2009/09/28

10月3日は島原城へ…胃袋&肝臓癒(いや)しましょう!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

そういう〃季節〃なのだろう。28日付の『天声人語』(朝日)、並びに『水や空』(長崎)両欄でそろって「秋の七草」(薬草)を取り上げている。両紙とも格調高く論を進めているが、「お好きな服は」という頭文字の語呂合わせで紹介しているのは『水や空』。

それにしたがって列挙してみると、「ミナエシ」「スキ」「キョウ」「デシコ」「ジバカマ」「ズ」「ギ」という組合せ。残念ながら、「ススキ」以外すぐに思い浮かぶ植物がないことに愕然とするが、何も知らないことを恥じ入る必要もあるまい。

少し脱線するが、先日、本欄で太宰治著『走れメロス』の書き出しを間違ったことに対して、何とも〃皮肉〃の効いたご指摘を頂戴した。まったくもって筆者の僻覚えで、赤っ恥をかいてしまったわけだが、昨夜テレビを観ていたら、同じ設問で何と24人中2人しか正解者がいなかったので、少し安心した次第。

そのご指摘では、本欄のタイトルを『履正不〃具〃』とされていた。いっそのこと『理性不具』とバッサリと切り捨ててもらっていた方がよりサッパリして良かったのに、そこまでの〃突っ込み〃がなかったのは残念?

だいたい筆者は根っからの粗忽(そこつ)者で、間違えることは日常茶飯事。これからもご指摘を受けるような事態が度々発生することが容易に予想できる。いや、保証する。

ただ「一寸の虫にも五分の魂」という。なるべくなら〃実名〃でのご寄稿をお願いしたい。でないと、メールという最新情報兵器で、闇の世界から〃脅し〃を受けているようで、何とも気持ちが悪い。

閑話休題。「秋の七草」の話に戻る。島原城では10月3日(土)に、新たな試みとして「薬草粥」(千人分)を、無償で振る舞うことにしている。元々この企画は、崇城大学薬学部教授の村上光太郎さんが、弊社の生番組に出演してくれたことから生まれ出たもの。頭に「第1回」と銘打っているのは、今後も続けてやりますよ、という〃意志表示〃だ、そうである。

期せずして、他紙のコラム欄に合わせたようなタイミングと相成った次第だが、28日午前には早速、予行演習が行われた。この日、格別にお世話になったのは大鍋提供のJA島原雲仙、燃料担当の西部ガス、そして味付けで腕をふるってもらった島原薬草会副会長の増田澄さんら。

夏の暑さで疲弊した胃袋や肝臓を元気付ける「新秋の七草がゆ」。皆さんも3日はぜひ島原城へ!午前11時からと、午後6時からの2回興行。同日夜は「中秋の名月」。「月見の宴」も予定されている、という。

ところで、向田邦子さんの名作『眠る杯』というタイトルは、『荒城の月』の「めぐる杯♪」という一節を聞き間違えたことがきっかけだそうだ。蛇足ですが…。


2009/09/26

何が「水前寺」と違うか…そろそろ考え直しましょう!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

断っておくが、誰かを責めるつもりで書いているのではない。他でもない、水都・島原のシンボル「白土湖」のこと、である。

島原湧水群の1日当たりの湧出総量は、市全体で20数万トンと言われている。白土湖のそれは約4万トンと言うから、5分の1に相当する大変な量だ。

その白土湖がいま〃危機的局面〃を迎えている、と言ったらいささかオーバーか。ただ、市民の一人として「これが島原のシンボルです!」と胸を張るには、少々勇気が不足する。

筆者自身、植物学や環境工学の専門家でもないので、正確なところは何一つ把握も出来ていないし、根本的な解決策など思い浮かぶ由もない。ただ、何ともモドカシイ限りだ。

こうした場合、得てして役所の対応が槍玉に上がるが、これまでの〃経験則〃からして、そのやり方は余り〃効果的〃とは言えない。 

何故なら、彼(女)ら職員の生活と、白土湖の実態とは、何ら直接的&実利的な関係などないからだ。同じようなことが一般市民についても言える。

話は変わるが、昨金曜日、熊本市へ出かけた。監督官庁への業務報告を兼ねての出張であったが、約束の時刻まで少し間があったので、久方ぶりに「水前寺公園」まで足を延ばした。

拝観料400円を支払って三つ折りのパンフレットをもらった。表紙のタイトルには「出水(いずみ)神社神苑・水前寺成趣(じょうじゅ)園」と刷られている。

この際、由来の話は省く。ただ、単純に「湧水の状態」を見たかっただけ、だったからだ。澄み切った綺麗な水で、何より〃視界〃が開けて気持ち良かった。

観覧する側からすると、これだけでも随分と印象が違う。大きなニシキゴイがゆったりと泳ぎ、カモやハト、サギなどの鳥類ものどかに寛いでいた。

一方、我が白土湖。確かに水そのものは清冽で、野鳥の類いも佇んでいる。ここまでそう変わりはない。決定的に異なるのは、湖面全体を覆う「水藻」と「柘植」などの目隠し植栽、それに中央付近に鎮座まします「噴水」施設である。

不可抗力的(?)に大量発生した水藻は別としても、後二者に関しては、昨今の風潮からすると、いささか〃時代錯誤〃という気がしないでもない。

ただ、いずれの施設も、関係の皆さんが「島原のために良かれ!」と思って造られた施設である。その心境を慮れば、「除去云々」と言っても、そうそう簡単な話ではない。それは分かっている。

だけど、である。観光客、いや市民の皆さんが「現状を是」とされるだろうか。当社も出稿した、長崎新聞(24日付)のジオパーク関連広告の掲載写真(白土湖)を見て、複雑な思いにかられたのは筆者だけではないはずだが…。


2009/09/25

ヤマボウシ生き返る!…一足はやく「僕の育樹祭」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」=金子兜太。秋分の日は過ぎてしまったけれど、「彼岸花」の別名を持つ曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は何とも律儀な花だ。それまで姿形を見せないでおきながら、一晩でスルスルと茎を伸ばし、いつしか見事な花を咲かせている。

稲穂が色付き始める頃合いを見計らったかのように、忽然と顔を出す。黄金色の棚田との絶妙な取り合わせは〃被写体〃としての人気も高く、米どころの佐賀県などではカメラの放列が並ぶ。もちろん、その〃季語〃は秋だ。

ところで、皇族殿下を百花台森林公園にお迎えしての「第33回全国育樹祭」まで、いよいよ後十日を切った(10月4日開催)。大会テーマは「未来へと夢をつないで育てる緑」。式典には8千人近い参加者が見込まれる、という。

こちらが正式な「育樹祭」だとすれば、僕だけの「私的な育樹祭」が数日前から始まっている。宮本造園社長の宮本秀利さんから指摘を受けて、先日から取り組んでいる「ヤマボウシ」の再生計画だ。

2週間ほど前には、ほぼ〃仮死状態〃だった。「もう間に合わんかも知れんが、とにかくタップリと水を遣りなさい」 - 。素直にその教えに従って、朝な夕なに必死の〃給水作戦〃を展開した結果、見事に生き返ったのだ。我が社のヤマボウシが!

〃異変〃に気付いたのは、シルバーウイーク最終日の23日朝。いつものようにホースで水かけをしていると、目線の先に青々とした一枚の若葉。「まさか?」と思って視線を上の方に移していくと、頂上付近ではさらにその数を増しているではないか。

思わず心の中で「ヤッター!」と叫びながら、いつもより多めに、そして丁寧に根元を潤した。本当に一時期は、木に対して「申し訳ない」「もう取り返しがつかない」…という後悔の念でいっぱいだった。

が、今は違う。今朝も夜が明けるのを待ちかねるかのように早起きして、水をかけている。末端の枝全体にも新芽が次々と伸びて来ているのを確認できて、心底ウレシイ!「出来たら政治や経済の世界もこうあってほしいものだ」などと勝手な〃妄想〃を抱いたりもしている。

「良樹細根」とは、イエローハットの創業者、鍵山秀三郎さんの言葉だ。また、「ヤマボウシ」の白い花は先の香淳皇后(久邇宮良子様)が大好きだった、というエピソードを期せずして思い出した。

朝から一仕事終えて再び「再生!ヤマボウシ」の姿を眺める。気のせいか、先程より新芽が大きくなったように見える。再びウレシイ!「僕の育樹祭」は本番より一足早くやって来た。

ヨーシ、次は裏玄関の「雑草むしり」だ。いやいや、「雑草という植物はない」と、昭和天皇はおっしゃっていた。なるほど!!


2009/09/24

島原~西有家間を歩く…僕の「復讐の旅」が始まった

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

シルバーウイーク、皆様いかがお過ごしだったでしょうか?降って湧いたかのような暦の配列に、何だか嬉しいような、気の毒なような…。それでもこの際やり残したことを、と筆者はその1日をウォーキングに充てたのであります。

思い起こせば、ほぼ1年前。徒歩による島原半島一周を思い立ったものの、3分の2の距離(約70キロ)を残してあえなくリタイア。「無謀」「根性なし」などとの蔑みと憐憫の中で、この1年間を過ごしてきた。

昨年の失敗に懲りて、今回は昼間のチャレンジとした。時は「敬老の日」の正午過ぎ。短パンとポロシャツの出で立ちで僕の「復讐の旅」が始まった。目指すは西有家町長無田バス停。どれほどの距離なのか分からなかったが、「行ける所まで行こう」との軽い気持ちでスタートを切った。

白土の事務所から音無川沿いを下り、湊道商店街。広馬場交差点を右折して九十九ホテル下の東登山口までちょうど30分。いささか腹も減り始めていたので、復興アリーナ入口のコンビニで昼食を摂ることにした。

最初の休憩地までの所要時間は55分。おにぎり2個と日本茶のペットボトルで空腹を満たした。休憩5分。まだまだ快調だ。次なる休憩予定地は深江、布津境のコンビニ店。そこまでちょうど1時間。

もう少し何か腹に入れとかないと、といつもの悪い癖が出始めたが、「ここは一つガマンだ」とぐっと欲望を抑えて、「脂肪を燃やす」という触れ込みのヘルシア緑茶を手に取った。

布津町は旧道沿いを歩いた。しばらく家並みが続いた所を抜けると、左手に有明海が広がってきた。上空にはトンビの群れ。ボスらしき1匹は山手の大木の枝にとまって、仲間の動きを注視していた。

有家町境の国道との交差点まで、これまたちょうど1時間。休憩しようかどうか迷っていたら、停車中の車から前市議の古川隆三郎さんが「何ばしよっと?」と怪訝な面持ち。

辺りに手頃なコンビニも見当たらなかったので、そのまま続けて歩くことにした。おかげで、これまで余り知らなかった堂崎地区の地名が良く分かった。

池田、蒲河を抜け、次なる中継点と定めていたコンビニまで辿り着いた。とうとう2時間をぶっ通しで歩いたことになる。ここまで来たら、あと一息だ。

駐車場の車輪止めに腰を下ろしていたら、島原市役所勤務のT君が古川さんと同じように、訝しげな視線を投げかけて去って行った。

日が少し傾きかけていたが、まだまだ日没までには時間がある。体力的にも余裕がある。翔南高校前を抜けて、いよいよゴール。家に電話をいれたら、母が「どこに行とっとね?もうご飯よ!」。

所要約5時間。距離にして20キロ強。帰りの島鉄バスの中で「北目作戦」を考えているうちに眠ってしまっていた。


2009/09/19

愚かな半生を振り返る…蘇ってくれよヤマボウシ!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

前夜、独りしみじみと「来し方&行く末」を思念しながら、猛島海岸沿いを歩いた。秋特有の澄み切った空気の向こうに対岸の明かりが見えた。

空には満天の星。波は比較的激しく、時おり横風が飛沫(しぶき)を運ぶ。松籟(しょうらい)に混じって虫の合唱が喧(かまびす)しい。しばし、古人が楽しんだであろう〃風流〃を偲んだ。

意図したわけではないが、自らの誕生日に合わせたかのように、本欄も600回という〃節目〃を迎えた。数々の過ちに対するご指摘も、ご批判も受けながらの〃マイルストン〃。まだまだ娑婆での〃茨の道〃は続きそうだ。

思い起こすに、間違いだらけの半生である。年相応の深みも、落ち着きもない。雑事に追われて駆けずり回り、喜怒哀楽を覆い隠す術も知らず、ひたすら飲み、そして喰らう。

気付いてみれば、腹回りがゆうに1メートルを超える〃典型メタボ〃。幾つか年下の三谷幸喜さん(脚本家)が朝日土曜版の中で、人間ドックの模様を面白おかしく伝えているが、わかる!わかる!その自虐性。

この方は格段に優れた文章家だとは思わないが、独特のとぼけた味わいが何とも捨て難い。漫画家兼エッセイストとしても活躍中の東海林さだおさんの世界にも相通じるものがある。

いつもの調子でまたまた話が脱線してしまったが、初めて「古典」(古文と言った方が相応しいか…)に接したのは、中3の三学期。吉田兼好の『徒然草』の中に収められている『高名の木登り』だった。

この話は「木登り」という原始的な行為を引き合いに出して、「油断大敵」の心構えの大切さを説いたもの。比較的平易な内容だったので、得心したことを覚えている。

ところが、である。実際の筆者の生き様は「油断大敵」どころか、危ない!危ない!四方八方、隙(すき)だらけで困っている。

先日、久方ぶりにあった宮本造園社長の宮本秀利さんから叱られた。「まもっちゃん、植木ん枯れよっど」。「よもや?」と思って事務所玄関口の植栽コーナーまで駆け付けたら、ヤマボウシの木が…。

自分はのうのうと冷房の効いた部屋に居て、真夏の〃灼熱地獄〃の喘ぐ木々の訴えを愚かにも聞き逃してしまっていたのだ。ごめんねヤマボウシ君。私がバカだった…。

恐る恐る宮本さんに「まだ、生き返るじゃろかい?」と訊いたら、「わからんばってん、とにかく水ばたっぷりかけてやらんね」との答え。まあ、これなどは典型的な「油断大敵」の一例であろうが、何とも身につまされる失敗談である。

ただ、必死の介護が木精にも伝わったか、ここ数日間で幾分か樹勢を取り戻しつつあるようにも見える。自戒の念を込めて「論語読みの論語知らずめ」。


2009/09/18

良い事はマネしよう!!…〃素材〃をしっかり見極め

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

実を言うと、昨報の結びを「つづく」としたことをちょっぴり悔やんでいる。子供の作文よろしく大分での行動を時系列的に並べ立てた次第で、最終立ち寄り先の「大山町」(村は間違いでした)のことまで書いたので、それで「おわり」にしてよかったのに…。

ご案内の通り、国東半島の付け根にある豊後高田市は江戸幕府時代、島原藩の「飛び地」だった所。そのご縁で今日の「兄弟都市締結」と相成っているわけだが、どうも最近は「弟」の方が元気がよい。

詳しい行政指数等を調べたわけではないので、あくまでも「個人的な想い」に過ぎないのだが、「昭和の町」に匹敵するような集客力のある商店街が島原にあるだろうか?答えは誰が考えても「ノン」でしょう。

一方、「湯の町」という視点で比較してみても、復活目覚しい別府の温泉街と我が島原半島とでは〃雲泥の差〃がある。どこに原因があるのか?何が足りないのか?

確かに大分は平松守彦という名物知事の号令のもと、「一村一品運動」が随所で展開され、「モモ」「クリ」「ハワイ」で売った大山町を筆頭格に、全国的にその名が知れ渡った。

巧く説明できないが、何かが違うのである。「佐賀人が歩いた跡にはペンペン草も生えん」などというが、以前聞いた大分人の性格も同じく「ケチ」であった。

それを示すエピソードとして、窓の外から他所のテレビを覗いていた通行人に対して、そこの主がこう言ったそうな。「見んな、減る!」と。

まあ、そんな冗談話はさて置くとしても、豊後の国の人々は総じて「素材」を活かす能力に長けているように思える。

だったら、我々は何をすべきなのか?悩む必要なんかない。答えは簡単だ。マネればよいのだ。

今もっとも旬な経済アナリスト(公認会計士)の勝間勝代さんは「私のコアスキルは「まねる」だと思う」と、本の中で書いている(アエラムック『まねる力』)。

ただし、やみくもにマネをするだけでは芸がない。我々は高崎山の猿ではない。人間なのである。

何日か前の本紙に、島原薬園とも係わりの深い「賀来一族」(宇佐・国東)の記事が掲載されていた。その宇佐市に合併された安心院町では、伝統の「鏝絵」に加えて「ワイン」に「スッポン」にと町を挙げて売り込みにやっきである。

また採れたて野菜などを売っている彼の地の「道の駅」「里の駅」は、ほとんどが〃川沿い〃にあって、多くの買い物客で賑わっている。残念ながら、島原半島には大きな河川がない。その代わり、豊富な湧き水も綺麗な海も山もある。

「薬園」だって日本三大薬園の一つだ。考えてみれば〃素材〃はごまんとあるはず。活かさないのは、その地で暮らす人間の怠慢である。

‐おわり‐


2009/09/17

安心院は鏝絵(こてえ)で町づくり…『家裁の人』の原作者と遭遇

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

『ヒデクニとレヴィンからの伝言』と題された追悼コンサート(12日夜)の会場は、鉄輪温泉街のど真ん中にある「冨士屋ギャラリー」。歴史のある日本旅館を今風にアレンジした、瀟洒な建物だった。

ここで言う『レヴィン』とは、鎌倉在住で、交通事故に遭って26歳の若さで亡くなった詩人の高木昌宣さんのペンネーム。もちろん『ヒデクニ』は島原市出身で、多くの別府市民から愛された不思議アーティスト池上栄邦さん(旧姓・永ノ尾)のことだ。

約百人の聴衆を前に素敵な歌声を披露してくれたのは、川崎からやって来た盧佳世(の・かよ)さん。歌そのものも素晴らしかったが、端正な顔立ちで、スタイルも抜群であった。

池上未亡人に誘われるままに(何か淫靡な響き…)、多くのヒデクニ作品を保管して下さっている近くの民家にお邪魔した。主は小学校の先生で、ワインに車に…と、なかなか多趣味の人らしい。

二次会がスタート。最初はビールから始まって、続いて日本酒。そのうち盧さんやバンドのメンバーも加わって、いつの間にやら〃大宴会〃の様相。

と、一人の長髪男性がギターを持ち出して歌い始めた。カッコいい!誰だろうと訝っていたら、島原と兄弟都市の豊後高田から来た、という。

歌を聴いているうちに〃正体〃が判った。テレビドラマともなった漫画『家裁の人』の原作者、毛利甚八さんだった。聞けば、佐世保西高出身だと言うから、ボクらと同じ〃長崎県人〃だ。年齢は筆者より3歳年下であった。

頃合いを見計らって退席させていただいたが、高台から眺める別府湾の夜景の素晴らしさ!海の向こうに見えるのは県都・大分市の街明かりだった。

一夜明け、ホテル屋上にある露天風呂を満喫。早朝のせいか誰もいない。いわゆる〃貸切風呂〃の醍醐味を思う存分味わってきた。ヒデクニさん有難う!

朝食はホテルで摂らず、前日に予約していた町中の食堂へと出かけた。店では数人のオバちゃんたちがせわしなく働いていた。おはぎの餡子が山盛りにされた傍らでは、栗おこわのパック詰め。

「悪いけど、お茶は自分たちで淹(い)れて」。「ハイよ」といった具合で楽しい朝餉(げ)の時間はあっという間に過ぎ去った。それにしても味噌汁の美味かったこと。芝居のポスターが沢山貼られていたから、恐らく旅役者の皆さんも常連客であろう。

この日の訪問先は、鏝絵(こてえ)で有名な宇佐市・安心院町。案内をして下さったのは「道の駅」ならぬ「里の駅」(大繁盛!)を経営されている社長さんで、奥様共々大変にお世話になった。

帰途、高速を降りて日田市・大山村にも立ち寄ったのだが、こちらの賑わいぶりも凄かった。我が島原半島には〃何が〃足りないのだろう? 

‐つづく‐


2009/09/16

蕎麦が美味い豊後高田…大分県は仕掛け名人揃い

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

先週末は泊りがけで大分県へ出かけた。行く先は本市と兄弟都市の豊後高田市と別府市。安心院(あじむ)町と「一村一品運動」で全国的にも有名になった大山村にも立ち寄ってきた。

主たる目的は島原市出身の画家、故・池上栄邦さん(旧姓・永ノ尾)の没後3周年の追悼コンサートに出席するため。気のおけない仲間との〃ぶらり旅〃は何とも楽しかった。

最初の訪問先は「昭和の町づくり」で賑わう豊後高田市。まずは腹ごしらえに、中央公民館前の蕎麦屋に入ったのだが、これがめっぽう美味かった。

古民家を再生したような店内の雰囲気も素晴らしかったが、何より蕎麦そのものが秀逸。前菜のイベリコ豚のハムも、軍鶏(しゃも)の塩焼きも、また蕎麦粉を使ったチヂミもそれぞれに味わい深かった。

お土産に「蕎麦味噌」と、その傍らにあった「もろみ納豆」を買い求めとしたら、レジ打ちの奥様が申し訳なさそうに「もろみの方は島原半島から取り寄せたものですけど…」と。

確かに、裏面の表示を見ると「有家町産」。しかしながら、このような一流の店で取り扱われていることを思えば、それはそれで「アッパレ!」なこと。もちろん、買った。

生憎の雨模様であったが、「昭和の町」は相変わらず元気であった。と言うより遥かにパワーアップしていた。案内をして下さった方によれば、「通常の土日はもっと沢山の観光客がお見えになりますよ!」と。

メーン施設の「ロマン蔵」周辺には、新たにレストラン(創作料理)や絵本美術館等が増設され、昔懐かしい紙芝居のオジさんの声が大きくこだましていた。いずれの施設も「昭和」をモチーフとしたものだ。

説明を受けた商店街それぞれお店について説明していけば、いくら時間があっても足りないので、肉屋さん1店だけに絞り込む。名物の「おからコロッケ」(52円)が1日平均で5千個も売れる、という。

これは大分県内の他の商業施設でも言えることであるが、彼の地には「仕掛けの名人」が数多く控えているようだ。改めて訪ねてみて、「豊(とよ)の国」の存在感をしみじみと噛みしめた次第。

宿泊先は別府・鉄輪(かんなわ)温泉。一時期は寂れかかった同温泉街だが、辻々の温浴施設は女子大生と思しき湯治客で溢れ、山頂の高速インターから湯煙を目指してやってくるマイカー族もひっきりなし。

無責任な言い方かもしれないが、別府温泉はもう完全に復活している。何より、「湯量日本一」と言われる天然素材の温泉を十分に活かした街づくりに成功しているように感じた。

言い忘れたが、豊後高田は大分一の蕎麦の産地。我々がお邪魔したのは「響」(ひびき)という屋号で、俳優の石丸謙二郎さん(テレ朝『世界の車窓から』のナレーターとしても活躍)の実兄が経営しているのだそうだ。

-つづく‐


2009/09/15

背広よもやまばなし…ますます高じる〃物忘れ〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

一週間ほど前の新聞に、ロンドンの「サビルロー」の奮闘ぶりが紹介されていた。詳細は良く覚えていないが、「バブル崩壊もリーマンショックも雄々しく乗り越えて…」といったような内容だった。

一般的には、「サビルロー」転じて、日本語の「背広」になった、とされている。平たく言えば、その街は紳士の国イギリスの代表的な「仕立屋さん」が集積している場所だ。

〈青い背広で心も軽く 街へあの娘と行こうじゃないか♪〉。佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲の『青い背広』を、藤山一郎があの独特の高音域で歌い始めたのは昭和12年のことだという。その2番の歌詞は〈お茶を飲んでもニュースを見ても 純なあの娘はフランス人形♪〉と続く。

その「フランス」で言うと、詩人の萩原朔太郎は「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて 気ままなる旅にいでてみん」という詩篇を残している。

同じ「背広」という単語なのに、文脈によって随分と違うものだ、と感慨深く眺める、我が「くたびれ背広」。昨夏、郊外の量販店で買った1着2万5千円、しかも2パンツ付の「安物吊るし」だ。

色はダークグレーに淡いストライプ柄。値段以上に重宝しているのだが、やはり出る所に出ると〃出自〃がバレてしまう。でも一年以上も一緒にいると、つい情が移って愛おしくなっているのも事実だ。

ところが先日、その「大事な背広」をこともあろうに〃紛失〃してしまったから、さあ大変!ゴルフ場だろうか、それとも2次会で行ったスナック?続けざまに電話をかけてみるが、行方は杳(よう)として知れず。

「どうせ安物じゃんば…」などと高をくくって諦めかけていたところに、我が社工事班の若者から報告。「ガソリンスタンドの待合室に専務の背広んあったそうですよ」。

本当は小躍りして「ヤッター!」と叫んでしまいそうだったが、「おー、そうか…」と無理して余裕をかます自分が情けない。

このところ、物忘れがひどくなった。まず、人様の名前がなかなか浮かんでこない。別段、覚えていない訳ではないのだが、悲しいかな、即座に思い出せないのだ。

三男坊に言わせると「酒ん飲み過ぎで、脳味噌ん腐りよっとじゃ」。傍らで家人と母が「我が意を得たり!」といった表情。悔しいけど、半分は当たっているので反論できない。

間もなく54回目の誕生日を迎えるが、昔なら、あと1年で〃定年〃を迎える年齢だ。東京・渋谷公会堂で行われたグループの合同入社式で〃総帥〃がおっしゃった。「君たちに会社が支払う生涯賃金はざっと2億円だ。しっかり稼いでくれよ」と。

はて、これまでどれくらいが〃酒代〃に消えたか?これも思い出せない。


2009/09/10

醜聞そろそろ登場…人は忘れる動物である

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

これまでは鳴りを潜めていた、先の総選挙での当選者、並びに後援会関係者の行状を糾弾するかのような記事がそろそろ出始めてきた。だから、週刊誌は面白い。止められない。

やはりこうした方面での代表格は「文春」や「新潮」などの出版社系だろう。新聞広告の派手な見出しに誘われて、ついつい買わされてしまう。実は一昨日もそうだった。朝起きるなりにコンビニに駆け付け、中身を吟味することもなくレジに持ち込んだ。

「フムフム実態はそうだったのか」「ヘー、清楚な娘さんに見えたけど」 - 。受ける印象は様々。ところで最近、横峯さくらの父ちゃん(民主党参議院議員)はどうしているのだろう?

この父ちゃんの話を以前、熊本のJALホテルで聴いたことがある。確かCATV連盟九州支部主催のトップセミナーでの記念講演だった。

内容は空疎にして、面白みなし。果ては何を血迷ったか、NHKから派遣された司会者にまで食ってかかる始末。後に、まさかあんな人物が国会議員になろうとは…と天を仰いだが、当選後の破天荒ぶりは〃案の定〃だった。

ただ、その後は誌面に登場する場面もめっきり少なくなってきているので、恐らく真面目に議員活動に勤しんでおられることだろう。いや、国民の大事な血税の中から歳費が購われていることを想えば、是非そう願いたいものだ。

誤解を恐れずに言えば、マスメディアの記者さんは往々にして「迷惑な過ち」を犯すことがある。もちろん、地元にとっての話だ。それは選挙報道に限っての話ではない。

改めて振り返ってみると、災害の時がそうだった。大体において、スネにキズを持つ輩(やから)は、比較的頭が良くて口が巧い。逆に言うと、現状の「アラ探し」に躍起になっている取材者の立場からすると、格好の対象となりやすい。

かくして、理路整然と構築された、「批判」や「非難」の記事が大きく掲載される。本人は益々得意満面となって、そのことを殊更に吹聴する。

だが、時が経つにつれ、そうした「指摘」は脆くも崩れ去る。砂で出来た造形のようなものだ。何故なら、その考え方(生きる姿勢)の中に地域社会にとけ込もうという「繋ぎの要素」が欠落しているからである。

そのうち、頼りにしていた記者連中は、より新しいニュースを求めて他所へと去って行く。後に残されるのは「金科玉条」とは程遠い、黄ばんだ紙片のみである。

人は忘れる動物である。今回の歴史的な「政権交代」も、その舞台裏で繰り広げられた数々の愛憎劇も、いずれは忘却の彼方へと消えてゆく。

この機会に、いま一度「不易流行」の意味を問い直してみなければ…。


明日はカゲロウの身か…げに恐ろしきはオンナなり!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

村上春樹さんの最新の話題作『1Q84』の主人公たちには〈月が二つ〉に見えるそうだが、〈パラレルワールド〉に生きていない筆者の目にはあくまでも「月は一つ」である。

数日前、『ターニングポイント』(番組)の打合せを兼ねて秩父が浦にある宮本秀利さん(宮本造園社長)のアトリエを訪問。急ごしらえの露天風呂に浸かっていたら、海の向こうの東の空からやや赤みを帯びた満月が昇ってきた。

もちろん「一つ」だ。やがてその月明かりは徐々に白味を増し、あたかも南北を分かつかのように一本の光の道筋が伸びてきた。耳を澄ますと、波静かな入り江の潮騒と合わせて虫の音が響き渡いてくる。

この夏、余り外に出なかったせいか、うだるような暑さの記憶がない。が、いつの間にやら「蝉時雨」は「虫の音」に主役の座を譲ってしまっている。もうすっかり「秋」だ。

一仕事終えて、遅い時間帯に島原城周辺を歩いていると、虫の音が何とも涼やかだ。時折通る車のエンジン音やエアコンの室外機の騒音さえなければ、もっと興趣深いだろうに…。残念がっても仕方がない。これが単一の「リアルワールド」なのだ。

ところで、先週の土曜日、島原出身の草野仁さんが司会を務めているTBSの人気番組『世界ふしぎ発見』の中で、ハンガリーのティサ川で見られる「カゲロウの舞い」を紹介していた。すると、日本でも同じような現象が起きていた、と読売新聞(9日付)。

それによると、異変が生じたのは7日夜のこと。神奈川県の相模川にかかる二つの橋で、カゲロウとみられる白い綿状の虫が大量に発生。その死骸が路上に降り注いだため、交通渋滞やスリップによる物損事故まで引き起こしてしまった、という。

カゲロウがどんな昆虫なのか知識など持ち合わせていないが、画面で見ている限りは、ひ弱なトンボのような感じだった。

しかし、それより何よりショックを受けたのは、脱皮から死ぬまでのオスの寿命が「三時間」しかないこと。その限られた時間の中で、オスたちは必死で子孫を残すための「交尾」(ティサの花)をし、天界へと旅立っていく。

幸いにして我が身はカゲロウではないので、その「虫生」(?)が虚しいのかどうか推し量りようもないが、スズムシの世界でも役目を終えたオスをメスが食い殺すという習性があるそうで…。げに恐ろしきは「オ・ン・ナ」ですぞ、男性諸君!!

そんな馬鹿々々しいことを考えて社内をうろついていたら、我が社のママさん社員が、長崎県が推奨している「がんばらんば音頭」のDVDを借りてきていた。理由を聞くと、婦人会で踊るそうな。

平和なニッポン、長閑なシマバラである。筆者も一つ「虫コナーズ」の踊りでも覚えるか!?


2009/09/09

事実は小説より奇なり…太宰治と藤田田との〃接点〃

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

今朝遅く起きたら、根岸吉太郎監督の作品『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~』が、今年のモントリオール映画祭(第33回)で最優秀監督賞を受賞した、とテレビのレポーターが騒いでいた。

昨夜来の宿酔の頭の中で「それがどうした?」と皮肉な考えもよぎったが、昨年の『おくりびと』(アカデミー賞)に続く〃快挙〃だけに、日本国民の一人として喜ばないわけにはいかない。邦画万歳!!

原作者の「太宰治」は今年が生誕百年目だそうで、まるっきり〃出自〃の違う同年生まれの「松本清張」と比較した様々な企画が目白押しのようだ。

恥ずかしながら、太宰の作品は余り読んだことがない。唯一覚えているのは「メロスは走った」の書き出しで始まる『走れメロス』(教科書)くらいだ。

確かその時、国語の先生は「倒置法」という表現を使われたが、いまだに合点(がてん)がいかない。何十年経ってもこんな事を言っているようでは『人間失格』の烙印を押されてしまいそうだが…。

太宰の生地である「金木」(津軽地方)には行ったことはないが、愛人と入水自殺を図った「玉川上水」の近くは、タクシーで走ったことがある。本来なら西武新宿線で「田無」に向かうべきところだったのを、何かの都合でJR中央線「三鷹」経由で、ということになった。

聞くとはなしに運転手が語りかけてきた。「お客さん、太宰治はこの辺りから飛び込んだそうですよ」。目線を外に移すと、見事な桜並木がどこまでも続いているように見えた。もう10年以上も前の話だ。

まあ、せっかくの機会だから『ヴィヨンの妻』とやらも買って読んでみたいと思うが、その死の当日に、太宰本人と会って言葉を交わした人物がいることを最近になって知った。

本欄でも幾度か登場いただいているノンフィクション作家の佐野眞一さんが『新忘れられた日本人』(毎日新聞社)の中で、その事を取り上げている。その人物とは、誰あろう、日本マクドナルドを立ち上げた藤田田(ふじた・でん)だというのだ。

太宰は津軽の大地主の息子で、東京帝大を出た「学士様」だった。一方、藤田さんはやり手の経済人というイメージばかりが先行してしまうが、この方も同じ東大出。

著書によれば、二人が出会ったのは三鷹駅前の飲み屋で、その時、太宰は「オレはもうダメだ」と言いながら、血の混じったツバを吐いて痛飲していた。

その姿を見た藤田はこう吐きつけたのだそうだ。「あんたなんかマスコミ受けしているだけだ。死にたいって言うんなら、本当に死んだらどうだ」と。

太宰はその晩、愛人の山崎富栄と入水自殺。まさに「事実は小説より奇なり」である。


2009/09/08

名前について考える…今最も旬なのは「イチロー」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

本日は「名前」について。今話題の名前と言えば、何はさて置いても「イチロー」だろう。筆頭格は民主党幹事長に決まった小沢一郎さん。ただ、野球好きにとっては、それよりはマリナーズの「イチロー選手」(本名=鈴木一郎)の存在の方が大きかろう。

お二人に共通しているのは、ともに「今が旬」である点。政界のイチローが歴史に残る「政権交代」を果たしたのに続いて、大リーガー・イチローの「9年連続200本安打達成」も時間の問題のようだ。

そう言えば、鳩山由紀夫次期首相の祖父で総理大臣だった方のお名前も「イチロー」だった。余談だが、由紀夫&幸さんご夫妻の一人息子の名前は「紀一郎」。

「ついで」と言っては恐縮だが、弟の邦夫&エミリーさん夫妻の間にできた3人の子供の名前は上から順に「太郎」「華子」「二郎」と実に分かりやすい。あっ、そうだ!総理になりそこねた河野洋平前衆議院議長の父(元農相)の名前も「イチロー」だった。

最近の出生欄を見ていると、なかなかまともには読み下せない「難解文字」が多すぎるが、やはり前節の方々は幼少のみぎりより常に「選挙」を意識されているのか、「簡潔な名前」が好まれているようだ。

だったら「一」という一文字が一番理にかなっているような気もするのだが、読み方も限られてしまうので、それはそれで問題として残る。やはり、名付けは至難の業だ。

以前、我が子に「悪魔」と命名した親がいて、新聞の社会面を賑わせたこともあったが、果たして、その後のその子の運命やいかに(改名したかな…)。

一方で「名前負け」という考え方もある。いささか私的な話で恐縮だが、次男が生まれた時、岳父より「ゴッドファザー」の権限を譲り受け、悩んだ挙句に「これは!!」という提案をしたことがある。

多くの文献に目を通して編み出した「自信作」だったのだが、「こっじゃ、名前負けすっ」の一言で却下されてしまった。苦い思い出の一つだ。

再び「一」の話に戻る。6日付の西日本新聞社会面に「篤姫の幼名は『一』だった」という囲み記事が掲載されていた。ただし、それを「かつ」と読むのか、「いち」と読むのかについては諸説ある、と。

そう言えば、一昨年の大河ドラマ『篤姫』は幼児の間でも大人気だったそうで、宮崎あおいの口調を真似て「わかっておる!」と口答えする子供の数も増えたとか。まあ、どうでもいい話だが…。

最後はもっとどうでもいい話題で結ぶ。日経新聞名物の『私の履歴書』の今月号の執筆者は元三菱商事社長の槙原稔さん。その槙原さんが成蹊学園で教わった英語の先生の名前が筆者と同じ「シミズマモルさん」だった、と。嗚呼、疲れた…。


2009/09/05

『日本改造計画』を読む…エエッ、幹事長が閣僚に!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

アッ!という間の一週間だった。しかし、その瞬間的なスパンの中で、「政権交代」という劇的な展開を示し、日本の政治が変わった。いや、より正確に言うと、国政の舵取り役が変わろうとしている。

今や日本のメディア(特にテレビ)は「民主!民主!民主!」のオンパレード。いささか「辟易」という感じがしないでもないが、「民意」を敏感に嗅ぎ分ける能力に長けたマスコミさながらの動きである。

そんな中、いつかは読まねばと思いつつ本棚の奥にしまい込んでいた小沢一郎著の『日本改造計画』(講談社)を昨日、走り読みしてみた。奥付を見ると、「平成5年5月発行」とあるから、普賢岳噴火災害の最中に書かれた本だ。

氏は「まえがき」の冒頭で、米国アリゾナ州にある観光地「グランド・キャニオン」に転落防止柵が設置されていないことを取り上げ、米国と日本の「行政管理上の考え方」の違いについて言及している。端的に言えば、米国の場合は「自己責任」という姿勢が徹底している、と。

読みながら、当時全国注視の被災地であった島原・深江で、地元首長が決めた「警戒区域」への立ち入り規制等の問題が(法的な解釈も交えて)盛んに論議されていたことを思い出した。

氏の政治手法は以前から「原理主義」と称され、「ブレない政治家」との評価が高かった。反面、角さん仕込みの「選挙通」で、持ち前の「剛腕」の行き過ぎを懸念する向きがあったのも事実だ。

だが、世の中「勝てば官軍」である。誰が何と言おうと、民主党にとって氏は、歴史に残る「政権交代」を成し遂げた、最大の功労者である。また、百人を超える「チルドレン」を生んだ実績からしても、その影響力は党首のそれを遥かに凌ぐものであろう。

本の話に戻る。氏が一貫して強調しているのは「官邸機能の強化」(政治主導)と、そのための「与党と内閣の一体化」。このくだりは、出版から15年以上が経過して「政権獲り」が現実化した今でも、若干の数字上のブレはあっても、骨子そのものに変化はない。

また持論であった「小選挙区制度」もすっかり定着。多くの地方自治体の痛みを伴う「地方分権」も、あらかたその路線で突き進んでいるようにも見える。してみると、このところの日本政治の動向はまるで「小沢ドクトリン」の追認劇ではないか!?

数日前の新聞辞令では氏の「幹事長就任」が有力視されているが、著述の中ではこう記されている - 「たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる」と。

果たして、その主義としての「教条」が新政権の中でどう実践されるのか。ここは一つ注意深く見守ることにしよう。


2009/09/04

県外から来客が相次ぐ…別府と島原は同じ「地溝帯」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

意図的にしばらく出張を取り止めているのだが、そうすると今度は逆に先方から出向いて来る。中には「招からざる客」もいるのだが、「仕事」と割り切れば、これも仕方がない。

今月に入ってまだ日も浅いが、すでに2人がやって来た。いずれも県外からのお客様だ。断っておくが、この方々は「招からざる人種」ではない。

1人目は大手業界誌関連の編集委員。横浜市に在住している方で、自己紹介欄に「SOHO」と記してあるから、今はやりの「自宅勤務者」だ。

弊社への訪問日は、2日。筆者を含めて6人の社員スタッフと、外部からお2方の協力を仰いで、無事「取材」は完了した。

出発時刻までに少し時間があったので、噴火災害の被災地や砂防関連施設を案内した。氏は、湧水や温泉、火山災害の被災地などといった島原の様々な側面を目の当たりにして、複雑な表情を浮かべていた。

「そう、あの噴火からもう20年が経ちますか」 - 。その言葉には、報道の世界で生きてきた、己の「来し方」を感慨深く振り返っているような響きが、微妙に重なり合っていた。

島原には、良くも悪くも「噴火」のイメージがつきまとう。日本列島全体が80幾つもの活火山で覆われている以上、台風と並んでどこでも起こり得る「自然災害」なのである。

だとすれば、我々の目指すべき街づくりは、その「被害範囲(程度)」をいかに抑えられるか、が或る意味「キーポイント」だ。

すでに20年近くの歳月が流れ去って、あの大騒動も「歴史」のひとコマになろうとしている感があるが、決して忘れてはならない。時あたかも1日は「防災の日」であった。

2人目の客は別府市の市議会議員。どこでどう聞きつけてこられたのか、島原市で実証実験が進んでいる「コミュニティFM放送」を使った防災情報の伝達体制に、高い関心を示された。

会談の中で「今月12日に別府に行きますよ」と告げたら大いに喜んで下さったので、つい調子に乗って知っている限りの「別府情報」をまくしたてていた。本当に俺は底が浅い…。

「別府温泉の湯煙は富士山に次いで2番目に残したいニッポンの風景だそうですね。それにアルゲリッチ音楽祭、温博、鉄輪(かんなわ)の温泉蒸し…どれも素晴らしいですね」 - 。

いいかげん話し疲れた後で、こちら側の大事な情報を伝えていないことに気付いた。他でもない「世界ジオパーク加盟」の話である。

この場合「一衣帯水」の表現は当たらないだろうが、別府と島原半島は同じ「地溝帯」で結ばれている。してみると、これも何かのご縁!早く「ジオパーク」が定着して、かつての「別府~阿蘇~島原」の観光ルートの賑わいが復活しますように!!


2009/09/03

週刊誌は面白すぎる…自民以外、隠れ切支丹!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

民主308、自民119…。昭和30年の保守合同以来初の「政権交代」をかけた第45回総選挙は民主の圧勝であっけなく(?)幕を閉じた。本県でも4つの小選挙区すべてで民主が議席を占めた。

テレビも、新聞も、週刊誌も、まだその余韻にひたるかのように、後追い報道を続けている。恐らくデスクあたりが「もうネタないのか?みんな出し尽くせ!」などと現場記者の尻を叩いていることだろう。

予想されることだが、次なる関心は与党・組閣人事に移っていく。そして、女性週刊誌などが好んで取り上げるのは「ファーストレディ」(総理夫人)の経歴や人柄、ファッションセンス…などといった具合。

ことに今回は、次期総理候補が政界サラブレッドの代表格である鳩山家の御曹司であるだけに、話のタネは尽きないであろう。早速、昨日の民放テレビでは華麗なる「鳩山一族」を取り上げていた。

そこで解説役を務めていたのは、作家の佐野眞一さん。すでに佐野さんは月刊『文芸春秋』誌上で2カ月にわたって「鳩山モノ」を書かれているので、映像はおさらいのようなものだ。

各週刊誌でもそれぞれの切り口で選挙結果を総括。ヨダレを垂らさんばかりの論調で大物議員の落選ぶりを切り刻んでいる。読む側としては、ヤジ馬根性を丸出しにして、面白&おかしいばかりだ。

田舎に住んでいると、週刊誌の発売を知らせる電車の「中吊り広告」を見ることはないので、多くは「新聞広告」ということになるのだが、各誌ともその「惹句」の巧いこと!つい買いたくなってしまう。

筆者は朝日新聞社から出ている『アエラ』の創刊号からの愛読者であるが、同誌(9月7日号)もごたぶんにもれず「民主政権」の大特集を組んでいる。

トップは「母が作った『鳩山由紀夫』」。若い女性読者の眼も意識してか、間もなくファーストレディとなる幸(みゆき)夫人のインタビュー記事もきちんと配備してある。

次なる特集は「自民『負け!負け!負け!』全国ルポ」。当然、全国屈指の注目区となった我が「長崎2区」の選挙顚末も署名入りで紹介している。見出しは「『島原の乱』でクマ退治」。1ページ強のスペースを割いて、勝利を収めた福田衣里子さんが大判写真で登場。

興味津々で活字を追ってみると、これが何ともまあ至って〃過激〃なのである。「『反久間』なら村八分」の小見出しもさることながら、「自民党以外の支持者たちは『隠れキリシタン』のように息を潜めてきた」とまで。

さらに驚いてしまったのは、福田さんの後援会長を務めた方が倉成正・元外相の秘書で、「(10万票近くの)島原半島の票を動かせる男」とのくだり。事実だとすれば、それはそれで面白い。だから、週刊誌は止められない。