2009/12/28

最後まで慌しかった…良いお年をお迎え下さい!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

慌しかったこの一年を締め括るかのように、急用が舞い込んできた。今、羽田(空港)にいる。出来たら昨日のうちに帰りたかったが、なにぶん夕方便での上京だっただけに、土台無理な話だった。

ほとんど眠る間もなく早朝の山手線に乗り込んだら、すでにどの車両もほぼ満杯状態。さすがに「世界のトーキョー!」と感嘆するのと同時に、「いつもながら忙しない街だ」との思いも拭えない。

拙稿は待ち時間を利用してパソコンで叩いているのだが、帰省客に交じって、東南アジアからの旅行客の多いことに驚く。隣の席では、コーヒーブラウンの兄ちゃんと韓国人と思しき姉ちゃんが流暢な英語で会話を交わしている。これから国際化が進んでいけば、こうした風景は益々「日常化」していくことだろう。

さて、そろそろ機内に乗り込む時刻が迫ってきたが、まだ今日はタバコを一本も吸っていない。いつものように「一服」すれば、原稿のまとまりも進むのだろうが、何やら調子が出ないままに時間だけが無意味に過ぎてゆく…。

いつもなら28日と言えば、帰省シーズンのピークであるはずなのに、機内には空席が目立つ。やはり、世を挙げての不景気のせいなのだろう。まあ、その分、座席も取れて良かったのではあるが…。

新聞はどれも「真央ちゃん4連覇!」のお祭り騒ぎ。一方で、早稲田ラグビーの「準々決勝敗退」を伝える記事はやや寂しげ。どちらも「人気者」だけに、勝負の世界の非情さが滲み出た紙面構成だ。

普通なら気になる記事については、携帯用の刃先が少しだけ出た「特殊文具」で切り取って保存するところだが、今日はうっかりして手荷物の持込検査でひっかかってしまった。

「カッターが入ってますよね」「いいえ」「バッグの中身を検めさせてもらっていいですか?」「どうぞ」 - 。

自信をもって対応したのだが、現物を取り出されて「ほーら」と詰問された。「刃先がたったこれだけしかないのに、凶器になんかならんでしょう」「いいえ、決まりですから」 - 。

「このブス!」と腹も立ったが、いくらあがいても勝ち目はないので、スゴスゴと引き下がらざるを得なかった。

まあ、そんなこんなで平成21年も暮れようとしている。本欄もいよいよ今日が最終回。何か締めくくりのご挨拶をせねばと思うが、特段、思い当たる言葉も見つからない。

代わりと言っては何だが、筆者が個人的に作った年賀状の文面を紹介することで来年への「架け橋」としたい - 。

「人生は旅である」(トラベル)→「旅に障害は付き物」(トラブル)→「たまには休憩も」(トランジット)。 皆様、良いお年を!!


2009/12/26

歳歳年年人同じからず…お世話になった方が次々…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

暮れも押し詰まったこの時節。毎年のように思い出すのは、高浜虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」という句。みのもんた風に言えば「除夜の鐘またぎ」ということになろうが、同じ時間の流れなのに、やけに速く感じる。

この一年、本当に色々なことがあった。振り返ってみて、最大の痛恨事は平尾圭太先生が亡くなられたこと。弊社発足当時からの番組モニターも務めてもらい、『ターニングポイント』(生放送)にも出演していただいた。

もっと俳句の勉強をして、きちんとした質問が出来るようにならねば…と思っていた矢先の突然の「訃報」であった。兄弟都市、豊後高田市民の皆さんとの賑やかな交流会の席上であったが、一瞬にして、凍てついてしまった。

また同席で、歓迎のスピーチに立たれた金谷製線(株)会長、金谷吉弘さんの口から懐かしい名前が飛び出てきたことも印象深い。元島原市助役の森川末承さんのことだ。残念ながら、森川さんも鬼籍に入られて久しいが、今日の市勢発展の礎を築かれた「大恩人」の一人でもある。

少し脇道に逸れるが、金谷さんから伺った面白いエピソードがある。当時、選挙戦の後遺症で、大分県知事と豊後高田市長は近い親戚(イトコ?)でありながら、とても険悪な関係だった。その「犬猿の仲」を解きほぐしたのが森川さん(当時商工観光課長)だった、というわけだ。

森川さんには筆者が島原入りした当初から、随分と可愛がっていただいた。長男の初節句の際にいただいた「木馬」は今でも渡り廊下の一角で、可愛らしい姿をとどめている。その長男も、年齢だけは大人の仲間入りを果たしている。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」。今年も多くの方々が娑婆に別れを告げ、来世へと旅立たれて行った。抗いようのない自然界の宿命とはいえ、何とも寂しい限りだ。

と、ここまで書き進めていたら、またしても「訃報」が舞い込んできた。内田自動車整備工場社長、内田英顕さんのご母堂、内田妙子さんが今朝ほどみまかれた、という。この方にも本当に良く可愛がっていただいた。

たまに訪ねていくと、無沙汰をなじり、お手製のドクダミ茶を淹れて下さった。また、大の映画ファンであると同時に、CS放送の「旅チャンネル」を楽しんでおられる様子だった。忘れられないのは、旧満州時代に覚えられたという「イワシマンジュウ」(大型餃子)の豪快な味付け。

駆け出しの記者の頃、『こぼれ話』欄で紹介したこともあるが、その時は随分と喜んで下さった。残念ながら、再び話をする機会も逸してしまったが、あの世ではきっと憲一郎さん(長男・前市議)が待ってくれているはず。サヨナラ、内田のお母さん…。


2009/12/25

支持率を上げるには!?…「きせい」にまつわるバカ話

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

年をとったせいか、夜中によく起きる。今朝も3時過ぎに目が覚めて、2時間以上も蒲団の中でゴロゴロしていた。

余りに手持ち無沙汰なので、読みさしの本を手繰り寄せるが、なかなか頭がついていかない。仕方なくタバコを一服。酔いざめの水が美味い!

〈マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや〉…。ぼんやりと寺山修司の短歌なんぞを思い浮かべながら耳を澄ませていると、隣室から何やら「奇声」が聞こえてくる。息子だ。

はて、どんな夢をみているのか?大方、学校のクラブ活動あたりで、顧問の先生に気合いを入れられているところだろう。

再び静寂が訪れる。エーと、今日の行事は何だっけ?そうそう大事な会議(株主総会)があった。でも、今さらジタバタしても…。夜明けはまだ遠い。

そのうち、パトカーのけたたましいサイレン音に合わせたように、カラスが鳴き出す。意を決して、床から離れる。

そうか!今年もあと一週間を切ったか。色々あったよな、などと思案を巡らせつつヒゲを剃っていたら、再び息子の部屋から「奇声」が鳴り響いてきた。

前置きが長くなってしまったが、本日の拙稿のテーマは「奇声」から発して、「きせい」ということにさせてもらおう(苦戦の色アリアリ…)。

「きせい」には様々な漢字表記がある。思いつくだけでも、「気勢」「既成」「寄生」「既製」などと次々と出てくる。ただ、今の季節で言うと、やはり「帰省」だろう。

その意味は「帰郷」とほぼ同じであろうが、なぜか新聞もテレビも「帰郷客」とは呼ばない。いずれも「帰省客」である。

出身者は古里に帰って何を「反省」するのだろう。長らくの無沙汰の非礼を両親や親類に詫びるのか。それとも、自らの幼年期をしみじみと「省みる」のか。

まあ、そんなに堅苦しく考えなくとも、帰り着く「我が家」があるだけでも有難いと思わねば。都会の「年越し派遣村」などの映像を見れば、まさしくその通りだ!

鳩山総理も足元の秘書が続けざまに「起訴」(在宅&略式)されて大変だろうが、ここはどうか一つ頑張ってほしい。素人考えだが、「お金持ちの政治家」にしか出来ないことをやっていただきたい。

有体に言えば、年が越せそうもなくて困っている人々に、あり余っている財布の中から、何がしかの「浄財」を振る舞われてはいかがか?

米国などでは、大物政治家や成功した経営者などが、社会奉仕の観点から、「寄付」に及ぶ行為は至極当たり前のことだ、と言われている。

それをやれば、内閣の支持率は確実に上がる!オッと、これだと我が国では法的な「規制」にひっかかる恐れがあるのか!?


2009/12/24

「継続」は大事なこと…ただ「工夫」も忘れないで

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

メリー・クリスマス!米国初の黒人大統領誕生や歴史的な政権交代(日本)に沸いた2009年も、いよいよカウントダウンの時を迎えた。

石原慎太郎東京都知事に言わせると、「今年を表す漢字は『新』ではなく『衰』」ということだ。ただそれは、ご自身の威光を指しての感慨だろうか…。

特段、氏に限らず「満つれば欠ける」のが世の習わしである。したがって「勝った」だの、「負けた」だの、そう気に病むこともあるまい思うのだが、やはり人情からすれば、勝つに越したことはないのだろう。

昨夜、「ウインターナイトファンタジア」(外港広場)から帰ってテレビを観ていたら、イチロー選手が子供たちに向かってあるメッセージを投げかけているシーンが流れていた。

それは「継続の重要性について」であった。「仮に(方法が)間違っていたにせよ、続けることの意味合いは大きい」と - 。

確かにイチロー選手の言う通り「継続は力なり」である。間違いではないだろう。ただ、この言葉は受験業界で以前から〃金科玉条〃のように語られており、いささか反発も覚える。

「続けること」は何によらず勿論大事だ。しかし、「方法」(やり方)はもっと大事だ、という気がする。そのためには「今やっていることで本当に良いのだろうか?」と、絶えず自問自答する姿勢を忘れてはならない、と思う。

別な表現をすれば、成功しよう(勝とう)と思ったら、「工夫」が必要なのである。「継続性」を重視する余り、旧来の手法に固執し過ぎていないか…。たまに「自己否定する立場」から冷静に「検証する」ことも大切だ。

で、お前さんはどうなんだい?と訊かれれば、正直言って、まったくもって自信がない。一番悪しき事例である「惰性の継続癖」から長らく抜け出せないでいる。

「あれも何とかせねば」「この問題もまだ放置したままだ」…。一年の総決算を迎えるこの時期において、いつも頭を抱え込んでは呻吟(しんぎん)しているのが実態だ。

偉そうなことが言える資格もないし、また立場でもない。ただ、こうしたどこかで借りてきたような〃繰り言〃を臆面もなく曝け出すことで、読者の皆様が何らかの〃暗示〃を感じ取って下されば、筆者冥利に尽きる、というものだ。

一昨日、昨日と、お世話になった県外企業を訪問してきた。幸い好天にも恵まれ、海上から眺める島原半島や天草の島々の美しさを満喫することもできた。その思いを一言でいえば、「よくぞこの地に生まれけり!」である。

日々の経済活動の根底に「継続性」があることは言わずもがなとして、いま少しの「工夫」が欠けていることも実感した旅だった。皆さん、ガマダシましょで!!


2009/12/21

恨みに報いるに…もう止めよう「負の連鎖」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

景気とカレンダーは比例するとよく言われるが、確かにその通りなのだろう。今年は送ってくるカレンダーの〃出足〃がいつになく鈍いような気がする。

大晦日まではまだ十日ほど残しているので、最終的にはどうなるか判らないが、日本全体の景気の動向を見る限り、余り期待はできないような〃雲行き〃だ。

現在、筆者の机回りに飾ってあるのは、壁掛け式が映画『まぼろしの邪馬台国』編と日本航空(JAL)の2種類。ほかにスタンド式が3種類あるが、念入りに眺めたことはない。

JALで思い出したが、昔は子会社に台湾専用の「日本アジア航空」という路線があって、そこのカレンダーが群を抜いて素晴らしかった(今でもあったらゴメンナサイ…)。

テーマはいつも台北の「故宮博物館」の収蔵品だった。同館には筆者も幾度となく足を運んだことがあるが、通常のツアー見学では、とてもとても時間が足りるものではなかった。

もう随分と昔の話だが、どの現地ガイドも「国民党軍が台湾に渡って来る時に、選りすぐりの宝物を運んで来たんですよ!」と、胸を張っていたことを憶い出す。

今でもその言葉に決して〃嘘〃はなかった、と信じている。それほどまでに素晴らしい展示内容だったし、「まだこれはほんの一部ですよ…」という説明にも唸ったものだった。

ところで、台湾(中華民国)と言えば、その生みの親は、蒋介石(総統)。その業績を称えた「中正紀念堂」は定番の観光コースにも組み込まれている。

氏の歴史的な評価は専門家に任せるとして、誰が聞いても素晴らしいと思える、有名な言葉を遺している。そう、あの「恨みに報いるに徳をもってなす」という懐の深い考え方だ。

それが百戦錬磨の知略家から出たと思えば、何とも不思議な感じもするが、台湾国民が他の近隣アジア諸国民より〃親日的〃なのは、恐らくその教えが国の隅々まで行き渡っていることの証しだろう。

「台湾」は別名、蓬莱の島。「蓬莱」(ほうらい)とは、中国の神仙思想に描かれた不老不死の世界のことを指すが、同総統が諭すような心境にあれば、死もさほど恐れるものではなかろう。

そうした視点で世の動きを眺めて見れば、「目には目の…」のハムラビ法典以来、その線に沿った考え方が横行しているような気がしてならない。

「必ず借りは返す!」 - 。最近は野球選手あたりも「リベンジ」という言葉をよく使っているようだが、あくまでもそれはゲームの世界に止めておくべきだ。

毎年、毎回、毎時のように、ジャンルを問わずそんな考え方でいれば、「負の連鎖」は限りがない。残り少ないカレンダーを眺めながら、少々自戒の念も込めて…。


2009/12/18

我が社は人種の…忘年会の源流は「年忘れ」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

忘年会シーズンである。恐らく今週末あたりがピークとなろうが、くれぐれも飲み過ぎにはご注意されたし。ましてや飲酒運転などはご法度ですぞ!

我が社の忘年会は昨夜、済ませた。テレビ&ラジオ合わせて、総勢約30人。いつの間にやら大所帯となっている。

30人もいると、なかなか賑やかだ。一足早くサンタクロースに扮して現れるのもいれば、着物姿の新人君のお出ましも。いやはや、人種の坩堝(るつぼ)といった雰囲気だった。

忘年会に関しては、以前本欄でも紹介したこともあるが、永六輔さんが著書『もっとしっかり、日本人』(ヴィレッジブックス)の中で面白いことを話されている。ひょっとして、お忘れの方も多いのではと思うので、再度その要旨を紹介しておく - 。

〈江戸時代は「忘年会」という言葉はなく「年忘れ」といっていた。その意味は、今年あったことを忘れるのではなく、参加者それぞれが「自分の年齢」を忘れて開いた「お疲れさま会」のこと〉

なるほど、モノシリ博士の永さんの口から出た言葉だとすれば、十分に合点もいく。つまりは、老いも若きも、地位や年齢にかかわらず、大いに盛り上がろうではないか、と。

てなわけで、昨夜は大いに盛り上がった。週末には一日早い「サーズデー・ナイト・フィーバー」と相成った次第。

感心するのは、最近の若者の歌(カラオケ)の上手さ。耳をつんざくような演奏に怖気づけわけでもなく、早口言葉で威勢よくまくしたてる。表示される点数を見れば、どれも90台後半の高得点だ。

酔いが回るより先にその勢いに圧倒された筆者は、すっかり顔色を失くしとうとう歌わずじまい。何となく〃不戦敗〃といった感じだったが、その日穿いていたバカボンパパのパンツには「これでいいのだー」と大書されていた。

「歌は世につれ、世は歌につれ…」などとよく言われるが、まったくその通りだ。筆者も若い頃は、爺さん婆さんが好んだ民謡や演歌などを疎ましいと感じていたが、今の若者からすれば、石原裕次郎の甘い歌声もきっと間延びして聞こえているのだろう。

まあ、仕方のないことなのだが、オジさんからすれば寂しい限りだ。ただ一方で、最近は「青春譜」とかいって、昭和40年代から50年代にかけてのフォークソングや流行歌を特集したCDも随分と売れているそうだ。

その流れかどうか知らないが、佐世保では「させぼキャンディーズ」とかいう名の女性グループ(素人)に人気が集まっている、とNCCのニュースが報じていた(17日夕)。

よーし、次なる忘年会はいつだ?一発「UFO」(ピンクレディ)でも踊ってみっか!これぞ「年忘れ」???


2009/12/17

家宝に目が眩んで…「過ちをる」悪いクセ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「過ちては改むるに憚ること勿れ」(論語・学而)。昨報の本欄で、現在の中国の国家主席を「温家宝」とする〃過ち〃を犯してしまっていた。正しくは「胡錦濤」。深くお詫びして、訂正いたします。

いやはや、何をネブリカブッテいたのか、恥ずかしい思いでいっぱいだ。馬鹿の後知恵で分析すれば、「家宝」という〃落とし所〃に思わず目が眩んで、拙速してしまったようだ。スミマセンでした。

さて、「師走」の月もはや3週目の後半を迎え、余すところ後2週間。平成21年の今年は、どんな1年だったのだろうか…。

少し振り返ってみようと思って本欄のバックナンバーを調べたら、元旦付が第464号だった。したがって、本日で187作目ということになる。

この間、数々の過ちを犯して、読者の皆様にお叱りを受けることも度々。いっそのこと止めてしまおうかと思ったことも、また度々だったが、「毎日、楽しみにしてるからね!」と、励ましの声を掛けて下さる方もおられる。

先日は、お目にかかったこともない老婦人から人伝に〃サイン〃まで頼まれて、ついその気になってしまった。まさに「ブタもおだてりゃ木に登る」の世界だ。

よく「文は人なり」と言われる。まさしく言い得て妙な表現だと思うが、この場合、「逆もまた真なり」という法則も当てはまらないだろうか…。

つまり、「人」二アリー・イコール「文」ではないか、と思う次第である。ここで見落としてならないのは読み手の側の「好悪」の問題。

要するに、「坊主憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い」という、あの感覚のことだ。そうした先入観で文章を読めば、たとえ優れた内容であっても「何を言うか、この馬鹿野郎が!」となるのがオチなのである。

筆者を含め大方のモノ書きにとって、この壁は果てしなく高く、且つ堅固だ。容易に突き崩すことなど困難の極みである、と言ってもよい。

さらに論を進めれば、この壁を乗り越えてこそはじめて、その筆致が「芸術の世界」まで昇華した、と言えるのではないか。まあ、端からそんな才能など持ち合わせていない身にとっては「そんなの関係ない!」話であるが…。

筆者のように、自らの犯した「過ち」を自虐ネタとして利活用するのは、関西のお笑い芸人がよく使う手でもあるが、はっきり言って、それくらいの〃厚顔さ〃がなければ、恥ずかしくて文章など書けるものではない。

ただ、時に深く反省することも必要。過ちを過ちとして素直に認め、原点に立ち返って出直しを誓うこと。それでもなお人間は過ちを犯すもの…。

こうした言い訳のことを論語の世界では「過ちを文(かざ)る」(子張)というのだそうだ。反省!!


2009/12/16

これって政治主導!?…「記念撮影」に大いに笑う

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

その声は〃憤怒〃に満ち満ちていた。天皇陛下と、中国の習近平国家副主席との特例会見の設定を巡る問題で、小沢一郎民主党幹事長が、羽毛田信吾宮内庁長官へ向けて発した記者会見での一言だ。

「政府の一部局の一役人が内閣の方針にどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ」(15日付・共同)。これぞ豪腕・小沢流!政治主導!などと賞賛すべきなのかも知れないが、どうにも〃違和感〃が伴う。

このところの同幹事長の一連の動きを見ていると、明らかに党首の鳩山由紀夫首相より〃偉い〃。特段の政治通でなくとも、政権発足以来の両者のやりとりを見ていれば、十分に頷ける構図ではあるが…。

文芸春秋1月号に「スクープ」と称して、ジャーナリストの松田賢弥氏によるレポートが報じられている。≪小沢から藤井(財務相)に渡った15億円の怪≫というショッキングな見出しだ。

詳しくはその記事を読んでいただくとして―。中身を要約すると、小沢氏と大手ゼネコンとの長年にわたる密接な関係ぶりや、新生党→新進党→自由党と連なる「政党助成金」の取り扱いについて、大いなる疑義を抱かざるを得ない、という筋立てだ。

真偽のほどはよく分からないが、本編で指摘されている数々の疑惑(?)については、小沢氏の口癖でもある「政治ちゅーもんは…」に続く明快な答弁を是非お伺いしたいものである。

まあ、それより何よりビックラこいたのは、先般行われた640人もの大訪中団。一人頭の旅費は「19万8千円」とかテレビで言っていたので、総額では軽く1億円を超える大型案件だ。

野次馬としてはどこが受注したのか気になるところだが、東京都のオリンピック招致用のPR映像の製作費(5億円)に比べれば、まだまだ安い!このあたりが同じ代理店でも業種の違い、と言うべきか。

その絵を見ながら思わず笑ってしまったのは、温家宝国家主席との記念撮影のシーンだ。「はい1人3秒、握手をしたらカメラの方を向いて」 - 。その場を取り仕切っていたのは、小沢氏腹心の山岡賢次国対委員長。

きっと帰国後は、その1枚1枚が国政報告や選挙用のパンフレットに転用されるに間違いない。いやいや、我が家の大事な「家宝」として恭しく床の間の片隅に飾られるのかも…。

ただ、水を差すようで恐縮だが、このシーンを見ながら「民主党は本当によく頑張っているぞ!」と思った国民はいかほどいたであろうか。

いかに〃金持ち〃とはいえ、(政治的)小遣い銭を母親から多額に貰い続けていた総理。天皇の心中まで推測して、担当役人の発言を遮ろうとする幹事長…。どう贔屓目に見ても、「民主的」という感じはしない。


2009/12/14

今年はイクラが安い!…カラスの大軍団が鉄塔に…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

イクラ(?)「カラスの勝手でしょ!」と言われても、その数たるや尋常の域を遥かに超えていた。まるで、ヒッチコックの映画『鳥』のワン・シーンを思い描いたほどだ。

当社が入居しているNTT島原ビルは5階建て。建物そのものの地上高は20メートルほどだが、その上にあるアンテナ鉄塔は台座を含めると約30メートルあり、市内でも有数の〃高層ビル〃の1つである。まあ、相当古くはあるけど…。

この鉄塔部分に最近、カラスの〃大群〃が押し寄せてきて、何ともまあオッカナ&ビックリな気分を味わっている。数えたことはないが、二百?いや三百以上かも知れない。

〃異変〃に気付いたのは先週土曜日(12日)の朝。6時半頃に会社の回りを歩いていたら、上空がやけに騒がしい。「カアー、カアー」という主旋律に混じって、ネコの雄叫びのような声も聞こえる。

まだ夜も明けきっていないので、南の空には上弦のミカヅキが不気味な光を放っている。見ているだけで気持ちが悪くなるほどだったが、余りの喧しさに30分ほど佇んでいた。

じっと観察していると、彼らには一定のグループのようなものがあって、南北東西、色んな方向から集まってくる。そして、しばらく鉄塔で「会議」のようなものをして、また散らばって行く。

ひょっとして、今まで我々が気付かなかっただけで、日常茶飯事だったのかも…。とすれば、これは人間社会における「朝礼」のようなもの?

いやいや、そんなことはあるまい!それならとっくに誰かが気付いていたはず。とすれば期末の「株主総会」…。それとも「年越し派遣村」のようなもの?くだらない妄想を膨らませていたが、そのうちに飽きて、その場を去った。

ところが週が明け、恒例の社内全体会議の後でこの事を自慢げに話していたら、休日出勤をしていた男性社員が「日曜の昼過ぎも凄かったですよ!」と、事も無げに言い放つではないか!?

おいおい、一体どうなっているんだ。「不吉の兆候」とも言われるカラスが、なんで〃徒党〃を組んでまで、我が社に押し寄せる必要があるの?かくして、この師走の忙しい時期に「不測の事態」でアタフタしているというわけだ。

ところで、冒頭に「イクラ」と、わざわざカタカナ表記しているのは、今朝(14日)テレビでやっていた「サケ豊漁」のニュースから引用させて頂いた。

それによれば、今年は例年になく「サケ」が大量に水揚げされているということで、必然的に「イクラ」も安くなっている、と。

「イクラ」と言えば、高級品。熱々のご飯に、「ウニ」と「イクラ」を半分こずつ載せた「北海丼」も、きっと今年は安くて美味いはず。カラスの野郎なんかに絶対に食わせるものか!


「鳥」と「烏」の違い…撃退用にピストルを購入

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「不吉」を「不吉のまま」終わらせることは、何とも「不吉な感じ」がして気持ちが悪い。こうなったら、カラスはカラスでも、日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークともなっている「ヤタガラス」の話をすることで〃邪気〃を払うとするか!

漢字で書くと「八咫烏」。そこに込められた意味は「輝く未来、勝利を導く」。古くは神武天皇御東征の故事まで遡るのだそうだ。余談だが、JFAのデザインを発案したのは、大分・臼杵生まれの彫刻家「日名子実三」(ひなご・じつぞう)と言われている。

一般のカラスとの最大の違いは、足が3本あること。ウソだと思われるのなら、JFAのワッペン等で確認されればよい。2本の足で大地をとらえ、3本目の足はゴールキーパーよろしくしっかりとボールを掴んでいる。

ただ、このデザインの発案者については〃異説〃もあるようで、ネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」によれば、日本蹴球協会の初代理事長だった「内野台嶺」(うちの・たいれい)=神奈川県出身=とする説も。

どちらが〃真実〃なのか確かめようもないが、一般的には忌み嫌われるカラス野郎に〃足1本〃が加わることで、こうも神々しい存在になろうとは…。

それにしても、だ。我が社の鉄塔が、カラス軍団によって占拠されているのは紛れもない〃事実〃であって、その不遜な態度を見るにつけ、このまま座視するわけにはいかない。

以前、大先輩の森岡百三郎さんに頼んでピストル一丁を貸してもらったことがある。無論それは本物なんかではない。運動会などの出発用として使われているものだが、ゴルフ場でも撃退用に威力を発揮している、とのことだった。

再び森岡先輩にお願いする方法もあったが、今後も引き続きこうした事態が続くことも十分に考えられるので、思い切って自社で購入することにして、一番街のユニオン・スポーツ店を訪ねた。

残念ながら〃在庫〃はなかったが、店員さんによれば「すぐに取り寄せられますよ」とのことだったので、迷わず注文してきた。待ってろよ、カラス野郎ども!

ところで、「烏」という字は、どうして「鳥」から横線が1本抜けているのだろうか?まったく関係ない話だが、以前は「梟」(ふくろう)という字ともこんがらがっていた。

『字通』を調べてみたが、それらしき記述はなかった。次に、ネットを開くと、『世界一受けたい授業』(日本テレビ)の項目の中で、次のように説明されていた。

「鳥は象形文字だが、烏の場合は体全体が真っ黒で、『目』がどこにあるのか分からないから、『横棒』がないのだ」と。へー、そうなんだ!?どこまでも人騒がせな野郎だぜ、まったく…。


2009/12/12

修学旅行は楽しい!!…逸脱した「人生の旅」も

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

数日間、雨が降り続いていたので、お天道様がやけに眩しい。さーて、今日は息子(三男坊)が修学旅行から帰ってくる。4泊5日の間に、どんな「思い出」を作ってきたのだろう…。土産話が楽しみだ。

〈♪二度とかえらぬ 思い出のせて クラス友達 肩よせあえば ベルが鳴る鳴る プラットホーム ラン ラン ラン…♪〉

年配者には懐かしい、ご存知!舟木一夫の学園シリーズの一作『修学旅行』(作詞=丘灯至夫、作曲=遠藤実)の歌い出しの部分だ。

筆者も小、中、高とそれぞれに「思い出」を持っているが、時間的な制約もあって、ここでそれを語る余裕はない。ただ、ただ「楽しかった記憶」だけが残っている。恐らく、大方の読者の皆様方もそうであろう、と想う。

今年2月に亡くなった伯母が、いつだったか、楽しそうに語ってくれた話を思い出す。「私たちの頃(女学校)の旅行先は東京。松平のお殿様から鉛筆をいただいて、不二家で甘いものを食べてきた」…。

伯母は大正の半ばの生まれだったから、まだ日本全体が戦時色に染まっていない「良き時代」に学生生活を送っていたのだろう。

今となっては、宿舎や交通手段などの話を聞いてなかったことが悔やまれる。

伯母の言う「不二家」とは、今も数寄屋橋の一角にある店のことだろう。不祥事で経営形態が変わったにせよ、店舗そのものが残っているだけでも「よし!」としなければ…。

ところで、何度も書いているが、筆者は以前、大手の旅行代理店(徳島営業所)に6年間勤めていた。専門は海外旅行だったが、春や秋の修学旅行シーズンになると否応なく「添乗」に借り出されていた。

率直に言うが、これがすこぶる「嫌な仕事」であった。何より、大したこともない先生が威張っている(中には立派な方もおられるが…)。新幹線の中で生徒たちが食べた弁当のカスを集めさせられるのも「屈辱の時間帯」であった。

小学生の奈良・京都、高校生の東京はまだましだった。問題は中学生の旅行先である九州方面。小浜や雲仙での泊まりを終えて島原外港から九州商船に乗り込む時には無性に「里心」を覚えたものだ。

入社後間もない頃、中国・四国地区の若い社員が集まって研修会&懇親会が山口の湯本温泉で開かれた。その折、高松営業所に勤務するAという先輩が、我が古里「島原半島」のことを悪し様に罵った。

気付いた時にはもう飛び掛っていた。会場は騒然。「あー、これで俺はクビになるなぁ…」と思って徳島に帰ったら、鬼のK所長が逆に「元気があってよろしい!」と褒めてくれた。  

ただし、罰として頭を丸めさせられた。かくして、通常のコースとは逸脱した筆者の「人生の旅」が始まった、という次第。


2009/12/11

イタリアの中国人?…ユニクロ一人勝ちに〃警鐘〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

先般、「ダウンコート」なるものを買ってもらったが、これがすこぶる着心地がよい。何より軽い!そのうえ暖かい!久々に「良品」を手に入れた、という気分だ。

それがいつ頃から流行り出した代物(しろもの)なのか定かでないが、昭和50年代の半ばには、すでに意気揚々と羽織っていた「洒落者」がいたようにも想う。

確かその当時は、目ん玉が飛び出るくらい高くて、とても学生やサラリーマンなどが手を出せるような頒布品ではなかった。ただ、いつの世でもそうだが、「モドキ」商品はいくらでもあった。筆者も香港ツアーに出かけた際に、その「モドキ」(パーカー)を買い求めた記憶がある。

中国本土へ返還がなされた今となっては、もうあるのかどうか知らないが、当時「泥棒市場」と呼ばれる闇市があって、そこで買った。千円だった。

別段、見栄えも悪くなかった。胴体と両袖が肩口のジッパーで繋がっている仕掛けも斬新に映り、大いに気に入っていた。「ベスト」としての利用も可能だったからである。

ところが、それが「ヌカ喜び」に過ぎないことをほどなく知らされる羽目に。仲間の誰かが左袖を軽く引いた途端に、見事にジッパー部分が瓦解してしまったのである。

その時ほど「安物買いのゼニ失い」という言葉を深く噛みしめたことはなかったが、「失っても千円。ベストでいいもん」と、その後も長らく愛用した。

話は変わって、発売されたばかりの文藝春秋1月号の巻頭随筆の中で、イタリア在住の作家、塩野七生(ななみ)さんが面白いことを書いている。題して「価格破壊に追従しない理由」。

塩野さんは、ユニクロだけが「一人勝ち」している日本経済の現況を憂えた口調で、「似たような状況は、イタリアでも起っている」と警鐘を鳴らす。

それによれば、「二、三の最高級ブランドを除けば、日本人がイタリアン・モードと思っているブランドの多くは、中国式の商いのやり方に屈している」というのだ。

より分かりやすく言えば、「不法入国によってイタリアに在留している中国人を、合法的に入国した中国人が地下工場などで使って、イタリアン・ブランドを産出している」と。

背景にあるのは人件費の安さ。イタリア職人の10分の1の経費で、「メイド・イン・イタリー」が出来上がっているのだそうだ。

塩野さんはこうした状況に眉をひそめたうえで、「本物のイタリア職人が作ったアルマーニのような高級品には、想像力を高める何かがある」と、買い物本来の楽しさを語っている。

ちなみに、筆者が満足しているのは、日本製の「Gap」。アルマーニとは随分と「ギャップ」があるようだが、嬉しい!!


2009/12/10

助平」は好奇心から…タイガー、来年は寅年だよ!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日発売になったばかりの週刊現代がゴルフ界の至宝!タイガー・ウッズ(米国・33歳)の「不倫疑惑」を報じている。曰く「神の子も助平だった」と。

それによると、「関係」があったと目されているのは、ニューヨークの高級クラブのホステスなど少なくとも3人。「ベッドの上でもスーパーショット連発!」の小見出しには腹を抱えて笑った。

広辞苑第六版によれば、「助平」(すけべ)の語源は「好き兵衛(ひょうえ)」から転じたもので、本来は「すけべえ」と読むものらしい。意味については、論じるまでもなかろう。

まあ、個人的な感想を言えば、これまで稼いだ賞金やCMなどの収入が800億円を超える「スーパースター」なのだから、余り目くじらを立てなくてもと思うのだが…。いやいや、そうした「存在」であるが故に、身の回りは常に潔癖でなければならない!

社会の模範、子どもたちの夢…。米国のプロスポーツの世界では、競技での成績以上に、その人格の高潔さが強く求められる、という。そういった意味では、今回の騒動はタイガーにとっては痛恨の「OB」であったろう。

ただ、干支(えと)で言えば、来年は「寅年」。そう、あなたの年なのだから、ここで十二分に反省して、「プレーイング4」から打ち直せばいい。さらに余罪(?)が出ないようであれば、きっと世界中のファンはあなたのことを見捨てたりはしないはず!

ところで、タイガーは「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺を知っていたのかどうか?英語では「ナッシング ベンチャード、ナッシング ゲインド」と言うらしいが、日米を問わず「冒険する先」を間違ってはいけないよね!

ここまで書いてきて何だが、道徳の教本みたいで面白くないよなぁー。改めて「助平」の話に戻ろう。普通に考えれば、「平和を手助けする』と読めないこともないから、そう悪い性質(たち)ではないはず。

再度、広辞苑の手助けを借りると、「助兵衛根性」という派生語の説明の中に、本来の「色欲」に続いて、「色々な物事に手を出したがる気持ち」とあった。

なるほど!そう考えれば、この言葉の解釈の裾野は大幅に広がる。その意図するところを、敢えて「男女の間」だけに絞り込もうとしているから、いわれなき「誤解」が生じるのだ、きっと。

だとすれば、「好奇心」という言葉に置き換えればいい。まだ見ぬ世界への大いなる夢&憧れ。これを強権でもって阻止することは、人権蹂躙である。

批判を承知で声を大にして言おう。助平、何が悪い?もちろん、人間があくまでも「社会的存在」であることを存分に踏まえた上での話だ。ちょっと暴論過ぎたか?間違っていたらゴメンナサイ!嗚呼、段々声が小さくなってきた…。


2009/12/09

エッ「ぎょうせい」が!?…不況にさらされる出版業界

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

雑誌を定期購読していると、この時節は切り替え作業の真っ只中らしく、何度も何度も「契約更改」の書類が送ってくる。みんな〃必死〃なんだ、と改めて実感する今日この頃。

現在、筆者が定期購読をしているのは週刊、月刊、季刊合わせて5、6冊程度。発売日を待ちかねたようによく読む本もあれば、そのまま〃積読〃というのもある。

〃積読〃の代表格は米週刊誌「TIME」。曲がりなりにも英文学科を出ているので、辞書さえあれば全く読めないこともないのだが、いかんせん「字」が小さすぎて(言い訳…)。

ただ、表紙の装丁や記事全体のレイアウト、イラストなどは、さすがに洗練されている、と思う。しかしながら「投資対効果」を考えて、来年度は「しばし、タイム!」(鬼ごっこなどで昔よく使った「休み」の意)としよう。

その他については今のところ「継続」の予定でいるのだが、最近は3人の息子たちの教育費もバカにならなくなってきた。おかげで、人一倍短いスネは細まるばかり。加えて、上半身(メタボ)の体重をどう支えていけばいいのか、思案に暮れている。

ところで、今の世の中は「かつてない出版不況」と言われているが、全く場違いなCATV業界の会議の席で「その実態」と遭遇した。正確に言えば、「その情報」にふれた。

長野県諏訪市にある「LCV」と、関連会社の「倉敷ケーブル」(岡山県)の経営権が、東海地方の某大手ケーブル局に買収された、というのだ。

この話を聞いた時は、誇張なんかでなく本当にビックリした。「LCV」と言えば、CATV業界の老舗中の老舗で、10年近く前に九州連盟支部の仲間と一緒に視察したこともある。

一方、後者は「倉敷方式」と呼ばれる独特の経営手法で、中国地方では屈指の営業成績を収めていた優良企業。

筆者もこの夏、ある人物の紹介で訪問したのだが、約7億円を投じて完成したばかりの新社屋(耐震構造)は眩いばかりで、NHKの倉敷放送局も間借りで入っているほど。

それがまたどうして、と一瞬我が耳を疑ったが、親会社の「ぎょうせい」が折からの出版不況のため、一斉に売却したのだ、と聞いて合点がいった。定かではないが売却額は60億円だったとか…。

「ぎょうせい」と言えば、「講談社」や「小学館」「集英社」などには及ばないものの、税や法律、地方自治関連の本や「フォーブス」の日本版を出版している名門の出版社である。

まさしく「出版不況もここまで来たか…」という感じでいるところに、「契約継続」を求める〃矢の催促〃。やせ細った財布の中身を見ながら「タッ、タイム!」と訴えなければならない我が身にも、決して他人事ではない。


2009/12/08

そうは言ってもねー…「仕事の99%は段取りで決まる」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今年こそは!年賀状を早めに仕上げて投函しようと思うのだが、雑事に追われて、なかなかその気分になれないでいる。

はて、どうしたものか?と思案にくれて本棚を見渡していたら、あった!あった!その関係の教本らしきモノが。筆者名を見ると、「神樹兵輔」(かみき・へいすけ)とある。

これまた「はて?」であるが、巻末の著者略歴欄を見て思い出した。何のことはない、学生時代を一緒に過ごしたT先輩が書いたハウツー本ではないか。

題名はズバリ!「仕事の99%は『段取り』で決まる」というもの。比較的大手の「日本文芸社」から出ているので、どうして大したものである。

この先輩は一つ年上の東京生まれ。学校こそ違ったが、下宿が近くだったので、随分と親しくお付き合いさせて頂いていた。

東京出身なのに「下宿住まい」というのも変な話だが、幼少のみぎりよりかなりの「外れ者」だったようで、その後の人生も完全なる「アウトロー」。とにかく型にはまらない、破天荒なお方なのである。

例えば - 。昨今は史上稀に見る「超不景気」とやらで、学生の就職戦線にも大いに異常があるそうだが、この先輩のご自慢は「カヤマ・ユウゾウ」の成績で難関を突破したこと。

最初に聞いた時は何のことやら?と訝っていたが、「『可』が山のようにあるのに対して、『優』の数は僅かに2、3個程度」の劣悪な成績のことを、そう呼ぶのだそうだ。

その心を知って「巧いこと言うよなぁー」と感心していたら、翌日から矢のような「就職内定祝賀会」への誘い。「モシモシF君(筆者の旧姓)、今夜ヒマ?だったら飲もうよ!駅前で待ってるから」。

当時は「居酒屋チェーン」などはまだ少なく、我々の盛り場は「屋台」と相場が決まっていて、開店準備から手伝わされた。

説明が相前後してしまったが、先輩が内定を取り付けていたのは「松下電器」(パナソニック)だった。まあ、一緒に飲むのは良かったのだが、閉口したのは「ナショナル・ソング」を際限なく歌わされること。

〈明るいナショナル、明るいナショナル、ラジオ、テレビ、何でもナショナール♪〉。別段、松下電器に何の恨みもないが、寒空の下で飽きるほど歌わされた、この「フレーズ」だけは終生忘れることができない。

ところが、ところが、である!この先輩、何を油断めされたか、残り「2単位」をどうしても取得出来ずに、その年の卒業も就職もすべてが「パァー」に。

となると、即座に心機一転!「ねぇーF君、君ももう大企業に就職するなんてケチ臭い考えは捨てなさいよ!」と来た。そんな人間が書いた「段取り」本。はて、素直に信じていいものかどうか…?


2009/12/07

両政権の支持率が低下…人生色々、チェンジも色々

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「オバマ大統領 不支持50%」(CNN調べ 支持率を上回る)=6日付日経。

「(鳩山)内閣支持続落59%」(「首相指導力ない」急増)=7日付読売。

旭日の勢いだった日米両政権にも、やや陰りが見え隠れする世論調査結果が出ている。「それでも前政権末期に比べれば…」との言い訳は十分傾聴にも値しようが、政治家商売(?)とはかくもつらいものだ。

そもそも、この「世論」という〃存在〃そのものが怪しい、と個人的には思っている。ややもすると、マスメディアによる恣意的な報道で誘導される恐れすらある、からである。

新聞はまだしも、スポンサー筋から視聴率稼ぎを〃至上命題〃とされているワイドショー等では、明らかにその兆候(大衆迎合主義)がうかがえる。

したがって、眉に唾を付けて、しっかりと世の動向を見つめていないといけないのだが、悲しいかな!筆者を含む多くの凡俗の徒は「流れに身を任せて日々の暮らしを送っている」というのが〃実態〃なのである。

現在の日米両政権ともに「CHANGE」(チェンジ=変革・交代)という、万民にとって極めて分かりやすいキャッチフレーズで誕生した。その呼び掛けに、両国民の多くが熱狂して群がったのも事実だ。

ところが米国では10ヶ月、日本では3ヶ月が経過してみて、両国民の間に徐々にではあるが、「不満の芽」も吹き出し始めているという結果が、両紙の世論調査の数字であろう。

この「CHANGE」という言葉を巧く引き合いに出して使った、リクルート社出身の辣腕経営者がいた。曰く「『G』を『C』に変えろ。そうすれば『CHANCE』(チャンス=絶好の機会)になる」と。

この話を聞いた当座は「何という素晴らしい言葉だろう。実践する価値がある」と思って、著作何冊かをまとめ買いしたこともある。が、ほどなく氏はそのセクハラ紛いのワンマンぶりが祟って、社会から放逐された。

その〃騒動〃から何年か経ってみて、改めて考えてみるのだが、「それはそれで物事の正鵠を射た『真髄』である」という気がする。小沢一郎氏の言葉を借りれば、「自分が変わらなければ、組織は変わらないのだ」と、本当に思う。

ただ、問題は変わり方だ。遮二無二「反対」ばかりを目指すことは、かえって「混乱」を招くことにはならないか…。心配な一面がそこにある。

ところで、英語の「CHANGE」には「変化」のほかに、「両替」や「つり銭」の意味もある。極めて下世話な話で恐縮だが、昨日、某所で「つり銭六百円」を貰いそびれた。

「今さら何を!そんなケチな考えは今すぐチェンジ!」と自らに言い聞かせながら、拙稿に臨んでいるのだが…。やっぱり俺って〃小物〃。


2009/12/05

土佐さんは〃伊予産〃…サン・スポーツ創立20周年

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〈冬ざれや 号砲いっぱつ 青き空〉=寸胴。5日朝、折からの悪天候を吹き飛ばすかのような力強いピストルの音を合図に、若きランナーたちの健脚が島原の大地を駆け抜けた。ほかでもない!「島原学生駅伝」の一コマだ。

この日、島原地方の天候は、突風交じりの「冬時雨」で幕を上げたが、スタート時にはピタッと止み、時おり青空ものぞく絶好の「駅伝日和」となった。

申し遅れたが、冒頭の〃駄句〃は、筆者がスタート会場の市営陸上競技場で詠んだもの。「寸胴」というのは、「寸鉄、人を刺す」という物書きとしての願望をもじって付けた。勿論、自らの体型が「寸胴」であることも示唆している。

この日、晴れのスターター役を務めたのは、男子が島原市の横田市長。女子はマラソン競技でアテネオリンピックにも出場した土佐礼子さんだった。

土佐さんとは、今年めでたく法人設立20周年を迎えた「サン・スポーツ」代表の藤田昭比古さんの特別の計らいで、前夜の「食事会」(グレートダイニング城見)でご一緒させていただいた。

この原稿を書き終えた後、文化会館中ホールで行われる「トークショー」にも聴衆の一人として参加する予定でいるのだが、第一印象を言えば、「とても大らかで、おっとりとした人物」とお見受けした。

失礼ながら、お会いするまでは、土佐さんのことは「我が国を代表する長距離ランナー」以外の情報は、まったく持ち合わせていなかった。

聞けば、6か月の「身重」だというではないか。同行されたお母様もとても感じの良い方で、「この母にして!この娘あり!」との思いを強くした次第。

土佐さんは同じ四国でも「高知県」の出身ではなく「愛媛県」で生まれ育った。昔の呼び名で言うなら「伊予・松山」だ。食事会でもその辺りを皮切りに〃会話〃が弾んだ。

まずは筆者がいつものように〃知ったかぶりぶり〃を発揮して、「松山は子規以来の伝統をくみ、俳句が大変盛んな土地柄ですが、島原でも随分多くの方が俳句を詠まれています」と、軽いジャブ。その上で、「種田山頭火も昭和初期に島原の地を訪ねています」と切り込んだ。

すると、土佐さんの母上は「へー、そうなんですか!」と余裕たっぷりに受け止められた後で、初めて訪れた島原の印象について、訥々(とつとつ)と語って下さった。もう完全に〃位負け〃である。

これまた「たまたま」であるが、この日のNHKの朝のニュースでは、「松山城」の勇姿を紹介していた。そうだ、そうだ!!愛媛にはロウソクの里として有名な「内子町」もあるぞ。

これを機に、双方の間で交流が始まれば最高の展開なのだが…とも思う。ただ、その前に俳句の〃腕前〃を磨かねば!


2009/12/02

鼻水ラッシュで奮闘中…JALは「鶴の恩返し」を

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

織田裕二が世界陸上中継で発する「きたーっ!」という奇声は、物まねタレントの山本高広によって流行語にまで飛翔して行ったが、筆者の風邪もまさにそう言った〃乗り〃で先週末から始まった。週を跨いで今日で5日目である。

回りくどい言い方をしてしまったが、要するに「新型インフルエンザ」への恐怖感である。結論から言うと、単なる「ノド風邪」で発熱もなく、体の節々が痛いという兆候もまったく現れなかった。

ただ、やたらと鼻水が出る。〃噴出する〃といった感じなのだ。さっき〃かんだ〃つもりなのだが、再度挑戦してみれば、ティッシュの中には確かな重量感が。おかげ、鼻の下は摩擦熱で赤く染まりかけている。

家の中に居る時はまだいい。問題は外出する際だ。一応マスクをして出かけるのだが、数分も経てばもう鼻水が垂れ始めているのがわかる。誠に厄介だ。

そんな状態で月曜日の午後から福岡、佐賀方面へ出張を続けている。いよいよ今日が最終日。やっと待望の島原へと帰れると思うと、いささか症状も治まってきたようだ。いやいや、油断禁物である!

英語の諺に「人は健康を失くしてみて初めて、その有難味を知る」というのがあったが、まさにその通り。地位や名誉、金銭…などに余り執着せずに、今在る状態を、素直に喜ばないといけない。

ところで、冒頭紹介した山本何某は「お笑い芸人になる前は福岡空港で働いていた」と、この前、とあるテレビ番組で話していた。その時は別段、気にも留めていなかったのだが、たまたま昨日その近くを車で通りかかったついでに、思い出した次第。

そう言えば、同じ福岡県出身者で今や〃文豪〃の誉れ高い五木寛之先生(生まれは朝鮮半島)も貧乏学生の頃に、「羽田空港のレストランでアルバイトをしていた」と、何かのエッセーに書かれていた。

時代状況からして、今のように「和」「洋」「中」が軒を連ねることもなかったろうから、そこそこ繁盛はしていたであろう。まあ、自身の経験則から言っても、食べ物商売のバイトの利点は今も昔も金銭の多寡そのものより〃飯付き〃ということだ。

恐らく、五木さんが羽田で汗を流されていた頃は、「今や経営危機に瀕している」とされる日本航空(JAL)などは〃全盛時代〃だったはずである。いや、その状態へ向けてまさに離陸しようとしていた矢先だっただろう。

それがわずか半世紀の間に…。いつからJALの経営が狂い始めたのか知らないが、個人的な思いを言えば、本来の「鶴のマーク」から現在の「3レターロゴ」に切り替えた辺りからだろうか…。

ここはひとつ創業の原点に立ち返って「鶴の恩返し」を願う。長年のJALファンの一人として。