2007/03/29

植木等さん亡くなる - 「スーダラ節」は私の十八番 -

 「すっときゃ、しかっとせん。いざという時ゃ、だらーっとしちょる」 - 。島原二中校長の林田行弘先生がヤル気のない生徒のことを、苦笑いを浮かべながら、そう形容する。

 「スーダラ節」(青島幸男作詞、萩原哲晶作曲)や映画「無責任」シリーズで人気を博した植木等さんが27日、他界した。享年80歳。クレージーキャッツの時代から、大好きなタレントさんの一人だった。

 以前、旅行会社に勤務していた頃、我が国における「旅の原点」と言われている「お伊勢参り」によく出かけた。その折、植木さんが三重県のお寺の生まれであることを、度々耳にしていた。

 記憶では日蓮宗のお寺だと思っていたが、訃報記事によると、正しくは浄土真宗だった。人間の記憶とは実に曖昧なものだ。

 実を言うと、「スーダラ節」は、「襟裳岬」と並ぶ私のカラオケの十八番(おはこ)である。ネクタイをバンダナ巻きにして客席を一巡すれば、ほとんどその場のスターである。

 翌朝、しわくちゃのネクタイやシミの付いたワイシャツをしげしげと眺めながら、毎回のように反省している。「昨夜の行状は、バンダナではなく一文字変えてバカダナ」などと。

 「ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやら梯子酒。気がつきゃホームのベンチでゴロ寝。これじゃ身体にいいわけゃないさ。分かっちゃいるけどやめられない。あソレ、スイスイスーダララッタ、スラスラスイスイ」。

 新聞各紙やテレビでは「高度成長期を反映しながらも云々…」と、もっともらしく解説されているが、二番、三番の歌詞には随分と社会風刺的な表現が盛り込まれていることを、ご存知だろうか。

 「一目見た娘にたちまち惚れて、よせばいいのにすぐ手を出して。騙したつもりがチョイと騙された。俺がそんなにもてる訳ぁないさ。分かっているけどやめられない…」。

 「狙った大穴見事に外れ、頭カッときて最終レース。気がつきゃ財布はスッカラカンのカーラカラ。馬で金儲けした奴ぁないさ。分かっちゃいるけどやめられない…」。

 当時とは社会情勢が大きく異なったとはいえ、昨今流行の「不倫」や「ギャンブル」の問題点を鋭く指摘し、豪快に笑い飛ばしているではないか。

 「スーダラ節」以外では、テレビドラマの主題歌ともなった「だまって俺について来い」がお気に入りだ。

 「ゼニのない奴ぁ、オレんとこへ来い。オレもないけど心配すんな。見ろよ青い空、広い海。そのうち何とかなるだろおっ…」。

 でも植木さん、私、確かに「ゼニ」はありませんけど、まだ諸般の事情で〃あの世〃には参れません。ナニ…?「お呼びでない。こりゃまた失礼しましたぁー」。


2007/03/26

花の東京のど真ん中!! - 皇居は簡素にして威風堂々 -

 「花の東京のど真ん中、ぐるり廻るは山手線、皇居、丸ビル右に見て、とんと一駅下ります」。

 年配者には懐かしい佐々木新一のヒット曲『あの娘たずねて』の一節だが、久しぶりに上京した。

 初めて東京へ上った時は飛行機ではなく、寝台特急「さくら」を利用した。夕方4時頃に出て、翌朝の9時頃に着いたのではないか、と記憶している。

 最近の移動手段は航空機だ。それにしても遠い。島原から目的地までの所要時間は、優に5時間は見ておかないといけない。

 そうやって辿り着いた東京で〃新発売〃に出くわした。すでにテレビ等でも紹介されているので、ご存知の方も多いかと思うが、「パスモ」という万能カードのサービスが18日から始まっていた。

 勿論これまでも「スイカ」というカードがあって、モノレールやJR各線で利用できていたが、「パスモ」の守備範囲はバス、私鉄、地下鉄までをカバー。便利さは数段上だ。

 余談だが、関西は「スイカ」に相当する「イコカ」(「行こうか」転じて)というカードがある。悪乗りして恐縮だが、関東のエレベータが「左並び」なのに対して、関西は「右並び」だ。

 閑話休題。半蔵門のビジネスホテルに泊まった。番地で言うと、千代田区一番町。まさしく「東京のど真ん中」だ。

 朝早く(6時前)目が覚めたので、散歩をすることにした。すぐ近くに全国町村議員会館という建物がたっていた。

 大通りに出ると、福岡会館が英国大使館と隣接していた。福岡の〃底力〃を見せつけられた思いがしたが、うらやましがっても仕方がないので、そのまま歩いた。

 標識には「千鳥が渕」とあった。北の丸公園、毎日新聞本社、消防庁、パレスホテル、日比谷公園などを横目に見ながら歩を進めているうちに、色んな人々に出会った。

 「ウン?さっきすれ違ったヤッケ姿の脂ぎった御仁は〃艶福家〃で鳴るあのセンセイ」「運転手付きのハイヤーから下りてきて走り出したのはどこかの官庁のお偉いさんか」…。

 それにしても皇居(江戸城)の佇まいは実に素晴らしい。簡素にして威厳がある。欧州の宮殿なんか比較にならない。何より観光客相手の〃物売り〃がいないのがよい。

 足元を見ると、各都道府県の「花」をあしらった敷石が等間隔で配してある。「銀座の柳二世」という植え込みも面白い。

 国立劇場、社民党本部(三宅坂)、FM東京、その隣にはワコールの変わった建物。時計回りにちょうど1時間。

 「島鉄も列車とバスを組み合わせて、半島を一周するようダイヤを組めば乗客が増えるだろうに…」。島原城お堀の約4周分を歩き終えて、誰かが呟いていた言葉を思い浮かべた。


2007/03/24

小田浩爾さんが出版 - 型破りな役人人生を総括 -

 元県総務部長、小田浩爾さん(81)=島原市出身=の出版記念祝賀会が21日、長崎市内のホテルで開かれた。

 発起人は松尾英三(元島鉄社長)、本田文昭(本田商会社長)、小川幸雄(長崎総研社長)、宮崎和子(宮崎康平氏夫人)、加藤信夫(毎日新聞編集局長)、峠憲治(長崎新聞論説委員長)、江口満(『長崎消息』編集長)の七氏。

 官民の垣根を越えて活躍した小田さんの〃生き様〃を反映して、まさに多士済々。約150名の友人らが出席して、役人らしからぬ風貌をした〃快男子〃の周りを囲んだ。

 司会は、かつて県職の青年部長として小田部長と〃対決〃した経験を持つ江口さん。「エグチマン」のニックネームで知られる労組界きっての〃論客〃だ。

 発起人を代表して挨拶に立ったのは、県庁の後輩で島原ともなじみの深い松尾さん。傘寿を越えてなお週に2回はプールに通い、600メートルを泳ぐ〃怪物〃の近況を暴露した。

 続いて、桟熊獅前佐世保市長、福岡・弦書房社長の三原浩良の両氏が祝辞を述べ、元長崎商工会議所会頭の中部長次郎さんが乾杯の音頭を取った。

 さて、肝心の「本」の話。タイトルは『巡り逢いし人達』(長崎人間模様)。県庁退職後3年にわたって理事長を務めた「県住宅供給公社」の破たん事件をきっかけに、毎日新聞支局長やエグチマン氏のインタビューが始まる。

 内容は一言でいえば「自分史」だが、何せ「鳥の目を持った男」(松尾さん評)の〃波乱万丈〃の生涯であるから、面白くないはずがない。

 島原関係では「難航した島原温泉病院」という項でページを割いている。現在も名称を改め、地域の中核医療機関として大きな役割を果たしているが、島原中学の同級生でもあった森川末承元助役(当時観光課長)との見事な〃連携プレー〃であったことが綴られている。

 それから、これは出席して初めて知ったが、小田さんは最初から県庁マンではなかった。長崎商工会議所からの〃転進組〃で、声を掛けたのが当時の西岡竹次郎知事の甥っ子の倉成正さん(元外相)だと聞いて驚いた。

 個人的には、長崎プリンスホテルの社長時代に秘書を務めていた「ギンちゃん」のことを思い出した。どういった経緯か知らないが、ギンちゃんは随分と年上のNHK長崎支局長の妻の座におさまった。

 宴の締め括り役は自他共に認める〃大親友〃の森本元成さん(元島原商工会議所会頭)。望洋会(島中第40回卒)に伝わる「軍艦旗事件」の〃秘話〃が言葉巧みに披露され、爆笑を誘っていた。

 いずれにしても「大正生まれ」のこの御仁たちは、いずれも舌を巻く〃怪物〃ぞろいである。


2007/03/21

康平先生は〃人たらし〃 - オメデトウ!!福崎&楠田さん -

 お祝い事が2つ重なった。(株)福栄会長、福崎理智子さんの自分史『坂みち』の出版祝賀会(16日)と、(有)雲仙きのこ本舗(楠田喜熊社長)の創立50周年記念パーティー(17日)だ。

 会場は、前者が深江町山の寺の「邑居」(下田直敏社長)。そして後者が、同じく深江町折口の「ウエディング石川」(石川景士社長)。両会場とも施設の特性を存分に活かした雰囲気づくりが〃主役〃の存在をさらに引き立てていた。

 福崎さんが出版に挑むのは『孫へのおくりもの』(平成12年)に次いで2度目。今回は自らの生い立ちから今日を迎えるまでの様々な出来事(事件!?)が乾いたタッチで描かれており、読み応え十分。

 会場は約100名の招待客で溢れ、祝賀ムード一色。発起人代表の久部貞男島原商工会議所会頭と、昭和堂会長の永江正國会長がその「人となり」を称える祝辞を寄せた。

 一方、「雲仙きのこ」は〃昇竜の勢い〃そのままに、県内外から政財界を中心にゴージャスな顔ぶれが出そろったが、どのような状況にあっても〃本質〃を外さないのが楠田流。

 淡々と述べた開会挨拶の結びで、「出掛けに、これだけは是非皆さんに伝えてほしい、と家内から注文を受けました」と前置きして紹介したコメントがいかにも楠田社長らしい。

 「当社は今年創立50周年ですが、人類が初めて宇宙へと旅立ったのも、我が国で南極探検がスタートしたのもちょうど50年前からです」 - 。

 さて、その〃節目の年〃を記念して同社が目論んでいるのが、なんと「ニューヨーク進出だ」と聞いてびっくりした。すでに今月初めに開かれた国際見本市にも出品しており〃準備万端〃といったところ。

 何はともあれ、お祝い事は素晴らしい。出席する方も〃元気〃をいただいたような気持ちになって、ついつい酒も進む。

 ところで、こちらはお祝い事ではないが、福崎さんの祝賀会の翌日が26回目の「康平忌」だった。

 思い起こせば、草野壬二郎さん(当時は伊勢屋旅館社長、後に小浜町長)に連れられて、初めてお目もじしてから早32年の歳月が流れた。

 誤解を恐れずに言えば、先生は〃稀代の人たらし〃だった。分野を問わず、会う人ごとに強烈な印象を与え、いつしか忘れることのできない存在感を植え付けてしまう…。

 古川青果の江島栄太郎社長が若かりし頃を思い浮かべ「そう言えば、オイは古川三兄弟の真ん中と言うことで、『お前は中ブルたい』と呼ばれていた」とニンマリ。

 とっとっと(松永忠徳社長)の「殿さん蔵」のレジー背後には『花あれば花あるごとく - 』の扁額が飾られている。拙宅の座敷にも、仕事部屋にもそれがある。合掌!!


2007/03/18

キムタクは婿養子!? - 今日最終回『華麗なる一族』 -

 「ヒカル、ヒカール東芝、ハシル、ハシール東芝、ウタウ、ウターウ東芝、ミンナ、ミンーナ東芝、東芝のマァーク」。

 むかし、日曜日の夜9時からのテレビ番組は「東芝日曜劇場」と相場が決まっていた。

 『放浪記』の舞台で、最近すっかり〃大御所〃になってしまった感のある森光子が「こんちはー、パンツ屋ですーっ」と大声を上げて画面を賑わせていた頃が懐かしい。

 ドラマの中ではこんなセリフが語られていた。「貧しいから、貴方にあげられるものと言ったら、精一杯働くことと、爽やかな五月の風だけです」。

 その日曜劇場の系譜に当たる、木村拓也主演のテレビドラマ『華麗なる一族』(山崎豊子原作)が、視聴率20%を超える人気番組だという。

 たまたまだが、その番組の一回目が放送される直前に、日本映画専門チャンネルで流れた、仲代達也主演の同一映画を観てしまったのがいけなかった。テレビが全然面白くない。

 仲代とキムタクを比べること自体がナンセンスだが、父親で阪神銀行頭取役の佐分利信と北大路欣也との間に介在する、役者としての〃貫禄〃の違いにも目に余るものがある。

 映画で北大路が演じていたのは、阪神特殊製鋼の若いエリート社員(米国留学帰り)の役だったが、年相応の役回りにせよ、眼光だけがやけに鋭くなっただけで、〃存在感〃という意味では到底、佐分利には及ばない。

 脇役の力量の違いも歴然としている。妻妾同居の頭取一家を取り仕切る閨閥作りの名人として登場しているのは、映画が京マチ子で、テレビが鈴木京香だが、にじみ出る〃イヤラシサ〃がまるで別物だ。

 一言でいって、キムタクはじめ全ての出演者が軽いのである。それがテレビの〃特性〃と言ってしまえばそれまでだが、もう少し〃重厚感〃を醸し出す演出でも良かったのでは、と思うのは筆者だけか。

 どこかの待合室で見た週刊誌の記事によると、キムタクは女房の工藤静香には、からっきし頭が上がらないらしく、家ではまるで〃婿養子〃ように萎縮しているらしい。

 筆者の独断と偏見によれば、キムタクの魅力を最大に引き出しているのは富士通のパソコンのCMだ。無理して唇を噛みしめたようにして〃演技派〃を気取ってみたところで、底は知れている。

 いよいよ今日18日が最終回で、90分のスペシャル版ということだが、どうせチンケなエンディングに決まっている。

 幸い、所用で家を離れるので家人と一緒に見ないで済むが、恐らく同席していたら時々チャチを入れる筆者にガンを飛ばしてこう言うだろう。「ヤカマシカ、アッチ行け!!」。


2007/03/16

合格しても油断禁物!! - 人生はゴルフのようなもの -

 春。卒業式、入学式、入社式…。旅立ちのシーズンである。

 先日、出張先で見たテレビでは、20代、30代、40代などと年齢層に分けて「卒業シーンに相応しい曲」のアンケート調査の結果を紹介していた。

 最近のハヤリは知らないが、我々50代前後の「卒業ソング」と言えば、何と言っても松任谷由実(ユーミン)の『卒業写真』に尽きる。

 予定通り〃留年〃が決まったその年の3月、筆者と友人のY(大阪出身)の2人は、かつての〃同級生〃を見送るため、赤いバラの花束を抱えて卒業式会場のほとりに佇んでいた。

 「留」は「トメ」とも読むので、我々はお互いを「トメ公」と呼び合っていたが、式を終えて颯爽と現れた〃先輩〃の一人が、一つ年上だったYを「トメ一」、筆者を「トメ二」と名付けた。以来、そいつとは〃没交渉〃だ。

 最近は受験勉強の反動とやらで、大学に入った途端に〃遊びの世界〃にのめり込む輩も多いという。事実、知人の子弟も旧帝国大学や慶応経済という〃超難関校〃に合格しながら、途中でドロップアウトしてしまっている。

 人生はゴルフのようなものである。18ホールを刻んでスコアの帳尻を合わせる人もいれば、やりっ放しに振り回してOBを連発する人間もいる。

 小学校から〃名門〃という学校に入り、中高一貫教育を受け、大学は東大、就職先は官庁というエリートさんは、親のアドバイス通り、決してフェアウエイを外すことなく、悪くても「パー」はキープする。

 一方、非エリートが放つボールの行く先は、あてどないラフや林の中…。たまには池ポチャなどがあったりして、なかなかスコアメークが成り立たない。

 ところが、人生もゴルフも面白い。エリートはフェアウエイでは力を発揮するが、いったん斜面やバンカーなどに入ると、なかなか抜け出せない。

 これに反して、非エリートの中から極々たまにではあるが、見事なリカバリーショットを放って「パーディ」や「イーグル」果ては「アルバトロス」まで取ってしまう〃天才〃が登場する。

 日本人の平均寿命は現在、世界第2位ということだが、高校を卒業した満18歳という年齢は、18ホールで言ったら、どの辺りだろうか?

 見事、難関の志望校に受かった人間はたまたまアプローチショットがグリーンに乗ったようなものだ。ひょっとしたらエッジの部分かも知れない。

 むしろ、その後に控えたパッティングに集中しないと、2打、3打と重ねて、相手にしていなかったリカバリー組に追い付かれる恐れも十分にある。

 先は長い。ゆめゆめ油断なさらぬよう…。


2007/03/12

南目線は金を失う!? - 存続目指すなら衆知集めよ -

 全国的に鉄や銅線などの盗難事件が相次いでいる。8日付け長崎新聞によると、延岡市ではガードレールが240メートルにわたって盗まれた、という。

 当社としても大量のケーブル線を扱っているので、あながち〃他人事〃ではなく、社員にも注意を促しているところだ。

 そう言えば以前、某CATV会社の社長が、取引先(卸会社)の社員に、わずかな小遣い銭と引き換えに、材料の〃横流し〃を指示していたという、嘘のような本当の話を親しい知人から聞いたことがある。

 盗品は恐らく発展途上国等に流れていくのであろうが、犯罪そのものの悪質性よりも、ある種のヤリキレナサを感じてしまう。

 ところで「鉄」の問題。我が国を代表する大企業の新日鐵はなぜ旧字体の「鐵」を使うのだろうか。その理由について、面白い話を聞いたことがある。

 「鉄」という字を分解すれば、「金」を「失」う。これは縁起が悪い、ということで、敢えて旧字体の「鐵」を使用しているのだ、という。

 さて、その「鉄」から連想されるものと言ったら、やっぱり「鉄道」だろう。地元で「鉄道」と言えば「シマテツ」に他ならないが、そのシマテツがいま「南目線廃止問題」で揺れている。

 とは言っても、経営側としてはすでに〃機関決定〃していることであり、今月末の申請に向けて粛々と準備を進めている模様だ。

 取締役会等での同社執行部の説明を要約すると、「赤字の元凶は南目線。ここを廃止すれば、島原~諫早間で何とか採算が取れる」との論法。決算書等でも、その分析は十分に正鵠を射たもの、と言える。

 ところが、その合理的な判断に対して、地元内外から「納得できない」とする非難の声が相次いでおり、関係者にとっては何とも悩ましい限りだろう。

 10日付け長崎新聞でも、「住民の足 簡単に切るな」との見出しで、県議会総務委員会での地元選出議員の反対意見の内容を紹介している。

 普賢岳の噴火災害時に、シマテツ救済を盛り込んだ基金創設に向け奔走した宮本秀利さん(瑞穂町)もその一人。「企業論理だけで切り捨てるのはどうか。鉄道経営にはもっと理念とロマンがなければ…」と警鐘を鳴らす。

 極めて乱暴な私見を述べさせていただくなら、この問題解決のカギを握っているのは、同社の塩塚吉朗社長と、南島原市の松島継佳市長の両名。

 密室だろうが、オープンだろうが構わない。心底「存続」を目指すのであれば、きっと何らかの方策が見つかるはず。勿論、周辺自治体や地元企業の理解と協力も必須条件だ。

 このままでは南目線は本当に「金を失う道」になってしまう。しまいには窃盗団の格好の標的に…。


2007/03/10

正義の味方は果たして - 〃テイヘン野郎〃も興味津々 -

 昨夜、話題の『おふくろさん』を某スナックで熱唱した。気持ち良かった。調子に乗って『襟裳岬』まで歌ってしまった。

 『おふくろさん』は川内康範作詞、猪股公章作曲。言うまでもない、演歌歌手、森進一の代表的ヒット曲の一つである。

 どうしたボタンの掛け違いか〃真相〃のほどは分からないが、テレビ報道等によれば、「私の作品に勝手なセリフをくっつけやがって!!もう金輪際アイツには歌わせない」と川内氏が激怒している、という。

 どちらの味方をするわけではないが、最初にこの騒動に関する森進一のコメントを聞いた時、「こりゃー相当やばいなぁ…」と内心思っていた。

 「川内先生ももっと広い心でもって、現状を受け入れて下さらなければ…」などとニヤけて応じていたインタビューの姿に、一流歌手にあるまじき〃思い上がりの断面〃を垣間見たからである。

 その後のてん末については、川内氏の住む青森への「お詫び行脚」や、しつこく食い下がる報道陣への「殺陣攻撃」など、随分とテレビ的な映像が繰り返されているのは、皆様ご高承の通りだ。

 先日、車を運転しながらラジオを聴いていたら、川内氏の母親は生前、周囲の貧しい人々に、誰彼と分け隔てなく食べ物などをふるまっていたのだそうだ。

 そうした気高い母の生き様を元に創作した作品に対して、「いけない僕でした」などという森個人の軟なセンチメンタリズムを付加されることは「断じてまかりならん!!」と。

 川内氏と言えば、初期のテレビドラマ『月光仮面』の主題歌の作詞家としても知られる。「疾風のように現れて、疾風のように去ってゆく。月光仮面は誰でしょう」。

 月光仮面は、その歌詞にもあるように、日本における〃正義の味方〃の代表選手だ。時々、その衣装をまとった〃謎の人物〃が選挙戦などに登場するのもその表れだろう。

 選挙と言えば、東京都知事選が俄然面白くなった。事実上は、現職の石原慎太郎知事と、前宮城県知事の浅野史郎氏の〃一騎打ち〃だろうが、個人的には30年以上も前に行われた「美濃部VS石原」の戦いを思い出す。

 当時は選挙権もないただのミーハーとして眺めていたのだが、石原陣営が配っていた「太陽バッジ」のことが妙に印象深く残っている。

 作家、佐野眞一氏が著わした『テッペン野郎』はその石原一族のDNAまで踏み込んだ力作で、大変面白かった。果たして、現職が〃頂上〃の位をそのまま維持できるのか。

 はたまた、後出しジャンケンの浅野・月光仮面が正義のノックアウトパンチを浴びせられるか。〃テイヘン野郎〃の私も興味津々だ。


2007/03/09

普通が一番だよね… - 世の中いつも〃千差万別〃 -

 ことしの公立高校入試も8日、終了した。我が家の「キンコ・スケヤク君」の出番もいよいよ一年後に迫った。心配だ。

 高校入試で思い出すのは、初代防衛大臣を輩出した長崎県立口加高校に「1番」で合格したこと。誤解を招くといけないので解説するが、受験番号が「1番」だったのである。

 当時は、新聞各紙に合格者の全氏名が掲載されていたので、当然、私の名前は「トップ」に記されていた。

 その記事を見た親戚の一人が「マモルが一番で合格しとる!!」と驚いていたという話を後で聞いたが、悪い事ではないので、敢えて説明は避けた。

 高校合格者に限らず大学合格者名等が新聞紙上を賑わせなくなって久しい。きっかけは、ある政治家が成人式に合わせて、一斉に祝電を贈ったことからだった、と記憶している。

 まったく余計な事をしてくれたもんだ。そのトバッチリを受けたような形で、本紙の名物コーナーであった『こちら119番』も閉じざるを得なくなってしまった。

 「プライバシー保護」と言えば、確かに納得できないこともないが、一方で「お祝い」や「お見舞い」の必要性を知らせる身近な情報手段がなくなってしまった。

 一言でいって「世知辛い世の中」になってしまったもんだ。かつて日教組教育華やかなりし頃、運動会のかけっこで「順位」を付けないという愚行がまかり通っていた。

 「何でも公平!!」「何でも平等!!」―。耳ざわりの良い響きだが、そんなキレイ事がいつまでも世の中で通じるはずがない。

 勉強のできる子、運動能力に優れたスポーツ選手、力の強い奴、絵を描かせたらピカイチの才人…。人間はいつの世も〃千差万別〃である。

 大切なのは全体のバランスだ。頭だけでも、腕力だけでも世の中は渡っていけない。それぞれに弱点をカバーし合ってこそ「暮らしやすい社会」が実現するのではなかろうか。

 だいぶ前の話になるが、ワイドショーである幼稚園のお遊戯会を取り上げ、「主役の王子様がナント5人も!?」だとか言って揶揄していた。

 その話を聞いた時は、「まあ、そんなんは特殊な事例だろう」と思っていたが、同じような話を伊豆大島に住んでいる妹から実際に聞いて慄然とした。

 その点、我が家の三人息子は気楽で良い。カトリック系の幼稚園に通っていたが、一人として伝統の「聖劇」とやらで「主役」を張ったことがない。いわゆる「鼓笛隊の笛」だ。

 勉強は苦手だが、オヤジの心を見抜くことにかけては人一倍の才能を発揮するキンコ・スケヤク君が通知表を見せるとき、いつもこう言う。「普通が一番だよね、お父さん」。


2007/03/01

もっと太陽に感謝を!! - ニッポンは「日いずる国」 -

週間天気予報を見ると、今週はどうやら「晴れの日」が多いようだ。それにしても、最近はどの局も美形のお天気キャスター揃いで、感心している。

タレント系のお天気キャスターの採用は、筆者の学生時代から始まった。当時、バイト先の局のプロデューサーが「アメリカには天気の専門チャンネルがある!!」と言って吃驚していたが、日本も間を置かずしてそうなった。

余談だが、初代「お天気お姉さん」の一人として活躍したのはM・Yさん。しばらくテレビに出てないなあ…と心配していたら、ある日、あられもない姿で週刊誌のグラビアを飾っていた。もちろん買った。

エヘン…。そんなことより、最近は日の出も随分と早くなり、我が家の洗面コーナーにも七時過ぎには、柔らかな日ざしが差し込むようになった。

誰に強制、教わったわけでもないが、朝日(太陽)に対しては、拍手を打って拝むことにしている。

だって、有難いではないか。別段、使用料を納めているわけでもないのに、1年365日、欠かさず「明かり」を送っていただいている。雨の日だって朝になると、夜は明ける。そのおかげで、植物は光合成を行い、人々は生きる活力を授かる。

ましてや日本は「日出ずる国」。ベストセラーにもなっている『世界の日本人ジョーク集』(中央公論新社)の中で紹介されているが、著者の早坂隆氏に対して「貴国はあの太陽の下か」と旧ルーマニアの人々が真顔で聞いてきた、というから感激ではないか。

いずれにしても、もうちょっと「お天道様」に感謝をしても、決してバチは当たるまい、と思う。

ところで最近、夕刻家路につく頃に、少しセンチな気持ちになる。夕焼け空をバックにくっきりと映える教会のシルエット。行ったことはないが、まるでイスタンブールにいるような気持ちになる。

まあ、そんなことはどうでも良い。その後方には黒いマントを羽織ったような眉山が聳え、天上には宵の明星(金星)がキラキラと輝いている。

そんな時、心底「島原は美しい」「宇宙は素晴らしい」と思う。センチメンタルとは、そのような感慨を表した言葉だ。

太陽も、星も、そしてこの地球の大自然すべてが、不思議な力で人間を守ってくれている。時々、夜道を散歩しながら、そうした心境に浸る。

嗚呼、それなのに我々は一体何を…?背が高い、顔立ちが美しい、難関大学に合格した、大企業に就職した…。所詮、そんなのは人間の作り出した「相対差」に過ぎない。

傍らの日めくりが「大切なのは『絶対差』ですよ」(鍵山秀三郎談)と教えてくれるが、出来たら「月末」だけは来て欲しくない。これって中小零細企業経営者のホンネ!!