2008/09/30

福岡普賢会盛り上がる…お手柄!!島工出身の松本君

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原高校を卒業後、福岡市を拠点として活躍しているOB(OG)の皆さんで組織している「福岡普賢会」の定例総会に先週末、出席してきた。

筆者は残念ながら同校の卒業生ではないのだが、地元紙の記者、並びに地元CATV、FM局の関係者ということで大変に温かく迎え入れていただいた。

同会の歴史は比較的浅く、本年度で11回目ということだったが、お祭り好きの〃土地柄〃を反映してか、大層な盛り上がりようであった。

会長を務めているのは税理士の奥田正幸さん。事務局長の島田和幸さんの実に小気味良い〃仕切り〃で、アッと言う間の楽しい3時間だった。

島原からは自身が卒業生である辰田校長をはじめ古瀬同窓会長、谷口副市長も来賓として参加。また、遠く関西、関東からも粟津、八幡の両氏がお祝いに駆けつけたほか、博多駅前の有名な「せき亭」の関靖夫さんも島商同窓会代表として顔を見せていた。

参加者は約150名で、会場の八仙閣大広間はまるで披露宴のような賑わいぶり。「今が青春…今も青春!!」のキャッチコピーを地でゆく乗りの良さで、校歌&応援歌の合唱もなかなかに見事であった。

筆者が卒業生でもないのに〃飛び入り参加〃した理由については、いずれまた語る機会があるので割愛するが、古里(島原半島)を離れれば、出身者はすべて〃同郷人〃である。

ましてや島原高校のように百年を超える〃伝統校〃ともなると、その繋がりの強さは〃当事者〃でしか解かり合えないものがあろう。いささか羨ましくもあったが、愚息3人も〃仲間入り〃ができて良かった、とも思った。

と、そんな事を考えながらホテルに戻って自宅に電話を入れたら、島原工業高校出身で、早稲田レスリング部で活躍中の松本桂君(2年生)が「後輩選手とともに電車内の痴漢を取り押さえた」とのニュース。

子供さんが島工レスリング部員だった、浦田二丁目の橋本青果店のご主人が寄せてくれた情報で、さっそく翌朝そのファクス記事を読ませていただいた。

掲載されているのは26日付けの朝日新聞・都内版。写真入りの囲みで大きく取り扱ってあり、何だか我が事のように嬉しくなってしまった。

記事によると、松本君と後輩の山口剛選手(1年・岐阜中津商高卒)は、今月18日に開かれた「全日本学生王座決定戦」で同大を〃初優勝〃に導いた主力メンバー。見出しも面白く「早大レスリング部員、痴漢にタックル」「痴漢目撃・逃がさん」などと威勢良くまとめられている。

聞くところによれば、来月は長崎、東京と相次いで「島高同窓会」が開かれるとの由。ここは一つ〃同郷人〃の松本君に倣って、古里活性化を目指して果敢なる〃タックル〃をお願いしたいものだ。


2008/09/28

カモメそれともトンビ…大いに気になる政策の行方

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

朦朧として目が覚めたらやたらと肌寒い。逆に体が冷えたから目が覚めたものと思うが、いよいよ本格的な秋の訪れだ。ゆるゆるの作務衣のズボンと長袖シャツ。今朝ほどは、屋外の冷気がいつにもまして気持ちが良かった。

長浜から猛島を抜けて北門に向かう途中、カモメの一群に遭遇した。数にして10数羽。真向かいから吹いてくる〃北風〃を避けるかのように、海面すれすれの低空飛行だ。

ふと視線を上げたら、今度はトンビの遊覧飛行。時おり吹き付ける風の〃息つき〃を楽しむかのように、悠然と羽を広げて右左。まるで空のサーファーだ。

イソップ童話に『北風と太陽』というのがあったが、ほどなくして東の空からお日様が顔をのぞかせてきた。こう言うのを〃あかね空〃と呼ぶのだろう、見事なまでの色彩の鮮やかさだった。

ところで昨日、島原商工会議所会員大会で経済ジャーナリスト、須田慎一郎さんの講演を聴いた。テレビや週刊誌で見かける強面のイメージと違って、意外なまでに普通の、小太りのオジさんだった。

枕の部分で、小泉元総理のゴーストライターをしていたことをカミングアウトしていたが、たまたまこの日の新聞報道で明らかになった「政界引退表明」とも相まって、口調にも俄然熱がこもっていた。

同氏によれば、総選挙の日程は11月2日か9日。与党が前者で仕掛け、野党が補正予算の審議入りを取引材料に、後者を主張している〃綱引き〃の構図だという。

何より驚いたのは、財政面での日本の国力の衰退ぶり。先進7カ国の中でも、イタリアの後塵(こうじん)を拝して、断トツの最下位だ、という。

また、都市部と地方の経済格差の問題についても触れていたが、肝心の具体的対策についての示唆(しさ)が伺えなかったことは些か残念であった。

総じて、これから我が国経済が迎えるのは〃冬の時代〃。次期総選挙を終えたとしても、政局の流動化は当面続くであろうし、一旦はびこった〃格差〃の是正も一朝一夕で片付くものではない、と。

何せ我が国は食料の自給率が4割にも満たない〃弱小国家〃である。小泉政権の是非論議は須田さんらの専門家に任せるとして、本当に食べる物が足りなくなってしまったら…。

ある資料によれば、江戸時代の日本の人口は約3千万人。それが20世紀の初めに4千万人を超え、今や1億2千万人である。また、専門家に言わせると、規模的に自給のボーダーラインは4千万人。すなわち、それ以上になると、外国からの輸入に頼らざるを得ないのだそうだ。

これからは、カモメのように低空飛行で凌いでいくか、はたまた流れに身を任せたトンビになるか。国、地方を問わず、政策(局)の行方が気にかかる。


2008/09/27

政治家の〃顔〃に注目…キムタクは15年連続No.1!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

福岡出身の麻生太郎氏が挑戦4度目にしてついに総理の座を射止めた。新内閣の顔ぶれも出そろった。

毎度のことながら、翌朝の新聞一面は各紙とも顔写真付きの閣僚一覧表を掲載している。今回は途中で政権を放り投げた前首相へのあてつけか、早稲田出身者はゼロ。

1面記事の顔写真はまるで証明写真だ。そこへいくと、社会面のそれは新大臣の〃素顔〃が透けて見えて面白い。さしずめ今回の新内閣の〃顔〃は、戦後最年少の34歳で入閣を果たした少子化担当大臣の小渕優子さんだろう。

父は総理在任中に病に倒れた小渕恵三氏。内閣官房長官当時、ニコニコ笑顔で「平成」の元号を公表したことで知られる、あの〃オジさん〃だ。優子さんはその次女。

25日付けの日経社会面では、笑顔での記者会見の模様を大きく紹介しているが、失礼ながら、何とも可愛らしい。自身が昨年秋に長男を出産したばかりだというから、〃適役〃だと言えよう。

良くは知らないが、まだ政界のけがれを知らない〃フレッシュさ〃を感じる。見ようによっては、子供たちに人気が高いアンマンパンようでもある。

「人は見た目が9割」と言われるが、政治家にとってはそれはある意味〃生命線〃でもある。決して顔の造作だけの問題ではない。全体から醸し出す雰囲気が大切なのである。

所属政党の命令か本人の希望かどうか知らないが、最近はテレビに出たがる女性政治家も多い。語弊があるので誰とは言えないが、事実「お前さんは一体鏡を見たことあるの?」とでも言いたくなるようなご仁もいる。

まあ、「蓼食う虫も好き好き」でもあるし、「ヘン自分のことは棚に上げて、何を」と逆ネジを食らうのがオチだから、もうこれ以上は言わない。

ところで、カッコイイ男がもてるのは、「優秀な因子を将来にわたって残そう」という女性に備わった〃本能〃なのだそうだ。言われてみれば、「確かに」と納得しないわけでもないが、逆の〃仮説〃も十分に成り立つのではないか。

女性誌「アンアン」のアンケート調査で、キムタクが15年連続で〃人気ナンバー1〃だとか。結婚して子供もいるのに、まったくもってスゴイ!!

我々の世代の男性アイドルの代表格は郷ひろみだったが、だいたいにおいて〃追っかけ〃をしているのは、野暮ったい女性が多かったように思う。

そうか、彼女たちは〃本能〃の赴くままに生きていたのか…。それはそれで〃正直〃でよろしい、と申し上げたいが、いずれはそれも萎(しぼ)んで、収まる所に収まるのが人生というもの。

そんな思いで、改めて同窓会の記念写真を眺めていたら、全員等しく〃オジさん〃と〃オバさん〃の行列だった。


2008/09/23

乳首にワセリンを!?…リーダーは常に孤独な立場

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「右手にコーラン、左手に剣」はイスラム教の激しい〃攻撃性〃を象徴する言葉として、これまでもよく耳にしてきたが、「乳首にワセリンを」とは初めて聞いた。より正確には、長距離を歩く際は「乳首にも、腋下にも、股間にも、足の裏にもワセリンを塗るべし」というのだ。

最初にこの言葉を聞いた時は「何と大袈裟な!?」と笑いこけてしまったが、実際に島原半島一周ウォーク(19日~20日)に挑戦してみて、その深遠なる意味合いが、身に沁みて理解できた次第だ。

実は最近、歩くことにかけては些かの〃自信〃を抱いていた。何せほぼ毎日、約1時間の早朝ウォークを実践しているのだから。本当に「ドンと来い!!」の心境で臨んだのであった。

結果は既報(21日付)の通り、目標の約3分の1の地点でもって心ならずも〃リタイア〃したわけだが、 それなりに得るものはあったように思う。

何より、お声を掛けていただいた先輩お二方の温かい〃お人柄〃に直に触れることができた。特筆すべきは、その類い稀なる「脚力」と「精神力」。黙々と歩を進め、決して筆者のように〃泣き言〃を言わない。獲物を睨むかのようにグッと前方を見据え、背筋をピーンと伸ばして歩く様は、堂に入っているのだ。

途中棄権の後ろめたさもあって、お二方が108キロの距離を「完歩」されたかどうかの確認は憚っていたが、風の噂で、一人は途中で脚がつって中止されたとの由。今となっては、残るもうお一方が最後の「期待の星!!」である。

でもよくよく考えてみたら、リーダーたる者はこうした周囲からの期待の「重圧」に四六時中晒されているわけで、改めてその「孤独感」を噛み締められた行軍ではなかったか。

今こうして省みて残念なのは、周到なる準備の上に、上級者の皆さんに同調できなかったこと。もし、最後のお一方が歩き遂(おお)せなかったとすれば、筆者を含む〃リタイア組〃の責任は極めて大きい、と言わざるを得ない。

それにしても、足裏のマメが痛い。右足の爪もはがれた。加えて股ズレ。さらにはリュックの重みで、右肩の皮が擦りむけヒリヒリしている。ワセリンの効能を馬鹿にしたツケが一挙に回ってきている、といった感じだ。

最後になったが、少し〃成果〃の話をしよう。それは「月明かりの効用」についてだ。橘湾の「夕日の美しさ」は今さら説明を要するまでもないが、これまで意外と語られていないのが「有明海の月景色」。

これまでも雲仙道を下ってくる際などに感じていたことだが、月の出から深更にかけての「幻想的風景」はなかなかに味わい深い。月光はある意味「癒し」の象徴でもある。観光に活かさない手はない、と歩きながら思った。以上。


2008/09/21

途中でギブアップ宣言…蝮が出てきてコンバンハ

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〃約束〃のその日は53歳と1日目にやってきた。そして小生は〃完敗〃した。実は今年の春先、自転車で島原半島を一周した記事を掲載したらほどなく、同じような〃体型〃をした先輩お二方から「次は歩いて回ろうではないか」との〃果たし状〃を受け取っていたのだ。

勿論〃二つ返事〃でお受けしたが、今考えると「随分と浅はかだった」と猛省している。実際にチャレンジしてみて、自転車での走行と、我が身を酷使しての徒歩とでは、全くの似て非なるもの、であることを知らしめられた格好だ。

小浜名物の〃夕日〃がその赤い色合いを強め出す頃、正確に言うと午後5時40分にマリーン広場を出発。かって知ったる〃ふるさとロード〃の滑り出しはいたって順調だった。

約1時間後には飛子の浜を通過。白頭、板引、椎ノ木川を経て、南串山の旧道街を順調に飛ばした。赤間~権田間のロック・シェッドも何のその。対岸の天草の夜景を眺める余裕もまだあった。

〃異変〃は加津佐の街中に入った辺りから徐々に起き始めた。先頭集団から少しずつ、少しずつ遅れ始め、駅前のコンビニに辿り着いた頃には、もう殆どグロッキー状態だった。

けれども、ここで音をあげるにはまだ早すぎる。両脚の痛みを庇(かば)いつつ、泣きの涙で高校駅伝の折り返し点となっている下馬松(げばまつ)の坂を登りきった。野間水を過ぎると、母校・口加の校舎が視界に入ってきた。感傷に浸る間もなく歩を進めていたら、何やら先の方で騒ぎ声が聞こえる。

犯人は、大の苦手のマムシの大将だった。道の真ん中でトグロを巻いていたが、懐中電灯で照らされると、道脇の溝の中にスゴスゴと退散して行った。その一部始終を見ていて、死んだ爺ちゃんが「秋口のヒラクチは毒素ん強かけん、噛まれんごてせーにゃ」と言っていたことを憶い出していた。

真米の坂を下って、いよいよ口之津港。国道沿い島鉄のレールはすでに撤去されていた。分かってはいた事態だが、寂しさは否めない。近くのコンビ二で氷塊を購入。断片を口に放り込んだり、タオルに巻いたりと色々と〃処置〃を試みてみるが、刻々と〃終焉の事態〃が迫っていることを予感していた。

大屋、菖無田を過ぎて次の休憩地、浦田のコンビニを目指す。途中、大江の路上で再びマムシと出会う。北有馬の短い海岸線を抜けて龍石に入った所で足がピタッと止まった。連日の不節制のツケが来た感じで、急速に眠たくなってきたのだ。

無理をすれば、まだ歩けないことはなかったが、みんなにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。これも大人の判断だ。断腸の思いで〃ギブアップ宣言〃をしたら、2人の同調者が現れた。時計の針は午前3時を回っていた。


2008/09/20

暑さ寒さも彼岸まで…みんな「楽観脳」で行こう

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

〈律儀なり 今年も咲いた 曼珠沙華〉。のっけから下手糞な俳句もどきで恐縮だが、彼岸前にその姿が確認できてホッとしている。

実を言うと、本当に咲くのかどうか心配していた。我が家の庭では毎年、ツツジの植栽の隙間からニョキといった感じで数本が顔をのぞかせるのだが、今年は何とも遅いお出ましだったような気がする。

「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったものだ。今日なんかは「台風一過」のせいもあろうが、実に秋の風情である。これからは陽が落ちるのが早くなり、朝晩の冷え込みも増してくることだろう。

秋は何をするにも適した季節である。飯は美味いし、少々動いても汗だくになるようなことはない。夜になって耳を澄ませれば、虫の音も涼やかだ。

問題があるとすれば、余りに過ごしやすい気候なだけに、ついつい自分を甘やかせてしまいがちだ。こいう時こそ自らを高めるよう仕向けるべきなのに…。

新聞の仕事に就いて最初に取材したのは、雲仙・仁田峠のススキだった。もう20年以上も昔のことですっかり記憶も薄れてしまったが、今以上にお粗末な写真と文章だったことだけは確かだ。

人生を四季で表せば、筆者のようなオジサンの類いは間違いなく「晩秋」の候だろう。いかに平均余命が長くなったとはいえ、50歳を幾つも過ぎれば、もはや立派な後半戦だ。

野球や相撲などのプロスポーツに限らず、オリンピック等の選手を見てみても「ベテラン」と呼ばれる連中の何と若いことか。ただ、もう時計の針を巻き戻すことはできない。

せめては、健康でゆとりある老後を迎えようと心では願っているが、生来の怠け癖がそれとは逆のベクトル方向へと引っ張って行ってしまう。

この前の検診でも、血圧、中性脂肪、尿酸値等のデータは明らかにその兆候を示していた。誰の責任でもない。全ては自らが招いた「現実」である。

もっとスポーツを!!もっと節制を!!もっと教養を…健全な心の雄叫びは響いてはくるものの、いざ行動となると億劫(おっくう)がってしまうのだ。

前世紀の文豪・夏目漱石の作品の多くは、「鬱」心境下で描かれたものだった、という。それは何も持病の「偏頭痛」のみがもたらしたものではないそうだ。

いかん、いかん。大して物事を深く考える性質でもないのに、こんな事を書いていると、たちまち「迷路」に入ってしまう。

そう言えば、誰かが言っていた。「人間は思い通りの人生しか歩めない」と。なるほど、この時代、大切なのは「楽観脳」だ。

こうありたいと願っていれば必ずそうなれる。この程度でよいと思えば、それまでだ。心を入れ直して、さあ今宵も夜の街へ。今年の秋刀魚は格段に美味い!!


2008/09/19

イチロー記録達成へ!!…長寿日本一と同じ誕生日

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

奇しくも2年前の今日(18日)。そう51歳の誕生日の当日、台風災害に見舞われたことを覚えている。No.はこれまた奇しくも同じ「13号」だったが、幸いにして今回は直撃を免れた。

この時を境に、当社は思い切って経営方針の転換を図った。それまで固執していた「IP告知機能付き端末」から「コミュニティFM放送」へと、大きく舵を切ったわけである。

結果は「大成功」だった、と思う。同時に開発に取り組んでいた「無線LANシステム」は、監督官庁の総務省がこの春、次世代の「ユビキタス社会」へ向けての有力ツールの1つに選んでくれた。

ここで「有頂天」になってはいかん、と手綱を引き締めていたら、今度は在京のビジネスパートナーの会社から、韓国の大手メーカーとの「共同実証実験」の話が舞い込んできた。

中身については「企業秘密」だが、一つの決断が導いたプロセスとしては我が事ながら面白い。まさに「事実は小説より奇なり」である。

まあ、仕事の話はこれくらいにするとして、会社で弁当を食べながらNHKの昼のニュースをみていたら、日本人最高齢者の話題を取り上げていた。

その方は宮崎県都城市在住の田鍋友時さんという男性で、御年百十三歳。男性に限って言うと、もう数年前から「世界一の長寿者」だそうだ。

田鍋さんが生まれたのは、日清戦争翌年の明治28年9月18日。昭和30年生まれとの筆者とでは、丁度60年の開きがある。

そうか、田鍋さんと同じ誕生日だということは、筆者にも「長生きの可能性が高い」ということかと改めて手相を眺めてみたら、生命線が殊のほかに長い。親指の下の辺りでいったん底を打って、上昇の気配すらうかがわせている。

でもなあー、この調子であと60年生きろと言われても、少し考え込んでしまうよなあー。もう少し張りのある人生を望みたい。そう、マリナーズのイチロー選手みたいに!!

そのイチローはこの日、8年連続で200本安打を達成し、107年ぶりに大リーグ記録を塗り変えるのはもう時間の問題だ。

これまで9月18日と言うと、自分の誕生日以外には昭和6年に起きた「柳条溝事件」くらいしか記憶になかったが、田鍋さんとイチローのおかげで少し救われた気分になった。

ところで「リーマン・ブラザーズ」という米国の大手証券会社が破綻した。ニュースでは、ホリエモンによるニッポン放送買収劇の資金源という紹介ばかりがなされているようだが、150年を超えるその歴史からして、日本政府との関連も深かったはず。

後に「ダルマ宰相」と呼ばれた高橋是清(日銀総裁)が日露戦争後の財政難当時、外債集めに奔走していた際に、お世話になったことなどはなかったのだろうか…。


2008/09/18

「端境期」はびこる…世界に羽ばたけ地方都市!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

こういうのを「端境期」と言うのだろう。二度、三度と花屋さんに行くのだが、これといった「手頃な苗」が見当たらないのだ。

早朝の散歩でも、お城周りや住宅街を歩き回るのだが、綺麗に咲き誇っている花壇を見かけることはまずない。寂しい限りだ。

政界では、早咲きで三期目を決めた「仏頂面」の小沢一郎民主党代表を取り囲むかのように、自民党総裁選が行われているが、必ずしも「百花繚乱」との表現は当てはまるまい。

今日(16日)発売の某週刊誌の記事では、「麻生有利」の影に「政界再編」の動きもにわかに活発化している、とか。

いずれにしても、あと1週間後には新しい「総理・総裁」が誕生する。その後に「解散」→「総選挙」といったシナリオが控えているが、11月には米大統領選に加えて、島原市長選も施行される。

こうした視線で「世の中の動き」をじっくりと眺めてみれば、すべては「端境期」の様相である。果たして、次なる「市長」「総理」「大統領」はどなたに決まるのだろうか?

   ※    ※  
 
先週末から今秋初めにかけて「県外出張」が相次いだ。いずれもあいにくの雨模様であったが、それなりに「目標」は果たせたもの、と思う。

最初に訪れた博多(福岡)では、10年ほど前から色々とご指導をいただいている方が、夏場に新たにオープンされた「お店」にお邪魔した。

瀟洒(しょうしゃ)な造りだった。店内の雰囲気も素晴らしかったが、中州名物の「屋台街」が一望できるロケーションの良さには「感動」すら覚えた。

都城(宮崎)へは、日曜出発。すでに何度も足を運んでいるので、きっちり時間通りに到着した。

目的は、現地のBTVケーブルテレビが主管して開催している「第6回国際アマチュア映像祭」(外務省、宮崎県などが後援)に参加するため。

当社制作スタッフが出品した『火山とともに』はグランプリ部門にノミネートされていたが、栄冠はロシア代表(イルクーツク)にさらわれた。残念だが、次回以降に出直しだ。

同映像祭には、ロシアのほかポーランド、韓国、モンゴルなどが参加。幕間には、各国の民族衣装をベースとした「ファッションショー」も開かれ、会場を埋めた約1400人の観客のタメ息を誘っていた。

驚くのは、こうした大がかりな国際イベントが事実上、地方都市の一ケーブル局の単独主催で開かれていること。資金面での手当てもさることながら、受け入れのスタッフの苦労も並大抵ではなさそうだ。

旧知の幹部社員は「ここ数日ほとんど寝ていません」と目を真っ赤にしていたが、言葉とは裏腹に動きは生気に溢れていた。

もう「地方(田舎)だから」という論理は通用しない、と改めて痛感した。


2008/09/13

もし貴方が市長なら…皆で創ろう〃明日の島原〃

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

11月23日告示、同30日に投開票される島原市長選挙も、「本命」と目される二氏が、11日、12日と相次いで「立候補表明」を行った。

果たして「第三の候補者」が登場するのか…。現時点で知る由もないが、これで「ヤジ馬」的には面白い展開となった。

ただし、である。「市長選」と言えば、「市議選」と並んで、市民生活に最も密着した選挙である。その意味では、「ヤジ馬」根性だけで面白がって、囃(はや)し立てている場合なんかではない。

ましてや「三位一体改革」とやらで、「地方財政の危機」が叫ばれている。地縁&血縁も結構だが、それだけに頼っていては、古里そのものが衰退していくばかりだ。

ここはひとつ、真剣に!冷静に!かつまた熱く!「島原の将来」を考え、行動しなければ!!

立場上できることはただ一つ。候補者の人となり、能力、経歴、政策(マニフェスト)などを、一人でも多くの市民の方々に、公平公正にお知らせするだけである。

唐突だが、両候補予定者の会見等での話を聞いていて感じることがある。それは「市政運営」=「経営」という表現を繰り返し使っていること。

さて、「経営」の話で言えば、松下電器の創業者である松下幸之助さんを外すわけにはいかない。何せ「経営の神様」なのである。

生前、お元気だった頃の「神様」の口癖は、「社員一人ひとりが〃社長〃になったつもりで働きなさい」ということだった、という(PHP出版物より)。

その伝でいけば、市民一人ひとりが「市長」になったつもりで「市政」の事を考える必要がある。なるほど、含蓄ある言葉だ。

ならば、「今、貴方が市長候補者ならば、市長として何をしたいのか」を考えることは、決して「のり」を超えた行為ではない。

否、そうした「声」を的確に吸い上げて「施策」に反映することが、首長の仕事である。予算の〃バラ撒き〃であってはならないし、各種事業には歴史的な視点でもって〃優先順位〃を付ける必要もあろう。

ただし、大概の市民は政治・行政の〃素人〃である。通常の役人や議員の感覚で言ったら、とんでもない〃暴論〃が含まれていても不思議ではない。

要は、そうした玉石混交(ぎょくせきこんこう)のアイデアの中から、何かしらのヒント(情報)を嗅ぎ取る能力が為政者には求められるのである。

行数も少なくなってきたので、そろそろ本題に入ろう。「もし、私が市長なら、市政をこうしたい!!」という論文を本コーナー宛にお寄せいただきたい。

ジャンル不問。ただし、誹謗中傷型はお断り。建設的なご提案をお待ちしています!!


2008/09/12

カタログ本を利活用!!…雑誌から鼻毛カッターまで

‐(株)ケーブルテレビジョン原専務 清水眞守‐

〃通販生活〃なるものが段々と世間に幅をきかせてきている。百貨店系のカタログ本などは、厚み十分の豪華装丁で、うたた寝の枕にするには丁度よい。

結婚式などの〃お返し〃も、最近ではカタログ注文が主流のようだ。確かに、お盆やお皿などの〃固定〃系と違って、選ぶ楽しさを味わうことができる。

我が家にも今月に入って、その種のカタログ本が相次ぎ送られてきた。ワクワク、ドキドキでページをめくりながらの品定め。それだけでも楽しい。

第一弾は月刊「文藝春秋」の3か月分に決めた。同誌は一冊790円だから、送料込みで約3千円か。なるほど良い線だ。これで年内は買い忘れなし、と。

次いで申し込んだのが「鼻毛カッター」。発注後、わずか数日間で送られてきたことに、まず感激した。

梱包を開けてみると、「ナショナル」製ではないか。古い表現で言えば、「メーカー品」だ。はて、どれくらいするのかと想像してみたが、やはり〃3千円〃が妥当なところだろう。

だが待てよ。「ナショナル」だからと言って、安心するのはまだ早い。何せ、同社の製品は火を吹いて、リコールされているニュースがよく流れているぞ。

いやいや、心配ご無用。電源はコンセント(百ボルト)ではなく、単三のアルカリ電池一個ではないか。これでヤケドすることはまずあるまい。

黒を基調とした商品箱の表面には、「60度鋭角内刃で、毛を引っ張らずにカット」とのもっともらしい能書き。中には、犬のウンコのような形状の商品が入っていた。

備え付けの乾電池をセットして、スイッチを入れる。丸みを帯びた尖塔部を恐る恐る鼻孔へ突っ込むと、「ウィーン」というモーター音とともに、「ジリッ、ジリッ」というカット音。

スイッチを切った後、目の前にティッシュを広げて〃戦果〃のほどを見極めようとするが、なかなか確認できない。外蓋を開けて、ようやく見えた数㍉サイズの切断片。

ただ、やっぱり、親指と人差し指の間に挟んで、「エイ!!」と抜き取るいつもの〃大物〃とは存在感がまるで違った。

それにしても、頭髪ばかりでなく、最近は鼻毛にも白いものが目立つようになってきた。「敬老の日」も近いが、「老い」とは何とも寂しいものだ。

さて、いよいよ最後の商品紹介に移る。三度目は無難にショルダーバックを選んだ。写真と実物とでは幾分か〃落差〃があるかも知れないが、一目見て気に入った商品だ。

番外編だが、昨夜、茶の間で鼻毛を抜いていたら、塾帰りの三男が血相を変えて飛び込んできた。「お父さん、僕が財布を狙っていたのに…」。

オイ、オイ君、何でも「先んずれば人を制す」だよ。


2008/09/11

大胆にして且つ細心…駆け引きなしの本音勝負!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

弊社生番組『ターニングポイント』に出演して下さった前国見町長の渡辺秀孝さん(78)について、前回は〃快男児〃と書いたが、今回は〃巧言令色、鮮(すくな)し仁〃と対極にある人物、との思いを改めて強めた。

甚だ失礼な言い方だが、放送での喋りは決して上手くはない。伝えねば、という〃情熱〃が先にほとばしり過ぎて、たびたび脱線してしまうのだ。さらに筆者の進行の拙さが、それに拍車をかけてしまった。申し訳ない…。

それにしても、である。実際に対面して見て、これほどに味わい深い人物は稀である。その魅力はインタビューなどといった肩肘張った形式では、絶対に引き出せないことが、良く解かった。

〃真骨頂〃は番組終了後、酒場で行った〃反省会〃で徐々にベールを脱ぎ始めた。とにかく面白い。と言うよりも〃痛快〃極まりない、のだ。

その〃人柄〃を知っている人なら等しく感じているだろうが、渡辺さんは決して〃駆け引き〃をしない人だ。その分〃損〃したことも度々あったはずだろうが、引きずっている様子は微塵もない。絶えず〃恬淡〃とした表情だ。

教師生活のスタートであった山田村立第一小学校(吾妻・大塚小)以来、一貫して探し求めた教育の真髄。時にユーモアを交えながら、数々のエピソードを〃北目弁〃で訥々と語る口調には衒いも何もない。今風に言うなら〃まんま〃の先生がそこにいる。

昭和30年春。絵に描いたような〃熱血教師〃が当時の湯江中学校(有明)に登場した。「君たちを鍛える腕はここにあり!!」。シャツの右袖を捲り上げての一瞬の〃パフォーマンス〃に、校長も生徒たちも、ただただア然。

赴任早々、持ち前の〃腕力〃と〃迫力〃で、脇道に逸れつつあった悪童どもを一網打尽。同時に〃説諭〃の努力を惜しまなかった。その中から、スポーツの名選手や秀才も数多く生まれた、という。

「教育で一番大切なのは人間愛(強さ)と慈悲愛(やさしさ)。逆に、子供たちから教わることも多かった」と、目を細める姿は〃好々爺〃そのもの。

一方で、最近の教育については「徳育が疎かになっているのでは…」と警鐘を鳴らす。勿論、それには〃持論〃が伴う。

「道徳の時間だけで涵養できるものではない。教育する側からすると、知育ばかりに力を入れれば、人間ではなく〃機械〃となる。体力至上主義も〃獣〃を作り出すだけ」となかなかに手厳しい。

別れ際、「そうそう番組の中で言い忘れていた」と正した上で、講道館創設者として名高い嘉納治五郎が遺した次の二つの言葉を引いた - 「自他共栄」と「精力善用」。

最後にこう補足した。「これはスポーツ界だけの教えではありません」と。


2008/09/08

大切なのは「志」だ!!…歴史は観る角度で異なる

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

読書の秋。五百ページ近い、佐野眞一さん著の『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)をついに読み終えた。ちょっと手にしただけでも、ズシリとした〃重み〃を感じる大作だけに、ある種〃達成感〃にひたっている。

感想を述べれば、佐野さんにしても、鎌田慧さんにしても、どうしてこうも筆が立つのだろうか、とホトホト感心してしまう。お二人とも宮崎康平さんと同じ早稲田文学部の出身だ。

実を言うと、鎌田さんから以前に送って頂いていた『大杉栄 自由への疾走』(岩波書店)という作品をまだ読了していない。この際、現在のルポルタージュ界の両巨頭の〃歴史観〃の違いを確認するチャンスでもある。今宵早速!!

佐野さんの作品に、千々石出身の「橘中佐」の名前が出てくることは以前本欄でも紹介したが、世間一般では「大杉殺しの首謀者」と目されていた主人公・甘粕大尉(後に満映理事長)の長男が昭和45年当時、長崎に勤務していたこと、またその母(甘粕夫人)がこの地で終焉を迎えた「史実」そのものが大変な驚きだった。

正直なところ、大東亜戦争を挟む「昭和史」そのものに、これまでさほどの関心を抱いたことはない。甘粕大尉のことも、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』の中で坂本龍一が〃暗め〃に演じたことくらいしか印象がなかった。

最近になって特に感じることは「歴史は観る角度によって大きく異なる」ということ。もっと平たく言えば、「正義」にもなり得るし、「悪」にもなり得る。至極単純な結論だ。

ただ、ここで忘れてならないのは「志」の問題であろう。手法はどうであれ、「(社会全般&将来に対して)良かれ」と思って取り組むことと、「我が身可愛さに固執すること」とは、まったくの別物である。

後の歴史はその「真贋」を必ず検証する。否、それを怠るような社会は、もうその時点ですでに「死に体」であって、「存在価値」などあろうはずがない。そうした「視点」で世の中の動きも眺めていけば、また違った「感慨」も生まれてこよう、というものだ。

昨夜、日テレの放送で、全国の高校生を対象とした「クイズ番組」をやっていた。勝ち残っていたのは、誰もがその存在を知っている超有名校ぞろい。凡人の頭脳ではとても及びもつかないような難問の続出だったが、それは、それは見事な「正答率」であった。

その「得意満面」の表情を見るにつけ、ひょっとして、何かしら「危ういもの」を感じ取った方も多かったのではなかろうか…。確かに、国力を維持・発展させていく上で「明晰な頭脳」は必要不可欠なもの。

ただし、それだけでは「不十分」である。お笑い系のタレント連中が正解の度ごとに「お追従」を送る構図に、「旧満州国の幻影を垣間見てしまった」というのはチト言い過ぎか。


2008/09/06

今日はダメな一日!!…南目では〃甘め〃が売れる

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何をやってもダメ、という日がある。さしずめ今日は〃そんな日〃。こういう時は〃休む〃に限るのだが、FMの番組を聴いていたら、ゴクさんが「休んだら、調子が狂いますよ」と、妙に説得力のある口調で語りかけてきた。

で、こうやって渋々パソコンに向かっているわけだが、なかなかテーマが浮かんでこない。市長選の話はまだ早すぎるし、自虐ネタも、もう飽きた。

パラパラと新聞をめくってみるが、どれも気乗りがしない。体調でも悪いのか?ひょっとしたら、夏なのか、秋なのか、ハッキリしない気候のせいかも知れない。いつも思うのだが、この季節「ホット」を飲むか、それとも「アイス」にするかで迷ってしまう。

たいがいの自販機はまだ「アイス」ばかりだ。ところが、少々冷え込んだりしている明け方などには「ホット」の方が恋しい。仕方がないので、コンビニまで出かける。

ある大手飲料メーカーの人が言っていた。同じ島原半島でも、地域によって「売れ筋商品」が異なる、と。端的な事例が、南目では「甘めのコーヒー」が良く売れるのだそうだ。

我が社の玄関口に置かれている自販機で一番売れている商品は、はて何?小生が買うのは主に日本茶だが、若手の社員などは、得体の知れない原色のボトルを抱えてきている。

そうそう、自民党の総裁選で思い出した。お茶の「伊藤園」はそれまで小さな会社だったものが、小淵恵三さんが総理になった途端に急成長した、とか!?清涼飲料水としての「お茶」がいつ頃からビジネスマターになったのか知る由もないが、誰が考えても「儲かる商売」には違いない。

昔は「駅弁」を買った時に、売り子さんが半透明のビニール容器に熱湯を注いでくれていた(パックは別渡し)。ある意味、それは〃旅の風情〃の一種でもあった。

ところが、最近は全くもって様変わりだ。缶か、ペットボトルかの違いがあるだけで、極めて機械的に代金と交換される。まあ、合理的と言うか、世知辛いと言うべきか…。

そもそも「お茶」とは一体?日本にその飲み方(煎茶)を持ち込んだのは黄檗宗の隠元禅師と言われているが、余りに日常的になり過ぎて、考えたことなどない人が大半だろう。

勿論、筆者もない。薬効についても全く知らない。ただ、この前、桜町の通りを歩いていたら、一中前校長の大隅謙一郎先生(図書館長)が「入れる」と「淹れる」の違いについてメモ書きを下さった。

「奄」には「おおう」という本来の意味がある。つまり、「淹」とは、「浸す」「漬ける」という行為だ、と。難しすぎて良く解からないが、湯ざましなどをしながら丁寧に立てることを「淹れる」と言うのだろう。

ちなみに、今日のような書き方を、世間一般では「お茶を濁す」という。


2008/09/05

吉岡市長が不出馬宣言…ジオパーク認定に道筋を!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

4日、島原市の吉岡庭二郎市長が「5選不出馬」を正式に表明した。まだ12月中旬までの任期は残っているものの、何はさて置いても「お疲れ様でした!!」である。

噴火災害の最中で行われた平成4年の市長選は、史上稀に見る「大激戦」だった。今こうして、ある意味サバサバした表情で「退任の弁」を述べる姿を目の当たりにして、改めて「今昔の感」を禁じ得ない。

「吉岡助役出馬へ!!」をスクープしたのは、この小生だった。現職の「退陣表明」後の動きを追う中で、「知っていたのに記事にしなかった判断」の甘さを、某全国紙の支局長に揶揄(やゆ)されたことへの「意趣返し」でもあった。

あれからもう16年の歳月が流れたのか…。事実上の「一騎打ち」だった相手候補は昨年、志半ばで鬼籍に入られた。様々な思いが交錯する中で、やはり印象深いのは、選挙戦終盤時点での両陣営のフィーバーぶりだ。

相手候補には、後に総理(79代)となる肥後の殿様、細川護熙・日本新党々主(元熊本県知事)が応援に駆け付け、テレビキャスターから政治家に転身した小池百合子参院議員(後に衆院議員)が花を添えた。

一方の吉岡陣営には、自民党のお歴々に加えて、スポーツ平和党の参議院議員でもあったアントニオ猪木氏が登場。大手広場から広馬場交差点まで賑やかに「街宣パレード」を繰り広げ、支持を訴えた。

結果は、接戦の末の吉岡氏の勝利。後に二人は平成16年の選挙戦でも相まみえることになるのだが、軍配は再び吉岡候補に。

吉岡市政16年間の功罪を問うには、まだ些かの時間を要するだろうが、未曾有の噴火災害から本格復興への道筋を付けたという意味では、その手堅い行政手腕は存分に評価されてしかるべきだ、と思う。

まだ、長崎県農林部の職員だった頃の吉岡さんの酒席での「十八番」(おはこ)は、刺身のつまの海草を額に垂らしての「ゴルバチョフ」(ソ連邦最初で最後の大統領)だった。

吉岡市政の手法が、ゴルバチョフばりの「改革路線」だったかどうかは後の検証を待つとして、市民誰からも「市長さーん」と声が掛かる「飾らない人柄」は、人々の間でも末永く語り継がれることだろう。

だが、ご本人もおっしゃっているように、まだまだ「12月までの任期」が残っている。この間の最大の政治テーマは「ジオパーク認定」だという。

「正式表明」こそまだ行われていないが、すでに11月末の次期市長選に向けて、「新人同士」の事実上の選挙戦も始まっているようだ。

果たして、誰が次の市政の舵取り役となるのか?まったくもって予断を許さない情勢だが、歴史の名に恥じない、活気に満ちた「古里づくり」を、着実&果敢に実践できる人物であってほしい。


2008/09/04

「リトル長崎」はいかが?…諫早・江山楼が先月末で閉店

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

五月雨式に帰郷していた我が家の〃お客様〃連中も、1日の長男を最後にそれぞれの生活へと旅立って行った。月末の日曜日に出発したのは、次男坊。諫早駅まで送って行ったのだが、ちょうど昼時だったので本明川沿いの「江山楼」に立ち寄ることにした。

定番のチャンポンを食した後、待合室でタバコをふかしていたら、「これから京都へ向かう」という安養寺住職の菊地文喬さんとバッタリ。「おやおや、清水君も〃最後のチャンポン〃狙いかい?」と笑いながら近づいて来られたのだが、最初のうちは〃事情〃が呑み込めなかった。

しばらく会話を交わしているうちに解かったことは、同店が8月いっぱいで閉店し、この秋に新装オープンする長崎市茂里町の「ココウォーク」内に移転する、という計画だった。

エッ、だったら、本日は「ラストエンペラー」ならぬ「ラストチャンポン」の日ではないか、と妙な感慨に耽ってしまった。こういうのを「シンクロニシティ」と言うのだろうか、その晩に「ヒストリーチャンネル」を観ていたら、「東京裁判」の記録映画のようなものを放映していた。

そこに東条英機らとともにソ連側の証人として登場していたのが、満州国最後の皇帝、ラストエンペラーこと「愛新覚羅溥儀」。戦前の昭和史の中で特異な地位を占める「満州国」だが、その存立期間は僅かに13年間。「五族共和」の名のもとに放った光芒の影は余りにも鮮烈だ。

まだ読みかけの『甘粕正彦 乱心の曠野』の書き出しの中で、作者の佐野眞一さんは「戦後の高度経済成長とは、失われた満州を官民一体となって国内に取り戻す壮大なゲームだった」と断じている。

柄でもないので、そのような小難しい話はさて置くとして、諫早「江山楼」の歴史は「満州国」の2倍強に相当する28年間だった、という。

まだ他県に居た当時、故郷に舞い戻って食べた「江山楼チャンポン」の味は格別だった。それが長崎だったか、諫早だったかはすっかり忘れてしまったが、「感謝デー」とやらで一杯・百円だったことを今でも良く覚えている。

今でこそ「リンガーハット」の普及で〃落差〃は少なくなってきたが、以前は九州以外で出される「チャンポン」の味は本当にひどかった。場所によっては、五目麺に片栗粉をかけたものが堂々と出されていたくらいだ。

しばらくして島原に住むようになり「島原チャンポン」の美味しさにも出合えた。幸せである。ただ、最近は「小浜チャンポン」の勢いに押され気味である点が些か気がかりだ。

きょう4日から定例9月市議会が始まる。現職の吉岡市長の動向に注目が集まるが、次の市長さんには外港地区への「リトル長崎」の誘致を是非提案したいものだ。


2008/09/03

夢は特攻隊員だった…原爆がその後の人生を変える

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

まさに〃快男児〃である。昨夜、弊社の生放送番組のゲストにお迎えして、改めてその思いを強めた。

前国見町長、渡辺秀孝さん。昭和5年7月9日生まれ。「全部〃奇数〃でしょうが。私しゃ〃偶数〃は好かんと」と言いながらも、その生き様は生半可な〃割り切り方〃ではない。

取材を通じて、「長崎原爆」に遭遇されたことを初めて知った。「ピカッ、ドン」。一瞬の閃光と爆音への咄嗟の反応が命を救った。

悪ガキだった幼年期~少年時代。両親をはじめ家族の愛情に育まれて、スクスクと成長。将来の夢は〃軍人〃。予科練を経て、〃特攻隊員〃になるつもりだった。

父の勧めで長崎師範に進学。この時点でまだ教師になる気持ちは薄く、「いずれは予科練へ」という夢を描き続けていた。

生来の運動神経と磊落な性格そのままに、師範進学後も「体練」「教練」等で一目置かれる存在に。しかし、「原爆」がその後の人生を一変した。

被爆直後の3日間、負傷した学友を戸板に乗せて長与まで運んだ。この時、人間の頭部がやたらと重たいことを実感する。帰郷後、吐き気や脱毛等の原爆症特有の〃症状〃が出始めたが、母の懸命な看病で奇跡的に持ち直す。

約2カ月後に復学。とは言っても母校の校舎(長崎)ではなく、大村工廠跡での仮住まい授業。そこで体躯の良さを見込まれ相撲部入り。

当時15歳(今の中学3年生)。5歳も年上の本科生がとてつもない〃大人〃に見えたが、稽古を積んで対等に渡り合う。

顔見知りの島中出身者の誘いでラグビーの試合に飛び入り参加。詳しいルールは知らなかったが、「ボールを持ったら、とにかく真っ直ぐ走れ」の指示通り、ゴールへ向けて突進!!

持ち前の脚力と、相撲で鍛えた腕(かいな)力で向かうところ敵なし。「ぶちかまし一発で相手は軽く吹っ飛んだ。タックルのされようもなかった」と。

ただ、憧れの〃特攻隊員〃になれなかった心の空洞は、スポーツだけでは埋めようがなかった。焦土から響いてくるブルドーザー(別名・土手こすり)の槌音を聞きながら、いつしか〃土建業〃への夢も芽生え始めていた。

つい、そんな思いを口にした途端に、一族を挙げての猛反対。おとなしく奉職した先が、当時の山田村立第一小学校(現在の吾妻・大塚小学校)。

クラスに二名の知能障害児がいた。教壇のまん前に座らせて一桁の足し算を根気良く教えた。

最初は自分の指に頼るしかなかった二人が、椅子→机上の年輪などと、次々と活用していく様子を見て「考える力」の尊さを学ぶ。教師になって良かった、と思った瞬間だった。

《追伸》渡辺さんには次週(9月8日)も番組に登場していただきます。