2007/01/31

相次ぐ企業不祥事 - ナンカカルの語源は何? -

「ほらほら他所の人にナンカカリよるよ」-。とある駅の待合室で、背もたれのないベンチに腰掛けている時に、家人から注意を受けた。

振り向くと、白いコートをまとった妙齢のご婦人が背中を向けて座っていた。「ナンカカル?久しぶり聞いたよ。懐かしさぁー」。2人して大笑いした。

今年は「漢字検定1級」を取得することにした。このところ我が社では、技術系の職員が次々と難関の資格試験に合格しているので、私も負けられない。

目の前には、先日買い求めた「漢字検定ステップアップ30日」が横たわり、昨秋亡くなった白川静博士編の「漢字カレンダー」が〃お手並み拝見〃とばかりに見下ろしている。

ところで「ナンカカル」は漢字でどう書くのだろうか?標準語では「寄り掛かる」、英語では「リーン」とでも訳すのだろうか。実の所、良く分からない。

まったくのあてずっぽだが、「難が降りかかる」と解釈すれば、合点がいかないでもない。先のご婦人にしてみれば、見ず知らずのメタボ・オヤジに寄り掛かられたら、それこそ「災難」だろう。

ところで「災難」と言えば、このところ各種企業で不祥事の発覚が相次いでいる。「バレルはずがない」と高を括っていた当事者にとっては、予想だにしなかった「災難」の一種だろう。

トップを切ったのは不二家。個人的には、小さい頃から「ルックチョコ」の大ファンで、今回の一件は残念でならない。お菓子屋さんだけに考えが〃甘かった〃か。

銀座の数寄屋橋にある不二家の喫茶コーナーは、西川清人さんの遺作展を開いた「ギンザ5」のはす向かいにあって、何度か立ち寄ったこともある。その店には、旧制島原女学校の修学旅行生も訪れていた、というから、相当な歴史だ。

不二家がそうした〃伝統派〃の代表格なら、「私が社長です!!」という大看板を掲げて急速に全国展開を果たした「アパホテル」は〃信用失墜組〃のルーキーだろうか。

赤坂や麻布など都心の一等地に建つ「アパ」は北陸出身の女社長が、独特の経営哲学をひっさげて彗星のように現れ、一時期はマスコミでも〃寵児〃扱いだった。

そうした中で新たに発覚した今回の「耐震偽装疑惑」。担当の建築士によれば、全国でまだ百数十カ所の物件を抱えているというから、「涙の記者会見」くらいではとても収まりそうもない。

   ※    ※

都内の本屋さんで長らくベストセラーの一角を占めている本がある。「宇宙が味方する経営」(講談社インターナショナル)。元住友銀行常務で、現在は関西アーバン銀行頭取の伊藤忠彦さんの著作だ。企業経営者必読の本だと思う。


2007/01/30

田中正明先生の導きで - 色々あったが続けることに -

飲兵衛なら分かる感覚だと思うが、スナックなども、暫く足が遠のくと、何となくその店には入りづらいものだ。

原稿書きも然りで、幾度か試みてはみたものの、なかなか〃その気〃になれず、とうとう今日まで来てしまった。

その重たい背中を押してくれたのは、元長崎北高校長(島高時代は教頭)で、現在は長崎女子短大学長を務めている田中正明先生。先般、一冊の随筆集を頂いた。

先生は稲門の大先輩で、だいたい年に一回程度は長崎市内で開かれる総会(正月明け)でお見かけしていたが、今年は縁があって、数日前も九十九ホテルで、ご尊顔に接することができた。

頂戴した本のタイトルは「随筆ながさき」(第7号)。主宰者は田中先生で,頒価は税込みで600円。同号には56人の筆者が、思い思いの64篇を出品している。

その内の一人、橋本幸枝さんが著した「湯島吟行」は〃遺作〃になった、という。まったく面識のない方だが、先生から薦められるままに、作品を読ませていただいた。

〈舟旅は二十五分や皐月波〉〈舟虫の出迎へる島梅雨時間〉〈潮騒の島彩どりぬ海紅豆〉〈勾配の家並に繁し梅雨出水〉〈島めぐる人に藪蚊のつきまとひ〉〈この島は標高一〇五はまおもと〉

〈乱を知る鍛冶水盤や梅雨の宮〉〈はまゆふや猫と舟虫多き島〉〈一ちょ墓片手拝みや葛の花〉〈この島も梅雨の出水に山崩れ〉〈万緑や一揆の談合ありし島〉〈見回せば肥後も肥前も梅雨曇り〉〈日傘振り島に別れの水尾曳けり〉


思い立ってから3年目にして実現した「湯島」への吟行。ご本人もよもや〃遺作〃になろうとはつゆ知らずに書かれた随想であるがゆえに、却って痛々しさを誘う。故人のご冥福をお祈りするばかりだ。

島原市八幡町の山本喜世子さん(島原商工会議所女性会々長)も「今一度」と題して、比較的長目の随筆を寄せている。内容は先年亡くなった金剛流職分、赤星政之助さんの未亡人、千鶴子さんとの心温まる交流が、確かな筆致で描かれている。

文章を書くということはなかなかに〃根気〃を伴う作業である。才能満ち溢れた作家ではないが、書かなければ仕事にならないし、書けば書いたで「横着だ」「駄文だ」などとの謗りを受ける。

が、一方で「最近どうした。何かあったのか?」「楽しみにしているんだから、あんまりサボるなよ」との励ましもいただく。

昨年末から年明けにかけて色々考えさせられることもあったが、やはり本欄を続けることにした。嬉しい事、腹の立つ事…日々の暮らしは様々だ。末永くお付き合いのほどを。


2007/01/12

眉山は島原の守り神 - 昔の島原は「循環型社会」 -

七面山大祭の日の9日、眉山に登った。午前7時半、護国寺集合。車で登山口の垂木まで移動したのち、標高818.7メートルに挑んだ。

バーゲンで買ったスニーカーに、社用の防寒コート。浮き立つ気分に誘われながら軽快に足を交わしていたが、ものの20分もしないうちにガタがきた。

それでも何とか歯を食いしばって、祭主の岩永泰賢さん(護国寺住職)の後を追った。途中の休憩個所で、オス犬から突如"求愛"を受けるハプニングもあったが、何とか頂上までたどり着くことができた。

所要1時間強。標柱の立つ展望台からは、平成新山の雪景色が一望できた。さらに少し行くと、竜神様を祀った祠があった。

手前の広場から眺めると、島原の街並みが眼下に広がっていた。運動公園から眺めるのとは、また一風違った景観。これぞ我が古里!!訳もなく熱いものがこみ上げてきた。

岩永さんによれば、七面山が開かれたのは、今から250年ほど前の江戸時代中期。すべての建築資材は人力で運ばれたはずだから、とてつもない先人の労苦が偲ばれる。

寛政の地変(1792年)のことは良く知らないが、先の普賢岳噴火災害(91年~96年)の際に、この眉山が火砕流の盾となり市内中心部を守ってくれたのは、紛れもない事実。

そういった意味では、眉山は「島原の守り神様」だ。また、全国名水百選の一つにも選ばれている「島原湧水群」を涵養する「水がめ」であることも忘れてはならない。

10日は、社内全員打ち揃って、護国寺境内で「商売繁盛」「交通安全」などを祈願して、お払いをしてもらった。

「昔は船津地区のご婦人方が『ゴーカキ』と言って、朽ちた枝葉などを背負って帰られていた。そうすることで、雨水が地下に浸透しやすくなり、名水の里を創り出していた」

「眉山から運び込んだ枝葉は船体(木造)の表面を焼いたり、炊き付けとして使われていた。また、川から流れ込んだ水が、海中のプランクトンを養成。まさに、山ノ神の恵みだと言える」

「千本木や折橋の人々は、七面山参拝を終えた漁師の人たちを、手厚くもてなし、一方で海手の人々も山手の人々をとても大切にしていた」

岩永さんの話を聞きながら、昔の島原の「循環型社会」の素晴らしさを想った。本当に良い話を伺った。

毎年11月9日は営林署の呼び掛けで眉山の清掃が行われるとのことだが、いっそのこと市民こぞって参加してはどうだろうか。古里の「守り神様」に感謝の気持ちを込めて。

持ち帰った枝葉で、年明けに「島原大鬼火たき」をすれば、正月の新名物が生まれるかも知れない。


2007/01/06

車の世界もエコ・ブーム - 混迷時代は低燃費の4WDで -

新しい年、平成19年を迎えました。本欄も昨年末には"青息吐息"の状態でしたが、皆さまの励ましのおかげで、ようやく年を越すことができました。有難うございます。

さて、年頭に当たって何を書こうか、と迷っております。元旦からすっきりしない天候が続いているせいかも知れませんが、いま一つエンジンがかからない気分です。

合併からちょうど一年、島原市における目下の課題は、何と言っても「市議会議員の定数問題」でしょう。有権者の五割近くの署名を集めた「市民連合」の活動 は、喧々諤々の議論の末、「否」とされましたが、市民の間に大きな問題意識を植え付けたのは紛れもない「事実」です。

筆者も久しぶりに議場に足を運び、議員の皆様方のやりとりを見させていただきました。が、残念ながら、「なるほど然り!!」とヒザを叩くような意見には出くわせませんでした。

またまたお叱りを受けるかも知れませんが、車の世界に例えると、市民(消費者)は「燃費効率の良いエンジン」を求めているのだ、と思います。しかも、二酸化炭素などの有害物質をなるだけ排出しない「エコ・エンジン」を。

「理事者と議会は車の両輪」とは、良く言い古された言葉です。大事な予算案等を審議する定例会が、二度にわたって流会するような混乱ぶりを露呈している「対馬市議会」の惨状を見聞するにつけ、まさにその感を強くします。

筆者は噴火災害前から市政記者クラブに席を置き、様々な政局(?)も目の当たりにしてきました。そこには虚々実々の「駆け引き」が確かに存在し、それがまた面白くもありました。

ただ、今回の「定数問題」がこれまでと性格を異にするのは、合併後という特殊状況に加え、市民が形を持った「意思表示」を行って来たことです。

「議会の権威」は確かに必要だと思います。投票用紙に己の名前を書かせることの難しさは、選挙戦を実際に体験したものでなければ、分かるものではないでしょう。

しかし、今や時代は大きく変わりました。と、言うより、米国仕込みの市場原理主義者によって、「日本」という国そのものが、根底から大きく覆されてしまいました。

車の話に戻りますが、原油高騰の世相を反映してか、国の内外を問わずハイブリッド方式の低燃費車に人気が集まっています。近い将来には、水素エネルギーを使った新エンジンも開発されることでしょう。

「車の両輪」も勿論大切ですが、このような「混迷の時代」にあっては、それに市民の知恵と愛郷心を加えた「四輪駆動車」(4WD)の誕生こそが待望されているのではないでしょうか。そんな気がします。