2009/03/31

芝桜公園にご協力を!!…今日でめでたく500回

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

この季節、堀端を歩いていると、時おり風が吹き抜け「桜吹雪」が舞う。日本人として「風情なるもの」を感じる一刻だ。

しかし、その桜花もあと数日の命。「散る桜 残る桜も 散る桜」 - 。良寛上人辞世の句の一つだと言われているが、本に「世の無常観」を言い尽くしている感がする。

さて、次なる桜はシバザクラ。3月上旬に、市民ボランティアなど約二百人が参加して、上折橋地区の砂防指定地に植えた約2万5千株の苗がいよいよ大地に根づき始めた。

県の締切堤防上から眺めると、ピンクの花芽が一番目立つ。と言うより、成長が早いようだ。筆者も「芝桜公園をつくる会」(足立進一会長)のメンバーとして、満開の時期を楽しみにしている。

実は当社も、植栽当日に、事務局より80株(2種類)の苗を頂戴して、10基ほどのプランターで育成に努めている。

成長が顕著になったのは、1週間ほど前から。目の前のソメイヨシノと入れ替わるように、一斉に花が咲き始めた。こちらもピンク系が先行し、ホワイト系が後を追う格好だ。

昨日行われた報告会によると、募金目標250万円に対して、まだまだ半分の達成率。同会では「新たな観光名所として是が非でも成功させたい!!」と、さらに市内外の事業所や団体・個人等に協力を呼びかけていく方針。

趣旨に賛同いただける方はどうぞ、十八銀行島原支店普通預金「1001083」、親和銀行島原支店同「1844910」まで振り込んで下さい。

団体は1口=1万円以上。個人の場合は千円から受け付けている。このほか、外港ターミナルビル内の同会事務局でも取り扱っている。

ところで、本コラム欄も今日でとうとう「五〇〇回」の節目を迎えることになった。一回当たりの執筆量は原稿用紙にして2枚強だが、何より続けていくこと自体がシンドイ。

他の仕事も抱えているので時々「ズルしたい」と思って休ませていただくことも度々で申し訳ない。ただ、最低週3回は自らのノルマとして課している。

時おりネタに困り果て、母や三男坊を〃犠牲〃にしてしまっているが、これからは厳に慎みたい。そのためには、もっともっと「観察眼」を磨いていかねばならない。

見ようと思えば、見えるのだ。物事の真実や数々の問題点も。シバザクラの場合も決して〃例外〃ではない。今まで気づかないままに過ごしてきたが、大手川沿いのポケットパークには、すでに何年も前から花が咲き誇っていた。

「構想」を生かすも殺すも、全ては人次第である。個人的には、市役所の皆さんにもっと関心を持っていただきたい。そうなれば、必ず「満開」する。


2009/03/30

おい吉川君、当選だよ!!…千葉県知事に森田健作さん

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「おい、吉川君、大変だよ!!俺さ、知事になっちゃたよ」 - 。かつての青春ドラマのスター、森田健作氏(59)が29日、見事千葉県知事に当選した。

ここで言う「吉川君」とは、同氏演じる熱血漢の剣道部員が秘かに恋心を抱きつつも、事あるごとに反目する真面目女子高生役の早瀬久美さんのこと。

若き日の森田さんの記事は芸能雑誌の『明星』や『平凡』でよく読んでいた。記憶に間違いがなければ、確か父親は警察官。明治学院大学から芸能界入りしたはずだ。

印象に残っているのは、「実は、僕は外交官になりたかったんだ」というコメント。「外交官は東大出がなるものとばかり」と信じ込んでいた幼き日の筆者にとっては、その言葉は素朴な疑問と驚きだった。

だが、外交官の夢こそ叶わなかったのかも知れないが、同氏は何期かにわたる衆・参両議員職を経て、とうとう六百万千葉県民のトップに立った。心の中では「やったぞ!!」と快哉を叫んでいるに違いない。

前知事の堂本暁子さん(東女卒)はTBSの報道畑の出身で、筆者が学生の頃は『テレポート6』という東京ローカル向けの番組を担当されていた。

局内ではとても控えめな方で、政界転身のニュースを聞いた時には驚いた。テレビ時代は無認可の「ベビーホテル」の実態を深く掘り下げた質の高い番組を作っておられ、新聞協会賞も受けられている。

今朝ほど、森田知事誕生を知らせる民放のニュース番組を見ていたら、ご本人が中継で出演されていた。寄る年波なのか、選挙疲れなのか知らないが、その表情に、かつてのスターの輝きはなかった。

ある男性コメンテーターが訊いた。「東京湾アクアラインの無料化と、成田・羽田間を結ぶリニアモーターカーの整備構想を掲げられているが、それは公約と受け止めていいか」。

質問内容が聞き取りづらいのか、盛んにイヤホンに手を当て目をしばたたかせる新知事。一瞬間を置いて出てきた答えは「あのねー、(政治には)夢がなければダメなの。貴方ももっと応援して下さいよ」。

この「やりとり」をどう受け止めるかの論評は敢えて控えるが、知事の仕事は役者や国会議員とは、また異質なもの。九十九里浜を走って「ファイト!!」と叫んだところで、県政の諸課題は解決できるものではないだろう。

ただ、選ばれたのは「事実」だから、何はともあれご健闘をお祈りしよう。何せ千葉県には、島原半島出身者も数多く在住されているようだから。

ところで、これは極めて個人的な感想だが、警察官の子弟には成績優秀者が多いような気がする。筆者が知っているだけでも、一流大学に進んでいる子供さんが多い。何か特別な理由でもあるのかな?


2009/03/28

「美しい十代」は嘘!?…16歳男が悩む相対性理論

「○○病って知っとーや?」「なん、そいは?」「○○校じゃ女子ん少なかけん、普通ん娘(こ)でん、やっちゃ綺麗かごて見ゆっとげな」「へー!!」 - 。

聞くとはなしに聞いてしまった「16歳男子高校生の会話」に、思わずふき出してしまった。これも思春期における相対性理論(?)の一つであろうか。

諺に「掃き溜めに鶴」という表現があるように、周囲の環境によって(悪ければ悪いほど…)、美貌はさらに際立つもの。これが「世の道理」である。

その意味でいくと、筆者の青春は「真逆の状況」にあった。何せ私大英文科と言えば「女の園」の代名詞。丁度、国文学者の暉峻(てるおか)康隆先生が「女子大生亡国」をぶち上げていた時代であったが、右を見ても左をみても女、女…。

しかも皆さん、「才媛」の誉れも高く、日々勉学に勤しんでおられる風情。とてもとても、田舎出のアンちゃんが手に負える相手ではなかった。

今でも癒し難い「心の傷」として記憶に残っている、あるシーンを思い出す。時節は5月半ばだったか。幾度かのクラスコンパを通じて、名前と顔が一致し始めた頃だった。

「ねえねえジュリさん、ノートば貸してくれんね」 - 。当方としては当然、「オッケー!!」の二つ返事を期待していたのだが、あにはからんや、振り向きざまに「甘いわよ!!」とはき捨てられてしまった。

言われてみたら確かにそうではあるが、もっと言い方もあるだろう。三田明が唄っていた「美しい十代」の世界(2番)は嘘っぱちだったのか…。

〈♪昨日習ったノートを君に、貸してあげよう、やさしい君に、つらい日もある、泣きたいことも、あるさそれでも、励ましあって、美しい十代、あゝ十代、抱いて生きよう、幸せの花♪〉

正直、その頃は「女のいない世界」に憧れていた。モテナイ男にとって「女の園」は苦痛でしかない。結果、必然的に「男おいどん」(サルマタケ)の世界が待ち受けていた。

例の一件から次第、次第に学校への足は遠のき、バイト中心の生活に。たまに学校に行く時は、敢えて薄汚い格好をして、下駄履きで出かけた。

それでも世の中良くしたもので、「甘いわよ!!」と一刀両断に筆者を切り捨てたジュリさんは、「薄情な可愛いげのない女」としての地位を不動のものにしていた。

十年ほど前に学校近くのホテルで行われた同窓会にも、彼女は出席していなかった。どうしているのだろうか…。確か、旧姓は「木村」と言い、江川紹子さんと同じ県立船橋の出身だった。

話は脱線してしまったが、16歳の諸君、「○○病」より、もっと「劣悪な環境」があることも、是非覚えておきたまえ。以上。


2009/03/27

『つばさ』放送開始!!…サンディエゴからメール

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いよいよ来週月曜日(30日)から、新しいNHKの朝の連続ドラマ『つばさ』がスタートする。主演は多部美華子。進境著しいニューヒロインの誕生だ。

物語の舞台は「小江戸」の異名を持つ、蔵の街、埼玉県川越市。多部の役どころは、地元のコミュニティFM放送局に勤務しながら、「地域おこし」にも取り組んでいる、老舗菓子屋の跡取り娘。

中村梅雀をはじめ、高畑淳子、吉行和子らが「家族役」として脇を固めるほか、西城秀樹、手塚理美らも久々のテレビ出演。ストリーそのものは見てからのお楽しみ…。

ところで、コミュニティFMと言うと、何かしら「地元限定放送」といった先入観を抱きがちだが、インターネットの時代においては、必ずしもそうとばかりは限らない。

何を隠そう、我が「FMしまばら」でもすでに、世界へ向けて「生の情報」を発信しているのだ。その証拠に先般、アメリカ在住の島原出身の方からメールを頂戴したばかりだ。

その方は現在、カリフォルニア州サンディエゴで暮らしている宮崎弘さん。文面によると、宮崎さんの生家の住所は「中堀町1111番地」。

調べてみると、ナント!!現在当社の本社事務所が入っているNTT島原ビル(白土町1111番地)ではないか。宮崎さんによれば、生家は白土町にある「宮崎印刷所」で、旧電々公社が島原に進出した際に「換地」したものだという。

いずれにしても、これで「FMしまばら」の放送が海外でも実際に聴いてもらっていることが証明された。メールの最後で宮崎さんはこう結んでいる - 。キープ・アップ・ウイズ・ユア・グッド・ワーク。

話は変わるが、人事の季節である。県警を皮切りに、県庁、その他の市町、さらには銀行などと、新聞紙上は無数の人の名前と役職で溢れかえっている。

知っている名前もあれば、知らない人もいる。第三者的に眺める読者と、当人の思いはまったくの「別物」であろう。

『徒然草』だったかに、仕官が叶わなかった家の空気をスケッチした一節があったが、幸か不幸か、筆者の場合は「出世」とはまったく無縁の世界を歩いてきているので、別段「肩書き」には拘らない。

もっと言えば、「役職者」でなくとも、立派な人物はどこの部署(環境)にいても、立派なのである。その点、感心するのは欧米社会の労働者の人々。

どんな立場にいようが、話しかけたら「プロ意識」に徹した答えが必ず返ってくる。その内容は「哲学的」ですらある。

音無川沿いの満開の桜を愛でながら、まだ見ぬサンディエゴに思いを馳せる。彼の地にはサクラはあるのだろうか。写真に収めて送ってあげようか…。


2009/03/25

懐かしいルイベの味…回転寿司はトッピング!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

貧(ひん)すれば、貪(どん)する - と言うが、肥(ひ)すれば、貪するものでもある。すなわち、体そのものが〃脂身〃を求めてしまうのだ。

筆者の場合、仕事柄(?)と言うより、各方面から頂戴する〃お誘いの声〃に抗うことはごくごく稀で、大概の夕食は外で摂ることが多い。一昨日も、昨日の晩もそうだった。

それでもメタボなりに体調のことは気掛けているつもりで、最近は仕上げのラーメンやお好み焼きなどは努めて敬遠している。

その掟(おきて)が実行できた時などは、得も言えない達成感を感じる。マラソンの有森裕子さんではないが、時々本当に「自分で自分を褒めてやりたい」と思うことすらある。

自然の摂理で、一晩寝ると腹が空く。深酒をせず節制に努めた翌朝などは体調はすこぶる好調で、食欲にもバイアスがかかる。

洗面を終わって食卓につくと、素直に帰宅していれば前の晩に食べるはずであった〃おかず〃の皿にラップが被せてある。当然、〃自分の権利〃と思ってたぐり寄せるが、突然「待った!!」の声が掛かる。

ここから我が家のいつもの〃バトル〃が始まる。対戦相手は家人の母。「恐ろしか、そん腹ば見てごらん。今月腹(=臨月)んごてしとっとん。朝は漬け物と味噌汁で良かと!!」。

機先を制されて怖気づく筆者。傍らでは、弁当のおかずの余りを美味そうに頬張る三男坊が「それ見たことか」とニヤニヤ。「お父さん、1つやろうか」と軽口を叩いては、母からの〃二次口撃〃に晒されている。お気の毒様!!

ところで、この三男坊の大好物が「鮨」。イクラやウニ、トロといった〃上ネタ〃の類いは別世界のメニューとして端から諦めているようだが、好んで食べるのがサーモン(鮭)。

スーパーの刺身パックでも、他はそっちのけで真っ先に箸を付けているようだから、よほど好きなんだろう。ここから再び昨報の「回転寿司」編の続きに移る。

始めに〃結論〃を言うと、最近はサーモンのメニューが矢鱈めったらに多過ぎやしないか?ドラえもんではないが、「どこでもサーモン」の感すらする。

炙ってみたり、玉葱やマヨネーズを載せてみたりと、その〃節操の無さ〃にはあきれ返る。これはもう「鮨」なんかじゃない。単なる鮨飯上の〃トッピング〃ではないか。

その点、島原小涌園の「手巻き寿司フェア」は衒(てら)いがなく、正直でよろしい。ボリュームだって満点だ。

ところで、サーモンやサンマなどの刺身が九州のような南国でも食べられるようになったのはいつ頃からだろうか?

「流通革命」と言ってしまえばそれまでだが、氷とともにジャリジャリ食った、かつての「ルイベ」の食感が懐かしい。


2009/03/24

ん?博多風皿ウドン…回転すしで酒は出すな!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

貧乏暇なし。平日も休日もなく、日々仕事や雑事に追いまくられている。唯一の楽しみは「食事」である。さーて、お次は何を食べようか?終わった端(はな)から次なるメニューに思いを馳せる毎日だ。

先日も福岡市内へ所要で出かけたが、本来の用事もそこそこに「昼に何を食べるか」で頭を悩ませた。天神近くの駐車場に車を置いて周囲を一巡り。ふと、瀟洒な造りの中華レストランが目に留まった。

「ん?博多風皿ウドン」 - 。サンプルを見るだけでも実に美味そうに想えたので迷いなく入った。店内は清潔で、雰囲気もなかなか良い。値段も安い。

内心「正解!!」と小躍りして注文した。頼んだのはランチセット(牛肉&ピーマン)と皿ウドン、それにシューマイを少々。

手始めに明太子入りのシューマイを食したが、これが見かけ倒れのシュパシュパ風味。その点、エビと肉は〃正統派〃の味わいを保っていた。

ランチの味もまともで、いよいよメインディッシュの「皿ウドン」へと箸を延ばしたが、口に入れる前から何かしら〃違和感〃めいたものが…。

違う!!「皿ウドン」ではない。こっ、これは「焼きウドン」ではないか。一瞬、裏切られたような気もしたが、何ともこれが美味なのだ。もちろん〃完食〃した。

ところで、「焼きウドン」発祥の地は北九州の小倉ではなかったか?関門海峡を挟んで山口の「瓦そば」との〃対決〃もあったはずだが…などと馬鹿げたことを考えているうちに、さっさと空き皿を片付けられて、お仕舞い。

腹ごなしに近くの界隈を散策。おや?こんなところに神社がある、と思って参拝したら、かの有名な「警固(けご)神社」だった。この後、ロフトと丸善をのぞいて帰途に。

途中、金立のサービスエリアで一服。と、何やら怪しげな女性の3人連れが近づいてきて「タバコの味を変えてみせる」と両手をかざしてきた。憤然として席を立つ。

諫早に辿り着いた頃には、もうとっぷりと日も暮れていた。このまま走れば家で晩飯ということになるが、一瞬迷った挙句、回転寿司に寄ることに。

待たずに食べれるとばかり信じ込んで入ったのだが、あにはからんや、20名ほどの順番待ち。トイレに行くふりをして中の様子を探ってみたが、皆さん日曜日の夕餉ということで、ゆったりと寛いだ様子。

30分以上が経った。が、席を立つ人はまばら。たまらず、隣人との会話が始まる。「まだ、良か方ですよ。私たちゃもう3軒目ですばい…」。

なるほど、上には上がいるもんだ。ただ、この点だけは見解が一致した。「回転寿司でアルコールを出すな。それが原因で客は長居するのだ!!」と。


2009/03/19

サムライジャパン快勝…もう韓国には負けないぞ!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

連日、「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)の熱戦の模様がライブで放送されており、一喜一憂されている方も沢山おられるだろう。

かく言う筆者もその一人。格別に野球が好きだというわけではないが、何とはなしに試合の行方が気になって仕方がない。韓国に敗れた昨日も、そして今日のキューバ戦も、ダラダラと観続けている。

7回を終わった時点で日本が4点リードで、優勢に運んでいるが、勝負は下駄をはくまで分からない。ただ、何となくこのまま行きそうな気もする。

さてこの「下駄をはく」という表現だが、元々は「碁」の世界に由来する言葉だという。途中まで有利に進んでいても、最後の一手でひっくり返ってしまうことから、確実に勝利を収めて碁会所から帰ることを意味するのだそうだ。

それにしても、韓国はしぶとい。殊に日本が相手だと、異常なまでに「ライバル心」を燃やしてぶつかってくるので、ある意味脅威である。

もちろん歴史的な背景もあるのだろうが、国民性というか、彼の国の、彼の国たる所以であろう。昨日の日本戦終了後に、マウンド上に国旗を立てた行為は「敗北感」とは性質を異にするものを感じた。

おっと、そうこうするうちに9回表までやってきた。不調にあえいでいたイチローがついに二打席連続でヒット(単打、三塁打)を放った。

これまでのウップンを晴らすかのように沸きあがる大歓声。三塁上でニコリともしないイチロー。そして1点が追加され、5対0で回裏を迎えた。

そろそろ下駄をはく準備をしようか、と気も急くが、いやまだまだ。でも、もう2アウトだ。ランナー無し。やったー!!最後のバッターはライトフライ。イチローの手にウイニングボールがしっかりと収まった。

勝負も決まったので、下駄をはいて帰ろうと思ったが、まだまだこちらの試合は続く。おまけに今日は夕方から「面談」の予定を入れている。帰れない。

それより何より、次は韓国との準決勝だ。今度は負けないだろう。いや、不思議と負ける気がしない。何と言ってもイチローの復調が大きいし、そういった「バイオリズム」が流れているようだ。

少し前、水泳世界一の北島康介選手も絶賛したという『勝負脳』という本が出版されたが、「勝つつもりで臨めば、必ず勝つのだ」という。

恐らく、サムライジャパンの面々は、今日の崖っぷちの試合で見事な勝利を収めたことで、随分と「勝負脳」を活性化させたに違いない。

さあ、明日の試合が楽しみだ。今度はマウンド上に国旗を立てさせるような真似だけはさせまい。そうすることが、侍達の「矜持」であろう。


2009/03/15

季節外れの春の雪…「年度賀状」はいかが!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ヒュー、ガタッ、ゴトッ。今朝は、夜来の雨風による〃物音〃に身体を揺すられるような気がして、目が覚めた。

カーテンの隙間の向こうにまだ明かりは見えない。寝ぼけまなこでテレビのスイッチを入れたら、「こんな表現はありませんが、『春二番』と言ってもいいでしょう」。

典型的なお茶の間向けの男性アナが天気図をもとに、ちょっとした〃春の異変〃を興奮気味に伝えていた。氏によれば、九州地方の桜の開花日は例年より1週間ほど早まって、3月20日頃だという。

毎年この時期になると、「年度賀状(?)でも出してみようか」などと思うことがある。まったくもって個人的な〃造語〃であるが、卒業、入学、転勤などと、人生の節目は正月よりもむしろこの時期だ。

手帳も正月始まりに対して、4月始まりもあるくらいだから、さして〃違和感〃もあるまいと思うのだが…。

こんなことを書けば、「お前さんは郵便局の回し者かい」と揶揄(やゆ)されてしまいそうだが、葉書にせよ手紙にせよ、やはり〃便り〃というのは、有難いものだ。

昨年末のお歳暮で、とある印刷会社の方から「山頭火五三句・週めくり葉書カレンダー」なるものを頂戴した。1週ごとに、山頭火の句と解説が挿し絵入りで紹介されている。

例えば、3月第1週の句 - 〈南無地蔵尊 こどもらがあげる藪椿〉。昭和8年3月5日に詠まれた作品で、解説には「周囲の援助で句誌の発送を終え、安堵した様子」とある。

「藪椿」と言えば、宮崎康平先生が大好きだった花として知られるが、月日の経つのは早いもので、今年は28回目の「康平忌」である。筆者も拙稿を書き終え次第に列席するつもりでいるのだが、なかなか仕上がらなくて、気ばかり焦っている。

「頭ん悪かくせに、サボってばかりおるけん、そがんあっと。こんバーカモンが!!」 - 。先生お得意のポーズが目に浮かんでくるようだ。

再び山頭火に戻って、3月第2週 - 〈あんたが泊まってくれて春の雪〉。解説によれば、同年3月12日の作品。友人2人としたたかに酔っ払って、うち1人が庵に泊まっていった。ほのぼのとした〃友情〃のありようが偲ばれる。

そう、今日は「春の雪」だ。朝起きて、国交省雲仙復興事務所の「はっとほっとチャンネル」を見ていたら、なんと平成新山の峰が真っ白。南国3月に雪の洗礼。前出の「藪椿」と引っかけて、これぞまさしく「春の椿事」。

突風が吹き荒れ、季節外れの雪が降り、桜の開花は早まる…。予測のつかない有為転変の人生。せめて、年度の挨拶代わり友人に「近況報告」をしておくのも悪くはない。


2009/03/12

「読まない力」も大切?…何とかイプスを乗り越えて…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ゴルフ用語に「イプス」というのがある。失敗を恐れる余り、心身が硬直してしまうことのようだが、例えて言えば、今日の筆者の心境などが、それだ。

はっきり言って「ネタ」がない。そのような時は『今日は何の日』などといった〃虎の巻〃をヒモ解いたりして急場をしのいでいる。

その中の1つに朝日新聞社から出ている『アエラ』という雑誌があって、巻頭近くに出ている解剖学者、養老猛司さんの名物コラムに度々すがってきた。題して「大脳博物館」。

ところが、見ている人は見ているもので、「お前さん、ネタに困ったら、アエラに頼ってるよね」と見透かしてしまうイケスカナイご仁がいる。高校時代に国語を教わった加津佐町在住のF先生だ。

しかも、その指摘を事もあろうに〃ゴルフ場〃でやられたものだから、タマラナイ。以来、ネタ不足の時は「イプス」病に罹ってしまうのである。

だが、締切は待ったなし!!(と言っても、時々さぼってはいるが…)。とにかく、背に腹は代えられない、のである。てなわけで、今日は養老先生と、時おり本欄にお邪魔させていただいている三男坊のB君に、ご協力を仰ごう。

昨日は、天才スティーブ・ジョブスと天才モーツァルトにご登場願ったが、どういう訳か、普段は滅多に本欄を読んでくれないB君が、珍しくも〃読後感〃をぶつけてきた。

「そう、大事なのは、自分の『肉なる声』を聞くことですよね、お父さん!!」。一瞬、はたと我が耳を疑った筆者は、見出しの言葉を慌てて探った。

確か「内なる声」と書いていたはず。ただ、「肉」と「内」とは良く似ているし、「肉声」という表現もある。まさか、そこまで深読みするはずも…。

筆者の心は千々に乱れたが、何せ「金子助役」を「きんこ・すけやく」と読んで憚らない〃大物〃である。念のために、再度確認したら、ただの読み間違いだと判って、妙にホッとした次第。

エーイ、今日のところは「イプス」から解き放たれて言う。養老先生が何週間か前のコラムでおっしゃっていたことを - 。

それは麻生総理の「誤読癖」について書いてあったのだが、結びの部分にはこう記されていた。誤読は決して頭が悪いということではない。「天才」と称されるアインシュタインやエジソンにもその傾向があったのだ、と。

だからといって、愚息を「天才」などとは思ってもいないが、何となく笑えるエピソードであることも確かだ。そのエジソンも言っている - 「天才とは1%の霊感と、99%の努力の賜物である」と。

そう言えばB君、養老先生が新しい本をPHPから出してるぞ。その本の名前は『読まない力』ということだ。良かったね!!


2009/03/11

「iPod」にハマる…自らの〃内なる声〃を聞け!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

仕事部屋は西向きで、冬の午前中は〃冷え込み〃がきつい。その分、午後からはちょうど良い〃陽気〃となるのだが、夏場の日射しの長さには閉口する。

7年ほど前からお世話になっているNTT島原ビルは堅固な造りで、コンクリート壁の厚さは格別だ。ちょっと提げ物用の釘穴を開けようと思っても、普通の工事用ドリルではとても歯が立つものではない。

建築の専門家に言わせると、「島原市内では最も地震災害に強い建物」との評価だ。それにしても空調の音がやかましい。神経質な性格(?)のせいか、いったん気になりだすと落ち着きを失くしてしまう。

ただ最近になって、心強い〃味方〃が登場してくれた。「iPod」という携帯用の音楽プレーヤーだ。元は里帰りした長男にせびられて買い与えたものだが、新機種を先輩に貰ったとかで、「お父さん、これやるよ」と再び下賜された。

ところが、貰いはしたものの〃使い方〃が皆目分からない。恥をしのんで社員に聞いてみたら、「随分型落ちの商品ですね…」と一瞥した後で、いとも手際よく聴けるようにセットをしてくれた。

今ではすっかりこれにハマってしまって、朝から晩までモーツァルトに浸り切っている。小ぶりなイヤホーンを両耳に差し込むだけで、空調を始めとした雑音の類いも一切シャットアウト。重宝この上ない。

この〃万能プレーヤー〃を世に送り出したのは、他でもない〃天才経営者〃スティーブ・ジョブズだ。一九五五年生まれ。21歳。余談だが、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツもこの年に生まれている。

20代初めにアップル社を創設。若くして大富豪の地位を射止めるが、余りの傲慢ぶりを周囲に咎められ、30歳で失脚。新たに始めた事業もなかなか日の目を見なかった。

復活を遂げたのは40代になってから。「iMac」で地歩を固め、「iPod」の発売(二〇〇一年)で再び世界を席巻する。通常「ここまでの段階」でその成功譚は完結するのだが、さらなる〃ドラマ〃が待ち受けていた。

二〇〇四年、ジョブスは膵臓ガンの診断を下され、「余命3か月から6か月」という宣告を受ける。が、天才の天才たる所以がここから始まる。なんと、術後1か月で現場復帰を果たしてしまうのだ。

生き返ったジョブスはスタンフォード大学で行った卒業記念講演の中で次のように語っている - 「人生には3つしかない。1つは生まれること。2つ目は死ぬこと。この2項は思いのままにならない。だが、生きることは思い通りに出来る」。つまりは「自らの内なる声を聞け!!」と。

天才ジョブスが開発した音響機器で、天才モーツァルトの作品を聴く凡人。何だか可笑しくもあるが、勇気もまた湧いてくる。


2009/03/10

正義が国を亡ぼす!?…「ついきゅう」の使い分け

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原市議会3月定例会の市政一般質問が先週から始まった。今週も11人が壇上及び自席から、発足後間もない横田市政の政策について質(ただ)す。その模様はケーブルテレビ2社で生中継されているほか、地域のコミュニティFM放送でも聴くことができる。

加えて、カボチャテレビでは、インターネット回線を使って全国へ向けリアルタイムで発信している。その意味では、これほどまでに「情報公開」が徹底されている地方議会も珍しいのではないか。

一方の活字メディア。ちょっと見ではいささか「後追い報道」の感がしないでもないが、「じっくり検証する」という意味では、これに勝るものはない。多くの読者の方も、その点に「共感」を抱いて下さっていることだと思う。

商売柄、昼夜を問わず色んな立場の方々から「お叱り」や「励まし」をいただく機会も多い。それらは直接「我が社」に向けられる場合もあるし、或いは奇特な行為への「共鳴」であったり、世の理不尽な動きに対する「怒り」であったりもする。

先般、トップバッターで質問に立ったN議員から「7日付の『読者クラブ』で書かれていた内容が、私に向けられたものではないかとの心配の電話が支持者から相次いでいる」という電話をもらった。

当日のテレビ放映や質問要旨を掲載した紙面などをご覧になっていただければ、投書の主が、N議員のことを言っているのではないということは明らかなのだが、それだけでは「収まり」がつかないのだろう。

実は当日、中継をご覧になっていたかなりの数の視聴者の方から「失礼極まる質問ではないか」「なんだ、あの傲慢な態度は」などとする批判の声が某議員に対して寄せられていた。

恐らく、投書をされた方も同じ思いを抱いて筆を執られたことだと思う。ただ、たまたまの偶然ではあるが、その掲載日がN議員の質問載録日と重なったため、あらぬ「誤解」が生じてしまったのだろう。

さて、世を挙げての「漢字ブーム」である。よく大学入試などで見かける書き取り問題に「ついきゅう」というのがある。

大まかに言って、「ついきゅう」という漢字には3通りある。1つは「追求」。理想や利潤、幸福などを、文字通り追い求めること。これに対して、2番目の「追究」は真理や原因などを明らかにしようとする際に用いられる表現だ。

3番目が「追及」。新聞では、主として刑事事件等を扱った社会面で多く見受けられる。週刊誌も然りで、余罪や責任等を厳しく糾弾する時などの用語だ。

ひとり言論界に限らず、世の中はこの3つの「ついきゅう」を賢く使い分ける必要がある。でなければ、山本夏彦翁が生前杞憂されていたように「正義が国を亡ぼす」ことにも繋がりかねない。


2009/03/07

命の値段が豆腐8丁…「対価」について考える

‐株式会社ケーブルテレビジョン専務 清水眞守‐

〈1銭2銭の葉書さえ、千里万里と旅をする♪〉。ご存知〃バタやん〃こと田端義夫さんのヒット曲『十九の春』の一節だ。歌詞はこのあと〈同じコザ市住みながら、逢えぬわが身のせつなさよ♪〉と続く。

さーて、今日は何を書こうかと悩んでいるが、少し大上段に構えて、ひとつ「対価」(コスト・パフォーマンス)について考えてみるか…。マジ!?

筆者が物心ついた時の葉書の値段は、確か5円だった。それが今では50円。10倍もの値上がりだが、僅かそれくらいの料金で全国あまねく所に「便り」が送れるのだから、考えようによっては安いものだ。

ただ、その便利極まりない葉書の存在も、今やインターネット(メール)の出現によって、段々とその影を薄くしつつある。まあ、無くなってしまうことはないのだろうが…。

話は前後するが、なぜこのような柄にもない「テーマ」を思い立ったかについて、少しお話しておこう(実は内心「しまった」と後悔している)。

きっかけは、ノンフィクション作家、佐野眞一さんの著作。本の名前は『目と耳と足を鍛える技術』。筑摩書房から出ている新書版で、「初心者からプロまで役立つノンフィクション入門」というサブタイトルが付されている。

これまでも佐野さんの作品は幾つか読ませて頂いているので、中身についてはすんなりと入っていけた。というより、余りに面白くて一気に読み上げた。

「対価」について書こうと思ったのは、佐野さんが、ダイエーの創業者、中内功さんに対して行ったインタビューの中での〃やりとり〃が俄然印象に残ったから。

戦時中、中内さんは過酷なフィリピン戦線で生き残り、鹿児島県加治木港に復員。その時、国から支給された手当ては40円。それを手に列車を乗り継いで実家のある神戸を目指す。途中、門司で朝を迎える。

空腹を覚えた中内さんが立ち寄った先は、駅前の豆腐屋。値段は1丁5円。「死線を彷徨った挙句の『対価』がわずかに豆腐8丁分かい!?」。この時感じた理不尽な思いが猛烈なエネルギーとなって、後の「主婦の店ダイエー」の開店へと向かわせる。

その間の心境の在りようについては『カリスマ』(新潮文庫)という作品に描かれているだろうから、詳しくはそちらをご参照いただきたいが、個人的には「対価」という問題を、物の見事に目の前に突きつけられた思いだ。

数日前の朝日・天声人語欄に、故イブ・サンローランの「遺産問題」が取り上げられていた。何百億円もの大枚をはたいて手に入れた国宝級の美術品の「対価」もさることながら、この豆腐1丁の値段こそがより「人生の真実」を物語っているような気がしてならない。


2009/03/06

政治ちゅーもんは!?…明日ありと思う心の…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

こういうのを「花冷え」というのかどうか知らないが、今日はいつになく「寒さ」が身に沁みる。それでも「春」は確実に近づいてきているようだ。

我が家の庭には杏の老木があるが、ここ数日で一斉に花を咲かせた。淡いピンク色の花びらは梅のようでもあるし、桜も想わせる。時おりメジロやツグミが飛んできては、花びら周辺を啄(つい)ばんでいる。それにしても、長閑(のどか)な春景色である。

音無川の対岸、我が社の斜(はす)向かいの宅地に立つ白木蓮の花ももう満開である。出来たら青空をバックに写真を撮りたかったのだが、生憎の曇り空で気が進まなかった。

それでもシャッターは押した。「明日ありと思う心の仇桜。夜半に嵐の吹かぬものかわ」(親鸞聖人)の心境である。

4日付けの読売・編集手帳の筆者は、違法献金が指摘されている小沢一郎民主党代表周辺の喧騒ぶりを、この古歌をもじって論じているが、何も事は政界に限ったものではない。

1年前、誰がトヨタやソニー、キヤノン等の一連の経営悪化の流れを予想できたか?恐らく皆無であろう。筆者が賢しげに申し述べるまでもなく、世の中は〃事程左様〃に移ろいやすいものだ。

誤解を恐れずに言えば、昔だったら「景気浮揚」のためには、大国はなりふり構わず「戦争」を仕掛けたところだろう。だが、幸いと言うべきか、昨今の人類は一部を除いて、その「愚かさ」「不合理性」等を知り抜いている。

ならば、「次なる一手」(起死回生策)にはどんなものがあるのだろうか。米国のオバマ大統領が打ち出している新エネルギー政策(グリーン・ニューディール)は「信頼」に足るものかどうか…。

ただ、これだけは自信を持って言えることが、一つだけある。それは「地球環境」の問題だ。これまで我々は、「科学」(技術革新)の力を過信する余り、後先を考えることもなく、ひたすら「繁栄」を目指して邁進してきた。

つまり「明日ある」との楽観論のもとに、自然環境には目をくれることもなく「安逸」を貪ってきたのである。まさしくアメリカ型のカードローン社会の崩壊が、その事を如実に物語っている。

石油や天然ガスなどに代わる新エネルギーを創出する必要もあろう。そのための科学的な研究は、どんどん推し進めていってもらいたい。

ただ、その際の「中心」になるべきは、やはり「政治」である。その部分がしっかりしないことには、国や地域の将来も、地球の未来も覚束ない。

小沢代表が「明日あり」と思っていたのかどうか知らないが、この事態を受けての「政治ちゅうもんは - 」(口癖)に続くフレーズを是非訊きたい。


2009/03/05

3月3日は「耳の日」…覚悟を決めてミミガーに

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

野暮用に追われているうちに「弥生」(3月)に入った。気付けば早4日である。もとより〃女の子〃に恵まれない性質なので、3日の「雛祭り」には余りご縁がない。それより3月3日は語呂合わせで「耳の日」とされている。

学研版『年中行事・記念日事典』によれば、日本耳鼻咽喉学会が制定したのが、昭和31年のこと。もっとも最近では、「鼻炎」の関係で「耳」より「鼻」に注目が集まる。

そう言えば昔、E・H・エリックというタレントがいて、テレビで「耳たぶ」を自在に動かしては、世間を喜ばせていたが、実は小生も練習に練習を重ねて、その「技」をマスターしているのだ。

当然、今でも簡単に出来るのだが、「だから」と言って何の得にもならない。せいぜい酒席での「お笑い芸」の一つに過ぎない。

氏の弟が映画俳優だった岡田眞澄。ネットで調べてみたら、二人ともすでに鬼籍入り。それにしても、氏が「アムウェイ」の広告塔を長年務めていたとは、つゆ知らなかった。

さて「耳」の話に戻ると、「馬の耳に念仏」とは、いくら言って聞かせても、当人は何とも感じず、まるっきり効き目のないことの例え。同義語に「犬に論語」「蛙の面に水」などがある。

ところが、伝える相手が人間に代わると、「しっかりと聞こえる」というから不思議だ。第百四十回の直木賞を受賞した天童荒太さんの作品『悼む人』でもハッキリとそう書かれているし、脳医学関連の本にも同趣旨の記述がある。

だとすれば、通夜の席などで故人の「悪口」などは厳に慎まないといけない。根に持たれて化けてこられたら大変だ。ひたすら「成仏」を唱えるに限る!!

耳バージョンの諺とは全然関係ないが、沖縄料理に「豚の耳」(ミミガー)というのがあった。軟骨をポン酢で食べたりするが、コリコリとした歯ごたえは左党にはたまらない。

でもやっぱり、「豚」ときたら「真珠」を忘れるわけにはいかない。間に「に」を入れると、「馬の耳に念仏」とほぼ同じ意味になるが、こちらの語源は新約聖書・マタイによる福音書ということらしい。

さてこの季節、葬儀にかかわらず、色んな式場で「真珠」をめされたご婦人を見かける機会も多い。喪服などの黒を基調とした礼服は、その人をして一番美しく見せるものだ、と言われているが、必ずしもそうとは限らない。

事実、中にはいるのだ。「○○に真珠」としか言いようのない雰囲気の方が。それでもご本人は楚々たる振る舞い。悪くはない。間違ってもいない。ただユーモラスなだけである。

こんなこと「口が裂けても言えない」と思っていたが、締め切り時間に追われて、指先が勝手に動いてしまった。これはもう、覚悟して「ミミガー」の材料になるしかない!!