2007/08/31

好奇心溢れる人材募集!! - CFMの検証に新潟・長岡市へ -

 記録的な猛暑続きだった2007年夏も、いよいよ終焉を迎えようとしている。そして、今日9月1日は立春から数えて「二百十日」目。今風にいうなら「防災の日」だ。

 「防災の日」は1960年(昭和35年)に、関東大震災(大正12年同日発生)による大惨事の教訓を生かそう、と閣議で制定された。

 震災から30年以上も経っての制定だなんて、いささか間が抜けた感じがしないでもないが、これにはワケがあるそうだ。

 背景には、前年の伊勢湾台風(昭和34年9月26日)による大被害(死者・行方不明者約5千人)がある、という。

 地元の古老の話では、「今年はハチが木の下の方に巣を作っているから、台風の数が多い」との予想だったが、幸いにも今のところは外れている。

 まあ、人間の身勝手かも知れないが、農家ならずとも「雨」は歓迎だが、「風」は要らない。

 「防災」の話に戻る。実は来週初め、新潟県に出向く。担当の社員ともども地震に見舞われた長岡市を訪ね、現地のコミュニティFM局(CFM)が災害下でどのような対応をしたかを検証してくるつもりだ。

 平成7年に起きた阪神大震災の折も、カメラを担いで一人被災地に赴いたが、今回は同行者も案内人もいるので、少し気が楽だ。

 それにしても、立て続けの自然災害に、現地の人々の心労はいかばかりだろうか…。察して余りあるものがある。

 CATV、CFMとも、小なりとはいえ国(総務省)が認可した「放送局」である。その社会的使命は傍目より遥かに重いものを持っている、と言っても過言ではない。

 なぜなら、その事業は、安全確保ばかりでなく各方面において、地域の人々の生活と密接に関連しているからだ。

 阪神大震災でもそうだった。高速道路の寸断や火災等の映像は既存のテレビ局の独断場だったが、復旧・復興の過程では、CATVやCFMがとても大きな役割を果たした、と全国紙が報じた。

 我々が目指そうとしているのは、さらにその上に「防災」「防犯」の機能を持たせることだ。そこで活躍が見込まれるのが「無線LAN」のシステムだ。

 先般の花火大会でも「今年は無線LAN中継をしないのか」といった問い合わせが、会社にも自宅に相次いだ。大変に有難いことだ。

 現在、国のモデル事業ともなった「見守りシステム」の構築中で、今回は中継を見送ったが、完成のあかつきにはイベントばかりでなく市内各所からの生中継が可能となる。

 カボチャテレビがCFMと一緒になって、全国でも初の「安心・安全地域メディア」として生まれ変わる日も近い。好奇心溢れる〃有志〃の登場を心待ちにしている


2007/08/29

年寄りの冷や水は隅田川 - ことしも賑わった島原花火大会 -

 28日夜 - 。ことしも新湊1丁目のマルデンビルオーナー、下田邦臣さん宅の庭園から花火見物をさせていただいた。

 奥様にうかがったら、この宴はもう20年くらい前から続いていると、いう。それにしても〃ご馳走〃だった。仕込みから後片付けまで、随分とご苦労をかけたに違いない。

 紙面を通じて厚く御礼を申し上げるところだが、こんな事を書くと、「何を改まって!?あなた、いつも迷惑かけているでしょ!!」と苦笑いする奥様の表情が浮かんでくる。

 大会は絶好のコンディションのもと、予定通り、午後8時半きっかりにスタートした。最大の呼び物は「1尺5寸」の打ち上げ花火。しかし、酔眼には余りその違いが判らなかった。

 ただ、最後の方で頭上に覆い被さるように、天空から降りかかってきた「ナイアガラ」あたりだろう、と大体の見当はつけている。

 この夜は、別の見ものもあった。そう「皆既月食」だ。「花火」を入れて、なおかつ「月食」を入れての撮影に、果敢に挑んではみたものの、三脚を用意していなかったせいで、ブレブレのピンボケ写真。

 『ちょっとピンボケ』は戦場の名カメラマン、ロバート・キャパのキャッチフレーズだが、庭園の迷カメラマンはちょっとボケの度合いが過ぎたようだ。

 さて、全国の代表的な花火大会の一つに、新潟・長岡市の信濃川河川敷で開催される大会があるが、果たして今年はどうだったのだろうか。

 同じく自然災害を受けた身としては、一日も早い復興を願うばかりだが、地震騒ぎでそれどころではないのだろうか。所用もあるので、来月その状況を確かめてきたい。

 ところで、東京・隅田川の花火大会も有名だ。こちらもまだ見たことはないが、花のお江戸の催しだから、屋形船なども繰り出して、さぞかし大賑わいに違いない。

 その隅田川の話をこの前、小沢昭一さんがラジオでしていた。演題は「年寄りの冷や水」。

 広辞苑によると、その言葉の意味は「老人に不似合いな危ういことをするたとえ。また、老人が差し出たふるまいをすること」とある。

 ところが、小沢さん(番組スタッフ)の調べによると、この「冷や水」の水源は「隅田川」だというのだ。

 フムフム面白いではないか、と聞き入っていたら、「江戸の昔、隅田川の水は、今とは比較にならないくらい澄んでいて、しかも冷たかった」との解説。

 そこから転じて、「余りに美味いので、健康を案じて、水の飲み過ぎを戒める意味が込められている」ということだった。

 どう皆さん、面白くないですか?ナニ、面白くない!?それではまた、明日の心だぁー!!


2007/08/28

いよいよ創刊109年!! - 新たな決意でメディアの〃融合〃 -

 里帰りの妹たちが居なくなって数日。いつになくガラーンとした我が家。ことに、一人で賑わせてくれた年少の甥っ子「T」の姿が見えないのが寂しい。

 もとより9人の大家族だが、連中(長男含む)が帰ってくると、一挙に14人に膨らむ。そう言えば昔、『ただいま11人』という橋田寿賀子脚本の連続ドラマがあった。

 両親役が山村聰と荒木道子。それに息子2人と娘が7人。今ではすっかりお年を召された池内淳子や渡辺美佐子らの面々が〃娘役〃で出演していた。

 子どもは見ているだけで楽しい。安らぐ。「T」は今からちょうど2年ほど前に、島原で生まれた。

 その年の夏は出産ラッシュで、今でも親しくお付き合いいただいている宅島壽晴さん宅(松が丘団地)の孫2人に加えて、我が社の夫婦社員にも待望の第一子が誕生した。

 「T」が生まれたのは確か日曜日だった。お墓参りの後、深江・山の寺の「邑居」でソーメン流しを楽しんだ。そして、昼過ぎから急に産気づいた。

 幸いお産は軽く、比較的早い時刻に生まれた。分娩室からベッドに横たわったまま運び出されてきた妹は、疲れた表情も見せず、指で「Vサイン」を送ってきた。

 そう、あれからもう2年か…などと感慨に浸りつつ、先代社長の祥月命日(26日)を迎えた。墓碑を見ると、亡くなったのは昭和41年。奇しくも41年の歳月が流れたことになる。

 余談だが、本紙の創刊は明治32年8月25日であるから、紙齢はとうとう百九年目を数えた。

 発刊当初からの関係者の苦労もさることながら、すべては、この「地域紙の文化」を育んでいただいた島原半島の住民・出身者の皆様、そして温かい風土のお陰である。

 その証拠に、人口規模では遥かに上回る諫早や大村では「地域紙」が育たない。

 最近はインターネットの普及で、一部では「新聞はもはや時代遅れのメディア」とまで酷評されているようだが、一方で「情報源」としての新聞は益々重要視されている、という現実がある。

 欧米では歴史の古い大手紙が、新手の資本に次々と買収されているとも聞くが、何と言っても、新聞にとっての存在価値は、「情報源」としての役割だ。

 「地域紙」は「全国紙」とも、「ブロック紙」とも、また地方紙の代名詞である「県紙」とも違う。これまでも、これからも「独自の路線」を歩いて行かねばならない。

 率直に言って、改めなければならない側面は多々ある、と思う。しかし、その精神は、発刊当初から微動だにするものではない。

 新たな決意で「新聞」と「CATV」(インターネット&無線LAN)、そして「コミュニティFM」の融合に取り組むことを、ここに宣言する。


2007/08/24

「KY」VS「鈍感力」 - 政治家に必要なのは腹芸!! -

 当社の事務所(NTTビル1階)は白土湖にほど近い、音無川沿いにある。お向かいは「こひつじ保育園」だ。

 いつもより少し遅れて花壇の世話をしていたら、川越しに園児たちの元気な歌声が響いてきた。

 「僕らの僕らのリーダーは、ミッキーマウス、ミッキマウス、ミッキ、ミッキマウス♪」 - 。

 ご存知ように「ミッキーマウス」は、福澤諭吉翁が創設した慶應大学のマスコットである。ちなみに早稲田は「フクちゃん」。

 普通に考えれば、「ミッキーマウス」の歌声は、単なる日常風景の一コマに過ぎないのかも知れない。ただ、「リーダー」という部分に引っ掛かった。

 何故なら、日本のリーダーを決める「内閣改造」と、それを支える「自民党三役人事」を目前に控えているからだ。

 安倍政権が発足して間もなく1年を迎えようとしている。しかしながら、初めて執行された国政選挙(参院選)で、安倍自民党はライバル民主党に歴史的な大敗を喫した。

 その敗北を受けての組閣作業。党内ですら「退陣要求」の声が公然と噴出する中、続投首相はどう舵を切るのか。

 言うまでもなく、前政権の主は「自民党をぶっ壊す!!」と大見得を切って登場し、公約通り、既存の社会システムをズタズタに切り裂いて、盟友の竹中平蔵氏とともにスーと身を引いて行った。

 その前総理は慶應の出身で、盟友も再び同学の教授に返り咲いた。言うならば、二人とも「ミッキーマウス」なのである。

 よもや園児たちが「安倍さんではダメだよ。やっぱり、小泉さんに再び総理になって、強烈なリーダーシップを発揮してほしいよね」と願っているわけはないだろうが、気になる歌声ではあった。

 さて、安倍さんを評する言葉に「KY」という略語がある。もともとは東京辺りの若者言葉。その心は「K」が「空気」で、「Y」は「読めない」と訳すのだそうだ。

 一方で小泉さんは作家の渡辺淳一が著した『鈍感力』という言葉を取り上げ、「世の中(政界)を滞りなく渡っていくには、ある程度『鈍感』でなければ…」と説いて話題になった。

 表面的には「KY」も「鈍感力」も、さほど差異はなさそうだが、決定的に違うのは前者が「天然」であるのに対し、後者は「意図的」だということ。

 以上は、拙者の勝手な決め付けだが、「鈍感力」を発揮するのは、かなり精神的な苦痛を伴うもの、に違いない。

 本当は気付いていて内心ハラハラ、或いは不快に感じているのに、その苦々しい思いを決して表情には出さない忍耐力。

 やはり「腹芸」こそが、政治家(トップリーダー)に求められる一番の素質ではないでしょうかね、ミッキーさん。


2007/08/23

エー、名前の話を一つ - 誤植に怒った高倉テルさん -

 天才バカボンの父ちゃん風に言うと、今日は「名前」の話なーのだあ!!

 先日、ジオパーク構想について、雲仙岳災害記念館で講演した鹿児島大学名誉教授の岩松暉さんが、「若い頃、先輩から『暉』の字を『褌』と読み間違えられた。以来『フンちゃん』と呼ばれています」と、洒脱な自己紹介。

 正確には「暉」の字は「アキラ」と読み、「褌=フンドシ」とは一切関係なさそうだ。余談だが、前国見町長の渡辺秀高さんは、昔からの愛用者のようである。この前、花みずきの風呂でしっかり確認した。

 と、そんな事柄をトイレの中で想い出し笑いしていたら、家人に嫌がられながら持ち込んだ『諸君8月号』に、似たような話が掲載されていた。

 作家の出久根達郎さんが『言の葉のしずく』というコーナーで紹介しているもので、ページ中央に「褌」の大文字。これがすこぶる面白かった。

 取り上げているは作家の高倉テルさん(一八九一年 - 一九八六年)のこと。もともとは京都帝国大学で英文学やロシア文学、言語学などを修めた碩学家。

 河上肇らの影響で一時期、マルクス主義に傾倒。農民運動(各地の自由大学の運営)とも関わるが、一方で、国語国学にも造詣が深かった。代表作は『大原幽学』『箱根用水』など。

 高倉は、江戸時代の農業書の一つ『石見外記』を研究するが、そこに出てくる漢字表記の複雑さに辟易とする。例えば、「裙帯菜=ワカメ」「天竺花=ハギ」「茶梅=サザンカ」などといった具合。

 その思いをさらに増幅したのが、自身の名前を「高倉『褌』」と誤植されたこと。以来、筆名は「高倉テル」となり、ついには「タカクラテル」と改められた、という。

 ところで、拙者の名前は「眞(真)守」であるが、時々「守」と表記された書簡が送られてくる。正直なところ、余り気分が良いものではない。

 何だか「マヌケ」呼ばわりされているような気もするのだ。もっとも実態は相当な「間抜け」に違いはないのだが…。

 車の名前も面白い。昔からトヨタの車は「C」で始まるものが多かった。「センチュリー」「セルシオ」「クラウン」「カローラ」「コロナ」…など。

 ところが最近は「レクサス」「ハリアー」「ブレード」「プリウス」…など。どうも〃路線〃が違ってきているようだ。何かしら理由があるのだろうか?

 それからもう一つ。日本女子フィギュアスケート界のトップ・アスリートは「A」で始まる。オリンピックの金メダリストが「荒川静香」で、世界選手権のチャンピオンは「安藤美姫」。

 そして人気の「浅田真央」。せめて次に間違える際には、「清水真央」様と表記してくれないかなあ…。「マオちゃん」も「マモちゃん」もガンバレ!!


2007/08/22

向田さん逝って31年 - 事故で蘇える台湾の記憶 -

 「突然出てきてほとんど名人である」 - 。毒舌の主、山本夏彦氏からそう称されたのは向田邦子さん。もうお二方とも故人だ。

 向田さんと言えば、先年亡くなった久世光彦さんと組んで『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』などTBSの人気ドラマを手がけた名脚本家だった。

 晩年は、小説の分野にも進出。昭和55年には『かわうそ』などの短編集で、第83回直木賞を受賞している。

 その向田さんが不慮の航空機事故で死亡したのは、今からちょうど31年前の今日(8月22日)。場所は台湾上空。航空会社名は「遠東航空」(ファー・イースタン)だった。

 奇しくもその機種は、今回那覇空港で炎上事故を起したのと同じ、ボーイング737型機。何かしら〃因縁〃めいたものを感じる。

 何故このようなことを書くのかというと、実は我が家の三男坊(中3)が事故騒ぎのあったその日(20日)、島原JCの皆さんに伴われた「台湾研修旅行」(3泊4日)を終えて、帰国の途にあったからだ。

 向田さんの事故が発生した日は、勤務先の校友会が東京近郊であって、フェリーで移動している最中にニュースを聞いた。

 とにかくビックリした。そして、大好きな作家だっただけに、言い知れぬ衝撃を受けたことを、いまだに覚えている。

 那覇空港の騒ぎは、会社近くの弁当屋さんのテレビで流れているのを見て知った。「エッ!」。一瞬、言葉にならなかったが、まず死者が出ていないことを聞いて安心した。

 さて、その三男が無事に帰って来た。その晩は例のごとく深夜の帰宅だったので会えなかったが、土産の山が雑然とテーブルの上に置かれていた。

 翌朝、寝ぼけ眼で現れた三男が面倒くさそうに語りかけてきた。そして、台湾製のオイルライターと携帯ストラップをくれた。

 包みには「オヤジ」の走り書き。ストラップは福岡空港辺りで求めたものらしく、中州の酔っ払い親爺をモチーフにしたもの。でも、嬉しかった。

 もう久しく台湾には行っていない。30年近く前の台湾はまだまだ〃田舎〃だったが、もう相当な発展を遂げていることだろう。

 台北、高雄の大都市はともかくとして、日本に一番近い「基隆」の港町や、色華やかな植物に囲まれたガランピ公園はどうなっているのだろうか。

 そう言えば、息子の旅程表に台北 - 台南間の「高速鉄道」というのがあったようだが、その列車の送風装置は、我が島原市に本社を置く「東洋機工」が製作しているのだよ。

 一つの出来事をきっかけに浮かび上がる過去の記憶の数々。向田さんや故宮博物館、ガランピの美しい花々…を思い出しながら今朝も水を撒く。


2007/08/20

でも、可哀相なセミさん - 光ファイバをも突き刺す繁殖力 -

 20日は朝から小雨がぱらついて幾分かは過ごしやすくなったが、連日の猛暑でセミがあちこちで行き倒れになっているそうだ。余談だが、ミミズも干からびている、という

 そう言えば、拙者が手塩にかけて育てている(水を撒いているだけだが)ポーチュラカの花壇に、数日前のクマゼミに続いて、今度はアブラゼミの遺体が横たわっていた。

 自然の節理とはいえ残酷なものだ。振り返ってみると、盆を境にセミの鳴き声がめっきり聞かれなくなった。「おどみゃ盆ぎり、盆ぎり♪♪」 - 。五木の子守唄は言い得て妙だ。

 さて、そのセミの話だが、1週間ほど前の朝日新聞1面トップに「光回線クマゼミに泣く」「ケーブルに産卵、断線」という面白い記事が掲載されていた。

 それによると、クマゼミの産卵管(太さ約1ミリ、長さ1センチ以上)はとても固くて、光ファイバのポリエチレン皮膜くらいは難なく貫通できる、という。

 昨年の被害実態は、NTT西日本で約千件。関西電力系のケイ・オプティコムでも二百件近くに達した、と報じている。

 総理秘書官夫人だった榎本三恵子(後にタレント)による「ハチの一刺し」が田中角栄政権にトドメを打ったのは有名な話だが、「セミの一刺し」が象徴するものは一体何だろうか?

 当社も島原市と深江町のほぼ全域に光ファイバ&同軸ケーブルを敷設しているので、あながち〃他人事〃ではないのだが、今のところ被害の報告は受けていない。

 こうした自然界とハイテク機器との予測できない戦いは、実は以前から各方面で指摘されている。飛行機の両翼の下に設置されているジェットエンジンの噴射口に、野鳥が飛び込んで大騒ぎしたのもまだ記憶に新しい。

 当社も二年ほど前に、ヘビの侵入で、笑えない実害をこうむったことがある。ちょうど暑い盛りの、今頃の季節であった。

 一雨降った後の晩飯時。雷も落ちていないのに「停波」したので、おかしいと思って色々と調査をしてみたら、外付けのアンプか何かに、夕涼みがてら電柱に登っていたヘビが接触して感電死していたのだ。

 この時は九電の人たちも駆け付けて大騒ぎしたのだが、犯人がヘビと分かって、みな拍子抜けしたことを覚えている。

 これは電線メーカーの人から聞いた話だが、電線類の接続部分の仕上げには「モグラの皮が最適!!」だというから驚きだ。

 ところで、セミは英語で何と言うのだろう?中学時代に買った旺文社の和英辞書で調べてみたら、「CICADA」と表記してあった。

 続けて発音記号を見ると、何とその読みは「シケイダ(死刑だ!!)」と。これじゃセミさんも浮かばれないよなあ。ナマンダーブ、ナマンダーブ…。


2007/08/18

目指そう〃ユネスコ認定〃 - 存在を世界に示すチャンス!! -

 そもそも、こんなに重たい地球が、なぜ宇宙に浮かんでいるのか、皆さん不思議に思ったことはありませんか?

 拙者はありません。素直な性格なものですから、はなから「そんなものだ」と思っていました。つまりは「1+1=2」がどうしてなのか、と深く考える能力を有していない、ということです。

 まあ、そんなことはさて置き、連日うだるような暑さが続いています。一昨日だったかは岐阜と埼玉で74年ぶりに最高温度の記録を塗り変えた、と騒いでいました(40.9℃)。

 ふつう熱めの風呂の温度が42℃くらいと言われているので、屋外にいた人は、服を着たまま風呂につかっていたのと同じ環境だったわけです。

 島原でも〃立秋〃を過ぎたというのに、依然猛暑が衰えません。水をいくら撒いても、アスファルトの路面はまるで〃焼け石に水〃のような状態。まったく嫌になります。

 でも、まだ撒けるだけの「水」があるということは幸せです。「水祭り」の時だけでなく、島原の人々はもっと自然の恵みに感謝しなければなりません。

 その島原(半島全域)の成り立ちの根幹をなす「地形」や「地質」について、面白い動きが始まろうとしています。長崎県や島原市などが〃水面下〃で進めている「ジオパーク」という構想です。

 島原市は今年5月、「日本の地質百選」に認定されました。これは我々素人の想像以上にスゴイことのようです。

 ひょっとしたら、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の認定を、日本で初めて受けることが出来るかも知れません。いや、その可能性が十分にある、ということのようです。

 言葉を変えれば、島原半島の存在を、世界中に示すことが出来る絶好のチャンスです。行政、住民が一体となって取り組む必要がある、と考えます。

 すでに県や市では下準備を進めているようですが、さらに住民パワーを結集しようと、今月20日(月曜)午後2時から、雲仙岳災害記念館で講演会が開かれます。5時半まで。

 テーマはずばり「日本におけるジオパーク認定第一号を目指して!」。講師は斯界の第一人者、岩松暉・鹿児島大学名誉教授のほか、長岡信治・長崎大学准教授、寺井邦久・県教育センター主任指導主事の3人。入場無料。

 以前、島原高校に勤務していた寺井邦久先生(地学)によれば、島原半島は色んな時代の「断層」がそのままの形で残っている、世界でも稀な地形だということです。

 先生の話はとっても分かりやすく、我々の古里、島原半島の素晴らしさを再認識させてくれます。今回の試みが「素材の魅力」の再発見につながることを、心より願っています。


2007/08/15

足らんたーバーカ!? - 精霊流しは島原最大の祭り -

 島原のお盆の風景がとっても気に入っている。13日に「迎え火」を焚き、14日、15日と家族総出で菩提寺に参る。フィナーレの「精霊流し」の風情は、とても長崎のそれが及ぶものではない。

 夕暮れ時を待ちかねるかのように銘々の「提灯立て」を運ぶ様は、恐らく島原独特のものだろう。初盆の家(→精霊船)に飾られる「切子」の味わいはまた格別だ。

 断じて言うが、「精霊流しこそ、城下町しまばら最大の祭り」である。昔は〃練り〃によって家々の瓦に被害が出ようとも、誰も文句を言うものはいなかった、という。

 それは御霊(祖先)に対する畏敬の念であり、藩政時代より連綿と息づく島原人の心意気だ。カッコ付けて観光化する必要などない。ひたすら集い、ひたすら練れば良いのである。

 結果として、観光客(見物人)が増えるとすれば、それはそれで結構なこと。ただ、その存在を広く世の中に知らしめることは大事である。関係者のさらなる奮起を望む。

 「お客さんは綺麗な所、楽しそうな雰囲気を求めてやって来るものだ」 - 。日々の朝礼で、口すっぱく語っている。

 事実、そうだと思う。自分から進んで、汚い、或いは面白くもないような場所を目指す輩は、よほどの風変わりに違いない。

 出来れば、自宅も、会社も、そして女性も「綺麗」であるに越したことはない。ここで言う「綺麗」とは「華美」を意味しない。素材の魅力を十分に引き出した美しさのことである。

 言わば、素材そのものが持つ「属性」だ。ところが、口で言うのは簡単だが、いざ実行となると、なかなかに難しい。

 人は常に自分にないものを求めたがる性質を持っている。「蓼食う虫も好き好き」という諺があるが、帰省したカップルの中に「よくもまあ…」といった俄かには信じ難い「美醜の組み合わせ」を見かける。

 決して、悪いことではない。ただ単純に驚くだけである。逆を言えば、誰だってチャンスがある、ということだ。

 閑話休題。島原は本当に「素材の魅力」を活かした街づくりをしているだろうか。歴史、湧水、温泉、海山の幸…。それぞれの分野でガンバッテはいるのだろうが、まだまだ足りない。

 花森安治によれば、「足りぬ、足りぬは工夫が足りぬ」だ。「足らんたーバーカ」とは有明町のIさんの口癖だが、知恵も熱意も足りないのが現実だ。ここらで一つ「盆」を区切りに、もっとみんなで自覚しましょうや。

 島原の持つ「素材の魅力」を細部にわたって検証し、もっと帰省客に胸が晴れるような街づくりに励もうではありませんか。

 何だが今日は、生徒会の役員のような口ぶりになってしまいましたなあ。申し訳ございません。


2007/08/14

期せずして紹介相次ぐ - シンクロニシティを感じた!! -

 昨日「9」にまつわる話を書いたが、たまたま買った「PHP」(9月号)では、「Dr.コパ」こと小林祥晃(さちあき)氏が「ラッキー9風水」というタイトルで寄稿していた。

 それによると、風水における「9」は、太陽に一番近い輝きのある数字。そして今年のラッキーナンバー。9月に入ったら、9にかかわる物を持ったりすれば、金運、健康運、才能運がアップする、とか。

 さらに氏は、9月9日の「重陽の節句」にあやかって、「菊花酒」や「菊茶」をいただくことの〃効用〃を説いている。

 また、9月には古来より「月」を愛でる風習があり、水に映った月を見た女性は、潜在的な「美」や「能力」を発現できるとも。

 結びの章は次の通り。「0から始まる最後の数の9は、陰陽でいう陽が最も強くよい数字。上手に利用して、開運への扉を開いてください」と。

 で、これまた〃たまたま〃だが、同時に買い求めた「文藝春秋」(9月号・芥川賞作品全文掲載)を開いてみたら、なんと先日訪れたばかりの長崎市の史跡料亭「花月」が特集されていたので驚いた。

 「メルセデスベンツで訪ねる、芥川賞、直木賞の舞台」というグラビア集で、渡哲也&吉永小百合主演で映画「長崎ぶらぶら節」にもなった長崎の街並みを紹介している。

 読んでみて初めて知ったが、野母崎半島のつけ根にあたる深堀一帯は、国見の神代と同じ佐賀・鍋島藩の領地だった。古賀(渡)と愛八(吉永)が契りを交わした小浜温泉が紹介されているのも嬉しい限りだ。

 さらに驚いたのは、何げなく手にした雑誌「男の隠れ家」(9月号)の「そば特集」に、福栄会長、福崎理智子さんの生家「亀萬酒造」が二つのコーナーで取り上げられていたこと。

 江戸の昔から「蕎麦」と「日本酒」は切っても切れない深い関係だが、西日本では、ソーメンやラーメンやなどに押されて、やや影が薄い存在だ。

 ところが、最近ではチャンポンの街・長崎にも、通好みの「蕎屋」(万町)が登場するなど、だんだんと〃食文化〃にも異変が起きつつある。

 話が逸れたが、「亀萬」を紹介しているのは、フォトジャーナリストの森枝卓士氏と、小泉英司氏。森枝氏は熊本出身。三代目の当主とも古くからの友人で、徳富蘇峰の石碑から取った「不強不達」という銘柄を紹介している。

 「180度人工物のない天然自然の浜辺で絶景を愛でつつ愉しむ冷酒(もちろん亀萬!!)とそば。潮風と共に過ごす贅沢な午後のひととき」 - 。小泉氏がものした水俣の「遠見のそば屋」の紹介序文だ。

 このように期せずして何の脈絡もない複数の出来事が重なり合うことを、心理学用語で「シンクロニシティ」と言うそうだ。詳しくは、ユングの本を読んで下さい。


2007/08/13

斑尾高原〃今昔物語〃 - 我に七難八苦を与えよ!! -

 いつものように早起きして水撒きをしたのだが、今朝(13日)は夜半に降雨があったらしく、清々しい気分でスタートを切れた。

 休日を返上して仕事をしたり、一足先にお盆の準備をしたことなどが神仏に認められたか、自販機でお茶を買ったら、ルーレットの数字が見事に揃った!!

 「9999」。本当は150円の製品(おまけ)を貰っても良かったのだが、控えめに120円の海洋深層水にとどめた。

 ちなみに、マイカーのナンバープレートは「8888」である。香港ではかつて、8並びのナンバーは1億円で取引される、と言われていた。果たして今ではどうだろう?

 中国人が「8」という数字を好むのは、その発音が〃お金〃を意味する「發」と同じとか、似ているとかいうことを、前に新聞で読んだことがある。

 さて、本日ゲット!!したラッキーナンバーは「8」ではなく「9」である。この数字は余り日本人には好まれないようだ。「9」の読みが「苦」とか「窮」に通じるという他愛もない理由からだ。

 ところが、お隣の韓国では事情が違う。すなわち「9」は〃最高の数字〃ということで、尊ばれるというから面白い。

 いずれにしても構わないが、今日の場合は「もっと苦労しないといけないよ!!」との天からの啓示として受け止めよう。我に七難八苦を与えよ、だ。

 盆に入って県外ナンバーが俄然増えてきた。中には見たこともないような〃高級車〃も見かける。島原出身者が外に出て成功を収める。良い事だ。

 我が家にも、この春やっと大学生になれた長男が帰ってくる。居たら居たで、鬱陶しい気もするが、親としては何となく嬉しいものである。

 もうとっくに夏休みに入っているはずだが…。家人を通じて理由を訊かせたら、「信州でクラブの合宿」とのこと。

 「何っ、信州のどこな?」。「電話では、斑尾高原て言いよったよ」。「のっ、のぼすんな!?マダラオって言えば…」。

 以前いた旅行代理店で、冬場には「スキーツアー」を担当させられていた。上司に北海道や志賀高原に視察に行かせていただいて、「シメシメ…」と思っていたのだが、とんでもない思い違いだった、のだ。

 「おい、正月は信州だ」。「えっ、休みではないんですか?」。「休みはツアーが終わってから、ゆっくり取っていい。マダラオへ行って来い」。「ハイ…」。

 ところが、このツアー、宿の予約が十分に取れておらず、客からの突き上げが激しかった。やむを得ず民宿で〃直談判〃に及んだのだが、何を勘違いしたのか、そこのバカ息子が逆ギレして首を絞めてきた。

 一瞬、殺されるかと思ったほどで、首には手の跡がクッキリ。帰ったら先輩諸氏から「首の輪グマ君」と冷やかされた。時代は確実に変わった。


2007/08/11

捨て難いB級グルメ - 冷房をめぐるホットな戦い -

 今年は10数年に1度のセミの〃当たり年〃なのだそうだ。そう言えば、例年にも増して鳴き声が喧しいような気もする。

 また、台風が数多く襲来する、との説もある。こちらは「ハチの巣がいつもの年より低い位置にかけられている」という〃自然現象〃を見た、とあるオバアちゃんの予想だ。

 それにしても暑い。殊にここ数日は、完璧と言って良いほどの〃晴天〃で、外に出るのが億劫になるくらいである。

 肥っている人は概して暑さに弱い。拙者も人後におちない〃暑がり〃だ。それに輪をかけて、今年は愛車のクーラーの調子が悪く、ほとんど車内は〃蒸し風呂〃状態。

 一方で、お世話になっているNTTビルはコンクリート壁が厚いこともあって、広々とした内部空間はヒンヤリとしている。

 それでも暑がり屋さんにはまだ物足りない。室内の設定温度を26度から22度辺りにまで落とすのだが、これが女性陣にいたって不評。知らないうちに元に戻されている。

 こうした〃バトル〃は何も我が社の専売特許でなく、ニュース提携先のテレビ長崎(KTN)報道部でも、頻繁に繰り返されているようだ。

 最近では画面に登場しなくなったのでご無沙汰しているが、「浦さん」という元キャスターの男性がいる。年の頃は拙者より少し上だろうか。

 その「浦さん」と以前、魚肉ソーセージの話で盛り上がった。「アレにたっぷりとマヨネーズをかけて食べるのは最高!!」「ソースも美味いぞ!!」 - 。

 酒席での〃中年デブ男〃2人の会話は、傍からみても相当〃脂ぎって〃いたに相違ないが、それほどまでにソーセージの存在は魅惑的だ。

 いつだったか、食品類の販売を始めたばかりのサンアイ島原店で〃激安〃の箱入りソーセージを見かけた。要するに〃期限切れ寸前〃の商品だったのだが、迷わず買った。

 「ネコまっしぐら」はキャットフーズのCMで有名なセリフだが、その時は「ブタまっしぐら」で売り場に並んだ。

 ところで、味覚も遺伝するものだろうか?息子3人ともに「ウインナー&ソーセージ&ハム大好き人間」なのである。焼肉の時もカルビーなんかより、そっちの系統の方を好んで食しているようだ。

 最近はコンビニや高速道路のサービスエリアで熱々のウインナーが置いてあるが、これがまた美味そうに見えて、まず例外なく買ってしまう。

 ケチャプとカラシをたっぷり付けて、頭からガブリ。咀しゃくとともに広がる〃ジャンクフード〃独特の濃厚な味わい。

 「花月」(料亭)も良かったけど、「B級グルメ」の世界も捨てがたい。イカン、イカン…また食べたくなってきた。


2007/08/10

花月に行ってきました - 意外に浅かった龍馬の刀傷 -

 先週末、高総体応援(佐賀県)の合間を縫うように、長崎市の史跡料亭「花月」を訪れた。とある知人からのお招きだったのだが、何ぶん初めての経験だったので緊張してしまった。

 恥ずかしながら、まず「場所」が分からなかった。若かりし頃、良く徘徊した思案橋の繁華街を抜け交番を訪ねると、「すぐ裏手ですよ」との答え。

 教えに従って50メートルも歩くと、打ち水をした石段が迎えてくれた。「いらっしゃいませー」。涼しげな薄緑色の着物を召した上品な仲居さん(?)が出迎えてくれた。

 上がりかまちで履きなれない革靴を脱ぐと、引換券をくれた。27番。どういう訳か、今その券が手元にある!?

 急な上り階段をあがっていくと、すでに主賓や先客の方々が座っていた。

 急いで上着の袖を通したら、汗が一挙に吹き出てきた。オシボリで顔を一拭き。冷たい抹茶で喉を潤した。

 名刺交換後、ひとしきり世間話を交わしたあと、いよいよ宴席へ。目線の向こうには、細部まで手入れの行き届いた和風の庭園。細く波打った透明ガラスが美しい。

 主催者挨拶のあと乾杯。女将(長崎では「おかっつぁま」と呼ぶらしい)の加藤公子さんは雲仙「湯元旅館」の出。そうだ、社長は元NBC社長の藤樹憲二さんだった!!

 聞けば、花月は今年で創業365年とか。まさに〃老舗〃の名に相応しい歴史の古さだ。

 料理は長崎名物の卓袱(しっぽく)。お吸い物をいただいたあとで、煮物、お造り…などと次々。特別に用意された「森伊蔵」の水割りが美味い!!

 ひとしきり座が和んだ後で、有名な「龍馬の刀傷」を見せてもらったが、想っていた以上に浅かった。恐らく〃座興〃に乗って切りつけたものだろう。

 脱線するが、龍馬の古里・高知に「城西館」という老舗旅館がある。そこでは、吉田茂元総理が飲み残した「オールド・パー」(スコッチ)を今でも大切に保管している。

 さて「料亭」と言うと、何となく〃政治臭〃が付きまとうが、最近では純然たる〃食事処〃として、ビジネスの世界で大成功を収めた人物がいる。

 徳島県の山奥で老人パワーを使って「葉っぱビジネス」を展開している、「(株)いろどり」副社長の横石知二さん(48)だ。

 横石さんは農協の職員だったが、今から20年ほど前、大阪の料亭で得たヒントをもとに、新規ビジネスを立ち上げた。今ではバアさん連中の年収が何百万円というから、まさにドリーム・ビジネスだ。

 しかし、ここに至るまでに、横石さんは身銭を切って全国の料亭を渡り歩いている。結果、体調を崩している、とも。

 拙者の料亭体験は始まったばかりだが、どうやら資金的にも続きそうもないし、身体も心配だ…。


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2007/08/09

水撒きで哲学する!? - 水撒きで哲学する!?、ポーチュラカはネボスケだ -

 どういうわけか、最近は早起きだ。目覚まし時計はかけていないが、大概5時前後には目が覚める。

 一服してそのままテレビをダラダラと見続けるのも何だと思って、取りあえず会社へ向かう。市役所前の交差点付近にはウォーキング夫妻ら。ほぼ決まった顔ぶれだ。

 朝一番の仕事は水撒き。50メートルホースを余さず引っ張り出して、鉢植えの日日草や地植えのポーチュラカにたっぷりと注ぐ。

 ポーチュラカは〃ネボスケ〃だ。朝日を浴びる頃になってようやく居ずまいを正して花を開かせる。赤、白、黄色…。とっても綺麗だ。

 雑草に混じって、昨年植えていたマツバボタンの〃末裔〃がしっかりと根付いている。その生命力にしばし感心する。

 花壇回りが済むと、お次は玄関前と道路。ホースの先端ノズルを「ストレート」に合わせて、渇いた部分がないくらいまで丹念に吹き付ける。

 時々〃ビル風〃が舞って水しぶきがかかることも。しかし、水撒きのおかげで風の力が思った以上に大きいことも知った。

 どうすれば一番遠くまで飛ばせるか?ホースの角度をあれこれ変えてみるのも面白い。次々に現れては消える〃虹〃の存在も楽しい。

 そうこうするうちに、お向かいの「こひつじ幼稚園」の園児たちが、母親の車に送られて、可愛らしい姿を見せ始める。おはよう!!心和む一時である。

 それにしても、皆さん〃良い車〃に乗ってらっしゃる。クーラーの壊れた傷だらけのマイカーを遠目に見ては、ついついタメ息が漏れる。

 水撒きに要する時間は日によって異なるが、だいたい30分から40分。個人的には、色んな事に思いを巡らす〃瞑想〃の時間でもある。

 取っても、取ってもツゲの老木に〃巣〃を張るクモ。こんなに頻繁に〃蜘蛛の糸〃を退治していたら、あの世に行ってバチが当たらないだろうか…。

 いやいや蜘蛛の巣は〃廃屋〃の象徴。大人の世界では、男性に見限られて〃孤閨〃を保つ女性を揶揄する際にも使われているではないか。

 古くからの友人は、拙者が花好きになったことを「ジジイになった証拠」と嗤う。確かにそうかも知れない。

 しかし、水撒きをしながらつくづく思うことも多い。ほんの100メートルも移動すれば、1日4万トンもの水が湧き出る白土湖。

 そこを源流とした音無川。その沿道を、老若男女…様々な人々が行き交う。

 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」(鴨長明・方丈記)

 朝の水撒きは単なる作業ではない。〃哲学〃する時間なのだ。


2007/08/08

諸富の歴史は2,200年!? - 街の各所に残る「徐福」伝説 -

 月曜日1日休んだだけなのに、体格の良い県のオジサンから「お前、さぼったろ…」と意味深な笑いを投げかけられた。

 図星と言えば図星のご指摘だが、別段さぼったわけではない。予想を超える不意の来客が相次いで、ついつい書きそびれてしまったのである。

 しかし、よくよく考えてみると、ちょっとした出来事がきっかけとなって「緊張の糸」はプツリと切れてしまうものだ。継続は力なり。心しなければ!!

 高総体の応援で4日間通いつめた佐賀県諸富町は、昨日も書いたが「徐福の里」として知られる。「徐福」とは一体何ぞや?

 もう20年近くも前に、島原市民文化講座か何かで、考古学で有名な森浩一同志社大学教授の講演を聴いたことがある。確か会場は森岳公民館だった。

 その時の話の内容は全くの門外漢だったので少しも覚えていないが、中国から九州に渡ってきた「徐福」という人物がいた、ということだけは記憶の片隅に残っていた。

 レスリング会場でいただいた資料によると、徐福は今から2200年前、秦の始皇帝の命を受け、「不老不死」の妙薬を求めて、この諸富の地に上陸した、と伝えられている。

 金銀珠玉で飾り立てた数十隻の船に、童男童女を中心に約3000人を引き連れて、有明海に面する筑後川河口に辿り着いた、という。

 真偽のほどは知る由もないが、古い絵図や「不老不死」が訛ったとされる「クロフキ」(植物)の存在、地名などに、今もその〃名残〃をとどめている。

 諸富にはもう一つ名物があった。国の重要文化財に指定されている「筑後川昇開橋」だ。こちらは近代の話で、今から70年近く前に造られている。

 そのフレコミは「現存する最古の昇開可動橋」(全長507メートル)。かつての国鉄・佐賀線(佐賀 - 瀬高間24.1キロ)を結んでいた。

 建設費は当時のお金で60数万円かかったということだが、今の貨幣価値に換算すると、どれくらいだろうか?

 現在は「遊歩道」(観光施設)として利用されており、年末年始を除いて、対岸の福岡県大川市と1日に7回往き来できるようになっている。

 そう言えば、街の通りには、何軒もの家具屋さんが店を構えていたが、大川との距離を考えれば至極当然のことである。

 残念ながら、今回は応援そのものが目的だったので、史跡めぐりはできなかった。次回は是非ともゆっくりと歩いてみたい、と考えている。

 それにしても「徐福」に「諸富」にと、何ともメデタイ地名ではないか。勝敗はともかくとして、全国から集った高校生諸君にとっては、終生忘れ得ぬ〃思い出の地〃となったことだろう。


2007/08/07

感動をありがとう!! - 見直したレスリングの魅力 -

 西川清人さん(有明町大三東・写真家)が存命の頃、島原新聞にこんな内容の「求人広告」を出してくれた。

 「求む人材!!」とのタイトルの後に並んだ条件は「高校時代、クラブ活動で頑張った者。ただし、レギュラーで活躍した人間を除く」と。

 さらに「最低賃金は保証…」と続くわけだが、今にして思うに、西川さんらしい、実に〃含蓄〃に富んだ表現である。

 先週末、4日連続で「徐福の里」(佐賀市諸富町)に通った。その距離、往復で300キロ余。合算すると優に1000キロを超える。

 目的は、西川さんの〃採用条件〃に見事に合致する次男がお世話になっている「島原高校レスリング部」(喜多龍昭監督)応援のためだ。

 残念ながら団体競技は2回戦で敗退。7階級に6人が出場した個人戦も、2人がベスト8入りを果たしただけで終わったが、不思議な〃充実感〃に包まれている。

 正直なところ、次男がそれまで経験のないレスリング部を志望した時は、ある種〃戸惑い〃を感じた。「体力的にも恵まれていないのに、マイナーなスポーツをなぜ…」と。

 しかし、幾度か試合会場に足を運んでいるうちに、その考えはまったくの〃思い違い〃であることに気付いた。殊に全国大会ともなると、その〃熱気〃は異様ですらある。

 ジャージの背中には「○○魂」や、関取が横綱・大関に昇進した際に披露される漢字の「四文字熟語」が並ぶ。ちなみに島高のそれは「不撓不屈」だ。

 待合のロビーですれ違う選手や関係者の耳たぶはいずれも「餃子」状。耳穴が完全に塞がっているような〃猛者〃も多く見受けられた。

 後半2日間は、沖縄出張から駆け付けた柳川校長とともに声を枯らした。いずれの試合も勝敗はまさに〃紙一重〃。

 力とワザの真っ向勝負!!2ラウンド、都合4分の試合時間。一瞬のスキが「勝者」と「敗者」を冷酷に分かつ。もう始まる前から、感動の余り涙ぐんでしまうほどだ。

 島原勢では、島原工業高校2年生の松本岬君が74キロ級でベスト4に入ったのが最高だったが、孤軍で戦ったその〃勇姿〃が忘れられない。

 〃常勝〃を期待されるプレッシャーの中で、それぞれに〃潜在能力〃を発揮した岩永義成(3年・84キロ級)、晃範(2年・66キロ級)兄弟のベスト8入りも見事だった。

 120キロ級に出場した馬場貴大君(1年)は、体重差をものともせず正攻法でぶつかって3回戦まで進出。将来の大器ぶりをうかがわせた。

 頼もしく思えたのは佐賀大学に進んでいる島高卒業生の応援。さあ、今日7日からは剣道部(渡辺孝経監督)の登場だ。


2007/08/04

阿久さんの死と淡路島 - 今日も頑張れ!!島高レスリング -

 それは、それは、見事な〃逆転勝利〃だった。6年ぶりに全国高総体出場を果たした島原高校レスリング部のことだ。

 1回戦の相手は、宮城県代表の東北工業大学付属高校。軽量級で3立てを食らった後での4連勝!!

 昭和30年代の西鉄ライオンズや南海ホークスの全盛時代を髣髴とさせる、まさに〃カミワザ〃。応援の保護者らの興奮度も一挙に頂点を極めた。

 正直言って、まさか?と首を捻るような〃不運〃なジャッジが続いた軽量級の3試合だった。しかし〃不撓不屈〃の島高魂はその劣勢をはねのけた。

 個々の選手の勝敗よりも〃渾然一体〃となった不思議なチームワーク。ふだんは冷静沈着な喜多監督も「全国大会では、滅多にあるものではありません」といささか興奮気味。

 この勢いで2回戦!!と意気込んでいたら、台風5号接近のため、試合日程が翌日にずれ込んでしまった。したがって、本欄も2日続けての〃早朝執筆〃。これから6時半に学校に集結して、再びマイカー乗り合いで佐賀に向かう。

   ※    ※   

 作詞家の阿久悠さんが1日、亡くなった。70歳。すでに新聞、テレビ等で、その経歴や活躍ぶりについては紹介されているので〃重複〃は避けたいが、書かないわけにはいかない。

 都はるみ、沢田研二、ピンクレディー…。阿久さんが作詞を手がけた歌謡曲は何と5千曲。気の遠くなるような話だ。

 その時代、時代の世相を鋭敏に反映する〃社会風刺家〃としての眼は小説の世界へも向けられ、『瀬戸内少年野球団』(後に夏目雅子主演で映画化)は直木賞候補ともなった。

 日本テレビのタレント発掘番組「スター誕生」の審査員で見かける阿久さんの印象は、清潔感のない〃変なオジさん〃という感じだった。

 ところが、作品となると、まるで違った。言葉の魔法使い - 。憎らしいまでに洗練された表現で、昭和という時代の大衆の心をワシヅカミにした。

 兵庫県・淡路島の生まれだった。何度も書いているように、拙者自身が隣接する徳島県に勤務していたので、今でもその土地に〃親近感〃を抱いている。

 最近は鳴門大橋や明石大橋で結ばれ、阪神圏からもスムーズに行き来ができるようになったが、昭和50年代までは〃二つの海峡〃が横たわっていた。

 鳴門から阿那賀(淡路側)に渡るとすぐ、俳優・山口崇さんの生家(古い石垣塀で囲まれた庄屋屋敷)があった。

 それから車で国道を1時間程度走ると、功成り名を遂げた三洋電機のオーナー、井植一族の大邸宅が
構えられていた。

 名産はタマネギと、線香などの原料となる除虫菊、諭鶴羽山、五色浜…。阿久さんの死が忘れかけていた淡路の記憶を呼び起こしてくれる。合掌。


2007/08/03

ワガママ横綱に〃厳罰〃 - 頑張れ、島高レスリング!! -

 〃台風近し〃を想わせる不穏な雲行きの中、朝5時前に起きてパソコンに向かっている。今日2日は次男が所属している島原高校レスリング部が6年ぶりに全国高校総体(佐賀県開催)に出場する日だ。

 8時に学校集合。それから有明フェリーを利用するか、高速経由で行くかを決定して出発する。夕方には帰ってきて、小学館編集長と打合せの予定。

 こう書くと、いかにも多忙を極めるビジネスマンのようだが、実の所は「成り行き」で生きている。前に神田の蕎麦屋で見かけた「行雲流水」がモットーなのだ。この辺が「横綱」級の人と決定的に異なる!!

 昨年の誕生日(9月18日)は台風13号の直撃を受け、九電の停電に加え、弊社の施設も各所で被害を受けた。ところが、何が幸いするか判らない。後に、この台風が運命的な「吉報」をもたらすことになるから、人生は面白い。

 まさに「人間万事塞翁が馬」である。余談だが、東洋思想に詳しい画家の永田力先生(南島原市出身)によると、「人間」は「じんかん」と読むものらしい。

 さて、横綱・朝青龍が巡業をさぼったつけで、秋&九州場所の出場停止が決まった。大相撲史上初の厳罰が下されたわけだが、当然と言えば当然だろう。

 新聞等によれば、同横綱は夏場所の優勝決定後、「疲労骨折」の診断書を協会宛に提出していた。本来なら治療に専心すべきところだが、何と母国モンゴルでサッカー遊びに興じていたというから驚きだ。

 横綱は常に「心・技・体」の充実が求められる、言わば「国民のヒーロー」。ところが、この人の場合、「心」の部分が欠けていたようだ。北の湖理事長は現役当時から見かけに似合わぬ「人格者」だった、という。余計に残念だ。

 個人的な思いだが、「予感」は昨年12月の島原場所からあった。桟敷券等を販売する事務局のお手伝いをしていたので、今回の顛末は良く解かる。それほどまでに、同横綱はワガママだった。

 相撲は「日本の国技」である。土俵入り、弓取り式など古式ゆかしい振る舞いに、国民は日本人としてのアイデンティティーを感じるのである。

 ところが、いつの時代からか「海外巡業」が行われるようになり、「国際色」が強まりだした。決して悪いことではない。しかし、「大和の心」だけは忘れないでいただきたい。

 人々は相撲に人知を超えた「力」や「神秘性」を期待している。後の祭りだが、中越沖地震の被災地にも駆け付けて激励してほしかった…。

 気の早いスポーツ紙などは「事実上の引退勧告」と煽り立て、格闘技への転進を示唆する憶測記事も掲載されている。

 今後の、同横綱の動向を知る由もないが、先ほども述べたように「人間万事 - 」である。クサらず精進されんことを!!


2007/08/01

仏の語源は「ほどける」 - 中陰の世界を歩むお二方へ -

 先日行われた前島原市議、内田憲一郎さんの四十九日の法要で、護国寺住職、岩永泰賢さんの法話を聴いた。

 いつもながら機知に飛んだ洒脱な説法にしばし聞き入ったわけだが、その中に「中陰」の話が出てきた。

 辞書で引くと、「中陰」とは「中有」(ちゅうう)とも呼ばれる仏教用語で、「人が死んでから、次の生を受けるまでの間。死後の四十九日間とすることが多い」とある。

 とすれば、内田さんの場合は、6月19日に亡くなったのでまだ「中陰」を彷徨っていることになるが、同住職は「彼のことだから、色々と理屈を付けては、関門を乗り越えていることだろう」と笑いを誘った。

 「ただし!!」と断った上で力を込めたのは「閻魔大王」の存在。「この方だけは喚問の際に、生前の行状を鏡に映し出される、誤魔化しようがない」とも。

 内田さんは、お母さんより先に逝った、いわゆる「逆縁」である。仏事の袋が御祝儀の場合と違って、上から被せた形であるのは何故か?

 それには、「逆縁」などの「災禍」が流れ落ちるように、との願いが込められていることも、その法話によって知ることができた。水引を掛けるのは「封印」の意味だという。

 さて、「中陰」で思い出すのは、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんが第百二十五回の芥川賞を受賞した『中陰の花』(平成13年)という作品。

 玄侑さん自身が福島県に住む、臨済宗妙心寺派の現役僧侶でもあることから、前々からその存在に興味を持っていた。昭和31年生まれ。慶応大学文学部中国文学科卒。

 以前にも「石コロに躓いて怪我をしたことを、どう捉えるか(幸か不幸か?)」の例え話を本欄で取り上げたことがあるので、ご記憶の方も多いのではなかろうか。

 そうしたこともあってか、何かしら心に引っ掛かっていたら、今度は島原市議会事務局長、倉重貴一さんのご長男が28歳の若さで他界された。

 31日夜、島原会館で執り行われた通夜に列席後、一旦は自宅に帰ったが、どうしても『中陰の花』が読みたくなって、本屋に駆け付けた。

 同書は文春文庫から出ており、一冊だけ残っていた。僅か百ページ余の短編に近い作品だったが、ストーリーとしても面白く、大変に読み応えがあった。

 一節に、「仏」について語られたくだりがある。その語源は「ほどける」から来ており、「成仏」とは、恨みとか、悲しみとかが大空に溶け込んでいって、純化すること」だそうだ。

 メデタキ事の例えとして「親死ね、子死ね、孫死ね」と逆説を唱えたのは一休さんだったか、良寛さんだったか忘れたが、内田さんも倉重君も、来世では決して「逆縁」を繰り返すことがないように。合掌。

中陰の花
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玄侑 宗久
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