2006/12/29

平成18年も終わり - 昨年今年貫く棒のごとしなり -

 色んな事があった平成18年もあと数日で幕を引く。初夏の頃から書き始めた本コラムも、読者の皆様方からの激励の声や手厳しいご批判に晒されながら68回目を数えた。

 ご指摘の数々は真摯に受け止め、今後の執筆活動における「自らへの戒め」としなければ、とつくづく感じ入っている。まだまだ勉強が足りない。年の瀬に当たって、反省することばかりだ。

 しばらく休んでいる間に、読者の皆様から沢山の「激励」が寄せられた。本当に行き当たりばったりの「駄文」に過ぎないのに、有難い限りだ。熱いものすら感じる。

 【終】【了】【咸】【畢】【既】 - 。今秋96歳で亡くなった『字通』の編者、白川静さん監修の漢字カレンダーもいよいよ【おわり】を告げている。

 振り返ってみて、今年一番感動した本と言えば、リリー・フランキーの『東京タワー』(扶桑社)を挙げる。「オカンとボクと、時々、オトン」という副題がついたこの作品は、今年の「本屋大賞」を受賞した。

 福岡出張の際、西鉄電車の中で慌しく読み飛ばしていたのだが、後半部のオカンの葬儀シーンでは、あたり構わず落涙したため、不審の視線を浴びてしまったほどだ。

 東京タワーは昭和33年に完成。高さは333メートル。その前年に、巨人軍の永久欠番「背番号3」は入団した。

 以前に在籍していた会社は、このタワーの低層階で団体客向けの大食堂を経営していた。入口付近には蝋人形館があった、と記憶している。

 ガキの頃、「東京見物」の土産にもらったのが、ミニチュア版の東京タワーの置物。台座の部分には「根性」と金文字で染め抜かれていた。

 そうだ、もっと「根性」を出さなければ。島原の大地にしっかりと根付く「性根のすわった人間像」を目指して。

 東京タワーの近くには、東京プリンスホテルがある。そのホテルの玄関先で、長年にわたって我が国の政財界を牛耳っていた、西武グループの総帥が警察車両に乗り込んだことは、まだ記憶に新しい。

 まさに『平家物語』の冒頭の一節を切り抜いたようなシーンだった。時代は変わっても、人間の本質はそう変わるものではない。社会だって同じだ。

 だからと言って、必要以上の悲観主義は禁物。先日亡くなった、前東京都知事の青島幸男さんは高校時代に肺を患い休学を余儀なくされたが、病床にあって岩波新書の多くを読破した、という。

 そうして生まれた件の青島節。〈明日がある、明日がある、明日があーるーさー〉。「昨年(こぞ)今年貫く棒のごとしなり」(高浜虚子)。来年はきっと良い年でありますように!!


2006/12/14

ハレの場での鎮魂歌!? - 頑張る庶民に適切な対応を -

 都市部では最近、「いざなぎ景気」(昭和40年~45年)を超えた史上空前の〃活況〃らしいが、それを享受しているのは、一部大企業のみ。

 庶民感覚からすれば、むしろ給与は据え置き、或いは下降気味で、逆に各種保険料をはじめとした生活関連費用は上がる一方。

 本稿を書きながら見ているテレビでは、国民健康保険料の引き上げに怒った市民集団が、大挙して役所に押しかけるシーンを映し出している(千葉県八千代市)。

 その報道によれば、全国で国保を支払っていない世帯の比率は、約2割(470万世帯)。年の瀬を迎えるにあたって、震撼としてしまう数字である。

 一方で、福島、和歌山、そして宮崎…と相次ぐ県知事の逮捕劇。県内でも「預け」の問題が五月雨式に露見し、スッキリしない状況が続いている。

 そんな中、今月1日島原市湊新地にオープンした漁人市場「とっとっと」(松永忠徳社長)は、地元にとって久々の明るいニュースの一つだろう。

 全国紙の囲み記事で紹介されたり、テレビで特番が流されたりするなど、今や島原の新たな「観光スポット」として注目を集めつつある。

 ところが、先週末にNHKで九州管内向けに放送された番組を見て唖然とした。同施設ご自慢の「殿様蔵」からの生中継だったが、何とも形容しがたい空気が漂っていた、のだ。

 「蔵ん中じゃんば、暗かろもん」という駄洒落の域を遥かに通り越していた。端的に言って「演出」の問題だろうが、「ハレの場」での「鎮魂歌」の朗唱はいただけない。

 例えて言うなら、その行為は、結婚式の披露宴で、「逃ーげーたぁー女房にゃ、未練はなぁーいーがー」と、ガナったようなもの。もっと「T・P・O」(時・場所・状況設定)をわきまえてほしかった。

 松永社長のもとには、テレビを見た友人らから「オイオイどうなっているんだ。地元の皆さんと心を一つにした、新たな企画の旅立ちなのに…」などと、怒りや心配の電話が相次いだ、という。

 議会開会中だ。質問をする議員、応える自治体幹部、それに連なる公務員。先般、庶民感覚からはほど遠い「賞与」が支給された。

 だが、民間だからといって、羨んでばかりいてもラチがあくものではない。その事は重々承知した上で敢えて申し上げる。

 地域経済に元気が出て「税収」が伸びないことには、その「原資」も生まれてこないし、徳島・上勝町の横石さんが言うように、医療費も高騰してしまうのですよ。

 よもや、税金や公共料金の徴収にあたって、著しく公平性を損なうような「由々しき実態」はないでしょうね。


2006/12/12

徳島・上勝町に学ぼう - おばあさんが年収数百万円 -

 大相撲島原場所の開催やら県外出張やらが続いて、しばらくご無沙汰してしまった。

 書く材料には事欠かないのだが、はて?何から書いたら良いのか迷ってしまうほどだ。まずは、徳島県上勝町(笠松和市町長)の話を少し - 。

 筆者は若い頃、徳島市に住んでいたので、今回の出張はある意味「センチメンタル・ジャーニー」でもあった。

 ほぼ十年ぶりの再会ではあったが、四国三郎こと「吉野川」の流れは滔々と変わらず、古里の山「眉山」(「びざん」と読む)も秀麗な山肌を保っていたので安心した。

 上勝町は、徳島市内から車で約一時間。勝浦川(一級河川)のほとりに広がる静かな山あいの村だ。人口約二千人。四国で最も小さな自治体だ、という。

 ところが、この小さな町がいま、全国的に注目を集めている。NHKをはじめ東京の民放キー局でも「特別番組」として放映されているので、ご記憶の方も多いと思う。

 平たく言うと、モミジやナンテン、ウラジロなどの、いわゆる「葉っぱビジネス」が大成功を収めているのである。

 最大の「牽引車」は元JA職員の横石知二さん(48)。現在は同町役場産業課の課長補佐を務めるかたわら、第三セクター「(株)いろどり」の副社長も兼ねている。

 視察では、収入役室長(参事)の星場眞人さんの講演を聞いた上で、同じく第三セクター企業の「月ヶ谷温泉」、JA集荷場などを分刻みで回ったが、何より驚いたのは、お年寄りのハツラツぶり。

 それもそのはずである。70代から90代の老婆約百人が、葉っぱをちぎって出荷するだけで、年収数百万円。箱詰めの葉っぱも軽いが、皆さんの足取りも軽いのである。

 これまでに約25億円を稼ぎ出し、医療費も他市町村の約半分。「福祉施設の充実より、産業振興を優先すべき。それが健全な街づくりの第一歩です」と、言い切る横石さん。

 今年11月中に訪れた町外の視察団は約四千人。さらに奥地に入った「棚田特区」の貸し出し料は、一反あたり年間で50万円。島原半島の20数倍という高値ながら、応募者が後を絶たない、という。

 筆者が徳島にいた頃の上勝町は、典型的な過疎地域だった。もともとはミカンの産地として有名だったが、昭和50年代の寒波で壊滅的な打撃を受け、無気力で自虐的な雰囲気が町全体を覆っていた。

 まさに「地獄状態」からの見事なまでの「復活劇」。同町では「葉っぱビジネス」ばかりでなく、「高度情報化サービス」「生活ゴミの徹底分別」…などにも積極的に取り組んでいる。

 とても一度では書き切れないので、稿を改めることにする。