2009/02/27

認定機に〃変身〃図れ!!…新たな「る・る・ぶ」とは

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

秩父&川越と「観光バージョン」が続いたついでにもう一つ。他でもない「島原半島」について。既報の通り、我が半島地域は20日、日本ジオパーク委員会から晴れて国内での「認定」を受けた。

その数、計7か所。少し長くなるが、北から順に①洞爺湖有珠山②アポイ岳③南アルプス④糸魚川⑤山陰海岸⑥室戸⑦島原半島 - という顔ぶれだ。

このうちユネスコ管轄の「世界認定」へ向けてコマを進めているのは①④⑦の3か所。まるでマージャンの「スジ待ち」のような組み合わせだが、それは〃余談〃というものだ。

ハッキリ言って、地学に関する「学術的なこと」は皆目分からない。ただ、何十億年も前の太古の昔から連綿と続いてきた「大地の営み」には限りないロマンを感じる。また、郷土への愛着(アイデンティティ)を再確認する絶好の機会でもある、とも思う。

記念式典では、それぞれの地域の代表が「お国自慢」を繰り広げた。ある者は役所の職員、または県会議員、市長…と立場は違えても、熱弁をふるう姿勢は真剣勝負そのもの。

島原半島を代表して壇上に立ったのは、島原市商工観光課の杉本伸一さん。冷静にして情理を尽くした説明は大いに好感が持てたし、客席の横田市長も頼もしげな表情を見せていた。

個人的な感想を言うと、来賓を代表して挨拶した日本ツーリズム産業団体連合会長の舩山龍二さんの祝辞が一番面白かった。何せ、同氏の話の枕は雲仙・普賢岳噴火災害の「風評被害」だったのだ。

災害当時、舩山さんはJTB(日本交通公社)の九州地区の統括責任者という要職にあり、被害の甚大さに心を痛めた、という。そこから得た教訓は「情報を的確に伝えること」の重要性。「火山・温泉を貴重な『観光資源』として忘れてはならない!!」とも。

一方で、小泉純一郎元首相を「観光を初めて国策に取り入れた政治家」として評価。「今では『国』『地方公共団体』『地域住民』の三者連携の必要性が条文に明記されている」と力説。同時に、新たに発足した「観光庁」の意義を唱えた。

また、今後の旅行業のトレンドについて言及。これからは「個人旅行」「低価格化」「目的の多様性」がさら重要視されていくとした上で、「体験する」「交流する」「学ぶ」から取った新たな「る・る・ぶ」の時代がすぐそこまで迫って来ている、と説いた。

ここまで書いて、まったくもって〃尻馬乗り〃で恐縮だが、果たしてこれまで通りの受け入れ態勢で、この「百年に一度」と呼ばれている「難局」が乗り切れるのか?答えは等しく「ノー」であろう。

間近に迫った「世界認定」を機に、改めて地域を挙げた「連携の強化」が求められていることは言うまでもない。キャン・ウイ・チェンジ?


2009/02/26

川越の街は〃大盛況〃…島原も負けずに仕掛けを!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

一昔前、タレントのタモリさんから「ダサイタマ」と揶揄された埼玉県だが、なかなかどうして最近は活躍しているようだ。

手始めは「さい」の字に「彩」を充て、「野暮ったい」イメージの払拭に取り組んだこと。その効果は徐々にだが、確実に現れてきているのではなかろうか。

昨報の秩父「羊山公園」(芝桜の名所)などもその好例の一つだと思うが、今年は特にNHK朝の連ドラの舞台に、「川越」が選ばれた。全国シンガリの登場だという。

秩父への視察ついでに、早速訪ねてみた。街のキャッチコピーは「小江戸」。その名の通り、街道沿いには、江戸の情緒をとどめた蔵造りの家並が目を引く。

それより何よりビックリしたのは人出の多さ。人口規模も33万強というから、それなりの中規模都市であるが、駅前の賑やかさは吉祥寺界隈、あるいはそれ以上か…。

たまたま休日(日曜日)だったせいもあろうが、やたら長い商店街モールは買い物客などでごった返し、威勢のよい呼び込みの声が響き渡っていた。

ドラマの舞台となる蔵の街は駅からかなり離れた地点にあったが、こちらは一目で〃観光客〃と判る人、人、人…の群れ。マスコミを使った集客力の凄さを、まざまざと見せつけられた瞬間だった。

ドラマの主人公は、今売り出し中の女性タレント、多部未華子さん。元宇宙飛行士の毛利衛さんと石油エネルギー関連のテレビCMに出ている、あの可愛らしい女の子だ。

設定では、主人公の実家は「甘玉堂」というお菓子屋さんだが、実際のロケ地は陶器店。いかにも、〃重厚〃という表現がピッタリとくる重々しい造りの老舗だった。

すぐ目の前の交差点の向こうには「時の鐘」と呼ばれる木造の鐘楼があり、こちらも写真撮影の客で賑わっていた。

年間の観光客数がどれくらいあるのか知らないが、先年訪れた大分県豊後高田市の「昭和の町」など、とても足元にも及ばない活況ぶりだった。

さて、ひるがえって我が島原。伝統ある武家屋敷も、街並みも、「全国名水百選」の湧水もある。なのに…。首都圏を控えた交通の要衝と比較するのはちと酷ではあるが、余りもの彼我の違いに、やはり寂しいものを禁じえない。

ただ言えることは、秩父も、川越も、豊後高田も、最初から多くの観光客を集めていたわけではない。何かしらの〃仕掛け〃があって始まった街づくりだ。

長崎新聞に時々コラムを寄せられている前長崎総科大教授の市原実さん(山梨県立大教授)が以前、「千葉・勝浦の雛祭り」の話をされていたが、テレビで眺めるその「規模」と「集中ぶり」に、つい愚痴の一つもこぼしたくなる〃島原の静けさ〃である。


2009/02/25

秩父「羊山」に倣って…みんなで創ろう「芝桜公園」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「芝桜公園をつくる会」(足立進一会長)がこのほど発足し、団体・個人向けに分けて「募金」の協力を呼びかけている。前者が一口=一万円以上。後者は一口=千円から。

植栽場所として予定されているのは、県道・愛野島原線にほど近い「締切堤防内」の約1200平方メートル。災害前に第四小学校折橋分校があった付近だ。

計画では、来月の3月15日の午前10時に現地に集合して、2万5千株を植えようとしている。趣旨に賛同される方は十八、親和両行の指定口座まで。詳しくは、島原温泉観光協会内にある同会事務局(電話62-3986)へ。

足立会長が目指そうとしているのは、埼玉県秩父市の「羊山(ひつじやま)公園」。そこでは、30ヘクタール以上の広大な敷地の約3分の2を使って、40万株もの色鮮やかな芝桜が植えられている、という。

計画が持ち上がったのは平成9年2月と言うから、今からちょうど12年前のことだ。母胎となったのは、地元の「活性化検討プロジェクトチーム」。

その活動は年を追うごとに地中深く〃根付き〃始め、平成15年度には「彩の国さいたま景観賞」(みどりの特別賞)を受賞。また同年、日本観光協会の「花の観光地づくり大賞」(フラワーツーリズム賞)にも選ばれている。

前置きが長くなってしまったが、先週末、上京の機会を利用して、現地を訪れてきた。西武池袋線の特急列車に乗って、約1時間20分。

7両編成の指定列車だったが、乗客の姿はまばらでいささか〃肩透かし〃の感。冬枯れの武蔵野の大地を抜け、秩父の奥深く入っていくと、車窓からは雪景色が見えた。

実は、「羊山公園」を訪ねるのは2度目である。前回は5年ほど前、JR線を使って「藤棚」で有名な寄居を経由した旅だった。時期的には5月の中旬!?初めて見た芝桜の花園は、圧巻だった。

その装いはまさしく〃花の絨毯〃。列車に乗って、或いは車を駆って、これだけの人々が訪れるのも〃むべなるかな〃と実感したことを良く覚えている。

今回訪れた秩父の駅前には、客待ちのタクシーが列をなして並んでいたが、利用者はほとんどなく、帽子をかぶった運転手さんも一様に手持ち無沙汰な表情を浮かべていた。

近くの観光案内所に立ち寄って「羊山」までの道筋を聞いた。「ここから真っ直ぐ、歩いて20分ほどで着きますけど、まだ誰もいませんよ」。そっけない言い回しだった。

昼時だったので、「秩父そば」と看板を掲げた食堂に入った。サービスの田楽を肴に、地酒を一杯。「もう間もなくです。4月になればお客さんがワンサカやって来ます!!」。是非、島原もあやかりたいと思った。


2009/02/20

梅と日本人の関係は?…鍋島邸のヒカンザクラ満開

‐株式会社ケーブルテレビジョン専務 清水眞守‐

先週末、家族で雲仙市国見町の神代小路(こうじろくうじ)にある「鍋島邸」を訪ねた。母の誕生日を祝した、ささやかな〃小旅行〃であった。

その前に、島原城内の「古野梅園」の見物にも出かけたが、こちらはいささか〃盛り〃を過ぎた感があった。それでも市を挙げて取り組んでいる「ひなめぐり企画」の効果か、多くの観光客で賑わっていた。

ことしは都合三回、島原城の梅を見物した。堀端から眺めると、八尾病院前が天守閣撮影のベストポイントだが、いったん城内に入れば、対角線上の高台にある「古野梅園」がその役目を果たす。

一年ほど前の本欄でも書かせていただいたが、梅にはある種の〃毒素〃があって、花の季節にそれを浴びると、向こう一年間を〃無病息災〃で乗り切れる、という。

その伝でいけば、ことしはもう三回も浴びたのだから、きっと病気などすまいと思い込んでいたら、週明けには、さっそく風邪をひいてしまった。

梅は桜に比べて〃華やかさ〃の点では劣るが、ミツバチの邪魔をしないようそっと鼻先を近づけると、得も言えない芳しい香りが漂ってくる。ホッと安らぎを覚える瞬間でもある。

踵(きびす)をかえして、白亜五層建ての天守閣に向き直る。何とも絵になる立ち姿である。女性に喩えるなら〃島原美人〃の象徴であろうか。

一方の「鍋島邸」。駐車場を降りるとすぐ、満開のヒカンザクラが出迎えてくれた。赤みの強い重量感のある花びらは、一瞬、紅梅とも見間違うかのような雰囲気をたたえている。

拝観料200円を払って久しぶりに邸内に入った。相変わらず、手入れが良く行き届いている。築山(つきやま)の上り口のシダレウメの艶やかさに目が釘付けとなった。

築山の高みから再び邸内に視線を移すと、普段は人目につかない中庭には、これまた見事な紅白梅のカップリング。思わずシャッターを押した。

今週末(21~22日)には、各種のイベントも予定されているそうだから、時間のある方は是非お出かけされてはいかがか。天候に恵まれさえすれば、この季節、最高の行楽となること請け合いだ。

ところで、梅は桜と並んで、日本を代表する「春の花」であるが、なぜこれほどまでに「日本人の心」を捉えて離さないのだろうか。我々のDNAに組み込まれている菅原道真公への〃思慕の念〃だろうか。

これはまったく個人的な思い込みで恐縮だが、「日の丸」(国旗)や「祝い事」を表す際の「紅&白」という配色の妙にも、深く関わり合っているような気がしてならない。いかがだろうか…。

【訂正】昨報で「集中放火」とあるのは「集中砲火」の誤りでした。お詫びして訂正します。


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2009/02/19

いずこも同じ報道内容…マスコミは大衆迎合主義!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

誰が見聞しても「おかしい。間違っている」という〃行為〃を、「これでもか!!」と言わんばかりにあげつらうことに、どんな深い意味があるのだろうか?

皮肉の大家であった山本夏彦翁ご存命なら、「これぞマスコミの大衆迎合主義」と揶揄したであろう。他でもない、G7での〃酩酊会見〃で辞任に追い込まれた中川昭一〃前〃財務・金融担当相のことを報じるテレビ・新聞のことである。

昨夕、出張を終えて帰宅したら、民放のどのチャンネルでも特集を組んで、そのニュースを報じていた。NHKしかり。続けてダラダラと「報道ステーション」「ニュース23」にチャンネルを合わせてみたが、これまた絵面まで同じ。

一夜明け、新聞各紙のコラムを読んでみても、各社を代表する達意の文章家が数々の比喩を引き、その〃非〃を難じている。誤解を恐れずに言うなら、これほど書きやすい〃題材〃はなかろう、と思う。

なぜなら、冒頭述べているように「皆が皆、恥ずかしい。情けない…」とタメ息が漏れるような会見内容であったからだ。確かに、一国を代表する大臣にあるまじき〃愚行〃だった。ましてや、「百年に一度」と言われる経済危機の対策を話し合う大事な国際会議の延長線上で…。

総理の判断ミス、当人の往生際の悪さも〃集中放火〃を浴びた一因だ。結果から考えれば、当然である。ただ、事はそれだけで足りるのか?何度も言う。これは誰しも「そうだ!!」としか言わない「極めて書きやすいニュース」である。

顔の知れたキャスターやコメンテーターが「今この瞬間にも職を失くした人々が路頭で迷っている。なのに、担当大臣ともあろうものが…」などと眉間に皺を寄せては、視聴者に秋波を送る。今や日常茶飯事の光景である。

正直に言うが、筆者はこうした「テレビ的なニュース仕立て」を常々疑問に思っている。悲惨な事件や事故の話題を、時に深刻な表情で怒ったり、悲しんだりしたとしても、「では次のコーナーに行きましょう」と軽く言った途端に、〃電波芸者〃と化す。

そんなに世間の事が心配なら、顔の売れた貴方が〃政治家〃になって、どうかこの国を立て直してほしい。時に、そういう思いすらする。が、彼らは〃絶対〃と言っていいほどそんなリスクは負わない。実入りがいい〃評論家的立場〃ほどご機嫌な商売はない、と知悉しているから。

昨夜は〃酔いどれ大臣〃のお蔭で、クリントン米国務長官来日のニュースは二番手扱いであった。また、辞任騒ぎの渦中ではあったが、総理との晩餐会に続いて民主党代表との会合も持たれた、という。

混沌とした政局の行方とも相まって、以前、諫早商工会議所主催の講演会で聴いた、野中広務元自民党幹事長ご指摘の「小沢-米国ライン」の動向も気になるところ、だ。


2009/02/14

キヤノン事件に思う…全ては観音様がお見通し

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「2月逃げ月」と言われるが、通常月よりわずか2、3日少ないだけで、随分と感じ方が違う。個人的なことを言うと、伯母が逝ってはや1週間だ。

新聞紙上をこのところ賑わしているのは、大分県などを舞台にした「キヤノン」関連の裏金・脱税事件。折角の企業誘致が台無しになってしまったかのような感じすらする。

今更言うまでもなく、キヤノンのトップは経団連会長も務める御手洗冨士夫さんだ。その故郷は宮崎県境に近い蒲江町。今では佐伯(さいき)市に合併されているが、数年前までは典型的な鄙びた漁村だった。

蒲江には一度訪れたことがある。ほとんど田畑はなく、役場のすぐ前は海。豊富な漁獲高を背景に、住民一人当たりの所得がびっくりするほど高かったのを覚えている。

以前テレビで紹介していたが、御手洗家は代々医者の家系で、歴代の当主が村(町)の要職にあった、という。一方の佐伯市は車で30分ほどの小都市で、やたらとでかい「鮨ネタ」で知られる。ここからは東芝の社長も出ている。

大分県ではこうした背景もあって、大企業の工場誘致がこれまで盛んに行われてきた。勿論、それには平松&広瀬といった旧通産省出身の知事による力も大きかったのだろう。

事件の全容はこれからの捜査で次第に明らかになっていくのであろうが、こうしたことで世間の注目を浴びるのは、同じ九州人として残念である。

ところで筆者は、社名の「キヤノン」は英語で「大砲」を意味する「キャノン」から来ているものとばかり思い込んでいた。恥ずかしながら、その過ちに気づいたのはつい最近のことである。

たまたま乗り合わせたJR九州の社内誌を読んでいて初めて、その語源が「観音」に由来していることを知ったのだ。

今日のキヤノンの隆盛をもたらしたのは、何と言ってもデジタルカメラである。フィルムカメラの時代は圧倒的にニコン勢が優勢であった。特に報道カメラの世界では。

かくいう筆者もキヤノンの一眼レフから写真の世界に足を踏み入れたのだが、プロ仕様のストラップが欲しいばかりに途中からニコン派となった。

取材の現場を離れて久しいので、今ではどんな機種が幅をきかしているのか知らないが、「シャッタースピードの点ではキヤノン(イオス)が群を抜いている」(西川完氏談)というから、主流はキヤノン製が占めているのだろう。

閑話休題。キヤノン、鹿島という日本を代表する大企業の名前が飛び交う今回の事件は、全国的な不況ムードとも相まって何ともやるせない。

事件の当事者は「全ては〃観音様〃がお見通し」という、社名にもつながる「事の道理」を忘れていたのだろうか…。


2009/02/11

「合掌」よもやま話…漢検協会に立ち入り検査!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日の原稿の結びで「合掌」とすべきところを「合唱」とやらかしてしまった。面目ない。お詫びして訂正したい。さて、その「合掌」の話だが、記憶を遡れば、この言葉を初めて耳にしたのは、高校時代の合宿の時である。

要するに、食前・食後の「いただきます」「ごちそうさまでした」の際に皆で手を合わせることだが、号令を聞いて急に大人になったような気がしたものだ。

当然のことながら、葬儀では「合掌」をする場面が多い。と言うより、信心深い人は、始めから終わりまで正座をしたまま、その姿勢を崩さない。

昨日の葬儀では席が最前列だったため、導師の方々の「一挙手一投足」に注目していた。そして、あることに気付いた。

素人考えでは、「合掌」と言えば、数珠をかけた両手をひたすら合わせて拝むことだが、壇上の導師のそれは明らかに異なっていた。三人が三人とも何かしら力が抜けているというか、小指と薬指のあたりが微妙に交錯しているのだ。

それが「宗派」の違いであるものかどうか、知らない。ただ、新たな「謎」として発生したので、今度ご住職にお会いした時でも訊いてみようと思う。

ところで、我が家の玄関口に、亡くなった伯母のご主人(快光院先代住職)から頂戴した色紙が飾られている。そこには漢字四文字が書かれているのだが、崩し字のため、正式な読み方が分からない。

意図する所は「両の掌(たなごころ)を叩いた際に出る音は、はて左右どちらからの発生か」という、何かしら〃禅問答〃のようなものだった、と記憶している。

エーイ「間違いついでだ」と思い、正確な読みを調べようと挑戦してみたが、文頭の文字が「阿」なのか「破」なのか、また「犭」偏に「隹」と付く字がどうしても解明できない。そうこうするうちに、「孤掌鳴らし難し」という諺が「韓非子」(功名)にあった。

「片方の手だけで手の平を鳴らすことはできない」から転じて、「人は一人きりでは何もすることができない」という教えだった。

なるほど、これで合点がいった。「昔の人は何とも巧い事を言うものだ」「漢字の世界は実に奥深い」―。なーんて、感慨に耽って新聞を開いてみたら、日本漢字能力検定協会の本部(京都市)で文部科学省の立ち入り検査が行われた、とのニュース。

記事を拾い読みすれば、「財団法人」でありながら莫大な利益を生み出した挙句に、会長の私的な関連会社をつくってそれを操作していた、という内容。

別段、儲けること自体は怪しからんことではないと思うが、やはり私腹肥やし(?)はいけない。よもやこの会長さん、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という格言をご存知なかったか。検定でいけば、3級程度の問題だと思うが…。


2009/02/10

伯母の「死」で思う…魂の世界はきっとある!!

私事だが、一昨日、家人の伯母が亡くなった。享年89歳。そのため、この原稿は火葬場の待合室で書いている。

幸いと言うべきか、筆者は余り肉親の死に目に遭ったことがない。お蔭様で、双方の両親とも健在で暮らしているし、また逆縁 とも縁がない。

したがって、「死」というものに対する「心構え」などまるでない。葬儀の場ではひたすら悲しみ、滂沱(ぼうだ)の涙を流すだけだ。

ただでさえ小柄な伯母だったが、入院をしてからは、益々小さくなっていた。棺に納める際の布団が何と軽かったことか…。

期せずして、遺影は筆者が撮影したスナップの中から選ばれた。微笑を浮かべた柔らかな表情が伯母のやさしかった〃人柄〃を余す所なく表している。我ながら〃傑作〃だと思う。

新しくなった火葬場には初めて来たが、近代的な造りで感心している。確か、新島原市合併特例債事業の第1号の建物ではなかったか。

計画を最初に耳にした時は、「エッ?」と言うか、何かしら〃違和感〃を感じたものだが、今こうやって実際に〃現場〃に立ってみると、その〃狙い〃のようなものが見えてくる。

人間(万物)にとって「死」は不可避の現実である。また、「葬儀」は何物にも勝る荘厳な儀式である。合併によって生まれる、新たな自治体の記念すべき初事業に敢えて「火葬場」を選ぶとは、なかなかの慧眼(けいがん)ではないか。

「死」は「終わり」ではない。「死」は「原点」である。一つの訃報のもとに多くの親類縁者や関係者が集い、それぞれの「来し方」を振り返り、そして「未来」を探る。

人生の「儚さ」を改めて噛み締める絶好の機会でもある。「涙」の有難さを感じるのもこの時だ。筆者は一時期、悲しいのに涙が出ないつらい経験をしたことがあるので、余計にその思いが強い。

棺の向こうの「遺影」が語りかける。「あんた、ちょっと太り過ぎよ。真剣にダイエットせんば」 - 。根が泣き虫なので、涙がとどめなく溢れ出てくる。實枝子おばちゃんアリガトウ!!

荼毘(だび)に要する時間は約2時間。放送で「収骨式」の案内が流れた。小さい…。促されるままに骨をつまんで骨壷へ。あっけない思いと同時に、気持ちの整理もついた。

人は死んだらどこに行くのか?黄泉(よみ)の国とは一体?三途の川はどのように渡るのだろうか?極楽浄土や地獄は本当に存在するのか?

お釈迦様でもあるまいに、分かるはずもないが、「死」はしばし人を哲人にする。ただ、これだけは言える。他人の心が手にとって読めないように、きっと肉体とは違う精神の世界があるはず。

伯母の魂は今頃どの辺りを進んでいるのだろうか。どうそ、迷うことなく「お浄土」に辿り着けますように。合掌。


2009/02/08

情報提供のお願い!!…日仏合作でクラフト夫妻物語

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

平成3年6月3日、雲仙・普賢岳の噴火活動に伴う「大火砕流災害」で亡くなったフランス人火山学者、クラフト夫妻の足跡を追う日仏合作の「ドキュメンタリードラマ」の制作準備が進んでいる。

取り組んでいるのは日本放送協会(NHK)と、「アンテーヌ・ドゥー」の呼び名で知られる、フランスの国営テレビ2チャンネル。先般、その先発隊がロケハンのため島原入りした。

一行は通訳を含む4人。元NHK長崎放送局副局長の中村善隣さんの案内で関係先を訪問、情報収集に努めた。当社、及びFMしまばらでも、特別に番組枠を提供して協力した。

中村さんらによると、夫妻は5月29日の現地入り後、観測仲間のグリッケンさんとともに、活発な火山活動を続ける普賢岳周辺を取材。運命の「6月3日」の午後4時過ぎに、上木場地区の「定点」の近くで犠牲になった、とされている。「遺品」につながるような物は現在に至るまで一切発見されていない、という。

モーリス&カティア(夫妻のファースト・ネーム)は島原入りする以前から著名な存在で、日本のテレビ番組でも度々取り上げられていた。そのため、筆者も当時取材した記憶がおぼろげながら残っている(確か、場所は小涌園だったような気がする…)。

個人的な話だが、実はこのお二方にはその後も少なからぬ〃因縁〃のようなものがあって、どちらかの母親からの手紙の〃翻訳〃のお手伝いをしたことを覚えている。

また先年、取材活動を通じて親しくなった講談社の古賀義章さん(現クーリエ・ジャポン編集長)の協力で、西川清人さんの遺作集『普賢の刻(とき)』を遺族に届けてもらったことも。当時、古賀さんは「パリ・マッチ」(フランスの代表的なグラフ週刊誌)に留学していた。

こうした経緯もあって「是非この企画は実現してほしい!!」と願っていたら、テレビ・ラジオ等での呼びかけが奏効してか、地元ならではの幾つかの新たな〃情報〃が当社宛に寄せられてきた。

詳しいことはまだ分からないが、漏れ聞くところによれば、どうやら待望の「ゴー・サイン」が出された模様。順調に進めば、今年6月くらいから本格的な撮影(現地取材)が始まり、年内もしくは年明けにはオン・エアーされる見込みだ。

本紙の愛読者、並びに視聴者、聴取者の皆様に改めてお願い申し上げたい。クラフト夫妻に関することは、どんなに些細な事でも結構ですから、当社・清水宛に連絡を下さい!!

住所は〒855‐0807・島原市白土町1111番地。電話0957‐63‐3456。ファックス63‐3575。以上、皆様方のご協力を重ねて宜しくお願い致します。


2009/02/06

保護主義・反古主義?…歴史には常に「光」と「影」

年齢のせいか、このところ早起きだ。今朝も3時半に目が覚めた。自宅に居てもすることがないので会社に出てきたが、さすがにこの時間帯は静かである。

テレビのスイッチを入れ、しばしチャンネルをスキップ。これを業界用語で「ザッピング」と言うらしい。

NHKの衛星1チャンネルでは、世界の経済ニュースを英語で報じている。中身は良く分からないが、「パナソニック」や「ヒタチ」などの名前とともに「シュリンキング」という言葉がやたら耳に刺さる。

「シュリンク」とは「萎縮する」という意味だから、現在の日本経済が置かれた状況を的確に言い表しているのかも知れない。はて、このまま「不景気」が続けば、復讐を意味する「リベンジ」と同じような扱いとなるのだろうか。

〈景気対策のための鉄鋼素材は、しばらくは国内産に絞ろう〉 - 。就任後間もないオバマ政権が打ち出した「バイ・アメリカン・アクト」という一種の保護主義政策に対して、日本やEU諸国などが一斉に「ノー」の声を挙げた。

理由は明らかで、「今回の世界同時不況の発端はもともと、お前さんの所の経済政策の失敗ではないか」というもの。その背景には、昨年11月の「金融サミット」(G20)での合意事項がある。曰く「向こう1年間は保護主義につながるような、新たな貿易摩擦は避けよう」と。

もっと露骨に言うなら、「みんなで決めた事はきちんと守ってよ!!」ということだ。日本語では、約束を破ることを「反古(ほご)にする」という。語源は「書き損じ原稿」のことだ。

「反古」と「保護」。言葉遊びをしているつもりはないが、これほど流れが一致してしまうと、何とはなしに面白い。一夜明け、新大統領は余りの反響の大きさに「方針撤回」を表明。門外漢ながら、賢明な判断だと思う。

さて、その新大統領に期待されるのは、「ニューディール政策」の強力な推進者として語り継がれているルーズベルト大統領(32代)のような振る舞いだろうが、この点について、元読売新聞芸能部長の西島勇造氏が面白い指摘をしている(2日付・新聞案内人)。

同大統領が米国民の間で英雄視されているのに対し、前任のフーバー大統領は世界恐慌(1929年勃発)をさばききれなかった無能な政治家にされてしまっている、と。

ところが、日本人の立場からすると、ルーズベルトこそ、戦前の在米日本・日系人社会を奈落の底に突き落とした〃張本人〃だというのだ。氏によれば、彫刻家のイサム野口なども強制収容所に送られている。

一方のフーバー。これは初めて知ったことだが、脱脂粉乳に代表される敗戦後の日本の食糧危機を救ったのは他ならぬこの〃元大統領〃だった、と。やはり歴史には常に「光」と「影」があるのだ。


2009/02/04

楽しみな『私の履歴書』…ドトールの親父は凄いぞ!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原にいる時よりも出張先での方が良く新聞を読む。たまたま今回は月替わりでもあったため、ここ数日「日経新聞」(本紙)に凝っている。

何と言っても、目玉は最終面に連載されている『私の履歴書』だ。今月の執筆者は「ドトールコーヒー」名誉会長の鳥羽博道(とりば・ひろみち)さん。

今でこそ「スターバックス」に代表されるシアトル系のコーヒースタンド(カフェショップ)は珍しくなくなったが、初めて『ドトール』が登場した時は、新鮮な驚きだった。

それまでの日本の喫茶店のイメージを〃破壊〃したというか、実に機能的でいて、本格的なコーヒーの味が楽しめるようになったのだから - 。

喫茶店は都市の文化である。その証拠に、草深い田舎では滅多に見かけることはなかったし、買物等で都会に出掛けた際に、皆で腰をおろして、ホッと一息つく所であった。

或いは、都会暮らしの経験のある音楽好きなどが故郷に帰って開店するとか、といった具合に…。

「ドトール」にしても「スタバ」にしても、年配の方々が抱かれる「喫茶店」のイメージとは百八十度違う。恐らく、十人が十人落ち着かないだろう。

昔の喫茶店はクラッシックなどの落ち着いた音楽が流れた〃憩いの場〃で、自由に煙草も吸えたものだが、例外はあったとしてもこうしたお店では禁煙席が幅をきかせている。

健康志向の昨今の風潮からすれば、当然な成り行きではあるが、見方によっては実に世知辛い世の中になった、という気がしないでもない。

実はこの原稿も「サブウェイ」という地下カフェの一角で書いているのだが、うまい具合に店員サイドから見たら〃死角〃となっている、のだ。

いや、ひょっとしたらとっくに気付いているのかも知れないが、時給に関係ないから〃無関心〃でいられるのであろう。

   ※    ※

鳥羽さんの連載はまだ3回目だが、初回の内容が余りにショッキングだったため、「これは何としても読み続けよう」という気になった。見落とした方は、是非とも図書館等で読まれたら、と思う。

埼玉県の片田舎(現深谷市)に生まれた著者は高校当時、風変わりな東京芸大出の実父によって、日本刀で切りつけられようとした事がきっかけとなって、生家を出奔。そこから新たな人生の旅が始まる。

どのような展開となるのか今から楽しみだが、単なる「成功物語」に終わることはない、と思う。何せ、日本の喫茶店の在りようを大きく覆した「風雲児」の一代記なのだから!!

イカンイカン、さっきから店員が頻繁にうろつくようになった。そろそろ潮時か。日本刀が振りかざされる前に、そろそろお暇しようか。そいぎ!!


2009/02/03

ガンバレ受験生!!…ラ・サール志望軍団と出会う

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

野暮用が重なって週末から上京している。したがって、またしても『ターニングポイント』をお届けできない。その点を、まずもってお詫び申し上げなければならない。

ところで世の中は、今年もプロ野球のキャンプインと時を合わせたかのように、本格的な受験シーズンを迎えたようだ。今回は福岡から旅立ったのだが、諫早から博多へ向かうJRの車内で何やら異様な雰囲気の20名ほどの〃軍団〃と出くわした。

とは言っても、新興宗教の連中ではなさそうだ。席割の都合で、そのうちの一人が筆者の隣に座った。なりはでかいが、中学生だか高校生だか良く分からない。そのうちに、手垢にまみれたサブノートのようなものを取り出してブツブツ。ひょいと覗くと、字は汚いが、赤ペンの書き込みが物凄かった。

肥前山口を過ぎたあたりで、マスクをした〃テリー伊藤〃似の引率者が「鳥栖で『つばめ』に乗り換えて新八代まで行く…」などとそれぞれの座席に向かって囁きかけている。 そうか、やっと分かったぞ!この子たちは鹿児島の超名門「ラ・サール高校」の受験生なのだ!!

それにしても、この中から何人が合格するのだろう?隣席の生徒は大丈夫だろうか…などと勝手な想像を膨らませていたら、「まもなく鳥栖到着」の車内アナウンスが響いてきた。

と、件の〃隣人君〃はペコリと頭を下げて「失礼します」とニッコリ。何の変哲もない車内のやりとりだったが、とても気持ちが良かった。何の根拠もないが、きっとあの子は「トス→パス(合格)」だ!?   

都内のホテルはいま、受験生の親子連れで溢れている。エレベータの中でも頻繁に出くわすし、朝食会場ともなると〃百花繚乱〃の趣きだ。大概の引率者は母親のようで、顔つきを見れば「親子だ」とすぐ判る。      
                      
何せ、20年間の歳月を挟んだ〃相似形〃が連れ立って歩いているのだから。「そうか、この可愛らしい娘さんも齢を重ねると、こうなるのか」とも言えるし、「お母ちゃんも昔は美人だったのね」とも言える。

ひるがえって、我が受験期。寝台列車(さくら号)で上京した後は、親戚や先輩の下宿を転々と渡り歩いた。その際にお世話になった方々の何人かはすでに鬼籍に入られたり、或いは定年を迎えられたりと、まさに〃人生色々〃だ。

だいたい、引率されるとか、ホテルに泊まるなんていう発想はどこをどう叩いても出てこなかった。何年も洗っていないという真っ黒なコーヒーカップ、何やら難しげな哲学書、万年床、前衛劇団や、ジャズ喫茶のポスター類…。

今更どうしようも過去の事だが、不思議とこの季節には思い出す。「もう少し真面目に勉強していれば、少しは違った人生も歩めたろうに…」。そう、すべては〃後の祭り〃である。いや違う!!〃人生色々〃だったっけ。