2009/07/30

島原の歴史を見直そう…ボーっとしたらイカンぜよ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

やたらと長崎市内ばかりがハシャギまくっているような感じを受ける『龍馬伝』(来年のNHK大河ドラマ)。「コンママジャ、島原ンモンナ、イッチョン面白ナカトン」と心配していた矢先に〃救世主〃が。

他でもない、島原城資料館専門員の松尾卓次先生だ。すでに今年1月下旬の島原新聞紙上に4回にわたって『龍馬、島原を行く』というタイトルで〃史実〃に基づいたご寄稿を頂いているのに、それでも動こうとしない〃地元〃とは?

そんなヤキモキした気分で、同先生を昨夜、『ターニングポイント』のゲストに迎えた。その中で色々と龍馬にまつわるお話を伺っている間に、幾分か〃方向性〃が見えてきたような気もするが、まだまだ油断は禁物だ。

些か〃我田引水〃めいて恐縮だが、筆者の行く先々にNHK大河ドラマの〃舞台〃が用意されている。別段それを目当てに追いかけているというわけでもないのに、何とも不思議な巡り合わせなのである。

昨年の『篤姫』では、島津の出生地とされる「都城」のケーブルテレビ局に足繁く通った。勿論、今でも親しい交流が続いている。そして今年は『天地人』で注目を集めている越後「長岡」。現地のFM局とは、互いに〃防災報道〃に重きを置いているという点で共通項がある。こちらとも仲良くさせて頂いている。

そこに持ってきての『龍馬伝』であるから、必然的に力も入るし、同時に期待度も高まるのである。読者の皆様方にはどうか、この〃流れ〃というものをご理解いただきたい。

閑話休題。龍馬は今を去ること145年前の元治元年(1864年)2月22日に、師と仰ぐ勝海舟らとともに、豊後街道~有明海を経由して、この地に足を踏み入れている。上陸地点は島原湊。まだ数え年30歳の若者だった。

その後の長崎までの足取りや宿泊先等々の話については、島原新聞を読み直すか、『ターニングポイント』の再放送をご覧になって頂きたいが、強調したいのは、当時の島原藩の〃歴史的意義〃。

松尾先生の言葉を借りるなら、島原は江戸幕府から見れば九州地方の中心。また、そうした交通の要衝であると同時に、多くの外国船が寄港する「長崎」を見張るという大きな役目を担っていた。

「伊能忠敬も吉田松陰も…歴史上の名だたる人物がこの地に足跡を残しており、確かな記録もある。こんな所、そうざらにはないですよ」と同先生。

同じく島原新聞にご寄稿下さった松本和子さん(「霊山歴史館」友の会々員・島原市在住)の記事によれば、『篤姫』の経済効果は262億円、『新撰組』554億円。

「島原半島のおまんら、指くわえてボーっとしている場合ではないぜよ」。どこからともなく、龍馬の声が聞こえてきそうだ。


2009/07/29

秋茄子は嫁に食わすな?…龍馬の半島での足跡を辿る

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

山口県防府市をはじめ今回の集中豪雨でもまた多くの犠牲者が出てしまった。前々から思っていたことだが、事前に〃襲来〃が予想されている災害に対して人間(社会)はなぜこうも無力なのだろうか…?

裏を返せば、それほどまでに自然の力は大きいということに他ならないが、「それにしても」である。事実、テレビやインターネットの天気予報では、CGを駆使して、分かりやすく危機の到来を解説しているというのに…。無念に思うと同時に、犠牲者のご冥福をお祈りするばかりだ。

ところで、今週の『ターニングポイント』のゲストは、島原城に勤務する傍ら、郷土史家としても活躍されている松尾卓次先生。番組では、来年のNHK大河ドラマの主人公として改めて脚光を浴びている坂本龍馬の島原半島での足跡についてお話を伺うつもりだ。

一時期〃中断〃していた同番組も、周囲の皆様のご協力のおかげで、やっとこさ〃復活〃できたような気がする。紙上を借りて改めて御礼を申し上げる次第だが、先週の村上光太郎先生(熊本・崇城大学薬学部教授)には、心底ドギモを抜かれた。

番組の始まる2時間以上も前に訪ねて来られたのだが、まったくの〃初対面〃でありながら、もう百年以上の知己でもあるかのような親しげな語り口。とにかく、テンションが高いのである。

会うなり、「あー、あなたが清水さんね。ところで、なぜ『秋茄子は嫁に食わすな』って言うか知ってる?」とのご質問。「それは、秋口の茄子はとても美味しいから、嫁ごときに食べさせるな、という嫁いびりの意味でしょう」と答えたら、「違います!!」と一喝されてしまった。

「ほら、皮の紫色の部分があるでしょう。それがポイントなの。そこに含まれている○○○という成分には、体温を下げる効能があるの。体温が下がると女性はどうなる?妊娠しにくくなるの。大変でしょ。分かった?」 - 。

打合せから本番まで、さらに言うと、その後の懇親会場まで、万事この調子で〃主導権〃を握られっぱなし。「マシンガントーク」というのは、これを言うのか、とホトホト感心した次第だった。

1回の番組だけではとても語り尽せない「破天荒な体験」&「豊富な薬学(生薬)の知識」の持ち主なので、また機会を改めて多くの聴衆の皆さんとともにじっくりとお話を伺いたい、と思っている。とにかく、聴かないともったいない。それほどまでにタメになるし、面白い!!

ご本人も言っておられたが、同先生は徹底した実証主義者。学生時代に取り組んだというトリカブト(劇薬)と、黒豆&カンゾウ(解毒剤)の人体実験(?)の話などは、涙と笑いなしでは、とても聴けない。必ずきちんとした「講演会」を企画しますから!!


2009/07/28

健康診断の結果は…島高も藍ちゃんもスゴカ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

朝礼でアレも喋ろう、コレも伝えねば、と思っていながら、社員の顔色を見て止めることが度々ある。今朝もそう。まあ経営に限らず、「笛吹けど踊らぬ」事態はかなり重症だ。そこで持てはやされるのが「自主性」という二文字だが、これがいかにも怪しい。

と言うより、当てにならないことの方が多い。結果、上に立つ者はガミガミと怒鳴り声を上げたりしながら、「奮起」を促すのだが、相手も人間。そうそう上手くは運ばない。

そんな時、いつも思い浮かべるのは「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」という山本五十六元帥(海軍)の言葉。

ひょっとして「上に立つ者」という発想自体が誤っているのだろうか。たまたま社員諸氏より、少しだけ「人生経験」が豊富なだけで、パソコンや携帯の使い方では、まったくもって足元にも及ばない。

いや待てよ!人生はそんなに薄っぺらではないはず。事実、最近の若者は余りにもモノを知らなさ過ぎる。単にIT機器の操作に長けているだけでは…。

しかし、よくよく考えて見れば、このような二律背反的な思考経路は、極めて危険だし、双方にとって不幸である。やはり大切なのは「相互理解」という共通の認識土壌。そこから知恵が生まれて、大きく育っていく可能性がある。

そうした「眼」で世の動きを眺めてみれば、何ともまあ「不合理」だらけだ。政治、経済、文化、宗教、教育…。「ベルリンの壁」が崩壊して早20年近くが絶つが、「バカの壁」は相も変わらず随所に厳然と立ちはだかっているようだ。

その点、スポーツの世界は分かりやすくて良い。一定のルールの中で、一番優れた者だけが「優勝」という栄冠を射止めることができる。

島原高校女子剣道部がついに「玉竜旗」を制した。新聞に載った渡邉孝経監督の表情もいつになく晴れやかだ。是非、男子も続いてほしい!!

実は県高校総体後に、同校剣道部にまつわる「ちょっといい話」を聞いた。どこかの体育館で試合が行われていた時に、島高の部員が玄関口の履物を誰に指示されるでもなく黙々と揃えていたというのだ。

ひょっとしたら、こうした所に、チームとしての「心」「技」「体」の充実ぶりが滲み出ているのかも知れない。米ツアー初優勝の宮里藍選手(ゴルフ)の優勝コメントも素晴らしかった。感動した。

そんな〃余韻〃にひたっていた矢先に、先の健康診断の結果が届いた。各種異常数値データの後にゴチック文字で「要精密検査」とあった。

これまでであれば「トホホ」と落胆してしまう局面だが、まずは「バカの壁」を越えねば。でも、「自主性」だけでは無理。ここは一つ、周囲の皆様のお力を借りながら…。


2009/07/27

各位のご協力に感謝!!…全日本のエース特別講師に

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

先週1週間、しっかりとお休みをいただいた。別段、仕事そのものを怠けていた訳ではないが、何となく後ろめたい。ジオパークの会議で同席した九大の清水先生から「出張続きだったの?」と訊かれたので、つい言い訳がましく「ソフトボール大会の準備に追われて…」と答えてしまった。

しかし、事実その通りで、大会要覧に載せる「広告枠」を埋めるのに、必死で動き回った。その甲斐あって、先週末の段階でほぼ目標を達成したので、今日こうして原稿が書けるようになった、という次第。

大会名は「カボチャテレビ杯争奪小学生ソフトボール大会」。噴火災害前に霊丘公園グラウンドで行われていた「島原甲子園大会」を、衣替えして復活したもので、今年で第4回目。

今大会は特に「島原半島ソフトボール協会」(池田博海会長)の創立50周年を祝って開催するもので、県内外から計31チームが参加する「マンモス大会」となる。

特筆すべきは、小学生時代に「島原甲子園」で育った(?)村里和貴さんの〃凱旋帰郷〃。とは言っても、村里さんは昭和52年生まれの32歳だから、選手としての出場ではない。

村里さんは有明町湯江の出身で、小学時代は「有明町池田」の選手として活躍。全国大会ベスト8、九州大会3位などの好成績をおさめた。中学時代はクラブそのものがなかったため軟式野球に転じたが、島原工業高校に進んでから再びソフトボールの世界に。

ピッチャーとしての〃潜在能力〃は社会人になってから大きく開花した。平成8年、日本電装(現デンソー)に入社。手始めは12年の富山国体優勝。
これを皮切りに、ほぼ毎年のように国内大会を制覇。13年に全日本の代表選手に選ばれてからは、各種の世界大会でも「エース・オブ・ジャパン」としてめざましい活躍を続けている。

カボチャ杯では、村里さんに「特別講師」をお願いしており、子供たちには世界レベルの「力」と「技」、そして「速さ」を存分に満喫してもらう予定だ。

村里さんが大会の「表舞台のエース」だとすれば、池田病院の高柳公司さんの肝いりで実現する、社団法人長崎県理学療法士会(塩塚順会長)のバックアップ体制は大きな「縁の下の力持ち」だ。

おかげで、選手たちはケガの心配に悩むことなく(無理はダメよ!!)、思いっきり「全力プレー」に打ち込むことができるだろう。頼もしい限りだ。

協賛各社の皆さんにも、大会趣旨を快くご理解いただき、心より感謝申し上げたい。また、弊社社員一同も準備作業等を通じて、一回り大きく成長しているようだ。

8月8日、9日の両日は「有明の森運動場」「三会ふれあい運動広場」まで是非お出かけ下さい!!


2009/07/18

もっと「緑陰」の場を!!…深みのない島原の街づくり

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

それにしても、昨夜友人と行ったスナックは暑苦しかった。それもそのはず、備え付けのエアコンが〃経年劣化〃のため作動をボイコット。ただ、酒の力は恐ろしい。そんな〃蒸し風呂〃のような所でも、時間の経過をさして感じさせないのだから。

一転、今朝の目覚めは爽やかだった。季節はずれの〃薫風〃を全身で受け止めながら、今年初めての〃蝉時雨〃にひたった。梅雨明け宣言は少し遅れているようだが、風景はもうすっかり夏の装いである。

〈夏がくーれば思い出す♪〉という〈遥かな尾瀬〉にはまだ行ったことがないが、「川のせせらぎ」と「緑陰」はこの季節最大の心のオアシスである。

ところが残念なことに、島原は「水と緑の城下街」という謳い文句を吹聴しながらも、実態は何とも暑苦しい街である。名水百選!!1日当たり23万トンという豊富な地下水の湧出量を誇りながら、木陰で涼を求める場所が余りにも少な過ぎるような気がする。

個人的な思い込みかも知れないと、これまでは口にするのをためらっていたのだが、「いや、実は自分もそう感じていた」という〃同志〃の出現に意を強くしている。

もちろん、筆者は植栽の専門家ではない。ただ感じるところを率直に言えば、島原市における街づくりの最大の特徴は、ケヤキやイチョウなどの落葉の「高木類」を率先して植えたがらないこと。理由について役所に尋ねたことなどないが、論より証拠。主要な通りを巡ってみれば、その〃事実〃は明らかである。

結果、街全体に深みがない。何年経っても、同じ風景。久方ぶりに訪ねたとしても、「歳月の重み」を感じさせるような、都市計画上の〃深慮遠謀〃ぶりがまるで窺がえない。今ごろ気付いてももう遅いのだろうが、間違いは早目に改めた方が良い、と思う。

大正12年の関東大震災の折に、帝都・東京の火災の拡大を防いだのは「銀杏並木」だった、と何かの本に書いてあった。今でも晩秋のシーズンに霞ヶ関や神宮外苑界隈を訪ねれば、そうした〃効用〃とは別に、何かしら〃詩心〃がくすぐられる。これが都市の深みである。

福岡の「ケヤキ通り」だって見事だし、仙台や熊本は言わずと知れた「杜(もり)の都」である。「何もそんな他所の街の真似なんかしなくても…」というご意見もあろうが、どこに住んでいようが、人間の五感にさほど違いはあるまい。良いものは良い、のである。

またぞろ、1日4万トンの清冽な水が湧き出ている白土湖に、雑藻類(?)が登場してきた。湖面全体を覆ってしまってからの除去作業の大変さを想えば、今のうちに早目に手を打つべきだ、と思う。

その方が予算の節約にもつながるし、賢明である。「水まつり」の主催者であるJCの皆さんのご見解も伺いたいところだ。


2009/07/16

半日ほぼ〃仮死状態〃…原因は明らかに飲酒過多

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨夜(16日)の『ターニングポイント』はゲストに予定していた方に、急きょ外せない用件が発生して、放送を見送らざるを得なくなってしまった。チャンネルを合わせて頂いていた皆さんには、大変に失礼致しました。

ところで、現在の時刻は昼の2時過ぎだが、実は先ほどまでほぼ死んでいた。朝一で受けた「健康診断」がその原因。お恥ずかしい限りだが、普段から「暴飲暴食」を常として暮らしていながら、バリウムや胃カメラなどはからっきし苦手な性質(たち)である。

今回は、胃カメラはパス。その代わりと言っては何だが、性根を入れ直したつもりでバリウムに挑戦した。結果は、ほぼ半日ほど「仮死状態」に陥っていたわけだから、またしても完全なる敗北である。

自分なりに敗因を分析してみると、幾つか思い当たる節がある。まず、着替え。病院に行くのだからと新しい下着を身にまとって参上したのだが、医療機関側にはそんなの「カンケーナーイ!!」のである。

薄暗いカーテンの陰に隠れるようにしてズボンを脱いで、安ビジネスホテルのパジャマのような上下の筒服に着替えた時点で、もう完全に「度肝」が抜かれている。

恐らく以前に受けた大腸カメラの体験が、大きな心の痛手(トラウマ)となって記憶にすり込まれているせいだ。その時は世話役の看護婦さんが「超」の付く美人であっただけに、股割れズボンの診察服は余計に恥ずかしかった。

だが、今回の検査では、そこまで曝け出す必要はない。ただ指示された通りに、バリウム入りの白い液体を飲み下せば済む話である。ところが、これが大の苦手なのである。

手始めに肩に打たれた筋肉注射が、何となく不穏な先行きを予感させた。「いいですか、これはブスコパンという薬です」。可愛らしい看護婦さんの口から漏れた「ブ・ス・コ・パ・ン」という響きにユーモアを感じ取る余裕などどこにもなかった。

恐怖のバリウムは想ったより少なめであったが、ネッチョリとした舌触りは相変わらずであったし、途中で2度にわたって追加されたオレンジ味の顆粒剤も決して美味くはなかった。

「ハイ、ひっくり返って」「もう少し右」「息を止めて」「思いっきりお腹を膨らませて」「ゲップはダメよ」 - 。次々と撮影室から聞こえてくる技師の先生の声はまるで「悪魔の囁き」そのものである。思わず心の中で叫んでいた。「これ以上、このドン腹をどう膨らませるんだ!?」と。

検査修了までに要した時間は1時間強。最後の問診で担当のお医者様がポツリ。「今のところ、血圧以外に余り問題はありませんね。普段から、お酒を飲み過ぎていませんか?」。

図星だった。バリウムを嫌がる以前に、宿酔で吐きたかっただけの話なのであった。


2009/07/14

次なる政界の盟主は?…世の中は「振り子」で動く

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

多かれ少なかれ、世の中には「振り子の原理」なるものが存在している、と思う。ここで言う「それ」とは、イチロー選手独特の広角打法を指してはいない。世の中全般のことだ。

場合によっては、筆者のようなデブが持てはやされる時代だってあるはずだ。ごく稀だとは思うが…。ネクタイの幅だってそうだ。広くなったり、狭くなったり。もちろん、スカート丈も例外ではない。

巷では、去る12日に投開票が行われた都議会議員選挙の結果を受けて、次期国政での「民主政権」の誕生が約束されたかのような騒ぎぶりである。

ことにテレビのニュース番組では、賢しげなキャスター連中が「我が意を得たり!!」といった表情で政局を語っている。誠にもっておぞましい。ただ単に、「予想された結果」をなぞっているだけではないか!?

イタリアでのサミットで「首脳会談」等の得点を稼げなかった麻生総理は、結局のところは、「解散→総選挙」へと追い込まれたような格好だ。

ただ、「8月30日投票」という総選挙の日程は、以前からささやかれていた通りのシナリオである。政党助成金の交付日程からすれば、与野党を問わず(共産党を除く)、最初から決まっていた「落とし所」だったのでは…。

ところが、新聞もテレビも、どこもその話題を持ち出そうとしない。国民一人あたり250円を支払っている「大切な税金」の使い道なのに…。不思議、この上ない。

いずれも与野党のガチンコ対決となった静岡県知事選、あるいは奈良市長選、そして都議選と、このところ民主党は「連戦連勝!!」の勢いである。

機を見る敏感な、というより、世相を創り出すのに長けたマスコミの連中は一気に「新政権の樹立」に向けて盛んに旗を振っているようだが、果たして思惑通りに事が運ぶか?

誤解を恐れずに言うなら、選挙期日まで、まだ「ひと月以上」も残している。何とも微妙な「時間軸」だ。その間に何かが起こるのか、起こらないのか?

良く言われるように、「政界は一寸先は闇である」。ましてや、今月の22日は、51年ぶりの「皆既日食」。本当に何が起こるか分からない。それが世の中だ。

自民党の関係者は、この「逆風」が収まるのをじっと待っているだろうし、民主党をはじめ野党の人々は「順風」がいつまでも吹き続けることを願っていることだろう。

さて、冒頭の「振り子」の話。庶民はそれが「右」に振れたら、次は「左」を期待する。そうして「バランス」を保ちながら細々と日々の暮らしを続けている。

次なる政権を担うのが、自民にせよ民主にせよ、その「原理」を見失ってしまっては「天下取り」が長続きしないことだけは確かだ。(チョッと偉そうな事を書いてしまった。反省!!)


2009/07/11

中田市長はホンモノ…器の違い際立たせる一言

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いよいよ明日12日は「東京都議会議員選挙」の投票日だという。昨日から上京中だが、駅前通りなどの繁華街を歩いてみても、余り〃緊迫感〃は伝わってこない。

宿舎のある池袋区内のポスター掲示板には、自民、民主、公明、共産に加え、幸福実現党の候補者の顔が見える。うら若き女性で、まるでタレントのような雰囲気だ。

早朝の散歩からホテルの自室に戻ってテレビをつけたら、島原とは馴染みの深い江川紹子さんが、舛添要一厚生労働大臣や、中田宏横浜市長らとともに出演していた。

と、その傍らにどこかで見かけたことがあるような、おヒゲをたくわえた紳士が鎮座ましている。誰だろう、誰だろう…と想いを巡らせているうちに、司会者が名前を告げ、テロップが打ち出された。

前金融庁長官の五味廣文さんだった。もっと分かりやすく言えば、島原市医師会名誉会長で、最近は長崎県公安委員会々長としても活躍中の中村隆平先生の姪っ子さんのご主人だ。

しごく単純な思いで恐縮だが、全国放送の番組の中で、島原にご縁の深いお二方が出ていることに、何かしら励まされたような気分になった。

日テレ系のその番組では、今話題の「首長連合」の動きを取り上げ、それぞれの立場で意見を交換していたが、横浜市長の言説には、なかなかに唸らせるものがあった。

顔立ちは元読売ジャイアンツの桑田真澄投手を思わせるが、話の内容は実に威風堂々。やたらと芸能マスコミが取り上げたがる宮崎、大阪の両知事とは重みが違う。 

資料映像では大阪府知事との2ショットの場面が流れていたが、かなり大型な体格のようで、調べてみたら、身長が183センチもある、という。

中田市長は、既成政党の地方分権への取り組み具合を、「個人的な見解」と断りながらも数値化して発表した大阪府知事の政治行動を「あれはフライング」とバッサリ。器の違いを際立たせる一言だった。

中田さんの経歴については、「元衆議院議員」との肩書きで説明されていたが、その前を言うなら、青山学院→松下政経塾の出身者だ。もっと遡れば、中学時代は「偏差値36」の劣等生だった、という記事を読んだことがある。

松下政経塾当時は、兵庫県のゴミ収集現場で働いていた、というから「この方はホ・ン・モ・ノ」という思いを以前から抱いていた。何よりその背後に、「たけし」や「伸助」といった芸能フィクサーの影がチラつかないのがよい。

いずれにしても早晩、衆議院選挙が行われる。サミットで「主」の居ないのを当て込んで、色んな立場の人が、色んな事を言っているようだが、ここまで来て、そう慌てることもあるまい。いずれ結論は出るのだから。


2009/07/09

「地層はご馳走の源」…幸運の女神は前髪をつかめ!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何がおいしい商売かって、コピーライターに勝るものはない、と思う。字数にしてわずか10字前後で億の金(?)を稼ぐ輩がいると聞く。

真偽のほどは分からないが、悶々と頭を掻きむしっては〃名文〃を捻り出す小説家なんかより、遥かに楽チンであろう。本当だとすれば、何とも羨ましい限りだ。

数日前の朝日新聞にカゴメ野菜ジュースの全面広告が出ていた。透明な器にルッコラ、パセリ、アルファルファ、トマト…などの色鮮やかな野菜類がサラダ風に盛られている。

その中央に、白抜き文字で「野菜は、命のごちそうだ。」のコピー。下手とまでは言わないが、特段上手いとも思わない。正直、これくらいなら俺にも出来る!!と思った。

そして構想3分、出来上がったのが「地層は、ご馳走の源です。」という作品。勿論その意図は、島原半島の「世界ジオパーク認定」を願ったものだ。

我ながら良い出来栄えだと思っているのだが、社員諸氏に見せると、評価の程はいま一つ、いや三つ、四つ…。理由を聞くと「説明がましい」と。

はっきり言って、お前たちには〃センス〃というものがないと吐き捨てたかったのだが、どうにも気になって「ご地層さま!!」を提示したら、みんな呆れて席を立ってしまった。

まあ、いつの時代も〃天才〃には住みづらいのが世の常。周囲に理解者が出てくるのを待つしかないのか…。

ところで、ユネスコの現地視察団の訪問日程も決まった、という話。だとすれば、色んな方面から準備を急ぐべきだと思うのだが、いかがでしょうか、この迷コピー?

ただ、世の中には随分と気の利いた御仁もいるもので、「雲仙きのこ」(本社・南島原市)の楠田喜熊社長はもうすでにフルスピードで動き出している。

同社は名前のごとく、各種「きのこ」の栽培から加工、販売を一手にてがける、島原半島を代表する超優良企業。社長さんは発足間もない「ひまわり観光協会」(南島原市)の会長職も務めている。

一月ほど前の日曜日、同社の近くを車で移動している際に立ち寄ったら、「とにかくこれを見てくれ!!」と、空の段ボールを差し出された。そこには公式に認定されたロゴマークの下に、「世界につなぐ地質遺産(日本認定第1号)」のキャッチコピー。

さすがに楠田社長、「動きが早い!!」と感心していたら、きちんと事務局の了解も得た上で、一日5千箱を出荷していると聞いて、なおビックリ。

西洋の諺に「幸運の女神は前髪をつかめ」というが、楠田社長はまさにその実践者である。近く『ターニングポイント』にも出演していただく予定だ。

ところで、くどいようですが、筆者のコピーはいかがでしょう…?


ターニングポイント余談…〃俳優〃に成りそこねた本多会長

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

痛い!!頭が割れるほど痛い。昨夜、懸案の『ターニングポイント』の放送を終えてほぼ一週間ぶりに痛飲したのが原因だ。それにしても、本多邦年さん(島原ライオンズクラブ会長)は面白かった。お話を聞いていて、思い立ったらすぐ行動に移す、典型的な直情径行型の人間だと思った。

何より笑ったのは、新宿ルイードに出演していた折に(27歳の頃)、ピンク映画界の巨匠・山本晋也監督にスカウト(?)されかかったエピソード。

「ねー本多君、僕の映画に出てくれない?売れないフォーク歌手という役柄で…」。本多さんは一瞬迷ったが、「このまま日活のロマンポルノに出てしまっては、両親や妻子の待つ故郷に面目が立たない」と思い止まった、という。

これとは似かよった事例を、以前聞いたことがある。それは半島西部のとある高校生の話。「オイはドラマーになっと。そんためにゃ、東京に行かんば!!」。

彼は心配する同級生らの声を振り切って、学校を中途退学。スティック2本を手に、諫早駅から颯爽と東京行きの夜行列車に乗り込んだ。

ところが、待てど暮らせど音楽界から彼の名前は伝わって来ない。ある時、同級生の一人がスクリーン上で〃熱演〃する彼の姿を見つけた。いわゆる〃濡れ場〃のシーンだった。

その後、彼がどのような〃芸歴〃を重ねているのか知る由もないが、幾分ほろ苦さの残る〃人生劇場〃の1コマと言えないこともない。

ところで、山本さんと言えば、薄めの頭髪と鼻下のチョビ髭がトレードマークとなっている、やや軽めの監督さんだが、最近ではNHKのBS放送に真面目な解説者として出演するなど、なかなかの活躍ぶりなのである。

いつだったか『東京オリンピック』(記録映画)を撮った市川崑監督の特集があり、その当時の助監督時代の思い出を語っていたが、これが氏のキャラクターに似合わぬ、すこぶる感動的な話であった。

確か陸上競技の走り高跳びのシーンだったと思うが、市川監督の〃眼〃は常人とはかけ離れた、ある〃対象〃に注がれていた。それが何だったのか思い出せないのだが、「創造への執念」を垣間見て慄然としたことを覚えている。

話は変わるが、山本作品は学生時代に場末の映画館で随分と鑑賞した。一人で観るのは何となく気が引けたので、下宿仲間と連れ立って通い、大いに笑い〃想像力〃を磨いたものだ。

そこでは、土台あり得ない話を誇張しながら、ある意味〃願望〃を込めて、面白おかしく作品に仕上げていた。まあ所詮〃芸術〃とは程遠い内容ではあったが、昨今相続く大学教授や判事などの〃破廉恥事件〃の記事を見て思う - 。

ひょっとして山本監督はこの事象を〃先読み〃していたのだろうか…。まさか!?


2009/07/08

七夕なぜ〃タナバタ〃…「礼服」に関する勝手考

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原 清水眞守‐

昨日は「七夕」で、何とかそれをネタに文章を捻り出そうと焦っていたが、思いも寄らぬ〃来客〃が相次いで叶わなかった。

「FMしまばら」を車中で聞いていたら、「そうめんの日」だとも言っていたが、筆者の所有する『年中行事・記念日事典』に、その記述はなかった。

代わりと言っては何だが、2日ごろが「うどんの日」とあり、7日は「川の日」とあった。説明書きを読むと、「川の日」は国土交通省が平成8年に、七夕伝説の「天の川」をもじって制定したのだそうだ。ちなみに、今月は「河川愛護月間」でもある。

だいたい「七夕」と書いて、なぜ「タナバタ」と読むのか、よくよく考えて見れば不思議である。漢検の前経営陣も個人的な金儲けなんかに走らずに、こうした素朴な疑問に答えてほしかった。

「七」の漢数字で言うと、以前、西日本新聞社にどうにも肌の合わない記者がいて、「四十九日法要」と書けばよいものを、わざわざ知識をひけらかすかのように「七七忌」としていたことを思い出す。

まあ、そうした話はさて置くとしても、「死」は誰もが避けて通れない「宿命」であって、いつ何時訪ねてくるか、誰にも予測はつかない。ひょっとしたら今日かも知れない。

それでも人間は、よほど重い病気等をしていない限りは、「自分にはまだ当分お迎えは来ないだろう」などと高をくくってしまう。正しいと言えば正しいし、過ちと言えば過ちだ。

先日、護国寺住職の岩永泰賢さんから「なるほど」というお話を伺った。通常、我々は通夜や葬儀、その後の法要などに「黒い喪服」を着て弔問に訪れる。それが「礼儀」だと思っているからだ。

岩永さんに言わせると、これは間違い。故人に近しい親族(遺族)が喪服を着るのは当然としても、赤の他人がそこまでする必要はないのだそうだ。

詳しい説明は、直接岩永さんにお聞きいただきたいが、「そうおっしゃられても…」というのが我々庶民の偽らざる心境であろう。いわゆる「無難な選択」こそが「庶民の知恵」でも言うべきか…。

第一、「喪服」は大切なファッションでもある。妙に女性がドキッとするほど「美人」に見えたり、ややもすると「男前」が上がったりもする。

ただ、男性の場合、一つだけ気がかりなことがある。ネクタイを取り換えるだけで「結婚式」も「葬式」も併用している方が大半ではなかろうか。いわゆる「礼服」との位置づけで。

恥ずかしながら筆者の場合も例外ではなく、そうさせていただいている。やはり、ここはきちんと識別すべきだと思うのですが、いかがでしょうか皆さん?

それより何より、去年作ったばかりの「礼服」がもう入らなくなりました!?


2009/07/06

蛇の目傘は元禄より…辞書を引けば「目から鱗」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

午前中、野暮用で小浜まで走って、昼食に「蛇の目」(食堂)の「チャンポン」をご馳走になった。正確には、「スープ麺」と言うべきか。

今では雲仙市のテコ入れもあってすっかり有名になりつつある「小浜チャンポン」だが、「蛇の目」のチャンポンは昔から有名であった。少なくとも筆者の知る限りでは。

ところでこの季節、思い浮かんでくるのは、「チャンポン」と言うよりは「蛇の目傘」の方であろう。最近ではすっかり見かけなくなってしまったが、どうしてそんな名前が付いたのか、前々から素朴な疑問であった。

有体に言えば、傘の形状が「大蛇の目」のように見えたからであろうが、生来の「ヘビ嫌い」である我が身にとっては、たとえそれが傘であろうとも一大事なのである。とにかく辞書を引いてみよう。

【広辞苑第四版】によれば、「蛇の目傘」の意味については、次のように記されている - 。

『中心部と周辺とを黒・紺・赤色などに塗り、中を白くして、蛇の目の形を表した傘。黒蛇の目、渋蛇の目、奴(やっこ)蛇の目などがある。元禄時代から使用』と。

なるほど、勉強になった。と言うより、これまでは油紙が貼られている「和傘」くらいのイメージしか持っていなかった己の不明を恥じた。

〈♪あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン♪〉

ご存じ童謡『あめふり』(北原白秋作詞、中山晋平作曲)の冒頭部分だが、今でも梅雨シーズンになると、つい口ずさんでしまう。年譜を見ると、大正14年作とあるから、この歌の年齢は、旧制島原中学校第40回卒の「望洋会」の皆さんと同級生だ。

やっぱり優れた作品は時間が経っても色褪せることなく輝いていることの証しだ、と思う。読者の皆さんも全然「古さ」を感じないでしょう!!

「蛇の目」の話が出たついでに、前々から気になっていた言葉について調べてみた。それは「目から鱗」という表現だ。

よくマジシャンなんかが口からトランプを出すシーンは目にしたことがあるが、目から鱗なんかが飛び出てきたら大変なのでは?と要らぬ心配をしていたが、これは完全に筆者の勘違いであった。

正確には『目から鱗が落ちる』という表現で、『あることをきっかけとして、急にものごとの真相や本質が分かるようになる』という意味だった。

これで今日はまた一つ賢くなったぞ。そう、こまめに辞書を引くことで、目から鱗は落ちるんだ!?

そう言えば、ベストセラー『1Q84』の作者である村上春樹さん(小説家)の趣味は、暇にまかせて辞書を読むことだった。


2009/07/04

国を変えるか知事の乱?…体になぞらえると分かり易い!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

歯痛に悩む市井の中年オヤジがこんなことを言っては何だが、今の世の中どこか〃歯車〃が狂っている。殊に大阪・宮崎両府県知事のパフォーマンスとしか言いようがないテレビ会見を見ていて、そう思う。

「地方分権」「地方の時代」―。確かに耳当たりの良い言葉で、「ニッポン丸」の視界を遮る「閉塞感」という難敵に向けて、威勢の良い「口撃ミサイル」を矢継ぎ早に発しているようだが、下手したら「空砲」にしか過ぎなのかも…。

こんなことを書くと、「明治維新の原動力となったのは、薩長をはじめとする若き脱藩者が中心だった!!」などとする反論を招くことは必至だが、その当時と今の状況を比べること自体に土台無理がある。

まず違うのは、両知事とも「タレント」出身で、一般に顔が知られ過ぎている点。調べたわけではないが、お二人とも次の改選期までは、きちんと「公人」としての身分が保証されている。収入も我々庶民とは桁違いであろう。

そんな裕福な著名人が、半分オチャラケのように語っている言葉を、そのまま鵜呑みに出来ようか。マスコミの宿命とはいえ、各社しのぎを削るかのように、「公共の電波」に乗せる姿も、浅ましいと言えば、浅ましい。

一方で、次の総選挙後の政界の盟主の座をかけて虚々実々の駆け引き合戦を繰り広げている「自民党」と「民主党」。その足元を見透かすかのように、しきりと〃秋波〃を送る知事連合。

確かに、断面的に物事を見れば、官僚思想中心の現国政の進め方には問題が山積(内蔵)していることも事実で、最近は報道がその闇の部分を次々と抉り出している。その点において、知事連合が果たした役割が極めて大きいことは、否定はしない。

ただ、問題なのは、これから先の「この国のかたち」。テレビに出てヤニ下がっているようなお歴々に、そもそもその「国家観」なるものを、改めてお聞きしたいものである。

自虐的な物言いかも知れないが、「地方」の持つ力など所詮微々たるものだ。ただ、その微々たる力の集合体が「国家」である。このことは人体になぞらえると実に分かり易い。

よしんば指先の小さな傷でも、放っておけば、化膿して一命を失うことにも繋がりかねない。また、脳や心臓などの中枢機関ばかりがやたらと発達していても、それはそれで非常にいびつな状態だ。

地方から国に向けて率直な声を上げることは、別段間違ったことでもなんでもない。繰り返すようだが、その先に一体何があるのか?

映画(カサブランカ)の話ではないのだから、「昔のことは忘れた。先のことは分からない」では無責任過ぎる。せっかく噴き出した地方(知事)のエネルギーが、平成版「えーじゃないか」のプレリュードで終わらないことを願う。


2009/07/03

地獄の夜は明けて…「酒なし宴会」おつなもの

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今年はどういう訳か雲仙温泉づいている。福引で当たった景品(特等!!)で春先に宮崎旅館に泊まったのに続いて、今日は県のCATV協議会で富貴屋にお世話になっている。

車で30分も走れば我が家なのでわざわざ泊まる必要もあるまいが、まあこれも〃付き合い〃だから仕方がない。それより、代行運転やタクシーで帰るより安上がりなので、効率的なのである。  

只今の時刻は午前5時過ぎ。間もなく日の出だ。4階の部屋の窓からは、地獄の湯煙がもうもうと噴き上がっているのが見える。岩肌は石灰を撒いたように白一面で、裏山の松の緑との対比が美しい。

カラスの啼き声に交じって、時おり小鳥のさえずりも聞こえてくる。長閑な一日の始まりのような風情だが、今日も〃野暮用〃が満載である。

一昨日は島原高校の辰田校長先生をゲストに招いて、久方ぶりに『ターニングポイント』(生番組)を放映した。島高PTAの方なら皆さんご存知だろうが、辰田先生はまったくの〃下戸〃である。

その先生の方針に倣ったわけではないが、昨夜の筆者は周囲の勧めを頑と押し退けて、終始ノンアルコールでやり通した。昼間の法要等でたまにそうすることもあるが、夜の宴席では余り記憶にない。

ところが、いざ実践してみると、これもなかなかおつなものだ。何より料理が美味いし、じっくりと味わえる。

これまでは席を温める間もなく、徳利とビール瓶を抱えてひたすら注いで回り、気付いてみれば何も食べていなかったこともしばしばだった。

ただ昨夜は違った。理由は簡単で、昼間に件の奥歯が大そう痛かったから。より直截に言えば、一昨日の失敗にほとほと懲り果てていたのである。まあ、これも一種の〃学習効果〃か。

宴席には「キレイドコロ」と称して、妙齢の女性4名がお出ましになっていた。リーダーのお姐さんは、島原でもよく見かける方だった。 

それぞれの自己紹介を聞いていると、「島原1」「雲仙2」「南島原1」の配分。なかなか良くできた顔揃えではないかと感心していたら、乾杯後間もなく初対面の恰幅のよい南島原産がやって来た。

『まあー、お一つ』。『いやいや、自分は不調法なもので…』。そのやり取りを聞いていて、隣の福江ケーブルの専務が突然クスクスと笑い始めた。

「お客様方はどちらから?」という質問には、筆者が代表して答えた―。「えー、こちらは海外から。私は南有馬の吉川から」。 
    
俄然、お姉様の口調が変わった。「吉川んどこね?」「学校の近く」…。後は微に入り、細に入りの質問攻め。

とうとう、その嘘はバレてしまうのだが、ひょっとして筆者のことを「都会人」と勘違い?まさか!!


2009/07/02

痛みの原因は蓄膿症…我が家はチクワイネン!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

奥歯の痛みの原因がようやく分かった。病名「副鼻腔炎」。平たく言えば、「蓄膿症」。原因が究明できて一安心なのだが、相変わらず鈍痛は続いており、薬が手放せず、面倒この上ない。

「以前だったら、即手術ですが、最近ではその必要はありません。2週間ほどで治ります」と、耳鼻科の先生。「その間、飲酒はダメですか?」と訊いたら、「まあ、乾杯程度なら…」とあきれられた。

子どもの頃、蓄膿症の友人がいて、「手術では患部をノミで削るんだ」と聞いて驚いたことがある。まさかこの年になって蓄膿になるとは、私はよほど〃遅れてきた少年〃なんだ!?

ところで、言葉とは不思議なもので、決して覚えようとしていない表現でも妙に頭にこびりついていることがある。その1つが「チクワイネン」という中国語だ。

たまたま「チクノウ」に罹ったことから思い出したのだが、確かその意味は「カカア天下」。学生時代のアルバイト先で知り合った見城美枝子さん(愛称・ケンケン)から教わった。

その頃私は〃留年中〃で、ある伝(つて)を頼ってTBSの朝の生番組(『おはよう700』と『八時の空』)で働いていた。前者の番組では、複数のレポーターが2週間程度の海外取材をこなし、それぞれ特集を組んで流していた。

何で今更という感じがしないでもないが、「カカア天下」で名高い、「上州」(群馬・館林)出身の見城さんの口から直接聞いた言葉なので、より印象深く残っているのだろう。

このほか、もう1つ教わった中国語がある。それは「美味しい」という意味の「ハオチ」という言葉。こちらは「チクワイネン」と違って用途が広いので、時々中華レストランなどで使わせていただいている。

後者の番組では、田中星児さんと水越けいこさんの〃使い走り〃をさせられていたが、二人とも全然偉ぶったところがなく、とても〃いい人〃だった。

ああそうだ。〃いい人〃で思い出したが、深夜の公園での裸騒ぎで物議をかもした草薙剛君は元気を取り戻しただろうか…。すでに復帰しているとは聞いてはいるが、まだ画面で見たことはない。

草薙君のようなタイプの男性を称して、最近世間一般では「草食系」と呼んでいるらしいが、短躯で、肥満型で、脂ぎった私などはその対極にあるから「肉食系」?いや、それもあまりピンとこない。

余談だが、草薙君が現行犯逮捕されたミッドタウンの公園は、TBSの新社屋のすぐ近くにあり、バイト当時はよく酔っ払っては、その近辺を歩いて帰っていたものだ。

それにしても痛みが止まらない。昨夜の飲酒のせいか…。泣き言を言ったら、母娘声を揃えて「自業自得!!」。見城さん、ひょっとして「チクワイネン」とはこのこと?


2009/07/01

リスクは人生のスパイス…ストレスは生活のスパイス

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

よく『天声人語』なんかで、筆者がその折々で耳にして気に入った「フレーズ」群を、オムニバス的に紹介することで、お茶をにごしていることがある。

特段、その手法を真似するわけではないが、本日の「見出し」に掲げた二つの文章は、いずれもごく最近、私自身の目と耳に直に触れた、非常に納得のできる表現なのである。

上段の言葉は、いま話題のベストセラーとなっている村上春樹氏の『1Q84』(上巻)の中で語られている。最初のうちは斜め読みしていたのだが、そのうちにはまり出して、今では毎日のように精読している。何せ、千ページを超える大作。時間がかかる。

どのようなシチュエーションの中で発せられた言葉なのかは、本篇をお読みいただくとして、一度でいいからこんな気障な(?)言葉を吐きたいものだ。勿論、美人を相手に。

その余韻も冷めやらぬうちに下段の言葉に触れてしまったので、これはもう心理学用語でいうところの「シンクロニシティ」(共時性原理)に違いない、と小躍りした次第。

紹介が遅れたが、この言葉は先ごろ行われた宅島企業グループの「安全大会」で講演に立った、伊崎脳神経外科・内科医院長の伊崎明さんから伺ったもの。

いずれの場合も「スパイス」がキーワードとなっている。それを人生という長期スパンで捉えるか、日常の生活で味わうか、の違いだけだ。

スパイス。すなわち香辛料は決して主役にはなれないが、ある意味、料理には欠かせないもの。無ければ、その料理全体がどことなくフヌケた代物になってしまう恐れがある。

歴史を振り返ると、17世紀から18世紀にかけて、欧州列強の東インド会社がアジアにおいて覇を競い合ったのも、元はと言えば「香辛料」をめぐる利権争いであった。

スパイスは効きすぎれば、時に麻薬のようにもなる。したがって、過度のリスクもストレスも厳に慎まなければ、かえって害を及ぼすことにもなる。

ところで、今でこそカレーの辛さを数値で表すスタイルは当たり前になってしまったが、その走りは東京の「ボルツ」という専門店だった。今でも続いているのかどうか知らないが、それはそれは辛かった。

最高の「30倍」を食べると、食べ終わった直後の顔写真を店内に飾ってくれるというのがルールだったが、いずれの征服者も放心状態で撮られていた。

「万事中庸」を心掛けていた筆者は「14倍」に挑んだが、あえなく撃沈。言い訳がましいが、福神漬けの代わりがタカノツメだったことを想えば、ご納得いただけるであろう。

本当はもっとスパイスの効いた文章を書きたかったのだが、いかんせん能力と時間が足りなくて…。