2009/11/28

上から目線」はダメ…つくづく難しい処世の術

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

新政権による「事業仕分け」も一通り終わり、受け止め方は様々なようだ。大切な国家予算の使い道を天下に公開したという意味では、大変に意義深いとも言えるが、「上から目線」(?)で一刀両断にされる当事者の立場はまた複雑であろう。

「上から目線」と言えば非常に聞こえが悪いので、少し言い改めた方が賢明だと思う。ならば、どうか?と思案を巡らすが、なかなか適当な言葉が見当たらない。敢えて使うとすれば、「俯瞰的な物の見方」とでも言っておこうか…。

だいたいにおいて、この「上から目線」の切り口は、マスコミ関係者に多く見られる傾向がある、という。筆者などはマスコミでも何でもないが、先日、普段から親しくしていただいている某会社々長(年下)から、何とも手厳しいご指導を賜わった。

ここで名前を挙げてもいいのだが、迷惑が及ぶといけないので、それは止めておく。ただ、言われた張本人としては、いたく考えさせられる節もあったし、また敢えてそうした「諫言」をくれる彼の存在が頼もしくも思えた。

『眠狂四郎』シリーズなどでおなじみの直木賞作家、柴田錬三郎(シバレン)さんの随筆集に『地べたから物申す』(集英社文庫)というのがあって、これがすこぶる面白かったのを覚えている。何よりそのタイトルが気に入った。

「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ歴史は変わっていたかも知れない」とはよく言われるが、それは何も〃女王様〃に限った話ではないだろう。一国の歴史や世界史とまではいかないまでも、少なくとも個人史においては、鼻や背の高さがその後の人生を左右するということは十分にあり得る。

例えば、筆者にあと20㌢ほどの「タッパー」が備わっていれば、こんな雑文なんか書いていなかったはず!?道を歩いていても、電車に乗ったとしても、その「違い」は大きいのだ、きっと。

しかし、物は考えようで、地べたからの「ロー・アングル」で見る世の動きも、それはそれでまた興味深いものであろう。恐らく、シバレンさんも生きておられた当時は、様々な世の動きに対して、非常に腹立たしい思いで、観察眼を働かせていたに違いない。

話は脱線するが、シバレンさんは大学卒業時に朝日新聞社を受験するが、「都道府県の名前を挙げよ」とされた問題に腹を立て、「余は小学生にあらず」と書いてそのまま退席。その後は「読売一辺倒」であったそうだ。

これと似たようなエピソードを、森繁久彌さんが残している。旧制北野中学時代に出された「応仁の乱は何年」という問題に「バカバカしい」と答えて落第処分を受けた、というのだ。

鳥の眼で見るか、蟻の眼で見るか…。処世の術はなかなかに難しい。


2009/11/25

昔は忍者も使っていた!!… 「桐の葉」は最強の血止め

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

音無川沿いのポケットパークに立つ、1本の柿の木。それは、それは見事な「紅葉」を従えていたが、いつの間にか「裸木」へと姿態を変えていた。近くの銀杏の木も、もうすっかり葉を落としている。

今年は「柿の実」の当たり年だったようだ。車を走らせていると、枝もたわわんばかりに、窮屈そうにひしめき合っている。「もったいない、ちぎって干し柿にすればいいのに…」などと、つい余計な心配をしてしまうほど。

徳島県上勝町で取り組まれている「葉っぱビジネス」(株式会社いろどり))を視察に行ったのは、かれこれ3年ほど前のこと。彼の地では嘘でも誇張でもなく、「実そのもの」より「葉っぱ」の方が幅をきかせているのだ。

改めてそんな思いで眺めていた「柿の葉」だったので、落葉を惜しむ気持ちはひとしおである。仮に「上勝産」とした場合の皮算用でいけば、あの木1本でウン十万円は稼げたはず…などと。

まあ、それはそれとして、先日再会した崇城大学薬学部教授の村上光太郎先生から、「桐の木」に関する何とも興味深いお話をうかがった - 。

〈桐の葉にはものすごい『止血効果』があって、女の子が生まれたら、その家の庭には必ず桐を植えるという習わしもあるほどなんだよ〉

〈傷は深い、浅いに関係なく、早く手当てをすれば跡が残らない。従って、昔の人は女の子が顔などをケガしたら、桐の葉を揉(も)んで、すぐに傷口をふさいでいたんだ〉

〈女の子が大きくなれば、それと歩調を合わせるかのように桐も大きくなる。成人してお嫁に行く時には、桐も成木となってちょうど箪笥の材料となる。『虫除け効果』は後付けの理由なんだよ〉

いつもそうだが、この先生の話には、ついつい引き込まれていってしまう。それだけ面白い。いや「説得力」が伴っている、という証左である。

〈江戸の昔には、忍者っていたよね。彼らは天井裏で偵察している時などに『クセ者!』といって槍に突かれることがあったりすると、桐の葉で必死に血止めをしていたんだ〉

解説も、ここまで来ると、もう感動モノ!「たかが葉っぱ、されど葉っぱ」である。

ところで、村上先生は現在、熊本市内にお住まいなのだが、もともとの本拠地は上勝町のある徳島県(徳島大学の出身)。その関係もあって、「いろどりビジネス」とも深い繋がりがあるそうだ。

来春には弊社主催で「講演会」を予定している。「来年のことを言えば鬼が笑う」と言われるが、何とか「日本三大薬園」の一つがあるここ島原の地でも、「いろどり」に負けないくらいのビジネス展開ができないものだろうか?


小春日和」に想う…森繁さんは恥かきっ子!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この時節の穏やかな天候のことを「小春日和」と呼ぶらしいが、「小春」と言えば、坂田三吉の糟糠(そうこう)の妻の名前だ。

〈あばれ香車(やり)なら/どろんこ桂馬/みだれ角行(かく)なら/むかい飛車/坂田三吉勝負にゃ泣かぬ/可愛い小春のために泣く♪〉

映画『王将』の主人公は阪東妻三郎が演じ、小春の役は田中絹代だったというが、観たことがない。おぼろげながら記憶に残っているのは、長門裕之が主役を演じたテレビ劇だが、小春役は誰だったっけ…。

前述の歌詞はその時の主題歌『王将・夫婦駒』で、石原裕次郎が独特の甘い声で歌い上げた。蛇足だが、筆者のカラオケ・レパートリーの一つでもある。

まったく業界は異なるが、「破天荒」「一徹」…などといった同種のキャラクターで彩られるのが、上方落語界の鬼才!桂春団治だろう。

〈芸のためなら/女房も泣かす/それがどうした文句があるか/雨の横丁/法善寺/浪速しぐれか/寄席ばやし/今日も呼んでる/今日も呼んでる/ど阿呆春団治♪〉

ご存知!都はるみが岡千秋とデュエットで歌って大ヒットした『浪速恋しぐれ』の一節だが、この中に出てくる女房の名前は「お浜」である。

〈そばに私が/付いてなければ/何も出来ないこの人やから/泣きはしませんつらくとも/いつか中座の華となる/惚れた男の/惚れた男の/でっかい夢がある♪〉

いやー、泣かせるではないか!今は無き「夫唱婦随」の夫婦道。だいたい今の世の中は、やたら女性が強くなって、何とも亭主族は旗色が悪い。

こんなことを書けば、また世の奥様族に顰蹙(ひんしゅく)をくらいそうだが、「男が男らしくなくなり/女が女らしくなくなってきて」から歯車が狂っているような気がする。

「男女共同参画型社会」を提唱することに何の反論もない。ただ、この属性としての「らしさ」を失くしてしまえば、世の中はより殺伐としたものとなることは請け合いだ。

森繁久弥さんがまだ若かりし頃、元祖マルチタレントとして知られる徳川夢声さんと対談した折、「君は親父さんが幾つの時の子だ?」と訊かれた。「えーと、53歳。いわゆる〃恥かきっ子〃って奴です」。

「ほー、数少ない精子の中から選ばれたのだから優秀だよ!でもね、俺は親父が若い頃に出来た倅でね、君以上の倍率をかいくぐって来たんだよ」。

森繁さんもさるもので、「自分の方が優秀である」とする徳川さんの〃真意〃をすぐに読み取って、『隙間からスキマへ』という本の中で紹介している。

余談だが、その徳川さんが造ったとされる「彼氏」や「恐妻家」という言葉は、今の世でも十分に健在である。きっと、これからも…。


芸術は長く人生は短し…回顧展『ふるさとの風』閉幕

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

おかげさまで故・永ノ尾秀邦さん(後に財津→池上栄邦に改名)の回顧展『ふるさとの風』(21日~23日、島原観光ホテル小涌園)も無事、成功裡に幕を閉じることができた。

ご後援をいただいた島原半島内三市、同教育委員会、島高第21回卒の皆様、並びに会場を訪ねて下さった多くの方々に、心より感謝申し上げる次第だ。有難うございました。

そして何より忘れてならないのは、永ノ尾さんの母校「島原高校」の心温まる対応ぶり。辰田校長先生、川村事務長さん(21回卒の同級生)、美術部の谷口先生、部員の皆さん、本当にお世話になりました。

つくづく振り返ってみると、「芸術」の持つ力の大きさに改めて驚く。たとえ「肉体」はそこになくとも、一つひとつの作品がその「存在の確かさ」を今に、いや未来永劫に伝えてくれるのだ。

ひるがえって我が身はどうだろう?食って、飲んで、寝て、些細な事に腹を立て、小さな欲望を満たして…。来る日も、来る日も、そうした「単純生産」と「消費」の繰り返し。もう、まったく厭(いや)になるバイ。

偉大なる哲人、故・中村天風翁は説く - 「肉体と心の間に介在するものは何か?それは『意識』である」と。その上で「積極果敢に生きよ!」とアドバイスをくれる。

「ならば!」と日々いきりたって臨むのだが、お天道様が真上に来られる頃には、もう「惰性」に溺れている。鏡を見ると、呆けた「間抜け面」が醜態を晒している。

無精ひげにも、近頃とみに「白いもの」が目立つようになった。と言うより、半分は「白髭」で、若い頃よりヒマに任せて抜きまくっていた顎の部分は「不毛地帯」である。

かてて加えて、ここ数日は「吹き出物」に悩まされている。たまさか出会えた崇城大学の村上光太郎先生(薬学)によると、「そんなのドクダミで一発だよ!」との見立て。

念のため、近くの病院に行ったら「毛穴(汗腺)が炎症を起している」との診断。「どう見ても上品には見えんけど、肌だけはやたら敏感なんだよなあ…」と軽口を叩かれた。

その挙句、周囲にいた3、4人の看護婦さんに「(筆者が)上品に見える人」と〃決〃を採られる始末。結果は、1人だけが賛成の挙手。残りはすべて体制派(!?)であった。

ところで連休明けの昨日は、この「吹き出物」バージョンを皮切りに、耳鼻科、歯科…と4つの医療機関を巡回してきた。自分で言うのも何だが、肉体はもうすっかり「老人の域」に達しているようだ。

「アート イズ ロング/ライフ イズ ショート」(ヒポクラテス)。目に、鼻に、肌に、腰に…。老いの訪れが、そぞろ身に染む秋の夕暮れである。


2009/11/20

ほんに「屁」のような話…とうとうクスリの世界まで!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「ほんにそなたは屁のような。声はすれども姿はみえず」-。正確にはどう言うのか知らないが、そんな都都逸(どどいつ)があったのではなかったか。

一向に直りそうもない我が身の「メタボリック症候群」を何とかせねばと、ついに「クスリ」に頼る道を選んだ。つい数日前のことだ。

まだ飲み始めたばかりなので「効能」の程は定かでないが、やたらと「屁」が出る。所かまわず、と言ってよい。さすがに、人前では控えているが…。

実はこれまでも幾度かその手の「漢方薬」を買い求めていたが、いつも自宅台所の抽斗(ひきだし)の中に押し込んだままで、「服用」までには至っていなかった。

では、なぜ一体「ルビコン」を渡ってしまったのか?他でもない「新聞広告」のせいだ。通常の広告は側面から見た「出っ腹」の様子を取り上げているのだが、某フイルムメーカーのそれは女性の「後姿」を取り上げている。

世に「バックシャン」(後見美人)という表現があるが、掲載されている4葉の背中姿は、それとは異質の「ふくよかさ」で満ち満ちている。

いや、待てよ!これと似たような「シルエット」をどこかで見たことがあるぞと、想を巡らしているうちに思い出した。他でもない自分自身の醜態であった。

島原観光ホテル小涌園の売店奥の男性トイレは、2か所の手洗い場が「合わせ鏡」方式で、面(おもて)を上げると、必然的に自分の背中が見える仕組みとなっている。

丸い!何度見ても丸い!とても「7人の外敵」と戦っているような「緊迫感」などまるでない。財布の実情とはかけ離れた、ゆるみ切った「安息感」が漂っているのだ。

話は脱線して申し訳ないが、小涌園の小便器には、いちいちうるさい「注意書き」が添えられている。全文は忘れたが、「お前さんのはそう長くないのだから、一歩前に出ろ!」といった類いのものだ。

少々腹立たしくもあるのだが、清掃をして下さっている方々の心情を慮れば、まさに正鵠を射た「ご指摘」でもあるので、素直にその教えに従って用を足している。

尾篭(びろう)な話続きで恐縮だが、「屁」に関して思い出すのは、太宰治の『富嶽百景』という作品。その中に、文豪・井伏鱒二の動きを捉えたシーンが出てくる - 。

〈何も見えない。井伏氏は、深い霧の底、岩に腰を下ろし、ゆつくり煙草を吸ひながら、放屁なされた。いかにも、つまらなささうであつた〉

最近のテレビコマーシャルを見ていると、長崎の老舗カステラ屋の製品には「文学の香りが漂っている」そうだが、果たして、井伏先生の「屁の味」はどうだったのだろう…。


2009/11/19

バカの後知恵そのもの…90分間ひたすら喋ったが…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「バカの後知恵」とはよく言ったもので、先日とある講演会に呼ばれて喋った内容について、今頃になって深く後悔している。

お声が掛かったのはまだ暑い盛りであった。最初は「柄でもない」とお断り申し上げたのだが、熱意にほだされる形で引き受けてしまっていたのだ。

今にして思えば、担当者の方にも、同じような慙愧(ざんき)の念を抱かせてしまっているのでは…、とうすら寒い思いにとらわれている。

演題を訊かれた時、深く考えることもなく「『かく』ことについて - として下さい」と応えた。ただし「かく」は平仮名で - との注文も忘れなかった。

ふだんから訳の分からない〃駄文〃を並べている身とすれば「書く」と言うには余りにもおこがましくもあり、もともとその方面には自信もへったくれも無かったので、最初から〃逃げ〃をうっていたのだ。

つまり「かく」として置けば、「書く」以外にも「(絵を)描く」、「(仁義を)欠く」…などの話にも使えるし、いざとなったら「(恥を)かく」という〃オチ〃でまとめられるのでは、と。

が、いかんせん、その考え方は甘すぎた。何せ与えられた時間は90分もあったのである。業界やオバ様方の集まりで少々語ることはあっても、せいぜいそれは40分から1時間。とても〃素人〃のこなせる時間枠ではない。

事の重大さと準備不足に気付いたのは、もう前日のこと。ほぼ半日を費やして原稿用紙50枚ほどの草稿を仕上げたのだが、一体何を言いたいのやら?

不安と後悔が交錯する頭を抱えて開演の20分前に会場に着いたら、「先生」と呼ばれて、いきなりギョッ!

長いような短いような待ち時間を経て壇上に立つと、知識欲に溢れた百人近い専門家集団がズラッと陣取っているではないか!

用意した原稿をチラチラ見ながら〃無難〃にこなす方法もないではなかったが、とてもそんな心の余裕など持ち合わせていない。仕方がないので、内容そっち除けで、ひたすら喋くりまくった。

途中、「嗚呼、これではいかん…」と反省することもしきりだったが、ここまで来たら、最後まで行くしかない!

全身にグッショリと汗を「かき」ながら時計を見ると残りあと10分。せめて「オンタイム」だけを目標に、90分間の〃講演もどき〃を終えた時に感じた思いは、マラソンランナー有森裕子のあの言葉だった。

ところで、「書く」ということについて、大学の先輩でもある田中正明先生(元長崎北高校長)から頂いた本を後でひも解いてみたら、「ガリ版に鉄筆で『掻く』作業。すなわち一種の彫刻」(要約)とあった。

筆者のような軽佻浮薄なパソコン世代への大いなる〃警鐘〃である。


2009/11/14

永ノ尾さんの回顧展…若くして逝った〃天才〃の軌跡

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

以前にも本欄で紹介したことのある、島原市有明町出身の画家、故・永ノ尾栄邦さん(後に「財津」→「池上」に改名)の回顧展『ふるさとの風』の開催がいよいよ近まってきた。

生前の永ノ尾さんと親しかった公認会計士の嬉野豊さん(福岡市)が代表を務める同展実行委員会が主催するもので、島原半島の三市、並びに同教育委員会が後援。島原新聞、カボチャテレビ、FMしまばらの三社が協賛する。

会場は島原観光ホテル小涌園(グリーンホール)。会期は〃連休〃となる11月21日(土)から23日(月)までの3日間で、入場無料。作品によっては〃即売〃も行われる。

また、それに先立って20日(金)午後には、遺族が永ノ尾さんの母校「島原高校」(辰田幸敏校長)を表敬訪問して、作品を寄贈する予定。

永ノ尾さんが画家の道を志したのは高校三年生の頃。それまで進路に悩んでいたが、校長室に飾られていた〃一枚の絵〃に心を揺り動かされた。

〈兄貴(後に東大教授)などと比べたら、自分は成績が悪い。でも、美術は好きだ。ヨーシ、どんなに貧乏しても絵を描いて生きていくぞ!〉と決心を固めた、という。

その後、数々の紆余曲折を経て〃終の棲家〃を大分県に構えたのが20年ほど前。別府や湯布院、国東半島などを舞台に旺盛な創作活動を展開、約3000点の秀作を遺している。

一方で、「ヒデクニ」の名を持つ〃不思議アーティスト〃として、地元ケーブルテレビ局「CTBメディア」が毎月発行するプログラム冊子の表紙絵を担当。同時に、自主番組の制作にも係わるなど、そのマルチな才能ぶりは別府市民の圧倒的な支持を得ていた。

ところが、再婚後間もない3年前の初夏、不慮の〃事故死〃を遂げてしまう。神はあり余るその〃天賦の才〃を嫉妬されたのであろうか、はたまた親友で先に旅立ってしまった写真家の西川清人さんが呼んだのであろうか…。

今年9月には没後3周年を記念した「追悼コンサート」(鉄輪・冨士屋ギャラリィー)も開かれ、多くのヒデクニ・ファンが集い、天才アーティストの喪失を改めて惜しんだ。

島原会場に展示されるのは日本画を含む、大小合わせて約50点。福岡リクルートビルの玄関ホールに飾られていた百三十号の大作も特別展示される。

カボチャテレビではCTB局(三浦一郎社長)の全面協力を得て、永ノ尾さんが手がけていた『不思議発見』シリーズの何本かを特別放映することにしているので、乞うご期待!

何はともあれ「2009年・しまばら・芸術の秋」のフィナーレを飾るに相応しい、素晴らしい企画展になることは間違いない。多くのご来観を!


2009/11/13

泣きたかった〃独り飯〃…誰かワサビの栽培やって!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〈ひとり酒場で 飲む酒は 別れ涙の 味がする 飲んで棄てたい 面影が 飲めばグラスに また浮かぶ♪〉…。

ご存知!美空ひばりの代表的なヒット曲『悲しい酒』の一節。グループサウンズ旋風が吹きまくっていた昭和41年当時、本格派演歌として登場した、心に染み入る〃名曲〃だ。

11日から宮崎市内のシーガイヤで開かれた、CATV連盟九州支部主催の「トップセミナー」に一泊二日の予定で参加したのだが、帰りの船に乗り遅れて熊本市内で〃一夜〃を過ごすことに。

高速を運転しながら、急きょ幼なじみのホテルマンに連絡を入れて、部屋を取ってもらった。やはりいつの時代も、持つべきものはトモダチである。

前日は百名を超えるパーティでとても賑やかな夕餉(ゆうげ)であったが、今度はそうはいかない。独りトボトボと繁華街を目指して歩を進め、とある地下の居酒屋のカウンター席に陣取った。

いくつか空席を挟んで、中央付近には下腹の突き出た初老のオヤジ。眼鏡をかけた赤ら顔だ。じっと様子を窺っていると、やたらと何やかや注文しては、コップ酒をあおっている。

こちらも負けじ!と生ビールから始まって、日本酒、焼酎とグラスを空けた。「どうしよう?脇に移って何か語りかけようか…」とも思ったが、そのうちにオヤジは消えた。

さーて、困った!周囲を見渡せば、カップルや団体客ばかり。これから、この〃長い夜〃をどう過ごせばいいのだ、と悩み始めた時に、冒頭の歌詞が浮かんできた。

断っておくが、筆者は〃色恋〃なんかに悩んではいない!ただ、異郷の地で、話す相手も居ないで夕食を摂ること、その行為そのものに得も言われぬ〃寂しさ〃を味わったのである。

その思いは酒のピッチを上回るペースで襲ってきた。何だか悲しくて&悲しくて仕方がないのだ。しかし〃人目〃もあるので、泣くわけにもいかない。

耐える代わりに、ひたすら〃注文すること〃に精出した。刺身や〆サバを一通り平らげ、寄せ豆腐、地鶏焼等に箸を伸ばし、最後はダシ巻きと角煮チャーハンで締めくくった。

美味かった!大将の坊主頭の兄ちゃんも感じが良くて大満足だったが、少しだけ足りないものを感じた。ワサビだ!これだけ包丁が立つのに、ワサビが他所と余り変わり映えがしないのだ。

勿体ない…。ここは熊本だからまだいい。島原でもこれだけ美味い魚介類が獲れるのだから、もっとワサビに凝ればいいのに…などと他愛もないことを考えながら無聊(ぶりょう)を慰めていたのでした。

どう、誰かワサビの栽培やりませんか?それから、なるべく晩ご飯は家族と一緒に食べましょうね!?


2009/11/11

名文家だった森繁さん…雰囲気は草野さんと瓜二つ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

森繁久弥さんが10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。1913年(大正2年)5月4日生まれ。享年満96歳。何はともあれ、心よりご冥福をお祈りする。

島原との関係については、山本悌一郎さんが今年の本紙元旦号に2ページにわたって寄稿されているので、読者の方も良くお分かりだろう。

筆者も幼い頃より著名な〃芸能人〃であることは存じ上げていたが、プロの作家をも凌ぐ〃文章家〃でもあったことは、生前の宮崎康平先生から伺って、初めて知った。

昨夜、NHKの7時のニュースで訃報を知り、まず愕然とした。次いで、本棚から著作の1つを取り出し、改めて読み直してみた。素晴らしい。全編にわたって知恵とエスプリが〃ほどよく〃効いているのだ。

昭和59年に新潮社から出た(初版)、その本の題名は『人師は遭い難し』という。古希を迎えたのを機に、心に残る人との出会いを「これだけは書いておきたい」と芝居の幕間に筆を執られたものだそうだ。   

内容は多岐にわたっており、どの章立ても読み応え十分で、一々うなずかされてしまうのだが、紙幅の都合もあるので、絞って紹介する無礼をお許しいただきたい。以下、要約のみ。

辞書をひくと「伸るか反るか」は「成功するか失敗するか」の意味と書かれているが、元はサンスクリット語。「のるか=地獄、そるか=天国」から来ている。「猫も杓子も」も同様に「禰宜=神、釈子=仏」がその語源。【吉田茂のニヒリズムより】

(当時自殺する生徒が多かった母校の大阪・北野高校の講演に呼ばれて)「15歳の君1人をここまで育てるのに、推計200万人の色んな人々が何らかの力を寄せてくれている。その人たちにきちんとした感謝の挨拶もしないで勝手に命を断つことは、絶対に許されない」。【人の力 人の心より】

「人間それぞれゴムひもみたいなもので、太いのもあれば細いのもあり、張力も同じでない。引っ張ったり、ゆるめたりしてこそ長持ちするのだ」。【己にトボける術より】

このほかにも、ケネディ大統領夫人だったジャクリーンと、(再婚した)オナシス旦那との〃閨房の秘話〃を面白おかしく語った小話の紹介などもあり、森繁ワールドはまさに〃話の玉手箱〃である。

最後にいささか個人的な話をさせていただければ、我が生涯の師・草野壬二郎翁も、岳父も、森繁さんの後輩である(早稲田商学部)。また、元島原商工会議所の森本元成さんは旧制北野中学の後輩だ。

その草野翁が好んで使う言葉に「往事茫茫」という表現がある。その心中を忖度すれば、森繁さんと重なる部分も大きかろう。誤解を恐れずに言えば、その雰囲気は瓜二つである。


2009/11/10

また変な所へ行って?…九スポは堂々の〃写真掲載〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

9日は一般紙がそろって休刊だったためスポーツ新聞を買い求めた。石川遼君の活躍ぶりも確認したかったし、「婚活サギ女」の記事も読みたかったので。

驚いた!九州スポーツは堂々の写真入り報道である。顔の一部しか見せないテレビ報道では〃細面美人〃を想像していたのだが、同紙に掲載されたそれは、まるで逆。二重アゴの〃おデブちゃん〃だった。

軽いショックを覚えて同僚の五十男に見せると、「同じだまされるなら、もっと美形であってほしい。これじゃーねー」と、ほざく。まったく何を言っているのやら…。

でも、「起訴」までされている連続殺人事件の容疑者なのに、一般紙やテレビではどうして〃顔写真〃を流さないのだろう。これでは「ノリぴー」が余りにも可哀そう???

それにしても、この日の紙面を読む限り、目新しい中身は何もない。大きな見出しで「だまし取った金で父親の墓購入」と打ち出しているが、それは何日も前にすでにアエラで読んだ内容だ。まあ、スクープ合戦の最中で色んな事情もあるのだろうが…。

ところで、スポーツ紙のもう一つの楽しみは「お色気コーナー」である。よくもまあ、ここまで微に入り細に入って調べ上げるもんだ、と感心する。

と、そんな変な感慨に浸って紙面を眺めていたら、決算業務のため来社していた税理士事務所スタッフと弊社経理課員との間で、何やら〃モメ事〃が生じている模様だ。

しばらく息を殺して成行きうかがっていたら、ほどなく〃笑い声〃が。事情が良く呑み込めなかったので「どうした?」と出ていくと - 。

「私はどうしてもこの『ピンクリボン』という支出が気になって仕方がなかったのです」と、税理士事務所スタッフ。「どうして?」と訊いたら、「また専務が変な所へ行かれたんじゃないか、と想って…」と来た!

これには筆者も、周囲の社員スタッフも唖然。そして大笑い。「これは乳がん撲滅キャンペーンへの協賛金ですよ」と諄々と説いて一件落着した次第。

その「ピンクリボン」で言えば、今年に入って母親と夫人が相次いで乳がんと診断された米国のフィル・ミケルソン選手が、中国で行われた世界選手権シリーズ(HSBC)で優勝した記事が掲載されている。

ただし、日本のスポーツ紙を飾っているのは、17位に終わった石川遼選手の大写真だ。女子のミズノクラシックにしてもそう。優勝の宋ポぺ選手(韓国)より17位の宮里藍選手の扱いが遥かに大きい。

この勝手気ままな編集方針こそスポーツ紙の真骨頂。やっぱり世の中、お堅いだけじゃね…。【※11日の「ターニングポイント」は県外出張のためお休みします】


2009/11/09

薬名から「ン」消える?…またぞろタバコ値上げ論議

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

副鼻腔炎の疑いに伴う奥歯周辺の〃違和感〃に悩まされていたが、長大歯学部病院で処方された抗生物質のおかげで何とか収まった。が、それも束の間。今度は口内炎だ。

何かこう、口全体が痺れるような感じなのだ。「こりゃいかん!」と思ったが、あいにく日曜で病院は休み。近くの薬局に飛び込んだ。

そこで買い求めたのが「ハイチオールB」。「シミ、飲んで直そうハイチオールC♪」というCMコピーが耳にこびりついていたが、「口内炎には『B』なのだ」そうだ。「チョコラBB」というのもあったけど…。

昔は薬の名前の末尾は「ン」と相場が決まっていた。曰く「アリナミン」「グロンサン」「オロナイン」…と言った具合に。

ところが最近はどうも様子が異なってきているようだ。「ハイチオール」や「チョコラ」などもその一例であろうし、ED特効薬の「バイアグラ」や「レビトラ」にも「ン」の文字は見当たらない。

「なぜ薬品会社が末尾に『ン』を付けたがるのか」については、「『ン』で終った方が、人々の記憶に残りやすいのだ」と、まことしやかな説明を伺ったことがある。が、果たして、真偽のほどはどうなんだろう。誰か〃言語学〃に詳しい人はいませんか?

さて、タバコの値上げ論議がまたぞろ出てきた。愛煙家にとっては「もういい加減にしてほしい」というのが本音であるが、一方で「これを機に禁煙を」という助平心も湧いてきているので、何とも言えない。

そのタバコの名前も時代とともに随分と変わってきた。子供の頃よく買いに行かされた銘柄は「シンセイ」だった。まさかドイツじゃないので「神聖」はなかろうから、無難なところで「新生」辺りがその語源だろう。

当時は「キキョウ」や「シキシマ」「ワカバ」というのもあった、と記憶している。そうそう「ゴールデンバット」というのもあったが、今でもまだ売られているのだろうか…。

筆者の今のお気に入りは「ラーク」の赤箱(12ミリ)。ただし、レギュラーサイズ。得したと思ってロングサイズを買ってみたが、これが想いのほかまずい。やはり『すずめのお宿』の教えは本物である。

紙面では「欧米のタバコの値段は1箱=500円~600円」と報じられている。ざっと言って、今の日本の2倍であるが、さてさて、これを高いと見るか、安いと見るか…。

筆者が仕事でよく海外に出かけていた頃にも、確か「ロスマン」などは400円ほどしていた。ただし、ホテルの売店で求める数日遅れの日本の新聞もそれくらいしていた。

今ならどうだろう。やったことはないが、パソコンさえあれば、わざわざお金をかけないでも「当日の紙面」がどこでも読める今日この頃だが…。


2009/11/07

げに恐ろしきはオンナ…「コンクリート」の意味するもの

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

男心(女心)と秋の空 - 。移ろいやすいものの例えだが、このところは晴天続きで、いささか拍子抜けするほどの穏やかさだ。

それにしても残忍極まりない事件が後を絶たない。関東近郊で34歳の「婚活」サギ女による連続不審死事件が露見したかと思っていたら、今度の主役は鳥取県&35歳女!まるで同世代女性による凶悪犯罪の〃東西対抗〃ではないか。

週刊アエラ(11月9日号)で特集されている前者の特集記事を読むと、容疑者は北海道生まれ。高校当時の制服姿が目隠し状態で掲載されているが、どう見ても〃男心〃をくすぐるようなタマには見えない。

一方、発覚したばかりの後者に関しては、不審死をとげた6人の男性と、容疑者(もう1人46歳の男性も)との関係が〃相関図〃で示されている=朝日・7日付社会面。

被害者の中には、こうした〃社会悪〃と戦うべきはずの警察官や新聞記者も含まれており、何とも言い切れぬ思いがする。

イギリスの大劇作家シェークスピアは「弱きものよ、汝の名は女なり」(ハムレット)という名台詞を遺しているが、残念ながら、その言葉の〃真髄〃は21世紀の現代ニッポンには当てはまらないようで…。

ところで、「シェークスピア」と言えば、誰しもが認める言葉づかいの名人である。別段、それにあやかるわけではないが、このところ少し気になることがある。ほかでもない民主党政権の皆さんがよく使われている「コンクリート」という表現だ。

曰く「コンクリートから人へ」 - 。その意図するところは無駄な公共事業を見直そうというもので、言葉遊びをするならば、「(大型)ダムはムダだ」といったところだろうか。

そうした〃信念〃のもとに戦い抜いた結果、長年続いた自民党政権(55年体制)を打ち倒したのだから、それはそれで結構なことである。否定もしない。

ただ一方で、それらを生業(生活の糧)としてきた人々の〃悲痛な声〃も是非聞き逃さないでいただきたい。「ただでさえ仕事が少なくなっていたところに、追い討ちをかけられてしまうのでは…」と不安におののく地方の事業者も沢山いるということを。

まあ、釈迦に説法だろうが、英語で言う「コンクリート」には別の意味がある。形容詞の場合は「具体的な」という使い方をするのだ。蛇足だが、その反意語が「アブストラクト」(抽象的な)。

(無機質な)結合体という名詞の「コンクリート」から、肌の温もりが感じられるような「人」へ向けて政策が大転換されることは、傍目には〃美談〃に映る。

ただし、くどいようだが、庶民の生活の問題は「いつも具体的なのだ」ということを忘れずに、政策論争の「コンクリート詰め」にだけはしないでいただきたい。お願いします。


2009/11/02

平尾圭太さん逝く…まさに「巨星墜つ」の悲しみ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〃訃報〃を耳にしたのは豊後高田だった。平尾勇先生(俳号・圭太)が30日、亡くなった。享年87歳(数え年)。筆者の家族の話によれば、その日の朝も〃いつものように〃郵便受けに俳句の原稿が投函されていた、という。

本当に大好きな先生だった。現代日本を代表するような俳句の大家でありながら、少しも偉ぶったところがなく、いつも恥ずかしげに微笑んでおられた。1日の葬儀で弔辞を読まれた中川萩坊子さんが仰っていたように、まさに「巨星墜つ」の感しきりである。

先にみまかれたみさお夫人ともども、筆者が島原に移り住んだ頃から随分と可愛がっていただいた。ご自宅の三勇堂菓子舗をお訪ねすると、愚息(長男)の名前を良く覚えてもらっていて、「多聞ちゃんはもう随分と大きくなられたでしょう?」などとお声を掛けて下さったものだ。

先生は優れた俳人であると同時に、会計学を修めた「公認会計士」(長崎大学名誉教授)でもあった。その資格は母校・島原中学(→島原高校)の教壇に立ちながら〃独学〃で取得されたというから、並みの頭脳・精神力の持ち主ではなかった。

弊社の生放送番組『ターニングポイント』にゲストとしてお招きしたのは昨年6月。その中で初めて聞く話も多く伺えた。何よりびっくりしたのは、自身も学ばれた「長崎大学」の校歌も作詞されている、というエピソード。

また、海軍経理学校時代の同級生に、『秋霜烈日』の著者としても知られる元検事総長の伊藤栄樹さんらがいたことも驚きだったし、終戦後の一時期「東芝」に勤務されていたことも初めて知った。

島原会館で営まれた通夜・葬儀には、先生のお人柄を偲んで、会場に収まりきれないほど多くの人々が参列。ススキを背景に撮られた遺影がさらに悲しみを倍加させ、教え子を代表して〃弔句〃を読み上げる原フミ子さんが時おり絶句する姿が印象的だった。

筆者も斎場の後方に座らせていただいたのだが、ふと「こんな時、先生ならどんな句を詠まれるのだろうか…」との考えが頭をよぎった。不謹慎だろうか?いや、そうではないはずだ!

およそ島原で暮らしたことのある人物なら、多くの人々が集う会場で、先生の「即興句」に触れたことがない者などまずあるまい。それほどまでに「圭太俳句」は島原の土壌深く根付いた〃作風〃だった。

簡潔にして明瞭。決して奇を衒わず、一瞬にしてその場の雰囲気を切り取る確かな〃描写力〃は余人の及ぶものではない。島原にとって本当に惜しい〃人財〃を失くしたことを心から悔やむ。合掌。

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4日の『ターニングポイント』は急きょ予定を切り替え、平尾勇先生の追悼番組として、収録分を再放送します。