年この辺りからダイエットの機運が急速に萎えてしまっているようだ。

お目当ては江戸前の握り鮨。福岡市内に何店舗も店を構える「Y」という有名所で、ふだん滅多に味わえない「トロ」を中心に、最低でも5人前は平らげる。

そうして小腹を満たした後で、脂身たっぷりの「肉食系」へと向かう。余談だが、酒類はあまりいただかない。二次会が待っているからだ。

二次会場と言うと、九州一の歓楽街「中州」ということになるが、店内に入れば、どこもそう大差はない。島原の場合と少し違うのは、福岡県選出の大物政治家の名前が頻繁に出てくること。

いつも以上に膨らみきった「胴回り」をさすりながらフンフンと聞いているのだが、少しも面白くない。小島よしおに倣って言えば「そんなの関係ない!」のである。

2軒、3軒とハシゴした後、宿舎にたどり着くのはたいてい12時過ぎ。一昔前なら、一人抜け出して屋台(ラーメン)に向かっていたが、最近はもうどこにもそんな元気はない。ひたすら眠るのみである。

トラ年!よく夏の甲子園大会が開催される間は、そこを本拠地とする阪神タイガースにとっては遠征ゲームが続き、「死のロードレース」とまで形容されているようだが、筆者にとっては正月上旬の期間がまさに「それ」。

福岡から帰ってきたら、また別の団体の「新年会」に出席しなければならない。もっとも、家族や社員などからすれば「ご馳走食べて、酒呑んで、どこが『死のロードレース』?」と非難されそうだが、それはそれでツライもの。

フーテンの寅さん風に言えば、「顔で笑って、腹で泣いているんだよ、オジちゃんは」。わかるかな?わからないだろうなぁ…。


2010/01/06

護国寺で新年のお祓い…一丸となって〃島原力〃を!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

時おり日射しがもれる薄曇りの天候だったが、6日の朝は冷え込んだ。個人的な皮膚感覚で言えば、この冬一番だった。そんな中、我が社の恒例行事となっている、護国寺でお祓いを、先ほど済ませてきた。

あいにくこの日は、消防出初め式の取材や出張・インフルエンザ組などがいたりして〃全員集合〃とはならなかったが、いずれ〃第二陣〃を派遣しようと考えている。

いつものことながら、岩永住職の力に満ち満ちた祈祷の声は大変に有難い。元気が出る。まさしく宗派を超えた、島原独自の伝統儀式である、と個人的には思っている。

昨日、本欄でこぼしたように、我々はケジメがなかなかに付けにくい職種である。ただこうして、仲間内全員が打ちそろって参拝することで、ようやく新しい年のスタートが切れるような気がするのだ。

お祓い終了後、今回は「鏡餅」に関する法話をうかがった。なぜ干し柿を添えるのか?これまで考えたことなどなかったが、「柿」は「掻き」に通じる、という。

つまりは、「幸運を内に『掻き』寄せる」のと同時に、「不幸を外に『掻き』出す」という二重の意味を持つのだそうだ。さあこれで、門松の「松」(血)「竹」(水)「梅」(気)に加えてまた知識が増えたぞ!

話は変わるが、昨夜(5日)は商工会議所の賀詞交歓会がホテル南風楼で賑々しく開催された。ふだん口をつく言葉は「不景気」の大合唱であるが、この時ばかりは皆さん「熱気に溢れている」ように見えたのは気のせいだろうか?

いやいや、そうではないはず。昨年までの島原と今年の島原とは必ず違っているはずだ。そう信じているが故に、人々は集い、そして語り合うのだ。

筆者が就いたテーブルには偶然にも有明町関係者が多く、楽しく歓談させていただいた。もう合併して4年が経つのだろうか…。両者の間に今どれほどの障壁が立ち塞がっているのか定かではないが、もうそろそろ気持ちの上でも「一つ」になるべきだ。

そうこうしているうちに、後から筆者のテーブルに割って入ってきた島原観光物産(外港)の松崎社長が、時おりコップ酒をこぼしながら、珍しく滋味深い話をしてくれた - 。

「もう連盟だの、組合だの、協会だのとか言っている時代ではない。皆が一つになって立ち向かわねば、島原は埋没してしまう」。筆者とはふだん冗談ばかり飛ばし合っている仲だが、この日の松崎社長の姿は一回り大きく、とてもカッコよかった。

その後はそれぞれの流れに沿って夜の闇の中に消えて行ったのだが、昔と違って深夜のスナックで鉢合わせることもなかった。まさか、そんまま帰らしたっじゃなかろもん?今度、奥さんに会ったら訊いてみよう!


2010/01/05

古里の恵みに〃感謝〃…間違っていても、なるほど!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何はともあれ、無事新しい年(2010年)を迎えることができた。皆様、明けましておめでとうございます!

なんともベタな書き出しで恐縮だが、年中無休の因果な商売をしていると、どうにもケジメというのが難しい。正月休みなど、あってないようなものだ。

それでも何とかフレッシュな気分で新年を迎えようと、事務所玄関脇の窓枠にシールを貼り巡らせた。まあ、内部からすれば一種の目隠しのようなものだが、外から見るとなかなのシャレモノだ。

製作者はナカムラ広芸社々長の中村光利君。島原半島の〃海&山の幸〃をモノトーンの写真で表し、中に一点だけ赤のワンポイントを入れている。

実はこの手法は、今でも敬してやまない写真家の西川清人さん(大三東・2000年没)から教わっていたものだが、やっと実現できて嬉しい。

キャッチコピーは「ごちそうさま」の日本語をもじって、「GO!CHI SOU sama」。筆者が提案して、周囲が一顧だにくれなかった「ご地層さま!」のリベンジ版だ。

左肩に「島原半島ジオパーク」のロゴマークを配し、恵み多きわが古里への畏敬の念を込めている。もちろん「ご馳走さま!」の掛詞でもある。

さて、ケジメのない我々と違って、世の中の多くは4日が仕事始め。それぞれにトップの方々が、それぞれの立場で、訓辞を垂れられたことだと思うが、年末のとある経済番組の中で耳にした「言葉」が忘れられない。

それは「トップの要件」のようなものについて語られたものだった。曰く「上に立つ者は、仮にそれが間違いだったにせよ、部下全員が『なるほど!』と思い至るような威厳を発し続けなければならない」と。

いささか誇張している向きもあろうが、「組織論」としては、なかなかに味わい深い言葉だと思った。読者の皆様方はいかがお考えしょうか?

予想される反論は「上司が間違っていたら、勇気をもって正すのが部下としての役割だろう」と容易に推測できるし、本稿のタイトルでもある「履正不畏」とは元々そうした意味でもある。

ただ、よくよく考えてみれば、今の世の中は、政治にしても経済にしても、この先どう転んでくのか判らない時代。そのような折に、上に立つ者がフラフラしていては、部下の心も覚束ないであろう。

ここは一つ、デーンと構えて次なる〃潮目〃を読み解く慧眼(けいがん)が求められる。他方で、上司と仰ぐ人がそれに値する〃人物〃かどうかを見極めるのも部下の大きな役目でもあろう。

あーあ、昨夜の酒が抜け切れぬまま、偉そうなことを言ってしまった…。のっけから反省!!


2010/01/01

門松は「漢方」そのもの… 松・竹・梅・それぞれの効用

「門松は冥土の旅の一里塚」とよく言われる。まさにその通りの意味だが、この後に「めでたくもありめでたくもなし」(一休禅師)と続けば、より分かりやすくなろう。

正月を迎えるに当たっては、家々の玄関先には「門松」が飾られる。まさに代表的な日本の正月風景の一つだが、読者の皆様方は、この飾り付けに人々の健康を願う「漢方的な意味合い」が含まれていることをご存知だろうか?

新年早々、何やら知ったかぶりな書き出しで恐縮だが、カボチャテレビ&FMしまばらの生番組『ターニングポイント』(ほぼ毎週水曜日午後7時から放送)にもご出演いただいた、崇城大学薬学部・村上光太郎教授のお話を聞いて、思わずヒザを叩いて納得した次第。以下は同教授の個人的特別講義から - 。

    ※      ※    

そもそも、日本に「漢方」が伝わってきたのは室町時代。月湖(げっこ)という僧侶が持ち込んできたのが始まり、とされている。当時の考え方で言うと、「僧≒医者」であった。

その後、本格的な医療として発展させたのは、田代三喜(たしろ・さんき)。その弟子が曲直瀬道三(まなせ・どうざん)で、そこに至って、日本の漢方が確立した。道三は室町末期から戦国の世にかけて多くの武将たちに重用され、「日本医学中興の祖」と呼ばれている。

その道三の養子となったのが玄朔(げんさく)で、こちらも名医の誉れが高かった、という。そこに弟子入りしたのが吉益東洞(よします・とうどう)。

その手法は、遠く「漢」代まで遡る「古方派」と呼ばれ、「すべての病気はひとつの毒に由来する」という万病一毒説を唱え、緩慢な治療法を推奨する月湖系の「後世派」と激しく対峙した。

随分と前置きが長くなってしまったが、「門松の薬学的効用」を説いたのは、東洞の息子の南涯(なんがい)で、独自の理論を構築している。余談だが、映画等でも取り上げられている華岡青洲はその弟子。

門松の主な材料は、ご存知の通り、「松」「竹」「梅」である。南涯は「生薬の元」となるそれぞれの植栽に、「血」「水」「気」という三つの薬効を連動させた。すなわち、「松=血」「竹=水」「梅=気」とする考え方である。

ここから先の村上教授の説明が面白い - 。「松は血を浄化します。松葉に砂糖と水を加えれば、自然発酵で血液サラサラ効果のある『松葉酒』ができます。竹は『カッポ酒』の器としてリンパ液を綺麗にします。梅は胃腸(気)を丈夫にします。自殺者はたいてい、胃腸の弱い(気力のない)人たちです」。

さすがに「松葉酒」は試したことはないが、「カッポ酒」は取材先などでご馳走にもなるし、梅干は毎日の弁当の定番の一つだ。

「梅」に関しては、さらに村上教授の説明が続く - 。「種の芯に、白い部分があるでしょう。あれが体にとてもいいんです。『仁』と言いまして、沢山の食物繊維を含んでいて、便秘の特効薬ですよ。そのまま食べて結構です」

取材を終えて、村上教授の教えのままに、大宰府天満宮まで車を走らせた。同神社は言わずと知れた「飛梅伝説」の地にあるが、実は神社建立以前に「武蔵野寺」というお寺院があって、周辺には広大な梅林が広がっていた、という。

教授によれば、そこの住職は胃腸が弱かったが、梅のおかげで健康を取り戻し85歳まで長生きしたとの言い伝えがある、という。筆者の参拝目的は、その名残りの「梅塚」を探すこと。

地図を頼りに太鼓橋を渡ってウロウロしていたが、すぐ右手の本殿脇に確かにあった!中には、梅干の種をまとめたビニール袋が幾つか。名前を書いておけば、翌春には青梅が貰える、ということだった。

なるほど、古の昔から人々は健康を守る術を知っていたのだ、ということが分かって、何だか無性に嬉しくなった。皆様、今年もお互い健康体で頑張りましょう!!

    ※      ※    

村上教授の著作『大地の薬箱』が1月末に農山漁村文化協会から出版されます。同協会は『現代農業』(月刊誌)などを出している所です。楽しみにして待ちましょう!ところで、カボチャテレビでは同教授の講演会を4月3日(土)に予定しています。時間や会場については、正式に決定してから改めてお知らせいたします。