2008/08/31

『最後の早慶戦』に涙…そう、長崎も不景気なのだ

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「コンプレックス」とは日本語で普通「劣等感」と訳すのだろうが、どうして頭に「シネマ」が付くと「複合映画館」(略してシネコン)となるのだろうか?前々からの疑問である。

まあ、そんなことは後で調べれば済む話として、行ってきましたこの前も、その「シネコン」とやらに。これで2度目か…。

長崎駅前、アミュプラザ長崎ビル4F。一般的には「ユナイティッド・シネマ」と呼ばれている所だ。通常の仕事を終えて出かけたので、辿り着いたのは、午後10時からの「レイトショー」だった。

昼間は多くの買い物客らで賑わう同ビルも、さすがにこの時間帯となると、通りもまばら。それでも券売所奥の待合コーナーには、所々に人影が。こういう人々こそ「熱心な映画ファン」なのであろう。

ところが、筆者が入った5番上映館は、200人以上は収容できそうなスペースに、客はわずかに4人。これじゃまるで「マイ・シアター」ではないか!?

申し遅れたが、作品のタイトルは『ラストゲーム 最後の早慶戦』。戦時色が急速に強まりだしていた昭和18年秋に行われた、両校野球部の「対抗戦」を感動的に描いている佳作だ。

早稲田側の野球部長、飛田穂洲役を演じているのは柄本明。一方、慶應義塾の塾長・小泉信三役は、自身が慶應OBでもある石坂浩二が務めていた。

当時、両校が加盟する東京六大学野球のリーグ戦は軍部(大本営)の圧力で休止されていた。そうした状況下、飛田と小泉は間近に迫った「学徒出陣」を前に、何とかして思い出に残る両校の「対抗戦」を実現しようと奔走する。

愛校心の余り、なかなか断を下さない早稲田・田中総長(藤田まこと)。日ごとに厳しさを増す軍部の圧力。「万事休す」と思われたが、試合会場を神宮ではなく戸塚(早稲田)とする、飛田の「奇襲作戦」がついに田中を動かす。

試合は豊富な練習量を誇る早稲田の圧勝ペースとなるが、そこには勝敗を度外視した「福澤&大隈」以来の「友情」の熱き血潮が燃えたぎっていた。

慶應「若き血」、早稲田「都の西北」。伝統のエールの交歓は、それから半世紀以上が経った今でもなじみの光景だが、互いに数日後には戦地に赴かねばならない中で歌った心境は…。

個人的には、もっともっと沢山の皆さんに、「映画館」で鑑賞していただきたいのだが、1週間の興行期間では余りにも短すぎる(今月29日まで)。

しかし、商社が経営する、採算最優先の「シネコン」である以上、ある意味、仕方がないのかも…。駐車場に戻って時計の針を見たら、午前零時を少し回っていた。

帰りの道路はどこもガラ空きだった。県庁下から玉屋デパートのずっと先の方まで、タクシーの空車待ちが両側に並んでいた。そう、長崎も不景気なのだ、と実感した。


2008/08/30

何でんアッタカマギレ…次のWBC監督はノムさんで!?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

こういうのを「機会損失」と言うのだろう。これは「ネタ」になるぞ、と思っていた題材が、つい時間が過ぎてしまって書きそびれてしまうことが多い。

そんな「苦い経験」を噛み締めながら台所で新聞を読んでいたら、母が片付け物の手を休めて「何でんアッタカマギレにしてしまわんばね」と、アドバイスを送ってきた。

アッタカマギレ…。ドザクサマギレは聞いたことがあるが、はて?そうか、「鉄は熱いうちに打て」という意味なのか!!古人の知恵に感服した。

それはともかくとして、放送・通信業界に身を置いていると、嫌と言うほど横文字の「専門用語」にぶつかる。技術系の人間なら尚更のことだろう。

モチベーションに、ウィン&ウィン、トリガーにバッファー…。最初のうちはチンプンカンプンだったものが、回を重ねていくうちに、段々と意味らしきものが通じてくる。

ひとつには当方の「勉強不足」のせいもあろうが、あながちそれだけではないようだ。昂然と語っている様子を見ると、「これは一種の自己顕示欲である」ことが良く分かる。

さて「ベースボール」を「野球」と訳したのが正岡子規であることは良く知られた話だが、戦時中は「ストライク」や「ボール」なども日本語表記に置き換えられていた、という。

その「野球」のオリンピック競技(北京大会)で、「星野ジャパン」は国民の期待を大きく裏切る結果に。だいたい以前から、この監督さんの言動は余り好きでなかった。

今回の取り扱い方にしても、最初から余りにも持ち上げられ過ぎていたように思う。「結果を見てから、そんな言い方はないよ」との謗りも受けようが、まあそれはそれで…。

誰しもが認めるスーパースターの長嶋や王に対して果敢に立ち向かう「現役当時」(中日)のイメージを最大限ふくらませた挙げ句の「闘将」としての登場だったのだろうが、どことなくこの方には「無理をしているなあ…」という感じがつきまとって離れない。

その点、楽天の野村監督はあくまでも「自然体」だ。現役時代から、ONに劣らぬ成績を残しながらも「俺は野に咲く月見草…」と、そっと背を向けるハニカミ屋さん。

そのノムさんが、北京での「闘将」の采配ぶりを、徹底的にこき下ろした、とか。個人的には「拍手喝采」である。

星野さんには「勝負師としての風格」は十分に備わっているが、惜しむらくは人間的魅力に通じる「弱さ」というか、「幅」が感じられない。

ノムさんの場合、たとえ負けたにしても「ボヤキ」というオマケが必ず付いてくる。次のWBC監督はノムさんで行きましょうや、読売の渡辺親分。ドサクサマギレでお願い!!


2008/08/29

貴重品だったタマゴ…懐かしの映画『ロッキー』

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

長らく「物価の優等生」と称されたタマゴも、今年に入ってとうとう値上げされたようだが、我々以上の年代にとっては、まだまだ「タマゴ=栄養」のイメージが強いのでは…。

今の子供達には予想もつかないだろうが、以前、田舎の方では近所の家々に何かしら品物を届けると、お返しにタマゴやマッチをいただいたものだ。

その「タマゴ編」の話でいくと、この前の日曜日にゴルフでご一緒した岡本商会社長の岡本正秀さんの言い方が懐かしくもあり、また面白かった-。

「今日は清水くんと一緒にゴルフたい、と女房に言ったら、『あなた、絶対に負けてはいけませんよ!!』と、おかずにタマゴば付けてくれたとばい」

その1個のタマゴに託された「夫婦愛」はグリーン上で見事に開花。飛距離は倍ほども違うのに(ちょっとオーバーかな)、終わってみれば、スコアは筆者の完敗であった。

以前、親和銀行か何かのコンペで一緒に回った小島秀治さん(小島建設会長)もそうだったが、年寄りの皆さんはグリーン回りの小技が抜群に上手い。

こう言うのを、昔とった「杵柄」(きねづか)ならぬ「クラブ」と言うのだろうか。本来「アイアン」で打つべきところを「ウッド」でコツーン。憎らしいほどのテクニックだ。

というわけで、家に帰ってふて寝をしながら女子ゴルフを観ていたら、ちょうどの所で時間切れ。仕方なくチャンネルを回していたら『ロッキー』(ファイナル)の映画をしていた。

ストーリーは、すっかり年老いてしまった元世界チャンプのロッキー(S・スターローン)が、再び体を作り直して現役王者に挑むというもの。

学生の頃、最初に観た『ロッキー』(1)にはいたく感動した思い出があったので、すぐに感情移入。そして、ある象徴的な場面を思い起こしていた。

そう、挑戦者のロッキーが精をつけるために、生タマゴを何個も呑み込む有名なシーンだ。これは、あの「片腕立て伏せ」バージョンとともに、今でも鮮明に記憶に残っている。

綾小路きみまろではないが、「あれから30年…」。今では腕立て伏せも、懸垂も、逆上がりも、すべてが出来なくなってしまった。

ただ、タマゴだけは何個でも食べれる(正確には食べることができる)。しかしながら、ゴルフの腕前は一向に上達しない。

思うに、これは出っ張ったお腹(なか)のせいだ。そのために、スムーズなスイングができない状態な~のだ。

筆者が素振りする様子を見て、とあるシングルプレーヤーがこう指摘した。「君のスイングはまるでヤクザの仲直りだね」。

その心は「手打ち」なのだと。えー、お後がよろしいようで…。そろそろ、我が社の鰻家小にょろ君の弟子にでもなろうか…。


2008/08/28

ヒデ、康介、大、桃子…鍵握る大物女性マネージャー

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

水泳の北島康介に、陸上の為末大…。これだけのヒントだったら、北京五輪大会に出場した日本人アスリート、といった答えがすぐに浮かぶだろう。

さて、これにサッカー元全日本の中田英寿や、プロテニスの杉山愛、プロゴルファーの上田桃子、さらには歌手の大黒摩季らが加わるとどうなるか?

のっけから、何やらもったいぶった謎かけで恐縮だが、解答は朝日新聞社から出ている週刊誌の『アエラ』(9月1日号)で詳しく紹介されている。

一言でいうと、「マネージメント」の話だ。とどのつまり、これら日本を代表する有名人の多くが、一人のうら若き女性の手によって動かされている、と。

その人の名前は次原悦子。確か、もう随分と昔に本紙でも紹介したことのある、サニーサイドアップ社の代表取締役だ。

筆者がその次原社長と初めて会ったのは、今から5年ほど前のこと。宅島建設社長の宅島壽雄さんのご自宅で紹介を受けた。

その折の話は重複するので省略するとして、何よりこの不景気な世の中で、次々とビッグビジネスを展開(しかも成功!!)させている点に驚く。

ミーハー者の常で、一緒に写真に収まった「肩組スナップ」を掲載したいとも思うのだが、どうやらそれは「ご法度」の行為のようなので止めておこう。

ただ言えることは、かなりの美人であること。決して偉ぶっていないこと。そして何より、初めて手がけたアスリートが島原半島の出身者であったこと。

北島選手に関しては、昨夜のテレビニュースでも紹介されていたように、今や次の「国民栄誉賞」候補として有力視されている。

このような「国民的人気者」をビジネス界が放っておくはずもなく、コカ・コーラやトヨタなど有名企業各社へのCM出演料は、これまでの1本あたり5千万円から1億円にまで倍増する勢いだ、とか。

中田ヒデの場合も凄い。昨年末だったか、『ゼロ』という日テレの深夜ニュース番組に突然出演したかと思うと、お次はそのお膳立てをした講談社の月刊誌『クーリエ・ジャポン』で
独占インタビュー。

その反響は殊のほかに大きく、掲載誌は即日完売。余談だが、同誌の編集長は、雲仙・普賢岳の噴火災害時に『週刊現代』や『フライデー』の敏腕記者として鳴らした古賀義章さん(佐賀県出身)だ。

『クーリエ』は地元でこそ余り読まれていないようだが、フランスの高級紙『ル・モンド』を母体とするかなり質の高い本で、「世界のメディアが日本をどう見ているか」を切り口として編まれている。

もっと驚くべき「事実」も判明したが、それは後からのお楽しみということで…。それにしても、今を時めく「大物社長」とのツーショットが載せられないのが残念至極!!


2008/08/21

伊達メガネの正体は…語源は「浄瑠璃」にあった!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

いつだったか、歌手のアンジェラ・アキが、自身の音楽活動を追いかけていたテレビの深夜番組の中で、「このメガネをかけると、アタシ無敵になるの!!」と豪語していた。

確かに、彼女のステージ衣装はいつも、Gパン&Tシャツと、真ん中分けの長髪、それに黒縁メガネの組み合わせである。

別段、真似するつもりはなかったが、その「無敵!!」という力強い言葉の響きと、値段の安さ(290円)に引かれて、ついつい黒縁の「伊達メガネ」を買ってしまった。

ところで、どうして「伊達メガネ」と言うのだろうかと思って、インターネットで調べていたら、見つかりました、アンジェラの名前が!!

ウィキペディア(フリー百科事典)によると、アンジェラのほか、生島ヒロシ、天野ひろゆき(キャイ~ン)、松岡昌宏(TOKIO)らが「伊達メガネ愛好家」だという。

古くは大橋巨泉、仲本工事(ドリフターズ)らもその一派で、政界では、先年自殺した松岡利勝・元農相(熊本選出)、橋下徹・大阪府知事(弁護士)らの名前も見える。

まあ、それはそれとして「伊達男」に「伊達や酔狂」…。普段使う日本語の中にも頻繁に顔を出す「伊達」とは一体何ぞや?次なる相談相手は広辞苑(第六版)だ。

真っ先に出てきた説明はこうだ→「一説に、『立つ』から。人目につくように形を表す意」とあり、1.ことさら侠気(きょうき)を示そうとすること 2.好みがいきであること 3.見えを張ること - などとの補足解説。

現代の「用例」として紹介されているのは文字通りの「伊達の薄着」だが、少し精読してみれば、どうやら語源は「鑓(やり)の権三(ごんざ)」等の浄瑠璃の世界の言葉のようだ。

ところで、アンジェラの父親は「阿波の人形浄瑠璃」で知られる徳島県の出身(母はアメリカ人)で、英会話教室「イーオン」(昔は「アンビック」と言った)の経営者、と知って驚いた。

よもやアンジェラが「傾城(けいせい)阿波の鳴門」のような浄瑠璃の世界に身を置いたことはあるまいので、「伊達メガネ」は偶然の一致だろうが、面白いと言えば面白い。

しかし、そんな事より、最近は急速に目がとろくなってしまった。この原稿を打っているパソコンの文字でさえ、細めないと良く読めないくらいだ。

かと言って、大枚をはたいて購入した「老眼鏡」は〃遠近両用〃ではないので使いづらいし、本当に困ったものだ。

エーイ、いっそのこと新たに購入しようかとも思ったが、ここはガマン、ガマン…。表向きは「290円」でやり過ごし、内実は「老眼鏡」での対応だ。

しかし、ここまで来ると、「伊達」を通り越して、いよいよ「酔狂」の世界だろうなぁー。


2008/08/20

〃総タレント〃の時代…テレビ文化とジャーナリズム

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

フー、本連載も今日で400回目を迎えた。腹立ち紛れに書きなぐったこともあるので、実際の数はそれより多いのだが…。

ただの雑文に過ぎないのに、『履正不畏』などという随分と大層な表題を付けてしまったと反省はしているが、もう遅い。こけつまろびつ、これからも走り続けるしかないのだ。

(本欄について)様々な受け止め方があるのは、良く承知している。なぜ、敢えてその〃愚行〃を犯すのか。「唾棄すべき」と切り捨てる人物もいる、というのに…。

が、答えはいたって簡単だ。原稿を書くことが「私の仕事」だから。ものの本によれば、最近は「自分の意見」を人前で喋れない人が増加中だとか。そのための「話し方教室」なども多い、とも。

ただ言えることは、「話し言葉」と「書き言葉」では、自ずとその〃性格〃が異なる。一番の違いは「書き言葉」は〃記録〃として残るが、「話し言葉」は一定期間〃記憶〃に留まったにせよ、いずれかは雲散霧消してしまう。

「書き手」「話し手」どちらが偉いか?などといった二者択一の、紋切り型の決め付け方は、この際ふさわしくない。それぞれに「特徴」と言うか、「長所」「短所」を備えている。

その点で言うと、片方で執筆活動を行い、報道番組等でアンカーマンやコメンテーターを務めている人々は、さぞかし才能溢れる人物に違いない。

ある時まで、そう思い込んでいたら、「プロ中のプロ」と自他共に認める、とあるジャーナリストが力を込めてこう語っていたことを、今更ながらに憶い出す→〈テレビに頻繁に出ている物書きは、いずれは自分でつぶれていくか、つぶされてしまう〉

確かに今のテレビ番組を見ていると、肩書き豊かな「マルチ人間」か「お笑いタレント」の独断場だ。政界もその動向につとに敏感なようで、今や出演者の顔ぶれはいずれ劣らぬ〃名優〃揃いである。

こうした〃傾向〃に眉をひそめる向きが出てくるのも当然と言えば当然だが、何せ「選挙」は勝たねばならない。「政権」を担ってこその「政党」である。

一方で、地方自治の在りようも、相次ぐ「劇場型知事」の登場で、にわかに〃活況〃を呈しているようにも見える。ただ、いつまで続くのかは甚だ疑問ではあるが…。

〃したり顔〃で政局の行方を予想する評論家。法の番人なのか、お笑い系タレントなのか分からない弁護士。いつの間にか既存の政治機構に組み込まれてしまったジャーナリスト。

故・大宅壮一氏はテレビ放送の始まりを「一億総白痴化」と喝破したが、今や日本は「総タレント化」の様相なのである。

北野武さん、島田紳助さん、太田光さん…。日本の「今」を動かしているのは、あなた方なのかも知れませんね。


2008/08/19

精霊流しに挑んだが…秋にはトラッドで???

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昔は「正月頭」「盆頭」というものがあって、その〃節目〃が近づくと、慌てて床屋に駆け込んだものだったが、最近はどうもその季節感がない。

そう言えば、「正月着物(ぎもん)」「盆着物(同)」という習わしもあったけ、などと〃来し方〃を振り返りつつ、とある量販店に飛び込んだ。

入口に置いてあったのは、単価290円のサングラスや伊達メガネ。「何とタバコより安いではないか!!」などと感激しつつ、黒縁メガネ1個を買った。

早速、車内のバックミラーで確認してみたが、これがなかなか良く似合っているではないか!?少々ご満悦な気分にひたって、再び店内に舞い戻った。

さーて、お次は「盆着物」に相当するTシャツ類の大人買いだ。サイズはXL。値札に目を凝らしつつ商品をあせくっていたら、あった!あった!「バカボン」の黄色Tシャツが。

「バカボンのパパ」のプリントでなかったことはちと残念だったが、それでも十分な〃掘出物〃であることには違いない。早速翌日、町内の「精霊流し」でのお披露目となった。

少し窮屈ではあったが、動きに支障なし。これで準備万端!!安心感が頭を支配して、自宅で直前に摂った夕食のことはすっかり忘れて、集合場所に用意されていたツマミ類を卑しくパクつく愚挙に。

結果、一回り大きくなったポンポンをさすりながら周囲を眺めると、若くて長身のお誂え向きの〃担ぎ手〃がずらーり。即座に勝ち目なしと得心し、はやる心を抑えつつ、掛け声係を〃志願〃した。

参加者総出で切子を飾り付け、いざ出陣!!宮の町の交差点辺りでローソクの火を点け、まずは〃一練り〃。いかん、いかん、また血が騒ぎ出してきた。

頃合いを見計らってこっそり船尾下に潜り込んでみる。が、いかんせん船底は目線のライン。何回か回っているうちに、完全にスピンアウトだ。

それでも〃食らいつく〃ところが我が世代の真骨頂と、本番の「猛島ステージ」に再挑戦してみたが、結果は同じ。それにしても「精霊流し」はつくづく素晴らしい〃祭り〃だと思う。何より町内の皆さんとの交流が楽しい。

洟垂れ小僧が立派な若武者になっていたり、或いは長じてオッサンになっていたり…と、発汗の爽快感とともに、残酷な〃時の移ろい〃を実感できるのもこの時だ。

担ぎながら、叫びながら、在りし日の〃故人〃に様々な思いを馳せる。殊に、改めて舳先に線香を手向ける〃船出〃のシーンは感涙ものだ。

盆明けは、久々のまとまった雨。これは取りも直さず〃干天の慈雨〃だ。心なしか日射しも穏やかになってきた。

さあ、秋になったら、ツイードのジャケットを着て、黒縁メガネで決めよう。それまでには必ず出腹を引っ込めて!!


2008/08/16

勉強より世渡り力!!…是非おすすめ岡野雅行本

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

来春、或いは2、3年先の〃合格〃を願って、日夜受験勉強に励んでいる中・高校生諸君には、いささか〃逆説〃めいた話になろうが、世の中は〃成績〃だけで渡っていけるほど甘くはない。

これはある意味〃真実〃であるが、そんな及び腰的表現ではなく、「人生は勉強より『世渡り力』だ!」と、公言して憚らないご仁がいる。東京の下町で社員6人の町工場を営んでいる岡野雅行さんが、その人。

実は、前述の言葉はそっくりそのまま岡野さんの著作(青春出版社)となって、いま全国各地の本屋に平積みされている。ひょっとしたらもう、ベストセラーの一角に食い込んでいるかも知れない。

帯に推薦の弁を載せているのは、本県出身の芥川賞作家で、テレビ等でも活躍中の村上龍氏。「世界一の職人である岡野さんは、『人と情報の使い方』でも世界有数の達人だ!」と手放しの褒めようだ。

岡野さんが一躍有名になったきっかけは、それまで「技術的に不可能」とされていた携帯電話の「リチウムイオン電池ケース」や「痛くない注射針」(テルモと共同)などの開発に成功した実績から。

今やその「真似のできない技術力」には、国内はおろか、世界中の名だたる大企業、米航空宇宙局(NASA)までが注目。財務省をはじめ各方面からの講演依頼もひっきりなし。会社には総理、経団連会長も訪れ、平成16年には旭日雙光章を受けている。

昭和8年、墨田区向島生まれ。父が起した金型工業の会社を受け継いだ二代目社長だが、ボンボン息子どころか、その生き様は〃破天荒〃そのもの。

まず、学歴なんかに拘らない。幼稚園は三日で中退。巻末のプロフィールを見ると、終戦の年に「向島更生国民学校(小学校)卒業」とあるが、実は折角進んだ「国民高等学校」(中学校)も中退している。

その代わり「世の中のことは全部『玉の井』(遊郭街)で教わった。つまり、そこで人を見る眼力(世渡り力)を鍛え上げたのだ」などと述懐している。

この本は、全6章から成る二百ページ弱の新書版で、全て「話し言葉」で書かれているので、一気に読み通すことができる。ただ、中身は殊のほかに濃い。

軽く、勉強をサボるための「言い訳本」くらいに思っていたら大間違いだ。一言でいえば、同書は世の中を前向きに、主体性を持って生き抜いていく上での「知恵の宝庫」である。

最後に、序文に書かれているキー・センテンスの幾つかを列挙しておく。ここで何かしらの「引っかかり」を感じた貴方は「世渡り名人」になれる可能性が極めて高いかも!?

★重要な情報が飛び交う集まりに『あいつを呼ぼう』と言われるには★「人に『あいつは面白い』と思われるには★上の立場の人を動かす方法★何倍にもなって返ってくるお金の使い方 -などなど。


2008/08/15

久留米井筒屋が閉店…ゴーギャン・ヒマワリ!?

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

もしその後に転勤があってないとすれば、現在、西日本新聞の久留米総(支?)局長を務めているのは、島原支局在任中に太田一也・九大名誉教授からの〃聞き語り〃をまとめた、吉田賢治さんのはずだ。

14日付の同紙を読んでいたら、井筒屋デパート(久留米店)が年明けにも閉店する、という。筆者も一度だけ訪れたことがあるが、雰囲気の良い店だっただけに残念だ。

大通りに面した玄関脇には、自然食品のレストラン。なかなかに洒落た造りであった。奥のエスカレーターを昇っていくと、書店があり、手当たり次第に何冊かまとめ買いしたことを覚えている。

うち一冊が岩波書店から出ている『一日一文』(英知のことば)だ。編者は中央大学名誉教授の木田元(きだ・げん)さん。発行後一月で「第3刷」とあるから、この手の本では比較的売れている方だろう。

早速、久留米市内を当て所(ど)なくうろついていた数年前の状況を想い起こしながら、8月14日のページを開いてみた。

この日、取り上げられているのは、フランス後期印象派に属する、画家のゴーギャン。1848年生まれで、1903年に亡くなっている。

経歴欄を見ると、35歳の時に株式仲買人をやめて画家に転じた、と。代表作『タヒチの女』を描いたのは晩年。解説本は、岩波文庫から出ている『ノア・ノアタヒチ紀行』(1960年・前川堅市訳)。そこにはこうあった - 。

〈タヒチでは、太陽の光線が、男女両性へ同じように光を投げかけるように、森や海の空気が、皆の肺臓を強健にし、肩や腰を大きくし、ひいては海浜の砂までも大きくするのである〉

〈女は、男と同じ仕事をやる。男は女に対して無頓着である。 - だから、女には、男性的なところがあり、男には、女性的なところがある〉

なるほど、画集などで良く見かけるゴーギャンの作品の特徴を、鮮やかに言い表しているようだ。

ところで、夏の花と言えば、即座に向日葵(ひまわり)が思い浮かぶが、そこから連想される代表的な絵画は、何と言ってもゴッホの『ヒマワリ』だろう。

ところが、ところが、である。一月ほど前に島原市内の花屋で買い求めた向日葵苗の説明書には、「ゴーギャン・ヒマワリ」と銘打たれていたのだ。

ゴーギャンが向日葵を描いたかどうか知らないが、畑などで見かける通常の種類とは花弁の形が著しく異なる。何かしら、こう〃黄色い炎〃が燃え盛っている感じなのだ。

確か、井筒屋の自然食品店には「ヒマワリの種」が置いてあった。「ゴーギャン・ヒマワリ」にならって、何とか〃復活の炎〃を燃やすことはできないものだろうか…。


2008/08/14

取り戻そう〃昔の輝き〃…湯布院はヨソモンの温泉街

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

JR九州の車内情報誌『プリーズ』の8月号に、北村西望さんと、雲仙温泉の和風旅館「東園」が、特集記事で紹介されている。

西望さんを取り上げているのは「九州ものしり学」というコーナー。書き手は「船木麻由」というから、たぶん女性のライターだろう。

在りし日の西望さんがこよなく愛したという、長崎市の料亭「青柳」とのほのぼのとした人間関係を皮切りに、平和祈念像制作当時のエピソード等をさりげなく織り込んでいる。

「東園」の方は〈また訪れたくなる九州の温泉宿〉とのタイトルで、おしどりの池を臨む大浴場の写真を中心に、同園ご自慢の「おもてなし」の極意を達意な文章で綴っている。

ところで、「雲仙」と言えば、日本で最初に国立公園の指定を受けた(昭和9年)ことで知られるが、「全盛期」を知る者にとっては、現状はいささか寂しい限りだろう。

仕事の関係で、旧小浜町と姉妹提携を結んでいた鹿児島・霧島温泉郷と、大分・湯布院温泉を相次いで訪ねたが、今やその差は「歴然」としているような気がする。

霧島の緑はどこまでも深く、街全体に漂う雰囲気に、どことなく余裕のオーラが滲み出ていた。また、国際音楽祭などのイベントの仕掛けも、遥かに雲仙の上を行く感じだった。

一方の湯布院。あいにく、日暮れ以降に宿に着き、翌朝早くに旅立たねばならない慌しい日程だったが、今や九州観光の横綱たる「風格」を漂わせていた。

宿から駅までの送りの途中、タクシーの運転手さんが語ってくれた言葉が、しばらく経った今でも耳にこびりついて離れない - 。

「お客さん、この辺りは昔、レンコン畑というか、どうしようもない湿地帯だったんですよ。それがどうですか、この川ができて土壌が変わり、今ではこの賑わいぶりです」

最初のうちは聞き流していたが、次に出て来た言葉にハッとした - 。

「こいつらみんなヨソモンですよ。昔からの湯布院の人間はごくごく数えるほど。騒がれば騒がれるほど、土地の人間としては複雑な心境です」

そうした愚痴めいた話を聞きながら、普賢岳が噴火して間もない頃の雲仙でのシンポジウムのやりとりを思い出していた。

「湯布院をどう思うか?」との質問に対し、「格が違うよ!!」と切り捨てた当時の幹部。何かしら危うい響きを嗅ぎ取ったが、20年近く経った今の状況は、まったく「逆転」していると言っても過言ではない。

だが、時代は必ず変わる。雲仙(島原半島)なりの良さを〃追究〃していけば、かつての輝きはきっと取り戻せる!!そう信じて疑わないのは、関係者ばかりではないはず。

まずは地元。西望さんの言葉を借りれば「たゆまざる歩みおそろし蝸牛」である。


2008/08/13

盆帰りは原点探し…情緒あふれる島原の盆

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

北島康介(男子水泳)という勝つべき人が勝って、日本にとっての「北京オリンピック」もいよいよこれから佳境を迎える。女子マラソンの野口みずき選手(肉離れ報道)は大丈夫だろうか…。

まあ、それはさておき、世間一般は今日13日から「お盆」である。帰省客の姿も日に日に増えてきているようだ。

拙稿を書きながら「FMしまばら」(88.4メガヘルツ)の放送を聴いていると、長崎市出身の福山雅治が歌っている。『蜜柑色の夏休み』という作品だ。何だが舌足らずの歌い方が中村雅俊に似ている。

その中村は、我々が学生の頃(昭和50年代前半)に人気が沸騰した。文学座の研修生で、慶応に学び、ESSで英語を磨いた長身のナイスガイ。

主演を射止めた『俺たちの旅』(日曜夜8時)は、同居人ともども、拾ったテレビで欠かさず視ていた。カースケ、オメダ、グズロク、ヨウコ…。岡田奈々という歌手兼タレントも妹役で出演していた。

筋立ては〃性善説〃に基づいた、いわゆる「熱血青春ドラマ」そのものだったが、最後に流れるレジュメのようなテロップに、そろって涙したものだ。

この作品の脚本家だった鎌田敏夫は、赴任先の「徳島県」で育ったことを知り、後に〃親近感〃を覚えた。蛇足だが、あの「金妻ブーム」を巻き起こしたのも、実はこの方だった。

随分と〃回り道〃をしたが、今日紹介したかったのは、中村雅俊が歌った『盆帰り』という作品だ。作詞・作曲ともに、『俺たちの旅』と同じ小椋佳。ヒットはしなかったが、結びの部分が大好きだった。

〈せせらぎに素足で水をはねた 夕暮れの丘で星を数えた 突然の雨を木陰に逃げた 故郷の君の姿 ぬぐいきれないと知りながら ラララ…〉

ところで、昨今の帰省者は古里に何を求めて来るのだろう…。勿論、主たる目的は墓参だろうが、自らの〃原点〃に身を置くことによる「自分探し」といった意味合いも含んでいるのではないか。

流されゆく日々の暮らしの中で、つい見失いがちな本来の目的、生きがい、思うに任せない世の動きへの憤り、失恋…。ないまぜになった様々な思いを、古里はやさしく、そして時に厳しく包み込む。

極めて個人的な感想だが、「島原の盆」が大好きである。「情緒」と言えば、一年で一番その思いを強く抱かせてくれるのが、この3日間だ。

「迎え火」から始まってフィナーレの「精霊流し」まで、島原の街は静かに、そして熱く息づく。在住者、出身者ともに藩政時代以来の「伝統」の力を身近に味わうことができる、絶好の機会とも言える。

ところが残念ながら、我が家の帰省組はすべて盆明け。せめては無事に辿り着くことができるように、ボン・ボワイヤージュ!!


2008/08/12

谷亮子はオンリー1!!…吉岡市長の〃名演技〃に拍手

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「ヤワラちゃん」こと谷亮子選手(旧姓田村)は、前回のアテネ五輪大会で優勝した後のインタビューで、確か「ナンバー1ではなく、オンリー1を目指したい」と答えた、と記憶している。

残念ながら、今回の北京大会では「ナンバー1」のタイトルは逃したが、子育てをしながらの「銅メダル」獲得は十分に「オンリー1」に値する、と尊敬の念を新たにしている。

同じ柔道競技の男子66キロ級で連覇を果たした内柴正人選手の優勝の弁は「仕事ですから」だった。短い言葉に〃勝負師〃としてのプライドが滲み出ていたような気がする。

一流アスリートの試合後のコメントは、いずれの競技にも関わらず〃哲学的〃ですらある。ボクシングの輪島やガッツの場合は極端な例外として…。

昨日の日曜日は昼過ぎまでいぎたなく過ごしていたのだが、たまに起きてテレビのスイッチを入り切りしていたら、BS放送で「東京五輪」(昭和39年)の記録映画を撮った市川崑監督を特集していた。

同年生まれの俳優、鶴見辰吾がレポーター役を務めて、「記録映画なのに台本までしたためてあった」と驚いていたが、最初の「絵コンテ」のくだりを見て思わずヒザを打った。

そう、あれから40年以上が経った今でも鮮明に記憶に残る冒頭の「朝日」のシーンを撮ったのは、島原市三会出身の林田さんというカメラマンだったから、である。

もう随分と以前に、林田さんの足跡を紹介した本が出た時に紹介したことがあるので割愛するが、歴史に残る仕事を残された同氏に改めて敬意を表するとともに、〃同郷人〃として誇りに思う。

さて、「映画」と言えば『同窓会』の特別試写会が今月16日からの全国ロードショー公開を前に、島原文化会館で開かれた。出演者の顔ぶれからして、必ずしも〃大作〃とは言い難い作品だったが、それなりに楽しむことができた。

理由は何と言っても「島原」のシーンが随所に出てくるからだが、高校長役の吉岡市長の〃名演技〃には思わず拍手を送ってしまった。

一方、市長役を演じたのは本物俳優の渡辺いっけい。これがまた随分と軽い乗りで仕立てられており、呆れた主人公が「これで4選はないな…」と呟くシーンもあったが、実際のところ「5選」はどうなのか!?

それより何より個人的に注目したのは、ヒロインを演じた永作博美の鼻の形。宮崎あおいと想像して比べてみたが、宮崎の方が若干鼻梁が細くて上向きだろうか…。

まあ、どうでもいい話だが、今年の正月に実際に行われた母校の「同窓会」には国語科のK先生が出席されていた。何の脈絡もないが、映画の帰り道、同先生から教わった芥川龍之介の名作『鼻』のことを思い出していた。


2008/08/09

海底探査船に乗るぞ!!…来週のゲストは小林照明さん

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「暑い、暑い…」とぼやいているうちに、暦の上では「立秋」も過ぎた。そう言えば、蝉時雨の響きも心なしか物悲しい。

早起きして音無川の周辺を歩いていると、赤トンボがせせらぎの上で乱舞していた。ふと足を止め、頭上の桜の木を見上げてみたら、クマゼミがせわしなく腰をひくつかせていた。

10秒、20秒、30秒…。しばらく経つと鳴き声が静まる。そしてまた腰の動きに合わせたかのように〃大合唱〃が始まる。

はたと気付いた!!これまでは何とはなしに聞き流していたが、蝉は周囲の仲間と連動して鳴き声をあげているのだ。そう、にわか仕立ての「オーケストラ楽団」なのである。

これぞ〃観察眼〃の賜物。何だか急に〃大発見〃をしたような気分になった。

調子に乗って、近くのテレビアンテナにとまっているカラスの動きを注視した。「カアー、カアー…」。ここで改めて分かったことは、カラスは一声ごとに、胸をのけぞらせるようにして啼くのだ。

えてみると、身の回りでも知らないことばかりだ。ましてや「海底」の話となると、一般の人々にとっては、「お手上げ状態」と言ってもいいだろう。

ところが、世の中よくしたもので、それを仕事として取り組んでいる専門家集団がいるのだ。独立行政法人「海洋研究開発機構」が所有している地球深部探査船「ちきゅう」が、その活躍の舞台だ。

この話題にたどり着くまでには、いささかの経緯があって、一月ほど前に淨源寺の三浦住職が筆者のもとに訪ねて来られたことに端を発する。

「こういう人物がいるのをご存知ですか?」「いや、まったく存じ上げませんが…」。分厚い資料をひも解きながら、同住職が説明してくれた - 。

それによると、同船のグループリーダーは島原出身の小林照明(しょうめい)さんという方で、父親の初盆参りのため、近く里帰りをする、との由。

「せっかくの機会だから、『ターニングポイント』に出演してもらってはどうか?」。同住職の言葉に背中を押されるように連絡を取ってみたら、快く「OK」の返事。というわけで、来週月曜日のゲストは小林さんで決定!!

小林さんは父親(宝酒造勤務)の転勤に伴って中学2年の時に一中に転校。その後、島原高校(昭和46年卒)を経て、山口大学、石油資源開発(株)へ進んだ。現在は同社から海洋研究開発機構(地球深部探査センター)へ出向中。

実は、番組に先立って、佐世保港内に停泊中の「ちきゅう」に、スタッフともども乗せてもらうことになった。この原稿を書き上げ次第、筆者が先陣を切って佐世保へと向かう。

さあ、船上ではどんな〃観察眼〃を発揮しようか。それより今晩飲み過ぎないようにしなければ…。


2008/08/08

毎日記者が朝日に寄稿…『論座』が〃劇場政治〃特集

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

たまの〃息抜き〃にとサウナに入った後でテレビを視ていたら、宮崎県の東国原知事と、弁護士から参議院議員に転じた丸山和也氏が「旅番組」のようなものに出演していた。

改めるまでもなく、典型的&ベタな「宮崎県のPR番組」であったが、ついつい二人の〃タレント〃力に魅かれて視続けてしまった。要するに、「宮崎には美味しい物が沢山あるので、是非おいでよ!!」と。

その後、本屋に立ち寄った。コレと言って求めるべき本はなかったのだが、一通り月刊誌のコーナーを巡っている途中で、真っ赤な表紙が目についた。

朝日新聞社から出ている『論座』9月号だ。パラパラとページをめくっているうちに、知人の名前が出ていることに気付いた。ナント毎日新聞記者のN君ではないか!!

N君は小倉の出身で、普賢岳の噴火活動終息期に、島原に勤務していた。それから延岡へと転勤し、今は宮崎支局勤務のはず。でも、どうして他社の雑誌に?

素朴な疑問が湧いてきたが、目次を眺めて合点がいった。「大阪・宮崎に見る劇場政治の地方分権」との特集が組まれていたのだ。そう言えば、彼は長いこと「県庁詰め」だったことを思い出した。

中身については、書店か新聞販売店でお求めになって確認していただきたいが、はて「劇場政治」って一体ナニ?

類推するところ、テレビ報道に左右される政局(特に選挙)のことを指すのだろうが、よくよく考えてみると、新聞もテレビも「根」の部分は余り変わらない。いや、一緒である。

その証拠に、番組の主たるコーディネーターは全国紙の幹部クラス。その上で、日曜午前中の放送の中で政治家が発言した内容を翌日の紙面が〃後追い〃している。いつものパターンである。

各党ともその辺は心得たもので、なるべくテレビ映りの良い〃論客〃を送り込んで〃支持率〃のアップに懸命だ。まあ、当然と言えば、当然であるが…。

ところが、『論座』でも取り上げられているように、大阪、宮崎の両知事の扱いは〃破格〃である。キー局ばかりでなく、選挙区外の地方民放局まで追いかけている。

「なぜか?」と問われても、それがテレビである以上、「視聴率」以外の答えはあり得ないだろう。二人とも〃人気〃をバロメーターとして生き抜いてきた〃タレント〃。例えて言うなら「阿吽の呼吸」のようなものだ。

余りの出過ぎで些か〃食傷ぎみ〃ではあるが、功罪の「功」を問うとすれば、「政治を身近なもの」にしたこと。一方で、「大衆迎合主義」の側面も否定はできない。

結論を言えば、これら人気者知事に評価を下すのは、まだしばらく時間を要するだろう。筆者の頭では、これが精一杯!!


2008/08/07

鼻の形がソックリ…永作博美と宮崎あおい

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

島原市が舞台となった映画『同窓会』の先行上映会がいよいよ10日(日曜日)に迫った。会場は島原文化会館。午後1時と、同3時の2回公演。いずれも30分前に開場する。

監督はサタケミキオ。宅間孝行や永作博美らが出演して、島原城や一小、島高などで〃熱演〃を繰り広げている、という。

料金は一般前売が1300円(当日1800円)。小中学生及び60歳以上のシニアが1000円(当日のみ)。大学生と高校生は通常1500円だが、高校生の場合は、3人以上で一人1000円となる〃特別割引〃が適用される。詳しくは市商工観光課へ。

などと書いていると、「コラム」ではなくなってしまうので、ここから少し方針転換 - 。

NHKテレビの大河ドラマ『篤姫』が大変に好評だ、という。近年にない高視聴率を維持し、新幹線人気にあやかって、鹿児島観光も元気だとか。

そう言えば、筆者が冬場に出張した折も、ほとんどのホテルが満杯だったし、ロケ地となった仙巌園(磯庭園)は多くの観光客で賑わっていた。

実物の「天璋院篤姫」が美人だったかどうか知らないが、ドラマに出ている「宮崎あおい」はとても可愛らしい。つぶらな瞳はさておくとしても、特徴的なのは鼻の形だ。

小ぶりで少し上向き。伝統的な和風美人の基準で言うところの「鼻梁(びりょう)の通った顔立ち」では決してない。見方によっては、ペット犬のようでもある。でも(だからこそ?)可愛い!!

極めて個人的な感想だが、永作博美についても同じようなことが言えるのでは…。期せずして、星野道夫(写真家・故人)ゆかりの『スイッチ』という雑誌が、相前後してこの女優二人をグラビアで取り上げているのだが、雰囲気が酷似しているのだ。

「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていたのかも知れない…」とは昔から言い古された言葉だが、この二人に関しては、顔の中央にチョコンと乗っかったかのような「小ぶり&上向き鼻」が女優への道を拓いたのかも知れない。

まあ「蓼食う虫も好き好き」で、色んな趣味趣向というものがあろうが、やたらと鼻の高い、万人が「美人」と認めるような女性は得手ではない。もっとも、そういうお方には端(はな)から相手にされないが、大体において鼻持ちならない性格が多いようである。

「男女」にかかわらず、また「美醜」を問わず、大切なのは「愛嬌」だ。美人は三日もすれば飽きてしまうが、ブスは三日すれば味が出てくる、という言い方(至言)もある。

もちろん「異論」もあろう。その辺のところはいずれが真実か分からないが、「笑顔」こそがあらゆるシチュエーションにおける〃特効薬〃であることだけは間違いあるまい。


2008/08/06

赤塚不二夫さん逝く…「昭和」がまた一つ遠のく

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

ギャグ漫画の巨匠、赤塚不二夫さんが2日、肺炎のため亡くなった。72歳。『おそ松くん』『天才バカボン』『ひみつのアッコちゃん』…。いずれ劣らぬ傑作揃い。早稲田の生協には『バカ田大学なのだ!?』という文庫本(筑摩)まで置いてあるくらいだ。

たまたまであるが、一月半ほど前に所用で訪れた東京・青梅市に「赤塚不二夫会館」があることを知った。訪問はできなかったが、駅にも、街中にも、赤塚作品と並んで、古き良き時代の「映画の看板」が随所に掲げられていた。

聞けば、同市は島原市と兄弟都市である大分・豊後高田市のように「昭和の街づくり」に勤しんでいる、という。合点がいった。バカボンのパパ風に言えば、「そうなーのだぁー」といったところか。

これまた偶然であるが、つい10日ほど前には、新聞の書評欄で見かけた、コラムニストの泉麻人氏が出した『シェーの時代』(文春)をオンライン書店で注文したばかり。何かしら因縁めいたものを感じる。

「シェー」というのは、他でもない『おそ松くん』に出てくる、何かと怪しげな「ザンス」言葉を連発する、あの「イヤミ」野郎の口癖である。

筆者は一時期、その丸っこい体型と二日酔いでむくんだような顔の造作が「赤塚不二夫にソックリ!!」と言われていたことがある。特段、嬉しくも何ともなかったが、それによって親しみが増したのは事実である。そうしたご縁で、大手出版社の編集者から、特製の「千社札」を進呈されたこともある。そうなんザンスよ!!

旧満州から引き揚げてきた赤塚少年は、父親の故郷、新潟で看板修業。18歳の時に上京して、後に多くの有名漫画家を輩出したことで知られる「トキハ荘」(豊島区)で腕を磨く。その後、小学館発行の「少年サンデー」に『おそ松くん』が連載されたことを機に、一気に名前が売れ、〃大御所的存在〃となる。

ところが、そうした〃枠〃に収まりきれないところが、いかにもこの人らしい。片時もウイスキーのグラスを放さず、挙句の果ての奇行、蛮行…。タモリの才能にいち早く目をつけたことでも知られる。

素顔の赤塚さんは、とても恥ずかしがり屋さんだった、という。であるがゆえの「酒びたり人生」だったのだろう。

2002年に脳内出血で倒れ、以降はほぼ〃植物人間〃状態だった、という。再婚した妻は2年前の7月にクモ膜下出血で死去。元の奥様は奇しくも、赤塚さんが亡くなる3日前に鬼籍に入った、と。

赤塚作品で育った筆者世代にとっては、また一つ「昭和」が遠のいてしまった。が、これもまた人生。ご本人はきっとあの世で「これでいいのだぁー!!」とグラスを傾けているに違いない。合掌。

[追伸]本来は昨報のつもりでいましたが、暑さで頭がボーっとして送信するのを忘れていました。


2008/08/02

名古屋は日本の真ん中…「究極のサービス」を求めて!!

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

CATV事業における「究極のサービス」を求めて、はるばる名古屋までやって来た。長崎空港から小型飛行機で約1時間半。小牧空港は後に新設されたセントレア空港(中部国際空港)の影響を受けてか、閑散としていた。

その「印象」から一日経って新聞を広げてみると(実際にはネット検索)、大阪府の橋下知事が伊丹空港の廃止方針を示唆する発言をした、とか。「名」と「阪」(神)の違いこそあれ、似かよった「構図」である。

「尾張名古屋は城でもつ」 - 。古くからの名調子であるが、車中から眺める名古屋城は想った以上に小ぶりであった。個人的には、金の「シャチホコ」より、銅板葺きの緑の「屋根瓦」に目がいった。

さて「究極のサービス」とは一体…。そもそも「サービス」の定義づけそのものが難しい上に、「究極の」という形容詞まで冠してよいものか?講釈すればきりがないが、言い換えるなら、「何が一番お客様にとって喜ばれるか、を模索する行為と結果」に他ならないのではないか。

ただし、「無料」ではいけない。それが「タダ」で行われるとすれば、それはすでに「サービス」の枠を超えた、誤った意味合いでの「奉仕もどき」である。より端的に言うと「タダほど高いものはない」ということだ。

国にしろ、自治体にしろ、そのサービスの原資は税金(利用料)である。卑近な例で恐縮だが、当社の契約者の中でも、支払いが悪い人に限ってクレームが多い。恐らく税収納の現場でも、似かよった雰囲気ではなかろうか。

先週、テレ朝『サンデープロジェクト』の特集テーマがそれだった。番組を視て良く解かったことは、今や全国の税務担当職員は、徴収率を上げるために「アノ手」「コノ手」である、ということ。

構図的には、国からの「交付税」や「補助金」の大幅カットの反動のように捉える向きもあるが、本来「納税」は国民としての義務のはず。確か、小学校ではそう教わった。

ただし、「お上」という立場を利用した「苛斂誅求」はいけない。払えないという事情があれば、それはそれで斟酌すべきと考えるが、しかして「実態」は前述のごとしである。

一方で、給食費や授業料の滞納問題も身近で起きている、との情報。高級車を乗り回し、華美な装飾品を購入しながらも、そうした「義務的経費」はなかなか納めたがらないモンスターペアレントたち。

究極は教育の問題だが、誰もそれに対する責任を果たそうとしない。例えて言うなら、現状は「被疑者不在のまま不起訴になったようなもの」だろうか。

名古屋人は言う。「ここは日本の真ん中」。ここから「究極のサービス」が生まれるかどうかは今後の展開次第だが、中心から伝わってくる「波紋」を早目にキャッチすることも決して間違いではあるまい。中身はいずれ…。