2009/06/30

奥歯の痛みに悩む日々…デブはなぜ「蚊」にもてる?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今日で本欄を書き始めて丸3年が経過する。換算すると、週に4回強の配分になるのだろうか。万事長続きしない、我が人生においては、ある意味〃画期的〃なこと。この先どこまで続くやら…。

それにしても、歯が痛い。歯医者に行くと、左上の奥歯部分にある「親知らず」のせいだという。ここ数日、抗生剤と痛み止めを交互に服用しているのだが、効き目はいまいち。梅雨とも重なって、何とも憂うつな気分だ。

岩波の国語辞典(第六版)で調べると、正式には「おやしらずば」と言って、上下左右に「4枚」あると書いてある。普通に考えると歯は1本、2本…と数えると思うのだが、「親知らず」はやはり別物か?

偶然ではあるが、島原半島とともに「世界ジオパーク」の認定を目指している新潟県糸魚川市に、同じ呼び名の「親不知海岸」という断崖絶壁の名勝がある。筆者も1度だけ訪れたことがあるが、バスの車中に居ながら、身のすくむような感じがしたことを今でも良く憶えている。

私事の羅列で恐縮だが、「歯」の痛みと並んでこのところ悩ましいのが「蚊」の攻撃。茶の間でも寝室でも狙われるのはなぜか筆者ばかり。母に言わせると、アンタ、しょっちゅう酒ばかり飲んでいるせいで体の表面温度が高かっじゃ!?

まあ、それはそれとしても、寝付きばなに耳元で「ブーン」とやられると、腹が立って仕方がない。加えて、こちらは歯痛の身。「それはないでしょう、お母様」と叫んだところで、そんな悩みなんか「親不知」なのである。

ところで、昔は「蚊対策」と言えば、「蚊帳」(かや)と相場が決まっていたが、姿を消してから久しい。まだ、どこかで作っているのだろうか…。

素人考えだが、「蚊帳」の衰退は、「網戸」の普及が原因ではなかろうか。もっと言えば、家々から「雨戸」や「障子」が加速度的に閉め出され、代わって「サッシ」が登場してきた。

部屋の四隅と紐でつないで、「蚊」が入らないようにサッと中に入るという行為は、もう今の子供たちに説明しても分かるまい。だだ、「蚊」だけは「サッシ」や「クーラー」の時代になっても相変わらずはびこっている。

何という逞しさ!繁殖力!叩かれても、つぶされても、その子々孫々はしぶとく生き残っている。昨夜も我が血をたっぷり吸いやがって、あの野郎!!

本当に憎んで憎み足りない連中であるが、一つだけ救いがあるとすれば、蚊取り線香や殺虫剤のCMの面白さ。関西在住の著名なコピーライターの作品と思うが、いつ見ても笑える秀作ぞろいだ。

「うちのダンナはグァテマラ生まれ♪」も「虫コナーズ♪」も、ついついはまり込んで見てしまうのである。バカじゃ!!


2009/06/29

「即振込め」はウソ!!…禁煙効果は医療費の抑制

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今の世の中、何と言っても、「安心」と「安全」がキーワードである。ただ、それを手に入れるためには多くの費用を伴うことにもなるので事は厄介だ。が、それを実行するのもしないのも、要は個人の「自覚の問題」であり、事業者それぞれの「社会的責任」とでも言えよう。

先週末、宅島企業グループ(宅島壽雄会長)と傘下の安全協力会(渋谷敏孝会長)が主催した「安全大会」の模様を取材してみて、色々と勉強になった。

開会に先立ってまず目についたのは「定着させよう『安全文化』つみ取ろう職場の危険」という全国スローガン。これを受け、社内で行われた標語のコンクールでは、全83点の応募の中から、志岐和彦さんの作品 - 「気を抜くないつもの慣れが命取り」が最優秀に選ばれた。

また、その〃精神〃を見事に具現化・実践したとして、小浜高校体育館や大村湾の水処理施設などの工事に携わった担当者や協力事業者が表彰を受けた。

この日はまた、雲仙警察署の大島英吾署長と大村駅前の伊崎脳神経外科・内科の伊崎明院長氏がそれぞれの立場で講演。時おりジョークを交えながら、日常生活上の〃盲点〃を衝いて見せた。

大島署長は、雲仙市における犯罪発生率がいかに低いかを強調しながらも、「油断は大敵」として、大きな犯罪や事故にも繋がりかねない車や自転車の〃施錠〃の大切さを訴えた。

今や大きな社会問題ともなっている「オレオレ詐欺」の実態については、日本全体で230億円、長崎県内でも3億5千万円もの被害が出ていることを伝えた。その上で、同署長は「『即振込め!!』と言ってくるのは全てウソだから、決して相手にしないように」と注意を促した。

一方、伊崎院長は「ストレス社会を健康に乗り切るための知恵~心の健康、睡眠、禁煙治療を中心に~」と題し、問題解決に向けて自分で出来る様々な〃処方箋〃について、平明な口調で語った。

とりわけ印象に残ったのは「禁煙」の話。筆者自身、これまで幾度も挑戦しては挫折を重ねているので、「我が事」として真剣に聴いたのだが…。

伊崎さんによれば、喫煙による「増税効果」を喧伝するような考え方は、まったくもってお門違い。むしろ、禁煙がもたらす医療費の「抑制効果」にこそ目を向けるべきだ、と。

また、これから禁煙を志す人にとっては「保険」が適用されるようになったことは大きな朗報。医者に相談しながら、取り組んでいけば「効果てきめん」と力を込めた。

ただ、植木等じゃないけど、「わかっちゃいるけど止められない」というのも〃人情〃というもので…。嗚呼、もう灰皿が一杯になってしまった。イカン、きっと明日から!!


2009/06/27

まーだ1番になるな!?…渡辺先生「ちょっといい話」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この季節、出張や雨降りにかまけて、つい怠けてしまいがちな花壇の手入れだが、我が社の若手社員は留守中も良く面倒を見てくれているようだ。感心!!

花と対峙していると、色んな考えが浮かんでは消える。買ってくるのは大抵1苗50円前後の「安物」だが、これにも随分と「当たり」「外れ」があるものだ。

ある苗は、植えた当座は元気がないが、見る間に大きく育ったりする。逆に、なかなか勢いが出せないのもいる。育てていて一番嬉しいのは、萎れかかっていた苗が元気を取り戻して、花を咲かせた時だ。

以前、元国見町長の渡辺秀孝さんから聞いた「ちょっといい話」。渡辺さんは剣道、相撲、ラグビーと何でもこなす〃武闘派〃の体育教師だったが、人一倍の〃人情家〃でもある。

若かりし頃、北目のある小学校に、体育の授業にもほとんど参加できない体の弱い女の子がいて、担任を受け持っていた。ある時、みんなで普賢岳登山をする話が持ち上がった。

で、渡辺さんが取った行動は - 。これはクイズでもなんでもない「実話」なのだが、渡辺さんはその女の子を荒縄でおぶって登ったというのだ。

一度でも普賢岳に登ったことのある人なら、その道中がいかに急峻であるかお分かりだろう。我が身一つでも大変なのに、いかに虚弱な小学生とはいえ、通常のリュックの重さとは比較にはなるまい。

それでも渡辺さんは登った。ただ、最終最後の難関を残して - 。「ここまではオイと一緒に来た。後は自分の足で登ってみろ!!」。その言葉に勇気づけられた女の子は、一歩一歩を踏みしめながら、ついには頂上を制覇した、という。

拙文を書きながらも、若き青年教師の晴れやかな表情とともに、クラス全員が大喜びしている様子が目に浮かんでくるようだ。ビバ、ヒデタカヤン!!

渡辺さんによると、あれから何十年が経った今でも、同窓会などがあるとその女の子(今では立派なオバサン)は真っ先に抱きついてくるそうだ。

そう、育つという過程においては、「人間」も「花」もさして変わりはない。最初は優秀で元気が良くても、いつしかその「精気」を失くしてしまう者もいる。原因は、親をはじめとした周囲の「理解」や「愛情」が不足していることかも知れない。

そんなこんなを考えながら、先日、三男坊と一緒に朝飯を食べていたら、「今日は試験だ」という。「おーそうか」と答えた後で、「いいか、人間は遅咲きが本物だ。絶対にまーだ1番なんかになるなよ!?」と、アドバイスを送った。

すると、三男は「分かりました、お父様」とニヤリ。その後はやけに自信たっぷりの表情で出掛けて行ったが、まさか…?世の中、これを指して「杞憂」と言うらしい。


2009/06/26

もう、きみには頼まない…政治屋の態度豹変にビックリ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「正直が一番!!」と叫んでいるお方が本当に正直なのかどうか、正直なところ分からないが、関西弁で「世の中ゼニやでー」とうそぶかれれば、妙に納得してしまうのも〃人情〃というものだ。

その「ゼニ」の話を取り上げた、映画『ハゲタカ』を観てきた。この作品のモデルとされた会社に、ちょっとした知り合いがいて「是非とも観てね!!」と勧められていたからだ。

面白かった!!何より、主役の大森南朋(なお)がカッコよかった。映画は観てのお楽しみだから筋書きを記すのは避けるが、最終章近くでお金を石油缶で燃やすシーン(中国ロケ)があり、その際のセリフの凄みに唸った。

〈中国では、死者があの世で迷わないよう、こうして実際のお金を火にくべる風習がある。人生を良くするのも、悪くするのも、すべてはお金である〉 - 。正確ではないにせよ、そうした趣旨の発言だった。

本当にそうだ、と思う。お金は無さ過ぎても困るし、かと言って有り余れば後々に禍根を残すことにも成りかねない。鑑賞後、改めてそう実感した。

こんな事を書くと「わかった風な口を…」などと、ご批判の言葉を頂戴するのももっともなことで、反論の余地などない。何せ、本当の「金欠」も「金余り」も経験がない。

まあ、庶民と言うか、大概の人間はそうだろうから、特段、気に病むこともあるまい。ただ、金や名誉に目が眩んで、ふんぞり返っている政治屋さんはいただけない。

人間の本当の思いは、まず言葉の端々に出る。この間まで丁寧な物腰だった人物から、突然、別人かと見間違うかのような〃横柄な態度〃を見せつけられた。つい先日のことだ。

元来が短気な方だから腹が立って仕方がなかったのだが、相手はある意味権力者(?)。怒っても大人げないので、自らを慰撫することで収めた。

そんな時思い出すのが、かつて経団連会長を務め「財界総理」とも呼ばれた石坂泰三さんが吐いたという「もう、きみには頼まない」との切り捨て言葉。

この言葉は、日本で初めての「万国博覧会」(1970年・大阪)の会長を拝命した石坂さんが、余りに動きの鈍い役人に対して発したとされ、城山三郎さんの本にもなっている。

勝手な思い込みながら、筆者はこの言葉を自らの「金科玉条」としている。本当は頼まないでも出来ることでも、チームワークを重視する立場から、まずはお願いしてやらせてみる。

ところが中には、そうした思いに冷水を浴びせかけるような、思慮に欠けた行動に走ってしまうような輩もいる。そんな時、心の中でひっそり呟くのが、この言葉である。

どうも件の政治屋さんは「威厳」と「虚勢」の意味を履き違えておられるようだ。くれぐれも〃ご自愛〃のほどを…。


2009/06/24

セミナーで猛勉強!?…改めて読む「教育勅語」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

毎回のように参加している「CATVフェア」(18日~19日)を今年は見送った。その代わりと言っては何だが、某経済研究所が主催しているセミナー(22日)で勉強してきた。

中身については〃企業秘密〃の部分もあるので割愛させていただくとして、「放送や通信の分野に関しても、世の中は確実に変化している」と実感した。

会場となった「明治記念館」には初めて訪れた。生憎の雨模様だったが、JR信濃町駅から300メートルの交通至便な場所で、さほど濡れることもなく辿り着くことができた。

つらつら思い起こせば、ここは大学時代の同級生同士が結婚式を挙げた所だ。新郎は山形出身。東京生まれの新婦の兄は、加藤登紀子に次ぐ東大出のカンツォーネ歌手として一時期耳目を集めたこともあった。

セミナー開始まではまだ小一時間ほどあったので、玄関脇の喫茶コーナーに入ることにした。聞けば、タバコも吸えるという。何と有難いではないかと小躍りして、アイスコーヒーを頼んだ。

三服(?)ほどして支払いに立つと、「庭の見えるレジに行け」との指示。およそ場の雰囲気にそぐわないリュックスタイルで赴くと、可愛らしい娘さんが待ち受けていた。つい嬉しくなって、ポケットの小銭をかき集めてトレーに。

と、目の前に並べてあったのは「教育勅語」の折りたたみ式の栞(しおり)。グループ案内の栞と合わせてポケットに放り込んだ。

セミナーの内容は素晴らしかった。これまで既得権益の上でアグラをかいてきた放送事業者(CATV業界含む)にとって、何とも耳の痛い話が続いた。

と同時に、自信も深めた。恐ろしいくらいに講師と筆者の「読み」が一致しているのだ。「ひょっとして俺って天才!?」などと自惚れながら会場を出た。

先ほど通り過ぎた回廊には、横山大観などの日本画の名作が事もなげに飾られていた。待ち合わせの時刻までにまだ暫くの猶予があったので、雨に洗われた芝生の庭園に降りた。

一服しながら、先ほどポケットに詰め込んだ栞を取り出した。改めて読み直してみると「教育勅語」には、昨今の風潮と照らし合わせてみると、何とも考えさせられる内容が含まれている。

裏には「五箇条の御誓文(ごせいぶん)」と「明治天皇御製&昭憲皇太后御歌」(一日一首)が印刷してあった。

続いて、グループ案内をひも解いた。そして分かったことは、ここは明治憲法の草案審議が行われた場所で、別名「憲法記念館」と言うのだそうだ。

ともすれば、セミナーの内容を反芻しながら浮き足立ってしまうところだったが、『あやまたむことをおもへばかりそめのことにもものはつつしまれつつ』との御歌に触れ、吾を取り戻した次第。何事も油断は大敵!!


2009/06/23

ヤマモモ犯見つけたり!!…もっと活かそう〃島原素材〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

全日空の機内誌『翼の王国』(6月号)に「初夏を告げるヤマモモ」と題するエッセイがあった。フリーの編集者&ライターの池畑木綿子さんが、沖縄地方のヤマモモ(現地での呼び名は「ムムサングヮチ」)のことを取り上げ、紹介しているものだ。

その文章を読みながら、思わずヒザを叩いて笑いてしまった。特段、中身が面白かったわけではなく、偶然にも身の回りでちょっとした「ヤマモモ騒動」が起きていたからだ。

我が社の前を流れる音無川のすぐ脇にポケットパークがあるのだが、その一角に葉の生い茂ったヤマモモの木が立っている。少々の風ではビクともしない根の張り具合だ。

沖縄ほど早くはないにせよ、島原でもそろそろ本格的な「収穫の季節」を迎えたようで、周辺の路上には、毎朝多くの「実」が落ちている。

それ自体は綺麗な赤紫色をしているのだが、人や車が通って踏みつぶされると、何とも見苦しい。糖度が災いして、路面にへばり付く感じなのだ。

なるべく気掛けて、朝の出勤時間帯に掃き清めるようにしているのだが、ある時、大ぶりの枝葉までそこかしこに散らばっていたので驚いた。本当にどうしたんだろう…。山から猿でも舞い降りて来たのかなあー、と訝ったほどだ。

「事実」は何日かして判った。いつもより早めに出勤した社員の報告によると、近くのご婦人がバサッバサッと自前の傘で叩き落して、「使える実」だけを持ち帰って行った、と。

その話を聞いて、怒るより先に、まず笑ってしまった。そして「実の行方」を心配した。そのまま食べられたのだろうか、それとも焼酎に浸けられたか…。もし「ヤマモモ酒」にしたのなら、今度ご馳走してよね、オバちゃん。

ところで、音無川がいっぺんに綺麗になった。人力ではあれほど手こずったのに、重機が入ったら「一発!!」だ。加えて、周辺の花苗の植替えも着々と進んでいるようだ。

それ自体は大いに結構なことだが、いささかタイミングを逸しているのでは、という気がしないわけではない。つい最近まで、冬の花の代表格である「ビオラ」や「パンジー」などが半分枯れかかったままで放置されていたからだ。

少なくとも「観光地」を標榜する以上は、季節の移ろいにはもっと敏感であってほしい、と願う。誤解を恐れずに言えば、島原独自の観光素材を存分に活かし切っていないのが、残念ながら「現状」である。

敢えて個々の指摘は避けるとしても、誰がどう見ても「失敗」としか移らないような施策は即刻改めるべきである。批判のための批判を言っているのではない。率直な思いだ。

さあ、東京の夜が明けた。今日(23日)は島鉄の株主総会。早くホテルを出ないと、飛行機に乗り遅れてしまう。


2009/06/19

天草は一衣帯水の地…近々「街の駅」を開設!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

『駅』と言えば、脚本・倉本聰、監督・降旗康男で、高倉健が主役の警察官(射撃の元オリンピック選手)を演じた東宝映画の名作。1981年作。

〈お酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい♪〉。作詞・阿久悠、作曲・浜圭介のゴールデンコンビによって誕生して劇中で歌われた、八代亜紀の『舟唄』は大ヒットした。

あれからもう30年近くの歳月が流れようとしているのか…。個人的には、今から7年ほど前、天草の学校の体育館に、降旗&高倉の両雄を招いて開かれた『蛍』(東映)の特別上映会のことを思い出す。

先般、ジオパーク関連の会議が東京であって、当時の本渡市長だった安田公寛(きみひろ)さん=現天草市長=を久方ぶりに見かけた。折角の機会だからと、恐る恐る名刺を差し出して「当時の話」を投げかけたら、「そうでしたか。これからは一緒になって頑張りましょう!!」と、いたく共感してくれた。

映画の企画は、古里から映画館が消えることに危機感を覚えた一人の若者が、周囲の関係者に協力を呼びかけて実現したもの。同市長によれば、今でもその若者は必死で頑張っており、女優の宮沢りえも応援に駆け付けてくれた、とか。

さらに驚くべきは、今をときめくアカデミー賞の受賞作品『おくりびと』の脚本を手がけた小山薫堂(オレンジ・アンド・パートナーズ代表)が本渡市の出身で、その映画館のすぐ脇に生家がある、という。

小山に関しては、最近ではテレビの経済番組等でも取り上げられているように、活躍の場は芸能界だけにとどまっていない。日光の名門「金谷ホテル」の再生担当の顧問としても注目を集めている、という。

こうした「天草人」の活躍を耳にするたびに、翻って「我が島原半島は…」などと、つい悲嘆にくれそうにもなるが、何も諦める必要もあるまい。意志あるところに道あり、だ。

古の昔より、両地域は「一衣帯水」の関係にあったはず。ところが、筆者の感じるところ、最近ではややその関係が希薄になっていたのでは…。以前は、スポーツ大会等の「交流」もかなり盛んだったような気もする。

やはり、三角航路がなくなってしまったことの影響は大きい。ただ、口之津と鬼池を結ぶ島鉄フェリーが今でもその命脈をしっかりと保ち続けており、沿線の「イルカ・ウォッチング」も人気だ。

安田市長もそのことに意を強くしている様子で「鬼池港の整備も間もなく始まります」と相好をくずしていた。

『駅』から『港』まで随分と話が飛んでしまったが、双方とも「交通の接続機関」であると同時に「情報発信基地」である。弊社も近々『街の駅』なるものを始めようと考えている。随分と「回り道」をしてしまったが。 - 文中敬称略 -


辻井さんと渥美さん…共通するのは優れた感性

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

馬齢を重ねてくると、「名前」と「顔」が一致しないことがままある。相手の方は親しく話しかけて下さっているのに、どうしても名前が浮かんでこないのだ。結果、会話がぎこちなくなったりする。

その点、「有名人」はいい。あらゆる機会を通じて「情報」が刷り込まれているので、ボンクラ頭でも迷うことはない。ただ、似通った名前には、少々面食らうこともある。

その良い例が、先ごろの「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝した「辻井伸行」さんと、元ソニー最高顧問の「出井伸之」さん。まあ、単なる「語呂合わせ」のようなものだが…。

ところで、受賞後に何かとメディアに露出している辻井さんの表情を見ていると、筆者には「フーテンの寅さん」こと渥美清さんの持つイメージとダブってしまう。それくらい良く似ている、と思う。

こんな事を言うと、「コラッ、おいらの啖呵売(たんかばい)と、クラシックピアノの坊ちゃんを一緒にしてもらっちゃ、先方様に失礼だろうが。このタコ野郎!!」と、あの世の寅さんから怒られてしまいそうだが、もう書いてしまいました…。

辻井さんの初映像作品は、東京・サントリーホールでのコンサートの模様を収めた『川のささやき』というのだそうだ。専門家に言わせると、この「ささやき」という表現がいかにも「辻井さんらしい」というのだ。

この作品は辻井さんのオリジナル曲。通常なら「せせらぎ」とするところを、「(川)音が自分に向かって『ささやいて』いるかのように聞こえたから」とアエラ誌でのインタビューに答えている。

立場をわきまえもせずに言うが、何ともまあ瑞々しい「感性」ではないか!!小泉元首相の言葉を借りれば些か生臭さが漂うが、本当に感動した!!

ただ、その「感性」の問題で言えば、国民的映画俳優であった渥美さんの「それ」も、決して劣ってはいない、と思う。

手元に一冊の本がある。元毎日新聞記者、森英介さんが著した『風天~渥美清のうた~』というタイトルだ。大空出版刊。帯には「話芸の天才、渥美清の『知られざる俳句人生』」などとある。

この本を読んですぐに分かったのは、演じる寅さんとは真逆の路線を行くシャイな人柄と、並外れて優れた言語感覚だ。ランダムに何句か抜粋する。

〈お遍路が一列に行く虹の中〉〈乱歩読む窓のガラスに蝸牛〉〈好きだからつよくぶつけた雪合戦〉〈湯豆腐ののど元過ぎて腹熱く〉〈赤とんぼじっとしたまま明日どうする〉 - 。

「音楽」「俳句」と誠にもって門外漢ながら、今日もまた指先の赴くままに「駄文」を連ねてしまいました。あいすみません。


2009/06/18

どこまでもゆこう…果たして「名門対決」や如何に

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今はどうだか知らないけど、昔は「音羽」(おとわ)と言えば、「講談社」か、「鳩山邸」か、「ゆりかご会」(児童合唱団)か、を指したものだ。

そのうちの一つ「鳩山」さんが、このところやけに元気だ。兄の由紀夫さんが民主党代表に就任して「政権交替」の必要性を高らかに謳い上げる一方で、弟の邦夫さんは「正義」に殉じて総務大臣の椅子を棒に振った。

年配の方なら良くご存知だろうが、邦夫さんの奥様は元人気タレントの高見エミリーさんだ。今でも覚えているのは、風邪薬のCM。確か製品名は「ジキニン」と言ったが、ご主人は一文字違いの「ジニン」の道を選択された。

昨夜のテレビニュースでは、件(くだん)の辞任劇で「株を上げた」ことに気を良くしてか、仲間内の国会議員を集めて「天ぷらパーティ」なんぞを催されていた。

漏れ聞くところによれば、前総務相は大の「料理好き」とかで、毎朝、秘書の分まで賄われているというが、本当だろうか?もっともこれからは、大臣職を離れられたので「時間」はたっぷり取れるであろう。

いやいや、「裏」では実兄と繋がっているかも知れないし、仮に自民党内に残ったとしても、新たな「足場固め」で頭の中はいっぱいかも…。野次馬的にその心境を忖度(そんたく)すれば―〈どこまでもゆこう、道はきびしくとも♪〉といったところだろうか。

ところで、この歌は小林亜星さんの作詞・作曲で、今でも耳に馴染んでいるブリヂストンタイヤの名CMソング。そう、ブリヂストンと言えば、鳩山家に繋がるというわけだ。まあ「政界は一瞬先は闇」とまで言われてますので、くれぐれもご用心のほどを!!

一方、兄上は「政治家」にしては珍しい工学部(東大)のご出身。その特異な風貌から一時期は「宇宙人」とのニックネームまであったそうだが、ソフトな語り口がいかにも「育ちの良さ」をしのばせる。
ところが、ところが!!この方、なかなかの「情熱家」のようで、現在の幸(みゆき)夫人を射止めたのは、たまたま隣り合わせで座った国際線の機中。しかも「略奪婚」だったとか!?

以前、病院での時間待ちの際に読んだ女性週刊誌の記事なので、真偽のほどは定かでないが、筆者などにはとても真似のできない「離れ技」である。いや違う「寝技」か?

とまあ、カクカクシカジカ、盛んに気を吐く鳩山兄弟に、麻生総理はどう対抗していかれるのか。「タラ、レバの質問には答えられない」などと能天気なことばかりおっしゃっているのは、果たしてイカガナモノカ?

半世紀の時を超えてぶつかり合う政界の「名門対決」を見ていると、いつの間にか「世襲論議」を忘れてしまいませんか、ネー皆さん。


2009/06/16

人生は「敗者復活戦」…大久保選手からプレゼント

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

17日夜、ワールドカップサッカー最終予選・アジアグループA組のチャンピオンチームを決める「日本VSオーストラリア」戦が行われる。

ただしこの試合は、すでに本選への「出場権」を得たもの同士の戦いだから、言い方は悪いが、「消化試合」のようなもの!?いやいや、そんな事は言ってはいけないか…。

そこで気になるのが、我らが大久保嘉人選手(27)=国見高出身=の動向。が、どうやら今回は欠場しそうな気配。ファン心理としては、あの闘志溢れるプレーを観戦できないのは残念なのだが…。《本当のことはわかりませんよ》

さて、その大久保選手から弊社発行の「もっぱらカード」の加入者向けに、何とも素敵なプレゼントを頂戴した。国際試合などで使用する公式ボールに、本人が直々に「サイン」を書き入れたものだ。

全部で5個を頂戴したのだが、1個は「特権」を利用して筆者がいただくことにする。《ゴメンナサイ…》つまり、残り4個が「抽選」の対象となるので、皆様どうぞお楽しみに!!

しかし、「本物」のサッカーボールがこんなに大きいものとは、つゆ知らなかった。サポーターならずとも、それらを前にして、スタジアムでの熱狂ぶりに「想い」を馳せるのも、また一興である。

その点、ゴルフのボールは余りにも小さいが、これが思い通りに運ばないこと甚だしい。《筆者の場合ですよ》最近では少しだけ「思い」が伝わるようになったが、まだまだ「名人」の域には程遠い。《当たり前だろうが!!》  
 
考えてみれば、サッカーもゴルフも…。いや、スポーツはすべて単純極まりないゲームだ。野球だって突きつめれば、「投げて」「打って」「捕って」「走る」だけの競技である。陸上や水泳はさらにシンプルだ。

だが、その「単純さ」故に人々は「熱狂」する。観る側も、観られる側も。何となれば、そこには「筋書きのないドラマ」が時に用意されているからだ。

負けてよし。勝ってよし。ルールに従って精一杯のプレーができれば、それでよし。ラグビーにおける「ノー・サイド」とは、誠にもって言いえて妙な表現である。

「人生は敗者復活戦」というのが、筆者の前々からの持論である。誤解していただいては困るが、決して「敗北礼賛主義」というわけではない。色んな局面において、ただ、勝つことより、負けから学ぶことの方がより多いからだ。

高校総体に続き、中体連も終わった。優勝したチームや個人はさらに上の戦いに挑むことになろうが、どうか「敗者の悔しさ」を忘れないでいただきたい。

一方で敗れたアナタ。まだまだ先は長いぞ!!もちろん勉強も、だ。これから先もずっと「敗者復活戦」は続くのだから…。


2009/06/15

「はちきん」って何?…制度悪用で女性局長逮捕!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

15日はあいにくの新聞休刊日。厚生労働省の女性局長逮捕をはじめ、読みたいニュースが山ほどあったのに、何ともまぁー間(ま)の悪い…。

仕方がないので、営業の〃新人君〃をコンビニまで買いに走らせたのだが、真面目な性格そのままに、400円を渡したのに買ってきたのは1紙だけ。恐る恐る差し出してきた領収書に思わず苦笑した。

もちろん、読みたいのは昨日のプロ野球やゴルフの結果ではない。「女性キャリアのエース」とまで呼ばれた、同省の村木厚子雇用均等・児童家庭局長(53)の記事である。

中身については、テレビのワイドショーなどで繰り返し放送されているので重複は避けるが、「キャリア」とはいえ、この方は高知県生まれの高知大の卒業生だという。

失礼ながら、東大や京大といったお定まりの「エリートコース」をたどっていない点が、かえって興味を引く。「53歳」という年齢にも目が留まった。

というのは、かつての筆者のマージャン友達だった人間と「同期生」(旧労働省)に違いないから、だ。方や「局長」。ところで奴はどうしてるのだろう?

テレビ画面で繰り返し放映されている国会答弁の様子を見ても、到底「悪い人」には思えない。「ひっつめ髪」の真ん中の部分がハゲたように見えるのは、恐らく伸びかけた白髪のせいであろう。

地方国立大出とはいえ、頭脳明晰で入省成績も抜群であったろうし、省内の出世競争を勝ち抜いているところを見ると、性格も土佐特有の「はちきん」に違いねーぜよ。

いずれにしても、今回の事件の「裏」にはきっと何かある。テレビのコメンテーターが言っているように、またぞろ政治家の影がちらつく。

そういった意味では、村木局長も「被害者」なのかも知れない。いやいや、分かっていて手を染めたのだから「確信犯」ですよ。まあ、見方は色々だ。

説明が遅くなったが、「はちきん」とは豪快な土佐男の気質を表す「いごっそう」と対比される、しっかり者の土佐女のこと。記事を書きながらネットをめくっていたら、たまたま面白い「語源集」に巡り合えたので、紹介しておく。

それによると、「はちきん」を感じで書くと「八金」。すなわち、4人の男の○○○○を手玉に取ることから、「やり手」の女性を指すのだ、と。なるほど、言いえて妙である。

ところで、昨日は前市議の内田憲一郎さんの三回忌が護国寺で営まれたのだが、生前、内田さんが元気だった頃に紹介を受けたKさんも顔を見せていた。

法要の後で些か不謹慎だが、「○○○○」と聞けば、Kさんの「秘伝の技」を語らずにはおけない。ただ、今日の所は紙面の都合もあるので、内田さんの墓前に再度お参りして、お許しを得たうえで - 。


2009/06/13

昔は卓球名人だった!?…荻村伊智朗さんの思い出

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

私事で恐縮だが、これでも中学時代は卓球の名人(?)であった。西部中体連大会には、1年次からただ一人レギュラーで出場。2年生の時には、優勝常連校の南串山中のキャプテン(3年生)を破った。《世界が狭いなぁー》

当時の中学生チームでは、西有家中が抜群に強かった。郡の大会に出場した際、ペンホルダーの攻撃性を駆使した見事なフットワークぶりに、ほとほと感心したものだ。

残念ながら何回戦かで敗れて〃直接対決〃の夢は叶わなかったが、その時は「上には上がいるなー」と実感した次第。

元々は剣道部に入る予定でいた。ところが、初練習で先輩にメッタ打ちにされたことがトラウマとなってすぐに方向転換。有段者の叔父からは「こん軟弱者が」とこき下ろされた。

しかし、人生とは面白いもので、後に巡り会って親しくなったのは卓球よりも剣道関係者の方が圧倒的に多い。大学時代の親友の一人、O君は卒業するまでガクランで過ごした考古学好きの剣士であった。

数年前から突如として版画刷りの賀状をいただいているが、現在は神奈川県の県立高校で世界史を教えている、という。充実した人生ぶりがうかがえて、朋としても嬉しい。

ところで、なぜ唐突に「卓球」の話なんかを持ち出したのかについて、少し触れる。きっかけは新聞のスポーツ欄。日本を代表するプレーヤーの福原愛&石川佳純組が出場している「荻村杯」のことだ。

卓球界以外では荻村伊智朗さんの名前は余り知られてはいないだろうが、筆者がラケットを握り始めた当時は、まさに「輝く星」だった方だ。

世界選手権優勝12回という輝かしい戦績ばかりに目が向いてしまうが、そればかりでない。中国の門戸を開いた意味でも「ミスター卓球」という呼称が相応しい人物であった。

そんな大それたお方に、ナント筆者は直接指導を受けていたのだ。教養課程の「体育」の授業だったから、別段自慢する話でも何でもないのだが、ご本人を前にして随分と緊張したことを覚えている。

印象を言うなら、物腰の柔らかな、とてもやさしい感じの先生だった。

「卓球」を終えた後は「合気道」を選択した。こちらは一転、雰囲気が異なった。先のO君などが日々練習に励んでいる体育会系の剣道部や柔道部などが入っている「武道館」が教室だったが、それはそれとして大変に面白かった!!

授業では受身や短剣捌きなどを繰り返し教えてもらった。中に可愛らしい女子部員(指導助手)がいて「組み手」をするのが楽しみであった。

ある時、腕を挟まれる態勢に持ち込まれた際に、「痛…。けど気持ちいい」と叫んだ途端、アッという間に投げ飛ばされていた。ほとほと「武道」には向いていない人生のようで…。


2009/06/11

「天才」の言葉に泣く…辻井伸行さん&藤沢秀行さん

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

各紙、筆を揃えるかのように、米国で行われた国際ピアノコンクールで優勝した盲目のピアニスト、辻井伸行さん(20)の〃快挙〃を褒め称えている。

誠にもって〃同感〃である。殊に10日付『天声人語』(朝日)で紹介されていた語録には泣いた。「一度だけ目が開くならお母さんの顔が見たい」と…。常々、親不孝、嫁不幸を重ねている身にとってはズシリとこたえる〃響き〃である。

辻井さんは生まれつき目が不自由で、音だけを頼りに現在の境地に至った。もって生まれた「天賦(てんぷ)の才」もあろうが、「努力」の2文字の存在を見落としてはなるまい。

発明王エジソンの有名な言葉に「天才は1%の霊感と、99%の発汗から成る」というのがあるが、今更ながらに、その深い意味合いを考えさせられる。

何はともあれ、おめでとう、辻井さん!!さらに精進を重ねて、どうか21世紀を代表するピアニストに成長して下さい!!

ところで、「天才」にも色々あって、先ごろ亡くなった藤沢秀行さん(享年83歳)は〃破天荒〃を地でゆく無頼派棋士の「天才」だったようだ。

亡くなった直後に読売『編集手帳』で紹介されていたエピソード。将棋の米長邦雄名人の奥さんが「主人がもう何日も家を空けているんですよ」と愚痴の電話を入れたら、モト夫人は「うちのは5年ほど出たっきりです」と答えた、という。

そのモト夫人が発売されたばかりの文藝春秋7月号に、「『無垢のひと』藤沢秀行の最期を看取って」と題して手記を寄せている。これが読売コラムの〃信憑性〃を裏付けるような内容で、すこぶる面白い。

藤沢棋士は一言でいうなら「直情径行」の人。思い立ったら自分の意のままに動き出す性格で、銭湯の帰り道でモト夫人を見初めた。最初のデートに家族総出(6人)で現れたという話には大いに笑った。

その甲斐あって、めでたく結婚まで漕ぎ着けるのだが、後は酒に、女に、ギャンブル…にとやりたい放題、好き放題。ただ「女」と言っても半端じゃない。2軒の「外の家」をつくり、それぞれに2人ずつの子をなしているのだ。

一方で、本業の囲碁の勝負では「天才」の名を恣(ほしいまま)にする抜群の冴えを見せ、昭和52年から前人未到の「棋聖戦」6連覇。同時に死の直前まで後進の指導・育成に心血を注いだ、という。

モト夫人の述懐―「わがまま放題で酒浸り。競輪・競馬に熱中したり、事業に失敗したり…(中略)…外に何人もの子供をもうけて、頭の中は碁のことばかり。それなのに、こんなに多くの人に愛された…」。

藤沢さんは亡くなる10日ほど前に、長男を枕元に呼んで「母ちゃん、好きだ」と2度繰り返した、という。辻井さんの場合とは、また違った意味で泣けた。


2009/06/10

鎌田さん〃怒り〃の新刊…紫陽花の美しさいま改めて…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

斯界の大先輩であるルポライターの鎌田慧さんから新刊書をご恵贈いただいた。大月書店発行の『いま、逆攻のとき - 使い捨て社会を越える - 』という作品だ。1,575円。

最初に鎌田さんと会ったのは今から18年前の噴火災害の直後。酒場だった。たまたま朝日新聞社に共通の知人がいて、いっぺんに打ち解けあった。

週刊誌(確か文春)で何度か氏の作品を読んでいたこともあったので、背伸びして議論に挑んだのだが「キャリアが違うよ」と、笑いながら軽くいなされた。

ただ、そうは言われても「不思議な感覚」と言うか、馬鹿にされた思いは微塵も抱かなかった。かえって「益々ファンになった」というのが率直な印象であった。

鎌田さんの名を一躍世に知らしめたのは、トヨタの工場で働く季節労働者の実態を暴いた『自動車絶望工場』(講談社文庫)。企業側の身勝手な論理で「派遣切り」が横行している現代の世相を、あたかも先取りしたかのような歴史に残る一作である。

常に「弱いもの」の立場で社会の問題点を抉り取る一貫した「反骨」の姿勢はデビュー以来変わりなく、筆者などはその文章に触れるたびに「冷や汗」を覚える。

本書でも、その鎌田イズムはいかんなく発揮されており、頁をめくるのが恐いくらいだ。『反貧困ネットワーク』事務局長の湯浅誠さんやノンフィクション作家、川田文子さんとの対談も収蔵されている。是非ご一読を!!

   ※    ※   

「最近の天気予報はよく外れる」などと言われるが、今回の梅雨入りはバッチリ当たった。

一昨日だったか、久しぶりに早目に帰宅してNHKの7時のニュースを観ていたら、ダイエットに成功した若き日の朝丘雪路のようなお天気お姉さん(気象予報士)が、身体を前後に揺すりながらそう予想していたからだ。

「梅雨」というと、やはり「アジサイ」(紫陽花)である。拙宅の庭でもなかなか見事な大輪の花を開かせているが、母に聞くと、親戚の亡くなったお婆ちゃんから頂いたものを「挿し木」にして育てたものだそうだ。

長男がまだ小さい頃だったというから、かれこれもう20年の歳月が流れようとしている。まさに「年々歳々 - 」の世界である。

雨に打たれたアジサイ花の美しさは、また格別である。ひっそりと、けな気で、薄幸の雰囲気すら漂う。かと言って、華やかさも欠けてはいない。

ただ、忘れてならないのは「冬のアジサイ」の様相である。すっかりと葉を落とした裸木の寒々しさの対極に、今の美しさがあるのだ。

そうした思いで改めて眺め直してみれば、なお味わい深い花である。


2009/06/08

そこに山があるから…「サガルマータ」て何だ?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「そこに山があるから」 - 。イギリスの登山家マロリーは「なぜエベレストを目指すのか?」という問いかけに対して、そう答えたという。真偽のほどは定かでないが、その命日は85年前の今日(6月8日)とされている。

遺体は死後75年が経過した1999年5月1日に、山頂付近で発見されている。何とも〃謎〃に包まれた生涯ではないか。

ご存知「エベレスト」(英名)は、登山家すべてが憧れる世界最高峰だ。標高8844メートルは富士山の3776メートルとともに深く脳裏に刻み込まれた数字で、今でも良く覚えている。

近頃はチベット語の「チョモランマ」という名前も普及してきたが、ネパールでは「サガルマータ」という呼び名だと聞いて、そのユーモラスな〃響き〃に思わずほくそ笑んでしまった。

世界の話はさて置くとして、我が島原半島住民にとっての「古里の山」は雲仙岳である。ただ、そうは言っても、実際に「雲仙」という山は存在せず、あくまでも〃総称〃として使われているのだが…。

では、諫早住民にとってはどうかと問えば、やはりその対象は「多良岳」ということになろう。その「多良岳」に昨日(7日)登ってきた。

きっかけは「そこに山があるから」 - といったような哲学的な要素など微塵もない。前夜、どうしても盾(たて)をつくことのできない先輩ご両人に呼び出されて〃同行〃を余儀なくされたのだ。

とは言っても、最近ではこの方々のおかげで「山登り」(登山と言うには余りにもおこがましい)の面白みも分かりつつあるので、嬉々として参加させていただいた。

一行は、下は就学前の幼児から上は60歳代のセミプロまで、合わせて10人。国立青少年自然の家からさらに林道を30分ほど入った所を起点に、往復で3時間ほどをかけて金泉寺、国見岳、多良岳を踏破した。

山頂からは有明海が一望できたが、あいにくの曇り空で、島原半島の輪郭はうっすら。逆に、諫早・大村側の多良山系の在り様は手に取るように分かった。

「そうか、あのテレビ塔が何本も建っているのが五家原か」などと感動しつつ、今月が「電波の日」(1日)から始まる「情報通信月間」であることを思い出したりした。

標高的には、1300メートル級の普賢岳などと比べるとやや格落ちの感が否めないが、岩肌がむき出しになった隘路(あいろ)や石仏などがあって、また違った〃魅力〃に溢れている。

今、山登りで痺れが残る両脚を擦りながら、「なぜ毎日飽きもせず、そんな下手糞な原稿を書くの?」。そう自問しながら拙文をしたためている。

誠にベタな結びで恐縮だが、「そこに締切が迫っているから」。嗚呼、恥ずかしい!!


2009/06/05

ビジネスは、やり方次第…プロフェッショナルの視点で

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いま「農業」に注目が集まっている。経済誌や新聞社系の週刊誌でも特集記事が目立つ。もちろんテレビも黙ってはいない。

先日、NHK総合テレビで放映された『プロフェッショナル』(仕事の流儀)は圧巻だった。感動した、と言ってもよい。

番組が取り上げていたのは、千葉県で農業法人を営んでいる木内博一(ひろかず)。まだ41歳の若き経営者だ。

東京の大学を中退した木内は仕方なく家業の農業に戻るが、そこで感じた「理不尽さ」をバネに、本気で経営改革に取り組む。最初は5人からのスタートだった(現在は91人)。

まず取り組んだのは、都内スーパーへの産地直送便。予想以上に反応が良く自信をつかんだ。同時に売る側の視点で、価値あるヒントを得た。

偶然、陳列棚から醜くはみ出ていた長尺ゴボウの姿が目に留まったのだ。「カットして出せば、もっと売れるはず!!」。狙いは物の見事に的中した。

それを契機に、普段では売り物にならない規格外の「屑物野菜」のパッケージ販売に取り組んだ。またも当たった。

現在の売上高は約7億円。中には一人で1億円を稼ぎ出すツワモノまで出てくるようになった。

木内の挑戦はそこで終わらない。「立ち止まるな。次へ、次へ…」が木内のキャッチフレーズである。

つい先日は、オーストラリアのとある州政府が木内の取り組みに興味を示し、「糖度の高いトマトの栽培をやらないか」と提案してきた。

広大な農園経営に夢を膨らませて現地まで足を運んだ木内だったが、感じるところがあって、その提携話を断念した。引き際も見事である。

新たに木内が始めようとしているのは、何度でも収穫が可能な「ハウスレタスのカット栽培」。学者とのベンチャービジネスだ。

木内は言う。プロフェッショナルとは - 「信念をしっかり持っていて、なおかつ環境や時代に柔軟に対応できる人」。

以前に観た他局の番組では、同じく一般市場では売り物にならない「雑魚」を大量に買い付けて、顧客の開発・拡大につなげた岐阜羽島の地方スーパーの経営者を取り上げていた。

朝日新聞・アエラ誌によると、日本農業の市場規模は約80兆円。昨今の経営危機を引き金に、新たに農業ビジネスに触手を伸ばす企業も相次いでいる。

そのうちの一つ、渡邉美樹(政府教育再生会議委員)率いる「ワタミ」が手がける生産法人の栽培面積は475ヘクタール。全国各地の「和民」ばかりでなく、スーパーからネット販売までと裾野が広い。

ビジネスは、やり方次第。恵まれた栽培環境にある島原半島はまだまだ大きな可能性を秘めている。出でよ、農業プロフェッショナル!!(文中敬称略)


迷路に入った絶対論議…「横にして流されず」の精神で

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昔、あるラジオ局が子供向けに「サンタさんに手紙を書こう」というキャンペーンをやっていたら、「サンタクロースなどこの世の何処にも存在しないのに、ウソを言うな」という苦情が舞い込んだ。

その時の局側の反論が面白かったので、紹介しておく。「そうおっしゃいますが、サンタクロースが絶対に居ないという証明ができますか」と。

昨報の「絶対」にまつわる筆者の「グダグダ言い訳」に対して、梅林次生先生から「お叱り」の電話をいただいた。直接受けたわけではないので、詳細は分からないが、「絶対は確かに存在する」との由。

安養寺の檀信徒として、ネパール等への紀行を重ねられている同先生は、仏典を元に「生あるものは必ず死す」と、「絶対の存在」を強調されたそうだ。

いやはや手慰みで書いた拙文に対して、それほど大上段に構えられると、うろたえてしまうが、少しだけ反論させていただくなら、「不老長寿の妙薬が絶対に開発されない」との証明も出来ないでしょう?

ここまで来ると、冒頭の「サンタさん論議」のようなもので、双方が納得できるような〃正解〃を導き出すことは極めて困難である。故に「絶対は存在しない」と筆者は考える。従って、これ以上議論を重ねてもエネルギーを消耗するばかりなので、もう止めましょうや、梅林先生!!

話は変わって、横田島原市長が6月3日の「いのりの日」に市内に居なかったことに対して、各紙の論調が喧しい。皮切りは2日付の読売新聞だった。

その読売は、5日付の一面コラムで「横」という漢字を取り上げ、「かわいそうな字である」として、「横暴」「横車」「横着」…など否定的な使い方で、日本郵政の社長人事問題を皮肉っている。

しかしながら、この書き方では、横田さんや横山さんのように名前に「横」が付く人は余りにも可哀そうだ。縦と横、男と女…。世の中すべて〃真反対〃の要素で成り立っている。

実は、普賢岳の噴火災害がまだ激しかった頃に今回と似たような事例があった。その時は西日本新聞が当時の高田知事の行動をヤリ玉に挙げた。

その高田知事は横田市長が県職員時代に仕えた直属の上司。よもや今回の政治判断が〃高田流〃に倣ったものではないだろうが、奇しくも、同じよう騒ぎを巻き起こしている。

ただ、冷静になって考えてみれば、復旧から復興への大きな道筋をつくった「立役者」は、他ならぬ高田知事であり、誰しもそのことに異論はあるまい。

出典も、正確な読み方も忘れたが「横にして流されず」(?)という言葉がある。横田市長には、高田知事や鐘ヶ江&吉岡の両先輩市長が紡いだ「縦糸」に、地域繁栄の「横糸」を力強く織り込んでいってほしい。


2009/06/04

絶対はあり得ぬこと!!…「言い訳」のオンパレード

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

残念ながら、今日は「訂正」から入る。昨報の、「定点」付近で観測しているクラフトさん夫妻の姿を収めた写真の撮影月日が「6月3日」(平成3年)とあるのは誤りでした。

正しくは「6月2日」で、筆者のブログにもそのように記しておりますが、余りにも「6月3日」のイメージが強いため、新聞製作の校正段階で筆が入ってしまっていました。

お詫びついでに少し「言い訳」をさせていただきますと、世の中には「絶対」ということはまずあり得ません。ここで筆者が「6月2日」と言い張っても、それを完璧に照明する方法は見つからないのです。

ウソかマコトか知りませんが、かつてナポレオン皇帝はその絶頂期に、「世の辞書に『不可能』の文字はない』と胸を張ったと言われています。

ただ、それがいかに空々しい「虚勢」であったかについては、その後の歴史がものの見事に証明しています。そうなのです。洋の東西を問わず、世の中には「絶対」はゼッタイに存在しないのです。

ところが、人間はまことにもって愚かな動物で、勝ち続けている時には「負けることなどあり得ない」「このままの良い状態が未来永劫続くだろう」といった不遜な考えをつい抱いてしまいがちです。

「望月の欠けたることも…」云々と我が世の春を詠んだ藤原道長など、その典型でしょう。余談ですが、氏は晩年に糖尿病を患って、視力障害に陥っていたそうです。(本当かな?)

ところが、ところが、世の中には「ゼッタイ」があるそうなんです。もう随分以前に、漫画家で屈指のエッセイストでもある東海林さだおさんが何かの本でおっしゃっていました。

漢字で書くと「舌苔」。簡単に言うと、舌の表面についた白濁色の汚れのことで、「口臭」の原因になる、とされています。

最近では余り見かけないようですが、スーパーなどで一時期、「舌苔ブラシ」なるものが大量に展示されていたことを覚えておられませんか?

かつて、取引先の男性社員が「健康方」と称して、「寝る前に歯ブラシで舌を擦ること」を勧めてくれましたが、いざ実践してみると、ただ気分が悪くなるだけでした。さしずめ、これなどは「世の中には絶対的な健康方などは存在しない」という証しでしょう。

まあ、「お詫び」と言いながら、クドクドとご託を並べたてて申し訳ございません。ただ何度も申すようですが、「世の中には『舌苔』以外には『絶対』はゼッタイに存在しない」ということをお伝えしたかっただけなのです。

ナポレオンさんも道長公も「天下」を治めたほど人物ですから、そんなことくらい絶対に(?)分かっていたはずなんですが…。嗚呼、だんだんワケが分からなくなってきた???


2009/06/03

クラフトさんの撮影姿…故・橋本恒さんが渾身の1枚

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何はさておいても6月3日。島原市民にとっては決して忘れることのできない「祈りの日」である。筆者も小雨のそぼ降る中、仁田団地内の「慰霊碑」を訪ね、白菊を手向けてきた。

午前9時過ぎに到着したのだが、すでにお参りを済ませた方も多かったようで、碑前のテーブルにはまだ蕾(つぼみ)姿の白菊の花が層を成していた。

「古里を守る」 - 。その一念で消防の職務に殉じた若き御霊たち。言うなれば、まだまだ人生半ばの「蕾」の段階だった…。遺族ならずとも、その心境を想えば、胸が塞がる。

職に殉じたのは地元消防団員ばかりでない。警察官も、マスコミ関係者も、火山学者も、そしてタクシーの運転手さんもいた。本当に〃あの日〃から18年が経ったのである。

先月中旬、災害当時から大変に可愛がっていただいていた、本光寺町の橋本恒(ひさし)さんが亡くなった。享年満89歳。

筆者の手元には、橋本さんが愛用の「コンタックス」で撮影したポジフィルム1枚が残っている。メモ書きを見ると「平成3年6月2日」とある。

撮影場所は、まぎれもない旧北上木場町の「定点」付近だ。写っているのは、テレビ局中継車両のさらに山側で〃観測〃に没頭している、フランス人のクラフト夫妻一行だ。

橋本さんは、何かと〃器用〃な人だった。包丁さばきは言うに及ばず、カメラの腕前も相当なものだった。また、何より信心深くもあった。

ご本人から伺った、心温まるエピソードがある。大火砕流に巻き込まれて行方が分からなくなったクラフトさんらの「霊」を弔うべく、何と橋本さんは厳重な警備の隙間を縫って、余熱冷めやらぬ「定点」を訪ねた、というのだ。

あれから18年の歳月が経っているので、もう立派に〃時効〃が成立するのだが、その勇気と行動力、溢れる人間味には、今でも自ずと頭が下がる。

奇しくも本年は、日本のNHKと、フランスの国営2チャンネルが、クラフト夫妻の生涯を取りまとめた「特別追悼番組」を制作する予定だという。

先般島原入りしたスタッフから聞いた話通りに事が運んでいれば、間もなく「現地ロケ」が始まる予定だが、その後の状況はまだ掴めないでいる。

橋本さんに対しては、晩年は随分とご無沙汰続きで失礼を重ねてきたが、もちろんその折には、その貴重な1枚を、「クレジット付き」を必須条件として、喜んで贈呈しよう、と考えている。合掌。

  ※    ※

あの日の朝も、こんな雨降りだった。個人的には、たまたま「市議選」の開票明けで休んでいたことで犠牲を免れた、と言える。

もし、人生に「イフ」があるとすれば…。18年という歳月の重みを、今改めて噛みしめている。


2009/06/01

あれから18年の歳月…縁あって山口・宇部市まで

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

我が庵(いおり)は中町と上の町の中間に位置し、毎朝、お向かいの土井外科胃腸科医院越しに〃お天道様〃を拝んでいる。さしずめ、定点観測の一種のようなものだ。

冬場ご自宅の右側から昇る太陽は、日に日に左方向に位置をずらし、最近では病棟の真上あたりから柔らかな初夏の日差しを運んでくる。いささか爺むさい行為ではあるが、パンパンと拍手を打って今日一日の安堵(あんど)を祈る。

さて、いよいよ今日から6月(水無月)。明後日(3日)は忘れもしない「大火砕流」の日だ。月日の経つのは早いもので、あれからもう18年の歳月が流れるのか…。

個人的なことを言えば、当時幼稚園に通っていた長男はもちろんのこと、まだ満2歳だった次男坊ももう家を出ていない。後に残っているのは、現在高2の三男坊主だけだ。

まだ整理がつかないままに置いている当時のアルバムを捲ってみると、みんな若かった。それはそうだろう、筆者だってまだ35歳だったのだから。今ではその数字の並びが完全にひっくり返ってしまって50代ももう半ば近い。

昨日の日曜日は、長崎まで病気入院中の伯母を見舞に行った。一通り挨拶を済ませてエレベータを降りたところで、災害当時、長崎新聞社のカメラマンだった人とばったり。

先を急いでいたので話もそこそこにその場を立ち去ったのだが、当時の被災現場でのやりとりなどを憶い出して「やさしい風貌になられたなぁー」などと一人車中で懐かしんだ。

今日から2日間は、地場産品の開発(販路拡大)とFM放送関連の打合せを兼ね、山口県宇部市に出張する。車で4時間はかかる遠隔の地だ。

同市はこれまで、まったく無縁の土地柄だったが〃FMつながり〃で今や身近な存在になりつつある。本日最大のイベントは、高校卒業以来30年以上も会っていないM君との邂逅(かいこう)。現地のFM局オーナーの橋渡しで、奇跡的に連絡が取れたのだ。

M君とは高校の3年間ずっと同じクラスだった。通学バスも一緒だったが、何より筆者と違ったのは頭の構造。今で言う、福山雅治似の典型的なハンサムボーイでギターも上手かった。

先般、まったくもって〃偶然〃の導きで、ラジオ出演を直前に控えた彼と電話で少しだけ話すことができた。情報によれば、彼は現在、宇部市内の企業病院で副院長(内科)の要職にある、という。

医者でカッコいいとなれば、これはもう完璧な〃人生の勝利者〃である。果たしてあのM君がどんな〃変身〃を遂げているのか。典型的なメタボ親父を見て笑わないだろうか…。

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず - 。災害も青春も日に日に遠ざかってゆく。