2009/10/29

中村天風師と出会う…ICU試験官の計らいで

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨夜の『ターニングポイント』(CATVとFMで生放送)には、長崎大学熱帯医学研究所(略称・熱研)教授の溝田勉さんが出演して下さった。

溝田さんは昭和19年、愛媛県松山市生まれ。高校時代(松山南)は100メートルの同県内記録(10秒6)を樹立したスプリンターであったが、勉強もお出来になったようで、卒業後は東京教育大(現筑波大)を経て、東京大学教養学部へ。

と、こんな書き方をすれば〃順風満帆〃の学者人生を歩まれているようだが、決してそうではない点がこの方の真骨頂。「一番行きたかったのはIUC(国際基督教大学)だったんだ…」と、青春時代の蹉跌(さてつ)を隠さない。

だが、後に「師」と仰ぐ、中村天風さん(1876~1968)との出会いのきっかけを作ってくれたのは、他ならぬICUの試験官(牧師さん)だったというから、「人生」とはつくづく判らないものだ。

番組を見落とした(聞き逃した)方には土、日曜午後6時からの再放送をご覧になっていただきたいが、まさにこの方にとっての「ターニングポイント」は哲人!天風師との出会いであった、と言える。

東大の大学院を経て上級職として文部省入り。通常なら省内に留まって出世の道を志すところだろうが、最初に配属されたのは外郭団体の日本学術振興会。元東大総長の茅(かや)誠司さんが会長を務め、その秘書係として汗を流した。

そこから先のキャリアが俄然面白い。出向先のユネスコでは本部のあるパリではなく、「スペイン語が出来る」というだけの理由で南米へ。3年間をチリの首都サンチアゴで過ごした。

ニューヨークの国連本部時代には、緒方貞子さんや明石康さんら〃大物〃の薫陶を受けユニセフの活動にも係わっていく。黒柳徹子さんやアグネス・チャンさん、ジュディ・オングさんら芸能界人脈との交流が始まったのもこの頃だ。

「役所の掟」で長崎にやって来たのは、昭和63年のこと。長崎大学の「国際主管」として現在の国際交流部の礎を築いた後、4年間にわたって経済学部で教鞭を執った。

その後いったんは東京に戻っていたが、アジアで初の「熱帯医学学会」が長崎で開かれることになり、再び召集がかかった。

専門は「健康教育学」。数々の国際舞台で活躍した経験を武器に「長崎県全体を国際交流の基地に!」と、地元経済界とも活発に意見交換を重ね、後進の育成にも力を注いでいる。

「『健康教育』の目的は天風先生の教えとまったく同じ。学生諸君にも是非その真髄を理解してほしいので、『心』と『身体』を繋ぐものは何か?について熱弁をふるう毎日ですよ」。

7ヶ国語を闊達に使いこなす〃才人〃でありながら、少しも偉ぶったところがない素敵な笑顔の持ち主だ。ビバ!溝田先生。


2009/10/28

大切なのはユーモア!!…批判や中傷はいとも簡単

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

本欄の〃ネタ本〃にしようと、手当たり次第に買い求めた書籍類が机周りにワンサカとある。その様子を眺めるだけで、もうウンザリだ。

だいたいそのまま使えるような〃材料〃など、まず無い。おっつけ、身の回りで起きた出来事を羅列するだけの安直スタイルになってしまうのがオチだ。しかし、それはそれで心苦しいもの。

この種の文章で一番書きやすいのは、批判&中傷記事である。だが、それも当事者や、第三者である読者の皆さんがどう感じるかを思えば、なかなか一筋縄ではいかない。

その点、ネット上の「ブログ」というのは随分と便利なツールである。何せそこは自分(達)だけの〃仮想世界〃であるから、誰彼気兼ねすることなく、思いのたけを書き込むことができる。しかも匿名で。

ある意味羨ましくもあるが、そこには必ず〃落とし穴〃があることを忘れてはならない。自分の意見を全うだと思い込む余り、ついつい書き過ぎてしまうきらいがあるのだ。

思うに、今の世の中は何でも素人さんの全盛時代である。翻って言うと、専門(プロ)の姿を見かけることが少なくなった。

昔は「この分野ならあの人」「それが欲しいならあの店に行け」などといった〃方程式〃のようなものが確立していた。いわゆる〃棲み分け〃がきちんと出来ていた良き時代であった、と思う。

ところが今は…。近くに専門店がなくても、ネットで買うことができる。わざわざ専門書を紐解かなくても、パソコンの画面上で答え(正解とは限らないが…)を引き出すことも可能だ。

まあ、便利と言えば便利だが、味気ないことこの上ない。逆の言い方をすれば、段々と〃本物〃と直に接する機会を自ら失くしてしまっているような気すらする。

歴史的と言われた先の政権交代劇でも、その道の専門家集団である「官僚機構」のあり方が大きく問われたが、一説によれば、彼(女)らエリートの中では、心の病に悩む人も少なくない、という。

そのことについて、養老孟司先生が以前、面白い提案をされていた。「日本には減反などのために使われなくなった遊休農地が沢山ある。彼らはそこで汗を流して働くことによって、本来の自分を取り戻せばよい。一石二鳥だ」(要約)。

恐らく先生は、農耕民族である我々日本人に、原点の大切さを問い掛けたかったのだろう。それにしても、この方の文章にはいつも、奇妙な説得力とユーモアが伴う。

そう、人間、どんな世の中(境遇)であっても、大切なのは「ユーモア」だ。この前、誰かも言っていた。「人を怒らせたり悲しませたりすることは簡単だけど、笑わせることは難しい」。

多くのブロガーの皆さんにも、是非分かっていただきたい言葉である。


2009/10/27

老化防止の生薬は?…世を挙げての健康志向だが

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「秋の日はつるべ落とし」と言うが、本当にそうだ。アレヨ、アレヨ…という間に、夜の帳(とばり)が降りてくる。一方で、夜明けの到来がいかにも遅い。もうすっかり目覚めているというのに、東の空はまだ薄暗いままだ。


それもこれも季節の為せるワザではあるが、若い頃には少しも感じることがなかった感慨だ。最近、とみに〃老化〃が進んだように思う。何かこう、身体全体が〃油切れ〃しているような感じなのだ。

こんな年寄りじみたことを書けば、「何ば言いよっとか、そがん脂ぎっとてから」などと笑われてしまいそうだが、特に骨の軋みが「ゴキッ、ゴキッ」とひどいのだ。そろそろ〃皇潤世代〃だろうか?

テレビ、新聞、雑誌を問わず、最近は「健康食品」や「痩せ薬」「強壮剤」の広告だらけだ。別段、気にしているわけではないが、つい目が行ってしまう。

少し前に大学時代の同窓会があって、或る女性とおよそ30年ぶりに邂逅(かいこう)した。当初、彼女は筆者が誰であるか気付かなかった。

学部ごとに仕切られたテーブルを挟んで、胸の名札をチラチラ眺めながらの確認作業。そのうちに、「オー、お前さんだったか!」の声がそこかしこから沸き上る。いつもながらの同窓会風景だ。

だが、彼女は閉会の寸前まで、筆者の人物特定に迷った、という。裏返して言えば、それほどまでに〃肥ってしまった〃ということの証しであるが…。

「折角の機会だから」ということで、場所を変えて「二次会」が開かれた。改めて出席者の顔を見つめ直してみると、皆それぞれに年をくっている。件の彼女も独身ながら、すっかりオバさんの雰囲気だ。

改めて名刺交換が始まった。文学部だけに出世した奴は余りいない。唯一大手出版社の編集長がいるくらいだ。

彼女が「最後の1枚」と言って名刺をくれた。と、そこには〃ED特効薬〃として一世を風靡した、かの有名なドイツの製薬会社の名前が刷り込まれているではないか!?

意を決して、恐る恐る尋ねてみた。「あのー、お宅の会社っていうのは、ブルーの錠剤を扱っている所だよね…」。

彼女は「またか」といったといった表情で「そうよ」と答えたが、「それだけではないからね」と二の矢を継ぐのも忘れなかった。

世を挙げての健康志向ブーム。疲れたオジさんも、オバさんも、もっと美しくなりたいと願う若者も、総じて〃クスリ&サプリ漬け〃のようだが、こんな風潮、どこかおかしい。

島原には「日本三大薬園」の一つもある。何かこう、20歳ほど若返ることが出来るような〃生薬〃はないものでしょうかね、村上光太郎教授?


2009/10/24

飯抜きツーデーマーチ …おかげで〃減量〃に成功!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

相も変わらず「酒食」に明け暮れた1週間であったので、せめて最後くらいはバシッと決めようと思って「ツーデーマーチ」に参加することにした。


何年ぶりかな?もう5年以上も前のことだろうが、確かその時は家族5人で10キロコースに参加したはずだ。今回はただ一人、少し背伸びして20㌔に挑んでみた。

ジャン・ジャック・ルソーの随筆に『孤独な散歩者の夢想』という名著があるが、そういった小難しい話ではなく、日頃の運動不足を少しでも解消しようと思い立ったわけだ。

24日午前9時前から始まった開会式で、今年が16回目であることを知らされた。極めて個人的な思いだが、まさに「光陰矢のごとし」である。

この催しには、先年亡くなった南風楼会長の村中勝美さんが殊のほか熱心であった。また、長崎文化放送からは朝日新聞社出身の西牟田さんという方が通い詰められていた。何でもそうだが、やはり「井戸を掘った人間」の存在を忘れてはならない。

筆者の場合は、普段から歩き慣れているという

〃自信〃にも似たものがあったが、残念ながらそうは問屋が卸さなかった。人間はどうも〃ゼッケン〃を背負ったら性格が変わるものらしい。

もっと率直な言い方をすれば、皆さん、足の運びがいかにも速い。いや、「速すぎる」のだ。この「思い」どこかで抱いたことがあるぞ、と考えていたら、学校対抗の駅伝大会と同じである。

特にスタート直後にそのことを痛感。このままゴールに辿り着くことが出来るのだろうかと案じ始めていたが、途中から考えを改め「マイペース主義」に切り替えた。

すると、何のことはない。周囲の景色が良く見え出してきた。赤や黄色に色づき始めた木々の葉っぱ、二百年前の眉山崩壊がもたらした九十九島の景観、遠目に眺める島原城の白亜の天守閣…。島原の素晴らしさを見直す「身近な旅」でもあった。

しかしながら、距離は20キロと言っても、休憩なしに歩き通すにはいささか骨が折れた。トイレ以外には、ほとんど誰も進んで休もうとされないのだ。

仕方がないので、筆者も無理を押して4時間強を歩きに歩いた。行程表を見ると、島原外港前で「弁当の支給&湯茶の接待」とあったから、当面はそこを目標にしていた。

ところが、である。「当日申込みの清水です」と言っても、名前が見当たらない、という。「そんなはずはないでしょう。ちゃんと2千円払ってきましたよ」と掛け合ったのだが、「弁当代は別ですよ」と軽くいなされてしまったのだ。

「まっ、まさか…」。顔を赤らめながらその場を退散したのだが、その甲斐あってか、体重は僅かながら〃大台〃を割っていた。しみじみ「人間万事塞翁が馬」である。


2009/10/23

長崎・大浦で新発見!!…豪快社長と〃意気投合〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

実は、今週前半は2日続けての長崎行きだった。1日目は既報の通り大学病院での「歯」の診察。2日目は某生命保険会社の案内で、「お客様懇談会」なるものに出席してきた。

そこで偶々出会ったのが、本日是非紹介したい〃変わり種〃の社長さんである。年の頃は60前後だろうか。もうパーティが始まる前から酔いが回っておられるような〃豪傑〃だったが、その「スピーチ」を聞いて〃感動〃した。

「会社を興してまだ十数年。現在従業員は160人。うち30人はいわゆる『余剰人員』。しかし、クビにするわけにはいかない。これが私の経営哲学だ!」。

即座に、カッコイイと思った。すると、こちらの意が伝わったのか、テーブルに戻るなり「おい、兄ちゃん」と来た。「このすぐ近くに教会と神社とお寺が軒を並べて建っているのを知ってるか?」とのご質問。

しばらく返事に窮していたら、「そんならオイが案内してやる!」ということで、素直に後を付いて行った。会場のグラバーヒルを出てすぐ山手にあるのは、長崎観光の定番とも言える大浦天主堂。

だが、正面に聳える教会以外にはそれらしき建物は見当たらない。怪訝な面持ちで佇んでいたら「こっち、こっち」の指示。と、小さな〃脇道〃を隔てて確かにあった、立派な神社と寺院が。

神社の名称は「大浦諏訪神社」と言い、三菱造船所・香焼ドックの従業員の皆さんが毎年初詣に訪れるのだそうだ。一方の寺院には「妙行寺」の看板が掲げられていた。

「凄かろが。日本広しといえど、キリスト教と神道と仏教が一堂に会している所は他にはなかろもん!」。酔いも手伝ってか、些か呂律が覚束ない。

確かに言われてみたら「その通り!」で、筆者もそんな場所は知らない。調子を合わせるように、「すぐ下にチャンポン発祥の四海楼がありますが、ここはさながら宗教上のチャンポンですね」と答えたら、いたく気に入ってくれて、「兄ちゃん、飲みに行こ!」。

早速タクシーに乗せられて向かった先は、前日通り過ぎたばかりの浜口(長崎大学病院入口)の飲食街ではないか。

「昨日そこの口腔外科に行ったばかりなんですが…」と、玄関先でモジモジしていたら、「オイも大学で何ヶ月か前に蓄膿の手術ばしたばっかりさ!」と豪快に笑い飛ばされた。

「飲み物は焼酎でいいか。村尾と魔王どっちがいい?」。その後も終始先方のペースで進められ、仕上げは近くの鮨屋から「特上」の5人前。

こんな初対面の方からご馳走になったのは、「早慶戦」(30年前・新宿)の打ち上げ以来のこと。それにしても、久々に「気風の良いオトコ」に出会った。

今度は島原に招いて心ゆくまで接待しなければ。ハイボールもなく、小雪も居なかったが、長崎の夜は楽しかった!


2009/10/21

僕が第556代王者!?…遼君、藍ちゃんもガンバレ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨報の結びを「つづく」としてしまったことを今になって後悔しているが、書いた以上は仕方がない。さあ今日も〃先行き〃が危ぶまれる展開だ。

ところで、ひとまず〃危機〃を脱出した筆者は、次なる〃行動〃を前に立ち止まてしまった。「このまま神代まで行くべきか、それとも引き返して自宅で寝転がって『日本オープン』&『富士通オープン』を観るべきか」と。

答えは簡単に出た。「もう帰ろ!」だ。ハムレット王子には悪いが、何も生死を秤にかけてまで悩む話でもない。何より、同じゴルファー仲間(?)の遼君と藍ちゃんが呼んでいる。

午後2時51分・多比良駅発の急行に飛び乗ったら、3時過ぎにはもう島原駅に着いた。改札後、駅員さんに「島原~多比良」間の距離を聞いたら、「多分11キロくらいですかね」とのそっけない回答。

NHKテレビでは、遼君が今野、小田の両先輩選手と〃死闘〃を繰り広げていた。本当に手に汗握る〃接戦〃だったが、最終的に勝利の女神は小田選手に。

「さあ、次は藍ちゃんだ!」。チャンネルをテレ朝系に直すと、こちらもニッキー・キャンベル(オーストラリア)と藍ちゃんとの4ホールにわたってのプレーオフ。が、残念ながら藍ちゃんも敗れた。

疲れた身体を畳の上に横たえながら、「プロの世界の非情さ」をつくづく感じていた。出来れば、この若者2人に優勝してほしかったのに…。

率直に言って、今の日本ゴルフ界にとってこの2人は〃宝物〃である。それは何も人気や勝率だけに係わるものだけではない、という気がする。2人とも、試合後のコメントがいかにも素晴らしいのだ。

藍ちゃんに関しては、まだ彼女が小さい頃から見守ってきた沖縄の弁護士さん(筆者の先輩)が以前、しみじみと語っていたことを思い出した。

「我々沖縄県民はゴルフ選手の養成に力を注いでいる。それは技術面ばかりでない。人間として真に成長してほしいからだ」。

遼君のコメントも最近なかなか味わい深くなってきた。ハッキリ言って、「ハニカミ王子」時代とは段違いだ。清々しくて素晴らしい、と思う。

かく言う筆者だが、実は前日のコンペ(十八銀行主催)で、周囲の期待を見事に裏切って〃優勝〃を決めてしまっていたのだ。申し訳ないが、これを自慢するために、ここまで話を引っ張ってきた次第。

ハンディ?お願い、それは訊かないで!差し障りのない範囲で言えば、ネットは「66」でした。表彰式で「優勝者のコメント」を求められたが、遼君や藍ちゃんとは正反対の下らない話をしてしまった。

でも次回(12月開催)までは、歴史ある「島原杯」の第556代チャンピオンなのである。エッヘン!!

‐おわり‐


2009/10/20

素直でないんだから…秋は人間を〃センチ〃にする

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

旧知の浅賀俊策大兄(長崎市在住)が「『(くんちの)3日間の行事が終わると秋』というのが〃長崎っ子〃の季節感です」と、先日の長崎新聞のコラム欄(うず潮)で書かれていた。さしずめ〃島原っ子〃にとっては、「不知火まつり」がそれに相当しよう。

島原も、もうすっかり秋である。眉山の山腹でも、幾らか赤みを帯び始めた木々の塊がそこかしこに確認できるようになった。恐らく、ハゼの類いか。

そんな中、巷の喧騒(パレード)を避けて、独り北目の街道を歩くことにした。別段、今流行りの「龍馬の道」を意識したわけでもなく、ただ単に運動不足の鈍った身体と精神を引き締めるため、という勝手な〃理屈〃を付けて - 。

いつもそうだった。高校3年生の「体育祭」の時も…。みんなで楽しく「フォークダンス」を踊っている姿が疎ましくて、そっと輪の中から抜け出た。

仲間が2人いた。1人は政治の道を進み、1人は内科医として活躍中だ。今にして思うに、3人とも〃素直〃でなかった。否、それぞれに〃牽制〃しすぎてしまった愚かな結末だった、のかも知れない。

そんな遠い日のほろ苦い思い出を胸に、黙々と歩を進めた。上の町の自宅を出て、最初の休憩地は大三東のコンビニ店。そこまでちょうど1時間20分。距離に直すと、7キロくらいか。

一服して再出発。途中、携帯電話の着信履歴を確認すると、大分・宇佐市へ視察ツアーに出かけている途中の島原薬草会代表理事の阿南達也さんからメッセージが届いていた。

「今日はどちらへ?車に気を付けてね!」。阿南さんらしい〃心遣い〃に、一瞬涙ぐみそうになった。やはり秋という季節は人間をセンチメンタルにする(センチメートルではないですよ!!)。

丸政水産本社を過ぎた辺りで、次なる目的地を「多比良」にするか「神代」にするかで迷った。前者なら1時間。後者なら2時間の距離…。エーイ成り行きまかせだ、と思いながら歩き続けたのだが、急速に腹具合が…。

サラダ館を過ぎて旧道に入ったが、役立ちそうな施設はない。事態は切迫してくる。それでも我慢に我慢を重ねて、何とか多比良駅まで辿り着き、駅舎奥のトイレに飛び込んだ。

が、今度は紙がない。仕方がないので、さらに勇気を振り絞って、近くの集合店舗を目指す。残り30メートルの地点まで漕ぎ着けた所で、事もあろうに車に乗った知人が悠長に語りかけてくるではないか。

「何しよんですか?乗らっさんですか?」。〈頼む、お願いだから話し掛けんで!〉と思いながらも、口には出せない。

力なく笑い返しながら「とにかく急いでいるんで!」と言い残してその場を切り抜けた。良かった!助かった!  

‐つづく‐


2009/10/16

万年はマンネリに通ず…島原ならではの独創性を!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

明日から「しまばら温泉不知火まつり」が始まる。何やら騒がしげなポスターを見ると、もう今年で30回目を迎えるという。

率直な印象を言えば、NHKの『紅白歌合戦』に負けず劣らずの〃偉大なるマンネリ〃である。はて、「マンネリ(リズム)」とは一体?早速、辞書を引いてみると、すぐ隣に「万年」という言葉があった。

「マンネリ」VS「万年」 - 。両者に何の語句的な繋がりがないことは言わずもがなではあるが、その〃語感〃からしてひょっとして〃親戚〃では?ネタ不足の頭に、何やら怪しい思惑が湧いてきた。

「鶴は千年・亀萬年」とは〃長寿〃を言い表す言葉だが、元を正せば「永く続く」ということの象徴的な表現だ。それが「マンネリ」と何の関係があるの?と訊かれても、合理的な説明などできない。

ただ、書き始めた以上、もうどうしようもない。このまま突っ走って、何とか〃着地点〃を見つけ出さなければ…。

「山高きがゆえに尊からず」という言葉があるが、「祭り」も「焼酎」も古ければ古いほど価値がありそうな気がする。その点、「不知火まつり」など、「初市」や「精霊流し」と比べるとまだまだ〃青二才〃だ。

しかし、「だから」と言って卑屈になったり、手抜きをしてもよい、というものではない。新しいなら新しいなりに工夫を凝らして臨むべきであろう。

そうした試行錯誤の積み重ねこそが、「新たな歴史」を創り上げていくものだ。ただ、そこには島原ならではの「オリジナリティ」(独創性)が必須である。

そうした視点から、改めて〃実態〃を眺め直してみると、これはもう完全に「アウト!」である。強いて挙げれば、「島原城薪能」ということになるが、厳密に言うと、これは同祭りとは一線を画す「独立興行」である。

「そんな固いこと言わずに、一緒に盛り上がればいいではないか」というご意見もあろう。だが、そうした考えではいつまで経っても、「伝統の祭り」には成り得ないだろう。

つまりは、今のままの形態で、どれだけ長いこと(万年)続けたとしても、それは単なるマンネリズムの延長線上でしかない、ということだ。

これまでも、この季節になれば必ずと言ってよいほど「祭りのあり方」について〃苦言〃を呈してきた。実の所、批判めいた記事を書くのは余り気持ちのよいものではない。

しかし、本番を前にしたいま、「今年も余り変わりばえがしないであろう」と容易に予測されるので、気乗りがしないまでも敢えて書かせていただいた。

政治も、行政も、仕事も、そして祭りも…、「現状維持に甘んじているだけ」(万年)では、いずれ「マンネリ」の罠にはまる。どうだろう、少しはオチになっただろうか?


2009/10/14

政治は最大の権力か…いつしか「松下政経塾」だらけ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

鳩山内閣の手法しかりだが、最近の政治(行政)ではどうも、「藪から棒」的に計画を打ち出すのが流行(はやり)らしい。

民主党が自公連立政権への積年の恨みを晴らすべく、矢継ぎ早に補正予算の執行に対し「待った!」をかけている様子が連日テレビに映し出されている。それはそれとしても、広島&長崎両市長による「2020年度オリンピック誘致表明」には心底驚いた。

昨日(13日)の夕方、ニュースを聞きながら車の運転をしていたら、長崎市議会の各会派の代表が、口を揃えて「不信感」を露にしていた。まあ、地元自治体にとっては「財政上の問題」も避けては通れないだけに、当然と言えば当然の反応であろう。

東京都が今回の招致合戦でつぎ込んだ〃税金〃の総額は、真水部分だけでも150億円と言われている。事前の段階でさえこれだけの経費が掛かるのだから、いざ本番となると一体いくらになるのか…。

ただ、両市長の思惑も分からないではない。「地球上からの全ての核兵器の廃絶」を願って仕掛けるには、最大にして最も効果的なイベントと足り得るのがオリンピックであろう。

かと言って、今さら『オリンピック憲章』なるものを紐解こうという気にはなれないが、子供の頃に教わったクーベルタン男爵(近代オリンピックの創始者)の言葉は確か、「(勝つことよりも)参加することに意義がある」というものだった。

しかしながら、その考え方はオリンピックが「純然たるスポーツの祭典」という本来の開催趣旨を満たして始めて〃光〃を発するもので、政治やビジネスが先行してしまっている昨今の風潮では〃絵空事〃でしかないのかも…。

最近つくづく思うのだが、果たして政治は「最大の権力」なのだろうか…。発足後間もない鳩山政権の顔ぶれを見ても、松下電器(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏が生前に創設した「松下政経塾」出身者の多いこと!

まず思い浮かぶのは、就任後間もなく「脱ダム宣言」を行った前原誠二国交大臣。お隣・佐賀県選出の原口一博総務相もそう。他にも沢山いるが、よくよく考えてみると、官房長官(平野博文氏)だって松下電器労組の出身者である。

そんなこんなを考えてみたら、どちらかと言うと「経済界が政治家を生み出している」というのが昨今の政界の現状ではなかろうか。そうそう、「松下 - 」以外にも、経営コンサルタントの大前研一氏が主宰している「一新塾」というのもある。

見方を変えれば、「政治」と「経済」とはそれほどまでに密接な関係にあるということの証しでもあろうが、「あいつもこいつも松下政経塾出身」という政治状況が果たして正常と言えるのか…。どうなんでしょうね、経営の神様?


2009/10/13

朋あり遠方より来る!…せわしない〃3連休〃でした

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

思いもよらなかった10月の3連休期間中に、思いもよらなかった電話回線の故障と、東京からの突然の賓客の対応に追われた。

電話に関しては、つい何ヶ月か前にシステムを変更したばかりだったので、もうスタッフ全員、びっくり仰天。「まさか?」の声が社内中に響き渡った。

ひょっとして、先週末から電話を下さった多くの皆様方に、多大なるご迷惑をかけてしまったのではないかと、週が明けた今でも〃心配〃が続いている。

恐らく陰ではこう言われているだろう。「フン、NTTの局舎に入っていながら電話が繋がらないとは、まったくもってシャレにもならんね」などと…。

事実そうなのであるから、敢えて申し開きするわけにもいかないが、原因は電話局(NTT西日本)にある。そのあたりを勘案していただいて、くれぐれもご寛恕のほどを!

ただ、電話の室内工事を間近でご覧になられた方ならきっと分かっていただけると思うが、その作業内容は傍目で見ても気が遠くなるほど〃複雑〃だ。

自慢ではないが、筆者にはまず無理!一本々々の細かな配線を繋ぎ合わせていく様は、まるで匠の世界を生きる〃職人技〃の領域である。

そう思って、改めて我が指先を眺めてみれば、短い上に先っぽもまん丸。愚にもつかないことを、グジグジと文章化する以外に我が生きる術(すべ)はなさそうである。

復旧作業は今日(13日現在)も続いているが、おかげさまで急場を凌ぐ措置だけは取られているようだ。ここは一つ成り行きまかせ、ということで…。

ところで、もう一個の〃予想外〃も変わらぬくらい唐突にやって来た。「明日そっちに行くから、ホテル取って!」。とは言われても連休の真っ最中。電話をあちこち掛けまくって、ようやく一部屋押さえた。

そう、「朋あり遠方より来る」(論語)の世界だ。嬉しくないはずがない。普段は国際ビジネスの最前線で世界中を飛び回っている人間が、「シマバラ」を名指しで訪ねて来てくれるのだから。

武家屋敷、島原城などを案内したのだが、十分とは言えないまでも、自分なりに熱を込めた説明を、これまた熱心に聞き入ってくれた。もちろん、夜は島原の〃食自慢〃だ。

2日目(連休最終日)、長崎に来たのにまだチャンポンを食べてない、という。「それなら!」と、わざわざ長崎市内まで出向いて、発祥の店「四海楼」を訪ねたが、予想通りの大混雑。

ただ、前日の「姫松屋」の賑わいぶりも決して劣るものではなかったので、心安らかに名物の錦糸卵と太麺をすすってきた。

あっ、そうだ。「小涌園」の月下美人騒ぎのことを忘れていたが、紙幅も尽きたので、また稿を改めて紹介することにする。総じて、何ともせわしない3連休でした。


2009/10/10

雲仙取材から世界へ!!…近々「ビッグニュース」が

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ついに事務所脇の自販機に「ホット」が登場。いよいよ初冬へ向けてのゴーサインだ。この季節、何を着たらよいものか迷ってしまう。長袖だと昼間は暑苦しいし、と言って半袖スタイルも些か心もとない。

先日、東京に行った話を書いたが、久方ぶりに雲仙・普賢岳噴火災害以来の〃畏友〃と会い、親しく懇談してきた。氏は筆者より10歳ほど年下だが、敢えて〃畏友〃と呼ばせていただく。仕事は大手出版社の月刊誌編集長。

かつては仲間内から「雲仙小僧」という名付けられるほどの〃火山フリーク〃で、休みをとってはせっせと東京から現地に駆け付け、旺盛な取材活動を展開していた。

一言でいうと、氏は「実証主義者」。否、仕事の性格上「現場主義者」といった方がよりシックリくる。

その類い稀なる「好奇心」と「行動力」から、数々のスクープ記事が生み出された。写真の腕前も見る間に上達し、並み居るプロカメラマンを尻目に、他の大手出版社から写真集も出した。

さらにその取材の矛先は、一時期世間を震撼させた「オウム真理教」へと向かう。波野村、上九一色村など教団の関連施設(サティアン)にも足繁く通い、筆者も〃お土産〃に「プルシア」という首飾りのようなものを貰ったことがある。

氏は家族同伴で1年間の欧州留学。帰国後は新たな発想で、これまた斬新なスタイルの雑誌を創り上げた。その本がいま、世界中のマスコミから熱い視線を集めつつある。

残念ながら、現時点でその〃中身〃を詳らかにするわけにはいかないが、近々世間の皆様を驚かせるような「ビッグニュース」がもたらされそうだ。

氏は時々、テレビのニュース番組にも「ゲストコメンテーター」として登場している。これが実にカッコいい。イケメンの上に、ソフトな語り口。きっと多くの女性ファンも付いていることだろう。

羨ましいと言えば羨ましいが、所詮、筆者なんかとは〃モノ〃が違う。生きる世界も真反対だ。ただ、噴火災害の取材活動を通じての〃不思議な友情〃は、昔と少しも変わらない。

「自分はこんなに有名な人間を知っているんだぞ!」といった自慢する気持ちなどサラサラない。氏はあくまでも氏で、筆者は筆者。田舎記者?結構ではないか!

氏が面白いことを言っていた - 「うちのスタッフは大概が東大出で、頗る頭が良い。最短距離で回答を出す能力にはほとほと感心する」。

その後の話が面白いので紹介しておく - 「ただし、無駄や余裕といったものが全然ない。それはそれで悲しいものです…」。

敢えて「他山の石」とすべきところだろうが、幸か不幸か、筆者の周辺には東大出が1人もいない。良かった!?


2009/10/09

歩いて、ふしぎ発見!…島原城の「松」が凄いよ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

東京人(?)はよく歩く。しかも速い。田舎から上京した人は大概、その健脚ぶりに驚く。

まず、自宅から最寄り駅まで十数分(或いは、それ以上)。構内の階段を駆け上り、着いたら着いたで、また会社まで歩く。皇居周辺などでは、昼休みにジョギングで身体を鍛えている人もいる。

さらに経済的に余裕のある人は、スポーツジムに通って、水泳やスカッシュなどで汗を流す。一見、羨ましくもあるが、何やら〃機械仕掛け〃のような感じがしないでもない。

一方、我々田舎人はすぐ車に乗りたがる。ちょっとした用事でも、車を駆って出かける。自戒の念を込めて言うが、これは余り褒めたことではない。もっと歩かねば!

歩けば、色んなものが見えてくる。街の変貌も、四季の移ろいも、新鮮なメッセージとして伝わってくる。殊に今の時節は絶好のコンディションである。

何も「高速千円」の惹句に惑わされる必要などない。島原半島1周100キロ余の内側には、まだまだ見たこともないような世界が無限に広がっている。

さらに範囲をしぼる。究極、自分たちの住む「地区」「町内」についても、まだ本当に知らない事だらけだ。先日、島原城に上ってみて、改めてその〃事実〃に気が付いた。

筆者の通常の散歩コースは「猛島海岸~北門」か、「堀端周回」としており、これまで滅多に城内に入ることはなかった。

しかしながら、先週の土曜日(3日)は、薬草会や食改協の皆さんなどとともに「新・秋の七草がゆ」の企画を思い立っていたこともあって、じっくりと城内を巡る機会を得た。

そしたら大発見!茶室の裏付近から有明海方面を望んでいると、すぐ目の前(眼下)に松の並木が広がっている。よくよく見ると、これが相当立派なので驚いてしまった。

植木の専門家ではないので、何と表現したらいいのか分からないが、「幹」の伸び方が得も言えず素晴らしいのだ。人間に例えるなら「八頭身」とでも言うのだろうか。「嘘」でも「誇張」でもない。

何度でも言うが、実際に自分の足で歩いてみて始めて、世の中の「ふしぎ発見!」につながるのだ。

本紙9日付の『こぼれ話』欄には、「島原半島ツーデーマーチ」(24日~25日)への参加者募集の記事が出ていたが、偶然にも同日スタートで「龍馬伝バトンタッチ友情ウオーク」(九州編)も幕を開ける。

¥こちらは大分・佐賀の関から長崎・立山までの500キロコースで、11月3日(文化の日)がゴール。島原半島を通るのは11月1日の予定となっている。

申込み・問合せは同事務局(電話0952-73-4453)まで。ただし、平日のみの受付。

さあ、原稿も書きあがったようなので、島原城の「松」を見に行こう。おっと、車はダメか…。


2009/10/08

烏に反哺(はんぽ)の孝あり…人生の〃実りの秋〃遥か

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

出張から帰ってきたら〃仕事の山〃。合間を見て歯科医院にも行かないといけない。長崎界隈では悠長に「モッテコーイ!」の掛け声が飛び交っているようだが、「もうここには何も持ってこんで!」と哀願したいくらいだ。

凡人ゆえに、日々の些細な物事で腹が立つことも度々。だが、奥歯を噛みしめようにも、もうソレも無い。ツルンとした蛸の足の吸盤のような〃抜け殻〃が残っているだけだ。

そうだ、蛸で思い出したぞ!いつだったか、三重県の「鳥羽水族館」の館長さんが島原で講演されていたことを。それは蛸の雌雄の見分け方に関する〃一考察〃だった。

「いいですか皆さん、オス蛸の吸盤は綺麗な形をしていますが、メス蛸のそれはいびつなんですよ」 - 。

何の意図でそんな話をされたのか良く覚えていないが、不思議とこのくだりだけはインプットされている。

ああ、早く歯がよくなって、思いっきり蛸のぶつ切りに喰らいつきたい。ウインナーもいいよなぁ。それと熱々のジューシーな焼肉も捨て難い…。折角の〃食欲の秋〃なのに、叶わぬ夢ばかりが頭の中を駆け巡っている。

そう言えば、英語の諺にこういうのがあった。「人は健康を害して初めて、その有難みがわかる」。今でも諳んじることができるが、肝心要の〃要諦〃を外してしまっている、心底アホな自分が今ここに居る。

酒もしばらくはお預けだ。仕方がないので、家の周りをブラブラ散歩していたら、ホテル「花みずき」の一角に、若山牧水の「歌碑」(常夜灯)を見つけた。

「有明の 海のにごりに 鴨あまた うかべり船は 島原に入る」。いつごろ詠まれた作品なのか知る由もないが、牧水と言えば、酒をこよなく愛した宮崎県(日向)出身の歌人として有名だ。
その宮崎で暮らす知人から、先日、珍しい焼酎が送ってきた。なかなか手に入らない〃幻〃の類いだが、こんな口中の状況では味わうべくもない。歯痒い?いや、歯が痛い。

それでも仕事は仕事。いつものように会社に出向く。一通りメールをチェックして表に出ると、落ち葉の吹き溜まりの中に白いモノが目立つ。何のことはないカラスの糞だ。

へー、そうなんだ!「カラスは、体は真っ黒なのにウンコは白いんだぁ」などと妙な感慨に耽りながら、色褪せ、朽ち落ちた花びらを拾う。ここにも花なりの生涯がある。

ふと空を見上げると、ハトが民家の軒先に止まっている。「鳩に三枝(さんし)の礼あり、烏に反哺(はんぽ)の孝あり」ともいうが、はて我が身はどうか…。

人生を四季で表すと、そろそろ〃晩秋〃のコーナーに差し掛かっているというのに、この体たらく。情けない。早く「歯」を完治させ〃実りの秋〃を迎えたいもの。無論、我が人生において - 。


2009/10/06

万事成功、植樹祭!!…ミシミシと抜かれし奥歯…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守る‐

「植樹祭」の余韻も冷めやらぬまま、皇太子様より一足早く上京している。あいにく空は荒れ模様。銀座の柳もネオンも小糠雨で煙っている。

それにしても、「ご来島2日間」の天気の素晴らしかったこと!荒天の最中に開催されながらも、「両陛下のご臨席」を境に俄かに晴れわたったという、昨年の慶応義塾創立百五十周年記念式典でのエピソードを思い出した。

まあ、たまの偶然ではあろうが、やはり式典には晴れの日が良く似合う。そうした意味では、当地での植樹祭は大いに恵まれてもいたし、殿下が「ジオパーク」にまで言及されたことは、地元住民としては望外の悦びでもある。

話は変わるが、左の奥歯を抜いた。と言うより、症状が進んでしまって、専門の大学の先生から強制的に抜かれてしまった。つまりは「歯無し」だと洒落ている場合ではないが、その痕跡を舌でたどりながら、まだ何となく〃違和感〃を覚えている。

自慢ではないが、歯は丈夫な方だった。若気の至りで、ビールの栓抜き代わりに使ったことも一度や二度ではない。本当は随分と無理をしているのに、婦女子の「スゴイ!」の声にまんまと乗せられた結果が今日の悲劇である。

手術(?)は、簡単な麻酔注射の後に行われた。別段、痛くもなんともなかったが、「ミシミシ…」という抜去音が耳に響いてきた。まるでペンチ一本で、この肥満体が持ち上げられるかのような〃錯覚〃に陥ったほどだ。

先生はさっきまでわが肉体の一部だった象牙色の歯根を指し示し、「この部分が問題でした」と冷静に解説。麻酔で思うに任せない言語感覚で、「ふぁーい」と答えるのがやっとだった。

血がとどめなく出た。痛み止めのクスリと一緒にガーゼを何枚か処方してもらい、患部に当てて急場をしのだ。折りしも、その日は「薬草粥の日」(島原城)だったが、「熱いもモノは駄目ですよ!」の教えに従い、生唾を飲み込んで我慢した。

たかだか奥歯一本で、これほどまでに〃味覚〃を左右するとは、思いもよらなかった。正直、驚きである。以前に「芸能人は歯が命」という歯磨きのテレビCMが流行ったこともあるが、何もそれは「芸能人」に限った話ではない、と実感した次第。 

ところで、その晩は「中秋の名月」。筆者も奥歯を押さえながら、宮本秀利さん心づくしの「宴」(酒抜き)に臨んだ。柔らかな月明かり、たゆたう島影、波音…。そうした状況の中に身を置くことで、ふと我を取り戻す貴重な時間をいただいた気がする。有難う、宮本さん!「本物の植樹祭」も、「僕の植樹祭」も無事に完了しました。

最後に関係ないけど一句。「ミシミシと 抜かれし奥歯 おいの秋」(※「おい」は掛詞のつもりです)。


2009/10/03

ヨカ気分にガツーン!!…出合い重ねる「百年の孤独」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

月が代わって「さーて、今月は日経新聞を少し力(りき)入れて読もうか」と1日付の紙面をめくっていたら、『私の履歴書』と並ぶ名物の『文化』欄に、詩人にして朗唱家、そして字家の肩書きを持つ天童大人さんが寄稿していた。

天童さんとは或る人の紹介で4、5年ほど前に出会った。幾度か会食などでご一緒したことがあり、その紹介で対馬・和多都美神社を訪ねたこともある。最近はとんとご無沙汰だが、元気なご様子で安心した。

「元気」と言えば、我が家の95歳のバアちゃん!一昨夜、ほろ酔いかげんでオメモジに行ったら、筆者の姿を見るなりムンズと体を起して、「何ね、そんドン腹は?」と来た。

その日は真っ直ぐ家に帰って、缶ビールを少々。次いで、先日東京からやって来たイトコが土産に置いていった「百年の孤独」(40度)を〃濃い目〃の水割りで一杯。

どうやら、これがバアちゃんのカンにさわったらしい。口やかましいのは大の苦手だが、それも元気な証拠と言えば、納得もいこうというものだ。

さて、いよいよ今日4日は「育樹祭」の日で、筆者も朝早くから出かける予定だが、「百年の孤独」で思い出すのは、皇太子殿下弟宮の秋篠宮様と、ノーベル賞作家のガルシア・マルケス(コロンビア)のこと。

正式に調べたわけではないが、秋篠宮様はこの宮崎県産の焼酎が大変にお好きだとか…。一方、マルケスの受賞作は文字通り『百年の孤独』である。

単なる〃偶然〃でしかないのだろうが、最近、新聞や雑誌でマルケスの名前をちょくちょく目にする。2日付の長崎新聞にも、マルケスと村上春樹を比較した記事が掲載されていた。

また、このほど発表された平成21年度上期の芥川賞受賞作『終の住処』(磯崎健一郎著)の書評の中でも、宮本輝、池澤夏樹の両氏が『百年の孤独』の影響を指摘している。

恥ずかしながらまだ『百年の孤独』を読んではいないが、中身はともかくとしても、こと「ネーミング」に関する限り〃秀逸〃である。

だいたい「百」とか「千」とかいうキリの良い数字は、鮮明に耳に残る。そういった意味では、経営はともかくとしても、ハウステンボスの「千年の街づくり」というキャッチコピーも〃傑作〃の部類だろう。

もう21世紀に入って10年近くが経ったので少々記憶が遠のいてしまった感があるが、その当座は「ミレニアム」(千年紀)という言葉が盛んに使われていた。

関連して思い出すのは、40年ほど前に活躍したメキシコ人プロレスラーの「ミル・マスカラス」(千の顔を持つ男)。大変な人気者だったが、その仮面の下はひょっとして孤独だったのかも?もっとも、筆者などは仮面なしでも十分に孤独なのだが…。


2009/10/02

俳句で観察眼を磨く…まずは写真俳句で腕試し

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何でも食いつきたがりの飽き性で、どれ一つもモノにできないまま齢50の峠を超えた。しかし、「三つ子の魂百まで」。最近は急速に「俳句の世界」に傾いている。観察眼を養うという大義名分も立つし…。

といった次第で、小学館の『サライ』(10月号)を衝動買いしたのだが、例によって、まだ〃飛ばし読み〃の段階である。ただ、「ひょっとして自分に合っているのでは…」という気がしないでもない。

俳聖・松尾芭蕉が『奥の細道』(150日間・2400キロ)の紀行に旅立ったのは、元禄2年(1689)というから、今からちょうど320年前。時に芭蕉46歳。今の寿命で言うと、筆者ぐらい…。いや、もうちょっと上か。

単純にその踏破距離を割り算してみると、一日当たり16キロ(約4里)。特段驚くべきハイペースではないにしても、数々の秀句を捻り出しながらの旅。やはり〃怪物〃である。

サライ誌では、筆者のような素人向けに、金子兜太(とうた)、小沢昭一、佐藤文香(あやか)三氏の「鼎談」(ていだん)を組んでいる。それぞれに春、夏、秋、冬を詠んだ作品が掲載されているが、趣向的には筆者の目指すべきは〃小沢流〃だろうか。

その小沢さんの俳号は「変哲」で、春の句として「まだ尻を目で追う老いや荷風の忌」を紹介しているが、何だか微笑ましくてつい笑ってしまった。そう、ここには〃助平〃の領域を超えた〃人生哲学〃がある、と強調したい。

さらに飛ばし読みしていくと、小沢さんが「芭蕉より好き」という小林一茶のかの有名な句が取り上げられている。「やれうつな蝿が手をすり足をする」という、例のやつだ。

ここ数日、筆者にまとわりついて離れないハエの習性を観ていると、一茶の〃観察眼〃がいかに凄いか、がよく分かる。本当にその表現通りなので、ビックリするほどだ。

筆者も最近、ムシの動きを注視するようになった。一例を挙げよう。事務所前の柵に、一匹の大ぶりなカマキリがいた。

その一挙手&一投足をじっと眺めていて、ある〃事実〃を発見した。カマキリは実にリズミカルに歩を進めるのだ。巧く言い表せないが、「オイチ、ニッ」といった感じで、とにかくユニーク!!

それから、作家の森村誠一さんが試みている「写真で俳句」も気になった。と言うより、これなら自分でも出来るのではないか、と思った次第。

最後に若くして亡くなった昭和晩年の大女優、夏目雅子さん(俳号・海童)の一句を紹介して、拙稿を結ぶ。「野蒜摘む老婆の爪のひび割れて」 - 。

   ※    ※  
 
(追伸)3日午前11時からと午後6時からの2回、島原城では、野蒜や葛入りの「薬草粥」が無料でふるまわれます。皆様、お出かけ下さい!!


2009/10/01

やるよ!デジタル放送 、あれから30年…再び徳島

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原 清水眞守‐

『もっぱらマガジン』(10月号)の発行に合わせて、本欄も2日間は「デジタル化特集」の広告を掲載させていただいた。総務省の基本方針では「(1年半後の)平成23年7月24日を境に、全てのテレビ放送を、アナログ波からデジタル波に完全移行する」とされており、弊社もその方針に従って、現在粛々と準備作業を進めている最中だ。

ところが、こうした〃端境期〃には必ず、と言ってよいほど視聴者(消費者)の不安を煽って、無理矢理に勧誘を仕掛ける〃不届き者〃が出現する。くれぐれもご用心を!!

これまでも折にふれて伝えてきたところだが、我がカボチャテレビでも間違いなく「デジタル化対策」に取り組んでいる。そして、それは近々必ず実現する。以上、改めて宣言まで!!

   ※    ※   

弊社は9月決算なので、10月が会計年度の始まりである。そう言った意味では、本日が「元旦」。現在開催中の「新潟国体」で、本県選出の晦日(みそか)尚子選手(早大・ボート成年女子)が前日に県勢初の金メダルに輝いたことも、何かしら符号が合う。

一方、こちらは一足早く、先月28日(月)からスタートしたNHKの新「朝ドラ」。今度の舞台は徳島県美波町(旧日佐和町)で、番組名は『ウェルかめ』。

実は、極めて個人的な話で恐縮だが、徳島を舞台とした朝ドラには格別な〃思い入れ〃がある。

今を遡ること29年前。やっとのことで卒論を書き上げた筆者は、これまた必死の思いが実って東京に本社のある旅行代理店に就職を決めた。

人事部には先輩がいたし、1年早く卒業した同級生も渋谷駅前の支社に勤務していたから、「俺も間違いなく都内だろう。ひょっとしたらオープン間もない『109ビル』かも…」と高をくくっていた。

ところが、受け取った辞令は「徳島営業所勤務」。思わず、地図帳を取り出して、定規を当て、その直線距離を測った。遠かった。悲しかった。

悪友連中は「今度のNHKの朝ドラの舞台も、徳島じゃないか。お前さんは選ばれた人間だよ、きっと…」などと変な慰め方をしてくれた。

そう、あの時の朝ドラは『なっちゃんの写真館』といって、写真家の立木義浩さんの実家の母親が主人公。デビュー間もない星野知子さんが演じていた。

綾小路きみまろ風に言うと、「あれから30年…」。時代は巡り巡って、再び阿波・徳島が舞台となった。
そうした〃感傷〃にひたりながら『ウェルかめ』を観ていたら、何と普段は余りテレビに出ない星野さんが、美波町が生んだ辣腕編集者役(近藤摂子)で出演しているではないか。

確か星野さんの故郷は、最近仕事で度々訪ねている新潟県長岡市。こういうのは、仏教用語では何と言うのでしょうか、徳島市出身の瀬戸内寂聴先生?