2008/01/24

仕事より健康だよ!! - どこか狂っている現代社会 -

廊下のガラス戸越しに、サボテンの鉢植が小さな蕾を付けているのを見つけた。夏の盛り、無造作に水をかけていただけなのに、なんて律儀な奴だろう。

寒さのせいか、寄る年波か知らないが、このところ親しい人が立て続けに病床に伏したり、亡くなったりしている。これもまた、人間として逃れがたい〃宿命〃ではあろうが、何とも形容し難い心境だ。

そうしたこともあって小生も昨日、久方ぶりに大腸の検査を受けた。前日の段階から食事の量をセーブし、早朝5時半に起床。家人の手助けを得て、2リットルの液状下剤を約2時間かけて飲み干した。

検査は予定通り、午前10時から粛々と始まった。事前の問診で血圧を測ること3回。「おかしいですね、最低血圧が異常に高いですね」。看護婦さんの冷静な口調が、かえって小心をビクつかせる。

それでも必死に平静さを装いつつ検査室に入った。控えていたのは若い医師と看護婦スタッフが2名。お尻の部分がパックリと割れた紙パンツの上に検査着を羽織って、いざ診察台へ。

「ハーイ、力を抜いて下さい」。ゼリーを塗られた肛門に、最新医療の内臓カメラが潜り込む。もう恥ずかしさは消えた。

朦朧(もうろう)としながら、恐る恐るモニター画面を覗き込むこと約半時間。途中、カメラが留まって一瞬ドキッとする場面もあったが、さしたる病巣は確認できなかった。

思うに、人間の体は実に良く出来ている。一連の不祥事から立ち上がった船場吉兆の新社長は、先の記者会見の中で「マイクが『精巧』であったことに気付かなかった…」と言い訳をしていたが、人体とはその度合いが違う。

加えて、人間には「心」「精神」といった何物にも勝る「ソフトウエア」がもれなくハメ込まれている。が、それは時として組み合わせを変える。

かつては考えられなかった親殺し、子殺し。年間3万人を超える自殺者。残忍非道な犯罪や事故を引き起こしながらも、なおその正当性を主張する当事者や弁護人…。

おかしい。どこか狂っている、としか言いようがない世の中が今、この現代だ。政治が悪い。教育が悪い…。それも確かにそうだが、そうした社会を作ってしまったのは、他ならぬ現代の我々である。

ならば、社会を挙げて、人間本来の正しい軌道に戻らねばならない。時間はかかるだろうが、一つひとつ地道に取り組んでいくしか方法はない。

健全なる精神は、健全なる肉体に宿る - 。何はともあれ健康だ。病院に行ってみて改めて感じることは、病気やケガをしている人の数がいかに多いか、ということだ。

以前、ある先輩記者が言った。「清水君、原稿(仕事)より健康だよ」。今、改めてその意味を噛み締めている。


2008/01/22

オロロンバイの語源 - 熊本の藤本さんが解明!! -

先週末、どうしても外せない私用(半分は仕事)が重なって本欄の執筆を休んでいる間に、心暖まるお便りを2通いただいた。いずれも「オロロンバイ」の語源に関する話だ。

1つは口之津に住む高校時代の同級生S君(医師)からのメール。同君は「オロロンバイ」の話題を取り上げた拙文に目を通してくれたようで、「『オロロン』はアルメニア語では『子守唄』ではなく『ゆりかご』である」と教えてくれた。

出典は、NHK元会長の坂本朝一さんが著した『放送よもやま話』(文春文庫)を取り上げたブログの一節だという。S君、貴重な情報ありがとう。

もう1つの情報がすごかった。恐らく、この問題(?)に関する答えは、これではじき出されたのではないか、と思ってワクワクしている。

大判の封筒に入った書簡を下さったのは、深江町在住の女性Tさん。上質の和紙の便箋に書かれた達筆の手紙とともに同封されていたのは、Tさん宛に投函された私信の写し。

そこに答えがあった。差出人はTさんの弟で、熊本市在住の藤本憲信(けんしん)さん(73)。以下、その内容を抜粋しながら、論を進めることにする。

〈子守唄の共通語はネンネン コロリヨ オコロリヨですね。このオコロリヨに、私は注目しました。これを九州で取り入れると、オコロリバイ、となるはずです〉

〈オコロリバイの『リ』は『ン』に変わり易いのです。ブラリブラリ→ブランブラン、ソロリソロリ→ソロンソロン…などといった具合に。そうして、オコロリバイ→オコロンバイとなります〉

〈さらにオコロンバイの『コ』は、『ロ』に引かれて、オロロンバイに変化します。つまり、オロロンバイの語源は(分かりにくいのですが)、実はオコロリヨだったのです〉

〈『バイ』は共通語の『~よ』に当たります。例えば、『行くバイ』の意味が『行くよ』といった具合に。私の説は、絶対に間違いないものと確信します!!〉

実は、藤本さんは知る人ぞ知る「方言研究」の大家で、三省堂から『全国方言小辞典』(本年末に出版予定)の執筆依頼が寄せられるほどだ。

ちなみに、その著作は熊本大学、九州大学の論文集は言うに及ばず、アメリカのハーバード大学図書館にも収められているというからスゴイ!!

なお、昨年は「第29回熊本県民文芸賞」の「評論・ノンフィクション」の部門で一席に輝いている。作品名は、石牟礼道子『おえん遊行』論 - 精霊の飛翔と神々の座 - 。

藤本さんは、「コ」から「ロ」へ変化する現象を、「同化作用」(アッシミレーション)という専門用語を使って分析。「思いつきでなく、音声変化の上から合理的に説明し得たもの」と解説して下さった。以上。


2008/01/18

阪神大災害から13年 - 川上さんの〃芥川賞〃を喜ぶ -

「あー、お母はん、芥川賞とったでー」。起きぬけに何げなくテレビをつけたら、タレントのような若い女性が電話で話している映像が飛び込んできた。

第百三十八回芥川賞を受賞した川上未映子さん(31)である。報道によれば、26歳で歌手デビュー。芥川賞も応募二作目での受賞というからスゴイ!!

最近の若者は〃二極化〃が進んでいると言われるが、本当に優秀で才能のある人間はスイスイと世に出て、富も名声も手にしているようだ。

勝手な思い込みかも知れないが、昔の日本人は〃苦節何(十)年〃というのが大好きだった。ことに「難関中の難関」と言われる司法試験に挑む青春群像は、映画等に取り上げられることも度々だった。

この手の話で最近、妙に存在感を発揮しているのが、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の中で吉岡秀隆演じる、しがない小説家役の茶川竜之介。自身がしがない文学部出身であるが故に、ついつい〃感情移入〃してしまう。

そんなことより、今日1月17日は「阪神大震災」が起きた日だ。そうか、あれからもう13年の歳月が流れたのか…。

先般、Jリーガー大久保嘉人選手と莉瑛さんの結婚披露宴に出席した話を書いたが、久しぶりに訪れた神戸の街中で〃災害の記憶〃を見つけることはもう難しくなっていた。

「災害は忘れた頃にやってくる」とは漱石門下で科学者でもあった寺田寅彦の至言であるが、まさにその通り。と言うより、当時の神戸の人々はよもや自分たちの所で大地震が起きるなどと想った人は恐らく一人もいなかっただろう。

ただ、科学的な根拠はないが、神戸の災害の前に「八戸」(青森県)、「水戸」(茨城県)と「戸」の付く地名で〃予兆〃とも思える地震が事前に発生していた、というまことしやかな話もある。

昨今の経済情勢で言えば、我が国では「東京の独り勝ち」らしい。それはそれで「首都」である以上、結構なこと。ただし、それは人体で例えた場合、「心臓部分が元気」なだけの話である。

普賢岳噴火災害に感じたことは、いかに東京が地方をないがしろにしているか、という忸怩たる思いだった。西の最果ての、さらに半島という末端部に起きた自然災害に当初、中央の人間は冷淡であった。

今でも忘れないが、芥川賞作家の林真理子が週刊文春のコラムで、塗炭の苦しみを味わっている我が郷土の人々の表情を〃都会的な切り口〃で論評していたことを、実に腹立たしく読んだ。忘れない!!

川上さんがどんな人柄か知らないが、林真理子より断然美形だし、少なくとも被災地の近く(大阪)で育っている以上、少しはその苦しみも、理不尽さも分かっていることだろう。その意味でも、今回の受賞は嬉しいのである。


2008/01/17

古人の花見は〃梅の花〃 - 中華料理に梅がない理由は? -

先日、島原市の成人式の終了後に戸外で煙草を吸っていたら、金子副市長が何やら困ったような顔つきで近付いてこられた。

「あのー、この前のコラムに『島原市の木』を『ウメ』とされていたでしょう。正しくは、合併後に『クスノキ』と改まっておりますので、そこのところヨロシク」とのお達し。

いやー、小生もウッカリしていたものだ。金子副市長さん、いや旧有明町の皆様、本当にスミマセンでした。

合併前、「有明町の木」であったクスノキは、「樟脳」の材料である。いわゆる「害虫除け」として重宝されているはずだ。

ところで、16日付の本紙を読んでいたら、島原城のウメが例年より1週間も早くほころび始めている、という。今日はそのウメにまつわる話を一つ。

今でこそ「花見」と言えば「サクラ」を指すが、古の昔は「ウメ」がその主役だった、という話を聞いたことがある。

その説に従うとすれば、古人はこの正月明けのまだ寒の厳しい中で「花見」を楽しんでいたのである。なぜか?

ウメには梅干に代表されるように「解毒」作用があると言われている。したがって、一年の初めに梅花の下に身を置くことで、人々は身体に巣食う「邪気」その他のお払いをしていた、というわけだ。

これまた聞いた話だが、「ウメには毒があるということで、中国人は決して食しない」とも。本当だろうか?

でも、そう言えば、サルの脳味噌から熊の手、果てはヘビまで食材になってしまう「中華料理」の中に、これまでウメの姿を見かけたことがない。

このあたりは「確信」が持てないので、どなたかご存知の方があれば、是非ともご教授いただきたい、と思う。

またまた本日も、「クスノキ」の話から「中華料理」まで飛び回ってしまう相変わらずの節操のなさだが、仮に小生の論旨が本当であれば、これは実に面白い話ではないか。

何でもかんでも「ダジャレ」で括ってしまう性向は決して褒めたことではない。ただ、ウメが咲き、サクラが咲き、そしてツツジが咲き…といった具合に漫然と時をやり過ごすよりは遥かにマシだ。

その伝でいくと、先に「オロロンバイ」の産品開発の話を書かせていただいたが、大切なのは、何でも面白がることだ。シタリ顔して「フン!!」と顔を背けたところで、何かしら新しいものが生まれるだろうか。甚だ疑問である。

まあ、いずれにせよ「ウメ」にしても「クスノキ」にしても、その効用は「害物」(阻害要因)を取り除くところにある。では、島原市にとっての「害物」とは一体何だろうか?

少し考えただけでもすぐに浮かんでくるが、差し障りがあるので、今日のところは止めておく。


2008/01/16

オダギリ夫人は教え子 - 平穏に暮らせ、我が〃愛息子〃 -

だから分って ほしいのと そっとからんだ 白い指〉 - 。森進一が唄って大ヒットした「年上の女」の誕生は昭和43年。

綾小路きみまろに倣えば、「あれから40年…。今や世の中は空前の〃年下ブーム〃」である。

最近の芸能ニュースで言えば、女性に絶大な人気を誇っている俳優、オダギリジョー(31)のお相手は、20歳のモデル嬢。その差11歳。

ちなみに、「結婚できない男」(テレビ番組)で人気を博した「アベちゃん」こと阿部寛(43)の結婚相手も15歳下。

さらにその上をいくのが、山本文郎アナウンサー(73)の再婚相手で、ナント30歳も年下だとか。「僕も先が長くないけど」がプロポーズの言葉だったとは泣かせる。

実は、オダギリ夫人となった香椎由宇(かしい・ゆう)というモデル嬢は、米国人の祖父を持つクオーターで、小学校の6年間をシンガポールで暮らしていた、という(朝日新聞社「アエラ」14日号)。

ちょっと待て!!今が20歳でシンガポールで小学時代を過ごしたということであれば、もし日本人学校なら義妹Nちゃんの〃教え子〃ではないか?

人後に落ちないミーハーの小生は早速、伊豆大島に居るNちゃんに電話を入れた。「ひょっとしてアタンの〃教え子〃じゃなかと?」。

興奮気味に畳み掛ける小生に「その娘は何と言う名前?」。「香椎なんとかばい、確か…」。「ああーそれなら、1年目の教え子ね。混血の子やろ、可愛かったもん」。

コンビニが1軒もないような〃離島暮らし〃がすっかり身に付いているのか、芸能ネタにもいたって冷静な受け答えだった。

そのやり取りを傍らで聞いていた家人が横やりを入れてきた。「そんモデルさんな、何に出よらすと?」。「ポンズのCMに出よっとん、知らんとー」。

「へー、ミツカンぽん酢にやー」。「違う、違う!!化粧品のCMのありよるやろもん。美白効果がどうのこうのて言いよるやろが、あの娘たい」。

 確かに、妹の教え子がタレントになろうが、誰と結婚しようが、自分達の生活にとっては「そんなの関係ねー」である。

ただ、当時、岳父ともども正月休みで訪ねた彼の地の日本人学校に学んでいた〃娘っ子〃が、一躍世間の注目を集めるようになっていることに単純に驚いたのである。

その時、同行した長男もはや20歳。今年が成人式であった。世間の注目を集めることもなく、大人の世界に一歩足を踏み込んだ、市井人中の市井人。

果たしてこの先、どのような人生を歩むのか。有名には成らなくて良いから、冬場にはみんなで鍋料理を囲めるような家庭を築いてほしい。その際の味付けは〃ぽん酢〃でよろしい!!


2008/01/15

〃花嫁の伯父〃は大物!! - 物静かな紳士だった三木谷氏 -

(夜の行状告白は省略)。5日午前8時半すぎ。前夜、あれほどまでに意気軒昂だった〃花嫁の伯父〃の姿がバスの出発時刻になっても見えない。

「どっか行き倒れちゃおらんじゃろかい」「よもや暴力団に…」「そがん言えば、面つきの悪かもん」「いんにゃ、あれにゃ誰でん避けて通るばない」 - 。

ざわつく車内の心配をよそに、伯父様は9時すぎに悠然と現れた。「なしー、出発は9時頃て言いよったろもん!!」。

時間は前後するが、小生は6時前に起床。6時半には隣室のT専務とM先生に声を掛けて、朝の散歩に連れ出した。

まず訪れたのは、昨夜、車窓から拝んだ「湊川神社」。〃電話魔〃のT専務は早速、愛用の携帯電話を取り出し、神様の前でも「おはよう。しっかりせんば!!」などといつもの口癖。

続いて、「多聞通り」を三宮方向に移動。「花隈公園」周辺を一巡して、一時間ほど歩いてホテルに帰った。途中、M先生が深夜に訪ねたという牛丼の「吉野家」を見つけた。

ホテルから出発後、10分足らずでスタジアムに到着。グランドではほどなく、約80人が参加しての記念の祝賀試合が始まり、遠目に三木谷オーナーの雄姿が確認できた。

誰かが話していたが、この施設の整備費は、土地代が2百億円、建設費が3百億円で、〆て5百億円。しかも「ヴィッセル神戸」というチーム自体が、三木谷浩史個人のチームだというから驚きだ。

経済人としての〃素顔〃は知る由もないが、この日の三木谷さんは、とても物静かな紳士だった。記念写真を所望する人間は後を経たなかったが、少しも嫌な表情を浮かべることなくカメラに収まっていた。

〃島原組〃も「是非この機会に!!」と次々と要望を満たしていたが、カメラマンとしての小生はいささか気後れしたのも事実。それにしても41歳の若さで従業員6千人。やっぱり偉くなる人は違う!!

料理は和洋折衷のフルコース。最初のうちは緊張していた面々も酒が入るにつれてリラックス。そのうち島原地酒の「網元」(萬勝製)が出だすと、皆さん絶好調状態に。

かくして宴席は4時間以上も続いたのであるが、ご両親ともども参加した三木谷オーナーは、終始笑顔を絶やすことなく、お開きまで務め上げた。

一番印象的だったのは、最後に見せた〃花嫁の両親〃の涙。いつもながら、このシーンは感動的である。殊にサッカーの指導に当たっている父君の恐ろしさを知っているだけに…。

再々登場する伯父様は「三木谷オーナーがハイヤーを2時間も待たせていた」と驚いていたが、小生に言わせると、「バスの乗客50人を30分以上も待たせたアタンの方が〃絶対量〃で、まーだ凄かばない」。やっぱ、S兄ちゃんな、大物!!

‐おわり‐


2008/01/12

メタボの維持も大変!! - M先生には叶わないけど… -

1月4日、まだ明けやらぬ朝ぼらけの中を、集合場所の林田観光バス(杉谷・本町)に向かった。翌日午後1時半から神戸市で催される、Jリーガー大久保嘉人君と莉瑛さん(旧姓・林田)の結婚披露宴に出席するためだ。

予定より少し早めに着いたが、すでにバス(2台)の出発準備は整っていた。席割表を確認したら、大半が普段から親しくしていただいている方々ばかりだったので安心した。

主役の一人でもある〃花嫁の父〃の甲斐々々しいまでの働きぶりに、まず感心。予定の時刻を少し過ぎてバスは動き出した。二人の前途を祝福するかのような〃朝日の輝き〃が印象的だった。

予定では、目的地であるJR神戸駅前のホテルに到着するのはその日の午後7時。単純に計算しても、乗車時間が12時間もかかる強行軍だったが、前日の同窓会の疲れも手伝って、車中では良く眠れた。

高速に入って2度目の休憩地は関門海峡の「めかりPA」。「トイレを済ませたら、すぐに出発しますから、早く戻って来て下さいね」と急かせる添乗員役の〃花嫁の父〃の言葉を無視して、タバコを一服。

言うことを聞いてすぐにバスに戻ろうとも思ったが、小腹が空いていたので、焼き立ての大判ウインナーを1本。「メタボを維持するのもなかなか大変…」と自嘲笑いが漏れた。

自席に戻ったら、お昼の弁当が配られていた。一瞬「どうしよう?」と迷ったが、お祝いの品なので、すべて残らずいただいた。こんどは、我ながら〃健啖家〃だ、と感心した。

再び睡眠。気付いたら、広島県の「宮島SA」。さすがにそこではトイレ休憩&タバコのみに留めた。乗車後は、すっかり眠気も覚めたので、兵庫県に入ったくらいから、持参した故・阿久悠さん(作詞家兼作家)の文庫本を開いた。

ご存知の通り、阿久さんは兵庫県淡路島の生まれだ。父親は宮崎県出身の警察官で、島内を転々としながら育った、という。

面白かったのは、阿久さんの母校は県立の洲本高校で、在学中に甲子園の選抜大会でスルスルと勝ち上がって、全国優勝を遂げている。競技こそ違え、何かしら〃因縁〃のようなものを感じた。

神戸市内に入ったあたりから急に道路が混みだしたが、予定よりは1時間近くも早く目的のホテルに着いた。道路を隔てた斜向かいには「湊川神社」の社殿が聳えていた。

夕食は二手に分かれて飲み放題のバイキング。小生はT建設専務、設計士のSさん、中学教諭のMさんのチームに所属してホテル内に留まった。

驚いたのはM先生の〃食欲〃。つい先ほど、高速のSAで蕎麦を食した後ばかりというのに、見事なまでの箸の進み具合。〃花嫁の伯父〃も相変わらず意気軒昂であった。

‐つづく‐


2008/01/11

オロロンは子守唄だって - バイにちなんだ産品開発を!! -

ウメーはー 咲いたかー サクーラは、まだかいな〉などと口ずさんでいたら、小涌園ロビーの白梅がすでに満開状態。従業員の人に聞くと、暖房の影響で一挙に花開いた、ということだ。

ところで、「島原市の木」も、「島原市の花」も、そろって梅(ウメ)である。音読みすると「ばい」。例えば「梅毒」(ばいどく)などといった具合に(ちと例えが悪過ぎるか…)。

昨年暮れ、東映で吉永小百合さん主演で映画化が決まっている宮崎康平さん夫人の宮崎和子さんと一緒に、小浜へ出かけた。

目的は、宅島建設社長、宅島壽雄さん(島原法人会会長)の肝煎りで進められている「島原半島の歌」(仮称)の創作に取り組んでいる、作曲家の中村泰士さんとの顔合わせのため。

橘湾が眼下に広がる素晴らしい眺めの中で交わされたお二人の会話の中で、面白いエピソードを伺ったので、この機会に少し披露しておこう。

康平先生と言えば、「島原の子守唄」の作者として誰も知らない人はいないくらい有名な方だが、「オロロンバイ」という囃子言葉の由来についての定説は、いまだ聞いたことがない。

実は、この「オロロンバイ」のフレーズを中村さんが作品の中で使いたい、ということで「お許しを得るべく」面会が実現したわけだが、当のご本人も「詳しくは知らない」という。

「但し」ということで漏れ聞いた話が、何とも面白かったのである。勿論、お許しは頂いていないが、めでたい「正月」の戯言ということで、どうぞ悪しからずご了承のほどを。

昔、NHKの会長に芸能畑出身の坂本朝一さんという人がいた。この方は康平先生の学生時代からの友人で、卒業後も交流が続いていた。

ある時、宮崎家に坂本会長から国際電話が入った。「いま東欧のアルメニアにいるのだが、パーティで貴君が作った『島原の子守唄』を歌ったら、現地の人が仰天した。訊くと、アルメニア語で『オロロン』とは子守唄の意味だそうだ」。

また別の機会に宮崎家を訪ねた韓国のテレビ局の取材クルーの話も面白い。「韓国の歌で『アリラン』というのがありますが、これも地名を指したりするようものではありません。何か『オロロンバイ』にも共通するようなものがあるでしょうか?」。

結論から言うと、この件についてハッキリした答えは、和子夫人をしても、いまだ見い出せてはいない。そこで提案!!

島原市の「木」や「花」が「梅」(ばい)であるのだから、いっそのこと「オロロン〃バイ〃」という新たな産品開発に取り組んだらどうだろうか?

ナニ、新年早々酔っ払ってんのか?あそっ、お呼びでないわけね。それでは皆さん、この辺りでバイバイ!!


2008/01/10

ほろ苦かった同窓会 - タダみたいな大リーグの税金 -

年が明けても相変わらず、飲む機会に溢れている。皮切りは10年ぶりの高校の同窓会だった。

〈赤い夕陽が 校舎をそめて ニレの木陰に 弾む声〉 - 。昨年、作曲家生活50周年を迎えた遠藤実さんの代表作の一つだ。

集まった面々は3人の恩師も含めて50人強。前回の130人から比べれば若干寂しい気もしたが、卒業以来30数年ぶりに邂逅(かいこう)できた顔ぶれもいて楽しかった。

個人的には、当時仄かな〃恋心〃を抱いていた女性も複数出席していたが、もうどうあがいても〃ババア〃の様相…。時の流れの何と残酷なことよ!!

会場の南有馬までは今年三月末で〃廃止〃の方針が固まっている島鉄・南目線を利用した(島原→原城前)。

車内には高級そうな一眼レフやデジカメなどを携えた素人カメラマンが、狭い座席間をせわしなく動き回りながら、しきりにシャッターを切っていた。中には親子連れと思しき人もいた。

車窓から眺める平成新山や有明海の景色はまた格別だった。恐らく、これから三月にかけては、さらにそうした乗客の数が増えていくことだろう。

小生も〃廃線〃を機関決定した同社の取締役会に出席していた一人なので、発言には気を付けないといけないが、残念であることだけは確かだ。

ここに至るまでに何らかの手は打てなかったものか…、との思いは今でも拭い切れないが、それが経営陣及び地元行政が下した〃結論〃であり、〃現実〃である以上、致し方がない。

帰途、列車に揺られながら、何の脈絡もないが、昨年11月半ばに宮崎市内で聴いた、ある講演のことを思い出した。

講師は福岡ソフトバンクホークス取締役の小林至氏。東大からロッテに入団したが、1勝もあげることなく退団した元プロ野球選手の話だ。

演題は「米メジャーリーグ球団の経営について」だった。同氏は、今後も日本のプロ野球から一流選手の流出は相次ぐ、と見ている。

何故か?それはメジャー球団はいずれも、経営的にとても安定しているからだ、という。

一時期は試合放棄が相次ぐなど〃経営危機〃が叫ばれていたメジャーリーグだったが、不死鳥のように蘇ったのは〃税制〃の恩恵だと知って驚いた。州によって異なるが、球場に課せられる固定資産税がナント〃年間数ドル〃の所がある、というのだ。

「地域の住民が愛して止まない〃社会資本〃には〃例外規定〃を設ける」というのが、彼の国の基本的な考え方だという。ナント粋な計らいではないか!!

我が国にもそうした〃公共思想〃がきちんと根付いているなら、島鉄問題もまた違った展開を辿ったに違いないのだが…。


2008/01/08

ゲット!!「うまくいく守」 - 平成20年は上々の滑り出し -

読者の皆様、平成20年のお正月は如何だったでしょうか?ゆっくりできましたか?遅ればせながら、小生にとっては、本日7日が仕事始めです。

てなわけで、新しい年がスタートした。幕開けは、佐賀県鹿島市の祐徳稲荷神社で迎えた。私生活では高3と中3の受験生2人を抱えている〃父親〃の身なので、まずは合格祈願の神頼み。

小涌園の大浴場で旧年中の垢を綺麗に洗い落とした後、家人と受験生2人を連れて参拝した。わがまま長男坊は「そんなの関係ねー」とばかりに家の中でゴロゴロしていた。

諫早湾干拓の堤防道路を通って、23時過ぎに到着。頃合いを見計らったように雪が舞った。本殿前で待つこと30分。吹雪の向こう側で樹々が揺れ動いていたが、午前零時直前にピタッと止まった。

神が舞い降りて来られたのだろうか、一瞬の静寂が支配した。後は新年の到来を寿ぐ人、人、人…の波。押し合いへし合いの中には、中国から来たと思しき団体客の姿も。

参拝を無事終えた後、おみくじを買った。小生は吉、家人は末吉、次男は大吉だったが、おしゃべりの三男は何やらブツブツ言っていたから大吉でなかったことだけは確かだ。

お守りも買った。ボストン・レッドソックスを世界一に導いた「勝守」(かちまもり)を、末広がりの縁起を担いで、家族全員用に8個。〆て4千8百円。

イカンイカン、肝心の自分用を忘れていたので社務所に引き返したら、「うまくいく守」という惹句が目に付いた。

ナニ?「うまくいく眞守」だって、何とまあ自分にとって、おあつらえ向きのお札だろうか!!即断即決、色は3色あったが、風水にちなんで迷わず黄色を選んだ。

参道も人で溢れていた。小腹が空いたので、食堂に入って、肉ウドンを食した。土産には梅ヶ枝餅とクジラの刺身を買ったが、これが滅法安くて美味かった。早速、うまくいった!!

家に辿り着いたのは明け方の3時過ぎ。ほとんど仮眠状態だったが、目覚めは良く、上々の気分でお屠蘇をいただいた。

さて、今年はどんな1年になるのだろうか?読者の皆様も「あれもやりたい」「これもやりたい」と、色んな期待に胸をふくらませておられることだろう。

小生もそうだ。挑戦しなければならないことがまだまだ〃山〃ほどある。このままウカウカはしておられないのだ。

早くも今日は七草粥。暮れからお正月にかけて酷使した胃袋はもうヘトヘトの状態だが、世の中はタフでなければ生きてはいけないのである。

満52歳。奇しくも昭和を代表する2大スター、石原裕次郎と美空ひばりの享年だ。そろそろ小生も「総決算」の年齢だろうか。


2008/01/01

〃息〃ができる幸せ!! - 「もっぱら、しまばら。」を進展 -

島原新聞の読者の皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお付き合い下さい。

   ※    ※

3年前の大晦日の夜、当時ある〃案件〃で悩みぬいていた小生は、家族が集う食卓で「1年後の復帰!!」を宣言した。が、事は思い通りには運ばなかった。

翌春、社員同士がめでたく結婚。ところが、この慶事に際しても我が胸に澱(おり)のように巣食う〃不気味な物体〃は、容易にその場を立ち去ろうとはしなかったのである。

今でもその2人に対しては、申し訳のない気持ちで一杯であるが、幸いにして2人の子宝にも恵まれ、小生の罪の意識も徐々にだが薄れつつある。

その間、悲嘆に明け暮れていた小生を支えてくれたのは、何と言っても「家族」であり、「社員」であり、「友人」であった。今こうやってコラムが書けるのも、全ては周囲の人々の心からの励ましのお蔭である。

それにしても、交通事故の犠牲者が年々減っているのに反し、自ら命を絶つ人の何と多いことか…。きっと皆さん、心根の優しい方ばかりに違いない。

新しい年、平成20年を迎えるに当たってまず願うことは、全ての人々に「天寿」をまっとうしていただくことだ。

小生はごくごく普通の仏教徒だが、何かしらの神仏のご縁がなければ、人間はこの世に生まれてはこないと、そう信じている。そのように「頂いた命」であるとすれば、大切にするのは至極当然のことだ。

よく「隣の芝生は青い」とか、「他人のバラは赤い」とか言われる。だが、さして他人様のことを羨む必要もあるまい。大事なのは自らに与えられた「天命」を如何に果たしていくか。

最近は税法の改正で高額所得者の番付が発表されなくなったが、何年か前まで毎年のように上位を占めていた「銀座まるかん」の創業者、斉藤一人さんの著書の中で、特に印象に残っているくだりがある。

「皆さん、ひょっとして自分のことを『不幸』と思っているでしょう。そしたら、1分か2分だけ息を止めてごらん。そのうち我慢できなくなるから。そこで皆さんは『自由に息ができること!!』の幸せに、改めて気付きます」 - 。

正確には覚えていないが、主旨はだいたい前述の通りだった、と思う。些細な出来事にも無意識のうちに「負の要因」ばかりを捜し出そうと努めていた我が身にも、その例え話はすんなりと呑み込めた。

そう、生きているだけでも、息ができるだけでも幸せなのですよ、皆さん。今年は一つ、余り欲張り過ぎずに、日々「感謝」の気持ちを忘れず、「諸事万端」前向きに!!

個人的にはまず、仕事面の充実を図っていきたい。そのためには、本紙面の年賀広告でも表現している通り、「活字」「映像」「音声」の三位一体化を実現すること。

昨年は国、県、市のご協力で「コミュニティFM局」を誕生させることが出来た。今年はさらに、リスナーやスポンサーの皆様のご支援をもとに、それを大きく育てていかなければならない。

また、九州で一箇所だけ総務省の「モデル事業」として採択された「児童見守りシステム」に象徴される「無線LAN事業」を、出来るだけ早期に軌道に乗せる必要もある。

幸いなことに、現在各方面から「導入に向け、是非前向きに検討したい」旨の連絡が相次いでいる。とにかく今年は、「防災&防犯」を最大テーマとした「もっぱら、しまばら。」主義を進展させたい!!

5月17日(土)に東京プリンスホテルで開催される「関東島原半島会創立60周年記念大会」も大きな楽しみの一つだ。

カボチャテレビでは、火山都市国際会議等で実証されたネット上の「ストリーミング」機能を使って、その賑わいぶりを現場から〃生中継〃する計画だ。

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結びになりましたが、読者の皆様の今後益々のご健勝と、島原半島地域の限りない発展を祈念して、初春のご挨拶といたします。